水晶剣伝説 U ジャリアの黒竜王子

      5/12ページ


女官と女騎士

「こいつは見事な屋敷だ」
 レード公爵邸は二つの主塔を両脇にもつ、巨大な邸宅だった。塔と塔をつないだ屋敷の母屋は五階層はあろうかという高い建物で、フェンスティン様式の鋭く尖った屋根に幾つもの煙突と小塔が連なっている。さらに両側の主塔からは、中庭を取り囲むようにコの字型に館が広がっていて、堂々として壮麗な感じを与えていた。中庭にはモダンに整えられた樹木や、神々や伝説の騎士を模した彫刻などが配置され、エレガントな空間美を作り出している。
 建物の前で止められた馬車から降りると、待っていたようにこちらに歩み寄ってきたのは、ローリング騎士伯だった。
「おお、レーク。来たか」
「これは騎士伯どの。ご招待にあずかりまして、光栄でござる」 
 慣れぬ挨拶を口にすると、ローリングは笑って手を差しのべてきた。
「そんな挨拶などいいさ。おや、アレンはおらんようだな」
「ああ、あいつはなんか用事があるとかで」
「そうか。それは残念」
 ローリングは、御者を務めた見習い騎士にも声をかけた。
「ご苦労、お前はマークだったな」
「はっ。さようであります、騎士団長どの」
 若者は直立し、その顔を紅潮させて騎士の礼をした。
「おおせつかいました旨、お二人にお伝えし、レーク様をこちらにご案内いたしました。アレイエン様からは、ご招待まことにありがたく存じますが、どうしてもはずせぬ私用のため参上できぬご無礼、平にご容赦いただきたい、とのお言葉でありました」
 名高いローリング騎士伯を前にした緊張だろう、その声はいくぶんうわずっていた。
「うむ。任務ご苦労。下がってよい」
「はっ」
 見習い騎士が一礼して下がってゆくのを、レークは感心したように見ていた。
「さすがに訓練されてんなあ……宮廷騎士団のガキどもとは大違いだ」
「そうか。まあ、なんといっても我らは公爵つきの騎士団だからな。厳重にして厳密な規約のもと入団が許されたものばかりだ」
「なるほどねえ。たいしたもんだ」
「さあ、こっちだ。入ってくれ」
 ローリングにうながされ、建物の中に入ると、そこは天井がとても高いエントランスになっていた。まず目を引いたのが釣り下がった巨大なシャンデリアで、いったいこれに何百本の蝋燭が灯るのか見当もつかない。壁の上方にはいくつもの明かり取り窓があって、昼間であれば蝋燭がなくとも充分明るかった。
「ふむ。最近は全部に火をつけることはめったにないな。以前はちゃんと当番がいたんだが、それもなかなか面倒でな」
「だよなあ。あんなのに全部火をつけて回ってたら、そのうちすぐに朝になっちまうぜ」
 ローリングの後ろについて回廊を歩きながら、レークは感心しながらあたりを見回した。
「ふうん、なんか静かだな。騎士団の宿舎ってわりには」
 レークの言うとおり、建物内は非常に静かだった。入り口には当番の騎士が一人いたものの、こうして廊下を歩いていても、他に足音も話し声も聞こえてこない。
「まあ、宿舎といっても、ここで寝泊まりしている騎士は数十名ほどだ。だいたいが名のある貴族の次男坊などだからな。みな夜は自邸に戻るのさ。それに、今はちょっと騎士団も忙しい時でな。昼の間はたいてい訓練の真っ最中よ」
「じゃあ、あんただって忙しいときなんだろう。なんせ騎士団長ってくらいなんだし」
「まあ、そうなんだがな」
 すれ違う女官が頭を下げるのに軽くうなずき、ローリングはレークとともに、回廊を歩いてゆく。
「基本的に、別に私などはいなくとも、騎士たちの稽古には滞りはないんだよ。信頼出来る隊長も何人もいるしな。それに皆が何をすべきかわきまえているし、命令しておけばそれを確実にこなす。だから、こうしてのんびりと休息がとれるのさ。どうだ、なかなか不真面目だろう私も」
「なるほど、さすがは元山賊のデュカスさんだな」 
「おいおい。もう髭はこの通り、きれいに剃り落としたぞ」
二人は楽しげに笑い合った。
 長い回廊を何度か曲がり、壁に飾られた絵画や彫刻、いくつもの大きな扉、天井の細密な幾何学模様などを眺めながら、レークはトレミリアという大国の騎士団というものの存在、その大きさに圧倒されるような思いだった。
