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 水晶剣伝説 Z 大森林の行軍


V

 約束の昼まえになって、オルファンとカリッフィの店に戻ると、さっきと同じ格好の姉妹職人と、二人の母親である女職人も一緒にそこにいた。
「来たね。そら、剣だよ。これで完成だ。振ってみるといい」
「おお」
 レークはさっそく剣を受け取ると、それを右手に構えてみた。
 さきほどむき出しだった柄には、握りとなる革布が巻かれ、車輪型の大きすぎない柄頭が付けられていた。持った感触もぴったりと手に馴染む。鍔の部分には、トレミリアの三日月紋をあしらったような模様が彫られている。
「おお、いいな」
 剣をひゅんひゅんと軽く振るだけで、それが自分に抜群に相性のいいものであるのが分かる。剣の先端までが、まるで自分の腕の延長のような、なんとも絶妙な感覚である。
「これは……最高だ。最高の剣だ」
「ふふ。そう言ってくれて嬉しいよ」
 作業で汚れた胴着に身を包んだオルファンは、誇らしそうにうなずいた。クリミナは、剣を持つレークをじっと無言で見つめている。
「じゃあ、もってゆくといい」
「本当にいいのかい?来月の武具大会とかは」
「言ったろう。本物の剣士が持ってこそ、剣は本物になるって。それに、あとひと月あれば、もう一本くらい作れるさ」
「ありがとうよ。代金はいくらだ?」
 オルファンは首を振った。
「いらないよ。言ったろう。その剣は売り物じゃないんだ。あたしの、子どもみたいなもんさ。だからあんたに預けるんだよ。その子を一番活かしてくれるだろう、あんたに」
「そうか。分かった。ありがとうよ」
 剣を鞘に戻そうとすると、
「待ちな」
 妹のカリッフィがずいと進み出た。彼女は眉を吊り上げレークをひと睨みすると、
「あたしの剣も持っていってくれ」
 そう言って自分の剣を差し出した。
「姉がもう一本作るんなら、あたしも公平にそうする。持ってゆけ」
「おお、それは、ありがとうよ」
 鞘に戻したオルファンの剣を置いて、今度はカリッフィの剣を手に持つ。それは、ごく短いショートソードというような剣だった。
「ほう、面白いな」
 刃の長さは半ドーンほどだろうか。それでいて剣幅はけっこう広く、どっしりとしている。それは振ってみるとじつに軽く、手元の安定感もある。接近戦にはもってこいというような剣であった。
「あたしが一生懸命作った剣だ。姉のと同じ鋼でできている。刃の根本は通常の剣よりもずっと厚みがあるから、絶対に折れることはない」
「なるほど。これは左手用の剣にぴったりだ。なんてこった、最高の剣が二本も手に入っちまった」
 鞘に収めた二本の剣を両手に持ち、レークはあらためて二人に礼を言った。
「ありがとうよ。あんたらの大切に作った剣、たしかに預かるぜ」
「今度、この町に来たときには、その剣での武勇伝を聞かせてくれ」
「その鋼を修復できるのは、あたしらだけだからね。もし剣に傷がついたら、ここに戻ってきなよ」
「ああ、そうするよ」
 それから二人の姉妹は、もう用は済んだというように、忙しそうに店の奥へ入っていった。すぐにカンカンという、金属を叩く音が鳴り始める。
「すげえ職人だ。あんたの自慢の娘さんたちだな」
「そうさねえ」
 二人の母親である中年の女職人は、ため息まじりに笑って言った。
「でもいつか、あの子らにもさ、幸せな結婚をして欲しいよ」
 それは本音でもあるのだろう。長いこと職人を続けてゆくことの苦労を知る先輩であり、また母親としての。
 レークは革袋からひと握りの金貨を取り出すと、それを女職人の手に乗せた。
「おや、こんなに、まあ」
「この剣の代金てわけじゃないが、せめてこれで、あの二人に、上等な作業着でも作ってやってくれ」

 念願の剣を手に入れて、レークは宿に戻るとさっそく、ブロテとともに出立の準備にとりかかった。コルヴィーノ王やセルディ伯には、すでにブロテの方から離脱の旨を告げてあったらしく、レークが報告に行ったときにはすでに、国王もセルディ伯も、「いたしかたなし」という様子で、それを認めたのであった。
「それでは、我々はもう一日、休養もかねて装備を整えてから、明日トレミリアに向けて出発するが、二人はこれからすぐに発つというのだな」
 セルディ伯の言葉にレークはうなずいた。
「ああ、夕刻にバコサートへゆく定期便があるっていうんで、それに乗るつもりだ」
