シンフォニックレジェンズ
           2/8ページ



     U

ライファン。いますか。ライファン」
「はい。姫様」
城内の中庭で、少年の姿を見つけると王女は嬉しそうに近づいていった。
少年は剣を振る手を止め、額の汗をぬぐうと王女の前にひざまずいた。
「お呼びでしょうか。姫様」
「 もう……」
王女は少年を立ち上がらせると、不服そうに頬を膨らませた。
「そんな挨拶なんかはいいのよ。それに、いつまでも姫様なんて呼び方もダメ」
「は……、でも……」
困ったような少年の様子に、王女はやっと微笑んだ。
「名前でいいのよ。クシュルカって呼んで」
「はあ……しかし」
「さあ。呼んでみて。早くしないと今日の夕食は抜きよ」
「はいっ」
少年は「それは困る」とばかりにあわてた様子で、一度息を吸い込むと、ちらりと王女の顔を見ながらつぶやいた。
「ク……クシュルカ……様」
そのまま顔を赤くしてうなだれる。
王女はくすくすと笑いだした。
「いいわ。それでも」

風が吹く。
彼方の城壁と尖塔の旗がなびく。
銀色の髪をかきあげる王女を、少年はまぶしそうに見た。
城に来てから二週間。
少年はすっかり元気になっていた。
痩せ細っていた体は、すらっとした体つきはそのままにしっかりと肉がつき、白すぎるほどだったその頬にも今では赤みがさし、つやつやとしていた。
城にやって来て与えられた一室でぐっすり休んだ彼は、その若さも手伝って数日のうちにはもう体力を取り戻した。
その後は、侍女や女官たちに毎日掃除や城内の草刈りなどの仕事を教わり、敬語や城の中の規則を学び、またたっぷりと食事をし、あいた時間に馬に乗せてもらったり、剣の稽古をしたりして過ごすようになった。
彼はよく食べよく働いた。
教わった仕事はきっちりとこなすし、常ににこにこと明るい笑顔を絶やさない。
彼は今では侍女たちの間でちょっとした人気者にさえなっていた。
城にやってきた当初汚れていた身なりも、入浴し髪をととのえ、ぴったりとあつらえられた騎士見習いの服に身を包むと、彼は見違えるようにしゃんとして見えた。
もともと少年らしく綺麗だった顔だちも、ちゃんと栄養をとり、よく眠り朝早く起きて顔を洗い、仕事をして汗を流すという健康的な生活のおかげか、ほどよく肉が付いて血色もよくなり、その笑顔にも本来の太陽のような輝きが戻っていった。
そして宮廷の言葉と礼儀作法を習い、剣や馬の稽古にはげむ彼はほとんど今や本物の騎士のようであった。
王女はもちろん、城の侍女たちや、はじめは身分がどうの、奴隷の乞食などが王女の側にいるなどもっての他と批判がましかった女官たちですら、今では少年の優しい笑顔や明るくはきはきとしたあいさつの前には、頬を赤く染めうきうきとしだすありさまだった。
 
彼は素直で、人の言葉をよく聞いた。
どんな時もけっして反論したり不満を述べたりはせず、ただにこにことして喜んで仕事をした。
ときには怒られ、ときには未だに奴隷扱いの蔑みを受けることもあったが、それでも決して人を憎むことも、愚痴をこぼすことも、眉を一つひそめることすらもなかった。
彼は毎日朝早く起きては日課の回廊の掃除をこなし、朝食の給仕を手伝い、中庭の草むしりと城壁の見回りと修繕を黙々とこなた。
そして一人の時間には中庭でひたすら剣を振った。
それは自分と一緒にあの奴隷商人から王女が買ってくれた古びた大剣だった。
少年は毎日その剣を丁寧に磨き、剣を振り、また剣を磨いた。
さながらその剣が本当に親の形見ででもあるかのように。

