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 水晶剣伝説 Z 大森林の行軍


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「レークどの。もう眠ってしまわれたか」
「いや。ちょっとウトウトしてたけどな」
 国王を警護する騎士たちに遅くまで指示を出していたらしいブロテは、ようやく仕事が終わっていくぶんほっとしたように隣の寝台に腰を下ろした。
「どうした。柄にもなく緊張しているようだな」
 寝台で上半身を起こすと、レークはブロテの方を見た。
「それは、ウェルドスラーブ王が同じ宿にいるわけですから。万一のことがあってはと、気が気ではないですよ」
「まあそうだけどな。でもここはコス島だ。敵がいるワケもねえ。今日くらいはゆったりと休んだらどうだい。あのレイスラーブから脱出するのも大変だったようだしな」
「ええ。実際、ぎりぎりのところでした。港に押し寄せる敵兵たちがすぐそこまで迫ってきていましたので、多くの味方の騎士が犠牲になりました。それに、レイスラーブの市民たちも」
「ああ。あれは、こっちも見ていてはらはらしたぜ」
「は?見て……」
「ああ、いや……なんでもねえ」
 レークは慌てて言葉を濁した。自分がアストラル体となって、実際にあの場を見守っていたことをブロテに話したくて仕方がなかったが、それをぐっとこらえる。
「ともかく、こうしてここで再会できたのも、神様のおぼしめしってことだ」
「そうですな」
 実際には、セルムラードのあの謎めいた宰相、エルセイナのおぼしめしであったわけだが、それについても詳しく話をすることもないという気がレークにはしていた。エルセイナのことについて話せば、それはどうしても水晶剣や魔力うんぬんといったことに関わってしまう。そうしたことは、決して誰とも話をするなと、相棒であるアレンから日頃から徹底的に注意されてもいたのだ。
「しかし、これでいいのでしょうか……」
 ため息まじりにブロテがつぶやいた。
「というと?」
「ええ……つまり」
 その声がいくぶんひそめられる。
「これからのことですが、コルヴィーノ陛下らをお守りしながら、トレミリアヘ、つまりフェスーンを目指すというのはいいのですが、明日を旅の準備にあてるとして、出発できるのは早くとも明後日以降になるでしょう。そして、コス島を出てスタグアイに上陸してからは、おそらく馬車での道中になりますが、王妃殿下など高貴の女性もおられますから、どうしても早さよりは安全を考えなくてはならない。そうなると、スタグアイから、サルマまではどうしても二日はかかります。そこからフェスーンへとなると、休息をはさみながらさらに二日、つまり、どんなに予定通りにいっても、五日以上の時間がかかります」
「まあ、そうだろうな」
「しかし、ジャリア軍の勢いをみるに、おそらくこの三日のうちにはロサリイト草原での軍備を整えて、トレミリアへ向けて進軍してくるのではないかと。実際に、ロサリィト草原の東側には、すでに大規模な陣営が張られているようですから」
「ああ、確かにな」
 レークもうなずいた。
「このままウェルドスラーブ王を護衛して、フェスーンまでゆくとなると、その間にすでに草原では大きな戦いが始まっちまっている、ということになるかもしれんな。オレもそれはふと思ったよ」
「はい。ですがもちろん、大切な友国の国王をお守りするというのは、大きな役目だと思います。ですが……」
 ブロテは迷うように、小さく言った。
「トレミリアの同胞たちが、いよいよ大きな戦いを迎えようとしているというのに、それに参戦できないのは、いささか悔しいですな」
「だが、あんたは少し怪我もしているし、敵に包囲されたレイスラーブから脱出してきたばかりなんだから、トレミリアに戻ったら少し体を休めてもいいんじゃないか」
