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これまでのあらすじ

大国ジャリアによるウェルドスラーブへの進攻を危惧し、トレミリアから援軍部隊としてを出発したレーク、クリミナら。
ウェルドスラーブの首都レイスラーブに到着して早々、国境の城がジャリア軍に包囲されているとの報を受けると、レークは志願して単身でスタンディノーブル城へ赴く。
ジャリア軍との激しい攻防戦のすえに、レークは辛くも城から脱出。クリミナと再会をはたすも、トレヴィザン提督より新たな使命を受けた二人はアルディへと渡ることとなる。
都市国家トロスにて、革命の貴公子ウィルラースと面会を果たすが、今度はセルムラードの女王フィリアンに会うことを要請される。
森の王国セルムラードに辿り着いた二人は、女王と謁見、ウィルラースからの書状を届け、援軍の約束をとりつける。レークは地下の神殿で不思議な宰相エルセイナと言葉を交わし、水晶剣の秘密やその力についてを聞かされる。
そして、セルムラードを出発したレークとクリミナはコス島に渡り、女職人の町メルカートリクスにて、セルディ伯やブロテらトレミリアの仲間たちとの再会を果たすのだった。





 水晶剣伝説 Z 大森林の行軍


T

「レークどの、本当に、よくもご無事で……」
「ああ。お前もな、ブロテ」
 メルカートリクスの町の宿にて、思いもかけぬ再会を果たした二人の騎士……レークとブロテは固く握手を交わし、あらためて互いの姿をじっくりと確かめた。
「しっかし、ほんとよく無事でここに来られたもんだな。えらい戦いのあとだったんだろう?その怪我は大丈夫なのか」
「そう……レイスラーブは、陥落しました」
 血のにじんだ包帯を左肩に巻いたブロテは、その傷だらけの顔に痛恨の表情を浮かべて言った。
「我々は、こうしてなんとか脱出しました。さるお方を護衛するために、やむなく……同胞を見捨てることになってしまった」
「……」
 レークは分かっているというように、ブロテの右腕をぽんと叩いた。
「おっ、セルディのだんなも」
「ひさかたぶりですな、レークどの」
 こちらも久しぶりに会うセルディ伯が、まだ驚きから覚めぬような顔で、レークの前に立った。部屋の中には、他にも何人かの見覚えのあるトレミリア騎士たちの顔が見えた。
「ところで、クリミナどのも一緒というのは、まことなのか」
「ああ、本当だよ」
「おお……そうか。ご無事でおられたか。よかった……ああ、ジュスティニアよ」
 セルディ伯は、この戦いの間にげっそりとやつれたようで、旅の初めのころの貴族然とした優雅な面影はすっかりなくなってしまっていたが、その疲れはてた顔に、今はほのかな希望の光を覗かせてうなずいた。もともと、伯がクリミナを崇拝していることは、フェスーン宮廷の中でもよく知られている。彼女の無事を知って、よほど嬉しいのだろう。
「よう。クリミナ。上がって来いよ」
 レークが階下に向かって呼びかける。セルディ伯は、彼女を呼び捨てで呼んだことに、むっとしたようにやや眉を寄せたが、ほどなくして階段を上がってきたその姿を見ると、その声を震わせた。
「おお……クリミナどの」
「まあ、セルディ伯さま」
「おお、よかった……ご無事で」
 セルディ伯は、まるで今にも泣きだしそうな表情で、クリミナの手を握りしめた。
「おう……あなたが無事でいることが、なによりも私を元気づける」
「まあ、ありがとうございます。伯もお元気そうでなによりです。それに……ブロテに、他のみんなも」
 トレミリアの仲間たちを前に、クリミナは驚きながらも嬉しそうに微笑んだ。
「みんな、よく無事で」 
「クリミナさま」
「クリミナさま!」
 部屋にいた騎士たちも次々に寄ってきて、彼女の手を取った。中には感極まったように涙を流すものもいた。
「クリミナさま、またお会いできて嬉しく思います」
「よくぞ、ご無事で……」
「みんな……」
 久しぶりに見る仲間たちの姿に、クリミナもうっすらとその目に涙を浮かべた。
「クリミナどの。ずっと……ずっと、心配していましたぞ」
 セルディ伯は人目もはばからず滂沱と涙を流しながら、またクリミナの手を取った。
「よかった。本当によかった。お父上のオライア公にも、これでよい報告ができます。もし、もしも、あなたになにかあったなら、この身を引き裂いてでも、お詫びをしなくてはならなかった」
「そんな……伯。大げさです」
「ともかく、よかった。ジュスティニアよ、感謝いたします!」
