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  水晶剣伝説 [ロサリート草原戦(前編)


V

 一方、草原の西側では、トレミリア軍の本隊が続々と集結していた。
 草の刈り込まれた陣地に、銀色の鎧姿の騎士たちが次々に整列してゆく。レード公爵率いる一万五千の軍勢が、ローリング騎士伯の先鋒部隊と合流し、いよいよジャリア軍を迎え撃つべく、その陣容が整ったのである。
「レード公爵閣下のご到着!」
 居並んだ二万の騎士たちが一斉に胸に手を当て、その場に直立する。
 馬から降り立ったレード公爵は、白銀の鎧に金の飾り紋章が彫られた見事な鎧に、紺色のビロードのマントという堂々たる姿で、騎士たちにうなずきかけた。
「ローリング騎士伯、先発隊の役目ご苦労だった」
「は、恐れ入ります」
 うやうやしく騎士の礼をするローリング。その横にレークとブロテの姿を見つけると、レード公は足を止めた。
「おお、おぬしは……レークか。なんと。戻っておったのか、よくも無事で……」
「ええ、どうも。レード公爵」
 軍の最高司令官を前にしても、相変わらず横柄な様子で、レークはにやりと笑った。
「それにブロテ卿も」
「はい、公爵閣下。我がトレミリア軍に合流できましたことを嬉しく思います」
「うむ。ローリング、あとでこの二人を私の天幕へ」
「かしこまりました」
 黒々とした髭に手をやり、公爵は二人にもう一度うなずきかけると、それから集まった全軍の兵を見渡した。そのがっしりとした、いかにも武人らしい姿は、トレミリアの大将軍たるにふさわしい威厳に満ちて、トレミリアの騎士、兵士の誰もが、公爵の元で戦うことができるのを誇りと思っていただろう。
「勇敢なるトレミリアの騎士たち」
 朗々たる声が響いた。
「諸君らの活躍にはトレミリアの命運がかかっている。王国の誇り、騎士としての誇りと勇気を持ち、これから始まる戦いに挑むことを、ここで全員で誓おうではないか」
 居並んだ騎士たちから「おおっ」と声が上がる。はじめは、ばらばらのどよめきのようだった声が、やがて調和し、ひとつの鬨の声となって、草原に響きわたった。
「おおっ、トレミリアのために!」
「トレミリアのために!」
 騎士たちの上げる勇ましい叫びに大きくうなずいて、レード公は高々と手を上げた。
「戦いの神ゲオルグ、そしてジュスティニアの加護のもと、トレミリアの騎士たちよ、共に戦おうぞ!」
「おおっ」
「勝利を我がトレミリアに!」
「ジュスティニアの加護は我らのもとに」
「勝利を!」
 草原に集まった二万の騎士たちは、それぞれの誓いを胸に、これから始まる大いなる戦いへの昂りとともに、その声を強く響かせた。

 新たに一万五千の兵員を加えた陣地には、さらに無数の天幕が追加で立てられ、必然的に陣地の増大にともなって、その周囲を囲む防護柵も大幅に伸ばされた。運び込まれた大量の食料を貯蔵する倉庫や、家畜たちのための小屋、さらには簡易な木製の物見の塔までが建てられると、あたりはさながら、ひとつの村のような光景であった。
「騎士レークどの、ブロテどのをお連れした」
 トレミリアの三日月紋をあしらった旗がなびく、天幕の警護に立つ騎士は、ローリングらの姿を見ると、足を揃え胸に手を当てると、かしこまって入り口をあけた。一般のものよりもひときわ大きなこの天幕には、次の間に従者が控え、いくつかの部屋がある作りのようだった。
 三人が仕切りとなるカーテンをくぐると、そこにレード公爵がいた。
「おお来たか。こちらに来て座るがいい」
 天幕の中はずいぶん広く、軍議などもここで出来るよう大きめのテーブルも置かれている。テーブルには大きな地図が広げられ、おそらくは報告書や命令書であろうたくさんの書面が重なっていた。
