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 水晶剣伝説 X 暁の脱出行


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 レークの指示によって、天守に残った主立った騎士たちが早急に集められた。
 肝心の城主のマーコット伯は、相変わらず酒びたりでもの役には立たず、実質的に残った兵の指揮をとれるのは、もうレークとボードの他にはなかった。
「今、言った通り、」
 広間に集まったものたちを見回して、レークは言った。
「明日になれば、敵はこの天守を完全に包囲して落としにかかるだろう。兵力の少ないこちらにとっては、そうなるともう攻め落とされるのを待つだけだ。ジャリア兵の残酷さは知ってのとおり。女子どもも容赦しねえだろう。全員が助かる道はほとんどない」
 その場にいる騎士たち、兵たちはみな黙り込んだ。だれもが口をぎゅっと引き結び、その顔に決死の覚悟をみなぎらせている。
「ただし、策があれば、より少ない犠牲でこの城から脱出することは、不可能じゃねえ。いいか。ともかく、武器をとれる人間は女だろうと、子どもだろうとやってもらう」
「レークどの。その策とは」
「ああ、つまりさ、敵が待ち伏せやら、陽動やらを使ってきたのなら、こっちもそれをしてやろうってワケさ」
「よ、よし。生きるためなら、俺はなんでもするぞ」
 騎士の一人が声を出すと、他のものたちも口々に同調した。
「俺も、家族を守るためなら、」
「妻と娘をジャリアどもに殺させてたまるか!」
「仲間と友と、愛するもののためなら、俺もなんでもする」
「よーし。その覚悟があれば充分だ」
 レークはにやりと笑ってうなずいた。そして騎士たちに作戦を語りだした。それは、その場の誰もが驚くようなものであった。

「よーし、いくぜ」
「はいっ」
 レーク、アルーズを筆頭に、選ばれた十名ほどの精鋭たちで、決死隊が組まれた。死ぬにしても生き延びるにしても、夜明けまでにはすべてが決まる。そう叱咤するレークの言葉にうなずき、彼らは剣を手に立ち上がったのだった。
 正面の入り口を開けると敵に発見されるので、出撃口として使われる目立たない裏口から城の外へ出る。そこは敵の侵入を防げるように、高い位置に作られた出口である。
 そこから縄ばしごを降ろし、一人ずつ慎重に降りてゆく。
「おい、お前。早く降りろ」
「だ、だっども……わっしは、こんなことしたことないがて」
 巨体をぶるぶると震わせてしり込みするのは、城の道化である大男のガルスだった。レークは後ろから男の尻を軽く蹴り飛ばした。
「時間がねえんだ。それに、お前のそのデカい体が大いに役に立つときがきたんだぞ。お前だって、さっきはお城のために頑張るとぬかしていただろう」
「だ、だっども……」
「だっどもじゃねえ。おら、さっさと降りろ!」
 もう一度蹴りつけると、ガルスは、「ひゃあ」と声を上げて縄ばしごに足をかけた。しかし、巨体が重すぎたのか縛りつけていた縄が外れ、男は縄ばしごごと地面に落ちてしまった。といっても、人並みはずれて大きなガルスにとっては、この高さでもちょっとした高台から飛び下りる程度のものだったろう。
「ちっ。縄ばしごが落ちちまった。あとはオレだけだからいいけどな。おい、ガルス」
「あ、あい」
 地面に尻餅をついた格好のまま、大男がこちらを見上げる。
「飛び下りるから、お前が受け止めろ。いいか」
「ええですが……怖いなあ」
「馬鹿野郎、こんなことくらいで怖がってどうする。いくぞ」
 レークはためらいなく、地面に向かって飛び下りた。ガルスが慌てて、その丸太のような腕でレークを受けとめる。
「サンキュー。よくできた」
 道化師のガルスを決死隊に選んだのにはレークなりの考えがあった。巨体を自慢にするあのブロテよりもさらに頭ひとつも大きい、まさに人間離れしたこの男が、こういうときには役に立つはずだと。
