水晶剣伝説 U ジャリアの黒竜王子

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展望


「あの……踊りませんか?」
 オードレイがおずおずときりだした。
「ワルツが聞こえてくるので。いかがです?晩餐に来られないのでしたら」
「でもよ……」
 レークは困ったように頭を掻いた。
「よろしいでしょうか。クリミナ様」
「べつにいいよ。君が踊りたいのならね」
「ありがとうございます。ではレーク様……」
「あ、ああ」
 差し出された手をとり、レークは立ち上がった。聞こえてくるワルツの音に合わせて、二人はゆったりと踊り始めた。
 慣れぬ足取りながらも、レークはなんとか曲に合わせてステップを踏み、かろうじてさまになるくらいには踊っていた。
「うふふ、お上手ですわ。レークさま」 
「そ、そうかい……おっとと」
 レークは相手の足の動きを見ながら、自分の足を引っ込めたり出したりと、なかなかうまい具合にリズムをとっていた。もともと運動神経はいいので、徐々に慣れてくるとステップと押し引きのコツを心得て、相手の顔を見る余裕もでてきた。
 ふわりと亜麻色の髪をなびかせて踊る、楽しげなオードレイの顔につられて、自然とレークの顔にも笑顔が浮かぶ。
「意外とダンスってのも面白いもんだな。うん」
「でしょう?私もダンス大好きなんです」
 一曲踊りおえると、二人は上気した顔を見合わせた。
「……あ、また次が始まったわ。もう一曲いかが?」
 今度のはゆったりとしたバラッドだった。二人はまた手を取ると、今度は互いの肩を近づけて、曲に合わせてゆるやかに体を揺らせだした。
「あ、あのよ……」
 さりげなくレークは彼女の耳元に囁いた。
「さっき、恋人がいないって聞いたけど……」
「はい?」
「本当か?いや……その、別にすぐにオレの女になれとかそういうんじゃなくて……」
 何を言われるのかを理解したのか、オードレイはさっと頬を染めた。
「あんなは明るくて可愛いし、その……つまり、オレ好みだ」
「あ、あの……」
「いや、むろん、あんたが身分違い相手なんぞまっぴらだというんなら仕方ねえが……」
「いいえ」
 オードレイは首を振った。
「身分などは……そんなのは、関係ありません。人を愛することについては」 
「そ、そうか」
 レークが肩を引き寄せようとすると、彼女は小さくかぶりをふった。
「いけませんわ……」
 二人の足がとまった。
 オードレイは困ったようにしていたが、レークにはそれがとても可愛らしく思えた。
「なあ……オレと、」
「それまでだ」
 近寄ってきたクリミナが、二人に割って入った。
「もうよかろう。オードレイ。次は、私と踊ってもらえるかな?」
「は、はい」
 レークからもぎはなすように、クリミナは女官の手を取ると、二人は踊り始めた。
「な、なんだ、女同志で……」
ごく自然に踊りはじめた二人の姿は、見方によっては男女のそれと変わらなかった。クリミナは騎士の姿であったし、オードレイよりもずっと背が高くすらりとしている。その堂々とした足運びも、ほとんど紳士といってもよいほどだった。オードレイも相手に身を預けるようにして踊りながら、楽しそうな笑顔を見せている。二人は息もぴったりで、互いを見つめ合い、手を引き合う様は、まるで踊り慣れた長年のパートナーのようだった。
あっけにとられたように、レークはその場に突っ立っていた。自分の存在などはもはや忘れたようにして踊り続ける、奇妙な取り合わせの二人を、ぽかんと眺めながら。