「さあ、ここへ。いま飲み物でも用意させる」
「失礼いたします」
 彼らを迎えた公爵は、いまは鎧を脱いで、鎧下にマントを羽織った簡素な姿であった。三人は長椅子に並んで腰掛けた。
 運ばれてきたワインを先に三人の杯に注がせると、公爵はレークとブロテを見比べた。
「久しいな。とくにレークどのは、あの晩餐のとき以来だったかな」
「ええ、そうですね」
 公爵邸で催された夏の終わりの晩餐会で、レード公らと会談したときのことが思い出される。あれからまだ三月とはたっていないのだ。
「それでは、先勝を祝って」
「先勝を祝って」
 公爵とともに三人はワインの杯を上げた。
「あれから数月のうちに、また大きな変転となったものだ。まさか、こうしてロサリート草原の陣内でそなたらと会うことになるとは」
「まったく、私も驚きました」
 ワインを口にしてひと息つくと、ローリングはまず、レークとブロテが草原に現れた経緯を簡単に説明した。
「……ということで、我が部下が不審者として捕らえてきたのが、なんとトレミリアに名高いこの騎士たちであったということです」
「なるほど。確かに、この二人ならただものには見えないだろうからな。見張りも見過ごすわけにもいくまいて」
 公爵は愉快そうに笑った。
「それから、もうご存じかと思いますが、セルディ伯、クリミナ宮廷騎士長らが、ウェルドスラーブのコルヴィーノ王陛下、および王妃陛下、それにトレヴィザン提督夫人をともない、サルマへ到着したという情報についてですが、」
「うむ、それは私のところにも今日の早馬で知らせてきた。国王夫妻らはサルマに滞在し、明日か明後日にもフェスーンに向けて出立するということだな」
「じつは、それも、このブロテをはじめとしたトレミリアの騎士たちが、レイスラーブにて国王、王妃、提督夫人らをお助けしたことによるものです。彼らがコルヴィーノ王、ティーナ妃、サーシャ夫人をコス島まで護衛してゆき、そこでレーク、クリミナさまと偶然に合流したということですな」
「うむ。よくやってくれた。ブロテ、そしてセルディ伯たちに、私からも礼を言うぞ」
 レード公爵の声がいくぶん弾んでいる訳を、ようやくレークは気付いた。
 公爵はあえて口には出さなかったが、トレヴィザン提督夫人のサーシャは、レード公爵の娘であり、レイスラーブ陥落の知らせを聞いてから、その安否をずいぶんと気にかけていたに違いない。ブロテへの感謝は心からのものであったろう。
 一方で、次女のナルニアとも面識があるレークにとっては、このレード公との浅からぬ関わりに、あらためて相棒であるアレンの先を見通す炯眼ぶりに感心するのだった。
(なにしろ、やつがうるさく公爵の娘に親切にしろだとか、あの晩餐での会見の計画を立てたりしてくれた、そのおかげで、今こうやって、レード公と間近で話ができるようになったんだからな。今となってはアレンさまさまだぜ)
「コス島で、ウェルドスラーブ国王と王妃サマ、それに提督夫人とも会いましたが、いやあ、サーシャさまは美しい方ですな」
 レークはいくぶんの世辞を含めて言った。
「少し話もさせていただきましたが、なんというか、優雅で気品があって、それでいて少しも高慢じゃない。あの王妃さんの方は、オレのことを無礼なならずもの扱いしましたがね」
「そうか、あれは元気そうだったかな」
「ええ、トレヴィザン提督が海で戦っていることを嘆きも悲しみもせず、己のなすべきことをするのだと、女性ながらとても勇敢な方ですな」
「うむ。あれも、トレミリア将軍の娘として育ててきたからな。そうか、元気でおるか」
 にわかに父の顔に戻ると、公爵は嬉しそうにうなずいた。おそらくは、すぐにでもサルマへ赴いて、久しぶりの父娘の再会を果たしたいに違いない。だが、そうは許されぬのが、トレミリア軍の最高司令官としての立場であった。
