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これまでのあらすじ

北の大国ジャリアによるウェルドスラーブ進攻に際して、友国であるトレミリアから援軍部隊として出発したレーク、クリミナらは、
首都のレイスラーブにて国境の城がジャリア軍に包囲されているとの報を受ける。レークは志願して単身でスタンディノーブル城へ赴く。
城では黒竜王子率いるジャリア軍との激しい攻防戦が繰り広げられ、籠城に飢えた城側は窮地に陥るが、
レークの活躍や団結した城の騎士たちによる奇襲作戦などによってかろうじて生き延びる。
そうして、スタンディノーブル城にはついに、待ち望んでいた補給物資と援軍が到着したのであった。




 水晶剣伝説 X 暁の脱出行


T

 スタンディノーブル城は待ちわびた援軍を迎え入れ、東門前には城の兵たちが集まってにわかに沸き立っていた。
 とりわけ、馬車に積まれた小麦や果物などの糧食は、食料も尽きかけながら籠城戦を戦ってきた彼らにとっては、これに勝る援軍というのはなかったろう。
「おお、アルーズか」
 その援軍部隊の先頭に立っていた騎士を見て、レークは駆け寄った。それは、これまでずっと行動をともにしてきたアルーズだった。単身で城を出発し、レイスラーブからの援軍との合流を果たして、ついにこうして戻ってきたのである。
「レークどの、ご無事で……」
「ああ。お前もな」
 手を握り合った二人は、数日ぶりの再会を喜んだ。
「しかし、そのお姿は……かなりの敵を倒したようですな」
「なあに、たいしたモンじゃねえよ」
 レークは、ついさっきまでは窮地に追いやられていたことなどおくびにも出さず、血まみれの鎧姿でにやりと笑った。
「ジャリアのやつらども、お前らが到着したおかげで、逃げるようにして退却してゆきやがった」
 それは確かに、その通りであった。あれだけ激しく攻め込んできていたジャリア軍の攻撃は、今ははたとやみ、さきほどまでの戦いの喧騒から一転、辺りは不気味なほどに静まっていた。敵が退いたおかげで、城外で戦っていたレークたちは城に戻り、こうして援軍を迎え入れることができたのである。
「へっ、こっちに援軍が来たことを知って、やつらはきっと恐れをなしたんだぜ」
「そうですか……だといいのですが」
 アルーズは、やや表情を曇らせた。
「どうした?」
「……ともかく、お話はあとで」
 その間にも、物資を運ぶ馬車が次々と城内に入ってゆく。城内には、続々と駆けつけてくる城の兵たちや女たちも手伝って荷が降ろされ、たくさんの木箱に入れられた食料や、弓や剣などの武器などが荷車に乗せられて運ばれてゆく。
 城に引きこもっての戦いに疲れ果て、かつ飢えていた城の人々は、その顔を輝かせ、歓声を上げて、援軍と物資の到着を拍手で迎えた。真新しいぴかぴかの鎧を着た援軍の騎士たちは、いかにも頼もしく見えたし、これで城は救われたのだと、誰もがそう思っていた。

「ご報告いたします。兵員千名とともに、食料等、補給物資をお届けしました」
 広間に集まった人々を前にして、援軍部隊を率いてきたフレアン伯が改めてそう告げた。
 鳴りを潜めたジャリア軍への警戒を続けながらも、届けられた食料や資源などがさっそく城中に配られ、戦いに疲れた兵たちは果物にかぶりつき、傷を負ったものは手当てを受け、城内の煙突からは久しぶりにパンを焼く煙が立ち上っていた。
「まさか、城がここまで疲弊しているとは知らず、物資を届けるのがだいぶ遅れたことをお詫びしたい。ただ、こちらにもいろいろと、やっかいな問題が起こっておりまして」
 セルディ伯をはじめ、レークやブロテ、城壁守備隊の隊長ボード、副隊長コンローなど、集まった主要な面々を見渡して、フレアン伯は言葉を続けた。城主のマーコット伯は、やつれ果てた顔でどんよりと座っていたが、届けられたワインの樽が運ばれてくるのを見ると、その目にかすかに精気が戻ったようであった。
「問題ってのは、この援軍にしちゃあ、どうも少なすぎる人数とも関係あるのかい?」
「まさしくその通り」