「着いたぞ、その部屋だ」
 ローリングが指さしたのは、この建物でも相当奥まった一角にある扉だった。部屋の前に立っていた女官が、しずしずと頭を下げる。
「あれはもう来ているか?」
「はい。中でお待ちしています」
「どれ、おぬしのよく知る町娘もお着きのようだ」
 軽くノックをしてからローリングは扉を開いた。
 そこは来客用の部屋なのだろう、とても広く、大きな窓から差し込む光で明るかった。外に張り出したテラスのような空間には、テーブルと椅子がしつらえられ、洒落た白い円柱が周りを囲んでいる。
 中庭を一望できるそのテラスに、一人の女性が庭園を眺めるように立っていた。
「おお、オードレイ。待たせたな」
 振り向いた女性は、こちらに優雅に貴婦人の礼をした。
「ご機嫌よう。ローリング様」     
 その女性……オードレイはレークの姿に気づくと、にっこりと微笑んだ。
「こんにちわ。レーク・ドップ様」
 亜麻色のふわりとした髪を後ろに束ね、うすい桃色がかったサテンのスカートと胴着姿の彼女は、かつての町娘、イルゼを思い出させる姿だった。
「ああ、久しぶり……だよな」 
「ええ、もう一月もたったのですね。あの剣技会から」
「まあ、堅い挨拶はいまさらなしでよかろう。なにせ、我々はそれぞれに剣技会においてこのレークと知己になっているのだからな。たとえ、それが片方は山賊として、片方は町娘という、偽りの姿であってもな」 
 三人は向かい合って座り、互いの顔を見合わせた。侍女が運んできた甘い香りの果実のお茶を飲みながら、いつしか楽しげな会話がはじまった。
「まあ、そういうことだったんですか。そんなことがあったなんて……私ちっとも」
「だから、お前は能天気なんだよ、オードレイ」
「ひどいですわ、そういうことなら、私にも教えていただいたって……」
「じゃあ、あんたは何も知らされず、ただオレを見張っていただけだったのか……」
「ええ。クリミナさまもローリングさまも、ただあの剣士が怪しいからとしかおっしゃりませんでした。だから私てっきり……」 
「てっきり?」
 オードレイは少し気恥ずかしそうに微笑んだ。
「あなたがひどい悪党の犯罪者かなにかで、それで、密かに私に見張らせたんだとばかり思っていました」
「そりゃひでえや。この善良な浪剣士たるオレが、悪党だなんてさ。傷つくねえ」
「だって、なにも教えてくれないんですもの。だから私、はじめに闘技場の外で声をおかけしたとき、本当はとても怖くて震えていたんですよ。それから、一緒に町を歩きましたけど……その間もずっと、なにかされそうになったら大声を上げて、そして逃げ出そうと思ってました。近くでは、ローリング様とクリミナ様が馬車で待機しておられたんですけど」
「うむ。クリミナ様も、お前に危険な役を負わせてしまってすまないことをしたと、しきりに言っておられたよ」 
「まあ、本当ですか。でも、あれは私の方が言いだしたことなんですのに」
「あのなあ。危険って、そんなにオレのことを、ひでえ悪党のならず者だと思っていたのかよ……」 
「ごめんなさい。だって、本当に私、何も知らなかったから……。でも歩きながらお話ししているうちに、もしかして、そんなに悪い人ではないのかしらとも思いましたわ」
「そうかい?」
 可愛らしくはにかんだオードレイに、レークはつい頬をゆるめた。
「でも、レークさまが剣技会のあとで捕らわれて、国王様の前で尋問されて、その……処刑されそうになったときは、本当にどきどきしましたわ。私も皆様の前で証言をさせられ、もしかして、やっぱりこの人は大変な罪を犯した極悪人だったのかしら、あの時二人きりで街を歩いて、よく私は無事でいられたものだわとか、そう思って」
「だからあれは冤罪で、オレはまったくの無実だったというのに……」
「ええ。ですからあとでそれを聞いて、いつかはもう一度お会いしてお詫びをしなくては、と思っていたんです。だっていくらローリング様たちのご命令とはいえ、私の証言のせいでレークさまは処刑されてしまうところだったのですから」
「おいおい、肝心なところで悪者は私かい」
 ローリングが苦笑した。
「元はといえば、レークを調べさせるというのは、クリミナ様から言いだされたことなんだがな」 
