*

森林都市イプシッチの朝は早い。

悪鬼士による処刑が、明け方に行われるためだ。
悲鳴がよく届くように、領主は二年ほど前から見事な拡声器を発明し、
嘆きの森の周囲六箇所に設置。
つまり。
都市民の寝覚めは悪い。

朝一番の、断末魔。
被害者の十六歳以上の男女は、その後一両日中はりつけのままさらされる。


二人の計画はこうだった。
ああ、その前にいっておかなくてはならない。

女が、男の頼みを聞き入れたのにはわけがあり、
それは泣きながら土下座したこの男が、女の憐憫の情を誘ったわけ。
ではなく。

男の横顔が、彼女の一部肉体をうずかせた。
からでもむろんなく。

ただ単に、男の若々しい希望を取り戻させてやりたいという
前向きな生のカヘの手助けをしたいから。
でさえなかった。

つまり謎だ、ということだ。

おかみさんの整えたシーツは完璧だった。
二人は軽く口づけをし、ベッドにて抱き合ったのだ。

これはむろん、なにもしないで明け方まで待ち、ついぐっすりと眠りほうけてしまうのを防ぐ手段であり。
なおかつ、その手段に異存がない二人だったからこそできたものである。

二度目にくちづけしたときは、もはや男の方が積極的でさえあった。
彼女はそれを受け入れた。

どうして?
妹の、指輪を?

三度目のくちづけの前、男はそう問われ。
白状せざるをえなかった。

妹は。
俺の妹は。
妹でなく。
実は俺が五つのときに領主の屋敷の。近くの川の。水車小屋の。その裏の森で。
偶然拾い、その後、俺とおっかあとで十一年間育て、面倒を見てきたんだ。

妹を。
愛していた?

女は
やさしく聞いた。銀色の髪の、つややかに広がった、ベッドの上から。
細い指がからまる。
ザースは目を閉じた。
男を
その胸に。

さいごにくちづけは

*

イプシッチの朝が明ける前に
二人は宿屋を出た。
なぜかおかみがすでにスープを煮込んでいたが、女は宿賃だけ払った。
男は恥ずかしそうだ。

計画を始める。
まず、嘆きの森へ。

なぜ、森林都市なのに森があるのか。
いったいぜんたい、だってみんな森じゃないか。
森には家はないから。
つまりは森林都市にも純粋な森はある。

それはともかく

まだはりつけ台は三つ残っていた。
悪鬼士は見えず。

もう少し近づかないと。
森の中ほどの処刑場。
こんもりと土山。三つの十字架。はりつけ台。

女は見張り役。
指輪を早く。いまのうち。
次の処刑のために悪鬼士は町へ出掛け。
犠牲者が三人見つかり戻ってくるまでに。

女は
嘆きの森の入り口に立つ。

男はまず
右のはりつけ台に。

はりつけにされている。働き盛りの奴婢。
おそらく小間使い。黒いスカートにちぎれたレースの。
左手に指輪は
ない。
鳥が鳴く。

男は
左のはりつけ台を。

はりつけにされている。ひげの帽子職人。
おそらくツンフトのえらいさん。ステッキまで持っている。
いつ離す。
無視。
鳥が鳴く。

最後のはりつけ台。
はりつけにされている。少女。
おそらく……
左手に
指輪。
鳥が鳴く。

男は指輪をその手から。ぬきとりつつ
青白い頬の、茶色のくせ毛を乱してうつむく。少女の
死顔を見上げて。つぶやく。

なんて可哀相な。俺の妹。

おいおい。と泣こうと
そのときだ。

すらりと鞘走りの音。
女が剣を抜いたのだ。
男はっとして立ち上がり。

来た。
悪鬼士が
来た。

まだ暗い、がしかし、鳥のめざめがしだいに明けを告げる。森の向こうから。
悪鬼士の鉄鎧と青マントが。
現れる、木々の間に。

男は指輪をふところに。
そして女の側に。

終わった。逃げよう。

「……」

終わった。逃げよう。

「……」

女は男を見もせずに。
いやだ、と。

男は奇妙な顔つきで、凛々しく眉をつり上げ、敵を睨むこの、美しい女騎士を見る。

恐れる。
徴笑んだとしても。

分かっているのに。

言いたくないように、女。
でも言いたくないようだが言った。

分かっているのに。

お前の妹はあれじゃない。
はりつけ台のはりつけは、お前の妹のではないし、
その指輪も妹と母の形見ではない、ということを。
知って?

なにせ。いまさら驚く。ことはなしに。
男はうつむいて。
もういいのだ、と。

悪鬼士。三人。三人の犠牲者を引きずり。
嘆きの森での処刑が。

女は。悪鬼士に歩みよる。
やめてくれ。と男。

どれがお前の?

どれが?