 フレアン伯はレークの言葉にうなずいた。歳はまだ二十代の半ばといったところだろう。首都のレイスラーブで見たときは、血気盛んな若手貴族というイメージであったが、軍装をまとった今の姿はなかなか勇ましく、さすがにトレヴィザン提督より先発隊を任されるだけはある、豪胆な人物のようだった。
「実のところ、この千人の人数を割くのにも苦慮したのです。アルーズどのの報告で、城の窮地を知らされなければ、補給物資を護衛する人数だけで済ませるところでした。そして、この私もここには来なかった」
「つまり、向こうでなにか異変が起きたと……そういうことですかな」
 フェーダー候がそう訊いた。フェーダー候は、今やまったく気力の失せたようなマーコット伯に代わって、自らがこのスタンディノーブルの城主であるかのように、上座の席にどっしりと腰掛けている。
「さよう。当初、ジャリア軍はバーネイを占拠したその戦力でもって、このスタンディノーブルに攻め込んできたのだと思われていましたが、そうではなかった」
 卓を囲む人々が息をのんでフレアン伯の言葉に耳を傾ける。その中にいて、マーコット伯はまるで飢えた猫のように、配られたワインをなめるように味わっていた。
「レイスラーブを出発した我々が、いったんオールギアで休憩をとり、まさに出発しようとしたそのとき。急ぎの斥候から報告が入りました。すなわち、突如現れたジャリア軍、その数五千がディナブーリを攻撃していると」
「なんと」
 人々は驚きに言葉を失った。
 ディナブーリはウェルドスラーブの北部の大都市で、いくさの際には首都のレイスラーブの北を守る重要な防衛線でもあった。
「この城に攻め込んできたジャリア軍とは別に、敵にはディナブーリを攻撃する部隊があったということか」
 セルディ伯が呻くように言った。その顔に無精髭をはやし、ややこけた頬をしてはいたが、さすがはトレミリアの遠征部隊を率いているという誇りと自負のおかげか、その目の光にはまだしっかりとした冷静さを残していた。
「それが本当だとしたら、我々がこの城に籠城しているというのは、敵の陽動作戦にはまったということではないか」
「その通りです」
 フレアン伯も同意した。
「おそらく、敵はまずこの城を攻撃することで我々の目を引きつけ、多くの援軍をスタンディノーブルに向かわせることを目的にしたのでしょう。事実、我々がオールギアを発つのがもう少し早ければ、ディナブーリが攻撃されたという情報は届かなかったかもしれない。そうなっていたら、おそらく我々は、ディナブーリとこのスタンデノーブとで、それぞれに分断された戦力で、個別にジャリア軍に当たらなくてはならなかった」
「なるほど。つまり、あんたがここへ率いてきた部隊の人数が少ないのは、ディナブーリへ向けて兵を割いたということなんだな」
「その通りです。レークどの。ディナブーリからの斥候の報告を受けた我々は、急遽出発を取りやめ、翌日になってトレヴィザン提督が第二陣を率いて到着されるのを待って軍議を開きました。その間にも、次々に斥候からの報告が届き、ディナブーリの状況が知らされると、ますます、このまま五千の兵をもってスタンディノーブル城に赴くのは、それこそ敵の思うつぼであると結論しました」
「ふむ。つまり敵は、レイスラーブから出発した五千の兵をスタンディノーブルに来させることで、北側のディナブーリからの進軍を優位に行おうという狙いであると」
「そう思います」
 フェーダー候の言葉にうなずき、フレアン伯は続けた。
「軍議ではさまざまな意見が出されましたが、大まかに言うと、ともかくこのまま五千の兵をスタンディノーブルに向かわせるのは得策ではないこと、かといってアルーズどのの報告からしても、スタンディノーブル城へは物資を届けなくてはならない。そこで決定されたのは、まずディナブーリ方面へ部隊の中から二千の兵をやること。オールギアから北上してトーメイン経由でゆけば、ディナブーリまでは一日でゆける距離ですから。それから、残りの三千のうちオールギアに二千の兵を残し、残りの一千の兵と食料物資を乗せた馬車をスタンディノーブルに向かわせる。オールギアに兵を残す意味は、トレヴィザン提督の言葉によると、ディナブーリとスタンディノーブルと、両方に睨みを効かせる位置で、状況に応じて随時兵を動かせるからです」