「こんな傷、ただのかすり傷ですよ。自分としてはすぐにでも剣を手にして戦いたいくらいです。レイスラーブでの鬱屈とした防衛戦と、そして仲間たちの犠牲を目の前にして逃げてきてしまったことが、どうにも自分は歯がゆいのです」
 剛直な性格の騎士であるブロテは、その大きな拳をぐっと握りしめた。
「その気持ちは分かるさ。オレも……オレもさ」
 口元を引きつらせ、レークもつぶやいた。
「ジャリアどもと戦いてえってな。この剣で、好きなものたちを守りたいってな……」
 アストラル体となって見てきた、あのレイスラーブでの光景……ジャリア兵たちに蹂躙される町の様子を頭に思い描きながら。
「オレもそう思うさ」
「……レークどの」
 ブロテの口調が変わった。
「今しがた思いついたことなのですが、私の考えを聞いてください」
「ああ」
 なにかを決意したような声に、レークは起き上がった。ブロテの寝台へゆき隣に座ると、二人は誰にも聞かれぬように肩を寄せ、ひそひそと言葉を交わした。

 翌朝、日の出と同じくらいに起き出したレークは、隣で疲れ切ったように眠っているブロテを起こさぬよう、音を立てずそっと部屋を出た。
 扉の外には、寝ずの番の騎士が床に座ってうとうととしていたが、レークの気配に飛び上がると、あわてて「異常なしです」と報告をした。
「ああ、ご苦労さん、もう朝だから、あんたももう休んでいいよ」
 まだ寝静まっているのか、他の部屋からは物音は聞こえてこない。やはり命懸けでレイスラーブを脱出してきて、誰もが疲れているのだろう。無理もないことであった。
 レークが階下に下りてゆくと、台所ではすでに起き出していた宿のおかみが、料理の仕込みをしていた。
「あら、おはようさん。早いねえ」
「まあな。おかみさん、なんか食うものあるかい」
「あるよ。昨日のスープの残りと、いまちょうど小麦粉をこねて、肉まんじゅうを作ったところさ。今あっためるから、待っておいで」
 テーブルについたレークの前に、温められたスープと、ほかほかの肉まんじゅうの皿が置かれた。さっそく湯気の立つまんじゅうにかぶりつく。
「うほっ。うめえ。中から肉汁がじゅわっと出てきて、こりゃあたまらん」
「あたしの特製だからね。ニンニクも効いているから力がつくよ」
 やはり城や王宮での手の込んだ料理よりも、こうした素朴な味わいの方が性に合う。レークは数口でまんじゅうを食べ終えると、スープを飲み干し、またおかわりのまんじゅうをもらってかぶりついた。
「ああ、うまかった。おかみさんのメシが食えるこの宿にならずっといてもいいな」
「そりゃあよかった。そう食べっぷりがいいと、こっちも嬉しくなるね。でも、上にいる貴族の人たちにはなにを出せばいいんだろうねえ。うちじゃそんな立派な御馳走なんかは作れないからね」
「大丈夫さ。たとえ王様だろうと、お姫様だろうと、この肉まんじゅうの味を分からないやつは馬鹿だよ」
 冗談めかしたレークの言葉におかみは笑ってうなずいたが、部屋にいるのは実際にウェルドスラーブの国王と王妃たちなのだから、それはつまり冗談でもなんでもなかった。
「ところでさ、このメルカートリクスは女職人の町だろう?つまり、腕のいい職人連中がいるってことなんだよな」
「そうさ、この町にはトレミリアのフェスーンにも負けない優秀な職人たちがいるよ」
 おかみは誇らしげにうなずいた。
「帽子職人、金物職人、金細工職人、馬具職人、武具の職人、靴職人、ベルト職人、手袋の職人、蝋燭職人、リュート職人、パン職人、乾果職人、その他にも、あらゆる種類の職人たち、それも女の繊細な感性を持った、優秀な職人たちの店が軒を連ねているのさ」
「つまり、剣を作る職人もいるんだよな。実は、腕のいい剣の職人を探しているんだけど、心当たりはないかい?」
