黄昏騎士 02
森林都市イプシッチ
                                    
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「ときがながれてゆくよ」
「ときがながれてゆくよ」

少年はガラス玉の目を、
まばたきもせず言った。
彼は人形だった。
薄い金色がかった髪を、
風に揺らせながら

「まだ大丈夫だよ」
「まだ大丈夫だよ」

「お黙りピクトル」

少し苛立ちを含んだような、女の声がさえぎった。
人形は黙り、風が吹いた。
銀色のひとすじ、ふわりとなびき。

この森林都市イプシッチで。



どおすればいいんだよお!
などと
いっている場合ではない。
壊したいんだよ。何もかも。

男がそうくだを上げ終わるかどうかのその微妙な間合いといってよい一瞬に。
女が入ってきた。

このイプシッチの酒場に女が。
あっけにはとられないが、
それにちかい様子で、荒くれ男ども。
ジョッキを置いてあんぐり。
だってそう。
粗末なフードつきのローブに身を包んだ女は……確かに女だろう。
いや、その証拠に短めのローブからのぞくその形のよいすらりとした足。

それで……
女は店に入るとカウンターへ。
注文は?
と聞かれる前にひとこと

コモ・ド・ロワイヤル

シイドルしかないのに。
笑いだす男。笑わぬ男も。
麦芽酒の大ジョッキを割れるほど打ちつけ合い。
もう一言は。

九十年もの。もしくは八十八年もの。八十九は汚染年。さあ!

驚くマスタア

あああ、あ、ありますが。なぜそれを。
だだだ、だ、誰にもいってないのに。
死ぬ前に飲むためとっておいたんでさ。
なぜそれを。

あぜんと、男たち。
女、彼らの前で。ローブのフードをすべらせ。

あああ、あ

きらきらと。髪。
なんという。
銀色。

銀色の滝。背中に流れ落ち。
ちらりと横目をくれる
その美貌。
銀の髪には漆黒の、瞳。

死ぬ前に。
飲むなら九十年ものを。では、と女。

八十九年を。


囁くように。



ひゅううう

冷気を含んだ夜風は冷たく、頬を撫で。
このイプシッチ。
森林のなかの町。
城壁もなく、町さかいもない。
ただの森林。ところどころに家。城はさて。

女、ローブをかぶり店を出た。
みな寝静まった森林都市。
酒場にいた一人の男、後をつける。

ひゅううう
と木々の間を風が渡り
するどく目をそばめる女。

暗黒の騎士たちがやってきた。
無言で面頬を落として。その鎧姿は夜の町に恐ろしげ。

三人、四人だ。
たちまち
女のゆくてをふさぐ。
酒場の男、幹に隠れ、女を助けるか思案顔。
なにせ相手は。

すらり。きらり。ひらり。

無言で抜刀大だんびら。
女も細身の剣を鞘から抜いた。
騎士四人。女を囲むように広がって。
おそれげもなく。
女も。
無言の騎士も。無言で。剣を。
ふりかざし。
その
刹那。

ギャギャリリ

ばたり
一人。
無言で。

ギャギャリリ

ばたり
もう一人。
なんという早業。銀色の髪。
梢の間から
月の光に照らされて。
きっ、とも、にやり、ともせず。
女、ただ思うがままに。
転がるのは鎧。面頬上がらず。

ばたり。
あと一人。
血は見えない。地面には?
木の影から酒場の男。息を呑む。
もはや隠れもせず、目を驚きに見開いて。

女の。美しさは
舞のように。
そしてすでにもう

ばたり。
女は剣を戻した。

ひゅううう
思い出して風が吹く。
梢の間を。森林都市の。
動かぬ地面の騎士たち四人。
見下ろして。
さえざえと冷たいまなざし。月のように。
剣の鞘で騎士の鎧の面頬を。
ずずっと。
あらわれた顔は
きれいな少年の。可愛らしい唇の。
目を閉じた。
他の三人だってそうだ。

眉を
ひそめもせず
女は無言で、面頬をまた戻した。
木陰から歩み寄る男。恐る恐ると。
女は振り向いた。
にこりともせず。にこりともせず。
男も女も。
一瞥を加えて。