「ようし、みんなもいいか。いくぞ」
 レークは仲間たちを一人ずつ確認すると、騎士たちとともに暗がりの中を動きだした。
 しかし、ほどなくして先頭をゆくアルーズが立ち止まった。
「レークどの、敵です」
 夜闇にまぎれつつなるべく敵の気配の少ない方へ動いてきたが、ジャリア兵の灯す松明の火があちこちに見える。どうやら敵に発見されずに過ごすことは不可能のようであった。
「ちっ。やはり、戦い覚悟で突破するしかねえな。いいか、みんな」
「はいっ」
「よしガルス、お前は最後に付け。その背中の楯があるからな」
「あ、あい……」
 大男は不安そうにうなずいた。頭といい手足といい並外れて大きいので、この男の体に合う鎧はない。仕方なくあり合わせで作った厚い革のローブを着せ、騎士の使う大きなカイトシールドを背負わせた。普通の人間が全身隠れられるような巨大な楯を、ガルスは軽々と背負って走ることができる。
「よし、いくぞ」
 騎士たちは剣を握ると、もはや敵に見つかることも恐れぬように、まっすぐ南側の城門を目指して走り出した。
 ジャリア兵の松明が彼らの存在を明らかにしたころ、すでにレークたちは中郭の門を抜けようとしていた。敵側としても、まさかこの夜更けに、このような少人数で城から出てくるものがいるとは思わなかったのだろう。
「し、城から敵が……ぐわっ」
 こちらに気づいた敵兵をレークとアルーズがなぎ払う。後方から放たれた矢はガルスの背負う楯が防いでくれた。
 敵の間を走り抜け、彼らは南の城門塔にたどり着いた。
「ふう。さあ、こっからが勝負だぞ。いいな」
 レークは確認するように仲間の騎士たちにうなずきかけた。ここまでは一人の犠牲者も出ていない。だが、ここからは誰一人として生きて帰れる保証はない。そして、ここにいるものはだれもがそれを分かっていたはずだった。
「じゃあ、頼むぞ。くれぐれも合図を見落とすなよ」
 十名のうちの二人は、城門塔のてっぺんへゆき待機する手筈である。念入りにレークの指示を受けた二名の騎士が、弓を背負って螺旋階段を上ってゆく。
 それを見送って、残りのものは地下への階段を下りる。
 城門塔の地下室にも数名のジャリア兵がいたが、突然現れた黒い鎧姿のレークに驚いている間に、他の騎士たちが取り囲んで仕留めた。決死の覚悟の騎士たちの振り下ろす剣には迷いはない。
「よし。いくぜ」
 地下道の入り口を覗き込む。穴の中には敵の気配はないようだ。
「まずオレが入る。次がガルス。アルーズが最後だ」
 レークは後ろ向きに狭い入り口をくぐった。続いて、大男のガルスが身をかがめて入ろうとするが、やはりこの巨体では簡単にはいかない。
「もっと頭を下げろ。這いつくばるようにするんだよ」
「む、無理だ。わっしは、こんな狭い穴へ入るのは無理でおす」
「入っちまえば、中はけっこう広いから大丈夫だ。おい、みんなこいつを押してやれ」
「おお、痛い、痛い、肩が引っかかって……」
 悲鳴を上げるガルスだったが、騎士たちにぎゅうぎゅうと押されると、なんとか上半身が穴に入った。さらに先に入ったレークが、ガルスの腕をつかんで思い切り引っ張る。
「おうっ、ひがっ、痛いでおす!う、腕があ……」
「もうちょい我慢しろよ」
 泣きそうな声を出すガルスを、地下道の中に引っ張り入れるのは大変な作業だったが、レークと騎士たちの力を合わせて、なんとかその巨体は入り口をくぐり抜けた。
「ふいー。十人の敵と戦うくらい疲れたぞ。おいガルス。あとは自分で這って進めるな」
「へ、へえ。なんとか。中はだんだん広くなってくるみたいで」
「よし。いくぞ。他のやつらもついて来いよ」