「そうさねえ」
 おかみは、スープの仕込みのための野菜を切る手を止めて、考えるふうだった。
「武器屋なら、そう……夕日通りのオルファンとカリッフィの店あたりはどうかねえ」
「夕日通り」
「ああ、あそこは比較的若手の職人さんたちが店を構えていて、この一、二年くらいの間にけっこう評判になってきているんだよ」
「へえ、そうなのか。ありがとうよ」
「あら、もう行くのかい?」
「ああ、ちょっと、早く剣が欲しいんでな」
 レークが立ち上がったところへ、ちょうど二人の女性が階段から降りてきたのは。
「あら、早いのね」
「ああ。あんたらも、よく眠れたかい」
「おかげさまで」
 クリミナと一緒に降りてきたのは、トレヴィザン提督夫人のサーシャであった。彼女はレークを見ると、にこやかに微笑みかけてきた。
「おはよう。レークどの」
「ああ、どうも」
 このまま出掛けようとしていたレークであったが、どうしたものかと立ち止まったまま二人の美女を見比べた。
「どうしたの?じっと立ったままで」
「ああ。ええと……メシも食ったし、ちょっと散歩にでも行こうかと」
「そう」
 クリミナはちらりとサーシャを見た。すると、気の回る提督夫人はふっと笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、あなたも一緒に行ってきたら?」
「でも」
「私は大丈夫だから。おかみさん、なにか暖かいお茶でもいただけるかしら?」
「はいはい。ちょっと待っていてくださいね」
 さすが海の男の妻だけあり、サーシャは侍女や供のものがいなくとも平気な性分であるらしい。おかみがミルク入りのお茶を運んでくると、テーブルについた彼女はそれに礼をいい、美味しそうにお茶をすすった。
「私はここでお茶をいただいているから。もうじき他の方々も起きて来るでしょうし。あなたはお散歩に行ってらっしゃいな」
「はい。じゃあ……」
 クリミナはおずおずとして、レークに訊いた。
「行ってもいい?」
「ああ、いいけどさ……」
 二人はいくぶんぎこちなく顔を見合わせると、連れ立って宿を出た。
「どこへゆくの?」
「ちょっと、夕日通りってとこまでだ」
 二人は通りを歩きだした。
 晴れ渡った空には、昇り始めたアヴァリスがまぶしく輝いている。戦火の広がるウェルドスラーブからは遠く離れたこの島では、いつもと変わらぬ朝がまた来たにすぎないのだろう。通りに見かけるのは、水汲みの女たちが挨拶を交わしたり、店を開け始めた女職人たちが立ち話に興じたりする、ごく平和な朝の光景である。
 往来の人々は、レークらの姿に気づくと「おや」という顔をして、中には挨拶をしてくるものもいた。やはり女の町であるから、若い男性というだけで珍しいのだろう。
「おや、あんた。たしかトレミリアの騎士さんだね」
 中年の女職人らしき一人が声をかけてきた。
「ああ、レーク・ドップだ。こっちは宮廷騎士長のクリミナどのである」
 騎士らしくしようとばかりに胸を張って答えるレークに、横のクリミナがくすりと笑う。
「そうそう。あんたたち。ちょっと前にも見かけたよ。ええと、あれは、ひと月まえの祭りの晩だったかね」
「ああ、もうひと月になるんだな。あれから」
「おやまあ、あのとき見たときよりも、なんだか立派になりなさって」
 ごく質素なグレーの胴着を着て、白いもののまじりだした髪をきゅっとひっつめた女職人は、しげしげとレークたちを見比べた。
「おばさんは、なんの職人なんだい?」
「あたしかい。あたしはね、織物をやったり、革なめしもやったり、いろいろやるよ。もうこの町にきて四十年さ。最初はこの島に母親に連れられてきて、いやいや店の手伝いをしていたけどね。今じゃ母も死んじまったからね、あたしが跡を継いだのさ」
「そうなのかい。ところで夕日通りっていうのは、こっちでいいのかな?」