 伯にとっては、二人の腕利きの騎士がいなくなるという不安もあるのだろう。その顔つきはまだいくぶんこちらを引き止めたそうではあったが、ただこれからはクリミナが一緒であるというのが唯一の喜びであるとばかりに、彼女の方をちらりと見ては、気を落ち着かせるように咳払いをするのだった。
「今朝入った新たな情報によると、新たにトレミリア軍一万が草原に向けてフェスーンを出発したらしい。なんでもレード公爵自らのご出陣とか」
「ほう、レード公の騎士団か。ならきっとローリングもいるんだろうな。久しぶりにやつにも会いたいもんだ」
「ともかく、いくさは近い。お互いの旅の無事を祈ろう」
「ああ。いずれまた、戦場か、あるいは平和なトレミリアでか、再会するだろう」
 旅装を整えたレークとブロテは、コルヴィーノ王や王妃のティーナ、提督夫人サーシャに挨拶をして回り、そして仲間の騎士たちと別れの握手を交わした。それから、宿のおかみの気配りで上等のワインが配られ、彼らは互いの旅路の幸運を祈って杯を上げた。
 そして、出立の時間がきた。
 宿を出て港まで見送りに来たのは、ブロテの部下の騎士たち、クリミナ、それにサーシャだった。セルディ伯以下の騎士たちは、国王と王妃の護衛にと宿に残った。
 メルカートリクスの港には、今も何隻かの帆船が入港していたが、ミレイのバコサートへゆくのは、その中でも一番小型のスループ船だった。忙しそうに荷物を船に積み込む人足たちでにぎわう桟橋の前で、レークは仲間たちに最後の別れを告げた。
「じゃあ、またな」
「……」
 クリミナは、手を差し出したレークと目を合わせられず、うつむき加減に握手をした。
「トレミリアに戻ったら、アレンによろしくと言ってくれ」
「わかった……」
 もっと他に言うこともあるはずだったが、それが口をついて出こない。ひどくもどかしく、情けない気分で、彼女は苦しそうにただ口元をゆがめた。
「あんたも、元気で」
 レークはそう言うと、ブロテとともに船に乗り込んだ。
「あ……」
 クリミナは顔を上げた。最後にレークに言おうとした。
 だが、言えなかった。
 錨が上げられ、船は動きだした。
(バカ……)
 後悔と怒り、そして、言い知れぬ悲しみが入り交じり、心のなかに重くうずまく。
 ゆっくりと、船は港から離れてゆく。
(私のバカ……)
 ぎゅっと拳を握り、唇をかみしめる。
(私の……)
 涙がこぼれた。
 隣にきたサーシャが、そっと肩に手をおいたのにも気づかない。
 黄昏に赤く染まり始めた空のもと、レークらを乗せた船がしだいに遠くなる。
(わたしの、バカ……)
 涙でかすむ視界にそれを見つめながら、
 彼女は声を上げることもなく、ただ、震えるようにじっと立っていた。

 夕日を受けてきらきらと輝く波間を、二人を乗せた船は進んでいた。
「さて、まずはミレイのバコサートだな。今夜はそこで一泊して、翌朝馬を調達して北を目指そう」
「ですな。アラムラ森林の東側を抜けて、アラムラ街道からロサリィト草原へ出れば、明日の夕刻には着けるでしょう」
 甲板に立つレークとブロテは、輝く海面の向こうに見えはじめた大陸の影を、その視界にとらえていた。彼らの頭の中にはもうすでに、その先にあるアラムラ森林と、そしてロサリィト草原の光景が、はっきりと見えていたに違いない。
「その肩の傷は大丈夫か?」
「こんなものはかすり傷です。血が止まりさえすればどうということはないので、ご心配なく」
 ブロテはそう言って腕を叩いた。昨日一晩休んで、よほど体力も回復したようである。また、セルディ伯のもと、責任のある立場として行動を続けてきたこれまでより、身軽な状態になったことで、そう口に出しては言わないものの、ずいぶん気は楽であるのに違いない。その頬や額には、歴戦の傷跡が残っていたが、表情の方はむしろすっきりとして、これからの旅に向けての新たな気力がみなぎっているというようであった。
「よーし、んじゃオレはバコサートに着くまでひと眠りすっか。向こうでなにがあるか分からないしな」
 レークは甲板から船室へと降り、さらに下層部の船倉へ降りた。暗い船倉に積まれた木箱をかき分け、並んだ樽の間に良さそうな場所を見つけると、そこに寝ころがった。
 ぎぎぎ、と、ときおりきしむような音がして船が大きく揺れる。だがこの旅の間で、船で眠ることにもずいぶんと慣れた。
「ああ、だがもうしばらくは、船はゴメンだ。土と草の上で眠る方がよっぽどいい」
