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 水晶剣伝説 XIII 北へ、


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「あら、レイエンさま」
「これは、メリッサ嬢、ごきげんよう」
 軽やかに会釈をしてきたのは、鮮やかな赤いサテンの長スカートの上に、金糸の刺繍で模様がつけられたローブをまとった若き令嬢であった。ブラウンのまき毛がふわりと肩の上で揺れる。
「嬢、なんて言わなくていいのに。この前も言ったでしょう」
「これは失礼を」
 アレンは思わず苦笑した。見かけによらず、なかなかお転婆な令嬢であることは、すでによく知っていた。
「どこへゆくの?もうすぐお食事の時間ですわよ。今日は、カシルも一緒に食べられるんでしょ」
「ええ、たぶん。私はちょっと伯爵に呼ばれたもので」
「お父様が?なにかしら。そういえば、他にもお客が来ているようね」
「はい。私の仲間で、今度道場の師範になってもらう方です」
「そう。まあどうでもいいけど」
 伯爵令嬢は、ちらりとアレンの顔を見やると、
「その代わりに、カシルがあの……やめてしまうなんてことは、ないでしょう」
「そうですね。カシルにも引き続き、一緒に手伝ってもらうつもりです」
「そう」
 令嬢はほっとしたように微笑んだ。
「ですが、明日の朝一番で、彼にはイグレア村へ使いに行ってもらいます」
「そうなの。どうして?」
「我々の仲間が心配していますので、連絡と報告をかねてですね」
「すぐに帰ってくるんでしょう?」
「たぶん、上手くいけば、その日の夕刻には戻れるかと思います」
「そうなの」
 胸に手を当てる令嬢の様子を見て、アレンは優しく言ってやった。
「ですから、彼は今夜は早く休まなくてはならないので、よかったら声をかけてやってください」
「あら、どうして、私が……」
 頬を染めながらも唇を尖らせる。その様子には、十六歳の初々しい恋心を覗かせていた。
「でも、部屋までゆくのははしたないでしょう。夕食のときでいいわ」
 もじもじとする令嬢に、アレンはそっけなく言った。
「そうですか。では、私はこれで」
「あら、レイエンさまって、いじわるね」
 頬を膨らませる顔つきも可愛らしい。令嬢に会釈すると、アレンはそのまま階段を上って行った。
 二階の廊下を進み、奥まった部屋の前までゆくのに、一人の侍女や小姓ともすれ違うことはなかった。トレミリアの貴族の屋敷などとは違い、この屋敷で雇ってる侍女の数というのは、ほんのわずかであるようだ。もともとが伯爵と娘との二人しかおらぬので、それでも十分なのだろう。ただし、レークとカシルがここに住まうようになってからは、侍女を一人増やしたと伯爵は言っていた。それでも料理人や小姓、執事も含めて、全員で五人ほどであるから、屋敷の広さを考えると、ずいぶん閑散としてはいる。
 だが、こういう静かさはアレンは嫌いではなかった。なにより、多くの人間がいることによる無駄な会話や気疲れがないのがよい。人がいれば、それなりに社交的に振る舞えるが、無意味な人間関係というものを厭うアレンには、必要最小限の会話だけで済むこの屋敷は、なかなかに居心地がよいのであった。
 その部屋の扉をノックすると、低い声でいらえがあった。
「どうぞ、お入り」
 扉を開けると、部屋の中はずいぶんと薄暗く、夕刻なのに燭台にはまだ灯がともっていないようであった。腰かけた人影がアレンを手招きした。
「やあ、こちらに座りたまえ」
 向かいの席に腰を下ろすと、相手はしばらくなにも言葉を発せず、アレンの顔をじっと見つめるようだった。
「なにか御用でしたか」
「ああ、そうだな。呼び立ててすまなかった」
 そう言っただけで、伯爵はまたむっつりと黙り込んでしまった。
 この屋敷の主人であるブレナン伯は、三十代半ばの品の良い紳士であった。なにごとにも激さない知的な雰囲気に、言葉遣いにも貴族らしい気品がある。どこか翳をまとったような愁いを感じさせるのは、早くに妻を亡くしているためだろうか。活発で元気の良い娘とは違って、とても落ち着いた、もっというと年の割には老成したような印象があった。
