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   水晶剣伝説 [ロサリート草原戦(前編)


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「よろしくお願いします」
 前に出てきたのは、さきほどアランと共にいた二人、トビーとカシールと、それにもう一人、こちらはえらく背の高い若者だった。
「おい、お前。名前はなんてんだ?」
「は。ラシムであります」
 いくぶんなまりのある言葉で答える、その大きな騎士は、そばに来るとレークよりも頭ひとつ以上は優に大きかった。
「でっかいな、お前。どこの出身なんだ?」
「は、自分はもともとはアングランドにおりましたが、母方の妹がトレミリアの商家に嫁ぎ、それから自分もトレミリアにゆき、スタルナー公爵閣下のもと剣術の修行をいたし、今年から晴れて騎士の位をいただきました」
 身長では、ブロテよりもさらに大きいかもしれないが、体格は比較的痩せ型で、見た感じはむしろひょろりとしている。だが、しっかり鍛えられているのだろう、腕や足にはしなやかな筋肉をまとっているのが見て取れる。
「二ドーンくらいはありそうだな。おい、それで馬に乗れるのか?」
「はい。体重はそう重くはないですから、普通の馬でも大丈夫です」
「ふうん。しかし、カイトシールドからは頭か足がはみ出しそうだな。そのうちお前用の楯でも作らせよう」
「ありがとうございんます」
 冗談めかしたレークの言葉にも、ラシムは嬉しそうにうなずいた。
「んじゃ、まあ、先にその三人組……アランとトビー、カシールか。来いよ」
「はいっ」
「他のやつらはよく見ていろ。自分だと思いながらな」
 他の騎士たちが円を描いて周りを囲む。その中で、レークはすらりとオルファンの剣を抜いた。
「この剣は本物の鋼の剣だからな。思い切り打ち込んでくると、これで受け止めるだけでお前らの剣には傷がつく。練習だと思って軽めに打ってこい」
「分かりました。では私から」
 最初に進み出たアランが剣を構える。さすが若いとはいえ訓練を積んだ正騎士である、両手に持った剣を斜に構える立ち姿は、なかなか様になっていた。
「よし、来い」
「いきます!」
 掛け声とともに、アランは打ちかかってきた。
 カシン、という高い響きとともに、二人の剣が合わさる。
「もっと強くてもいいぞ。剣ではなく、オレの体を狙う感じで来い」
「は、はい」
 続けざまに、カシッ、カシンと、剣の響きが上がる。
「いいぞ、もっと来い」
「はいっ!」
 アランの剣さばきは、正騎士としての手ほどきを受けたとおぼしき、じつに正統的なものだった。右、左、正面と、軽やかに剣を振る、そのバランスの良さはしっかりとしたものである。
 レークは、それらをすべて軽く剣先で受け流しながら、相手よりも少しだけ早いスピードで打ち返した。アランは、それをなんとか受け止め、足場を変えてまた打ち込んでくる。
「なかなかいいぞ」
「は、はい」
 アランの額には汗がにじんでいた。攻撃をし続けながら、素早い防御も必要になるので、休む間がまったくないのだ。レークからすれば、このアランの攻撃なら、永遠にでも受け続けることができたろう。何度か剣を合わせただけで、相手の技量とスピードを判断できるのも、一流の剣士としての能力である。
「どうした。攻撃のスピードが鈍っているぞ。このくらいで疲れるようじゃ、実戦ではやられちまうぜ」
「は、はいっ」
 歯を食いしばり、アランが上段から剣を打ち込む。レークはそれを剣で受けて落とすと、そのまま相手への攻撃に変えた。
「くっ」
 なんとか受け止めたものの、アランは手をしびれさせて、あとずさった。
「ようし、それまで。次、」
「あ、ありがとうございました」
 荒く息をついて、アランが礼をする。
 代わって前に出たのは、長めに伸ばした茶色の髪をかき上げる、今どきの若者らしい騎士だった。
「よろしく。トビーっす」
「元気がいいな。よし来い」
 まっすぐに近づいてきて軽やかに剣を構える、その様子を見て、レークはにやりとした。
「お前はたぶん、長剣よりもレイピアの方が得意らしいな」