 つぶやきながら目を閉じる。
(……)
(そういえば、あいつは……)
 ふと思い浮かぶのは、港での別れ際のクリミナの姿だった。
 まるでこちらを睨むようにして立っていた、あのときの彼女は、いったいどういう気持ちだったのだろう。
(なんか、泣いているみたいだったが……)
(まさかな)
 暗い船倉に横たわり、波の響きを聞きながら、レークはあらためて、彼女という存在を思いやっていた。
(これまで旅の間、いつもかたわらにはあいつがいたんだな)
 それが当たり前のように思われていた。なので今、こうしてそばにいないことが、妙に寂しくも思えてしまう。
(オレらしくもねえ)
 目を閉じたまま、ふっとレークは笑った。
(いつだって、そうだ……オレは、なにかに縛られたり、同じ誰かをずっと守り続けたりするのなんざ、まっぴらだったはずだ。こうして一人で飛び出して、気ままにどこかへゆくのが一番性に合ってる)
 だが、それでも、
 あの栗色の髪をした、凛として気高く、そして、ときおり寂しそうな横顔を見せる彼女……あの女騎士の姿が、頭の中に現れては消える。近くにいないことを思うと、なおさら考えてしまうのだ。
(オレは、恋でもしちまってるのか?)
(まさか……な)
 船体のきしむ、ぎしぎしといういやな音と、不規則な揺れをときおり鬱陶しく感じながら、レークはなかなか眠りにつけなかった。

 船がバコサートに着いたのは、すっかり夜も更けた頃であった。
 船を降りたレークとブロテは、桟橋を渡りながらバコサートの港を見回した。どうやら二人の乗ってきたこの船が、最終の定期便であったようで、他の桟橋に停泊している船は、どれももう、今日の仕事を終えたようにマストがたたまれて、ひっそりとしている。
「じつは、自分はミレイに来るのは初めてです」
「オレも、久しぶりだ。もう何年も前に一度来たくらいだが」
 二人の横を、最終便の船から荷物を運び出す人足たちが通りすぎる。他の桟橋にはもう人影はあまりないようだ。
「なかなか大きな港ですが、レイスラーブの港とはまた違って、なんというか、ここはもっと、おおらかな感じがしますな。軍船も見かけないですし」
「そうかもな。ウェルドスラーブやアルディなんかと違って、大きないくさに巻き込まれることもないだろうから、ここには軍用の船もいらないんだろうぜ」
 ミレイは王のいない自由国家であり、貴族や騎士といった身分自体がない。市民の誰もが平等であるという、リクライア大陸でも珍しい国である。他国から移住してきてここに住み着くのも自由だし、国を出てゆくのもまた自由、通行の手形も不要であり、犯罪さえ犯さなければ、どこの誰にも門戸が開いているというのが、この国の謳う自由であった。
「王政がないということは、つまりはこの国は、いわば都市国家の大きいものといってもいいのでしょうかね」
「まあ、そんなもんなんだろうな」 
 そして、この国には軍隊というものはない。その代わりに、市民たちによる自警団が都市を守っており、王や貴族の代りに、すべての物事は評議会によって決定がされる。もちろん、評議会員は各都市の市民の投票により決められ、さらにその中から厳粛な投票で選ばれたものが総督の地位に着くという、いわば完全な民主主義を体現している。その点のみにおいても、この時代ではなかなか希有な国であるのだった。
 レークとブロテは港の通り沿いで、今夜の宿を探すことにした。
 おそらく昼間の間はたくさんの船乗りでにぎわうのだろうこの通りには、今は酔っぱらった船乗りたちがちらほらと見えるくらいであった。一般の市民であれば、とうに眠りについている時刻であろう。
「さて、とにかく、適当な宿に決めちまおう。オレはともかく、あんたはさ、ブロテ」
「はい」
「そのガタいといい、どうにも目立つからな。昼真だったら一発でどっかの騎士だってことは知れちまう。それにトレミリアのブロテといやあ、少なくともミレイにだって名は知られているだろう」
「そうでしょうかね」
 ブロテはやや照れたように言った。
「私などよりも、それでしたらレークどのも、あの大剣技会で優勝した御方ですから。すでに広く名を知られているのでは」
「なあに」
 レークはにやりとした。
「そうだとしても、オレの特技はな、必要なときには、ただの浪剣士に戻れるってこった。つまりさ、騎士や貴族みたいな、気品も誇りなんかは簡単に捨てられる。そんな雰囲気を微塵も見せない、ただのろくでなしにもなれるってこった」
