黄昏騎士 3
カリストスの港町
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「ときがながれてゆくよ」
「ときがながれてゆくよ」

少年はガラス玉の目を、まばたきもせずに、そういった。

彼は人形だった。
薄い金色がかった髪を
潮風に揺らせながら。

「なんのために走るの?」
「なんのために走るの?」

「うるさいピクトル」

少し苛立ちをふくんだような、男のこえが
それをさえぎった。
人形は黙る。風が吹いて。
銀色のひとすじ。ふわりとなびき。
この港町カリストスで。


*

暗黒をお持ちですか?

ええ
前頭葉の半分ほど。

おつらいですか?

いいえちっとも
はじめは大変でしたが、
それに気づいてからはもう。

暗黒をお使いですか?

ええ
ときどきふと気づくと、すでに使っているのです。

微量ですか?

はい、
ただ……

どうしました?

増えているのです、ここのところ

ほう。それはいけませんね。

いえ、
いけないことはないのです。
それは「私」ということですから
それが私ということですから。でも……

分かっておられない方々には、やはり?

ええ、嫌がる方も中には。

減らせませんか?

やっています
相手によって放射する暗黒の量は調整しておりますが。

それでもまだ?

ええ
つらいときもあります。つい暗黒を抑えるつもりが、
私自身を抑えてしまっているような気がして。

おつらいですね。

しかたありません
暗黒のことですから。大切な。

でも、ほら
こうも言うじゃありませんか。「酒は百薬の長」と
わずかな酒は健康を保つ
暗黒だってそうです。
多量ならばそれは害悪ですが、少々であれば
かえって明白をひきたてて、輝かせるかもしれません
暗黒が逆に明白を照らすんですよ。

ありがとうございます。
そういっていただけると、少し気が楽になりました。

では、気を取り直して

はい、気を取り直して

「そろそろまいりましょうか」



ザースはそんな漁師たちの会話を聞き、
これは、いける、と思った。
そういう漁師がとってくる魚ほどうまいものはない。

彼は夜を待った。
塩の香り
ちゃぷちゃぷという波うちの音
聞こえる港の酒場にて。

*

ぎぎい、と音たてよそものが入ってきても、
漁師たちの集まるこの酒場、誰一人気にするふうでもなく。
黒いマント、そこからこぼれる銀色の髪。
それがたとえ薄明るいランプの店内だったとしても
輝くことには変わりはないが
それでもひどく珍しいというわけでもない。

このカリストス
四百年の港町。
あらゆる人種がやってくる
あらゆる品物が取引され、
あらゆる奴隷であっても
必ず値段はつくものだ。

だからぎぎいと
こしかける音が少々優雅すぎても、男が咎められることはない。

いらっしゃい、なんにします?

魚がいい

へい、かしこまり。で、どんな魚で

あちらの

と男が店内の奥にいる漁師を指さし、
あのナッツを投げ合って怒ってから笑っている、あの二人がとってきた魚を

言うと

これは……すごい。あんた、よそものだろ?
なのになんで旨い魚を知っているんだい?
彼らのとってくる魚は最高なんですぜ

少し驚いたが、店員はすぐに厨房に注文をあずけ
興味ぶかげに男をみた。

しかし、男、とひとくちにいうが、この美貌!
銀色の背中に流れる髪はどうだい
もっといいランプのもとで、その輝きを見れればねえ

とひそかに店員が思ったのをザースは知らない。

他の客たちもときどきこちらを見るが、さほど彼に興味を持ちすぎる者はいない。
みな楽しげに笑い合い、肩をたたき合い、酌をし合い、
それぞれがとってきた今日の魚の自慢をし合っているだけだ。

すとんと、皿が置かれる。
まずは焼き魚
かなりでかい。丸焼き。
がぱっと口を開き、ぎざぎざの歯を見せた
恐ろしげな魚、青銀の。
うまそうだ。

そこへ
ねえ、あなた、と
女が近づいた。

この魚には、

腰に手を当ててきっぱりと言う。

ワインでなく、麦芽酒の黒よ。

ザースは、ぴくりとフォークを止めて、
女をじろと見た。
そして無言で
手元のグラスをずいとやり
店員に麦芽酒を注文した。

女の言うことは確かだった。
ザースが巨大な焼き魚と巨大な煮魚をたいらげ、
最後に魚シチューを頼んだときには
もはや麦芽酒なしでは魚は食えぬ、
と決意するかのようにさえみえた。

さて
女はザースの代わりにワインを飲んでいたが、勘定はどうするのだろう?

はたして
月が高くなってザースが店を出ると、女はついてきた。
ねえ、あんた、と
女、ザースのマントをつかんだ。
普段なら無視して、しかも嘲笑を気づかれぬような優雅さであびせ、
すいと歩きだすだろうザースも、
黒々とした水面に、光る月と星が広がっていたので、
しばらくそれを見つめていた。

海はいい
彼は泳げなかったかもしれないが、それでも

酒場の明かりとざわめき
漁師たちはまた朝から、夜も
貿易船だってくるし
奴隷市は月に二度ほど
毛皮も、宝石も、剣も鎧も、果物も、みなやってきては去ってゆく。
どこかへ

どこかへいくためにやってくる
魚だってそう
どこかにゆくためやってきて
網に入ったら食卓へ
どこかへ去るには違いないが
でも漁師はここにいる

お姫様はいない
王様だって漁師だ。
だからこのカリストスは
平和な港町、
いくさは世界中で
起こっても、
まさかこのカリストスは


彫刻のようね。沈みそう、海には。

はっとした
女がそうつぶやいたのが、そんなにも彼は。

横顔よ。

はじめて、彼は女に目をやった。
黒髪の、腰まで長い黒髪の、背が高く、しかしどこかに媚びのある目つきの。
ゆったりとしたローブに体つきは見えないが
きっと豊かなみなもとに違いない
さびしげに笑った顔は、なにもかもを知ったような様子だ。
女はザースの腕をとった
恐れもせずに

ねえ、
海へ、




「なんのために走るの」
「なんのために走るの」

人形の目が三度目にくるめくときに
空に月

ザースはそれでも一人。



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