「いずれ、このいくさが終わったら、またゆっくりと会うときもあろう。今は落ちのびてきた国王夫妻とともに、無事フェスーンに入ってくれればそれでいい」
「そうですな。いずれはすぐに、その報告も来るでしょう」
 レード公爵騎士団の団長でもあるローリングは、主の気持ちを慮るように、希望を込めて微笑んだ。
「さて、では、今度は目の前のいくさの話をいたしましょう」
 杯を置いた三人は、にわかにその表情を引き締めた。彼らは目前にいくさをひかえた騎士の顔になって、司令官に向き直った。
「今朝方、日の出前の敵の奇襲については、先にお話しした通りですが、その後レークが草原の東側へと向かい、敵軍の様子を目撃しております」
「ああ。あれは、なんつうか、壮観だったぜ」
 アランとともに見たあの光景……草原の彼方にうごめく無数の黒い鎧姿、それを見たときの気持ちを思い出し、レークは言った。
「長槍兵の大隊が横一文字に並んでさ、まるで地平線が黒い線になって、こちらへ向かってくるような感じだったな。あの様子だと、今日の日が沈むころには、草原の真ん中あたりまでは来ているだろうな」
「そうなると、定石としては、こちらも同じほどの数を敵に対峙させる必要がありますな。抵抗のないまま敵に前進させては、より草原の西側に近い場所で戦端が開かれることになる。そうなると、万が一にも突破したジャリア兵が、トレミリア国内へ侵入するなどということになりかねません」
 ローリングの言葉に、腕を組んだレード公がうなずく。
「レークどの。その敵の先発隊の規模はどのくらいか分かるかな?」
「さあてな、あそこまで横に広がって進んでくる軍勢ってのは見たこともない。しかし、そうして横並びに進軍することで、実際の数より多く見せかけているのかもしれないな。たぶん、多くても、そう……五千はいないだろう」
「では、こちらも五千の兵を出して様子をみますか」
「だが、相手はジャリアの名高い長槍兵だぜ。あのフォーサールってのか、槍と剣が一緒になったようなやつ、オレも持ったことがあるが、あれをそこいら中で振り回されたら、たまったもんじゃないぜ。首や腕なんかすぐにふっ飛ばされちまう」
「ではどうすべきか。こちらも槍部隊を編成するべきだろうか。おぬしならどうする?」
 レード公爵が尋ねた。一介のもと浪剣士に、トレミリアの大将軍が意見を求めるというのは、なかなかにレークにとっては痛快なことであった。
「そうですねえ。オレならまずは弓隊で少しでも敵の数を削っておいてから、騎馬隊で戦わせますね。あのジャリア独特の長槍は相当に重いので、歩兵よりも騎馬からの攻撃の方が効果がある」
「なるほど。ではまず遠方からの弓で攻撃し、それから両側から騎馬隊を、同時に歩兵を正面からゆかせる、というのではどうかな?」
「敵が騎馬隊に気を取られている隙に、歩兵が突撃すれば、効果は大きいでしょうな」
 ローリングもそれに賛同した。
「だが、そうなると、歩兵に五千、両側の騎馬隊に五千、弓隊に二千は使うとして……残るのはたった三千の兵ということになるな。最初からこれだけの人数を費やしてしまうと、もしもの場合に取り返しがつかなくなるぜ」
「それも、確かにそうだ。知らせによると、セルムラードからの援軍がいよいよ出発するということを聞いた。それが到着するまで、早くともあと五日というところか。それまでは、なんとか最小限の犠牲で持ちこたえたい」
「だとすると、あとは……」
 レークはにやりと笑った。
「奇襲だな」
「奇襲、というと夜襲をかけるということか?」
「ああ、こちらもやられたんなら、やり返せってこったな」
 誇り高き貴族騎士であるローリングと、大公爵である司令官は、一緒に眉を寄せた。
「しかし……」