「ほう、それはすごいですな」
 真面目に感心するブロテに思わず笑いをもらす。
「それだよ、それ。それが堅物だってんだ。一発で貴族か騎士だって分かっちまう」
「そうでしょうか」
「ああ、だからあんたはさ、なるべくこう、おとなしく黙っているこったな。なあに、オレに任せておけ。下世話な話し方なんかはお手のもんだから。おっ、あの店なんか良さそうだぞ」
 レークが見つけたのは、港通りのやや外れにある小さな宿屋であった。ごく小さなその店の看板は、見逃しそうなくらいに目立たない。
「いや、こういう店の方がかえっていいのさ。きっとメシも美味いぞ」
 己の勘に狂いはなしとばかりに、レークは迷わずそちらに向かっていった。

「おや、いらっしゃい」
 店に入ると、一階は飲み屋兼食堂になっているようで、船乗りらしき数人の客が酒を飲んでいた。入ってきたレークとブロテを見て、酒に酔った船乗りたちは振り向いてふと眉を寄せたが、そこは自由都市ミレイである、「どこの誰がこようとそれは自由」という気風さながら、すぐに興味をなくした風で、またなにごともなく酒を酌み交わす。
「よう、一晩泊まらせてくれ。部屋は空いているかい?」
「おや、これはまた、立派な剣士さん方だこと」
 船乗りたちの卓につまみの料理を運んできた中年のおかみが声を上げる。
「まさか、あんた方は船乗りじゃないよねえ。剣を持っているし、なによりそちらの大きい方は、なんとも威厳がおありだよ」
 すると、奥の厨房にいたあるじがひょいと顔を覗かせた。夫婦で店を営んでいるのだろう。
「おい、ばばあ。余計な詮索はすんじゃねえ。お客はお客だ。この店に入ってきてくだすった方は、誰だろうとかまいやしねえ。それがこの町の流儀ってもんだ」
 白くなり始めた髭を生やしたあるじは、そう言ってカッカッと笑った。
「はいはい。分かってますよ。ええと、お泊まりね。もちろん部屋は空いてますとも。なにせ、こんな小さな目立たない宿だし。よく、ここにきなさったと言いたいくらいですよ。さあさあどうぞ、まずはお食事でもいかが?お酒もありますよ」
「ああ、すまねえな。メシも酒も欲しいんだが、できたら部屋の方で食えねえかな」
「おや、そうかね」
「長旅でだいぶ疲れちまっているんだ。ああ、いったん部屋で休んで、あとで酒を取りにいってもいい。もちろん、金はそのぶん払うよ」
 いかにも訳ありだというような要求であったが、レークが差し出した金貨の威力で、宿の夫婦はもうよけいなことは訊かずに、それを了解した。
「二階の隅の部屋が空いているから、そちらへどうぞ」
 レークは礼を言うと、ブロテをうながして階段を上がった。
 ぎしぎしいう廊下の突き当たりがおかみの言う部屋だった。扉を開けると、そこは古びた寝台があるだけのごく狭い部屋であったが、ともかく落ち着いたというように、レークとブロテはほっとして腰を下ろした。
 少しして、おかみが酒と料理を運んできた。
「おお、こりゃうまそうだ」
「この港でとれた魚のハーブ焼きだよ。こっちは肉団子と野菜のスープ。塩だけで味付けするのがバコサート風なのさ」
 ほかほかと湯気のたつ木皿を前に、二人はごくりと喉を鳴らした。
「おお、うめえ。この魚のハーブ焼き、かむと口の中にじゅっとうまみが広がって」
「このスープもなんだか、なつかしい感じがしますな」
「な、当たりだろ。オレの言った通り、家庭的な味ってのかな。豪勢じゃないけど、こういう料理を味わうのが旅の醍醐味なんだよ」
 二人の前には、あっと言う間に骨だけになった魚と、空になった皿が重ねられた。
「ふいー、食った食った」
 皿を片づけに来たおかみが出てゆくと、二人は互いの杯に酒を次ぎながら、しばしのんびりとくつろいだ。
「さてと、で、これからのことだが」
「はい」
「ちょっとこの町で情報を仕入れながら、動きを決めようぜ。ジャリア軍のおおまかな動きとかさ、それが分かりゃあ、よっぽど好都合だ」
「そうですな」
「あんたは、出発までは宿から出ない方がいい。たとえトレミリアの騎士だとは知らなくても、ただ者でないってことはきっと分かっちまうからな」
「分かりました」
「そうだな、明日の日の出前には町を出よう。明るくなるとなにかと人目につく。あとで宿のおかみにまた金を渡しておこう。オレたちのことは多言無用とな」
 酒をぐいっと飲み干すと、レークは立ち上がった。