 いささか大仰に両手を組み合わせるセルディ伯を前にして、クリミナはやや困ったように微笑んでいた。
「さあ、方々、ともかくお部屋にお入りを。ここでこのようにして騒いでいては、この宿にも無用な迷惑をかけてしまう」
 ブロテが言うと、人々は再会の感動の余韻を一段落させ、粛々と部屋に戻り扉を閉めた。
 あらためてレークとクリミナを部屋に迎え、にわかに騎士たちの中に活気が蘇ったようだった。そこにいる誰もが長い戦いに疲れ、身体のどこかを負傷しながら、戦場を後にしてきていた。それぞれが重苦しいものを背負っていたが、彼らの表情には、長く離れていた仲間に再会できたことの喜びが、とくにクリミナ、レークの二人を崇拝するものたちにとっては、それが、生き生きとした目の光となってあふれていた。
「レークどの、クリミナどの。お二人とここで再会できたのは、神のおぼしめしのような気もしますな」
 騎士たちとともに円になって床に腰を下ろすと、外には聞こえぬくらいの低い声でブロテが話しだした。
「というのも、じつは……我らは、とある大切な御方をかくまっているのです」
「ああ、知っているよ」
 レークはあっさりとうなずいた。
「ウェルドスラーブの国王陛下だろう」
「なっ、」
 ブロテはその普段は細い目を見開いて、言葉を失った。そばにいるセルディ伯や他の騎士たちも、さっとその顔を緊張させる。
「どうして、それを……まさか、もうすでに外に情報がもれているのか」
「いや、まあ、その……な」
 にやりと笑って、レークは頭を掻いた。
「勘だよ、勘」
「勘ですと?それにしても……」
「なんとなく……さ。そういうこともあるかなって」
 まさか、アストラル体となってレイスラーブまで飛んでゆき、この目で実際に見たからだ、などとは言えない。
「さすがといいますか。鋭いですな」
「それに、王妃とトレヴィザン提督の夫人も一緒にいるんだろう?」
「レ、レークどの……」
 ブロテは、今度こそまるで不気味なものでも見るように、レークをじっと見た。
「また、どうして、そこまでのことを」
「いや。たぶんさ。王様を助けたんなら、王妃さまも……ってこったよ」
 感心したブロテは、横にいたセルディ伯と顔を見合わせた。
「ははあ。さすがというか、じつに見事な勘ですな。もうそこまでご存じなら話が早い」
 ブロテは立ち上がって部屋の奥へゆき、カーテンで仕切られたその向こうへ入っていった。
 ややあって出てくると、そこに一人の人物を連れていた。とたんに部屋の空気がさっと緊張するのが分かった。
「あなたは……」
「そちは確か、レークどのであったな。それに、クリミナ・マルシィ姫も」
「コルヴィーノ陛下」
 クリミナがひざまずいた。
 ブロテやセルディ伯、他の騎士たちも、友国の国王への深い敬意を表して膝をついた。
「よいよい。いまさら。こんな宿の一室で、共寝をするような間に礼議もなにもないわ」
 コルヴィーノ一世は人々に向かってうなずきかけた。
 三十半ばほどのウェルドスラーブ国王は、今は赤ビロードのマントも王冠もしておらず、ごく目立たないグレーの胴着と黒のローブという質素な姿であったが、その面差しにはさすが剛毅王として知られるような強い意志が感じられ、この宿の一室においても、決して敵に屈した敗国の王という様子ではなかった。 
「コルヴィーノ陛下にはすでにご存じかと思われますが、こちらは我がトレミリアの騎士、レーク・ドップ。クリミナ・マルシィ宮廷騎士長とともに、さきほどこの宿に着いたということです」
 そうブロテが説明すると、うなずいた国王はレークの方に歩み寄った。
「こんなところで再会しようとは、余も思わなかったぞ。我がウェルドスラーブのために、そなたも大変な働きをしてくれたと聞く。あらためて礼を言うぞ」
「ああ、どうも」
 相変わらずの横柄な態度のまま、ひざまずきもしないレークに、そばにいるブロテやセルディ伯などははらはらとして見守る様子だったが、国王はかつて一度会ったときに、もうレークの性質を理解していたのだろう、無礼を咎めもせず、ただにやりとしてその目を正面から見た。
「ふむ。やはりな。おぬしはいい目をしている。トレヴィザンにも負けぬくらいの、男の目をな」
「そいつはどうも。あのトレヴィザンのダンナみたく提督にはなれそうもないけどな」
「レーク、ご無礼よ」
 クリミナが横から囁いた。だが、むしろ国王は愉快そうに笑いだした。
「かまわん。なんだか余はな、この無礼な騎士どのがえらく気に入ったぞ」