「夕日通りかい。あら、お前さんらはそこへゆくのかい」
「ああ、ちょっと武器の職人を探しにな。オルファンとカリッフィっていう名前の店、知ってるかな?」
「ああ、知っているとも。若手だけどなかなか腕のいい連中だよ。あと何年かすればきっと、大陸中からお客が来て、さらに名が上がるんじゃないかね」
「へえ、そうなのか。そいつは楽しみだ」
「なんなら連れて行ってやろうか?なに、あたしもちょうどそっちに届けものがあるんでね。そのついでだよ」
「おっ、本当かい。そりゃ助かる」
「よし、ちょっと待ってな。いったんあたしんとこから、届けものを持って来るからさ」
 そう言って、女職人は路地の向こうに消えていった。
 道端で二人が待っていると、しばらくして、なにやら包みを抱えて女が出てきた。
「待たせたね。さあ、行こう」
 親切な女職人を先頭にして、三人は通りを歩きだした。
「ねえ、武器を買うのなら、トレミリアに戻ってからでもいいのじゃないの?」
 歩きながらクリミナがそう囁いてきた。てっきりただの散歩だと思っていたのが、実際には武器探しの用事だと知って、やや眉をひそめている。
「まあ、そうなんだがな……せっかくメルカートリクスに来たんだしさ。それに、女職人さんの作る剣ってのも見てみたくないか?」
「まあ、いいけど……」
 クリミナは納得したようでもなかったが、晴れ渡った早朝の爽やかな空気は心地よいらしく、また表情をやわらげた。
 大通りをずっと西に歩いてゆき、南へ曲がる小さな通りに入ると、あたりの雰囲気がだいぶ変化した。
「ここが夕日通りだよ」
 この辺りはメルカートリクスの西側のはずれに近く、大通りに比べると通りをゆく人の数もずいぶん少ないようだった。通り沿いには運河のような人口の水路が流れていて、そこに並んだ石造りの家々の煙突からは、もうもうと煙が立ち上っている。あたりには鉄の焼けるような匂いがたちこめ、どここからハンマーの音が響きはじめたかと思うと、それはすぐにあちこちから上がりだし、まるで競うようにしてひっきりなしに鳴り続けていた。
「ひええ。すげえな、こりゃ」
 レークは思わず声を上げた。
「あの煙突の並んだあたりは、全部が鍛冶屋なのかい」
「そうさ。彼らは日がな一日、朝から晩まで、ああして金床の上でハンマーを振り続けるんだよ。そうして十年もすれば、背中や腰が曲がってくる。そうなって初めて、一人前の鍛冶屋として認められるのさ」
「そりゃまた、大変な仕事だなあ」
「その川の向かいが、武具屋や蹄鉄屋、それに金細工の店なんかが集まっている。鍛冶屋から卸された精錬した鋼や針金、金銀なんかを使うからね、そうした店はこうして鍛冶屋の近くに集まるのさ」
 女職人は通りをよく見知った様子で、水路ぞいの道へと入ってゆく。レークとクリミナも、そのあとをついていった。
「フェスーンの職人通りとはまた違う感じなんだな、ここは」
 鳴り続けるハンマーの響きを聞きながら、レークは通りの店店を覗き込む。
 開いたよろい戸の上に陳列されているのは、兜や鎖かたびらなどの武具から、中には鍋やナイフといった生活用具まで扱う店や、蹄鉄専門の店などもある。また同じ鎧を売る店でも、その形やデザインがそれぞれに違うのがなかなか面白かった。そしてまた、打ち鳴らされるハンマーを叩いているのが、みな女の職人だと思うと、実際にはそんなこともないのだろうが、その響きも優雅に聞こえてくるような気がするのだった。
「さあここだよ」
 立ち止まった中年の女職人が、一軒の店を指さした。
 店の看板には「オルファン&カリッフィ」と書いてある。他の店と同じように、上下に開いたよろい戸の陳列棚には、見栄えのいい銀細工のほどこされた短剣や、美しいナイフなどが飾られ、それはどれもが見事な出来ばえだった。