「おそらく、前進してくる敵軍も、日が沈めばそこで野営をとるだろう。そこを狙って少数でやるのさ」
「だが、敵もそれなりに警戒しているだろう」
「そこをかいくぐって攻撃するのが、夜襲ってもんだろう」
 レークは自信ありげに言った。
「なあに、五十、いや三十人も貸してくれりゃ充分だ」
「たった三十人でなにができるというのだ?」
「一人が三人以上の敵をやれば、百人を倒せる。五人なら百五十人だ。少なくともオレだけで十人はやれるぜ」
「危険すぎるな」
 髭を撫でつけながら、レード公は意見を求めるようにローリングを見た。
「やるといったら聞かないのが、こちらの剣士どのの魅力でもありますからな」
「ふむ」
 レード公は考えたすえに言った。
「だが、しかし……やはりだめだ。このいくさは、あくまでジャリアからの侵略戦争だ。大義名分は我らにある。こちらから奇襲をしかけるのでは、我らの立場もジャリアと同じことになってしまう」
「へっ、面倒くせえな」
「しかし、確かにそれはその通りです」
 いままでずっと黙って三人の話を聞いていたブロテが口を開いた。
「我々から仕掛けたのでは、このいくさの正当性は失われる。あくまで、ジャリアからの宣戦布告に対し、我々が受けて立つという形でなくては、大陸における正義という点からも、各国の賛同をえられません」
「ブロテの言う通りだ」
 うなずいたローリングは、レークをなだめるように言った。
「我らはジャリアとは違う。これはあくまで侵略に対する防衛でなくてはならない。もちろん、いったん戦端が開かれたのちは、夜襲も作戦のひとつとなるだろうが、最初に矢を射かけるのは向こうからであるべきだ」
「へいへい、分かりましたよ。お行儀のいいトレミリアの正義のためってね」
 つまらなさそうに口をとがらせたレークだったが、すぐにまたにやりとした。
「じゃあ……つまりは、いくさが始まっちまえばいいんだな。そうしたら、オレが奇襲をかけてもいいわけだ」
「まあ、そうだが……それとても、ちゃんと作戦を立てたのちにだな」
「いくさは生き物だぜ。ローリング閣下。その場その場で、状況に応じて臨機応変にいくべきだ。そうだろう」
 そう言って、レークは公爵に顔を向けた。
「さっき言ったように、オレに少人数の騎士をくれませんかね。……いや、ください」
「ふうむ」
「オレが勝負はここだと思ったときに、すぐに動けるような小部隊を。必ず、役にたちますぜ」
 腕を組んだレード公は、じっとレークの顔を見た。
「……いいだろう。ただし、なにもかもおぬしの勘で動かれては、周りが混乱する。最低限の命令には従ってもらうぞ」
「ありがてえ。もちろん、トレミリアのためになるよう戦うさ」
 陽気に胸を叩くレークを、ローリングは横目で「やれやれ」というように見た。こんな身勝手が許されるのは、レード公の器量の大きさであったろうが、またこの類まれなる剣士の実力や勇敢さを、ここにいる人々がよく知るからでもあった。
「では、私もそこでレークどのと一緒に……」
「いや、ブロテ卿には、歩兵隊の指揮をとってもらいたい」
 ローリングは、本当ならばむしろ自分の方こそレークと一緒に戦いたいのだ、というふうであった。
「騎馬隊の方は私が。それでよろしいでしょうか?」
「うむ。では、歩兵と騎馬隊を編成し、明朝の日の出前に布陣。それぞれブロテ騎士伯、ローリング騎士伯を指揮官とする」
 レード公は、簡易の命令書にさらさらと羽ペンを走らせた。
「レークどのの小隊も、最初はローリングの騎馬隊と行動をともにすること」
「ああ、分かりましたよ。ただ、ここぞというときは、オレのカンで行かせてもらいたい。なにしろオレときたら、そう、自分のカンには絶対の自信があるんでな」
「まったく、それは頼もしいことだ」
 髭を揺らせてレード公が笑う。