「えっ、なんで分かるんですか?」
「なんとなくさ。その構えの足の開き方が狭いだろう。いつも片手で剣を振る練習をしているやつのスタイルだ」
「さすがですねえ」
 トビーが口を大きく開けて感嘆する。
「んじゃ、まあ、きな」
 きっと貴族騎士の仲間のうちでは、生意気に思われるような性格なのだろう。レークはこういう若者が嫌いではなかったが、あまり調子に乗らせるのは、これから部下として他の騎士にも示しがつかぬだろう、などと、そんな柄でもないことを考えた。
「へいっ。いきまっ、うりゃっ」
 いい加減な掛け声とともに打ち込まれる剣を、レークは正面から受け止めると、すかさずそのまま思い切り踏み込んだ。
「わっ」
 ガキンッ
 まばたきをする間もなく、トビーの剣が飛ばされた。
「ほら、甘いんだよ握りが。レイピアとはワケが違うんだ」
「ひ、ひえ……」
 呆然とするトビーに、レークは隊長らしく厳しい指導を与えてやった。
「攻撃が終わるときにはもう防御を考えろ。そうだな、お前は今から左手だけで剣を振る訓練をしておけ。両手を同じように使えねえと、実戦じゃすぐに死ぬぞ」
「は、はい……」
 鼻っ柱を折られて、しゅんとなったトビーが剣を拾いにゆく。
「さてと、あとは、でかいやつと美少年か」
 背の高いラシムと、白い顔を紅潮させているカシールを見比べ、レークは唇を突き出した。
「お前ら、そうして並ぶと、とても同じ年頃の騎士とは思えねえな。じゃあ、カシールから来るか?」
「はいっ」
 名を呼ばれて、嬉しそうな美少年がすたすたと歩いてくる。
「よろしくお願いします」
 しなやかに剣を構えるその姿は、いかにも貴族的で、どことなくアレンを思わせる。
「お前も、レイピア向きなんじゃないのか?」
「そうですね。レイピアもそれなりに練習しておりましたけど」
 案外物おじしない様子で、にこにこと答える少年騎士を、レークはじろりと見た。
「ふうん。構えはなかなかだな。よし、来いや」
「はいっ、いきます!」
 しゅん、と風を切る音がした。
 ほとんど同時に、剣が打ち合わされる高い響きが上がった。
「おっ、と……」
 思わず、レークは声を上げていた。
「思わず剣の真ん中で受けちまった……」
 予想を上回る相手の踏み込みの早さに驚き、そしてにやりとする。
「こりゃまた……なかなか早いじゃないか」
「ありがとうございます!」
 にっこりと微笑んだカシールは、崇拝のまなざしでレークを見つめた。
「たくさん練習しました。お噂に聞いたレーク隊長の剣を想像しながら」
「なるほど、騎士も見かけによらないってこったな。よし、来い」
「はいっ」
 レークは今度は両手にぎゅっと剣を握り、足をいくぶん開いて構えた。
 軽やかに飛び込んでくるカシールの、そのしなやかな剣先を確かめるように、それをオルファンの剣で受け止める。
 周りを囲む騎士たちは、「おおっ」とどよめきを上げ、また息を飲むようにして二人の剣さばきを見つめる。
 カシッ、カシーン、と、リズミカルに剣の音が響いてゆく。
「ほっ。こいつはどうして、なかなかやるもんだぜ」
 レークは楽しそうに口の中でつぶやいた。もちろん、まだ余力を残して剣を受けていたが、カシールの剣は、力任せではない振りの早さと、的確な軌道による攻撃という点では、今まで見てきたトレミリアの騎士の誰よりも勝っていた。腕前というよりは、むしろそれはセンスと言ったほうがよかったかもしれない。
「分かった。もういい。そこまでだ」
 さらに数合打ち合ってから、レークは剣を止めた。
「は、はい」
 カシールはやや残念そうにうなずいた。まだまだ剣を合わせていたいという顔である。
「いや、たいしたもんだよ。お前……筋の良さでは、そうだな、前に戦ったヒルギスといい勝負かもしれないな。あいつも綺麗な剣筋をしていたからな」
「ほ、本当ですか?あのヒルギス騎士伯と」
 頬を染めてカシールはその顔をほころばせた。
「お世辞でも、嬉しいです……」
「オレはお世辞なんか言わん。もっと練習すれば、誰にも負けない使い手になるだろう。その腕前なら、むしろ、この隊の副隊長はお前がやるべきだって気もするな」