 決死の覚悟でレイスラーブから脱出してきたブロテをはじめとするトレミリアの騎士たちは、はじめて見せるような国王の陽気な笑顔に内心で驚いていたが、これまでずっと重苦しかった部屋の空気が和んだことに、ほっとして顔を見合わせるのだった。
「では、落ち着いたところで、よろしいでしょうか。ともかくはまず、ここに至った経緯をもう一度確認し合うとしましょう」
 ブロテはそう切り出した。騎士の一人が国王のための椅子を持って来たが、国王は「かまわん。余も一緒に床に座るわ」と言って、どっかりと腰を下ろした。
「余は床でいいが、サーシャとティーナの椅子を頼む。誰か二人を呼びにやってくれ」
「かしこまりました」
 騎士の一人が立ち上がり、部屋の外へ出てゆく。
「さすがに、おなごたちまで同室にするわけにもいかんでな。それぞれ別の部屋で休んでいる。クリミナどのは、たしか……サーシャもティーナにも面識があるのだったな」
「はい。ティーナ王妃とは何度もお目にかかっておりますし、サーシャさまとはトレミリア宮廷にいるころから、仲良くさせていただいておりました」
 トレヴィザン提督の夫人、サーシャはもとはトレミリアの姫君であった。
「そうであったな。久しぶりにあなたと会えれば、あやつらも嬉しかろう」
 国王は、そう言ってから、ふとその笑顔を曇らせた。
「その再会が、華やかな晩餐や社交の場ではなく、このような宿の一室であることが、なんとも心苦しいものだが。これも……運命というものか」
「陛下、ともかくはまず、私から簡単なあらましを説明いたしましょう」
 一礼してブロテが話しだした。
「レークどの、クリミナどの、お二人のために、しごく簡単に事態の推移をお話しすると、スタンディノーブル城から兵たちとともに脱出した我々は、直後にジャリア軍の待ち伏せを受け、混戦の中で兵員を削がれながらも、なんとか追手を振り切り、オールギアに到着しました。そこでトレヴィザン提督率いる一軍と合流、クリミナどのともそこで再会いたしました」
「そうでしたね」
「それから、トレヴィザン提督は部下の兵員とクリミナどのをともなって、トールコンへ南下され、我々は生き残った兵たちとともにレイスラーブへ向かいました」
「ええ、私はトールコンでレークと再会し、そこでトレヴィザン提督より、アルディのウィルラースさまへ密書を届けるという役目を、レークとともにさずけられたのです」
 クリミナの言葉に、ブロテや騎士たちがうなずく。その中でも、とくにセルディ伯は、久しぶりに彼女のそばにいることが嬉しくてたまらぬ様子で、その顔をいくぶん紅潮させて大いにうなずいていた。
「そうだったのですか。なんとも大変な役目で、さぞご苦労をされたことでしょうな」
「ありがとうございます。セルディ伯。しかし、レイスラーブに留まり、ジャリア軍と戦われた伯たちこそ、その勇気と、騎士としての強い使命をまっとうされたことに、心より敬服いたします」 
「いやあ、なに……」
 彼女が現れるまでは、青白い顔で意気消沈し、やつれ果てていたセルディ伯は、今はすっかり元気を取りもどしたかのように目を輝かせ、不精髭の生えたあごをしきりになでつけた。
 ブロテは続けた。
「そうして、レイスラーブへ入った我々ですが、それから数日ほどはまったく静かな日々が続きました。もちろん、やがて来るジャリア軍との戦いに備えて、城壁や城門の守りを固め、フレアン伯を中心にして、兵員の配置などを考えに考え、都市の防衛戦の準備をいたしました」
 その言葉はあくまで冷静であったが、他の騎士たちはみな、唇をかみしめるようにして聞いていた。ほんの数日前の戦いの記憶を、それぞれ一人一人が蘇らせているのだろう。
「ジャリア軍の攻撃が始まったのは、その五日後くらいのこと。はじめは、火矢と投石によるごく当たり前の小競り合いでしたが、一日ごとに敵の兵員の数が明かに増えてゆくのが分かりました。おそらく本国からの増員があったのでしょう。さらに三日後になると、いよいよ本格的な包囲攻撃が始まりました」
「トレヴィザン提督は、やっぱり戻ってこなかったのかい」
「ええ。提督はヴォルス内海にて、アルディ海軍と交戦しており、おそらくは現在もまだ交戦中であるとの……」
 そのとき、部屋の扉が開いた。
 さきほど出ていった騎士が、うやうやしく一人の女性を招き入れた。
「提督夫人サーシャさまをお連れしました」
「ごきげんよう、みなさま。そして陛下」
 そう貴婦人の礼をしたのは、黒髪を肩の上で切り揃え、ごく質素な黒に近い紺色のローブをまとった、すらりとした美しい女性であった。
