水晶剣伝説 U ジャリアの黒竜王子

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  公爵の娘

「ほう、なるほどな。宮廷騎士長はそんなに怒りっぽいのか」
 オライア公爵は、レークの話に楽しげに相槌をうった。
「そう。その上、恨みがましいったらねえんだ。きっと、まだあのときの剣技会で負けたことを根にもってるにちがいねえ」
「しかし、レーク。それはお前さんが、クリミナ様に対して不遜な態度をとるからなんではないのか?」
 公爵の横に座っているのは、がっしりとした体躯に、黒髪を総髪にたばねた若い騎士……トレミリアでも屈指の剣士と名高いローリング騎士伯であった。
「だってなあ、ローリング……あの女騎士どのはさ、いちいち、なにかにつけてオレのことを無視したり、差別したりすんだぜ。そうでないときは、怒ってきついことを言う」
「なるほど。まあ、確かにあの騎士長どのは少々気が強いところがあるが」
「だろう?それに気が強いどころじゃないぜ。横暴でさ、その上陰険なんだ。あのあまっちょ、今日なんかはレイピアの模擬試合でよ、オレだけ相手をつけさせず素振りををさせやがるんだ。それもずっとだぜ。そりゃねえだろうと文句を言ったら、『それなら残りの時間は練馬場を走っていてもよいが?』と、こういうんだぜ。ひでえ差別だろう!いくらオレが元浪剣士だからってあんまりだ。なあ、そう思わねえか」
「うむ。しかし、それは逆に考えると、クリミナ様がお主の剣の腕前を知っていて、他の騎士たちと試合をさせるのはかえって危険と、そのように考えたからなのではないか?」
「だったらさ、騎士長どのがじきじきにオレの相手をするとかでもいいじゃねえか。オレとまともに打ち合えるのは、あのへっぽこ騎士団の中じゃあ、あのアマ……いや騎士長閣下だけなんだから」
「それは、そうかもしれんが……」 
 アレンが横で心配そうにするくらい、レークは身分ある人々にも言葉を飾らなかった。とくに騎士伯のローリングとは、ほとんど十年来の友人でもあるかのように、その再会を喜び合い、互いに肩を叩き合った。それにオライア公も、レークの下品な言葉に笑ったりうなずいたりと、最初の訪問の時よりもよほど打ち解けたふうだった。
「な。やっぱり、差別だろう。オレが身分なき下司の浪剣士だと馬鹿にしているんだ。雅びやかな宮廷言葉も、お上品なへっぴり腰での剣さばきも、そんなのは確かにできねえさ、オレには。それでいてやつらは、俺のことを心の中ではいやしい乞食、人非人だと思ってやがるんだ。はっ、そうに決まってる!」
 調子に乗ってワインを飲みつづけていたこともあり、ずいぶん顔を赤くしてレークはまくしたてた。すでに、目の前にいるのがトレミリアの実質上の施政者の一人、宰相オライア公爵であることなど、すっかり忘れてしまっているようである。 
「だいたいなァ、あのアマはいつもそうなんだ。すましたつらでオレをさげすむように見て、ふんと顔をそらすあの態度!何様のつもりだ。ああ、確かに貴族さま、それもきっといいとこのおぜうさまなんだろうさ。あいつから見ればオレなんかはただの浮浪人、道端のゴミみたいなもんだろうよ。くそ、ちょっとかわいいつらしてるからって、もうちょっと愛嬌ってもんがないのかね。いったいどんな育ち方したんだろう、あの女騎士どのは」
「ふむ……そんなに、ひどいかね?宮廷騎士長の態度は」 
 妙に深刻そうな顔つきをして、オライア公は腕を組んだ。
「ああ。そりゃもう。こちとら親の顔が見たいってもんですぜ。まったく……」
「おいレーク。いいかげんにしないか。仮にも公爵閣下の前なんだぞ」
「いや、かまわんよアレン。公の場ならともかく、ここはおぬしらの家だからな。そして我々は単なる訪問者、身分うんぬんをひけらかしても詮なきこと。なあローリング」
「はい。私も、公爵に勝手を申しまして、ここに付いてまいった身。本来なら国に戻ってまず先に国王陛下にご挨拶せねばならぬところですが。まず最初にこの二人にお会いしたくなり、無理を申して公爵のお供を買って出たもので」
「ああ、オレもさ。何故かあんたとは、妙にウマが合う。ずっとそう思っていたよ。あんたが山賊のデュカスだったときからな」