「あれ、てっきりオルファンとカリッフィってのは、別々の店の名前かと思ったら、同じところなんだな」
「そうさ。さあお入り」
 女職人は先に立って店に入っていった。レークとクリミナも続いて店に入る。
「おお、すげえ」
 店の中には、所狭しと武器類が陳列されていた。
 壁際の棚に並ぶのは、短剣や一般的な長剣などはもちろん、中には珍しいフォールションと呼ばれる幅広の巨大な曲刀や、人の背丈よりもはるかに大きな両手剣などもあり、美しい装飾のほどこされたレイピアや、さらには恐ろしげに黒光りするトマホーク(戦斧)など、数多くの種類の武具が飾られていた。
「こりゃあ、どれも立派なしろもんだなあ」
 レークはそれらの剣を手にとったり、覗き込んだりしながら、目を輝かせて店の中を歩き回った。さすがにどれも名高い職人のものだけある、精巧な仕上げのものばかりである。
「いらっしゃい」
「いらっしゃーい」
 店の奥から主人らしき女が現れた。それも二人である。
「おや、お客かと思ったら、なんだママか」
「なんだ、ママだよ」
 二人ともいかにも作業着めいた地味な胴着と薄汚れた前掛けの姿で、おそらく歳は二十代後半から三十くらいというところだろうか、黒髪を無造作に後ろにしばった、色気もなにもない様子も二人同じであった。
「なんだママか、じゃないよ。オルファン、カリッフィ」
 レークたちを案内してきた中年の女職人は、持っていた包みをどさりと卓の上に置くと、その二人をじろりと見た。
「まったく。相変わらず汚い格好して。ほら、着るもの作ってきたから。そんな様子だから、いつまでたっても結婚できないんだよ」
「そうじゃないよ、ママ。あたしらは武器職人だから、子作りの代りに剣作りにいそしんでいるだけさ、ねえカリッフィ」
「そうさ。ねえ、オルファン」
「なにを馬鹿なことを。いくら職人だからってねえ、いずれは跡取りの子どもが必要になるだろう。もういい歳なんだし、いずれはすぐに子も産めなくなるよ」
「そしたら、どっかの徒弟を雇えばいい」
「そうね」
「まったく。あたしがあんたらの歳にはね、もう、あんたら二人を育てながら働いていたもんだよ。ああ、嘆かわしい」
「おい、ちょっと……」
 あっけにとられて横で話を聞いていたレークとクリミナであったが、中年の女職人におずおずと尋ねてみた。
「もしかして、この店はあんたの娘さんの?」
「ああ、そうだよ。オルファンとカリッフィ。あたしの双子の娘さ」
 たいして誇らしそうでもなく、女職人はうなずいた。
「この子たちはてっきりあたしの跡を継いで、織物を手伝ってくれるとばかり思っていたのに、なにを間違ったか、武器作りなんてものに血道をあげるようになっちまって。それも姉妹そろってだ。二人とも大した親不孝ものだよ、まったく」
「いまさらそんなことを言っても仕方ないよ、ママ」
 つり上がった眉と細い目は、姉も妹も同じであったが、姉の方がいくらか顔がほっそりとしているようだ。妹は筋肉質で、腕も太い。きっと力仕事が多いのだろう。
「ところで、こっちのお二人はお客さんなのかな?」
「ああ、オレはレーク。いい剣を探しているんだ」
「あ、そう。じゃあ適当に見てってよ。あたしらはまだ作業があるからさ」
「お前たちは。せっかく遠くから来たお客さんに向かって、その態度はなんだい」
「だって、ママ。来月にある武器大会で優勝するために、今追い込みなんだよ。最高の剣を作っているんだ。いままでにないくらいの」
「あたしもそう。今度こそ、オルファン姉に負けないくらいのができそうなんだよ」
「嘘をつけ。あたしの剣に勝てるものか」
「勝つさ、きっと勝つさ」
 二人は似たような顔を互いにきっと見合わせた。二人が並ぶと、レークにはもうどちらがオルファンでどちらがカリッフィなのかもよく分からなかった。ただ分かるのは、この二人は相当の変わり者の職人であり、その母親がそれをたいそう嘆いているらしい、ということであった。