「さすがは提督。もし私でも、おそらくはそのように采配するでしょうな」
 フェーダー候が軍師然と腕を組む。その横ではワインを飲み終えたマーコット伯が、おかわりを頼みたそうにしていたが、もうしばらくの辛抱というように、じっと黙って座っていた。
「そのようなわけで、一千の兵と物資を乗せた馬車を率いて、私がこうして参った次第。私としては、ディナブーリの方面へゆくことを志願したのですが、そちらにはテルファン子爵以下の騎士たちがゆくことになりました」
「それで、トレヴィザンの旦那はまだオールギアにいるのかい?」
「ええ、提督は当面、オールギアを拠点に指揮をとるおつもりです。あるいは万一、ディナブーリが陥ちるような場合には、レイスラーブに戻らなくてはなりますまいが」
「ディナブーリが陥ちたら……レイスラーブまではもう目と鼻の先ですな」
 フェーダー候の言葉に人々が黙り込む。広間は深刻な緊張感に満ちた。
「そこで、ですが」
 少々言いにくそうに、フレアン伯が人々を見回した。
「トレヴィザン提督は戦力の分散を避けるために、やむを得ない場合にはこの城を捨てて、ここにいる兵をオールギアに回したいと、そう考えておられます」
「なんですと?」
 思わずというように声を上げて立ち上がったのは、城壁守備隊のボードだった。
「この城を捨てる?つまり、城をみすみす敵に明け渡すということですか?そんな……馬鹿な!」
「いえ、だからそれはやむを得ない場合ということで」
「やむを得ない場合などはない!」
 顔を真っ赤にしたボードは、フレアン伯を睨み付けた。
「我等は、もう二十年、この城を守るために働いておるのだぞ。見習い騎士の頃から、ずっとこの城で過ごし、国境の警備に大きな誇りを持ち、ここで妻をめとり、その責任とともに任務を果たしてきた。この城を捨てよということは、我が家族を、我が誇りを捨てろということと同じだと、あなたには分かるのであろうか?」 
「まさしく、隊長のおっしゃる通り」
 副隊長であるコンローもまったく同じように、憤慨をあらわにして立ち上がった。
「この城は我等が家族の住まう家と同じ。それをジャリア軍どもに明け渡すなど……私にはとても耐えられませぬ」
「しかし、いつまでもここで籠城戦をしていては、それこそまさしく敵の思うつぼ。ディナブーリを攻め落とした敵が、レイスラーブに迫ってきたら……」
「そういうことだな。首都が陥とされてしまったら、この国はもう取られたも同じだ。そうなったら国境の城だろうが、あんたらの家だろうが、もうなにも意味はないんだぜ」
「レークどの。あなたに我等の気持ちの何が分かるというのだ」
「ああ、分からねえな」
 レークはにやりとして首を振った。
「オレはただ目の前の敵と戦うだけだからな。ただ、負けいくさはごめんだ。いつまでもこの城にいたんじゃダメだ。それだけは確かなようだ」
 ボードとコンローはむっとしたようだったが、そのまま黙り込んだ。感情論だけではどうしようもないこともあると、彼らも頭で理解はしていたのだった。
「それに、我々が運んできた食料にしても、城にいる数千人の兵士たちをまかなえるのは、もう数日が限度だろう。そして、せっかくはるばる馳せ参じてくれたトレミリアの兵士方を、この城に閉じ込めたままただ消耗させたのでは、それこそ申し訳ないというもの」
「それも、トレヴィザン提督の言葉かい?」
「そうです」
 フレアン伯はうなずいた。
「レークどのには大変感謝していると、提督はそう申されていました。自ら危険な任務を志願し、我が国のために尽くしていただくのはまこと恐縮であると」
「へへっ、なあに。ただオレは大軍でのろのろと動くより、こうして好きに動き回るのが性に合っているというだけさ」
 レークは、つとフレアン伯のそばにゆき、
「なあ、ところでさ……」
 その耳元に囁いた。
「あの、騎士長さんはどうしてる?」
「ああ……クリミナどのですか。それなら、トレヴィザン提督とともにオールギアにおりますよ」
「なんだとう?」
 思わず声を大きくしたレークを、人々が目をやる。
(トレヴィザンと一緒に……だと?)