「このローリングは、正式にはレード公騎士団の団長だがの、このわしとも十年来の友人で……ま、息子のようなものかな。だから騎士団の任務の合間や、暇な時にはよく話をしたり、こうして護衛をかねて付いてもらっとるわけだ」 
 オライア公の言葉に、ローリングはうやうやしく頭を下げた。
「ローリングは宮廷騎士長とも幼なじみなのだ。もとはこいつも宮廷騎士団におったのさ。つまりレーク、そなたの先輩だな」
「へえ、そうなのか。へえ……幼なじみ。ローリングとあのクリミナさんがね……」
「だから、こやつとってはクリミナは妹のようなものでな。子供の頃から二人してわしの屋敷で騎士のまねごとをしておったよ」
「公爵。それは身分不相応ですよ。むしろ私はクリミナ様のお付きのようなもので……」
「ちょ、ちょっと、待った。ローリングと騎士長どのが仲が良くて……それで、オライア公の屋敷で子供のころから遊んでいた?」
 ようやく……そこにある重要な事実を察したらしい。レークはおそるおそる尋ねた。
「ええと……、念のために聞きますが。あのアマ……いや、クリミナさんは公爵とはどのようなつながりで?」
「あれは娘だよ」
「む、むすめ……?」
 レークはその場に固まった。
「娘って……実の?」
「うむ、いかにも」
「そうで……ござんしたか」
 ごくりとつばを飲み込むと、レークは横にいるアレンに目をやった。
「おい……アレンよ」
「ああ」
 アレンは笑いを堪えるように無表情を作っている。
「おまえ……知ってたな」
「なに?おぬし、まさかクリミナ様が公爵の娘だと知らなかったのか?」
 ローリングが驚いたように言う。
「てっきり知っていて、さっきから話題にしていたとばかり……父君である公爵の目の前で、なんと豪胆な男よと思っていたのだが……」
「う、うう……」
 レークには返す言葉もない。今までさんざん口にした、公爵の娘である女騎士への無礼な言葉の数々に、額から汗が流れ落ちる気分だった。
「だけど……だけどさ、ほら、あの剣技会での陰謀事件の告発のとき。捕まったオレの前で、クリミナと公爵がいろいろ話をしていたけど、そんときは全然そんな感じじゃなかったぜ。まさか、だってそんな。親子なんて……マジか?」
「クリミナ様は、ああいうおかただから、たとえ実の父娘だろうと、ただのああいうときは一人の騎士としてふるまわれるのだよ。宰相閣下の方も、実務に忠実なるお心から、ご自分の娘御であろうと、騎士は騎士として扱うという、そういう信念をお持ちなのだ。それを横で見る我らは、確かにときどきはお二人のご関係を奇妙にも感じたりもするが、そういうものなのかと理解はしている」
 たしかに、ローリングのいう通り、父と娘であるからといって、公務とそれは別であるという考え方は分かる。だがレークからすれば、まさかあのとき、真夜中の城壁の暗がりで自分が気絶させたり、剣技会の試合で戦い、剣で兜をなぎ払ったその相手が、ここにいるトレミリア宰相の娘であるという事実に、驚かずにいられようはずもない。
 宰相の娘といえば、それは当然大貴族の姫君ということでもある。自分ごときが高貴な身分の女性を、それも実の父親の前で罵倒して、たたで済むものだろうか。幾多の修羅場をくぐり抜けた浪剣士といえども、これほど緊張にこわばる場面はめったにない。
 おそるおそる公爵の顔を窺うと、オライア公は無言のまま、険しい顔つきでこちらを見ている。
「う……、ええと……その。これはまた、ご無礼なことを、その、娘……ごそくじょ、とは知らず、オレとしたことがくだらん文句を、いろいろ……いっちまって」
 レークは必死に弁解しながら、じっとりとにじむ汗を何度もぬぐった。
「すまね……いや、もも……、もうしわけ……」
「ふ、ふはは」
「……え?」
 公爵が笑い声をもらした。
「おぬし……、本当に面白い男だな」
「へ?」
 きょとんとするレークを見て、たまりかねたように公爵は声を上げて笑いだした。
「ははは……こちらのアレンがの、さっきからおぬしがクリミナの話をするたびに、目で知らせるのでな、ははあ、これは知らんのだなと思って、わしも黙って見ていたのだよ。いや、すまん。さっきのおぬしの驚いた顔があまりに……」