「また剣を振っていたの?」
「あ、はい」
二人は中庭の草の上に腰を下ろした。
ふわりと白いドレスを広げて座る王女を、少年は憧憬のこもったまなざしで見つめた。
クシュルカ姫は美しかった。
姫は今年で十七歳になるという。
国王ケンディス二世を父に持つ第一王女。
いずれは婿をとり、王妃としてこのアダラーマ国を支えてゆく運命をもった、高貴なる存在。
宮廷においても、町の民衆たちにも絶大な人気があり、すでに幼少のころからあと数年すればアダラーマ随一の貴婦人となるだろうと、誰もが認めている。
輝くようなプラチナの髪はつややかで、王女が首をかしげてそれが肩や首にかかる様子は、さながら名画の中の美姫そのものだった。
透き通った青い瞳は、少年に向けられるときにはいつでもやさしい光をたたえ、まばたきをするその長い睫毛は蝶のように可憐だった。
そんな王女を見ていると、彼はいつも胸がどきどきとして、なんだかじっと見ていてはいけないような気持ちになるのだった。
「どうしたの?」
「いえ。……なんでも」
覗き込むように自分を見る王女に、少年は思わず顔を赤くした。
王女はほとんど毎日、中庭で剣の稽古をする少年のもとにやってきた。
彼女自身、やがてはこのアダラーマ国を担う王妃となるための色々な学問や作法を学ぶ時間に追われ、とても忙しいようだったが、それでもこうしていつも彼女は少年の横に座り、わずかな時間だが二人で話をすることがとても楽しいようすだった。
「ねえ、その剣……」
「はい」
「やっぱりあなたのご両親の形見かなにかなのかしら?」
王女がそう聞いたのはもう何度目だったか。
「さあ……。僕には分かりません」
少年の答えもいつも同じ。彼は奴隷として檻に入れられる前の記憶がほとんどなかったのだ。
王女がそれを知ったのは、彼が自分の名前以外、年齢も、生まれた国も、母親の名前すら答えられないということを聞いたときだった。
「本当に思い出せないんです。いったい自分はどうしてあんな檻に入れられなくてはならなかったのか。自分はどこから来たのか。……本当に。ごめんなさい」
少年は剣の柄先につけられた青い宝石をいじりながら、申し訳なさそうに言った。
「いいのよ。あなたが悪いわけではないもの。私こそ、いつもしつこく聞いてごめんなさい。ただ、あなたがもしかして何かを思い出せればって思って」
「ありがとうございます。姫は……ああ、いや……クシュルカ……様は、おやさしいですね」
少年はまだ王女を名前で呼ぶのに慣れぬように、自分で言って頬を赤くした。
中庭は静かで、そよそよと梢に吹く風が心地よく、二人の髪をなでつける。
平和なアダラーマ国。
かつて一度として戦火にまみえたことのない、豊かで平穏な緑の王国。
少年の横にいるのは、そんな国の王女だった。
 
「もし……」
珍しくおずおずとした様子で、クシュルカ王女がささやいた。
「ずっと……あなたの記憶がもどらなかったら」
「はい」
「ずっと……私のそばに……」
少年はどきどきしながら王女の言葉を聞いた。
「奴隷とか、下働きなんかじゃなく……その……」
王女が少年の方を向こうとしたとき。
「王女様ー。クシュルカ様あー」
遠くで侍女の呼び声が聞こえた。
「王女様ー。どちらにおいでですかー。そろそろお勉強のお時間ですよー。お部屋にお戻りをー」
「もう。セナったら。あんなに大声を出さなくてもいいのに」
王女は仕方なさそうに立ち上がったが、思い出したようにぽんと手を叩いた。
「そうだわ。これを話しにきたのだった。ライファン」
「はい」
「前から言っていたわね。騎士団に入ってみたいって」
「ええ」
「じいやに……あ、侍従長のことね……言って騎士団長に話を通してくれたみたい。明日から見習い騎士として稽古にお出でなさい」
「あ、ありがとうございます!」
少年は嬉しそうに礼を言い、自分の腰に下げた剣に手をやった。
「本当に剣が好きなのね。ライファンは」
「はい」
にこにこと無邪気に笑う彼を見て、王女は少し寂しそうに微笑んだ。
「あなたが、どこかの貴族だったらいいのに……」
王女のつぶやきは風にとぎれた。
ライファンは顔をあげた。
「え?なにかおっしゃいましたか」
「なんでもないわ」
王女は首を振った。
「もう行かないと」
「はい」
「ライファン……」
ためらいがちに、王女はそっと少年に近寄った。
「ひざをついて、目を閉じて」
「はい」
なんの疑いもなく言われたとおりにする少年の髪に、震える手で触れ……
王女は目を閉じ、その額に自らの唇をあてた。
「王女……様」
驚いて目を開けた少年にくすりと笑いかける。
王女の頬にさっと赤みがさした。
「ただのおまじない。気にしないで」
そう言い残すと、王女はさっと走り去っていった。
少年はぽかんとして草の上にひざまずいていた。
美しい緑の庭園に、青空が広がっている。