三人の悪鬼士。兜で顔を隠し、ひどく重いはずの鎧をがしゃがしゃと。
夜明けは。近い。急いで。処刑も。

すっ、と女が動く。
男の腕を、すりぬけ。
銀の髪、香を残し。

悪鬼士無言。犠牲者を引きずり。

やめてくれ。

ひざをつく男は。見た。

すさまじい早業。剣のひらめき。

ガシ、ガシ、ガシ

鉄の響き。森に。飛び立つ鳥たち。
悲鳴もなく、悪態もなく。

どどう。

悪鬼士の。静かに横倒れ。
まだ息のある犠牲者、はい回り、立ち上がり、逃げてゆく。
女は。剣をしまわず、見下ろしたまま。

どれが?

三つの鎧兜。動かず地面に。

どれが?

はりつけ台前の男は。
がくがくと、そちらを見。

女。
指さされた。悪鬼士の一人を抱え起こし、
とてつもなく重いゴーントレッドをはずしてひとこと。

これは馬上槍を握るもの。
間違えだ。

さて、意外と小さな手が見えると。
左手に指輪。
面頬は上げない。

女は指輪を。抜き、
とって男のもとへ。

本物はどれか?
知っていたな?

男、這いよってくる。
鉄臭いのに。かぶさって。泣く。

悪鬼士は妹じゃない。妹も悪鬼士じゃない。
だから今日
処刑されたのだ。はりつけ台で。

叫びながらも、抱く鉄仮面。

すぐに新手の悪鬼士二個中隊がかけつけるだろう。
だもので。
男は指輪をまたしまい、
女にいった。

あんたにはなんでも分かる。

見上げて。見下ろされて。

俺は悪鬼士か?

いいや。

妹は悪鬼士か?

いいや。

あんたは騎士か?

……



森のなかで。
数々の処刑とともに。
人形は空をみないで。

「ときがながれてゆくよ」
「ときがながれてゆくよ」

「……」

「見つかったかいザース」
「見つかったかいザース」

「……」


日が昇りはじめると。
現在総数百九十四人の悪鬼士がいっせいに。
徘徊を始める。
森林都市の中。
枝だってそう邪魔にならない。

悪鬼士七人が死んだので
また子供がさらわれるだろう。

寿命まで生きなくちゃ。

マニュアル化された、詳細かつ深長な訓練を五年で、立派な悪鬼士一人出来。

町の運営には欠かせぬ管理人。
しかも経費ただ。

年貢取り立て、通行税取り立て、つけを取り立て、無能愚鈍低能を取り仕切り処刑。
よい町の完成。そして継続。
都市の予定表。百年先まで。
万能の軍隊も兼ねる。

*

燃やしてくれ。この町を。

乾いた目を向け男が、そう。

このイプシッチの森林都市を。
嘆きの森で朝を迎える前に。

男は両手を広げ。
まずは、と。

女は
剣を構える。

差し貫いてくれ。そして妹の息の根を止め。
しかるのちに町を。
この三つの願い、叶えられるのなら。
俺はあんたを。
ザース。

永遠に愛すだろう。
妹の仇。
悪鬼士救済。
あんたになら

女は興味なさげ。

いやだ。

つぶやく。聞こえぬほどの小ささで。

悲しい顔などしない。
涙なんてない。なぜなら
悲しくも辛くもない。
それゆえ、男の顔は
まぶしく。

陽光だって、もう。

誰かが火をつける。
それは俺でも。
変わらない。

男は、ザースを
目の前の女を
くちびるをかむ。女を。

見下ろした目をそらし、
女は
剣先を首筋に、そして。
左胸に下ろし、
男の肩を抱くように
崇拝の目をもつ男を
つらぬいた。

彼女は。くちづけを。
別れではなく
愛でもない
くちづけを。

囁く。男の。声も。
もはや
朝の光と影のなか。

はりつけ台の三つの影。
横たわる悪鬼士の影。
男と女の影。

チチチチ、チチ

しばらく動かずに
女は
鳥の声を聞いた。

剣を引き抜くことを恐れ。
つつも
銀色の髪で男の顔をふさぐように
ひざをもちあげ
肩から手を離さぬまま
それを
果たした。



「ときが、ながれてゆくよ」

人形はかたかた揺れる。
葦毛の馬の上。

*

森林都市イプシッチが、未曾有の業火に包まれたのは、
太陽が登り切る前、いわばいつもの処刑終了報告が出される時分だった。

巨大な火柱は次々に木々に燃え広がり、
木の家も木の宿屋も木の娼婦館も木の靴屋も
すべて。

それはよく燃える!
なにせ森林都市だ。

燃やしつくし、焼尽し、また燃やし、そして七日のちにようやく鎮火したとき。

のこったのは一面の灰神楽であったという。


*


馬の手綱をとり
女は
しばらくその様をながめ
風が運ぶ黒煙に向かい
それでも表情をゆがめもせず
腰の剣鞘にそっと手を。

そして首を
すいと振り
その銀色の髪を顔に
まといつかせると
馬首をめぐらした。


乾く水に 燃え立ち匂う 地獄花
烈風慙愧は 緑の河へ


馬上の騎士は、
柳眉をたてず。


人形はかたかたと。

「まだ大丈夫だよ」
「まだ大丈夫だよ」

少年は
まばたきもせずに……




                   黄昏騎士02完

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