 公爵は、そう言ってまた笑い出した。憮然とするレークを前に、ローリングもつられたように笑い出した。アレンだけはしきりに口に手をやり、なんとかそれをこらえていた。
「いや、失礼した。こんなに愉快だったのは久しぶりだ。すまぬすまぬ。別におぬしを怒りはせん。娘といっても、もうれっきとした騎士であるしな。それに騎士長どのへのおぬしの率直な感想が聞けて楽しかった」
 公爵はそういうと、そろそろ肝心の話をしようというように笑いを収め、改まってアレンとレークにうなずきかけた。
 前回の訪問よりもずいぶん警戒を解いた様子で、オライア公は、現在のリクライア大陸における情勢と、トレミリアやウェルドスラーブ、ジャリア、アルディ、セルムラードといった近隣国の関係を、差し障りのない範囲で語り始めた。
 傍らにいるローリングは、公爵が話す間は決して自分から発言することはなく、求められたときにはそれに正確な返答をした。この忠実な騎士は、そのように自然にふるまいながらも、決して言葉が多すぎぬよう、また話しすぎぬようにと、自らを制しているようであった。
 公爵の話に相づちを打ったり、質問を返したりするのはほとんどがアレンだったが、レークの方も時々は事前にアレンから教わっていたように、話に参加したり、たくみに返事をしたりした。そのように二人ともが、ある程度は有能で物事を話すに向くということを、さりげなく示しておくことも必要であるとアレンは思っていたのだろう。
 二人の元浪剣士とトレミリア宰相との、この奇妙な会談は一刻ほど続いた。おおむね互いの胸の内を確認し合ったと思うと、公爵は大きくうなずいた。
「まあどちらにしろ、いくさにおいては、このわしはただ案を提出するだけ。出兵策も諸国への基本対応も全ての決定は陛下と、大将軍たるレード公爵が下すものだからな」
 レード公爵は、このトレミリアで軍事を司る大将軍の地位にいる人物であり、また、ここにいるローリングが仕える直接の主でもあった。現在のところ、レード公は友国であるウェルドスラーブへ赴いており、フェスーンには不在である。ローリング自身は、国境の都市サルマまでゆき、レード公からのことずてを受け取って、つい昨夜宮廷に帰還したばかりであった。
「そうだな。レード公爵閣下は主として不足なし、戦士として不足なし、そして人間として不足なしと、そういう御方であるな」 
 レード公爵騎士団の団長でもあるローリングは、誇らしげにそう言った。 
「へええ。それじゃ、剣の方もあんたより使えんのかい?」
「それは愚問。私の信条として、自分より弱いものの下では戦わぬというのがあるからな。公爵はじつに立派な戦士、そして騎士でおられる」 
「なるほどねえ。レード公閣下が戻ってきたら、ぜひともお目にかかりたいものだ」
「そうだな。そのうち我が騎士団の宿舎にでも、遊びにくるといい」
 ローリングは立ち上がると、レークと握手を交わした。
「公爵、そろそろお時間かと」
「おお、すっかり話し込んでしまったの。どれ、そろそろ戻らんと、夜回りの騎士に誰何されては面倒だ」
 それからオライア公は、思い出したようにアレンに言った。
「そうだった。おぬしの宮廷での仕事の件だがな。モスレイ侍従長に話を通しておいた。明日の三点鐘に式部省本館で会いたいということだがよろしいかな?」
「承知いたしました」
 アレンは丁重に礼を述べた。
「身分なき私ごときのために、お手数をおかけいたしまして、まことに感謝のいたしようもありません」 
「なに。侍従長とて知らぬ仲ではない。おぬしのことを話したら、とても興味をもったようだ。おそらくなんらかの職を見つけてくれよう」
「さて、いくかローリング」
 公爵はとても簡素な身なりであったが、これだけは気に入りらしい緋色のビロードのマントを羽織っていた。傍らに体格のいいローリングをともなう図は、さすがに一国の宰相というべき威厳を感じさせる。