「もしかして、エドランどののことで、お気に障られたのでしょうか」
 先にアレンが切り出した。
「彼はイグレア村での剣術仲間で、あらたに道場で師範をやってもらいたく、ここに呼んだのです。じつはそのことでお願いしたいこともあったのですが」
「うむ……」
「伯爵には大変感謝しております。この屋敷の敷地をお借りし、小屋を道場に造り替えていただき、さらには私とカシルに屋敷の一室を与えてくださった。どこの馬の骨ともつかぬ私を信頼していただき、道場の活動を手助けしてくださった。この御恩は一朝一夕では到底返せぬほど大きなものです」
「……」
「最近では、このトラウベの町でも道場の噂が広まり、入門したいという若者がずいぶんと増えてまいりました。そのため、私とカシルだけでは、まかないきれなくなり、仲間であるエドランどのに師範を手伝ってもらいたく、ここに呼びました。大変に厚かましいお願いであることは承知しております。どうか彼を、私とカシル同様、この屋敷に置いてはいただけないでしょうか」
「それは、かまわぬが」
 じっとアレンの話に耳を傾けていた伯爵は、口ひげを撫でつけながら言った。
「この屋敷の一室に住まわせるのでは、君の方が困るのではないかな」
「といいますと?」
「ふむ……まあいい」
 伯爵は意味ありげにうっすらと笑った。その微笑みには、どことなく人を惹きつけるものがある。
「エドランどのか……君がそういうのなら。屋敷で寝泊まりするのはかまわん。ただし、この母屋ではなく、道場の方に寝台を用意させよう」
「道場ですか」
「君やカシルはともかく、あの男は少し、戦士気質が強すぎるように見える。粗暴と言っては失礼かもしれないがね。なにせ、ここには娘のメリッサもいるのだから。あの子を恐ろしがらせたくはない。どうかね」
「それは、もちろんです。私の方こそ考えが至りませんでした。伯爵のご寛容に感謝いたします」
「うむ。君の頼みというのは、それだけかね」
「はい」
 伯爵はまた考え込むように黙り込んだ。
 灯りのない薄暗い室内は、まるで時間が止まったような奇妙な静寂があった。部屋は少しかび臭く、それは本棚にある多くの書物のせいかもしれなかったが、アレンはそれが嫌いではなかった。
「私には、分かっているんだよ」
 ややあって、ぽつりと伯爵がもらした。それは、ほとんど独り言のような囁きであったが、それでいて明確にアレンに向けられた言葉でもあった。
「君と、カシル……君たちについては分かるよ。君たちが、そう」
「……」
「君たちがジャリアの人間ではないことがね。だが、あの男は違う」
 伯爵が何を言おうとしているのか、アレンにもまだ分からなかった。
「あれはジャリアの人間だ。そうだね。そして、彼は戦いに生きる類の人間に違いない。あるいは、君もそうなのかもしれないが、だが決定的に違う。それはひと目で分かるよ。こう見えても私は、色々な人間を見てきたからね。ジャリア人、アルディ人、トロス、自由都市の人間、それにアスカの人間」
「……」
「君とカシルが仲間であり、同じ志をもった絆……といってよいのかな、それを持っている間柄であるのはよく理解できる。だが、今日やってきたあの男は違う。君が仲間であるというのならそうなのだろう。だが、魂の部分において、同じものを求めるような仲間ではないね」
 伯爵がこれほど雄弁に語ることは、これまでなかったので、アレンはその言葉に興味深く耳を傾けた。
「そうだな、人種が違うというかね。つまり、それは国籍や性格の違いというものではなく、なんというか、生きざまというか、誇りとでもいおうか、ようするにそのようなものにおいてだ。感覚的なもの、匂いで分かるんだよ。きっとあの男は、深い部分での君らとの共同体ではないのだと。違うかな」
「……」
「私がなにを言いたいのか、聡明な君ならば、もうなんとなくは察しがついているのではないかな」
「恐れながら、分かりかねます」
 正直にアレンが答えると、伯爵はおもむろに椅子から身を乗り出すようにした。
「ならば。率直に訊こうか」
 日が沈むとともに、部屋はすっかり暗くなり、向かい合っていても相手の表情はもうほとんど分からない。
「君たちは、いったいなにを目指しているんだね?」
