黄昏騎士 04
バーンズデイル王立大学
          
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「ときがながれてゆくよ」
「ときがながれてゆくよ」

 少年はガラス玉の目を、まばたきもせずにそういった。
 彼は人形だった。
 薄い金色がかった髪を、風に揺らせて

「なにを待っているの?」
「なにを待っているの?」
「おだまり、ピクトル」

 少し苛立ちをふくんだような女の声が、それをさえぎった。
 人形は黙る。島の高台に風吹いて。
 銀色のひとすじ。
 ふわりとなびき。

 このバーンズデイル王立大学で。


*


 鼻の下のばしやがって。なんなんだよ、おめえは。

 あっ、とすまない。で?なんだっけ。
 
 窓の外を見ていた学生、あわてて羽ペンを

  このトンチキ。
  あのなあ、修辞学の最終試験だぞ。やばいんだろ。

  やばいよ。

  だったら、ほら。つぎ。

  そうだね。よし。
 
 試験の季節。学内のそこここで朗読の声。
 
 「こわれてゆく、時間と空間のなかで生きている我々は、そのえもいわれぬような奇妙なもろいはざまで、常に日々の夢を見る。それはつまりは学習と経験の映像、知識の取り込みがなされるかぎりにおいては、我々の頭のなかに影響をおよぼしかねない事項としては、大きく二つに分類される。すなわち、それは女と戦いである。女とは、異性であり、したがって我々の知識のおよぶかぎりにおいて月の魔力をその身にまとった存在であり、月はやがて命のみなもとを授けるが、そのチャンスに限りあり、その運命によってみなもとをさずかるを得る。言い換えればそれは彼女らが常にその魔力を発揮しうるわけではない。したがって、我々の想像のうちにはすべからく、異性への畏怖が根源的に存在しうるがしかし。戦いとは、いうなれば傷の記憶であり、争い、つまり生存に対する必要悪として古来より、食料、土地、矜持、そして悪徳の指導者という絶対要因をもとにし起こりえた。それでもなおかつ、争いは、どのような場合にも戦いとなるべき必然はなく、戦いの二面性、殺戮と援助という側面を生み出すのも結局は我々自身の、目的への二面的背反性にあるとも言いうる。しだいに戦いの帰結は目的そのものによらなく、流れと歯止めなき濁流として、我々の感情洞察のゆくえに任されるにいたるが、それはさらにいえば、さきの女への畏怖と同様、我々自身の未知なる領域と日常性との乖離、そしてその二要素を同時に掌握することかなわぬ場合において、やがて現実と夢想、この場合は観念として形而上のものとしておくが、の片道をゆかざるを得ないという困難を迎えることとなるのである」
 
うむ。

 これでいいのか。

 たぶんな。

 学生はほっと息をついた。
 なんとかなりそうだ。
 試験の心配をおいて、中庭のこと。
 もう一度、石畳の階段に目をやる。
 気のせいだったのだろうか。
 さきほど見えた銀のひらめきはもうなかった。
 なびいてたのだが。
 美しく
 赤い唇もあざやかに。

 でもまさかな。
 このバーンズデイル大学にあのような美しい生徒はいない。

 学生はふたたび羊皮紙に目を落とした。この試験に落ちたら、家に戻らなくてはならない。しかし。
 次男なので土地も財産ももらえない。あとは騎士になるか托鉢して巡礼僧侶になるかの選択だ。
 いやだ。そんなの。
 
バーンズデイル王立大学には、あらゆる人々が集まってくる。
医学を志すもの。法律を学びにくるもの。隣のバーンズデイル騎士団から暇つぶしにやってくるもの。
 この小さな島は学生と騎士の島なのだ。
 したがって騎士も学生になるし、学生も騎士になるときもあるというわけ。
 騎士はお金稼ぎに海賊を退治。学生はお金稼ぎに病院を経営。かなりの儲け。澗ってる。
 大体がみな次男以下。そりゃそうだ。
長男ならば土地と財産で働かずとも可能なぐうたら暮らし。
神に感謝。で女もよってくる。
 一方の次男。
兄貴が家を継いだ瞬間、追い出され、騎士か僧侶か大学か。そら選べ。錆びついた剣だけ贈られて。
 やってきた大学で、学んで学んで、やっとのことで卒業しても、戦争になりゃあ剣とって騎士になり、命を落とせば、はいそれまでさ。
 悲しき次男人生。

 はあ、と学生はため息をついた。
 島は温かいし、食べ物もうまい。仲間もたくさんいるし、あとは女がいればなあ。
 みなそういって不平を言うが、されども意外とここが気に人っているのだろう。
 出てゆく者は少ない。
 騎士になるものの方が多いほどだ。
 彼もそう。今は女より勉学。
 しかしそれでもね。