「ではまた近いうちにな。レーク、アレン。どうもおぬしたちとはなかなかウマが合いそうだ。率直でいて、己を知り、機微にたけ、物事を洞察する力もある。とくにアレン。どうやら、おぬしには物事の真理を見極めてゆく才があるようだな。じつに楽しかったぞ。きっとおぬしならどんな仕事でもこの宮廷でやってゆけよう。あの剣技会で陰謀を暴いた頓才は本物のようだ。これからもなるたけ腹を割って話したいものだな、お互いに」
「恐れ入ります。幾重もの身に余るお褒めのお言葉、大変恐縮に存じます。しかしながら雅な宮廷においては、私などは所詮はただの一介の剣士。今後ともそれを肝に銘じてゆく所存です」
「ふむ。そこいらの若い貴族であれば、そうしたへつらいはむしろ不快を覚えるところだが。おぬしを見ていると、本当に己が敬われているように思えるから、これは不思議だ。では、くどいようだが、くれぐれもわしがこうしておぬしらに会いに来たことは他言無用で頼むぞ。わし自身もなにかと面倒な身の上でな。たとえ私人としての訪問だとしても、周りの連中があれやこれやと煩いのよ」
「重々心得ております。公爵のご訪問、その一切に関しては決して他言いたさぬことを誓います」 
「助かる。それからレークどの、騎士長の話は楽しかったぞ。あれのお転婆、男勝りは確かにわしも少々見かねていた。次に会ったらさりげなく注意してみよう。まあおそらく効果はないであろうがな」
 公爵はそう言ってにやりと笑った。
「それと、その宮廷騎士長にも、今日のことは内密に頼む。特にわしがここに来たなどということはな」
「へえ。いいですがね。するとつまり、親子の仲はあまりよろしくはないんで?」
「おい、レーク。無礼だぞ」
「親子の仲は問題ない。ただ、宰相と宮廷騎士長としてはいつもいさかいが絶えんな」
「へえ、そんなもんですかねえ」
 不思議がるレークの顔を見て、公爵はまた笑い声を上げた。
「ではな、レーク。今度じっくり酒でも飲もう」
「おう、ローリング、あんたに会えて嬉しかったぜ」
 公爵を乗せた馬車に自らが御者となって乗り込むと、ローリングは二人に手を振った。

 その翌日から、レークは騎士団の稽古をわりと真面目にこなしていた。
 むろん、相変わらず時々は遅刻もしたし、気の向かないときは庭園を散歩したり、丘の上の花畑へ行って昼寝をしたりして勝手に過ごすこともあったが、それでもたいていは稽古に出ると、以前のように騎士たちの稽古を邪魔することもなく、少しはまともに剣を振ったりするのだった。
(なるほどな……。よく見ると……髪の色、目の色、それに人を見るときの目つきとか、そのへんはオライアの親父にそっくりだ)
 仮にも一国の宰相である公爵を「親父」扱いなどして、ただですむものではないが、レークにとっては公爵も伯爵もさして違いは分からないし、一度じかに会って話をしてしまえば、どんな相手もただの人間であるというのが持論でもあった。
(トレミリアの女騎士か……)
 いいかげんに剣の素振りをしながら、レークはしきりと「彼女」の方をうかがっていた。
 広場にいる数十名の騎士たちや見習いたちは、それぞれに剣を振り、まだ剣が許されない少年たちは木の棒を剣に見立てて、一生懸命素振りに励んでいる。騎士長であるクリミナは、それら若い騎士たちの剣の指導をしながら、全体を見守るように歩いて回っている。
(もったいねえよな、まったく……)   
 肩まで伸ばした栗色の髪は邪魔にならぬよう額の上のヘアバンドでとめられ、白を基調とした騎士の簡易鎧姿で腰にレイピアを下げたクリミナの姿は、凛々しくも美しい戦いの女神のようだった。細い鼻も引き締まった口許も、姫君のそれといってよいほどに品があり、彼女が動いたり声を発すると、頬にはうっすらと血の気がさして、その緑色の瞳はきらきらと輝くのだった。
(髪をもっと長くして、普通の恰好してりゃあ、きっと、どこぞの深窓の姫君で通りそうなもんなのに……)
 疲れてきたのでいったん剣を振る手を止め、レークはその姿を目で追いつづけた。
(いや、じっさい姫君なんだよな。なんたって大トレミリアの宰相の娘とくりゃあ。しかし、いったいなんだって、ああやって騎士なんかになって、男勝りに剣を振ることになったのかね……あのお姫様は)