「さてと、オレは軽く情報をさぐりに行って来る。数刻で戻ると思うが、遅くなるようなら先に仮眠をとっておいてくれ。なにかあったら、すぐにでも出発できる準備もな」
「わかりました。お一人で大丈夫ですか」
「へへっ、浪剣士時代にずいぶんと旅慣れているオレさまだぜ。危ないことにはハナが効くから平気さ」
 レークはコス島で手に入れた、二本の剣を手にして見比べた。
「これは両方は持っていけねえな。二本差しは目立って仕方ねえ」
 少し迷ってから、オルファンの剣だけをベルトに吊り下げる。
「こっちの剣は持っていてくれ。あんたには少し小さすぎるだろうが、本物の鋼の剣だからな。役にはたつはずだ」
「わかりました」
「それじゃ、あとでな。万一のときには町の外で落ち合おう」
「はい。お気をつけて」
 レークは部屋を出ると、他の客たちの気配がないことを確かめ、階段を降りた。厨房にいたおかみに近寄って、その手にさっと金貨を握らせると、訳を言うまでもなく、おかみは分かっているというようにうなずいた。
 宿を出ると、レークは夜の港通りを歩きだした。
「さてと、 久しぶりの本当の単独行動だな」
 どこへゆくかはもう決めていた。桟橋の近くを通ったときに、比較的にぎわっている様子の酒場があると目をつけておいたのだ。

 酒場に入ると、すでに夜半だというのに、まだけっこうな数の客でにぎわっていた。そのほとんどはやはり、仕事を終えた船乗りや人足たちであったが、そうでない一般の市民や派手な化粧の酒場女などもいた。そこにいる人間たちの種類を把握しようと、さっと店内を見回したレークは、思わずぎょっとした。
(あ、ありゃあ……)
 店のやや奥のテーブルに、腰掛けている二人の男……隣に酒場女をはべらせて杯を傾けているその二人は、明らかに船乗りでもなければ、またバコサートの市民でもなかった。
(こいつは、まずいぜ)
 レークは背中に汗がしたたるのを感じた。
(なんでこんなとこに、あんな連中が……)
 兜まではつけていなかったが、黒い鎧姿に剣を携えたその姿は、レークのよく知るものだった。なにしろ、自分自身も一度はその鎧に身を包んだことがあるのだから。
(ジャリア兵か……)
 間違いない。その二人が身につけているのはジャリア軍の鎧に違いなかった。
 レークは、一瞬、このまま店を出てゆくべきかと迷った。
「……」
 だが、
 そのままカウンターに座ると、なにげないふうに酒を注文した。
「いらっしゃい。旅の剣士さんかね?」
「おっ、分かるかい。ああ、俗に言う浪剣士ってもんさ」
 店の主人からラムパンチの注がれたマグを受け取り、レークは愛想よく笑って見せた。
「ミレイに来たのはじつは初めてなんだけどさ、ここは食べ物が美味くていいね。なんつっても魚が新鮮だし。それに人々も親切だ」
「それはよござんした。このバコサートの魚料理はとくに美味いと、国中でも評判なんですよ。それに、香辛料、ハーブなんかを使った料理もここの自慢ですよ。いかが?」
 主人はレークのことをすぐに気に入ったようだった。慣れた様子で人の懐に入ってゆくのはこの浪剣の特技でもある。
「ああ、食いたいけどな。いまはちょっと腹いっぱいなんだ。なあ、ところでさ」
 ちらりと奥のテーブルを横目で見て尋ねる。
「なんだか、あっちに物騒な姿が見えるけどさ、この町にはジャリア兵がいるのかい?」
「ええ、そうなんでございますよ」
 店の主人は声をひそめ、つとレークに顔を寄せた。
「数日前くらいから、でございましょうか。ご存じのように、この国は自由国家ですから、国境に検問などはなく、たとえ誰であろうと自由に行き来できるのが、いわばモットーなんです。なので、ジャリア軍とおぼしき一隊が入ってきても、市民たちは誰も抵抗もせず、それを受け入れたのです。きっとすぐに立ち去るに違いないと。誰もがそう思っておりました。ですが、ジャリア兵はいっこうに去ってゆく気配もなく、むしろ日を追うごとに少しずつ増えてきたのです。そうして、いまではこのように、毎日どこかしらの酒場にジャリア兵の姿があるという状態で。はじめは怖がっていた船乗りたちも、今ではしだいに慣れてきちまって、中には兵士と顔見知りになって、夜になると彼らと一緒に酒を飲むような輩もいる始末です」
「なるほどな。それで、このへんにいるジャリア兵ってのは、やっぱりウェルドスラーブの方から来た……つまり、スタンディノーブル城を占拠したやつらなのかね?」