 ちらと、また見る。中庭のポーチ。
 学生は飛び上がりそうになった。
 
きらり、と銀色がなびく。

 確かだよ。今度は。目をこすり。
 おいまてよ。と言う友人に羊皮紙の問題集を押しつけ、彼は席を立つのだから。

 花畑と、壊れかけた円柱の中庭。
 勇ましく大剣を振りかざす勇者ゲオルグの彫像に、女が寄り掛かっていた。

 ごくりと学生。ほんとに女か。
 恐る恐る近寄るが、動く様子もない。
 銀色の長い長い髪を、風になびかせても。
 気配にびくりと体を震わせただけで。
 彼が覗き込むと、女は顔を上げた。
 学生は何も言えず、その場に立ちすくんだ。

 その美しさ。
 黒い瞳と濡れたような長い睫毛。白すぎる肌はこの島にはあまりにそぐわない。
 どこかのお姫様か。それにしてはまとった亜麻のローブはすりきれの粗末なものだが。
 
驚いた様子もなく、女はただ彼を見据えていた。サンゴ色の唇がかすかに動く。

 あ、ああ……あの。

 どもったのは学生。
 迷った。

 はい。こんにちわ。君は誰だい?

 と尋ねるべきか。それとも

 き、君は一体どこから来たんだい?

 と驚きを保ちつつそれでも冷静に応対すべきか。
 それによって女の反応が決まるに違いない。
 そう思ったからだ。失敗はできないのだ。

 あの…
 あなたは……
 いったいどこから……
 ここへ……
 やってきたので……・
 
しょうか。
と男が言いおえる前に、ばたりと女が倒れた。
風が吹く。
 銀色の揺れる髪を見下ろして、彼は両手を突き出したまま固まった。



 女が目を開けた。
 不思議そうに辺りを見回して。まだ起き上がらない。
 気がついたかい?と学生。
 ここは?と声を発することもせずに尋ねる女の目が言うので。

 ここは医療室だよ。この大学の。
 あ。と言っても一般用ではなく、学生用の方だから大丈夫。
だって今は試験期間中だからこんなところによりつく奴はいない。
誰もいないよ。ほら。

 学生が説明すると、女は安心してベッドの匂いをかいだ。太陽の香りなのだし。

 それで、その…

 学生はまた照れたように女にちらちらと目をやりながら□ごもった。

 こんなに綺麗な女を見たのは初めてだ。
兄貴の嫁さんの金髪もきれいだったけど、あなたの透けるように輝く銀色の髪ときたら。

 そんな賛辞など言ったら卒倒する。

 あ、あなたは……
 だ、だ、だ、だ、誰。
 ……ですか?

 それが精一杯。
 女は学生を見た。
 あわてる学生。そんなに睨まないで。
 
はじめての言葉が、何か。それは重要で。
彼にとってみればそれは今後の人生にも関わりかねない事項といえたかどうか。
 しかし

 ありがとう。

 女はきっぱりと言った。なんて綺麗な声だろう。高すぎず、さりとて小さすぎず。

 助けてくれて。

 学生はどきどきしながらうなずいた。
 けがはないようだよ。
あ、いいや、別に君の体を細々と見て調べて、服を脱がし、
さらに肌にふれたりはしていないが。
……本当に。そのようだよ。
 
女は脱がされたローブを手にして、ベッドで起き上がる。
 学生は手を差し出した。
 暗記した修辞学の問題予測はどこかへ消えかけた。まずいけど。
 女はためらわずその手をとり、立ち上がった。軽やかだ。
 すらりと細身の体。吹けば飛びそうなくらいに。
 顎を引いて。可憐な様子で、
 
私は暗殺者です。

 話しだした。
 すらすらと。女は学生の顔を見て。
 声は誇りに満ち?
 
この大学の講師であり、バーンズデイル騎士団の幹部でもある有能かつ知性ある強者を倒しに来ました。
 とある方から。私が恩のあるかつての恩人からの頼みですので。仕方ないですが来たのでした。
 
決して大きくなど開かないその唇を見ながら、学生は女の言葉に聞き人った。

 その騎士を殺せば多分戦力的にも、また作戦面においてもこの騎士団は中枢を失うことになり、
大変苦しくなるでしょう。戦いにおいては。

 戦い。ですか?

 唖然と聞き返す学生にうなずきもせず、女は続けた。

 戦いです。
 もうすぐ始まるでしょう。
 近隣の海賊はある団体と共謀して、この島の占拠を画策しているのです。
大がかりな作戦です。冬になるまでにはかたをつけたいと。それで私がこうしてやってきました。
いやですが。しかたないですね。

 学生はため息をついた。
 女の話は到底信じるには突拍子もなさすぎた。気が狂っている?
 こんなに美しいのに。
 あわれな目を女に向ける。
 学生は試験問題を思い出した。
 明日の試験に受からなくては人生がめちゃめちゃだ。

 そうさ。
 試験試験。
 
女の腰に差された細い剣鞘を見ながら、彼は月と女と戦いについての考察文を心の中で読み上げた。


「なにを待っているの?」
「なにを待っているの?」

人形の目が四度目にくるめくときに。花の香りの風そよぎ。

ザースは。

島に一人・・・・:

 

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