 彼女の心情などは知りようもなかったし、いったいどういう経緯で姫君としての優雅な生活よりも騎士としての鍛練の日々を選ぶことになったのかなどは、レークにはまったく理解の外だった。
(それにくらべて、あの娘は……)
 ふと思い出すのは、剣技会の休日に、一緒に町を歩いてまわった町娘のことである。
(ええと……、そう、オードレイとかいったっけ、本名は)
 亜麻色の髪をしたその娘は、実はフェスーン宮廷の女官であり、レークを見張るために近づいてきたのであった。モランディエル伯による陰謀に巻き込まれ、捕らわれたレークの前に現れたイルゼは、前に会ったときとは違う、女官服に身を包んだ淑女だった。
(あんときは、ほんとに驚いたよなあ。完璧にやられたって感じでさ)
(しかし、可愛らしかったねえ。町娘の恰好もわるかねえけど、あの宮廷の女官服……透き通るような絹地の長いドレスに、薄いヴェールの下に覗く顔がまたきれいでさ。町の女とは違う、気品……てのかな、なんかそういうもんがあって)
(女ってな、ああも変わるんだなあ……)
(そういや、あの子とはこっちに来てからはまだ一度も会ってねえなあ。今はどうしてるんだろう)
 ぼんやりとそんなことを考えていたので、すぐ近くに来た女騎士にも気づかなかった。
「お前……何をしている。さっきからずっとさぼっているな。どういうつもりだ」
「……ああ?」 
 顔を上げると、目の前に眉をつり上げた彼女が立っていた。
「なんか言った?」
「なにをさぼっていると訊いたのだ。お前には言葉を解する頭がないのか?」
 女騎士の声は怒りに震えていた。レークは、周りの騎士たちからの冷たい視線を気にするでもなく、相手の顔をじっと見つめた。
「なんだ?なにか文句でもあるのか」
「いや……、やっぱもったいねえなあ、と思って」                
「何を言っている?」
「いいえ。なんでも」
 怪訝そうに眉を寄せる女騎士に、レークはにやにやとしながら首を振った。
「ときに、騎士長どの。あんたオードレイって女官を知ってるよな。剣技会のとき、あんたがオレに差し向けた、あの可愛らしい娘だよ」
「それがどうした」
「いや。あの子に会いたいなあと、さっきからずっとそれを考えていたんですがね。騎士長どのとお知り合いなら、とりついでもらえませんかね。このレーク・ドップがぜひともお近づきになりたいって」
「きさま、さっきからそんなことを考えていたのか」
「ああいう可愛らしい娘はオレの好みなもんで、もう一度デートしたいなあ。あの時みたいにさ。いや、楽しかったなあ……あの職人通りを二人で歩いたのは。並んで歩きながら、肩と肩がこう触れ合って……」
「ふざけるな。騎士団の稽古の最中にそのような下劣なことを、きさまは……」
「いいじゃねえか騎士長さん。なんせこのせまっくるしいとこに来てから、そういう機会がないもんで、つまらねえったらねえ。たまにはさ、かあいい女の子とデートしたいんだよ」
「自分の立場をわきまえろ。一介のならず者が、女官とはいえ身分ある女人と同じ道を歩いてよいものか。いくら宮廷騎士になったとはいえ、お前の中身がただの浪剣士であることには変わりはないのだ。こうして稽古に参加することは、上からの決定ゆえやむを得ぬが、それ以上の狼藉を他のものたち、騎士たちにいたすことは許さぬ」
「じゃあ、オードレイは?」
「彼女は、栄えあるレード公騎士団の女官にして私の大切な友人だ。きさまのようなろくでなしのならず者に会わせるわけがなかろう」
「でもあのとき。彼女に偽名までつかわせて俺に近づけさせたろう」
「あ、あれは……」
 言葉に詰まってクリミナは、いくぶん困ったように囁くように言った。
「わ、私だって反対したかったが、彼女がどうしてもやると。それに怪しい輩はすべて調べよという任務だったし。そうだ、だいたい、きさまなどにそんなことは関係ない」
「ああそう。じゃいいよ。ローリングに頼んで彼女に会わせてもらうから」
「なんだって?」
 レークは意地悪く、にやりと笑ってみせた。
「昨日ローリングはフェスーンに帰ってきたんだよ。レード公爵と一緒にな。あんたはまだ知らなかったのかい」
「帰ってきた?ローリングが……」
「ああ。やっぱ奴とはウマが合うわ。すっかり仲良くなってさ、こんどちゃんと酒を飲もうって約束もしたし」