「どうされました?レークどの」
 声をかけてきたフェーダー候にも気づかず、レークはしばらく内心で煩悶していた。
(てっきり、レイスラーブで待っているものと思っていたんだが、てことは……)
(わたし、提督と一緒にいたいから、)
(とか……まさか)
「くそっ。そんなわけはねえ」
「おおレークどの、なにか新たな問題でも?」
「あ、ああ。いやなんでもねえ……」
 レークは慌てて首を振ると、付け足すように言った。
「と、ともかく……そうだ、一刻も早く、オールギアに戻った方がいいな。うむ」

 議論は大いに紛糾した。
 城を捨て、オールギアへ戦力を集中させるべきだというフレアン伯の主張に、レークやブロテ、セルディ伯ら、トレミリア側の人間はおおむね賛成した。反対を唱えるのはボード、コンローらの城側の騎士たちであった。
 彼らの言い分は、この城は昔から仕える自らの家であり、家族と共に守るべき大切なものだというものだった。だが、しょせんはそれらはただの感情論にすぎず、フレアン伯やフェーダー候の論理的で冷静な言葉の前には、彼らの反論は時間の浪費以上の力をもたなかった。城を捨てよというフレアン伯と、騎士たる己の道をつら抜かんとするボード、コンローの言い分は噛み合わないまま、双方ともにただいらいらがつのるばかりだった。一方の城主のマーコット伯だけは、ワインのお代わりをもらったことで、しばし上機嫌のようであった。
「この城を包囲するジャリア軍……つまり敵のフェルス王子の狙いは、なるたけ我々の多くの兵力をこのスタンディノーブルにとどまらせ、現在ディナブーリを襲っている別動隊を有利に戦わせることにあるはずです。今となっては、我々が到着したとみるや敵が戦いをやめて引いたのも、援軍ごとこの城に閉じ込めて、時間を使わせるための策略でしょう」
 フレアンの的を得た説明に人々はうなずきあったが、ボードをはじめ城の騎士たちの方は、やはりいい顔はしなかった。
「しかし……我々としては、やはり城を捨てるというのは」
「やはり、ここには家族もおりますからな」
 いっこうに話がまとまらぬことに、しびれをきらしたレークが立ち上がった。
「じゃあ、こうしたらどうだい。どうあってもこの城を守りたいんだったら、あんたらはここに残ればいい。んで、フレアン伯の以下の兵と、オレたちトレミリアの兵はオールギアへと出発する」
「しかし、それでは……」
「たぶん、こっちがそう動けば、やつらもいつまでもこの城を攻撃することはしないだろう。この国を占領するんなら、ともかく首都のレイスラーブを落とさなくてはならないわけだからな。それに、補給部隊の物資のおかげで今は食料もある。二千の兵が出発すれば、この城に残る兵たちをしばらくまかなうには十分だ」
「たしかに」
 フェーダー候が賛同するように言った。
「城にいる女、子どもを連れて脱出するのはまず不可能ですから、レークどのの言うように、首都を守る戦力として兵を動かすのは正解でありましょうな。ジャリア軍の目的はこの城ではなく、間違いなく首都を落とすことにある。だとすれば敵の思惑どおりに、この大切な戦力をこの城の中で眠らせておくのはあまりに無策ですな」
「それは我々としても、」
 トレミリアの兵士を統率する立場である、セルディ伯が立ち上がった。
「友国であるこのウェルドスラーブを守るためにこそ馳せ参じたわけですから、いつまでもこの国境の城で敵と小競り合いをしているのは本意ではない。我々が戦う場はもっと大きなところにあるはずです」
 セルディ伯に似合わないような勇ましい言葉に、横で聞いていたレークは思わず吹き出しそうになったが、それをこらえた。
「よし。それで、どうだい?ボードのだんな、それにコンローさんよ」
「それは確かに、我らとしてもこの城は大事ながら、この国そのものがジャリアに蹂躙されてしまっては元も子もない。いつまでもこの城で大事な兵力を遊ばせておくのは、心苦しいことであれば……ここは、レークどのの提案に同意いたそう」
「隊長がそう言われるなら、私にも異論はありませぬ」
「よーし、じゃああとは……そうそう、マーコット伯がいたっけ。あんた一応城主だしな」
「レークどの、一応というのは……」
 横からアルーズにつつかれて、レークは舌を出した。
「ああ、すまねえ。高貴なるマーコット伯爵閣下……は、いかがでしょうな?」