「レークさま」
 見張り番の騎士に馬車を頼んで、屋敷の外へ出たところで、レークは振り返った。そこにオードレイが立っていた。
「お帰りですか?」
「ああ……まあね。あんたらのダンスの邪魔をしちゃ悪いし」
「そんな……ごめんなさい」
 うつむいたオードレイは小さく言った。
「あ、あの……。さっきのこと、誤解、しないでいただきたいんですけれど」
「誤解?何をだい」
「あの」
 彼女は頬を染めて囁いた。
「私とクリミナ様はそんなんじゃ……それに、だいいち恐れ多いですし。私のようなただの女官が」
「ふうん。わっかんねえな……」
 レークは首をひねった。それから、いきなりぐいっと彼女の腕を引き寄せた。
 驚いたオードレイは声を上げた。
「あっ。だ、だめです」 
「どうしてさ?」
 レークの視線から逃れるように顔をそらし、彼女は静かに言った。
「私は……私の……身も心も、クリミナ様のものです」 
「へ?」
 レークはぽかんと口を開けた。
「へえ……そりゃ、また、なんというか……」
「あの」
「てことは、あんたら……まさか。できてんのか?女同志で」
「ち、違います。そんな」
 女官は顔を真っ赤にして首を振った。
「ときどき、ああして踊ってくださることはありますが……それ以外は何も。そ、そうです。私がただ勝手に、そう思っているだけなんです」
「そう思って……」
「あの……お慕いしています。クリミナ様を、クリミナ様のすべてを」
 頬を染めてうつむく女官を、レークはじっと見た。
「それで、あんたは……それだけでいいのか」
「ええ……。私が勝手に思っているだけですから。それだけで、私は幸せなんです。今日も……今日だって、クリミナ様が晩餐にいらっしゃるって聞いたから、私は……」
「ああ……そうか。べつにオレなんかとは会いたくもなかったってわけだな」
「あ、いいえ。けっしてそういうわけでは……本当に。それに今日またお話ししてみて、レーク様もいい方だと思いました。楽しかったです。とっても」 
「いい方……ね」
「ですから……あの、ごめんなさい。さっきのお申し込みは……」 
 レークはため息をついた。
「ああ、分かったよ。あんたは決してオレの女にはならないと。そういうこったね」
「ごめんなさい……」
 そのとき馬車の用意ができたと、若い騎士が告げに来た。
「んじゃ、お友達としてなら、また踊ってくれるかな?」 
「は……はい」
 女官に手を振り、レークは馬車に乗り込んだ。
「あーあ……、オレもなんて人がいいのかね」
 動きだした馬車の座席で、レークは自嘲気味につぶやいた。窓の外からは楽団の音色が聞こえてくる。リハーサルも佳境のようだ。
「晩餐のごちそう、食い損ねたな……」
 豪勢な食事と雅な音楽、交わされる楽しげな会話……この屋敷の女官や下働きたちも、今宵は淡い恋や、許されぬ思いをそれぞれの胸に秘めながら、ワルツやポルカを踊るのだろうか。
「しかし、まあ……、この国はいったいどうなってんのかね。女が騎士になったり、女同士でダンスとか……」
 騎士姿の凛々しいクリミナと、それにしなだれかかるオードレイの様子が頭に浮かぶ。
「くそ。いいさ……。いい女はきっと、他にいくらだっているんだ」
 自分にそう言い聞かせて首を振る。レークはなにか釈然としないまま、馬車窓から夜空を見上げるのだった。
「おや、早かったな」
 いささか不機嫌そうに足音を立て二階の部屋に入ると、金髪の相棒が出迎えた。
「メシはあるか?」
「食べてないのか。どうした?なにかあったのか?」
「見りゃわかんだろ」
 憮然としたレークの様子に、アレンはふっと笑った。
「わからん」
「くそ」
 着ていたローブを乱暴に脱ぎ捨てる。すっかり腹ペコであった。
「で、メシは?」
「ない」
「なんだとう」
「てっきり、お前はレード公邸でごちそうになるものだと思っていたからな。早めに俺だけいただいたよ」
「くそ。マージェリに言ってなんか作ってもらうか」
「マージェリなら出掛けたよ」
「なんだと?どこへ」
「さあ。とにかく今日はもう帰らないそうだ」
「なんてこった……」
 がっくりと肩を落として、レークは力なく椅子に座り込んだ。
「腹がへってるのか?」
「当たり前だ。なにも食ってない」
「そうか。では俺がなにか作ってやろうか?」
「そうか!お前メシ作れんだっけ」 
「うむ。簡単なものでよければ」
「頼む。さすがわが相棒」
「ただし、今日あった出来事を詳細かつ正確に報告してからな」 
「な……」
「当然だろう。俺の方も、今日はモスレイ侍従長に会ってきた。その報告をしなくてはな。レード公騎士団の様子はどうだったか。誰と話をしたか、その話の内容、一部始終をちくいち聞こう」
「……なにもかも、か?」
「そう。なにもかもだ」
 たいそう腹が減っていたためでもあったが、これからこの皮肉屋の相棒に、オードレイやクリミナとのことを話さなくてはならないと思うと、胸がぎゅっと痛んだ。
「ああ……」
 レークはため息をついた。
 それはたいそう悲しげなため息だった。