 それこそが、レークのもっとも気になっているところであった。かつてスタンディノーブル城において、ジャリア軍との激しい防城戦を戦ってきた彼である。もし、そのときの敵兵であるのなら、敵であった自分の顔を見知っていることもあるだろう。そうなっては、悪くすればこの場で捕らえられるか、あるいはそうでなくとも面倒なことになりかねない。
「そうですねえ。確かにスタンディノーブル城の方面から来た兵士さんもいるようですが、ふと耳にした話ですと、ここのところジャリア本国からの増援部隊も、次々にウェルドスラーブに到着しているということを聞きますね」
(なるほど。だとすると、ここにいるのが直接戦った兵士とも限らねえか)
 ちらりと、また奥のテーブルのジャリア兵に目をやる。
(ふむ、見るかぎりでは見覚えはないようだ)
 しかし、それもあの激しい防城戦のさなかであれば、いちいちジャリア兵の顔などはチェックしていられたはずもない。ただ、少なくとも自分が敵中にいたときに言葉を交わした相手でないことは確かであった。
(どうしたものかな……)
 少し迷ったものの、レークは「いちかばちか」と心を決めた。
「なあ、あっちの兵士さんたちに、上等の酒を振る舞ってやってくれ」
「は、はあ……」
 目の前に置かれた金貨を見て、店の主人は目を丸くしたが、大急ぎでそれを懐に入れると、店の奥にあった一番上等のワイン樽から、なみなみと二つの杯にそれを注いだ。
(ちょいと危険だが、敵を知るには懐に飛び込んでゆくのが、手っとり早いってな)
 主人が奥のテーブルに杯を持ってゆく。すると、杯を受け取ったジャリア兵がこちらを振り向いた。
 レークはそれににこやかに手を振って見せると、愛想のよいていで近寄っていった。
「こんちは、ジャリア兵のだんな方」
 にこにことしながら話しかけると、二人のジャリア兵は顔を見合せ、警戒するように鋭い視線を向けてきた。
「お前はなんだ?」
「へい。あっしは、見てのとおり、旅の剣士、つまり浪剣士ってやつでございます」
 愛想笑いを浮かべながら、レークは二人のジャリア兵を素早く観察した。
 一人は角張った顔に髭を生やしたいかつい兵士、もう一人は痩せていて、縮れた黒髪を肩まで伸ばしていた。二人ともいかにも生粋のジャリア人というふうで、年齢的には二十代後半といったくらいであろうか。着ている鎧はまだ目新しく、それもまだ実戦用のものではない軽装備であった。あの激しい防城戦を戦ったにしては、物々しい殺気だった気配や、長い戦いに疲弊した様子もなく、むしろ、その顔つきには、これからの戦いのための穏やかな高ぶりのようなものを感じる。
(なるほど。やはりスタンディーノーブル城の陥落のあとで、ジャリアから新たに派兵されてきたやつらのようだな)
 レークはそう確信した。
「その浪剣士が、なんの用だ?」
「へえ、それがでございますね。自分は昔から、ジャリアの兵士さまに憧れておりまして。あの名高い黒竜王子殿下のもと、世界最強ともいうべきジャリア軍の中で戦えたら、それに勝る幸せはなしと、こう思っていたのですよ」
「ほう。つまり、お前は傭兵志望ということか?」
 二人のジャリア兵は面白そうに顔を見合わせ、ワインを飲み干した。
「そうなのですよ。おい、店主。こちらのお二人に最上のワインをもう一杯だ!」
「は、はい。ただいま」
「だが、傭兵の募集はもう終わっている。残念だったな」
「おお、どうかそこをなんとか。なにしろ、この自分はですね、多くの剣技大会で優勝を誇った、浪剣士の中の浪剣士、レー……いやいや、レンクと申すもの。あっしを雇って、けっして損はさせません」
「知らんな」
 ジャリア兵士はふんと鼻で笑ったが、店主が運んできたワインの杯を手にすると、ぺろりと舌なめずりをした。
「まあ、うまい酒はいくらでもいただいておくがな。他になにか話したいことがあるなら、聞いてやろう」
「へい、それでは、少しばかり」
 二人のジャリア兵が上等のワインの力でいくぶん上機嫌になったことを見て取ると、レークはいかにももったいぶった調子で話しだした。
「じつは、でこざいますね。ぜひともそう、ジャリアの方々に伝えるべき情報、というやつがあるのですが。おそらくは方々にとっても、とても重要な、そう、とても大切な情報ではなかろうかと」
「なんだ、それは。早く言え」
「へい、それでは、少しお耳を拝借」
 声を落としたレークの方に、やや不審そうな顔のジャリア兵二人が耳を寄せる。