「おおサーシャか。すまなんだな、せっかく休んでいた所を」
「いいえ陛下、私なら大丈夫でございます。ただ、ティーナさまの方は、やはりお疲れのご様子で、もうしばらく休ませていただけたらと思います」
「そうだろうな。慌ただしい危険な夜の船旅で、あれもさぞ恐ろしかったであろう。さあ、こちらへ座るといい。飲み物でも用意させよう」
「はい」
 さすがにトレミリア出身の姫君というべき優雅な足どりで、女性はこちらにやってきた。
「まあ、クリミナ。本当にあなたなの?」
「サーシャさま」
 立ち上がったクリミナに近寄ると、女性は嬉しそうにその手をとった。
「まあ、久しぶりだわ。こんなところで会えるなんて」
「ええ、サーシャさまもお元気そうで」
「そんな呼び方はよして。前みたいに、サーシャ姉さんって呼んでいいのよ」
 トレヴィザン提督夫人、サーシャはトレミリアのレード公爵の長女であり、クリミナの幼なじみであるナルニアの姉である。ご存じのように、クリミナの父であるオライア公爵とレード公爵は親友といってもいい間柄であるから、二人が幼いころから頃から家同士の交流があり、サーシャがウェルドスラーブへ嫁ぐまでは、妹のナルニアとともに、三人は仲良く連れ立って遊んでいた仲であった。
「でも嬉しいわ。久しぶりにクリミナの顔が見られて。あなたも、ずいぶんと大人っぽく、それに綺麗になったわね」
「ありがとう、サーシャ姉さん」
 二人はくすくすと笑いながら、手を取り合い、あれこれと思い出話を始めた。国王をはじめ、ブロテやレークも、二人の会話の邪魔をしていいものかというように、しばらく黙り込んでいたが、当のサーシャの方がそれにようやく気づいたように周りを見た。
「これは、失礼いたしました。陛下の御前であるというのに、ついなつかしい人の顔を見て、はしゃいでしまいました」
「ああ、よいよい。そういえば、クリミナどのとは小さい頃からの友であったと聞いていたからな。さぞなつかしくもあろう」
「はい。妹のナルニアと同じ歳なので、私にとってはまるで妹が二人いるようなものでございました」
「そうか。それは花のような姉妹よの。そこにティーナも加われば、またな。トレミリアの姫君たちは誰もみな美しいな。かつて余も、一目で花のようなティーナを気に入ったものだが」
 国王はやや照れたように、ひとつ咳払いをした。
「ところでサーシャ。今はちょうどトレヴィザンの話をしていたところだったが、あやつのことだ、きっといまだ勇敢に船で戦っておるに違いない。あまり案ずるなよ」
「お気遣いありがとございます。陛下」
 彼女は国王に一礼すると、
「されど、私もいわば船乗りの妻でございます。夫が船に乗り、そして戦いに出向いておりますれば、その命の有り無しは天が決めますもの。残されたものはジュスティニアと海神アルヴィーゼのご加護をただ願うのみで、心配に胸痛めるよりは、自らのなすべきことをしながら夫を待つ所存でございます」
 その毅然とした言葉に、国王はもとより、その場の騎士たちもまた大いに感心した。
「天晴れだな。さすがはトレヴィザンの選んだ妻。父上のレード公も素晴らしい武人であるが、その娘もまたその血を引き継いでおるというわけだ」
「おそれいります。ですから、私のことはお気になさらず、お話を続けください。ウェルドスラーブの存亡の危機に、海で戦う夫とともに、私も心の中で戦っておりますから」
「気丈なるサーシャさまのお心、敬服いたします。陛下と王妃殿下ともども、我らが命にかえましてもトレミリアまで無事にお連れいたします」
 ブロテはうやうやしく騎士の礼をした。
「では、続けさせていただきます。サーシャさまはどうぞ、そちらにお座りください」
「ありがとう」
「さて、さきほどのレイスラーブでのあらましですが、都市の城壁を取り囲んだジャリア軍は、いくつかの城門塔に狙いを定め、そこへ徹底的な火矢と投石を開始してきました。城壁の守備兵の数を増やし、手薄になったところに配備すると、今度は敵は別の城門塔への激しい攻撃を始めるという具合で、昼夜を問わず丸二日間の執拗な攻撃で、我々はすっかり疲弊しました。城門塔のいくつかは破壊され、多くの守備兵が犠牲になりました。このままでは、敵の圧力の前にレイスラーブは徐々に鎧をもぎ取られるようにして弱らされてゆくと。我々は城の広間にて緊急の会議を開きました。そこで、今後の対策を練るとともに……」
 ブロテはコルヴィーノ王の方に向き直り、胸に手を当て騎士の礼をした。