「お前と……ローリングが」
「そういや、あんたともけっこう親しげだったよな。ローリングの旦那とは。たしか、奴はレード公騎士団の団長……ってことは、まあ一番えらい騎士ってことだ。そこの女官のオードレイのこともよく知ってるだろうし。そうだな……奴に頼もうっと」
「どうして、ローリングがお前のところに……」
「いや……、それは、その」
 公爵たちの訪問は内密にするという約束を思い出し、レークはあわてて言い訳をした。
「奴とはさ、ほら、剣技会で奴が山賊のデュカスとして出場していたときから知っていたし。だから、奴が本当は騎士のローリングだと分かっても、オレたちはもう友だちみたいなもんだったんだ。奴も帰って早々、オレんとこに寄ってくれたわけよ。だからそのうち、あんたとも会うことになるって、公爵も言ってたぜ」
「公爵?」
「ああ、いや……間違えた。伯爵、だったよなローリングどのは。騎士伯だ。うん」
 レークは背中に冷や汗を垂らしながら言いつくろった。オライア公爵の名などを出したら、さらに面倒なことになるだろう。
「そうか……」
 クリミナは複雑な表情をしてつぶやいた。
「まさか、ローリングがお前などと、そんなに親しくなっていたとはな」
「あんたも、ローリングとは幼なじみなんだってな?」 
「それを誰から聞いた?」
「い、いや。誰も彼も、そう言ってる。ええと……うちの炊婦のマージェリとかも」
「ああ……彼女か」
オライア公の屋敷で働いていたというマージェリのことは、クリミナもよく知っているのだろう。一応納得したのか表情をやわらげたが、すぐにまた浪剣士を睨み付ける。
「いいか、たとえローリングがお前と知己となろうが、この私までを同様に考えることはやめるのだな。むろん、オードレイについてもだ。そして、なにより今は稽古の最中。真面目にやらぬのなら、すぐにでもお前を騎士団から除名する。いいな」
 そう言い残して女騎士が離れてゆくと、レークはほっと息をついた。 稽古場には、また騎士たちの掛け声が威勢よく響きはじめた。
 その数日後のこと、
 騎士団の稽古を終えてレークが家に戻ると、一台の小型馬車が門の前に止められていた。御者はレード公騎士団の見習いの若者で、ローリング騎士伯よりのことづてを伝えにきたということだった。それは、今日の午後であれば、ゆっくりと話せる時間がとれたので、よければアレンも一緒に騎士団の本部に遊びに来ないかという誘いだった。レークは大喜びで相棒の腕をひっつかんだが、アレンは所用があるからと辞退した。不満そうなレークだったが、相棒がそう言うのであれば、それは必要な用事なのだろうと、一人で迎えの馬車に乗り込んだ。
 馬車の窓から覗く宮廷の景色……緑豊かな林や美しい庭園、貴族たちの住まう豪奢な家々は、どれもレークの目を惹きつけた。なにしろ宮廷に来てまだやっとひと月である。こうしてゆっくりと馬車に乗ることなどはほとんどなかったので、石畳の道を行き交う立派な馬車や雅な貴族たち、辺りに立ち並ぶ屋根の尖った城のような豪華な屋敷などに、あらためてこのフェスーンの華やかさと美しさを見る思いであった。
「さあ着きました。あの屋敷です。我々騎士団の本拠は」
 フェスーン王城の尖塔群に見とれていたのも束の間、御者の若者がそう告げた。 
 このあたりは王城へと続く丘陵路にほど近く、ここから西へ大路ぞいにゆけば、宮廷の西大門、そしてフェスーン市街につながるマクスタット川を渡る橋へと道は続く。東を見れば、丘陵ぞいに緑のぶどう畑が広がり、そして頭上には、フェスーン城の青屋根が誇らしげにそびえている。
「四大公爵のお屋敷は、あのフェスーン城を囲むようにして建てられています。そして騎士団の本拠は、それぞれの主である公爵邸のそばにあるのです」
 御者の若者が説明する。レークは馬車窓から顔を出し、王城を見上げる場所にある、屋敷の塔に目を凝らした。
「こいつは見事な屋敷だ」
 門前で番兵の確認を受け、馬車はゆるやかに公爵邸内に滑り込んだ。


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