「へい、じつはでございますね、自分は見たのですよ」
「だから、何をだ?」
「それが……」
 さらに声をひそめたレークの言葉に、ジャリア兵がぴくりと眉を寄せる。
「なんだと?それは……それは、本当なのか?」
 二人のジャリア兵の顔色が変わっていた。
「ええ、間違いないと思います」
「ウェルドスラーブ王が、アングランドのマイエに……か」
 ジャリア兵たちは顔を見合せると、いっときの酔いも忘れたように真顔でうなずき合った。それは確かに、彼らにとってはなかなか重要な情報であったのだ。
「まことか。それはまことにあの、コルヴィーノ一世なのか?見間違いではなく」
「ええ、おそらくは。黒いフードで顔は隠しておりましたが、そばにはなにやら高貴な女性二人を連れて、数名の騎士に護衛されている様子でした。その騎士の鎧は、どうもトレミリア風のものであったような」
「トレミリア騎士の護衛……なるほど、間違いはなかろう」
「ですな」
「レイスラーブから船で脱出した国王の一行は、おそらくコス島に向かったと思われていたが、おそらくはコス島での補給をおえて、大陸に上陸したのだろう。トレミリアへゆくとしたらスタグアイを経由するのが近道のはずだが、あるいはミレイにいる我々ジャリア軍の情報を知り、アングランドへ迂回したというところではないか」
「たぶん、そうに違いないでしょうな。アングランドということは、いったんセルムラードに入ってから、あらためてトレミリアを目指すということでしょう。トレミリアの友国であるセルムラードの領内であれば、より安全に移動できると」
 二人のジャリア兵がひそひそと言葉を交わす。レークは知らぬ振りをしながら聞き耳を立てていた。
「ふむ。これはやはり、いったん王子殿下に報告した方がいいだろうな」
「ええ、それがいいでしょう。特別の報奨もあるかもしれませんし」
 どうやら二人のうち、髭を生やしている方が上官であるらしい。
(縮れ毛の方は部下ってところか)
 そう見て取ると、レークは頭の中で忙しく方策を巡らせた。
「おい、お前。レンクとやら」
「へい」
「傭兵にするかどうかはともかく、我らと一緒に来てもらおうか。そして隊長閣下の前で詳しい話をしてもらいたいが。どうだ?」
「へ、へえ。それはもう」
 にこにこと愛想よくうなずいて見せながら、内心でにやりとする。
「もちろんでさ。栄えあるジャリア軍さまにお近づきになれるんでしたら、料理でも洗濯でもなんでもしまさあ」
「お前は面白い奴だな。では、明日の日の出から半刻のときに、北門の外に来い」
「へい、このバコサートの北の門ですね。分かりやした」
 そうと決まると、レークはさらに店の主人に酒をもって来させ、しだいにいい具合に酔っぱらってきたジャリア兵をおだてながら、少しでも多くの情報を聞き出そうとした。
 こうして分かったことは、ジャリア軍は現在ウェルドスラーブの北端の都市バーネイとスタンディノーブル城の両方に兵を集結させ、そこからロサリィト草原への進軍を開始しているということであった。また同時に、自由国家ミレイを牽制しておくという意味からも、このバコサートの北側に部隊を配置しているという。
(つまり、バーネイからスタンディノーブルへという、マトレーセ川ぞいのラインを固めながら、草原での戦いに向けての準備を着々としてるってことだな)
 アストラル体となって見てきた通り、いまや首都のレイスラーブを含めウェルドスラーブの主要都市は、ジャリアの支配下に下ってしまったということである。
 そして、次は、
(ジャリア軍は草原を渡って、トレミリアへ……か。なにもかもエルセイナの予測通りってワケだな)
 おそらくもう数日もすれば、ジャリア軍は草原での布陣を整え、進軍を開始するに違いない。
(そうなっちまえば、あとはただ正面からジャリアと戦うしかなくなる)
(なんとか、なんとか少しでも……)
 有利に立てる要素を見つけておくにこしたことはない。セルムラードの援軍があてにできるとはいえ、最強と言われるジャリア軍を相手にして、正面きって戦うのは、トレミリアにとって苦しい展開になることは目に見えている。
(よし。やはり、もう一度、ジャリア軍にもぐり込むか)
 適当なところで酒場をあとにして宿に戻ると、待っていたブロテにことの成り行きを話して聞かせた。
「それは、しかし……危険ですな」
 生真面目なブロテは、部屋に一人いても酒を飲んでいたわけでもなく、言われたようにただちに動ける準備をしたまま、レークの帰りを待っていた。