「フレアン伯から、万一のときのために陛下の護衛と、その脱出のお手伝いを強く懇願され、私とセルディ伯はそれを了承しました。もしものときは、少しばかり強引にでも陛下をお連れし、船で脱出するという手筈で」
「それで卿は余の自室に押し入って、まるで拉致するようにして、無理やり余を引っ張っていったのだな」
「どうか、ご無礼をお許しください。また王妃殿下にも、恐ろしい思いをさせてしまったことと存じます」
 うやうやしく頭を垂れたブロテに、王は軽く手を上げた。
「いや、よい。いまとなってはな。ティーナも、ここにいるサーシャも、あのまま王宮にいては、おそらく、敵どもの前で自害して果てるしかなかったことだろう。そして、それは余とて同じ。あらためて礼をいうぞ。ブロテ卿、そしてセルディ伯、トレミリアの騎士たちよ。我らがこうして生きているのも、そなたたちのおかげ。だが……」
 ぐっと口元を引き結んだ国王は、なにかに耐えるようにうつむいた。
「フレアン伯、マルカス公、フェーダー候……みな余のよき友であった、あやつらはどうなったのか……、それに、都市では多くの市民たちが犠牲になり、あるいはまだ生き残っているものもいるだろうに。余は、余は、そんなものたちを見捨てて、己だけが逃げ延びたのだ。なんたることよ……」
「それでも、陛下あってこそのお国です」
 国王の横に座るサーシャが励ますように言った。
「私も陛下とともに港に連れてゆかれたときは、最初は恐ろしくて、これからどうなってしまうのかと思いましたけど、今思えば、あのとき決死の覚悟で私たちを救ってくださった、セルディ伯以下の騎士がたには、ただ感謝するばかりです」
「うむ、そうであるな。余は心弱いことを申した。それにまだ、我らは、まだ敗れたわけではない。海ではトレヴィザンが戦っている。そして、アルディのウィルラース卿も、我らに加勢してくれたと聞く」
「そうそう。そのウィルラースさんへ使いを頼まれてさ、オレたちはそれはもう、とてつもない大変な冒険をしたんだぜ」
 レークは、さっきから黙って人の話を聞くばかりでうずうずしていたとばかりに、ここぞと話に割って入った。
「そりゃもう、船からの脱出に、山賊との遭遇、大立ち回りの果てに監獄からの脱出劇、そして、あの謎めいた伝説の都市国家トロス……そりゃあもう、きっと誰も体験したことのないような、凄まじい冒険に継ぐ冒険だったのだ」
「それはなんとも、物語のようなお話しですな。ぜひとも詳しく伺いたい」
 ブロテや騎士たちが、引き込まれるように身を乗り出すと、レークはさらに調子に乗った。国王の御前であることもおかまいなしに、彼はアルディからトロスへと辿り着く旅の顛末を、身振り手振りをまじえて、ときに事実よりもずいぶん大仰に語って聞かせたのだった。
「……というワケで、革命の貴公子ウィルラースとトロスでの会見を果たしたオレは、ここにウェルドスーブとの共闘の約束を取り付けたのである」
「それは、なんとも……すごい冒険だったのですなあ」
「そうさ。まさに、生きるか死ぬかの大冒険よ。こうしてオレたちは、己の生死をかけて、その使命を見事にまっとうしたんだ」
 感心しきりのブロテや騎士たちを見回して、レークはすっかりいい気になると、いかにも苦労の旅を共にしてきたという親しみをこめて、クリミナに言葉をかけた。
「なあ。あの旅の道中……本当にいろいろあったよなあ」
「え、ええ。そうね」
 いくぶん苦笑気味にうなずく彼女であったが、その横ではセルディ伯が、なにやら面白くなさそうな顔で「ふん」と鼻息をついていた。
「さらにオレたちの冒険は続く。ウィルラース卿から託された書状を手に、オレたちはあの森の王国セルムラードを目指したんだ」
 レークは、森の中での遭難寸前の冒険と、数百の山狼たちに囲まれ(じっさいには数十頭)、いかにしてそれを切り抜けたかという活劇の様子を、またしてもシナリオを書いてもこうもドラマティックにはいくまいというような大仰さで、人々に語って聞かせた。
「そして、辿り着いた山の上の都市。美しいエメラルドの城と、美貌の女王との会見……なにもかもが、まるで物語か、そう、吟遊詩人のサーガのような出来事だったぜ」
 うっとりと目を閉じて、追想に浸るレークの様子に、さしもの剛毅なコルヴィーノ王すらも、そこに溢れる騎士めいたロマンの香りを感じたように、その目を輝かせるのだった。
「なんと……では、二人は、ウェルドスラーブからアルディへ、さらには都市国家トロスに入り、そこでウィルラース卿と会い、そして次にはセルムラードへゆき、フィリアン女王とも会見をされたというのか」