「では、これからすぐに部隊の編成にかかりましょう」
 ローリングは立ち上がった。開戦までの間に、やることは山ほどある。
「歩兵と弓隊の編成はブロテ卿に任せよう。私は騎馬隊の方を。五十名単位で小隊長を決めたら、夕刻に隊長騎士を集合させること。それでよろしいな」
「了解しました」
「オレのところにも、ちゃんと腕の立つやつ選んでおいてくれよ。……そうそう、あの偵察隊のアランも入れておいてくれ」
 そう付け加えると、レークも杯のワインを飲み干して立ち上がった。
「頼むぞ。我が軍の命運はそなたらにかかっている」
「はっ」
 公爵の言葉にうなずくと、三人の騎士は、いよいよそのときが来たというように、それぞれの顔に昂りの色を覗かせながら、騎士の礼をするのだった。

 トレミリア軍の陣内での動きが、にわかに慌ただしくなってきていた。
「騎馬隊は整列し、後方へ移動!第二、第三、第四隊と、順次うしろに付け!」
「歩兵隊一歩前へ!参列横隊で横に広がれ。一歩開けて第二隊、第三、第四と並べ!」
 ローリングとブロテの指揮のもと、ずらりと並んだ二万の兵員が、部隊ごとに編成され、整然と移動してゆく。
 あちこちで、ひっきりなしに隊長騎士たちの声が飛び交い、かちゃかちゃという鎧が揺れる響きが重奏される。なにしろ二万もの騎士たちが集まっているだから、もしも上空から陣地を見たなら、まるで無数の小石が並ぶように着々と隊列が編成されてゆく様は、それは壮観であったろう。 
「各隊、小隊長の指示に従い整列、点呼のあとで順に隊章を受け取れ。今後、休息、野営は必ず小隊ごとにまとまり、出陣の際には速やかに配置につくこと」
 五十人単位で小隊長を置くというやり方にしても、二万人の兵員がいれば、四百人の小隊長ができる。ローリングはレード公とその場で話し合い、その四百人のうちからさらに十人を選んで大隊長とすることを決めた。
「まずは、十人の大隊長を集めて、今後の作戦を綿密に指示します。彼らが各小隊長たちにその指示を送り、それぞれの小隊へ戻った小隊長が、末端の兵へとそれを伝えるということになります」
 夕刻近くまでかかった部隊の編成を終え、ローリングとブロテ、レークは、再びレード公の天幕に集まった。これから大隊長たちが集まっての軍議となる。
「なんとも大変なこったな」
 人ごとのようにレークは言った。
「大部隊をたばねるってのは、とんでもなく面倒なことなんだな。ま、頑張ってくれ」
 自分はただ三十人の部下だけもって好き勝手にやるぞ、と言わんばかりの顔に、ローリングは苦笑する。
「ともかく、これで編成は整いました。あとは明日の日の出を待つのみですな」
「うむ。今宵は騎士たちにはゆっくりと休みをとらせよう。むろん、奇襲に対する構えは忘れずにな」
「嵐の前、ってやつだな」
 ほどなくして、大隊長に選ばれた十人の騎士たちが天幕に集まってきた。
 栄えある大隊長を任されたのは、貴族騎士の中でもとくに名高い騎士伯の位をもつものたちで、あのフェスーンの大剣技会で進行役をつとめたサーモンド公騎士団団長のアルトリウスをはじめ、オライア公騎士団団長ハイロン、マルダーナ公騎士団副団長ガウリン、スタルナー公騎士団副団長クーマン、レード公騎士団副団長リンデス、騎士伯ケイン、騎士伯ロッペン、騎士伯フレイン、騎士伯ヤコン、騎士伯ヨルンといった、いずれもトレミリアを代表する名騎士たちであった。
 彼らが卓を囲んでぐるりと並び、最高司令官であるレード公爵と、傍に控えるローリング騎士伯、ブロテ騎士伯を含めた図というのは、まさしくトレミリア最高の騎士たちの揃い踏みであった。さっそくレード公爵とローリングが、卓上の地図を指さしながら、居並んだ騎士たちに向かって、これからの部隊の展開についての説明を始める。