 むしろ馬鹿にしたようなわざとらしい言い方に、さぞ伯爵が腹を立てるのではないかと、誰しもが思ったであろうが…
「ふにゃ?」 
 当の本人はきょとんとして、犬のようにただ首をかしげただけだった。
「なにか、わたしに言ったかな?」
 すでに四杯目のワインを飲み干し、満足そうに息をついていたマーコット伯は、すっかり酔いの回った赤い顔でレークを見た。
「ええと、だから……城の守備兵を残して、オレたちトレミリアの兵員はオールギアに向かうべきだと」
「かまわん。好きにするがいい」
 投げやりに言うと、マーコット伯はさらに酒を持ってこさせようと、小姓を呼んだ。
「ワインの樽にも限りはある。食料もむろん。無用にこの城に兵を置くよりも、我が王国のためを思って、ここは彼らを真の舞台へと解き放とうではないか」
「そうかい。なら、オーケーだな」
「おお、ワイン」
 運ばれてきた大きな樽にマーコット伯は目を輝かせた。彼が王国よりもむしろ、ワインのためを思っていることは明白であったが、それはあえて誰も口に出さなかった。
「それじゃ……そうと決まりゃ、動くのは早いうちがいい」
「ですな。明日の朝になれば、またジャリア軍の攻撃が始まるでしょうから」
 フェーダー候の言葉に、フレアン伯がうなずく。
「では、動くのは今夜のうちということですな。出発する隊を編成しておきましょう」
「では我々はトレミリア兵たちをまとめ、敵に気づかれぬよう東門付近へ集めておきましょう」
「よしなに、セルディ伯」
 こうして、出発は敵の寝静まった夜半と定められ、セルディ伯とブロテらはトレミリア側の騎士たち、傭兵たちをとりまとめるべく、慌ただしく下がっていった。フレアン伯の連れてきた援軍部隊は、もとより城にとどまるつもりはなく、すぐにも出立できる準備はしてあるということであった。
 マーコット伯をはじめ、ボード、コンローら城のものたちは、会議が終わったあともやや気が抜けたように、しばらく広間にとどまっていた。もちろん、マーコット伯は好きなだけワインが飲めるとばかり、なみなみと注がれた杯を手に、気に入りの道化師を呼ばせて優雅に楽の音を楽しむ様子であった。

「レークどの、本当にこれでよかったのでしょうか?」
 夜半にそなえて軽く仮眠をとろうと、いったん部屋に戻ったレークのもとを、アルーズが訪れた。燭台のろうそくに火を灯し、寝酒にとくすねてきた出来立ての麦酒を飲みながら、二人はあらためて再会を祝していた。
「ああ、なにがだ?」
「つまり、この城を捨ててゆくことがです」
「まあ、そりゃあ、しょうがねえだろう」
 麦酒をごくりと飲み込み、やや無責任にレークは言った。
「またお前だって、苦労して援軍を連れてきた手前、この城を守りたいって気持ちはあるんだろうが、しかし、ありていに言っちゃあ、この城はただの国境の古城にすぎない。もちろん、敵の侵入を防ぐにはこしたことはないが、今は事態が変わったんだ」
「ええ。そうですね」
「敵は別動隊を密かに動かして、首都のレイスラーブを狙っている。いわばこの城を攻撃してきたのは陽動だったってわけだ。そうとなりゃあ、こっちだって優先順位はまず首都の防衛だろう。たとえこの城を守りきったとしても、別のジャリア軍に首都を占領されちまえば、おしまいだからな」
 それは十分分かっているとばかりにアルーズもうなずいた。ただ、生粋のウェルドスラーブ人である彼にとっては、敵に包囲されているこの城から、同胞を置いて兵を引かせるということが、心情的には納得できないのだろう。その顔はつらそうに歪んでいた。
「しかし、まあ……よく帰って来てくれたよ」
 あえて話題をそらすように、レークはぽんとアルーズの肩を叩いた。
「おかげでオレたちは飢え死にをしないですんだ。もし、もう少し補給が遅ければ、この城は敵の攻撃と飢えで全滅していただろう。それだけでも、お前は確かに使命を果たしたんだよ」
「だと、いいのですが」
「ところで、向こうでトレヴィザンの旦那には会ったんだろう?」
「ええ。オールギアで」
「元気そうだったかい」
「はい。提督はいつもどおり、堂々とご立派に兵たちを指揮しておられました」
「それで……さ」
 レークはややじれったそうに訊いた。
「ええと、そこにトレミリアの、騎士たちもいたのか?」