 レークにとってはすでに何度も通った地下通路である。暗がりの中でも感覚を頼りにして、迷わず進んでゆくと、やがて天井も広くなり、立ち上がって歩けるようになった。後ろを振り返ると、立ち上がったガルスの巨体は、ほとんど天井に頭がつくほどであったが、それでも普通に歩けることによほどほっとした様子だった。
「おうし、いいぞう。この暗がりの地下道でお前みたいなデカいのが立っているだけでも、敵は震え上がるだろうよ」
「わ、わっしは……戦うのは怖いでおす」
「おいしっかりしろ。生きるか死ぬかってときなんだからな」
「へ、へえ……」
「それに、その楯と剣を持って立っているだけで、敵は恐れをなして逃げちまうだろう。なんなら化け物みたいに吠えて見せればもっといいぞ」
「自信ないでさ……が、頑張りやっす」
 他の騎士たちも通路を続いてくるのを確かめると、レークはもう少し先に進んだ。やがて、右手の壁にそれを見つけるとまた立ち止まった。
「ここだ」
 それは、壁にあいた小さな横穴だった。
 最初にここを通って城に向かう途中に見つけた横穴である。この穴がマトラーセ川の西の支流へと続いていることをレークは確かめていた。この作戦を考えたとき、真っ先に思い浮かべたのがこれの存在だったのだ。
「レークどの。本当に……こんな少人数で出来るのでしょうか?」
 騎士の一人が少し不安そうに言った。他のものたちにも少なからず同じような思いがあるのだろう。
「やれるさ」
 レークは彼らを安心させるように大きくうなずいた。
「敵もまさかと思うだろう。少ない人数でも戦えるのがこの狭い通路だからな。ただ、それも時間が勝負だ。ガルスとアルーズと他の三人はここで敵を食い止めろ。あとの二人はオレと一緒に横穴だ」
「お任せを。命に代えてもここを守ります」
「なあに、ほんの半刻だけだ。その間だけ敵を防いでくれればいい」
 アルーズにうなずくと、レークはガルスの巨体を見上げた。
「頼むぜ。でかいの。そうやって剣を持って立っていると、誰もお前を道化とは思わねえだろう。心だけでも戦士にするんだ。そうすりゃ、お前は強くなる。いいか。お前が城のみんなを救うんだからな」
「わっしが……みんなを」
「そうだ。あとでみんなに向かって、自分が助けたんだと、誇りを持って言ってやれ」
「わ、わっし……頑張りやっす」
 ガルスは顔を紅潮させた。
「レークどの。敵の足音が」
「来たか」
 ジャリア兵の足音とともに、暗がりの向こうに松明の灯がぼうっと見えた。
「よし。お前の出番だぞガルス。敵が見えるくらいのところに来たら、剣を振り上げて叫び声を上げてやれ」
「へ、へえ。やってみまっす」
 ガルスは恐る恐るというように、その巨体を近づいてくるジャリア兵の方に向けた。
 敵の足音がしだいに大きくなり、
「あっ」
「な、なんだあいつは」
 やや離れたところでジャリア兵の声が上がった。ガルスの姿を見つけたようだ。
「おぐああ」
 ガルスが獣のよう声を上げると、ジャリア兵は驚いたように立ち止まった。
「な、なんだ……あの声は」
「なにか、巨大なものがいます。しかも剣を持っている!」
 暗がりの地下道に立っている巨体は、それだけでも相手には相当に恐ろしいであろう。
「おっがああああ!」
 さらにガルスが続けざまの叫び声を上げると、
「うわっ」
「ば、化け物だあ!」
 ジャリア兵は肝をつぶしたように逃げていった。
「ほっ。こりゃあいい。しばらくは時間がかせげそうだ」
 レークはしてやったりというように手を叩くと、景気よくガルスの背中を叩いた。
「これでいいんだすか」
「ああ、次に来たら、軽く剣を振り回すふりでもしてやりゃあいい。ただし、間違っても味方を巻き込むなよ。お前の怪力じゃ、鎧の上から当てられてもおっ死んぢまうからな」
「へえ。気をつけやっす」
「よし。じゃあオレたちは横穴からいくぜ。ここはアルーズたちに任せる」
 アルーズらにうなずきかけると、レークは二人の騎士を手招いた。
「よっ、こらせ……」
 壁に手をかけ狭い横穴に身をくぐらせる。二人の騎士もそれら続いた。