 レークは天幕の隅にいてそれを聞いていたが、どうにも、ただじっとして指示を受けるというのは、やはり彼の性に合わないのであった。布陣についてのおおまかな説明までを聞くと、彼はふらりと天幕を出た。自分の部下として選ばれたという小隊のメンバーが気になっていたのだ。
「部下……オレの部下ね」
 考えても、いまひとつまだぴんと来ない。なにしろ、そんなものを持ったことは、当然ながら生まれてこのかたありはしない。
 レークは大隊長クラスの騎士と同じ扱いということで、新たに専用の天幕が与えられることになっていた。広大な陣地の北側には、馬を放してある囲い柵がいくつかあるのだが、騎馬隊の天幕は主にその周囲にあてがわれていた。あたりには、明日に備えて、騎士たちが剣を振ったり、鎧や楯の手入れをしたり、小姓たちが馬具の手入れをする姿があった。
 その中を歩いてゆくと、
「レーク隊長!」
 どこからか声をかけられた。
 振り向くと、そこにいた何人かの騎士たちが走り寄ってきた。
「おお、おめえは」
「アランです」
 それは今朝の明け方、レークとともに馬を駆り、草原の向こうのジャリア軍を偵察してきた、若き騎士、アランであった。仲間らしき二人を連れている。
「このたびは、私を配下に選んでいたたき恐縮です。あの剣技会で隊長の試合を見てから、ずっと尊敬いたしておりましたから、とても光栄に存じます」
 歳はいくつも変わらないのだが、レークを見る感嘆のまなざしは、素直なまでに若者らしい。そして、「隊長」と呼ばれたことに、なにかこそばゆいような気分で、彼はいくぶん照れながらうなずいた。
「お、おお、よろしくたのむぜ」
「こちらは仲間のトビーとカシールです。二人とも自分とともに、レーク隊長の騎馬隊に選ばれました」
 アランに紹介された二人の騎士が、さっと胸に手を当てる。一人は、茶色の髪を長めに伸ばした、いかにもやんちゃそうな顔つきの若者で、もう一人は、こちらは上品そうな、貴族の美少年風の黒髪の若者であった。
「よろしくです!」
「カシールと申します。よろしくお願いいたします」
 挨拶からして好対照であったが、別に横柄だろうが、乱暴者だろうが、腕が立ちさえすればそれを認めるのがレークであったので、むしろ個性的なこの若い騎士たちを、彼は面白そうに眺めた。
「ふむ。まあ、よろしくな。馬も剣もそれなりに使える奴なんだろうから。あとは適当にオレのあとについてくりゃあいい」
「は、はい」
 目を輝かせるアラン。他の二人は、どうやらこの隊長はこれまでとは違うようだぞと、いくぶん驚いているようだった。
「さてと、オレの天幕は……と」
「あ、あちらです。私が案内します」
 いくぶん頬を紅潮させ、黒髪の美少年騎士、カシールが進み出た。
「おお、すまねえな」
「いいえ。私もレーク隊長のことは、かの剣技会での伝説的な勝利の数々を聞かされて、よく知っておりました」
 男子にしてはいくぶん高い声で、カシールは興奮するように言った。
「人から話を聞くにつけ、その素晴らしい剣技と身のこなしを自分で想像して、真似をしてみたりもしておりました。こうして、ご一緒に戦えることになり、自分は心底嬉しく存じます!」
「はは。そりゃあ、ありがとうよ」
 レークが笑いかけると、おそらくまだ二十歳にはなっていないであろう、その少年騎士の白い顔が、ぱっと輝いた。その後ろで、アランとトビーが顔を見合わせている。
「カシールのやつは、レークどののことを、まるで伝説の剣士ゲオルグのように尊敬しているからなあ」
「ああ、でも俺も、何度も聞かされたよ。ヒルギス、ブロテ、ビルトールを敗った、兜をつけぬ剣士の戦いぶりってやつをさ」
 二人が後ろで囁く声など聴こえぬように、カシールはただうっとりと、レークの横顔を見つめていた。

「おっ、ここか。ありがとうよ、お前ら」