「は、お仲間の騎士たちですか。それは、ええと……ちゃんと確認はしませんでしたが、なにか気になることでも?」
「いや。だから……」
 クリミナの名を出すのが照れくさいのだと、鈍いアルーズには分からなかったが、言いずらそうなレークの顔を見て、ようやく思い当たったようだった。
「ああ。クリミナどのは、提督の天幕におりました」
「なんだとう。トレヴィザンのやろ……いや、提督と同じ天幕にか?」
「そうですが。あの、レークどの?」
「まさか……野郎」
 獰猛に歯をむき出したレークの顔を、アルーズはおそろしげに見つめた。
「あのう……」
「くそ。ともかく、行ってみないことには分からねえな」
 ぐいと酒を飲み干すと、レークは乱暴に杯を放り投げた。

 夜半になると、城の中はにわかに慌ただしくなった。大勢の兵たちが移動を始めたのだ。
 ジャリア軍に感ずかれぬように、彼らは城壁の上ではなく城の中を移動して東門へと向かってゆく。回廊に列をなしてゆく鎧姿の兵たちの姿に、城の女や子どもたちは、部屋の扉を開けて手を振ったり、そこに見知った顔がいると近づいていって別れの言葉を交わしたり、お守りの石や手紙や食べ物などを手渡したりした。短い期間ではあったが、トレミリアの騎士や傭兵たちは、城の人間たちにとって、ともに戦った仲間としての絆のようなものが生まれていた。あるいは、兵たちの中には、城の娘と恋に落ちたものもいただろう。
 そうして、ひそやかで慌ただしい別れがいくつも繰り返されながら、城の東門付近には出立を待つ兵たちが集合していった。先頭に立つのはフレアン伯率いるウェルドスラーブ兵、それに続いて、セルディ伯率いるトレミリアの隊列がゆく手筈である。
「ではレークどの、隊のしんがりは任せますぞ」
「はいよ。じゃあ、またあとでな」
 再び簡易の鎧に身を包んだレークは、セルディ伯とブロテにうなずくと、傭兵たちの列の最後についた。
 列をなして待機する兵たちは、敵から発見されぬように明かりも灯さず、暗がりの中でじっと息をひそめていた。それはなかなかに気の疲れる時間だった。見張りのいる塔の上から、敵の来襲を告げる鐘の響きが、いつ聞こえるとも分からない。
「上手く脱出できますかね」
 そばにきたアルーズが囁く。
「さあてな。だがまあ、なんとかなるだろう。こんな夜中に敵の攻撃があるとは思えねえからな」
 その通り、城の周囲はまったく静まり返っていた。敵の気配はまったくない。塔の上の見張りからはなにも声は上がらず、おそらくジャリア軍にはなんの動きもないのだろう。
 さらに念入りに時を待ってから、ついに東の城門が開かれた。
 ジャリア軍が襲来してからというもの、ずっと閉ざされていた鉄の門がゆっくりと開き、つり上げられていた跳ね橋が下ろされてゆく。
「いよいよ、出発だな」
 動きだした兵たちを後方から見つめながら、レークも表情を引き締める。
 フレアン伯率いる隊列が城門を出てゆく。二千人を超える人数であるから、最後尾が門を出るのは時間がかかる。
 歩きだした騎士たち、傭兵たちは、緊張を漂わせ、列をなして城外へと踏み出してゆく。夜闇の中を、かちゃかちゃと音を忍ばせも鎧の響きが続いていった。
 しばらくは、なにも起こらなかった。
 フレアン伯率いる隊列の先頭は、マクスタート川にかかる橋を渡りきり、オールギアへと続く街道に足を踏み入れようとしていた。
 街道の両側には灌木は多いが比較的見通しがいい。夜とはいえ敵がここで攻撃をしかけて来ることはあまり考えにくい。
 だが、
「わああっ」
 兵士の悲鳴が上がった。
 それまで敵のいる気配はまったくなかったのだが……
「弓の攻撃だ!」
「敵はどこだ?どこからだ!」
「分かりません。横合いから突然弓矢が……うわっ」
 暗がりの中からの弓矢による奇襲に、隊列はにわかに騒然となった。
「落ち着け!うろたえるな」
「ああっ!」
「どうした?」
「敵です……敵兵が、両側から」
 月が見下ろす夜の闇から、黒い鎧姿がぞろぞろと現れた。
 隊列を挟み打ちにするかのように向かってくるのは、まぎれもなくジャリア兵たちであった。
「ぬう……奴らめ、街道の両側で待ち伏せをしていたか」
 フレアン伯は馬上で唇を噛んだ。
「いかがいたしますか?」
「隊列全体に伝えろ。敵の奇襲を突破して、このまま街道を突き進む。ここで戦うのは不利だ」