「まあ、クリミナ様のせいではありませんわ。レーク様が危険な目にあったのは」 
「いや、そういうことではなくてだな……。まあいい。しかし、私も、妙だとは思ったのだ。おぬしのことを調べろと言われたときは。何故ああもクリミナ様がおぬしに固執したのか、その理由がまだよく分からんのだ」
「へへへ」
 レークはにやりとして二人を見た。
「そりゃたぶん、オレの剣の腕があまりに素晴らしかったんで、試合を見ていたら、あの最高に格好いい剣士をよく見てみたいと……こう思ったからじゃないのか」
「ふむう……なるほど。いや、しかし……」   
「な、なんだよ……」
「もう一つ合点がいかぬこともある。クリミナ様はな、今でも、そう今でもだ。私と会われるたびにおぬしのことを口にだされるのだぞ」
「へえ。なんて?」
「うむ……気を悪くするなよ。こうだ。『あの下賤、下劣、下品な、ならず者の浪剣士ときたら……』というのを口癖のように言い、それから眉をつり上げながら、『あやつは騎士としては山賊以下の振る舞い、宮廷人としては幼児以下の知性だ』と」
「おお、そりゃひどい」
レークは顔をしかめ、まるで他人事のように首を振った。
「うむ。確かに。だがいったい何故そうまでして、クリミナ様はおぬしのことを毛嫌いなさるのか。分かるか?オードレイ」
「ええと、そうですねえ。クリミナ様は、そう……とても潔癖で、それに曲がったことがおきらいな方ですから。浪剣士さま……いえ元、ですわね……のその、少々意外性のあるお話し方や、耳慣れぬ言葉使い、態度などが、お気にさわるのではないかと」
「へん、そりゃあよ、オレは生まれながらの宮廷人じゃねえし、貴族がたのような優雅な会釈も、もってまわった言い回しもできねえし、思ったことは口に出すし、敬語もつかえねえ。今ちっとアレンに習ってるがよ……それに、自分より強くねえ奴には礼儀は払えねえ。まあ、女子供は別にしてな。だもそれが気にいらねえってんなら、しょうがねえな。騎士団をクビにでもしてもらって、どっかの傭兵にでもなるわ。その方が気が楽だよ」
「まあ待て。そこまでは言っとらんよ。第一おぬしが宮廷騎士となったことは国王陛下とジュスティニアの前で正しく認められたのだから。それに文句を言う者は、陛下に対して異議を唱えるにも等しい。もしそういう輩がいたなら、なんどきでも私に言うがよい」
「あんがとよ。しかしまあ、オレも最近はさ、もうちょい騎士らしくなってみようか、とも思っているんだ」
「ふむ。それはよい心がけだと思うぞ」
 そう言ってローリングはぐいと茶を飲み干した。
「お飲み物のお代わりを持ってまいりましょう。本当なら私も騎士の方々にお仕えするのが仕事ですから」 
「すまんなオードレイ。非番に呼び出して、しかも仕事もさせてしまうとは」
「いいえ。お気遣いなく。レーク様ももう一杯いかがです?」 
「あ、ああ。どうも」
 彼女が部屋を出てゆくと、ローリングはすかさずレークに向き直った。
「どうだ。クリミナ様もお美しいが、うちのオードレイもなかなか悪くないだろう?」
「そうだなあ……女らしいし、明るくて、気立ても良さそうだし、なにより話していて疲れないのがいいな。いつも男まさりの騎士長どのばかり見ているせいか、あの娘がひどく可愛らしく見えるよ」
「ああいう明るい娘が騎士団にいると助かるものだ。仕事もよくやってくれている。彼女の父親は身分ある男爵で、本来は働かずともすむ身分なのだが、あえて こうして女官をしているのだ。いろいろ理由はあるのだろうがな」
「ふーん。そうなのか。……んで?」 
 レークはにやりとして言った。
「あの子はもう、お前とできてんのか?」 
「なに?私が?オードレイと?」 
 ローリングは心底意外そうな顔をした。 
「違うのか?」 
「面白いことを。そうか……まだおぬしは知らないのだったな」
 奇妙な冗談でも言われたかのように、ローリングは吹き出した。 
「何がおかしいんだ?」
「いや、これはまた……クックッ」
「あら、なにか楽しいお話でも?」
 銀の盆を手にお茶を運んできたオードレイは、二人を見ると首をかしげた。
「いや、今ちょうどお前の話をな」
「まあ。人を笑いの種にするなんて。騎士様方のなさることではないでしょうに」