「そ、そんな」
 あたふたとするアランを、レークは笑って振り返った。
「冗談だよ。アランの剣も筋は悪くないし、なによりあの馬術はたいしたもんだ。もしかしたら、馬に乗っての戦いならお前の方が上かもしれないからな」
「はっ、光栄であります!」
「さてと、最後はでかいの……ラシムだったか」
「よろしくお願いしっます」
 長身のラシムが長剣を持って立つと、うんざりするほど大きく見えた。体が細身なだけに、えらく縦長に見えるのだ。
「お前が馬に乗って、上段から剣を振り下ろしたら、きっと空から剣が落ちてくるように見えるんだろうな」
 いくぶん疲れてきたので、レークは手合わせするのがだんだん面倒になっていた。だがここでやめては部下に示しがつかないかと、仕方なくまた剣を構える。
「きな」
「いきまうっす!」
 ラシムは軽々と長剣を振り上げた。腕も長いから、とくに飛び込まなくても遠い間合いから打ち込めるのだ。
「なるほど、でかってのはそれだけで武器だな」
 距離をとったまま振り下ろされる剣を受け止めると、ガッ、という重い音が響いた。
「細い割には力もあるな。なかなか重い打ち込みだ」
「どうもっす!」
 アランをはじめ、周りを囲む騎士たちが、隊長である自分の剣さばき、その一挙手一投足を注目しているのが分かる。
「やっぱ真面目にやらんとだめか……隊長ってのもまあ、けっこう面倒なもんだぜ」
 口の中でつぶやくと、レークはひょいと剣を持ち直した。
 今度は自分から攻撃を仕掛ける。だがラシムは大きい割にはスピードもあり、レークの剣を案外器用に受け止める。体力もありそうなので、あまり息も上がっていない。
「たいしたもんだ。ブロテと戦っても、それなりに通用するぜ、きっと」
「あ、ありがとうございんます」
 にかっと笑った顔は、どことなく、あのスタンディノーブルの城で出会った、道化師のガルスを思い起こさせる、そんな素朴さがあった。
(まあ、あいつの方がもうちょい大きかったかな。横幅も二倍はあったしな)
「おい、もっと来な。もっと強く打ち込んでこい」
「は、はいっ」
 うなずいたラシムが、ひゅっと息を吸い込み、気合とともに打ち込んでくる。
 ガッ、ガガッ、と鋭い響きとともに、剣がぶつかり合う。
「なるほど、さすがオルファンの剣だ。もう一回も当てりゃあ……そらっ!」
 ガッ、キーン
「おおっ」
 騎士たちから大きなどよめきが上がった。
 ラシムの剣の先が、二つに割れて吹き飛んでいた。
「……というワケだ。今日はここまで」
 レークが剣を鞘に戻すと、周りを取り囲む騎士たちから拍手と歓声が上がった。
「さすが、レーク隊長!」
「格好いい!」
「ああ、どうもどうも。あんがとよ」
 そう悪くない気分で、騎士たちに向かって軽く手を上げてみせる。正直なところ、少々疲れたので本気を出したのであったが、オルファンの鋼の剣は、予想以上に扱いやすく、そして強靱であった。この剣があれば、どんな相手だろうと負ける気はしない。
「んじゃ、まあ、あとはお前たちで適当に稽古に励んでくれ」
「はい、レーク隊長」
 レークがその場を離れようとすると、一人の騎士が走り寄ってきた。それはカシールだった。
「あ、あの……感激しました。レーク隊長の剣を近くで見られて!」
 興奮しているように、その頬を紅潮させている。
「ずっと、剣技会でのご活躍を聞かされ続けて、憧れておりました。そのレーク隊長の剣さばきが、こんな間近で見られて……」
「おお、あんがとよ」
 ほとんど涙ぐみそうな少年の様子に、レークはやや閉口したが、そこまで尊敬されてはまんざら悪い気はしない。
「お前の剣もなかなかのものだったぜ。もっと練習すれば、いつかはトレミリア最高の騎士になれるだろうよ」
「あ、ありがとうございます。頑張ります!」
 胸に手を当て騎士の礼をするカシールの肩を、ぽんと叩いてやる。
「じゃあな」
「は、はい。隊長のもとで戦えることを、自分は誇りに思います!」
 嬉しそうに言うと仲間のもとへと走ってゆく。
「やれやれ、若いっていいねえ」
