バスドラハート1

「お疲れー、良かったよー」
「うへえ、疲れた!」
「オレ、まだ歌い足りないけどナー」
 ライブの終わった楽屋。息を切らし、頬を紅潮させたメンバー達。こんな彼らの姿を見るのが、わたしはとても好きだ。
「あせったぜ!“ドラゴンダンス”のギターソロ!」
「いつものこととはいえ……」
「んーとだよ。オレいつ歌入ればいいかわかんなくて、カオひきつっちまった!」
「あー、わりィ」
「頼むからリョウ、ライブでアドリブしないでくれ!」
「だってよ、やっぱあそこのソロは16小節じゃまとまんねえよ」
「だったら、せめてリハん時に決めとくとか……」
「しょうがねえじゃん。とっさにフレーズが浮かんだんだから」
「ああーっ、オレハズカシー。マイク握りしめて、クチ開けたまま歌うに歌えず……カッコワリイーッ!」
「即興ができずにライブ出来るか!」
「まあまあ。でも良かったよー、あのギターソロ。とっても」
「あー、もう朝美ちゃん、甘いんだから」
「そ、そんなことないけど」
「そんなことあるある。なーリョウ」
「うるせー」
 照れくさそうにして、ぶっきらぼうに向こうをむくリョウ。
 いつもの空気。充実した時間の後の、心地よい疲労と満足を彼らは互いに確かめ合っている。狭い楽屋の中の奇妙な一体感。別にわたしがステージに立ったわけでもないのに、確かに彼らと何かを共有しているという実感がある。
「今日は客のノリも良かったし、オレらも楽しんで演れたよな!」
「そうそう。とうせいのドラムがやったらキモチよかった」
「どうもどうも」
「それに、オレのギターソロが、だろ」
「あー、とってもヒヤヒヤ緊張できましたよ」
「どーいたしまして」
 彼らの会話は、はたで聞いているととても面白い。嫌味がないというのか自然というのか……バンドというのはこういうものなのか、と変に納得できてしまうような。
「今日はけっこう飲めますよ」
「そんなに売れたん?チケット」
「ええ。なんと、最高記録」
「スゲエ」
「でも、リアン。お前は控えろよ」
「ひでエ!何でよ?」
「お前に好きなだけ飲ませると、チケットの売り上げどころか、オレらのサイフまでなくなっちまうからな」
「そりゃねーよ!ライブの後の楽しみは、思いっきり酒飲んで、カラオケで歌って、いい女と……まあ、とにかく。オレはそれが楽しみで……」        
「バンドやってる、なんてことは言わねーよな、まさか」
「あー、……う、うん。もちろん!」
「よろしい」
「んじゃ、ほどほどに思いっきり飲むぞーっ」
「……元気だな、お前。あれだけ歌っといて」
「だってオレ、まだ若者だもん!もう1ステージだっていけるぜ。」
 そう言って、自慢げににやりと笑ってみせるのがヴォーカルのリアン、こと小野女莉庵(おのめ・りあん)、十九才。ブリーチした肩まである髪をかき上げる仕草は、私が見ても確かにサマになっている。いかにも美少年然としたその顔と、多少ハスキーなハイトーンボイスはバンドの顔であり、そこいらのおバカな女の子なら、彼のウインクひとつで簡単にイカレてしまうだろう。
「おい、聞いたかとうせい?リアンの奴、俺たちをジジイ扱いする気だぜ!そりゃあ、俺たちはもうすぐ二十五だ。四捨五入するとさんじゅう……しかし!しかしだロッカーには年齢はないはずだ!そうだよな?」
 ベースのコウ……三好虹(みよし・こう)は二十四才。このバンドのリーダーであり、メンバーのまとめ役。その人の良さと天然のひょうきんさから、一見いいかげんな人物のようにも見えるが、案外としっかりとしてもいる。と思う……
「『ロックとは若さであり燃える炎である。ただしその若さとは、魂の若さであり、その炎とは、情熱の炎である』」