「……」
「この町で道場を開き、人を集め、剣を指導している。それは、単なる商売ではないだろう。聞くところによると、君たちはまったく代金をとっていないという。時間と労力を割いてまで、君たちはいったいなぜ若者たちに剣を教えるのか。そこには、もっと先の目的があるからだ。そうだね?」
「……」
「おそらく、君たちは兵力を欲している。あのジャリア人をはじめ、きっと君らのいる村にはいくらかの兵力があるのだ。だがそれでは足りない。そう、首都のラハインを奪還するためには」
「それは……」
「大丈夫だ。しばらくの間、誰も部屋に入るなと言ってある」
 伯爵はほとんど囁くように言った。
「君が、本当は何者なのかは知らない。だが、ジャリア人でないその君が、どうして兵力を集めてラハインを目指すのか。それを教えてもらいたいのだが」
「……」
 黙り込んだアレンの手を、伯爵はそっと取ると、優しく言った。
「こう言ってよいならば、私は君たちに協力できればと思っている。いや、もう協力はしているね。屋敷の敷地内で道場を開く許可をし、君たちをここに寝泊まりさせている。本来ならば、こうした道場を開くには、市参事会に届けるか、ギルドに入らなくてはならない。だが、私の私有地内ということで、それは免れている」
「伯爵には、大変感謝しております」
 静かにアレンが口を開いた。
「おっしゃる通り、私はジャリアの人間ではありません。そしてカシルもです。お察しのように、イグレア村にはジャリア軍の残党がおり、私はかれらと行動を共にしていました。その理由……それは」
 暗がりの中に言葉をまぎれこませるように、アレンはひとつ息をつき、
「いまここで、すべてを話すことはできません。伯爵がおっしゃることは、おおむねその通りです。ですが、どうか、まだ誰にもこのことを話さないでいただきたいのです」
「むろん、それは分かっている。私とて、地方の貴族とはいえジャリアの人間。アナトリア騎士団が首都を占領したとはいえ、彼らに服従を誓ういわれはない。むしろ、君たちの計画に協力したいとすら思っているのだ。おそらく君たちがいずれ兵を上げ、ラハインへと出立するであろう、そのあかつきには……」
 そのとき、控えめにノックの音がした。
「旦那さま、お食事の用意が整ってございます」
 扉の外からの執事の声に、伯爵は小さく舌打ちした。
「ああ、分かった」
「メリッサさまや、お客人もすでにお待ちかねでございます」
「ああ、分かったと言っている。いまゆくところだ」
 いくぶん気分を損ねたように応えると、伯爵はひとつ咳ばらいをし、アレンの方に向き直った。暗がりの中で、その眼がじっと彼を見つめるようだった。
「では、レイエンどの、またこの話はあらためてということで」

 屋敷の広間にて、伯爵と娘のメリッサ、カシール、そしてアレンは晩餐の時間を過ごした。エドランは自ら辞退し、客室にて食事をとることとなった。伯爵は、晩餐の間、とても上機嫌であった。ワインの杯を何度もかかげ、アレンやカシールと言葉を交わし、ときに声を上げて笑いもした。
 テーブルには、子豚のローストや、川魚の焼き物、肉と野菜の詰まったパイなど、なかなか豪勢な料理が並び、若いカシールは喜んでそれらを平らげた。アレンの方は、申し訳程度にそれらをつまみ、ワインに一杯だけ口をつけた。それ以上には、酒にも肉にも興味がないかのように、穏やかな微笑みを浮かべながら、伯爵やメリッサのおしゃべりにうなずいていた。
 伯爵の一人娘である十六歳のメリッサは、向かいに座ったカシールの方を時々見やりながら、笑ったり頬を膨らませたりと、なかなかせわしなかった。早くして母親を亡くしたせいもあるのだろう、しとやかというにはほど遠く、貴族としての礼儀作法はちゃんとしていたが、くるくると表情を変えたり、父親の言葉にむっとした様子になったりと、いかにもお転婆な娘らしい。それでいて、肩にかかるブラウンの巻き毛をなんどもかき上げては、カシールの方に目をやって頬を染めるようなところは、やはり年頃の女性らしくもある。
「ねえ、カシルは明日、村に帰ってしまうのよね」
「ええ。ご存知でしたか」
「レイエンさまに聞いたわ」