 それから数日後、アレンは正式に式部宮の女官たちの教師となった。
「へえ、お前が教師?」
「うむ。何度か試験を受けてな。合格したのだ」
 そういえばここのところ、アレンは式部宮の侍従長などと、頻繁に会っていたようだ。望んでいた宮廷での仕事が決まったことに、アレンの顔もいつもより晴々としていた。
「で、何を教えるんだ」
「トリヴィウム。つまり教養三科さ。文法……これは古代アスカ語のだな、修辞学、論理学というやつだ」
「へえ。古代アスカ語か。それだったらオレだって、ちょっとはできるぞ。そんなもんは常識じゃねえのか?」
「ここはアスカからは遠い国、トレミリアだからな。最近の若者は古典を読むのに必要な古代アスカ語をまったく解さんと、侍従長が嘆いていた。まあ、だからアスカ語に堪能だという点で自分が評価されたのだろう」
アレンの言うとおり、何度かの面接の後で、式部宮の責任者でもあるモスレイ侍従長は、アレンの知識の深さとその論理的な思考、そして巧みな話術などに、つくづく感心したのだった。
「ふむ。まったく見事だ。発音も、文法も。これほどきれいな古代アスカ語を話すのは聞いたことがない」
 白いあごひげに手をやり、侍従長はそう絶賛したものだった。
「この式部宮には、五百名からの女官がおるが、その中でも若い連中……とくにこの数年くらいの間に入ってきたものたちは、まったく教養のなっとらんことはなはだしい。これはむろん、町の大学のレベルにも関係しておるが、女官の場合は修道院あがりの者が多いでな。あまり知識欲を持たずに時を過ごしてきた者が大半なのじゃ。だもので、これはなんとかせねばと、わしはずっと思っておった。とにかく、まずは一番下の若い女官たちだけでも教育しなおさねばとな」
「はい」
「女官たちは己の役職を軽く見すぎておる。若いものなどは特にそうじゃ。どうせいずれはどこぞの子爵、伯爵のもとへ嫁ぐのだから、今はただいっときの時間つぶしというような感覚では困る。教養というものは大切じゃ。トレミリアではとくにな。女官といえども、古代アスカ語を学び、世界の古典に触れ、その偉大さを知ることがときに必要なのじゃ。己の礼儀、作法、相手に対する敬愛を知るには、古典はもってこいの手本なのだからの」
「私もその通りに思います」
「頼むぞ。アレイエン、お主の教養を若い女官たちに分けてやってくれ。おぬしが元浪剣士だろうが身分がなかろうが、それは問題ではない。何故なら、こうして何度か言葉を交わすうちに、おぬしが類まれなる才力と、知性、理性にとんだ得難い人物であるということが確信できた。それに、すでにおぬしはれっきとした宮廷人になったのだ。なにもはばかることはない。少なくともこの式部宮でのおぬしの地位は、私が全面的に保証しよう」
 こうして、アレンことアレイエン・ディナースは、モスレイ侍従長のめでたき覚えのもと、晴れてフェスーン宮廷における女官教師という役職を得たのであった。

 そして、風の吹く丘……
自分たちの家を見下ろす裏手の丘に、二人はいた。
「じゃあアレンよ」
「ああ」
「オレたちが前にアスカにいたことは、もう誰にでもバラしちまっていいんだな」
「それについては問題はないだろう。逆に、俺たちがもとはアスカの小貴族で、ゆえあって放浪する浪剣士に身をやつしたという方が、むしろ話として説得力がある。じっさいにそれはある程度事実であるわけだしな」
「しかし、この前のオライア公に言ったみたいに、親父の形見の剣を探してるっていうのはどうなのかな」
「まあ、悪くないだろう。今後もし、俺たちが剣の話をしていたり、剣を探すそぶりを誰かに見られても、そういう設定にしておいて、『実は、こういうわけで父の形見の剣を探している……』と説明すればなにも怪しまれない。おそらく、この国に水晶剣はないだろうが、俺の考えでは剣は必ずこのリクライアのうちの、七つの国のどこかにある。それもその国の強い権力者のもとにな。その中でアスカとトレミリアがこれで消去された。あとはウェルドスラーブ、セルムラード、ミレイ、アルディ、そしてジャリアだ」
 この小さな丘からは、そのすべてが見渡せようもなかったが、広大な宮廷内の風景を彼らはいま俯瞰していた。緑の葡萄畑や美しい庭園、貴族たちの立派な屋敷と連なる青い屋根屋根、そして、東にそびえるフェスーンの王城……
 二人の浪剣士は、それをぐるりと見渡した。
「その……どこかに、水晶剣が?」
「ある」
 金髪をなびかせ、アレンは確信に満ちた力強い声で言った。 
「あの剣の力は、人の力と合わさることでさらなる力となる。強い心と、望みを持った人間を、あの剣は選ぶのだから」
 強い風が吹いた。
 流れゆく雲は、にわかにその速さを増してゆく。
「なにもかも。うまくゆく」 
 魔力を持つものにすら聞かれぬように小さく、静かにアレンはつぶやいた。
「風はオレたちに吹く、か」
 うなずき合い、二人の剣士は風の丘で……
 晴れ渡った空の、そのはるか彼方の流れを見据えるかのように、そこに立っていた。


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