 彼らとは何歳も違わないはずであったが、長年浪剣士として旅をして、さまざまな出来事や冒険を経験してきたレークからすれば、宮廷の中で育った彼ら貴族騎士というのは、まったく可愛らしい少年のように思えるのだった。
「そういや、あの宮廷騎士のぼっちゃん方は、今頃どうしているのかな」
 クリミナが団長をつとめる宮廷騎士団……かつてそこで一緒に稽古をし、ときに喧嘩や決闘もしたりしながら、のんびり剣を振っていたあの頃が、今はひどく昔のことに思える。
「まだ平和だったねえ。あの頃は……」
 たった数ヶ月前のことであるのだが、その間に自分やクリミナがへてきたさまざまな冒険……二人で乗り越えてきた旅のことを考えると、いまとなってはずいぶん環境が変わったものだと思う。そして、クリミナとの関係もまた。
(次にクリミナに会ったときには……)
 どんな顔をして、どんな風に話しかけよう。そんなことを考えると、妙にくすぐったいような、気恥ずかしいような気分にもなるのだった。
(まあ、しばらくは会うこともないかな。このいくさが終わってからか)
 それがいつになるのか、いまはまだ分からない。数日なのか、数十日なのか……あるいはそれ以上になるのか。
(ともかく、まずは明日からの戦いだ)
 己にそう言い聞かせる。
 天幕の前まで来ると、そこに従者が控えていた。隊長奇騎士となって与えられた、雑務などをこなしてくれる若い少年従者である。
「ローリング騎士伯閣下からのお言伝でございます」
「ローリングの?」
 レークは眉を寄せた。
「はい、至急こちらの天幕まで来てくれるように。なんならば、こちらから出向いてもかまわないだろうか、とのことですが」
「へえ、なんだろうな。まあ行ってみるか……」
「いや、もうその必要はない」
 すぐ近くから声が聞こえた。天幕の影から現れた騎士を見て、レークは仰天した。
「おお、びっくりした」
「しばらく待っても来ないので、しびれをきらして来てしまったよ」
 そこに立っていたのは、まるで軍議の途中で抜け出してきたような、鎧姿にマントを羽織った、軍装のままのローリングであった。
「これはこれは、先発隊司令官閣下に、じきじきにご足労いただくとは。申し訳ないこって」
「ははは。なあに、そんなにかしこまらくてもいいさ。おぬしと私の仲だろう」
 笑いながら言うローリングに、レークもにやりとうなずく。
「そうだな。まあ、狭いところだが入ってくれ。おい、従者の……ええと、名は確か」
「ケリーです」
「じゃあケリー、酒だ。それになんか食べ物も……」
 それをローリングがさえぎった。
「いや、じつはもう、酒も食事もこちらに運ばせるように手配してある」
「それは手際がいいこって。さすが司令官閣下だぜ」
「それはもうよせ」
 笑いながら二人は天幕へ入った。
「あんたのところに比べれば、ずいぶんと窮屈だろう」
「なあに。むしろ、このくらいのほうが落ち着くさ。それに、私の天幕には、報告の騎士だの従者だのがひっきりなしに出入りするからな。ほんの一刻ばかりでいいから、邪魔が入らずに、おぬしとゆっくり酒を飲みたいと思って来たんだよ」
 小さいテーブルに向かい合って、二人は席に着いた。ほどなくして、二人の従者が大きなワイン差しと、塩漬け肉やパンなどの食事を運んできた。
「大きな戦いの前の晩餐にしては、いくぶん質素かもしれんが」
「新鮮な魚や肉を食わせろなんて、草原の真ん中で言うほど贅沢じゃないさ」
 互いの杯にワインを注ぐと、二人は顔を見合わせた。
「我々の友情と、そして、勝利に」
「ああ、俺たちの友情と勝利に」
 杯を上げ、一気に飲み干す。
 いくさが近いという昂りが濃密なワインと混ざり、喉を熱くする。
「ふう。これでようやく約束がかなったな。いつか二人で酒を飲もうと言っていたろう」
「ああ、そういや、そうだ」
 あの、かつての大剣技会での一件ののち、レークは宮廷騎士の地位を得て宮廷に住むこととなり、騎士団の稽古に明け暮れる日々を、一方のローリングは、ジャリアとの緊張が高まる中で、レード公爵騎士団の団長として、トレミリアとウェルドスラーブを忙しく行き来する日々を送っていた。友となってからの酒を酌み交わす約束は、その後もなかなか実現しなかったのである。
「たしか、あんたんとこの騎士団の宿舎で、一緒に茶を飲んだことはあったっけな」