「この横穴が、マクスタート川の西の支流へと続いていることは分かっているんだ。いいか、怖がらずついてこいよ」
「はいっ」
 先の見えない狭い穴を、四つん這いのまま這い進むのはひどく恐ろしいことであったが、レークは仲間を安心させるように、ときおり振り返っては声をかけた。
「もうすぐだ。この先が出口だからな」
 やがて、鼻先に冷たい風が感じられるようになり、水の流れる音が聞こえてきた。さらにしばらく進むと、そこはもう出口だった。
「よし、着いたぞ。外に降りるときは気をつけろよ。ここは岩場で滑りやすいからな」
 辺りに敵の気配がないことを確かめ、レーク慎重に地面に足をつけた。付いてきた二人の騎士も、こわごわと穴から顔を出して、それぞれに岩場に降りた。
 ここは城の南西の城門塔のちょうど真下というあたりのようだった。
 辺りはごつごつとした岩場で、背後を見上げる崖の上に城壁がそびえていた。目の前には、マクスタート川の大きな流れがあった。
「あそこだ」
 レークが指さした。岩場の向こうに、ぼんやりとした灯が見えていた。
 そちらに目を凝らすと、そこはどうやら船つき場のようだった。
「あそこにジャリアどもが乗ってきた船がとまっている。あのうちの一隻をぶんどれば、城にいる人数くらいは乗せられる」
 それがレークの考えた作戦であった。
 地下通路に敵の目を引きつけておき、その間に敵の船を奪って、タイミングよく城の人間を乗り込ませる。これが成功するかどうかは、いかに迅速に事を運ぶかにかかっていた。
「よし、お前らは少し離れてついてこい」
 二人の騎士が緊張した顔でうなずく。
 川岸に停泊する船のうち、レークは見張りの手薄そうな一隻を見定めると、そちらへ向けて歩きだした。ジャリア兵になりすましたときの黒い鎧姿である。
 いかにも指令を受けてきた兵のように、船に近づいたレークは軽く手を上げた。すると、船の甲板にいた見張りの兵士が気づいて、手を振り返してきた。
(三、四人てとこか……)
 甲板にいる敵兵の人数を素早く見て取る。レークの後ろからは、二人の騎士が身を低くしてついてきていた。
「王子殿下からの伝令だ」
 ジャリア兵の鎧を着たレークが声を上げる。
「お前たちはいったん船から陸に上がって休憩をとれ」
 それを聞いた甲板のジャリア兵たちは、簡易に作られた丸太の桟橋を渡って歩いてきた。
「おい、休憩っていっても、どこへ行きゃあ……」
 ジャリア兵は最後まで言えなかった。
 恐ろしい早業で、レークの剣が首筋に叩きつけられ、ジャリア兵はその場に倒れこんだ。
「あっ、きさまら……」
 あとからきた三人のジャリア兵が声を上げた瞬間、すかさず飛び込んだレークと二人の騎士が斬りかかった。悲鳴を上げることなく、ジャリア兵がその場に倒れこむ。
「おお、殺すまでもないのにな」
「しかし、われらはレークどののように素早い峰打ちなどできませんから」
「ふむ。まあ、しゃーないか。おい、見つからないようにこいつらを、隠しておけ。オレは船の中を見てくる」
「了解しました」
 騎士たちがジャリア兵の体を引きずってゆく。それを見送ると、レークは丸太を渡って船に乗り込んだ。
「ほう。こりゃあなかなかいい船だ」
 それはなかなか見事なガレー船であった。
 細長い船体の両側にはずらりと漕座が並び、大型の三角帆を張れるマストを装備している。大きさも申し分なく、これならゆうに百人以上は乗せられるだろう。
「よーし。この船をいただくぞ」
 二人の騎士が戻ってくると、レークはさっそく彼らに指示をした。
「いいか。オレがあの抜け穴に戻って少ししたら、手筈通り、カンテラで城門塔に向けて合図を送れ。船の錨も上げておけよ。西門が開いたら、出てきた仲間を乗り込ませてすぐに出発だ」
「はい。了解しました」
 鎧を脱ぎ捨てて身軽になると、レークは二人の騎士を残して船を降り、岩場に向かった。