 カシルとはそう歳が離れていないこともあってか、メリッサはまるで同い年の友人にでも話すような口調であった。
「すぐに戻ってくると聞いたわ」
「ええ、たぶん」
 カシールはちらりとアレンの方を見た。令嬢に話すのは面倒くさいので、黙ったままゆくつもりだったのにと、その目が語っていたが、横に座る金髪の美青年は知らぬふりをしている。
「明日の夜はまた、一緒にお食事ができるわね。約束して」
「ええ、たぶん……」
 曖昧な返事に、令嬢は可愛らしく柳眉を寄せた。
「もう、たぶんばっかり。そんなに大切な用事があるの?どうしても行かなくてはいけないの?」
「まあ、そうです」
 歯切れの悪いカシルの言葉に、メリッサはますます頬を膨らませた。
「それに、私はあんな野蛮そうな男と同じ屋敷で寝るのはイヤよ。あんな男をここに残して、カシルは私を置いて行ってしまうのね」
「あんな男とは……エドランどののことですか」
「そのドランよ。名前からして野獣のようだわ。おお、汚らわしい」
「大丈夫ですよ。エドランどのはそんな人では」
「あら、分からないわ。年頃の娘が屋敷にいると知ったら、どんなことをするか。カシルが私を守ってくれないと、どうにかなってしまうわよ」
 なんとも乱暴な理屈に、カシールは苦笑しながら、助けを求めるようにアレンを見た。
「では、カシルが留守の間は、この私が代わってご令嬢をお守りしましょう」
「あら、レイエンさま。本当なの?」
「はい。お美しい令嬢の、その毛先一本までお守りいたします」
「まあ、嬉しいわ」
 まんざらでもなさそうに、メリッサは手を組み合わせた。結局のところ、箱入りの若い娘は、美男子二人に囲まれて、新鮮な恋愛ごっこを楽しむことが喜びであるのだろう。本人には決して、ごっこ遊びのつもりはなかったとしても。
「メリッサ、あまり失礼なことは言うのではないよ」
「あら、お父様。私はなにも失礼はいたしておりませんわ」
「ふむ。それならいいのだが」
 叱りつけることもできぬ、娘を甘やかす父親の典型というようなていで、伯爵は口ひげを撫でた。
「さきほど少しレイエンどのと話したが、エドランどのには屋敷ではなく道場の方で寝起きしてもらおうと思っている。やはり父親としては、娘のこともあるし、素性の知れぬ人間をなるたけ近くに置きたくないのでな。すまないが分かってほしい」
「それはもちろんです、伯爵」
 ですが、そういう点では自分もカシルも、素性をすべて明かしているわけではないですよ……などということは思ってはいたとしても、決して口にも素振りにも出さず、アレンは穏やかにうなずいた。
「エドランどのにはもう、その件は伝えておきました。道場をお借りできるだけでもありがたいことです」
「ふむ。それから、これは、先ほど伝えようと思っていて、忘れていたことなのだが」
 ふと大切なこと思い出したというように、伯爵はいったん杯を置いた。
「この町の市参事会に、総督という地位で、アルディからの貴族がやってくるらしい。なんでも、先のデュプロス島での大陸会議において決定した事項なのだそうだ。ジャリアの南部地域に、アルディとウェルドスラーブ、それにアスカの騎士や貴族が赴任し、アナトリア騎士団に代わって共同で各都市を統治をするという。このことは、あるいは君らにとっては、面倒なことになるのではないかと思ったのだが」
「そのアルディからの総督というのは、いつやってくのですか?」
「まだ正確なことは分からないが、おそらく五日から十日ほどで赴任してくるだろう。私もこの町の領主として、一度は会わなくてははならない」
「そうですか」
 アレンはそれきり、何事かを考え込むように口を閉じた。その彫刻めいた涼やかな顔を、伯爵はじっと見つめていた。カシールは気がかりそうな目を向けたが、この場でなにかを言うようなことはしなかった。向かいに座るメリッサは、そのような話などはどうでもよさそうに、しきりにカシルと目を合わせようと試みては、当てが外れたように頬を膨らませていた。
 その翌日は、とくに何事も起こらない、のんびりとした一日であった。
 早朝から、カシールはイグレア村へと出発していった。道場は休みであったので、エドランは翌日からの準備とばかりに剣や木刀の手入れや、自分自身の剣の練習にも勤しんだ。アレンの姿は、屋敷内のどこにも見えなかった。