 レークは思い出すように言った。
「そうそう、イルゼ……いや、女官のオードレイもいて。そういや、あの娘はどうしているんだろうな」
「オードレイは元気そうだったよ。先月に一度、フェスーンで会ったが、クリミナさまとおぬしのことをずいぶん心配していたぞ」
「そうか。ああ、そうそう、あのときは、クリミナ騎士長も一緒にいたっけな」
「うむ。クリミナさまは、おぬしとオードレイのことですっかり腹を立てていて……」
「ああ、そんなこともあったなあ」
 レークはくすりと笑った。
「おぬしは遠征の間、クリミナさまと一緒にいることも多かったのだろう。もしかしたら、おぬしが守ってくれていたのだろうな。そうだとしたら、私からも礼を言わせてくれ」
「なあに、たいしたことねえよ」
「セルディ伯らとともに、クリミナさまがサルマに着いたという報告を受けて、私は心底ほっとしたものだよ。きっと父上であるオライア公も同じ気持ちだろう」
 もともとは宮廷騎士でもあり、クリミナとは幼少の頃からの馴染みであったというローリングであるから、トレミリア軍の一員としてウェルドスラーブへの遠征に赴いた彼女の安否については、おそらく家族のように心配であったのだろう。
「遠征の間はどうだった?」
「相変わらず、いつも怒られたりしていたさ。騎士長どのにはさ」
 レークはいくぶん照れながら言った。
 彼女とともに旅をし、数々の冒険をへて、いっそうその存在が身近に感じられるようになったことを、ここでローリングに話してもいいものだろうか。このふた月あまりのうちに、自分とクリミナとの関係がどのように変わったのかなどは、トレミリアにいて軍事に奔走していたローリングには分かりようはずもないだろう。
「まあ、いろいろあったよ。コス島経由でウェルドスラーブに着いてから……それはもう、いろいろな」
 それからの、冒険の数々を、レークはワインの杯を手に友に話した。
 スタンディノーブル城での戦いと城からの脱出、クリミナとともにアルディに赴き、苦難の末にウィルラースとの面会をはたしたこと。そこからさらにセルムラードを目指し、女王フィリアンに書状を届け、援軍の約束をとりつけたこと。そして、再びコス島にて、ブロテらと再会、今度はアラムラの森林へ分け入り、そうしてこのロサリート草原に辿り着いたこと……それらの、とても一晩では語り尽くせないような冒険の数々を、自らも思い出しながら、語って聞かせた。
 いつのまにか日はとっぷりと暮れて、天幕の中は薄暗くなっていたが、小姓が燭台に火を着けに来るまで、二人はそれに気付かなかった。ワインの水さしは空になり、二本め、三本目と持って来させたそれも、ほとんど飲み尽くした。
「それは、なんという大変な冒険だったのだろうな」
 いくぶん顔を赤くしたローリングは、大きなため息をついてそう言った。
「おぬしのことだろうから、いろいろと活躍したのだろうとは思っていたが、そのような凄い冒険の数々をくぐり抜けてきたとは。どうりで、最初におぬしとブロテを見たときに、ずいぶんとたくましくなったように思えたわけだ」
「ははは。そりゃどうも。しかし、オレは変わらんぜ。そりゃ戦ったり、脱出したり、いろいろと大変で、命懸けの場面もいろいろあったがよ。それも今思えば、たいしたこっちゃねえ。結局のところ、オレは自分の運と、行動を信じてやっただけで、それが上手くいったり、いかなかったりしながら、のらくらとさ、なんとか乗り切ってきたってこった」
「いや、それが凄いというのだ」
 空になった杯を置くと、ローリングはじっとレークを見た。
「普通の人間ならば、そこで迷ったり、あきらめたり、あるいはなにもできなかったりするところを、おぬしはいつだって即座に決断し、行動をする。たとえ、それが危険な賭であったとしても、己を信じて炎の中に飛び込んでゆける。もちろん、それに見合った実力と勇気がなくてはできぬことだが、たとえ剣の腕があっても、大きな権力や多くの部下があったとしても、その決断がなくては結局はみな腐ってしまう。誰しもが失敗を恐れるし、富や権力が失われることを恐れるのだ。だから動けなかったり、動いたとしても、すでにもう手遅れであったりして、機会を失うことになる。だが、おぬしは違う」