「急がねえとな」
 これは時間との勝負だった。船を奪ったことをジャリア兵に気づかれてしまえば、そこでおしまいである。レークは音を立てぬよう慎重に岩場を登り、さっきの横穴を見つけると再びそこに入っていった。
「さて、アルーズたちの方はどうなってるか」
 はやる気持ちを抑えながら、狭い穴を這い進んでゆく。やがて、穴の向こうから激しい叫び声が聞こえてきた。どうやら、彼らは地下通路で敵と戦っているらしい。
(まあ、敵さんがそっちに目を向けてくれるほど、こっちはありがたいわけだからな)
 もうそろそろ、船上からの合図を、城門塔にいる騎士が見つけて、今度は城に向けて合図を送っているはずだ。そうすればすべては動きだす。成功か、それとも破滅かへ向けて。
(上手くいくもいかないも、すべては運命しだい……だな)
 命懸けの緊張の中でもにやりと笑えるのが、己の特技でもある。心を落ち着かせながら、レークはただ横穴を這い進んでいった。
 出口に近づくと、ずっと聞こえていたのはガルスの叫び声であったことが分かった。ひどく化け物じみた恐ろしげな声が響いてきて、レークは思わず耳をふさいだ。
「やつはきっと、歌ってもひでえ音痴に違いないな」
 横穴の出口から顔を出したレークは、辺りの様子を窺った。
 だが、そこに戦いの気配はない。ただ、強烈極まりないガルスのがなり声が辺りに響いているだけだ。
「ガルス!」
 名前を呼ぶと、暗がりの向こうからぬっと大男が現れた。
「あい」
「おお、レークどの」
 アルーズと他の騎士たちもそばに来た。
「よう、どうなってる?」
「この通り、こっちは無事です。そちらは?」
「ああ、計画通りだ。今頃は城の城壁にも合図が伝わっているだろう。ところで、敵はどこだ?」
「おりません」
「なんだと?てっきり、この地下通路では壮絶な戦いがおっぱじまっているとばかり思ったんだが」
「それが、お聞きの通り、このガルスの声です」
「わっし、やった。わっし、やっただ!」
 得意顔でうなずいて見せるガルスは、叫び続けてガラガラになった声で、また猛烈に叫んでみせた。
「ぐわあああおお!」
「うわっ。もういい!オレのそばで叫ぶな」
「ははは。この物凄い声で、ジャリア兵もすべて逃げていきましたよ」
「そいつは、すごいな。よくやったぞガルス」
「わっし、やった!」
「もちろん、何度か敵も向かってはきましたが、ガルスが剣を振り上げて見せると、さすがのジャリア兵も腰を抜かさんばかりのありさまでした」
「だろうよ。こいつが気の弱い道化師だと知らなけりゃ、この暗がりで見たら誰だって化け物だと思うだろうさ」
 作戦が想像以上の効果を上げたことで、レークも大いに気を良くした。他の三人の騎士も無傷であるし、これで次の段階に進められる。
「よし。じゃあアルーズと、お前ら三人は、横穴から外に出て船にゆけ。一番上流にある大型のガレー船だ。間違えるなよ」
「了解です。レークどのは、また城へ?」
「ああ。このガルスと一緒にな。こいつの体じゃ、この横穴に入るのは無理だ。まずは、奪った船を確保しておくことが一番重要になる。頼むぞ」
「はい。おまかせ下さい」
 アルーズと三人の騎士は、次々に横穴へと入っていった。
「さってと、オレたちもいくか」
「わっしは、もう叫ばなくていいのかな?」
「ああ。もう……」
 ガルスの巨体を見上げ、レークはにやりとして言いなおした。
「いや、敵がそばにきたらまた叫んでくれ。よけいな戦いをせずにすみそうだ」

 二人は再び地下通路を戻って城内に出た。
「誰も……いねえ」
 てっきり、敵が待ち構えているだろうとばかり思っていたレークは、拍子抜けしたような気分で辺りを見回した。
 城門塔の地下室はがらんとして静まり返り、近くに敵の気配はまったくなかった。
「てえことは、この分だと……敵は天守の方を狙ってるようだぞ」