「最高の剣か……そりゃ興味あるな。やっぱり鉄の質からして違うものなのかい?」
「もちろんだとも」
 姉のオルファンが、レークの質問に熱っぽく答えた。
「高熱の炉の中で鉄と木炭を一緒に燃やして、まず銑鉄を作り、それをまた熱して炭素と不純物を取り除いてできるのが鋼なんだけど、そこで鉄の中にある炭素の量が少なければ少ないほど、良質な鋼といえるんだよ。このリクライア大陸にあるほとんどの鋼の剣てのはね、私に言わせりゃまだ銑鉄だよ。つまり不完全な鋼もどきさ。私の作る鋼はね、炭素がたったの2%ほどなんだ。これが本物の鋼なんだよ。本当の鋼鉄は強度も段違いさ。でも脱炭に死ぬほど手間をかけなけりゃ、いい鋼なんかできないんだ。今作っているのはね、強力なふいごで空気を送り込んで、画期的な脱炭に成功した、それは素晴らしい出来の鋼の剣なんだよ」
「ははあ……」
 専門的な説明をされてもレークにはよく分からなかったが、きっとそれは相当すごいものなのだろう。
「で、その剣はもうできたのか?」
「ああ、一本目は昨日できたばかりだよ。まだ中子はむき出しで柄頭は付いてないけど」
「へえ、見たいなあ」
「いいけどね。売らないよ。買うやつは店の中から適当に選んでくれ」
 姉のオルファンは、まんざら剣を見せたくなくもないという様子で、店の奥へと消えていった。その間にも彼女たちの母親である女職人は、残ったもう一人のカリッフィにぶつぶつと小言を言いつづけていたが、レークの興味はもう剣だけであった。
「さあ、これだよ」
 オルファンが大切そうに剣を抱えて、作業場があるらしい店の奥から現れるまでの間、レークは店にある売り物の剣をいろいろ見て回っていた。どれもなかなか素晴らしい代物で、たぶん適当に選んだとしても、その辺の武器屋であれば極上品の剣であったろう。
「まだ柄頭がついてないからね。持つときは手から抜けないようにしておくれよ」
 まだ細工の施されていない銀色の鞘に収まったその剣は、店にある長剣よりはひと回り小さいくらいのものだった。
「へえ、なんか軽そうな剣だな」
「持ってみるかい?」
 オルファンが、まるで自分の子どもを扱うように、その剣を鞘から抜くと、
「おお」
 レークは感嘆の声を上げた。
「こいつは、綺麗な剣だ」
「だろう?」
 誇らしげに微笑む女職人が、ぱっとその顔を輝かせる。
 その剣先はとても美しく、きらきらと輝くようだった。刃の長さは一ドーン弱というくらいだろう、長すぎもしない片手で扱えそうな剣である。美しい溝の彫られた剣身は、両刃の剣にしては幅はそう広くない。しなやかな曲線を描く刃先から、鋭く尖った切っ先にかけては、恐ろしく丹念に整えられたのだろう、うっとりするような見事なラインであった。
「持ってみても、いいか」
「いいよ。ただ強く振らないように」
「ああ、わかった」
 まだ柄の部分の中子がむき出しであったので、片手でちゃんと持てるか不安であったが、持ってみるとそれはおそろしく軽く、そしてバランスのとれた剣であった。
「こいつは、驚いた。すごく軽いな」
「そうさ。それが本物の鋼ってことだ。軽くて、しなりがあり、そして強い。製鉄の剣よりもずっと早く振れるし、おそらく打ち合わせたら傷がつくのは相手の剣だよ」
 オルファンは剣を手にしたレークの姿を、睨むようにじっと見つめた。
「なるほど。あんたは、なかなかいい剣士のようだね。立ち姿がサマになっている」
「それは、どうも。ちょっと構えてみてもいいかい。振らないから、ゆっくりと動かしてみたい」
「ああ、いいよ」
 クリミナと女職人の姉妹、その母親が見る前で、レークは初めて持つ純粋な鋼の剣を確かめるように、それを右手にかざし、構えた。それから足を踏み込んで、ゆっくりと剣を振り込む動作をする。その様子を、二人の姉妹がじっと見つめる。