 自分用の天幕の前まで来ると、レークは三人の若い騎士に礼を言った。
「まだ剣の稽古か、準備の最中だったんだろう。もう行っていいぞ。明日に備えて、今日はゆっくりと休めよ。出陣は夜明け前だからな」
「はいっ」
 若者らしい威勢のいい返事に、レークはにやりとして彼らに手を振った。
 天幕に入ってみると、司令官であるレード公や、ローリングの天幕などに比べればずいぶん簡素な造りで、中央に柱がひとつ立っただけのテントのようなものであった。それでも一人で過ごすには充分な広さであったし、四、五人くらいを呼んで座らせるくらいはできそうであった。当然ながら次の間などはなく、従者を呼ぶには外へ出なくてはならなかったが、そもそも天幕に寝泊まりできるのは上級騎士のみであったから、そう贅沢はいえない。
「ま、寝台があるだけありがたいってもんだ。……ああ、そういや、ブロテからカリッフィの剣を返してもらうの忘れていたぜ」
 コス島で手に入れた二本の剣は、いまやレークにとってもっとも大切な武器であった。
「まあ、いいか。そのうち必要になったらで」
 オルファンの剣を大事そうに立てかけると、レークはごろりと寝台に横になった。まだ眠るにはずいぶんと早い時間であったが、休む以外にはとくにすることもない。
「……」
 身体にはまだいくぶんの疲れも残っている感じがしたが、いよいよ始まるいくさへの昂りもあってか、ゆっくり休みたいという気持ちもさほどはなかった。
(クリミナたちは、無事にフェスーンに向かっているだろうか)
 ふと、それを確かめに、サルマまで馬を飛ばしたい気持ちにもなった。だが、今のレークには、これまでにはなかったような責任感も生まれていた。とくに小部隊ながらも隊長という立場を担うからには、以前のように一人でふらりとどこかへ出かけてしまうのは、なんとなくもうはばかられる。
(隊長ね……このオレが)
 思わずふっと笑いだしたくなる。アレンとともに、大陸中を気ままに旅していたのが、もう遠い昔のようだ。
(あの頃は、気楽で、楽しかったよなあ……)
 どこへゆくのも自由、なにをするのにも責任はなく、自分一人の判断で、広々とした空の下を動き回っていたような、そんな気がする。だが、今は、自分もアレンもトレミリアの騎士となり、人々からも一目置かれ、よい待遇を与えられたりするかわりに、その分だけ責任を背負わされてもいる。
(居心地がいいんだか、悪いんだか……な)
 人から注目されたり、たいしたもんだと褒められたり、尊敬されたりするのは大いにけっこうであったし、気持ちがいいものであるのだが、なにかに縛られたり、命令されたり、行動を規制されたりするのは、もったくもって気に食わない。それがレークという人間であったし、これまではずっと、そうした自由の戦士たることをこそ己の誇りとして生きてきた。
(いつからオレは、こうなっちまったんだろうな)
 今でも、自分がトレミリアという国のため、それだけのために働いているという気持ちはまったくない。ただ、この国にいつのまにか仲間や好きな連中が増えてきたからだと、レークは考えた。
(そうなんだよな。トレミリアって国がなくなろうが、滅びようが、オレはいっこうにかまわないんだがよ。だが、)
 クリミナや、ブロテ、ローリングといった、仲間……あるいは友、といえる人間たちが、命をかけて、この国のため、己の誇りとともに戦っている姿を見ていると、自分もそれに力を貸してやりたい、そして彼らを守り、ともに戦いたい、という気持ちにもなるのである。顔を見知った傭兵たちや、これまで一緒に戦った騎士たち、それにアランら、はじめてもった自分の部下たち……そうした連中とともにあって、その彼らからの期待を裏切りたくはないという気持ち。それがいまの自分の正直なところであった。
(だが、もちろん、忘れちゃいないさ。アレン……)