 ずいぶんと酔っているのだろう、ローリングの口調は、いつになく熱を帯びていた。
「おぬしにはためらいもなければ、恐れもない。いや、もしかしたらあるのかもしれないが、少なくとも恐れのために機を失うことはしない。臆して動かぬよりは、たとえ可能性が低くとも、果敢に動いてでも失敗することを選ぶ。その決断、勇気が、結局のところ失敗を防ぐのだ。いや、もっと言えば、成功を引き寄せてしまう。たとえ傍から見ていて危なっかしくとも、いつのまにかなんとかしてしまう。それがおぬしの力なのだよ。あのフェスーンの剣技会でもそうだった。結局、最後に勝ったのはおぬしだった。トレミリアの名だたる騎士たちを倒し、ブロテやクリミナさまをも敗って、ついには優勝を果たしたではないか」
「ああ、そうだったな」
 しばらくぶりにこれほど酒を飲んで、レークもだいぶ顔を赤くしていた。あの剣技会については、二人ともがこうして酒を飲み交わしながら、ずっと話をしたかったのだ。
「でも、あんたとは戦ってないよな。たしか、あんたは替え玉を使って、広場を抜け出していたんだものな」
「うむ。そうだった。私はあのとき、アレンとともに、あの売国奴のモランディエル伯の屋敷へ踏み込んでいたのだ」
「そうそう。そのおかげで、オレの疑いも晴れたんだから。アレンはもちろん、あんたもつまりはそう、オレの恩人といってよいのかもしれないな」
 しみじみと言うレークに、ローリングは笑って言った。
「なにをあらたまっている。そんなことはもうよいではないか。今はこうして、共に草原にいて、馬を並べて敵と戦おうとしているのだ」 
「ああ、そう考えれば、それも不思議だよなあ。まさかこのオレが騎士となって、部下までもってさ、これから大きないくさをしようとしているなんてのは」
「うむ。しかし、案外似合っているじゃないか。レーク隊長というのも」
「よせよ。もしクリミナ……騎士長が知ったら、柄にもないって怒られそうだ」
「たしかにな」
 二人はまた愉快に笑い合い、最後に残った酒をあけた。
 結局、ローリングが席を立ったのは、さらに夜が更けてからだった。もしも、いくさを明日に控えてなければ、このまま二人は夜を明かして語り尽くしたことだろう。騎士としての礼節をもって知られるローリング伯にしては、ずいぶんと豪快に酒を飲み、そして饒舌でもあったが、それも司令官としての責務、その苦労や口には出さぬ悩みなどもあるのかもしれないと、あとになってレークは思った。
「では、夜明け前に」
 にわかに司令官の顔に戻ると、彼は最後にレークに手を差し出した。
「このいくさが終わったら、また酒を飲もう。楽しい酒を」
「ああ。きっとな」
 互いの手を握り、二人の騎士はうなずき合った。
 これから始まる大きないくさでの、互いの武運を祈るように。

 そして、その朝が来た。
 アヴァリスはまだ見えぬ、夜明け前の暗がりの草原に、規則正しい足音が響きわたる。
 ザッ、ザッ、ザッ、
 草を踏みしめる兵士たちの足音に、重々しい鎧の響きが重なってゆく。まだ光の届かぬ、暗い海原のような平原が、日常とはまるで違う、緊迫に満ちた世界に変わろうとしている。
 大陸を東西に二分する、おそらくリクライア史上でもっとも大きな戦いが、これから始まるのだ。
「歩兵隊前進!続いて大弓隊続け!」
 命令とともに、五千の歩兵が前進を開始する。歩兵隊の両側には千人ずつの弓兵が続き、さらにその後方に、騎兵隊が左右に二千ずつという布陣である。
 トレミリアの歩兵隊の指揮をとるのは、ハイロン、ガウリン、クーマンという、それぞれがオライア公騎士団、マルダーナ公騎士団、スタルナー公騎士団の団長、副団長を務める名騎士たちだ。彼らは馬上から指示を出しながら、歩兵たちの隊列に乱れがないよう全軍を見渡している。
 歩兵といえども、トレミリアの正規兵であるから、チェーンメイルの上に板金の鎧を重ね、しっかりと兜で頭を覆った完全防備の姿で、腰には長剣と短剣を差して、左手には小型のヒーターシールドを持っている。上級の騎士となると、面頬のついた銀色の兜に、白銀の鎧を全身に着込み、胸にはそれぞれの家柄の家紋を施している。彼らは従者に馬を引かせ、いつでも騎乗して戦える準備がある。