翌朝
少年は騎士団の早朝訓練に参加していた。
美しい庭園に囲まれた広場の一角に、騎士の鎧に身を包んだ若者たちが整列している。
「……というわけだ。皆、今日からこのライファンは我がアダラーマ騎士団の見習いとして、一緒に学ぶことになった。なにかと分からぬことがあったら色々と教えてやって欲しい。さあ、ライファン、騎士道の体現を目指し、王国のために共に戦おうぞ」
騎士隊長に紹介され、彼はおずおずと前に進み出た。
「あのー、ライファンです。よろしく」
ぺこりとおじぎをする彼をみて、騎士たちは一様にひそひそと囁きを交わしたり、彼の姿や、彼の下げている大剣を見て何事かを言い合うのだった。
「お前たち。なにをこそこそやっとる。言いたいことがあるのならはっきりと言え。誇りを持ってはきはきと。それが騎士道というものだ」
隊長に一喝されて、騎士たちは押し黙った。
がっしりとした体格の隊長ラガルドは剣においては勇猛で、なおかつ人当たりもよく、騎士団においても皆の尊敬を集めている。
しかし若い騎士たちの中から進み出たものがいた。
「なんだ。意見があるのか。言ってみろ」
金髪の若い貴族騎士は隊長を見てうなずくと、ライファンを指さして言った。
「そこの者は、聞くところによるともとは奴隷で、クシュルカ姫に道端で買われてきた卑賤の者だということですが、わが神聖なる騎士団にそのような身分なき輩が入団することなど歴史上かつてありませんでした。よいのでしょうか」
「よい」
隊長の言葉は明確だった。
「何故なら、彼の騎士団入りは王女殿下が認められたことだ。騎士団は王国のため、国王陛下のため、王女殿下のために戦うものだ。したがって、王女殿下がそうと言われるのなら問題はないのである。また侍従長どののご推薦もあったことも付け加えておく。他!」
今度は赤毛のベテラン騎士が手を挙げた。
「リュースか、何だ」
「そのガキ……いや、見習いはずいぶんと立派な剣を持っているが、騎士団の規則だと見習いの間は自分の剣は持てないことになっているはずだ。たいした実力もないのに適当にぶんぶんと大剣を振り回されては危なくってしかたない。そこのところはどうなんですかい?」
「うむ。……確かに」
隊長は腕を組むと、少年に尋ねた。
「どうだ。見習い騎士は入団後しばらくは木剣で稽古をするのが普通なのだが」
「はあ」
「その剣はお前には大きすぎるのではないか?」
「はあ……でも」
少年は首をかしげた。
「でも、僕にはちょうどいいみたいですが」
にこにことしながらそう言った彼だったが、その態度が逆に騎士たちには気に入らなかったようだ。
口々に「生意気だ」「そんな剣をまともに使えるはずがない」などという声が上がった。
「静粛に。静粛にするのだ。静謐と儀礼を重んじる。それこそが騎士道の体現なのだ」
騎士隊長は皆を制し、やがて何事かを思いついたように騎士たちに重々しくうなずきかけた。
「よかろう。ではこうしよう。このライファンの剣の腕を少しためしてみよう。もしそこそこにその大剣を使えるようなら、それを認めることも考えねばなるまい。よいか?ライファン」
「はい」