「はっ!」
 慌ただしく伝令が駆けだしてゆく。
「どうやら、敵が現れたらしいな」
 レークのいる隊列の最後尾でも、その異変は伝わってきていた。
「どうしますか?レークどの」
「ここでじっとしているのもつまらねえ。こうなりゃ、オレたちも出ていって……」
 なかなか進まない隊列にいらいらしていたこともあって、むしろ敵の奇襲は望むところであった。
 だがそのとき、背後からただならぬ気配が起こった。
「おおっ、なんだ?どうした」
「あああっ」
 焦眉の急を告げるような、切迫した悲鳴が上がり、
「敵が……敵が現れました!」
 城門塔の窓から顔を出した兵士が叫んだ。
「そんなことは分かってる!敵が城の外で待ち伏せしていたんだろう」
「いえ……そうではなく、敵が、城の中に突然現れました!」
「なんだって?」
 レークはその兵の気がおかしくなったものかと思ったが、すぐにはっとして顔をこわばらせた。
「まさか……」
「レークどの、どうしました……」
「アルーズ。来い!」
 くるりと後ろを向いて走り出したレークを、アルーズも慌てて追いかける。
「レ、レークどの、いったいどこへ」
「南の城門塔だ!」
「ええっ。それはどういう……」
「ともかく、急げ!」
 二人が南の城門塔付近にゆくと、すでに辺りは大変な混乱に陥っていた。
「こ、これはいったい……」
 アルーズが息をのんだ。
 見張りの騎士が言った通りだった。いったいどうやって城壁を越えてきたのか、城内現れたジャリア兵の一隊が、城の守備兵たちと激しく戦っている。
「南の城門塔が占拠された!ジャリア兵が城に入ってきたぞ!」
「どうして。いったいどこから敵が」
「ともかく武器のないものは中郭へ避難しろ!」
 辺りには悲鳴や怒号がこだまし、守備兵たちの叫び声があちこちで上がる。
「援護を、もっと援護の兵をたのむ!」
「ああ、敵がどんどん増えてくるぞ」
 ジャリア兵は南の城門塔から次々に現れ、その数を増やしてゆくようだった。
 いましがた出立した二千の兵も城外でジャリア軍の待ち伏せに合い、城に残っているのはもうごくわずかの守備兵のみであった。まさか、このときを狙ってジャリア兵が奇襲をかけてくるなど誰も想像しなかったろう。
「なんてことだ。いったいどうやって敵は城内に入ったのか……」
 つぶやいたアルーズは、南の城門塔を見て、それに気づいたように目を見開いた。
「ああっ。レークどの……これは、まさか」
「ああ、間違えねえな。あの城門塔の地下通路だ」
 そうとしか考えられなかった。おそらくジャリア軍は、ついにあの井戸を発見し、地下通路を通って城内に現れたに違いない。
「しかし、なにもこんなタイミングで……」
 兵の出立を見越したようなこの襲撃は、果たして偶然なのか。それとも……
「レークどの!」
 いきなり目の前に現れた敵兵に、レークははっとして剣を抜いた。
「くそったれ!」
 二人は背中合わせに剣を振り、ジャリア兵を倒してゆく。
 城壁に焚かれる松明の灯を頼りに、黒い鎧姿めがけて剣を振り下ろす。ギャリッと剣が合わさる音が響き、敵の血がしぶく。
「レークどの、敵がどんどん増えてきます」
「くそ。こりゃまずいな……」
 とりあえず目の前の敵を倒してゆくのだが、地下道のある南の城門塔からは、新たなジャリア兵が次々に現れてくる。辺りにいる城の守備兵たちは、しだいに敵に囲まれて、一人、また一人と倒されてゆく。
「多勢に無勢ってやつか……アルーズ、仕方ねえ。ここはいったん逃げるぞ」
「は、はい!」
 続々と増えつつある黒い鎧たちに背を向けると、二人は走り出した。
「城の外はどうなっているでしょうか?」
「さあな。まさか敵に襲われて全滅ということはないだろうよ。ブロテたちもいるしな」
「ええ。だといいですが」
 二人はいったん城壁の暗がりに身をひそめ、そこで敵兵をやりすごした。
「いっそこの混乱にまぎれて、城から逃げ出す手もあるが、どうする?」
「レークどのは?」
「そうだな……オレは、このまま城を見捨てて逃げるのは、どうも気が引ける」
「では、自分もお供します」
 アルーズはそう言って、にこりと笑った。
「もともとはご一緒に始めた任務ですから、どうせなら最後まで」
「そうだな。よし」
 心を決めた二人は、敵の気配を窺いつつまた走り出した。今度は城の中郭へ向かって。