「ほう。これはいい。軽すぎず、重すぎず、まるでオレの手にぴったりくるようだ」
 レークは少し調子に乗って、ヒュンと音をさせて剣を振ってみた。これまでの剣にはないような、鋭さと速さが実感できる。
「気に入ったぜ」
「それはよかったな。それに、そう……私がイメージした通りの剣の音がする。その剣はあんたのように、力任せに扱うのではない、早くしなやかな剣術をイメージして作ったんだ。あんたは……すごい剣士みたいだ」
「へへっ、ありがとうよ」
 レークは嬉しそうに礼を言った。
「そらよ、大切な剣なんだろう」
「ああ……」
 鞘に戻した剣を受け取ると、それから彼女はじっとレークの目を見た。 
「昼まえに、」
「ん?」
「もう一度来るといい。それまでに柄の方を整えておく」
「オルファン姉!」
 妹のカリッフィが驚いたように声を上げた。
「姉……まさか」
「ふふ。剣ってのはさ、本物の剣士が持ってこそ、本物の剣になるんだよ」
「おお、じゃあ……」
 目を輝かせたレークに、オルファンはくすりと笑って首を振った。
「この剣は売らないよ。これは……売り物じゃないんだ。さあ、また昼まえにきな」

  店を出ると、レークとクリミナの二人は、ぐるりと通りを回って、港へと続く潮騒通りを歩くことにした。
 晴れ渡った空のもと、潮の香りが漂う海沿いの通りを、きらきらと輝く波間を見ながら歩いてゆくのは、なかなか気持ちがよいものだった。波の音に重なるかもめの声を聞きながら、朝の空気を吸い込むと、じつに気分が爽快になる。いつしかクリミナの顔にも笑顔が浮かび、肩まで伸びた栗色の髪を海風になびかせながら、そっと目を閉じる横顔は、隣を歩くレークをどきりとさせるほど綺麗だった。
 二人はときおり立ち止まっては、広々とした海を見渡して、水平線にかすんで見えるリクライア大陸を指さし、あれこれと思い出されることを語り合ったりした。
 この島にいるかぎりにおいては、彼女はトレミリアの宮廷騎士長ではなく、レークもまた、なにかに縛られる立場ではないのだと、彼らは自由な気分を感じながら、素直にふるまえるような気がしていた。もしかしたら、二人とも、できるならばずっとこの島にいて、いくさや身分、そして己の立場のことなどを気にもせず、ただお互いの存在のみを頼りに過ごしたいと、そうも思っていたかもしれない。むろん、そう口には出せる二人ではなかったが。
 二人は通り沿いの食堂に入った。新鮮な魚料理を味わいながら、レークは彼にしては珍しく、これまでの旅の出来事を思い出しながら、ときおり冗談をまじえて楽しそうに話した。クリミナはそれに笑ったり、少しむっとしたりしながら聞いていたが、彼女のやわらかな表情の変化を一番大切に感じていたのは、テーブル越しに彼女を見つめる、この浪剣士であることは間違いがなかった。この旅の間に、二人の間に確かに芽生え始めている絆と信頼を、心地よい時間の流れが教えてくれていた。
「さて、そろそろ時間だな」
 レークはやや名残惜しげに立ち上がった。まるで、いつまでもこの幸せな時間を過ごすことが、怖いような様子で。
 店を出た二人は、またもときた通りを歩きだした。
 さきほどとは打って変わって、レークは無言のまま彼女の前をゆく。その背中を見つめながら、クリミナはふと不安を覚えた。
(なに、かしら……)
 なんともいえない奇妙な気持ち……振り向いて欲しいような、それでいて、このままずっと振り向いて欲しくないような。いつもは頼もしい背中が、いまは少し、遠く思えるのは何故なのか。
 海沿いの通りをしばらく歩いてゆくと、ふと立ち止まったレークが言った。
「もうちょっとだけ、海を見ていこう」
 崖とまではいかないが、ごつごつとした岩場を見つけると、レークはそこにひょいと飛び乗った。そうして、朝日に輝く海面を、レークはしばらく黙って見つめていた。