「では、このライファンと剣の試合をしたい者は?」
居並んだ騎士たちは皆いっせいに手を挙げた。ベテラン騎士も若者も、ライファンと同じくらいの少年騎士も、その顔に自信をみなぎらせて。
「そうだな……ではまずマーカス、お前だ」
「はいっ」
騎士隊長が選んだのは、ライファンよりもいくつか年長の少年騎士だった。
実力的には騎士団のなかで真ん中くらい。隊長はそういう点で丁度いい目安になる者を選んだのだ。
「では二人ともこちらへ」
隊長自らが審判役を買い、二人を向かい合わせた。
「いいか。これは練習試合だ。まず頭部、顔面への攻撃はなしだ。原則として相手の剣を地面に落とした方の勝ちとする。では構え」
兜をかぶり、剣を抜いて構える二人。
ライファンは大剣を両手で低く持ち、少年騎士は最近見習いから正式な騎士になって、授かったばかりのぴかぴかの剣を相手に向けてかざした。
「始め」
隊長のかけ声と同時に、少年騎士は剣を振り上げた。
「やれやれ!」
「やっちまえ、マーカス!」
周りの騎士たちから応援の声が上がる。
少年騎士はライファンに向かって、剣を振り下ろした。
カッシーン!
高らかな音が鳴り響いた。
一瞬、二人を取り囲んだ騎士たちは声を失った。くるくると、空中を舞う剣をぽかんと見つめて。
いったい何が起こったのか。
剣はそのまま落下し地面に突き刺さった。
ぶるぶると、
震えていたのは少年騎士、マーカスだった。
ライファンはきょとんとした様子で突っ立っていた。
「な……なんだ?今のは……」
「見えなかったけど……」
「何が起こったんだ……」
ざわざわと騎士たちが互いに顔を見合わせる。
「それまで。ライファンの勝ちだ」
隊長がそう告げた。
「そんな馬鹿な……」
「一瞬で……」
信じられないという様子で、少年騎士は自分の手を見て、地面につき立っている剣を見た。そしてがっくりとひざを落とす。
「まぐれだ!」
騎士たちから声が上がった。
「次は俺がやる!」
「よし。いいだろう」
隊長はうなずいた。
「できるか?ライファン」
「はい」
まったく興奮もなにもないような声で、ライファンはうなずいた。
「始め」
カッシーン!
結果は同じだった。
再び一瞬のうちに、騎士の剣は宙高くはね飛ばされていた。
ベテラン騎士は唇を噛みしめた。
「なんてこった……」
今度のは騎士団のなかでも五指に入る腕前の騎士だった。それをほんの一撃で負かせてしまったのだ。
騎士たちは静まりかえった。
「次は俺が……」
進み出た騎士。うなずく騎士隊長。きょとんとするライファン。
「始め」
さらに再び。剣は空中を舞った。
わずか数秒で。たった一度合わさっただけで、相手の剣が飛ばされる。
何度やっても同じことだった。
次々と指名され、ライファンと剣を交える騎士たちだったが、誰一人として二度と剣を合わせることはできなかった。
「次」
ベテラン騎士も、若者も、少年騎士も、誰もかなわなかった。
それどころかまともな剣の打ち合いにもならなかった。
あっと言う間の少年の一振りは、完璧に相手の剣をたたき落とした。
ライファンは息を乱すことも、試合の後で喜んだりすることもなく、ただ飛び込んでくる相手の剣をはね上げ、そして剣を下ろし無表情で立っているだけだった。
きょとんと首をかしげたその様子は、彼自身が一番自分の剣技に驚いてでもいるようだった。
「すごいな……」
隊長がそうもらした。
すでに騎士団のほぼ全員、五十名近くが彼の相手をしていた。
しかし誰一人、ただの一度も勝てないのだ。
皆言葉がなかった。座り込んだり、あっけにとられたり、呆然としていた。