 左右両側の騎兵隊では、それぞれローリング騎士伯、サーモンド公騎士団団長のアルトリウスが指揮をとり、全軍の後方には大将レード公爵が、レード公騎士団副団長リンデスを側近にして本営を構える。
「全軍停止!隊列を整えて待機!」
 トレミリアの二万の全軍がぴたりと進軍を止めた。
 そろそろ、夜明けを迎える頃だろう。軍勢の進む先の東の空が、うっすらと白み始めている。
 ずらりと並んだ鎧姿の兵士たちが、じっと草原を見つめる。
 運命の朝が訪れるのを、トレミリアの兵士たちは、静かな緊張と昂りの中で迎えようとしていた。あるものは、戦いへの意気込みに拳を握りしめ、あるものは兜の中で興奮に頬を火照らせて。
 命令の声もやみ、静かな時間が流れる……これから本当に、ここで戦いが行われるのだろうかと、疑いたくなるような、それは静かな時間であった。
 草原の彼方、東の地平から、アヴァリスの最初のきらめきが生まれ、それが騎士たちの銀の鎧を照らし出す。
 輝く太陽が、地平からゆっくりと昇り始め、
「来たぞ」
 そして、そこに黒々とした影が……夜の終わりから抜け出してきたような、無数の、数百、数千という黒い影が、現れた。
 トレミリアの隊列に一斉に緊張が走る。
 黒い線を描くように、真一文字に横に広がりながら、こちらへ向かって前進してくるその軍勢……背後からの陽光が、彼らをいっそう黒々と、まるで影そのもの、影の兵士のように不気味に見せていた。
「ジャリア軍だ」
「ジャリアの長槍部隊だ!」
 黒々とした鎧に全身を包み、フォーサールと呼ばれる槍と刃のついた二ドーンはあるだろう物騒な武器を高々と持ち上げて、その数千の兵士たちがゆっくりとこちらに向かってくる。昇りゆくアヴァリスの輝きを背にしているが、それは、闇の軍勢のように恐ろしげであった。
「長弓隊、構え!」
 命令とともに、トレミリア歩兵隊の両側に並ぶ長弓兵たちが、一斉に矢をつがえる。
「敵との距離、五百ドーン」
 長弓の射程は三百ドーンほどであるが、トレミリア軍は、あくまで敵の出方を窺う方針であった。つまり、敵が先に矢を放てば、その瞬間に戦いが始まるのだ。
「四百ドーン……そろそろ三百に入ります」
「まだ射るな。敵が先に射るまでは」
 だが、ジャリア軍の方からはいっこうに矢を射てくる気配はない。進軍を止めるような様子もなく、ただじわりじわりと、長槍部隊はそのまま前進を続けてくる。
「どういうつもりでしょう?敵は」
「分からん。だが、敵が弓を引かぬ以上、こちらも射ることはできぬ」
 トレミリア歩兵隊の左翼を指揮するオライア公騎士団団長のハイロンは、のろのろと不気味に前進を続ける敵軍にじっと目をこらした。
「このまま、歩兵同士でぶつかるつもりなのか」
 いまや、ジャリア軍の前衛部隊は、その一人一人がはっきりと見分けられるくらいの近さまで来ていた。数千の兵士が手にする長槍の先の鋭い刃が、陽光に照らされて、きらりきらりと恐ろしげに光る。
 ザッ、ザッ、ザッ
 ザッ、ザッ、ザッ
 草原を征服しようとするその黒い軍勢の足音は、もうここまで届いてくるかのようだ。
「こうなれば、我が軍も前進するぞ!剣を持て!」
 歩兵部隊の指揮権を任されているハイロンが馬上から指示を出すと、中央部を統率するガウリン、右翼のクーマンもそれに習い、指示を告げる。
「前進。前進だ!」
 すらりと長剣を抜きはなったトレミリアの兵士たちが、歩を揃えて進み始める。
 両軍の距離が見る間に近づいてゆく。
 ジャリア兵の黒い姿が目の前まで迫ると、
「トレミリアのために!」
 誰かが叫んだ。
「おお、トレミリアのために」
「おお、我が祖国のために!」
 騎士たち、兵士たちが次々に声を上げる。まるで己自身を鼓舞するかのように。
 眼前のジャリア兵士たちが一斉に長槍を構えた。
 トレミリア兵の剣が、その先に触れる……瞬間、
 戦いが始まった。


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