「ああ、そうさ」
「それは、大変な……というか、信じがたいような東奔西走でしたな」
 事実よりも二割がたは誇張されたろうその壮大な冒険譚に、ブロテや他の騎士たちは、大変な感心と感動を覚えたようで、誰しもが息をのんで唖然となっていた。
 そのとき、部屋の扉が開かれて、誰かが入ってきたことに誰も気づかなかった。
「まあ、なんだかにぎやかなこと」
 人々がはっとしてそちらを振り向いた。
「おお。これは、ティーナさま」
 そこには、侍女をともなった若く美しい女性が立っていた。
「なんだか、勇敢な冒険のお話が漏れ聴こえてきましたので、」
 とたんに、コルヴィーノの王の表情が和らいだ。王は、彼の妻のために立ち上がっていって、その手をとった。
「おお、ティーナ。大丈夫か?疲れてはいないか?まだ休んでおってもよかったのに」
「大丈夫でございます、陛下」
 ティーナ王妃は貴婦人の礼をすると、可愛らしくにっこりと微笑んだ。
 ピンク色の胴着の上に、毛皮のついたシェルコットを羽織り、きらきらと輝くような金髪を後ろにまとめて、それを宝石入りの髪飾りでとめた可愛らしい姿は、逃げ落ちた国王の妻というような惨めさは微塵もない。若さのせいもあったであろう、彼女は生き生きとして美しく、まさしくカルヴァの赤い花のような華やかな印象であった。
「ニーナがいてくれて助かりました。彼女がお着替えや、私の大切なアクセサリーをいくつか持ってきてくれていましたから」
 横に仕える侍女がうやうやしく頭を下げる。
「それにトレミリアへ戻れるのなら、わたくしちっとも悲しくはありません。だって陛下も、それにサーシャも一緒だし、あら」
 そこまで言って、王妃はやっと、この部屋の中に見たこともない人間がいるのに気づいた。
「あなたは……」
「王妃殿下、こちらはトレミリアのクリミナ・マルシィさまと、騎士のレーク・ドップ卿です。ご安心ください、我らの盟友でございます」
 王妃は、説明するブロテの言葉にうなずくでもなく、クリミナの方を見た。
「あなたは知っていますよ。クリミナさま。何度かお会いしているし、それにずっと昔、フェスーン宮廷のオライア公爵の晩餐で、ご挨拶したこともあります。あのときは確か、妹のカーステンと一緒でしたわね」
「はい、王妃殿下」
 クリミナはひざまずいて胸に手を当て、王妃に対する騎士の礼をした。 
「おひさしゅうございます。こうして直接お言葉を交わすのは、確かにそのとき以来になるかもしれません。ティーナ殿下にはますますお美しくなられ、このような状況におかれても、その輝きは増すばかりでございます」
「あの子……カーステンは元気にしているかしら?」
「はい。私が知るかぎりではお元気で、もう十五歳になられまして、ますますティーナ殿下のようにお美しくなられたと、宮廷内でも評判でございます」
「そう。そうでしょうね、もう二年くらいは会っていないのだから。ああ、カーステン、それにミリアにも早く会いたいわ」
 まだ十八歳になったばかりの、少女のような顔つきで手を組み合わせる。
 王妃ティーナは、クリミナよりも歳はふたつほど下であったが、現在のウェルドスラーブ王妃という立場はもとより、かつてのトレミリア宮廷においても、もっとも王家に近いマルダーナ公爵家の長女として位の高い姫君であったから、たとえばサーシャやナルニアのように気軽に会ったり、連れ立って遊んだりするようなことはなく、クリミナにとっては常に敬意をはらう存在であった。ティーナの方も、幼少の頃からずっと、身分ある姫君としてかしずかれてきた、誇り高き王家の血筋をそのままに持った性質であった。
「そういえば、カーステンからの手紙では、なんでも、とても素敵な家庭教師を見つけたとか聞いたけど……確か、元剣士の、名前はええと、」
「アレン。そいつはアレイエン・ディナースってやつだ」
 横から言葉をかけられて、王妃はきっとそちらを見た。
「そなたは?」
「レーク。さっきブロテが紹介しただろう」
 とたんに王妃は眉をつり上げた。
「なんと、無礼な。その口のききようは」
「ああ、こりゃどうも。失礼しやした。王妃殿下サマ」
 ぼりぼりと頭を掻く野蛮そうな様子に、王妃は一瞬言葉を失ったようだった。
「なっ、なんなのです。この無礼な男は!」
「王妃殿下、ご無礼をお許しください。このものは、現在は我がトレミリアの騎士なれど、もともとは粗暴な浪剣士でございます」
 クリミナがあわてて取りなす。その間にも、レークの方はいっこうに申し訳なさそうでもなく、唇を突き出しながら、こきこきと首を鳴らしていた。