初めのうちは生意気な見習いの少年に痛い目を見せてやるかと、にやにやしていた騎士たちも、十人、二十人、三十人と少年が騎士たちを破ってゆくうちに、その顔は蒼白になり、なにか信じられないものでも見ているように何度も目をこするのだった。
「次……いないか」
もはや誰も手を挙げるものはなかった。
汗もかかず、ただ立ってその手に剣をぶら下げているこの少年に、これ以上誰が立ち向かうというのか。
「そうか。では……」
隊長は皆を見回し、誰も進み出る様子がないのを見ると、手を挙げた。
「このライファンの剣を認め……」
「待ってください」
隊長の言葉をさえぎって進み出た騎士がいた。
お前か。レアリー」
兜をかぶったまま、若い騎士がずかずかとライファンに歩み寄った。
「おお、副隊長が!」
「副隊長なら、やるかもしれん」
息を吹き返したように、周りの騎士たちはまたいっせいに声を上げた。
アダラーマ騎士団の副隊長は、騎士たちから絶大な人望があるようだった。
背丈はさほどでもない。ライファンと同じか少し低いくらいだ。
体格も同様にすらっとして、しなやかそうな身のこなしは優雅といっていいほどだ。
「副隊長ー」
「頑張ってくださいよー。副隊長」
「レアリー副隊長、俺たちの仇をとってくださいよ!」
大きな声援を背中に受け、騎士はすらりと細身の剣を抜いた。
ライファンも自然にいつもの下段の構えをとっていた。
間に立つ審判役の隊長は、この対決に興味があるようすで二人を交互に見比べていた。
「よし、では始め」
今度の騎士は、その掛け声とともに相手に向かって飛び出すことはしなかった。
さっきからの少年の戦い方は、突っ込んでくる相手の剣に狙いを定めて一瞬で下からはね上げるというものだ。うかつに飛び込んでは同じことになる。
騎士はじりじりと間合いを計りながら足場を移動した。
ライファンの方はまったく動かない。
その目は相手を見ているのだかも分からぬようにじっと地面に向けて注がれている。
周りを囲む他の騎士たちは、固唾をのんで二人の対決を見守った。
アダラーマ騎士団において隊長であるラガルドとともに、最も剣技に長けているのが副隊長のこのレアリーであった。
隊長を剛とすれば副隊長は柔。
やわらかで素早く、しなやかだがするどいその剣さばきは、団員全員の認めるところでもあった。
少しずつ足場を移動し、相手の隙をうかがう副隊長の騎士。ライファンもそれに合わせてわずかに手にする剣の角度を変える。
珍しくライファンの口からふうっと息がもれ、その手には力が込められているように血管が浮かんだ。
相手の力量を無意識に感じているのだろう。
審判をつとめるラガルドは、その様子にいたく感心したようにうなずいていた。
対峙のときは数分にも及ぶかに思われた。
太陽はすっかり上りきり、騎士たちを照りつける。
鎧を着た背中にじっとりと汗がにじむのを誰もが感じていた。
「せっ!」
静寂を切り裂くような声とともに、ついに副隊長が突進した。
一瞬の動きで相手のふところに飛び込み、横なぎに剣を繰り出す。もの凄い速さだ。
カッシュ!
ライファンの剣がそれを受けた。
どちらの剣も吹き飛ばなかった。
副隊長は剣を合わせてすぐ、左後ろにとびすさり、さらに左に回った。
続いて飛び込んでゆく。
ライファンは剣を左手に持ち替えた。
ガッシュ……ガッ!
剣の合わさる響きが数回。
騎士は瞬間的に角度を変えては飛び込み、また飛びのく、という攻撃を繰り返した。
ライファンはそれをすべて受け止めたが、相手の素早さに剣をたたき落とすことまではできない。
わあわあと騎士たちの歓声が上がる。
「すげえや!」
「すごい勝負だ」
「さすが副隊長だ」
「でも、あのガキもやるぜ……」
「確かに。副隊長を相手に、まったく互角だぜ」
勝負を見守る騎士たちは、もはやライファンへの怒りや敗北した憤りも忘れ、しだいにこの見事な戦いに引き込まれていった。
はあはあ、とさすがに相手の騎士も肩で息をつきはじめた。
ライファンの方も流れる汗に、胴着の背中にはびっしょりと汗がにじんでいた。
一瞬、ライファンが重い剣に疲れたように剣先を地面に置いた。
騎士はそれを見逃さなかった。
飛び込んで、細身の剣でゴーントレッドを狙う。
それを待っていたかのように、ライファンは剣を地面から上向きに突き上げた。
「!」
騎士は瞬間的に自分の剣を空中に放り投げた。
ライファンの剣が空を切る。騎士は剣が吹き飛ばされる前に自らそれを投げたのだ。
飛び上がった騎士は、空中で自分の投げた剣を受けとめると、着地と同時にそのままライファンの剣の鍔めがけて思い切り打ち下ろした。
ガッシーン!
鈍い響きが上がった。
ライファンは 剣を落とした。
おおっ、と大歓声が上がる。
しかし、
副隊長の手からも剣は失われていた。
剣の鍔を打ったあまりの衝撃に、腕がしびれて剣を取り落とたのだ。
「ああっ。どっちだ」
「どっちが勝った?」
地面に落ちた二本の剣。騎士たちはしんと静まり返って隊長の方を見た。