 まっすぐな黒髪を後ろで束ね、眼鏡の奥の聡明そうな澄んだ瞳がとても印象深い。ドラムの緑川冬静(みどりかわ とうせい)さんは、なんだかとても不思議な人物だ。ふだんは無口なのだが、たまに意味深なことをさらりと言う。その哲学者めいた言葉は、私にはよく分からないことが多く、メンバーに聞いてみてもやっぱり分からないそうだ。ベースの三好さんとは大学時代の同級生だそうで、ライブでの人が変わったような激しいドラミングを見ると、彼もまたロックに生きる人なのだと思えるから不思議だ。
「いい言葉だな、それだよ、それ!ロックは魂だよ!メタルだってプログレだってアメンボだって、みんなみんな生きているんだ。ロックなんだ!」
「で、だれの言葉だって?それ」
 笑いをこらえながら、リョウが緑川さんに尋ねる。
「ああ、それ僕が作ったんです。今ロックについてのエッセイを書いてるもので」
「なんだ、てっきり、マサ後藤かなんかの言葉かと思った」
「マサ後藤でなくてすみません」
 狭い楽屋に、わたしたちの笑い声が響き渡った。

 機材をあらかたかたずけてから、時計を見ると八時半。七月とはいえ、いいかげん暗くなる時間だ。
「俺ら、打ち上げいくけど、お前らどーする?」
 ベースを背負った三好さんが、私達を気づかって聞いてくれた。楽屋の外からは、ひっきりりなしに黄色い嬌声が聞こえてくる。きっと取り巻き連中が、リアンをもみくちゃにしているのだろう。
「そうだな……」
 リョウが私のほうをちらっと見て、照れくさそうに笑う。私も自然に微笑んだ。この一年でようやく私達は、こうして微笑み合えるようになったのだ。それもなんとも不器用な話だ。
「あー、わかったわかった。んじゃま、気が向いたら顔出せよ。いつもの店でやってるから」 
 私たちの空気を察したように、三好さんは手を振って歩き出した。いつもだったら私達も、ライブの後の打ち上げには出ていたのだが……今日は違った。そう。今日は特別な日だったのだ。
 ライブハウスを出たリョウと私は、暗い通りをなんだか落ちつかなげに歩いていた。どこへ行くかも決めていなかった。もっとも、リョウときたら背中に背負ったギターさえあれば、どんな所でもおかまいなしという人ではあったのだけど。
 ああ、そうだ忘れていた。このわたし……わたしは、鮎乃朝美(あゆの・あさみ)、十八才。今年、都内の某大学に入学しました(花の女子大生!)。一応このバンド“ヴァールハイト”のマネージャー、というか面倒くさがりの彼らのため、チケットの手配やライブハウスとの交渉、宣伝やその他もろもろのことをお手伝いしています。まったくロッカーっていう連中は、聞こえはいいけど音楽以外のことにはだらしない、というか実際的でないということをつくづく思い知った気がします。横にいるギターのリョウなんかは、その生きた見本のような存在で……
「おい、さっきから何ジロジロ見てんだよ」
 あごに伸びたひげをいじりながら、ぶっきらぼうに物を言う、この背の高い長髪の奴がバンドのギタリスト、リョウ。ああ、ええと本名は山岸涼二(やまぎし・りょうじ)、二十三才。一言でいうと「ただのロッカー」。音楽の事以外考えないし、考えたくもないという今時珍しい純粋の音楽バカ。しゃべる時間より、ギターを鳴らす時間の方が長い、と誰かに言われても、本人はいっこうに気にしない様子。黙ってギターを弾かせていると、何時間でも弾いてる。単純な奴。
 でも、確かにギターの腕は上がってる。バンドのメロディメーカー。最近ではほとんどの曲のアイデアは、彼が持ってくるのだ。背も高いし、ライブではそれなりにカッコいいので、リアンの次に女の子に人気がある。ただ、そのぶっきらぼうな物言いとひげのせいでちょっと怖そうに見えるらしく、リアンのようにファンの子たちに揉みくちゃにされることはない、ようだ。