「それでも、このもの、今回はウェルドスーブのために大きな働きをいたしましてございます。言葉の端々は無粋で無頓着でございますが、決して悪気があるわけではありませぬ。殿下にはご不快でしょうが、どうかお許しくださいますよう」
「なんとも、このような騎士がトレミリアにいたなどとは、わたくしは知りませんでした。もとは浪剣士とか。なんとも嘆かわしい。そのようなものが、雅びなトレミリア宮廷に出入りしているなど」
「へっ、そのようなもので、すみませんでしたね……うぐっ」
 ふてくされたようにつぶやくレークを、クリミナとブロテが両側から小突いた。
「重ねてお詫びいたします。粗忽なる輩が王妃殿下に対して無礼な口をきかれましたことを。今後しっかりと教育して、騎士としてのあるべき振る舞いを身につけさせますので、なにとぞご容赦を」
「ははは。クリミナどの。そこまでせずとも。なあ、ティーナ」
 海の男のおおらかさからか、レークのことをそれなりに気に入ったコルヴィーノ王が、擁護するように言った。
「剣も強く、心胆も強く、常に自然体にふるまう。それが真の達人というものだ。それに、彼の働きは、いま話を聞いていても、それは大変なものだ。わが国にとってはもちろん恩人であり、トレミリアにも彼は大切な騎士であり、大きな存在であろう。少々の無礼など、命をかけた働きの前にはどうということもない。たとえばトレヴィザンのように、このレークどのも器の大きな男なのだよ」
「陛下がそう仰られるのならば」
 それでもティーナ王妃は、まだレークが気に食わないように、最後にじろりと睨み付けた。
「そうだわ。あなた、いまアレン……と、申しましたわね。カーステンの家庭教師という。妹の手紙に名前があったわ。あなたはその者をご存じなの?」
「ご存じもなにも」
 たったいま釘を刺されたことも忘れて、レークは王妃に唾がかかるほどの近さでまくしたてた。
「やつはオレの相棒さ。昔っからのな。ずっと旅をして、一緒に戦い、トレミリアにやってきたんだな」
「ま、まあ、そうですの」
 王妃は、いくぶん顔をしかめながらレークから離れると椅子に腰掛けた。
「だが、安心しなよ。あいつはオレみたいに礼儀知らずじゃないから。顔だってあのウィルラースさんに負けねえくらいのもんだし、なにより頭もいい。なにせ、あんたの妹……カーステンさんの方から、アレンを教師にご指名したって話だからな」
「そうなのですか。それは、フェスーンでお会いするのが楽しみだこと」
 そう言うと、王妃はいかにも粗暴者と話をするのが疲れたというように息をつき、侍女に飲み物を持って来るように命じた。
「しかし、なるほど。こうして見ると、はからずもここに、トレミリアの大公爵の姫君たちが、揃ったというわけだな」
 コルヴィーノ王の言葉を聞くと、セルディ伯らトレミリアの騎士たちも、それに気づいたように「おお」と声を上げた。
「まこと、そうですな。マルダーナ公爵の姫君、そして今はウェルドスラーブ王妃殿下となられたティーナさま、レード公爵のご長女で、今はトレヴィザン提督の奥方であるサーシャさま、そして宰相オライア公爵を父上にもつクリミナさまと、これはまこと、いずれ劣らぬ美姫たちでありますな」
 感じ入ったように、セルディ伯は三人の女性を目で追いながらそう言った。だがクリミナはそれに言葉を返した。
「いいえ。ティーナ王妃殿下とサーシャさまは、それはもう大変由緒ある家柄と申せましょうが、私などは姫君などと言われるのは恐れ多い、ただの粗暴な一騎士です。マルダーナ、ロイベルト、サーモンドというトレミリア三大公爵家のお血筋は、それは高貴なものでありますけれど、王家の家系からほど遠い私などは、この場にてコルヴィーノ陛下やティーナさまたちとこうして近しくいるだけで、ただ恐縮するばかりです」
「まあ、クリミナは相変わらずお固いのね」
 くすりと笑ったサーシャが、ぽんとクリミナの肩を叩く。
「私の妹のナルニアの方は、あなたとは反対に遊んでばかりいるようだけど。そうそう、前にもらったあの子からの手紙にはね、あなたや、そちらのレークさんのことも書いてあったわよ」
「オレの?」
「そう。とても面白い人だって。本当でしたね」
「そりゃあ、どうも」
 レークは思わず頭を掻いた。
 艶やかな黒髪に目鼻だちが良いサーシャは、ふんわりとした雰囲気のいかにも姫君然としたティーナよりも、よほどレークの好みに近かった。人妻……それもトレヴィザン提督の夫人とはいえ、このような美人から笑いかけられて、悪い気がするはずもない。