 夕刻になってもカシールは戻らなかった。メリッサはつまらなさそうに、屋敷の庭園を歩いては、遠くを見つめたり、道場の方にやってきて中を覗いてみたりしもたが、剣を持ったエドランの姿を見るなり、逃げるようにしてその場を離れた。ブレナン伯爵からは、参事会の会議があるとのことで、今夜は市庁舎に泊まるという知らせがあった。メリッサは一人きりの夕食を寂しく済ませると、早々に自分の部屋に引きこもった。
「つまらないわ」
  寝台に寝転がるが、すぐにまた起き上がる。このまま寝てしまうにはまだ少し早い時間だし、かといって燭台の下で読書をする気にもならない。
「こんなときに、妹か弟でもいればいいのにな」
 メリッサの母親は、彼女が三歳のときに病で亡くなった。なので母親の記憶というのはほとんどなく、肖像画で見る優しげな顔が、その印象のすべてだった。他に兄弟はいないし、同い年の友達と呼べるような相手もいない。町の学校にでも通っていれば違ったのだろうが、父親はメリッサを学校には行かせず、週に三回、屋敷に来てくれる家庭教師に任せていた。一番歳が近いのは、屋敷の掃除や炊夫を務める女中のケリーであったが、彼女にしても二十歳とうには超えている。なので、ふたつみっつ年上のカシールというのは、彼女にとっても近しい年代であり、初めて意識する異性なのであった。
「でも、なんて綺麗な子なのかしら。それは、レイエンさまもそうだけど、あんなにきれいな男の人がいるなんてね」
 金髪碧眼のアレンと、黒髪のカシールは、見た感じも雰囲気もずいぶん異なってはいたが、はっとするような美しさというものは二人とも共通していた。もっと言えば、町にいるように男性とは根本的に、なにもかもが違っているように思えた。普通に仕事をしたり、妻をもうけて子供を育てるといった、家庭的な感じがかれらにはまるでしないのである。それは、剣士であるのだから当然であるのかもしれなかったが、しかし、エドランのようなむさくるしく男くさい、恐ろしげな剣士というのもいるのだから、やはりあの二人は特別なのだろう。そう彼女は思った。
「あんな人たちは、見たことがないわ。美しくて、剣も強くて……まるでおとぎ話の騎士みたいじゃない」
 じつのところ、アレンらが、この屋敷の一角を道場として使いたいと申し出てきたとき、即座に賛成したのはメリッサであった。町の領主である父の屋敷を訪ねてきた彼らを最初に見たとき、まるで輝くような凛然とした美しさに、彼女ははっと息を飲んだ。こちらを見てにこりと笑ったあのときのアレンの顔は、いまでも忘れられない。メリッサにとっては、自分の日常を突き破るようにして現れた、夢の中の王子のように思えたのである。一方のカシールの方は、最初はきつい目をした冷たそうな若者だと思ったのだが、話してみると歳が近いことや、案外に素直な性格をしていることが分かって、むしろアレン以上に興味を持つようになったのだった。
「レイエンさまの方は……いつもおだやかで優しそうだけど、なんだか近づけない壁がある感じがするわ。でも……」
 カシールは、もっとまっすぐに素直で、ちょっときついときもあるけど、なんというか温かい感じもするのだ。なんだか、友達になれそうな気がするのだ。
「ボーイフレンド……というやつよね」
 自分でそう言って、メリッサは顔を赤くした。いままで、男性に興味を持ったことなどはほとんどない。何年か前までは、お父さんのお嫁さんになりたい、などと言っていたこともあったようだが、いまではもうすっかりそんなことは忘れてしまっていた。
「帰ってきたら、明日、一緒にお庭の散歩をしようと誘ってみようかしら」
「二人だけでなんて、誤解されてしまうかも……」
 そんなことを考えていると、照れてしまってよけいに眠れそうにない。
 メリッサは起き上がって木窓を開けた。肌寒い風が部屋に吹き込むが、空気にはもう春の匂いが混ざり込んでいる。このトラウベの町はジャリアの最南部にあり、首都のラハインなどに比べれば気候はわりと温暖で、北にそびえるオルヨムン連山が冷たい空気が入るのをせき止めてくれるので、冬であっても雪が降るようなことはほとんどない。気づけば、いつのまにか庭園の木々も芽吹きはじめ、あと半月もたたずに春の訪れを感じられるようになるだろう。