「えーと……何でもない」
 わたしはリョウの腕に手をすべりこませた。最近、こうして自然に腕が組めるようになったのが、うれしくて仕方がなかったのだ。
 とたんにリョウは黙りこんだ。ちょっと照れたリョウの横顔を見るのが、わたしはとても好きだった。うっすらとタバコの匂い。リョウはつい最近タバコはやめたのだけど、スタジオやライブハウスにいればすぐにその空気が服にしみついてしまう。ただ、わたしは以前ほどその匂いがきらいではなかった。
「ねえ、どこへいこうか?」
「どこでもいいさ」 
「うん」
 わたしとリョウは、裏通りの路地に面した小さな公園のベンチに腰掛けた。辺りはすっかり暗く、人通りもない。外灯の明かりと、夏の夜空に光る星々の他には、私達を照らすものはない。東京であっても、繁華街からちょっと離れれば、こうした静かな空間はある。
 わたしもリョウも、騒がしい大通りや、むさ苦しいバーやクラブよりは、ライブの後の静まり返ったステージや、誰もいない公園などの方が落ちつく性分であるらしかった。暗いのか、じじくさいのかはともかく、そういう点でも私達は似ていたのだろう。
 わたしがくすりと笑ったのを見て、リョウが怪訝そうにした。
「何だ?」
「ううん、別に……ねえ?」
「ああ?」
「わたしたちって、じじくさいのかしら?」
「なんじゃそりゃ?」
「何となく」
「……かもしんねえけど、まあ、別にいいじゃん」
「まあね」
 とりとめもない会話。ゆったりと流れる時間。昔の私は、なんとせわしなく生きていたのだろう。そう思えるのは、きっと今のこの時間が、わたしにとって大切な、心地よいからなのだろう。
 足早に行き交う人々。わたしたちの三倍くらいのスピードで、泣いたり笑ったり、怒ったりキスしたりするカップル達。彼らからは見えない、狭い路地の公園で、わたしとリョウは星を見上げながらベンチに座り、穏やかで意味のない会話を交わしている。
「あ、いた……」
「どうした?」
「蚊にさされた……」
「そんな肩が出るシャツ着てるからだろ」
「だって、暑いんだもン。なーにリョウなんて、この暑いのに、そんな黒いジャンパーなんか着て」
「悪いか」
「もう7月だっていうのに……」
「ロッカーの務めだ」
「なに、それ」
「ステージで、蚊にさされた腕でギター弾いてちゃ、サマにならんからな」
「へーえ、リョウでもそういうこと考えてるんだ?」
「まあな」
「でも、暑くないの?」
「別に」
「そういえばリョウって、ライブの後とかでもあんまり汗かいてないよね」
「オレは汗をかかない。たとえそれが真夏のステージであっても」
「ぷっ、なあにそれ?」
「オレの好きなギタリストの言葉だ」
「ふーん。もしかして、その人、北欧の人?」
「そういや、そうだったかも……」
 わたしとリョウには無理な笑顔も、気のきいた言葉も必要なかった。話すことがないときには、話す必要もなかった。言うべきことがないときに、何も言わずにいることは、実はとても自然なことだったのだ。
 リョウはギターを取り出して弾きはじめる。アンプを通してないので、音は小さいけれど、この小さな公園にはちょうどいい。やわらかなやさしいメロディに目を閉じる私。
 ほんの一年前には、想像もしなかった。ベンチに座るわたしの隣で、長髪でひげを生やしたロッカーがギターを弾いている姿なんて……
 一年前……。そう、ちょうど一年前の今日、わたしはリョウと出会ったのだ。


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