*

さて宿屋だ。
森林都市イプシッチの宿屋は一味違う。
なにせ森林だ。巨大な巨木の宿だ。
中をくりぬいてつくったとしか思えぬ。
木の香りのする宿だ。

男の案内で。
女は
ザースと名乗った。
美しく。どきどきしながら男は。すぐに土下座。

あんたのような人を探していた。
お願いだ。
助けてくれ。

女、興味なさげに。

俺の、俺の妹が今朝嘆き森で処刑され、いまだはりつけのまま。
妹の指に、母の形見の指輪が。
取り戻したいのだ。
それでせめて妹の形見にもしたいのだ。

男はそう言って。涙を流した。
女は宿のおかみに、名物の森林都市イプシッチスープを頼むと、
男にたずねた。

あの騎士は?

男は顔をあげた。わなわなと体をふるわせて。

悪鬼士だ。あれは。

憎々しげに吐き捨てる。

悪鬼士さ。あれは。

このイプシッチの領主がつくり出した恐怖の近衛騎士団。
悪鬼士!
やつらは町を荒らし、人々を切り捨て、森林を伐採しさえする悪魔のような奴らだ。
いや。じっさい悪魔さ。
はじめに現れたのが五年前。以来続々とその数を増やしている。
このイプシッチは奴らが支配しているんだ。
誰も、
悪鬼士に勝てる大人はいない。

男は頭を抱えた。
女はおかみが運んできたスープに口を。
そこに入った珍しい、山菜のようなものを。
すくい。これはなにか?
とおかみに聞いては、
うなずいては、またスープをすすっていた。
そのあいだにも男は顔を上げ。

悪鬼士!
やつらをあんな風に倒すなんて、初めて見た。

と、賛嘆のべ。

あの恐ろしげな連中を。四人も!
だが……まだ奴らは増えている。

ぴくりと匙をもつ手を。
女は顔は動かさずに。

五年前からこの町の、子供たち、赤ん坊も。
さらわれて。消えてなくなることが増えた。
子供たちも取り返したい。

男は訴えた。また土下座だ。

このイプシッチの未来のために。
さらわれた子供たちは今どんな目に会っているのだろう?

女はスープを。
自問の男。

まさか、とは思うが? いや。
誰も悪鬼士を今まで倒したことはないのだから。
子供たちとなにか関係が?
教えてくれ。あんたなら。
あの酒場に九十年ものと八十八年ものの葡萄酒があることを、
一瞬で見抜いたあんたなら分かるだろう?
教えて、くれ。

女は匙をおいた。
初めてまっすぐに目の前の男を見やる。
まだ若い、しかし幾多の苦渋を経験した、悲しみの宿った目をして。
不精髭は誰のために?
銀色の長い髪を背中に追いやり、女は。
横を向いて前を見た。
おもわず見とれたような男に、女は
少しだけにこやかな様子に思えるくらいに、かすかな微笑でさえも見せぬように。

子供たちはさらわれ、そして領主の屋敷に連れていかれる。

女の声はよどみなく。

さあて、どうなる。

悪鬼士は。
悪鬼士さ。
奴らは鬼の形相をした、けむくじゃらのけだもの。醜く邪悪な、悪の手先。

子供たちは。
子供たちさ。
まさか何年ものあいだ訓練と、悪の秘術と冷酷な太刀さばきにて、子供たちが悪鬼になる。
そんな無慈悲なことはあなたも考えはすまい。

男はうなずく。何度も。一生懸命。何度も。
女は何故か悲しそうに、だから、と言うと。

子供たち。領主のもとにさらわれて。
めしつかいとして、嘆きの日々を。
さりとて、
それは過酷な日々。
鞭で打たれ、皿一枚を割るごとに。
食事を抜かれ、尻叩かれ。
少年はまだしも。
少女はね。
大人になるまで生きられればと。

男は。それならまだいい、と安堵の顔を。

再び女は
スープを飲みはじめるが。
もう冷めていたのでやめた。

「まだ大丈夫だよ」
「まだ大丈夫だよ」

人形の目が二度目にくるめくときに

ぴゅうと風。
ザースは一人。



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