 城門塔から外に出ると、すぐに物々しい空気が伝わってきた。そこにあるのは、激しい戦いの気配……悲鳴と物音、混乱、そして天守の方角に火が上がるのが見えた。
「くそっ。城の連中の脱出はうまくいかなかったのか?」
「レークどの!」
 城門塔の上から二人の騎士が階段を駆け降りてきた。
「お前ら、どうした?合図は城に向けてちゃんと送ったんだろうな?」
「はい。ですが、城から脱出するまでの準備に時間がかかったようです。敵は陽動に気づいたらしく、天守から出てきた城の兵と戦いになっています」
「くそ。そういうことか」
「敵は天守の吊り門を火矢で燃やし、城の中には女や子どもが取り残されています」
 それを聞いてレークは、どうすべきかと一瞬迷ったが、すぐに心を決めた。
「ちくしょうめ……仲間を見捨てて生き延びても、胸くそ悪いもんだろうさ」
 自分自身につぶやくと、
「ついてこい!」
 騎士たちとガルスを連れ、天守に向かって走り出した。
 天守の入り口付近では、激しい戦いが始まっていた。夜闇の中で、城側の兵とジャリア兵の黒い鎧姿が、松明の灯に照らされて、もみ合うようにひしめいている。
 剣を抜いたレークたちが飛び込んでゆくと、ジャリア兵たちは巨漢のガルスの姿に一瞬ひるんだようにして道を開けた。
「無事か?ボード!」
「レ、レークどの」
 兵たちの先頭に立って戦っていたボードが、こちらに気づいて走り寄ってきた。
「も、申し訳ありませぬ」
 ボードは激しい戦いで血のにじんだ額をぬぐい、大きく息をついた。
「城門塔の合図を見つけから脱出まで、やや時間がかかってしまい、我等が天守を出たところを敵兵に取り囲まれて……」
「そうか」
 本来なら、地下道の方に敵の目を引き寄せている間に、城のものたちを脱出させるはずだったのだが。ジャリア軍もこちらの意図に気づいたのか、それとも天守での動きにいちはやく勘づいたのか、どちらにしても素早い対応であった。
「天守にはまだ女、子どもなどが残っております。このままでは……」
「わかった。それはまかせろ。お前らはなんとか持ちこたえて、西の門まで逃げろ」
「いえ。我等はここで踏みとどまります。城の家族を守らなくては」
「そうか……よし」
 再び敵に向かってゆこうとするボードの肩を叩くと、レークは天守の入り口への石段を駆け上った。
 背後からジャリア兵の矢が飛んでくるが、ガルスの背負う楯がそれを防いでくれた。
「わっしも役にたつ。もっと役に立ちたい!」
「おお、サンキュー、ガルス」
 天守の入り口の吊り扉は、ジャリア軍の火矢を受けすでに燃え落ちていた。
 籠城のための吊り扉は、吊り上げてしまえば敵の侵入を防ぐ役割を果たす。だが反対に、吊り扉を下ろし、それを橋にして溝を渡らなくては外へは出られない。溝の幅は三ドーンほどもあり、身軽なレークならともかく、女や子どもが飛び越えられるものではなかった。
 扉のなくなった天守の入り口からは、中に残された女や子どもたちが、おそるおそる顔を出している。悲鳴やすすり泣きの声も聞こえてくる。
「おい、中にはあとどれくらいいるんだ?」
 溝をはさんでレークが尋ねる。すると、そこにいた女の一人がこちらに手を振った。
「ああ、騎士さま。ここには女と老人、それに子どもが二十人ほどおります。裏口の方から逃げようとしましたが、そちらからは敵の兵が城に入り込んできて……何人も殺されました。ああ、どうかお助けを!」
 女は泣き声まじりに両手を組み合わせた。
「ああ、助けてやる。しかし、ここを飛び越えられないと、どのみち逃げられないわけだな」
 レークは溝を覗き込んだ。ここから落ちたら誰も助からない高さである。
「くそ……どうしたら」
 その間にも、敵からの矢が次々に飛んでくる。ガルスが持つ楯に隠れながら、レークはなにか方法はないかと考えた。
「おい、女。そこに、なにか橋になるような板はないのか?」