 相棒とともに探し続ける大きな目的を。そう、水晶剣のことを。
(水晶剣……そうだ、)
(その剣を持つのが、あの黒竜王子なのだとしたら)
 もしそうなら、この戦いはただ、トレミリアの仲間たちを守るためだけではない。ジャリアの王子ともう一度対峙し、水晶剣を手に入れるチャンスでもあるのだ。そう考えれば、新たに力も湧いてくる。
(ならば、オレの戦いに迷いはねえ、ってな)
 ジャリアを倒し、トレミリアを、そして仲間を守り、水晶剣を手にすることができれば、
(そうなりゃ、最高だろう。な、アレンよ)
 懐にある水晶の短剣を取り出してみる。
「……」
 セルムラードの宰相、エルセイナから正式に受け取ったこの剣……今もごくわずかにだが、熱を帯びているように感じられる。
(そうか、これを使えば……またアストラル体ってやつになって、アレンと話ができるかもしれないな)
 ふとそう思って、短剣を手にしたまま目を閉じてみる。
 が、いっこうに眠気はやってこない。アストラルジャンプは睡眠に落ちる瞬間の意識体の離脱であるから、体をリラックスさせてそのまま眠りに入ることが不可欠であった。
「ちっ、だめだ。どうもこう、寝てなんていられねえや」
 休むのをあきらめると、レークは起き上がった。
 オルファンの剣を腰に吊るし、天幕を出ると、ようやく太陽が西に傾きだした時分であった。さすがにまだ眠るには早すぎる。
 陣地を歩いてゆくと、騎士たちが明日の出陣を控えて、待ちきれぬように剣を打ち合わせる、その響きがあちこちから聞こえている。
 近くで剣を振っていたアランたちを見つけた。
「よう」
「あっ、これはレーク隊長!」
 そちらに近寄ってゆくと、さきほどのトビーとカシールを含め、数十人の騎士たちが集まっていた。
「レーク隊長、ここにいるのが、我らが小隊のメンバーであります」
 アランは誇らしげに言うと、騎士の礼をした。
「顔見知りのものも、そうでないものもおりますが、同じ隊に配属されたということで、互いの挨拶がてらということで、いま剣の稽古をいたしておりました」
 すでにもう隊の副隊長は自分であるかのように、はきはきと説明する。
「そうか。どれ、オレもちっと見学させてもらうかな」
「はっ。みな、レーク隊長が我らの稽古を視察なさるそうだぞ」
「おいおい、そんなたいそうなモンじゃねえからさ……」
 苦笑するレークであったが、礼儀正しきトレミリアの騎士たちは、さっと整列すると、レークに向かって胸に手を当て礼をした。
「ここにいるのは全部で二十六名。十八から二十三歳の若手でありますが、乗馬、剣ともに、各々の騎士団にて磨かれた精鋭と自負いたしております」
「なるほど」
 レークはそこに居並んだ、己の部下になるという騎士たちを見渡した。
 アランをはじめ、みな背筋をぴんと伸ばし、トレミリアの白銀の鎧に身を包んで整列する姿は、なかなかに勇ましく、そして清々しい若さにあふれていた。
「よう、アラン。お前の見たところでいい。この中で、剣が一番使えそうなのはどいつだい?」
「ええと、そうですね……まだ全員を見たわけではないのですが、やはりトビーとカシール、それと、もう一人くらい目立っていたものがおりますが」
「そうか、じゃあちょっくら、そいつらを前に来させろ。見ているだけのつもりだったがな、どうにも体がなまっていけねえから」
「おお、で、では、レーク隊長がじきじきに稽古をつけてくださるので?」
「まあ、そういうこった。なあに、怪我はさせねえようにするから。なんなら、お前もどうだアラン」
「はっ、それはもちろん。光栄であります!」
 アランは興奮ぎみに頬を紅潮させた。



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