「いやすまん。なにな、このレークの奴が、お前のことを可愛くて好もしい女性だというのだよ」
「まあ」                 
 テーブルに飲み物を置いた手を止め、オードレイはぱっと頬を赤くした。 
「いやですわ。そんなお話を」
「いや、オレはただ……その、明るくて、いい娘さんだなと」
「まあ、ありがとうございます」
「ええと、恋人なんかは……いるのかい?」 
「そんな……おりませんわ」 
 椅子に座ったオードレイは、恥ずかしそうに下を向いた。
「二人して照れ合っているところはなかなかお似合いだぞ。まあ、二人とも年頃の男女だし、こういう出会いもあってよかろう」
「いやですわ……ローリングさま」
「いやなのか?」 
「いえ……そういうこと、ではなくて……」
 彼女はまた赤くなって口ごもった。
「じつは、私はこのあともう半刻のうちには行かなくてはならん。稽古の騎士たちを放っておくわけにもいかんからな。オードレイをよろしくな、レーク」
「よろしくって、おい……」
「お前の方はせっかく来たんだし、もうしばらくゆっくりしてゆくがよかろう」
 ローリングはさっとレークに小声で耳打ちした。
「女人を落とすには早いほうがよいぞ。あとで結果を聞かせてくれよ」 
「おい、結果って……」
 それから、しばらくは三人でまたいろいろな話を交わし、オードレイは宮廷のしきたりやそこでの面白い出来事を、レークは浪剣士時代の冒険のことなどを話して、それぞれに楽しく盛り上がり時を過ごした。
「さて、そろそろ私はいかなくちゃならん」
 太陽が傾きかけるころにローリングは椅子から立ち上がった。 
「ま、あとはごゆっくり。今日は楽しかったぞレーク。任務前なので酒は飲めなかったが、必ずまた近いうちに杯を合わせよう」
「ああ。あんたも、忙しそうだがメシはちゃんと食えよ。どんな時でもたっぷりと食う。俺の強さの秘訣はそれだ」
 二人はがっちりと握手をした。
「それから、オードレイ。あとはよろしく頼む。お前はうちの女官でも長い方だから、なんでも心得ているだろうが。宮廷騎士レークどのに食事と酒を」
「はい」
「おいローリング、オレは六点鐘には戻るぜ。遅くなるとアレンの奴がうるさいんでな」
「まあ、そう言わず。ゆっくりしていけ。それに、今夜はレード公邸での内輪の晩餐がある日だったな?」
「はい。女官や侍女、下男たちばかりのささやかな身内のものですけど」
 オードレイは嬉しそうに付け加えた。  
「それから、クリミナ様も……」 
「ああ、そうだったな」
「へ?騎士長どのも、ここへ来るのか?」 
「クリミナ様の父上、オライア公とうちのレード公はとても仲のよい知己だからな、よく双方の邸にお呼ばれに行くわけさ。ことにうちの騎士団やレード公邸の下働きたちにはクリミナ様は絶大な人気だからな」
「へえ。どこへ行っても人気ものでいらっしゃるんだな」
 ちらりとオードレイを見ると、彼女は優しい微笑みを浮かべている。
 さて……どうするか。角の生えた騎士長どのと顔を合わせぬうちに早めに退散するべきか、それとも可愛いオードレイとの二人の時間をもっと楽しむべきか。
 そうレークが考えていたときであった。
 ばたんと、唐突に部屋の扉が開かれ、三人は振り返った。
「ローリング!」
 鋭い声とともに、つかつかと大股で室内に入ってきたのは……
「ク、クリミナさま。これは、お早いお着きで」 
 慌てて立ち上がったローリングの前まで来て、女騎士は、気づいたようにそこにいるレークを睨んだ。
「どういうことだ?」
「どうとは、あの……どういうことで?」
「クリミナ様、いらっしゃいませ」
「やあオードレイ。剣技会以来だね。元気ですか?」
「はい」
 女官に優しく笑いかけると、彼女はまたローリングに向き直った。そこにいるレークのことなどは、すでにもう視界に入らぬというような様子で。
「意外とお早かったですな。まだ、晩餐までは時間がありますが」 
「べつにいいだろう」
 ローリングはため息まじりに女騎士を見た。さすがに鎧まではつけていないが、騎士の胴着と白いズボンをサッシュでとめ、赤い短ローブを羽織って腰からレイピアを下げたその姿は、どう見ても騎士そのもの……まるで男の恰好であった。