 城の中心部である中郭への門は、すでに敵の侵入を許したらしく、すっかり開け放たれていた。このあたりでも激しい戦いがあったのだろう。地面には血にまみれた城の守備兵たちが、そこかしこに倒れている。
「こいつは……いけねえや」
「ええ。敵に天守に入られたら、もうこの城は終わりです」
 いつでも戦えるよう剣を抜いたまま、二人は中郭の奥へと向かった。
 辺りには戦いの叫びや、剣のぶつかり合う音が響き、それに混じって女の悲鳴なども聞こえてくる。このあたりは、兵以外の城の住人……料理女や、職人などが寝泊まりする小屋が多く、子どもや老人なども住んでいる区域である。
「ひゃああ、ジャリア兵だ!」
 女や老人の叫びが上がると、二人はそちらに駆けつけていってジャリア兵と斬り合った。
「しっかりしろ、婆さん。ここにはもっと敵が来るぞ。天守へ逃げるんだ」
「レークどの。門の方から敵の一隊がやってきます!」
 アルーズが指を差す。振り返ると、そちらから黒々とした鎧姿を松明の火に照らしたジャリア兵たちが、続々と中郭の門を入ってくる。
「くそっ。オレたちもいったん天守へ入ろう。あの人数相手じゃ、どうしょうもねえ」
「はいっ」
 二人は近くにいた女と老人たちを守りながら、天守の方へ走り出した。
 城の天守への唯一の入り口は、三階ほどの高さの石段を上ったところにある。今はちょうど、その木製の渡り橋が吊り上げられようというところであった。
「おおい、待ってくれ!」
 レークは叫びながら大急ぎで石段を上り、そこにいる見張り兵に手を振った。
「オレたちは味方だ。入れてくれ!」
「おお。これは、レークどのですか。早くお入りください。敵が迫っています」
 見張り兵は合図を送っていったん渡り橋を戻させると、手を貸して女と老人を城内に入れて、再び橋を吊り上げさせた。これで敵は天守の中には入って来られない。
「ふぃー、助かった」
 城内に転がり込んだレークはほっと息をついた。
「おお、レークどの!」
 兵たちにあわただしく指示を出しなが走ってきたのは、守備隊隊長のボードだった。
「どうされた?東門から出発された隊列の方は」
「ああ、先頭が門から出て、橋を渡ってすぐに敵の襲撃を受けた。オレたちは最後尾だったんだが、今度は城の方で敵が現れたと聞いて、引き返してきたんだ」
「なんと。そうでしたか」
「で、どうなってる?敵はいきなり現れたのか」
「そうなんです。そちらが東門から出発してからすぐに、南の城門塔で敵が現れたと報告がありました。すぐに小隊を向かわせましたが、敵は続々と現れて、あふれるように城内に侵入してきたのです」
「やはり、あの地下道か」
 ボードは深刻な顔でうなずいた。
「そうとしか思えませんな。それもまるで、この城の兵が減ったことを見計らったかのように襲撃してくるとは。副隊長のコンロー以下、城壁の警備にあたっていたものたちは、その多くがやられました。今となっては、この天守にいるのは、もはや百人にも満たない人数です」
「そうか……コンローのだんなも」
「この天守にいれば、しばらくはまだ持ちこたえられるでしょうが、明日になれば敵は投石機も使ってくるでしょう。こちらの少ない守備兵ではたしてどこまで戦えるか……」
 眉間に皺を寄せたボードがつぶやく。
 フレアン伯率いる先発隊が、今も城の外でジャリア軍と戦っているのかが気になるが、それよりも今は、この天守にいる人間がどうやって生き残るかの方が切迫した問題であった。ふと矢狭間から外を見ると、ジャリア兵が火を放ったのだろう、天守の周囲の小屋が燃え始めていた。炎に照らされた敵の鎧姿が、天守を囲むように続々と増えてきているのが分かる。
「あんたの言う通りだ。これじゃ、そう何日ももたない」
 レークは言った。
「勝負はそう……今夜だな」
「今夜……」
「朝になる前に、なにか手を打たないと……この城は全滅だ」
 アルーズも、コンローも、それにその場にいた見張りの騎士も、一様に顔つきを厳しくして黙り込んだ。彼らはそれぞれに、この天守にいる仲間や、そして家族のことを思い描き、できることならこの手で守りたいと、そう強く思っていたはずだった。


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