「さて、それで、これからのことでありますが」
 実際的な話題を切り出す役目は自らにあるとばかりに、ブロテがそう話しだした。
「我々は、コルヴィーノ陛下と王妃殿下、提督夫人を護衛しながらトレミリアへ向かうということなのですが。それで異存はありませんかな?レークどの、クリミナどのも」
「ああ、そのつもりだ」
 レークはクリミナと顔を見合せ、うなずいた。
「オレたちの方も、セルムラードのフィリアン女王からの書状を届けるという役目もあるしな」
「では、あとはその準備と出発の日取りですな。おそらく、このコス島近辺まではジャリア軍も、アルディの海軍もまだ目を光らせてはいないでしょうから、さほど厳重に陛下たちを隠すこともないとは思いますが、それでも念のため、トレミリアの国境に入るまでは、お三方にはローブで顔を隠していただく。もちろん、陸路になれば、なんとか馬車を手に入れて、お乗りいただくことになるでしょうが」
「上陸するとなると、やはりスタグアイあたりがいいだろうな。あの町なら金を払えば馬車はすぐに用意してもらえる。オレたちもそうしてセルムラードを目指したからな」
「ですな。スタグアイから馬車で、マクスタート川にそって北上してヨーラ湖へ、そしてサルマを目指す、というのがもっとも近いルートかと思います」
「そのあたりは、トレミリアの方々におまかせする。なにより地理に詳しいことだしな。余も、妻も、多少の窮屈には耐えよう。身を切る思いで国を後にしてきたからには、なんとしても生き延び、ウェルドスラーブの復興を成さなければ、人々に申し訳がたたん」
 コルヴィーノ王はそう言うと、再び込み上げてくるものに声をかすれさせた。
「戦っているトレヴィザンはもとより、フレアン伯、マルカス公、フェーダー候、それに多くの騎士たちや兵たち、犠牲となった市民たち、彼らのためにも。余は……」
「わたくしも、お手伝いいたしますわ」
 王妃がそっと、横から王に手を重ねる。その様子にセルディ伯は立ち上がり、胸に手を当てた。
「コルヴィーノ陛下、ティーナ王妃殿下、そしてサーシャさまは、必ず我らがお守りいたしますぞ。ご案じめされますな」
「頼みます。いまとなっては、もう、私たちには、トレミリアの方々だけが頼り。陛下も私も、いずれくる王国再建のときを心に念じながら、いまは国を離れ、しばしの休息の時間を過ごすことにいたします」
 王妃の言葉に、セルディ伯をはじめ、そこにいた騎士たちはみな黙り込んだ。友国であり、トレミリアとともに長い歴史を刻んできた一国の王と王妃の運命の変転を思いながら。
「ともかく、今日はゆっくりとお休みになられ、明日またじっくりと思案いたしましょう。明日になったら旅の装備やその他の買いつけに、騎士たちを町へやらせます。陛下や殿下に必要なものがあれば、手に入れてまいりますので、どうかしばらくのご辛抱を」
 ブロテの言うように、今日ばかりはいくさのことを考えずに、ただゆっくりと眠ることを誰もが望んでいた。レイスラーブから命からがら脱出してきた人々は、身も心も疲れ果てていたし、とくに休むことなく船を漕ぎ続けた騎士たちはそうだったろう。
 コルヴィーノ王は安全のため、この大部屋の奥に寝所を作り、騎士たちに警護させて、そこで休むこととなった。ティーナ王妃は気に入りの侍女とともに別の一室で休み、サーシャはクリミナと一緒に一室をとり、トレミリアのセルディ伯に一室、そしてレークとブロテに一室、という振り分けで、それで二階の全部屋は満室であった。部屋の外には交代で騎士たちが寝ずの番をつとめ、おかみに頼み、宿の女中なども極力二階には来ないでくれるようにしてもらった。おかみは、そこにいるのは大変なお客なのだろうと察したようで、詳しい理由を尋ねることなく、それを了承してくれた。
「では、また明日。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
 クリミナとサーシャが向かいの部屋に入るのを見送って、レークも与えられた部屋に入った。寝台がふたつあるだけのごく簡素な部屋であったが、それで充分だった。
「……こらしょっと」
 服を脱ぎ捨て、レークは寝台に転がった。彼自身も、長旅の連続でかなり疲れていたのである。ブロテが部屋に入ってきたのは、それから少したってだった。


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