「内輪の晩餐ですから、もちろん姫がドレスを着てくるはずはないとは思いましたが」
「似合わないか?ローリング」
 黙って首を振るローリングの横で、オードレイがうっとりと手を組み合わせた。
「とてもお似合いです。お美しくて、凛々しくて」
「ありがとう、オードレイ」
 女騎士が微笑むと、女官はぱっと頬を染めた。
「さて、それで?どういうことだ?」
「とは?」
 知らぬふりをするローリングに、女騎士は語気を強め、
「分かっているだろうに。私が言いたいのは、何故ここに、このような……」
 と、レークを指さした。
「輩が座っているのかと聞いているのだ」
「これは、荒っぽい物言いですな。晩餐にやってきた姫君とは思えませんぞ」 
「私を姫などと呼ぶな、ローリング。いつも言っているだろう。お前でなければ、この場で決闘しているところだ。だが、まあいい……」
 少し気を取り直したように、彼女は声の調子を落とした。
「それに、この者レーク・ドップがここにいることまでは、まあ許すとしよう。だが、何故オードレイもここへ呼んだのだ?」
「それは今日の晩餐のため。クリミナ様もお越しになるだろうからと」
「そうではなく……何故よりによって、こうしてこの浪剣士と、身分ある宮廷女官とをこの場所で会わせなくてはならぬのかということだ」
「お言葉ですが、クリミナ様。このレークは、確かにもとは一介の浪剣士であったようですが、今となっては陛下をはじめ宮廷の方々にも認められたれっきとした宮廷騎士の一人、いまさら身分うんぬんを取り沙汰するのは、いかがと思われますが」
「それは、そうだろうが……しかし、なにも私に黙って……いや、べつに私にことわる必要もないだろうが、でもだからといって……」
 クリミナは気勢をそがれたように頬を膨らませた。明らかに、正当性はローリングの言葉にあったからだ。
「おお……いかん、もう行かなくては……」
 この機を逃してはならぬとばかりに、ローリングは急いで騎士のマントを羽織った。
「では、これにて私は失礼を。お叱りならまた後ほど」
 一礼すると、去り際にレークに向けてすまなそうな視線を送り、そのまま部屋を出ていった。その場に取り残された三人は、気まずい空気のまま、しばらく誰も何も言わなかった。
「あ、あの……クリミナ様?」
「ああ、どうしたの?オードレイ」
「お茶のおかわりは……」
「いや、けっこうだ」
 クリミナはぷいと横を向き、そのまま黙り込んでしまった。
 ため息をついたレークに、オードレイが声をかける。
「レーク様、ご気分でも?」 
「ああ。……あまりよろしくはないな」 
「それはいい」
 この部屋に来てから初めて、女騎士がレークに言葉をかけた。
「それならもう、帰ったらどうだ?明日も朝稽古はあるのだからな。なんなら、この私が馬車まで送ってやってもよいが」
「けっこうですよ。騎士長どの。そのような高貴なお手をわずらわすなんて、この浪剣士めの良心が痛むというもんでさ」
「ほう。お前でも、そのような殊勝な言葉は使えるのだな」
 クリミナはふっと笑みを浮かべた。二人の様子を、オードレイははらはらするように見守っていた。
「あ、あの……。なにか食べ物でもお持ちしましょうか?」
「いや、オレはいいが……」 
「行くな。ここにいて」
両方から引き止める声が上がり、腰を浮かしかけたオードレイは再び席についた。 
「……」
 レークにとってみれば、この女騎士があのオライア公爵の娘であるという新たに知った事実から、はや今までのようには彼女に無礼な態度で食ってかかったり、粗暴な口をきくことは、以前ほどは気楽にはできそうもない。かといって、すぐに手のひらを返したようにへつらうのも癪だったのだ。
 クリミナの方は、おそらくはそれほど複雑ではなかったろうが、気まずさという点では同じであった。剣技会で自分を敗った相手でもあるこの浪剣士が、今は宮廷騎士として自分の部下にいる。この前代未聞の存在にもっとも困惑していたのは、ほかならぬ彼女に違いなかった。
「はあ……」
 二人はほとんど同時にため息をついた。日が陰り始めた庭園の方からは、今夜の晩餐のリハーサルだろうか、楽隊のワルツの音が優雅に響いてきた。


次ページへ