「それまで。勝負あり」
隊長は手を挙げた。呆然とした様子の副隊長の肩をぽんと叩く。
ライファンの方はほっと息を吐いて自分の剣を拾い上げ、鞘に戻していた。
「双方引き分け。同時に剣が落ちたのだからな」
隊長の判定に騎士たちはしばらく何も言わなかった。
しばらくして誰かか手を叩いた。
「こんな戦い初めてだ……」
「ああ……」
ぱちぱちと、騎士たちから拍手が起こった。
兜をとったライファンはきょとんとした顔で皆を振り返った。
「やるぜ!お前」
「ああ。なんて野郎だ」
「すげえ使い手だ。副隊長と引き分けなんて」
皆がライファンを取り囲んだ。
「おい。お前、いったいどこで剣を習ったんだ」
「いえ……あの」
「こりゃ見習いなんてレベルじゃないぜ。立派な騎士の腕だ」
「はあ。どうも」
次々に述べられる賛辞に、ライファンは照れながらただ頭をかくだけだった。

「どうだ?レアリー副隊長。彼の腕は」
いまだ納得のいかない様子で突っ立ったままの騎士に、隊長が声をかけた。
「……」
騎士は無言のままのろのろと自分の剣を拾った。
隊長の問いには答えずに、他の騎士たちに取り囲まれたライファンの方につかつかと歩いてゆく。
やれやれ、といった表情で隊長は苦笑した。
「お前。ライファン……とかいったな」
そばに来た副隊長の姿に気づき、騎士たちが道を空けた。
「いい気になるなよ」
ライファンの前に立った騎士は、腰に手を当てて挑むように言った。
「はい?」
「私が勝てなかったからといって。いい気になるな、と言っている」
「はい」
のんびりとしたライファンの返事にいらいらしたように、騎士は乱暴に兜を脱いだ。
ライファンは驚いたように相手をみつめた。
兜から現れたのは、若い女の顔だった。
汗に濡れた黒髪をうっとおしそうにかき上げ、彼女はライファンを睨んだ。
気の強そうにつり上がった眉。頭の両側で束ねられた髪。ほっそりとしたあごと細い鼻すじ。
彼を睨むのは、ライファンと歳の変わらぬくらいの女騎士だったのだ。
「確かに、お前の剣は見事だった。しかし、あんなに防御一方では実戦で役に立つはずがない。もう少し攻撃を学ぶのだな」
女騎士はそういって唇を尖らせた。
その表情には騎士としての誇りと、新参者になど負けぬという気概がありありと見える。
「はい。ありがとうございます」
ライファンは素直に頭を下げた。
騎士は気勢を削がれたように眉を寄せた。
「……私はこの騎士団の副隊長、レアリー・マスカールだ。今後見知りおくよう」
「はい」
にこにこと答えるライファンの様子に調子が狂ったのか、女騎士はそれ以上怒ることもできずにそのまま踵を返した。
「珍しいな」
近くにきた隊長に声をかけられ女騎士は振り返った。
「何がです?」
「いや。勝てなかったわりに、お前がくやしそうな顔をしていないなんて」
むっとしたように女騎士は答えた。
「別に。たかが見習い騎士との試合で、いちいち悔しがってもしかたないですから」
「そうか」
「そうです」
隊長はにやりと笑って、騎士たちを集合させるために離れていった。
女騎士は、まだしびれている自分の左手にそっと右手を触れた。
そして騎士たちに囲まれているライファンにちらりと目をやった。