(春になったら、カシルと馬車で、ピクニックにでも行きたいな)
 そんなことをぼんやりと考えながら、しばらく窓の外を見ていたとき。眼下にふっと、なにかが動いた。ここは二階であるから、はっきりとは分からなかったが、確かに人影であったと思う。
「カシルが戻ったのかしら」
 にわかに心が湧きたつような気分で、メリッサはローブを羽織り、部屋を飛び出した。
燭台を手に廊下を渡り、早足で階段を下りてゆく。
(ああ……でも、玄関まで出て行ったら、いかにも帰るのを待っていたという風で、なんか癪だわ)
 階段の途中で足を止めると、彼女はそこに座り込んだ。ブレナン伯が見たら、行儀が悪いと叱られそうなところだが、箱入り娘として大切に育てられ、父が決して本気で自分を怒ることはないというのを知っていた。
(ここで待っていて、カシルが帰ってきたら、いきなり降りて行って驚かせよう)
 そう思うとなにやらわくわくとしてきた。普段は無口な彼でも、きっと驚くに違いない。
(うふふ……)
 だが、いつまで待っていても玄関の扉が開く気配はなかった。わくわくしていた気持ちもしだいにしぼんできた。
(さっきの人影は、やっぱり見間違いだったのかしら)
 当てが外れたような気持で、メリッサは立ち上がった。そのまま部屋に戻ろうかと思ったが、なんとなく気になったので一階まで降りてみた。
 暗がりの中を、燭台の火を頼りに、東側の廊下をそろそろと歩いてゆく。屋敷の一階の東側は、多くが空き部屋で、そこの一室がアレンたちの住む客間になっている。だが、アレンもカシールもまだ帰って来ていないらしく、廊下に人の気配はない。辺りはしんと静まり返っていた。
 アレンとカシールの住まう客室の前まで来て、彼女はふといたずら心を覚えた。
「……」
 恐る恐る扉を開ける。部屋には誰もいないと分かっていても、なんだか自分が悪いことをしているような気持で、どきどきとした。
(なんだか、こういうのって……大人になったような気持ちだわ)
 燭台を落とさないように、するりと部屋の中へ体を滑り込ませる。
(これって、夜這いっていうのかしら、)
 誰もいない部屋に忍び入って、夜這いもなにもないものだが、男を知らぬ十六歳の少女には、大変な冒険のように思えたに違いない。室内にはやはり人の気配はなかったが、ふっと冷たい空気が感じられた。
(窓でも空いているのかしら)
 テーブルや棚のあるこの部屋は、奥の方に次の部屋への扉がある。子供の頃から、屋敷内をずっと探検していたので、各部屋の間取りはすっかり頭に入っていた。アレンたちが、奥の間を寝室に使っているのも知っていた。奥の間の扉の方に歩いてゆくと、かすかに物音が聞こえた気がした。
(誰かいるのかしら……)
 まさか、アレンかカシールがすでに帰ってきていて、寝室で休んでいるのだろうか。もしそうなら、こんなところを見られたら、きっと誤解されてしまう。
「……」
 びくびくする心持で、メリッサはその場に立ち止まった。耳を澄ませると、やはりカタカタという音が聞こえている。寝ているにしては妙な音であった。
(なにか、変だわ……)
 怖さよりも好奇心が勝った。彼女は燭台を床に置くと、思い切って奥の扉に手を掛けた。そして、音を立てぬよう、ごく静かに扉を開けた。
 とたんに、冷たい空気が流れてきた。室内を見回すと、暗がりに少し目が慣れていたので、人のいない寝台がすぐに目に入った。
(やっぱり、誰もいない)
 ほっとした気分で彼女は、音のする方に目をやった。カタカタと音を立てていたのは、開いた木窓が風で動いていたのだ。
「なんだ。不用心ね。窓を開けたまま出かけてしまうなんて」
 木窓を閉めてやろうかとも思ったが、あとで自分が部屋に入ったことを知られてしまうかもしれないと、少し躊躇した。
(やっぱり、このまま戻ろう)
 寝室から出ようと、メリッサは後ずさった。
 そのとき、
 後ろからいきなり腕をつかまれた。 


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