 この溝にかけられる板でもあれば、それを渡ってこっちに来られると思ったのだが。
 女は絶望したように首を振った。
「こ、ここにはありません。ああ、城に侵入してきたジャリア兵が、もうすぐそこまで迫っております。ああ……神様」
 子どもたちの泣き声、女の悲鳴がレークの耳に突き刺さる。
「くそ。こうなったら、オレが向こうに飛び移って、せめて子どもだけでも……」
「ああっ、ジャリア兵が回廊の向こうからこっちに来ます!」
 女の悲鳴が一斉に上がった。
「きゃああーっ」
「助けてえ」
 恐慌に陥った女たちの叫びが響く。たとえ女、子どもにも、決して容赦はしないというジャリア兵の残虐さは広く知れ渡っていた。
「あああーっ」
 激しい悲鳴とともに、女の一人が天守の入り口から飛び出した。
 だが、溝を飛び越えることはできず、女は空中をもがくようにして落ちていった。
「くっ」
 レークは唇を噛んだ。目の前にいるのに助けられないというもどかしさに、拳を握りしめる。
「わ、わっし……わっし」
 横にいるガルスはわなわなと震えていた。
「ああっ、ジャリア兵がこっちに!」
「殺される!」
 子どもを抱いた女が、続いて入り口から飛び下りようとした。そのとき、
 ガルスは楯をレークに渡すと、いきなり両手を高く突き上げた。
「うおおおっ」
「ガルス、なにをする!」
 天守の入り口に向かって、ガルスは飛び込んでいた。
「うがあああっ」
 その巨体を思い切り伸ばし、体を投げ出すようにして溝の向こう側の石壁に手をかける。
「ガルス、お前……」
「わっし……わっしの上を!」
 ガルスは両手と両足を思い切り踏ん張って、その自らの巨体で橋を作っていた。
「早く。わっしの上を!」
 壁にかけたガルスの腕がぶるぶると震えている。
「よし。おい、女たち。一人ずつ渡ってこい!」
「でも、騎士さま……」
「そこにいたら必ず死ぬぞ。こいつの勇気を無駄にするな。早くしろ!」
「わ、わかりました」
 意を決したように、女の一人がおずおずとガルスの背中に足を乗せる。ガルスは体を震わせながら重みに耐えていた。
「急げ。こっちに飛び移れ!」
「は、はい」
 差し出したレークの腕をつかみ、女はこちら側に飛び移った。
「よし。次だ。一人ずつどんどん来い」
 続いて、女と子どもたちがガルスの体を渡ってゆく。むしろ子どもたちの方が勇気があって、軽々とガルスの背中を踏み台にこちらに飛び移ってくる。
「よーし。いいぞ。次だ!」
「うう、うーっ」
 苦しそうに歯を食いしばる、ガルスの顔は顔を真っ赤だった。手足の筋力は限界に達しているのだろう。石壁をつかむ手の先からは血がにじんでいる。
「頑張れガルス!」
「うが……ふ、ふ」
 容赦なく放たれるジャリア兵の矢が、ガルスの体に突き刺さった。一瞬、びくんと体を震わせたが、それでもガルスは耐えた。
「わっし……みんな、助ける」
 巨人の道化師の顔は、そう物語ってでもいるかのようだった。
「あともう二人だ。ガルス、もうちょっとだぞ」
「ぐ、ああ……」
 ガルスの腹にまた矢が突き刺さった。
 血を滴らせる巨体の橋を、泣きながら女が渡ってゆく。そして最後の一人が渡りきった。
「よく、やったぞ……ガルス。お前が、みんなを助けたんだ」
「わっし……やった、わっし……」
 ガルスの両腕はがくがくと震えていた。何本もの矢が刺さり、その体は血だらけであった。もう彼を助けられないことは、レークにも分かっていた。
「ガルス……」
 こちらを向いたガルスの顔がどこか満足そうに笑ったように見えた。
 一瞬ののち、そのまま橋が崩れるように、その体は落ちていった。
「すまねえ……ガルス」
 レークは顔を歪め、勇敢な道化師の姿をその目に焼きつけた。
 

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