それからはライファンはもう立派に騎士団の一員だった。
はじめの十日ほどで他の騎士たちは、彼が自分の剣を持ってきて稽古をすることに誰も文句を言わなくなった。
ライファンは毎朝皆と一緒に稽古で汗を流し、剣を振った。
剣のみならず乗馬の方も彼は思いの外楽々とこなし、ひと月もするころには騎士団で一二の乗り手になっていた。
騎士たちはライファンの見事な剣技と、乗馬やその他に関してもその上達の速さに驚き、感心するばかりだった。
女騎士の方は、しばらくはライファンのことを気に食わなそうに遠目から見ているだけで声をかけたりはしなかった。
しかしその後何度か剣の手合わせをするうちに、しだいに毎朝の稽古の最後にライファンと試合をすることが日課のようになりつつあった。
ライファンとの試合はいつもお互い白熱したものとなり、普段ではけっして負けることなど考えられない彼女が唯一本気で戦える瞬間でもあった。
 周りの騎士たちも毎回二人の対決を楽しみに観戦し、応援し、ときには昼飯を賭けたりもした。
試合はたいがい引き分けに終わることが多かった。
その度に女騎士は悔しそうに「明日こそは、次こそは自分が勝つ」と言い残し稽古場を後にするのだった。  ライファンの方は試合の前も後も、とくに悔しそうな様子も見せず、女騎士に睨まれかんしゃくをぶつけられたりしても、ただ頭をかいたり、にこにことしているだけだった。
レアリーの方ははじめそんな相手の様子に不機嫌になったり、侮辱されたように怒っていたが、そのうちに彼のそうした性質に慣れると以前のようには怒らなくなった。
どんなときでも大声を上げたり、怒ったりも怒鳴ったりもしない少年を見ていると、一人で勝手に腹を立てているのが馬鹿らしくなる。
そして、やがてに怒る気力も失せた。

女騎士はしだいにライファンの存在自体を認めはじめていたようだった。
稽古の後には必ず彼をつかまえ、試合をした。
少年と試合をしたいのはいつでも彼女の方だった。
そしてもちろん試合に勝てなければ悔しがり、彼女は自分の未熟さに地団太を踏んだ。
引き分けの試合の後もくったくなく笑っている少年に、「あんたは勝てなくて悔しくないのか」と指をつきつけて怒り、その後で「さっきの技はどうやったのだ?」と尋ねてもう一度やってもらったりした。
そんなこんなで、二人の剣の実力はみるみるうちに上がっていった。
隊長の方はそんな二人の様子を面白そうに見守っていたが、自分ではライファンと剣を交えようとはあえてしなかった。もしかしたらライファンの実力のほどを最も理解していたのは隊長ラガルドだったのかもしれない。


秋が終わり、冬が過ぎた。
ここアダラーマ国の気候は一年を通してだいたい温暖で、冬になっても寒さに震えたり食物に困ることはない。
 々はおだやかに涼しい冬を過ごし、一応そなえられた暖炉の前の薪をくべることは、ほんの数日のことだった。
そうしてまた春がやってくる。
ライファンがこの国に来て一年がたとうとしていた。



 

・・・・・・
「殿下」
闇のなかで声がした。
まったく動くものもない、静寂と濃密な漆黒のなか。
空気さえもつめたく、血の通った生命の気配すらない、真の暗黒。
「殿下」
再び声がした。
今度はいらえがあった。
ぐるるる、という喉を震わすような響きが、少しずつ大きくなる。
そしてしだいにそれは人の声のような響きに変わっていった。
 
「……。……どう……した」
抑揚のない、無機質な声だった。
闇のなかでゆっくりと起き上がったそれは
「お気づきかと思われますが、殿下。波動が大きくなっております」
「そうだな」
ぎろりと目が開いた。
「この一年ほど、気をつけて観察しておりましたが、この波動……。間違いはございませぬ」
「うむ。確かに……。我も眠りのなかで幾たびも感じたわ。……いまいましい光を」
ぐるるる、という唸り声がそれの口から漏れる。
闇のなか、人の形をしていた影が一瞬不気味な変貌をとげた。
影の背中から大きな翼のような影がのび、その首のあたりからごつごつとした長いものが天に向かって突き出していた。
「殿下。お姿が……」
「ああ……。すまぬな。……気をつけていないとすぐに元に戻ってしまう」
ぐぐぐ、という音が響いた。それは笑い声のようにも聞こえた。
「それで、いかがいたしましょうか」
「知れたこと。かねての計画を進めよ」
「と、申されますと。アダラーマ王国の……」
「うむ。実行はそなたに任せる。なんとしても、太陽神のかけらを手に入れよ。あの王女はその手段にはなるだろう」
「は。ではさっそく」
「我は眠る。……力をたくわえてな……」
影はうずくまるように姿を消した。不気味な唸声をのこして。
闇は、再び静寂に包まれた。
 


   次ページへ