(なんだろう……胸がどきどきとする)
 海に目をやるレークの背中を見つめ、クリミナは、なぜだか今すぐに、ここから逃げ出したいような気分になった。だが一方では、甘やかな期待にほのかに胸を高鳴らせている自分がいることも感じていた。
(私は……)
(ああ。きっと、私は……)
 物思いをさえぎるように、レークがこちらを振り向いた。
「……」
 二人は無言で見つめ合った。
 まるで意を決したというような表情で、むしろさばさばと彼は告げた。
「ここで、お別れだ」
 思いも寄らない言葉に、クリミナは眉を寄せた。
「それは……どういうこと?」
「どうもこうもねえ。つまり……そう、トレミリアには行かねえ、ってこった」
「……」
 きゅっと口元を引き結むと、彼女は震える声で尋ねた。
「な、なぜ……どうして」
「ああ、昨日の晩、ブロテと話して決めたんだ」
 レークの言葉は淡々としていて、冷静ですらあるように思えた。それがクリミナをよけいに不安にさせた。
「このまま、レイスラーブ王を護衛して、のろのろフェスーンまで行っている間にさ、草原ではもう、大きないくさが始まっちまってるってな」
「……」
「だから、剣を手に入れたら、夕刻前には出発するつもりだ」
「わ……」
 思わず、「私も行く」と、口から出かかったその言葉を、彼女は飲み込んだ。
 それを見て、レークは穏やかにうなずきかけた。
「あんたは、セルディ伯らとともに、国王と王妃を守ってトレミリアへ行ってくれ」
「レ、レーク……レーク・ドップ」
 クリミナは言葉を詰まらせた。
「そんな……だって」
 ここまで一緒に来たものを、どうして、ここで別れ別れにならなくてはならないのか。そう、彼女は言いたかったに違いない。
「い、行かないで。そんな、勝手な……」
 そう言うのが精一杯だった。
「もし、な」
 いつにない神妙な面持ちで、レークは静かに言った。
「宮廷騎士長としてのあんたが、そう命じるってんだったら、そうだってんなら……」
「……」
「オレは、騎士をやめる」
 クリミナは思わず口元に手を当てた。
「レーク……」
「もう、決めたんだ。やっぱりさ、のろのろと大勢で行動するよりも、身軽に動く方がオレには似合っている。それに、これから目指すのはロサリィト草原だ。ひと足先に行って、ジャリア軍の本体を偵察しようってんだから。それは、トレミリアのためだし、みんなを守るためでもあるわけだ」
 あるいは、そこに「あんたを守るためだ」と、レークは付け加えたかったのだろうが、彼はやや照れたようにして頭を掻いただけだった。
「なあに、ちょっと行ってきたら、トレミリア軍に合流するからさ、そしたら」
(行ってしまう……)
 胸が締めつけられるような気分で、彼女はぎゅっと両手を握りしめた。
(行って……しまう)
「そしたらまた、一緒に戦ったり、あんたと一緒に旅をすることだって……」
(ああ、どうしてだろう)
 心に湧いてくる、この不安めいた予感は……
(このまま別れたら、もう二度と会えないような、そんな気がするのは)
(どうしてなんだろう……)
「いずれは、いくさも終わるだろうから、そしてらまた、アルディでもトロスでも、セルムラードへでもさ、行ってみっか」
「……」
(行かないでレーク)
 心に渦巻くなにかを必死にこらえながら、クリミナは口の中でつぶやいた。
(行かないで)
(私も……私も連れて行って)
(私も……一緒に)
 だが、その言葉は出なかった。
 ただ彼女は、まるで睨むように、目の前の男を見つめていた。
 ただ、じっと
 彼女はいまはじめて、自分がレークを愛していることを、知ったのだった。


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