「危険は承知よ。だが、それ以上に有益な情報が得られるってもんだぜ。断崖に近づかねば青い花は摘めない、ってやつよ」
「ですが、」
 ブロテは腕を組んだ。レークと違い、突飛な単独行動などはしたこともない、トレミリアの名高い正騎士である。
「もちろん、ある程度の情報をつかんだら、すぐに敵の中から脱出するさ。なあに、オレはそういうのに慣れてんだ。あのスタンディノーブルの戦いだって、そうだったろう」
「それは、そうでしたが、しかし……」
「あんたでは、ジャリアにもその名は知られてるだろうしな。なによりそのガタイだ。目立って仕方ねえ。なので、いいか。オレがジャリア軍に潜入したのを見届けたら、敵が動きだしても、無用には近づくな。決して見つからないよう距離をとって付いて来い」
 すでにもうこの計画は決まったものだというように、レークは続けた。
「もし、いいか……もし、オレになにかがあっても、助けようなどとは思うな。オレは自分でなんとかできる。だから、そうなったら、あんたはすぐにトレミリア軍に合流することを考えろ。いいか、命がけなのは、あんたもオレも変わらないんだからな」
「はい。それはもう」
「そうだな、そのカリッフィの剣はあんたに預けておく。剣を二本も持っていちゃ目立つしな。あんたなら、その剣は短剣みたいに扱えるんじゃないか?」
「ええ、失礼してさきほど、ちと抜かせてもらいましたが、これはいい剣ですな」
 カリッフィの剣を手にしたブロテは、その太く丈夫そうな剣を軽く動かしてみた。
「いずれはオレに必要になるときが来るかもしれん。そのときまではあんたが持っていてくれ。それから、そうだ……」
 レークは左手の指輪を外すと、「これを渡しておく」と、ブロテに差し出した。それは、アレンからもらった魔力の指輪であった。
「目印っていうかさ、これを付けていれば、あんたのいる場所が分かるんだよ」
「それは、不思議なものですな」
「まあな。オレの持っているこの短剣と、反応し合うっていうのかな」
 水晶の魔力については詳しく話すのはまずいだろうと、レークはそう適当に言った。
「とにかく、そんなわけだ。その指輪を身につけていてくれ」
「分かりました」
 ブロテは受け取った指輪をはめようとしたが、彼の太い指にはとてもはめられそうにない。
「ううむ。これはちょっと……」
「指が無理そうなら、革袋にでも入れておいてくれ。なくさないようにな」
「では、そうします」
「いいか、くれぐれもオレを心配して、ジャリア軍に近づきすぎないようにしろよ。あんたまでが捕まっては元も子もないからな。オレは一人でも自力でなんとかできるし、その指輪をあんたが持っていれば、どこにいてもきっと合流できる」
「ええ」
 納得したような、しかしまだいくぶん心配なような顔で、ブロテはうなずいた。
「そうだな……三日、これから三日のうちに、もしオレが戻らなければ、あんたはそのままトレミリア軍に合流するんだ。ロサリイト草原の西端か、ヨーラ湖までゆけば、仲間たちが見つけてくれるだろうさ」
「レークどのは?」
「オレのことは心配するなって。ちょっとばかり傭兵のふりをしてジャリア軍の中で情報を探ったら、すぐに逃げ出すさ。なあに、アラムラ森林に逃げ込んじまえば、追手に見つかることもないさ。それから、ええと……」
「他になにか?」
「いや、その……もし、クリミナ、騎士長に会うことがあったらさ、オレのことは心配するなって、そう言っておいてくれ。まあ、心配なんぞ……はなからしてくれてないかもしれないがな」
 照れたように頭を掻くレークに、ブロテは真顔でうなずいた。 
「わかりました。伝えます」
「よし。じゃあ、夜明け前には出発だ。あとで宿のおかみさんに金を払って、たんまりと食料をいただいておこう。町を出るまでは、あんたと一緒だからな。なに、そんな心配そうな顔すんなって。これが最後の別れになるわけじゃねえし。でもまあ、軽く一杯飲もう。大きないくさの前だ。互いの無事を祈って、な」
 二人酒を注いだ杯を打ち合わせ、互いに尊敬し合う戦士として相手を見やった。
 明日からの新たな旅を思い、これから大陸中を巻き込むだろう大きな戦いが始まってゆくことを、静かな高ぶりと緊張感の中に感じながら。


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