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水晶剣伝説 XI デュプロス島会議


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 城門をくぐって内郭に戻ると、騎士たちがひとつ所に集まっていて、なにやらざわついているようだったが、いまの彼女にはそんなことはどうでもよかった。
 キープ(天守)への入り口のある石段を駆け上がる。城門塔に入ると、螺旋階段をさらに上って城壁の上の歩廊に出た。
 晴れ渡っていた空は、いまはもう黄昏色に染まり始めていた。ここから見晴らせる景色も素晴らしく、前方には西日を受けて輝く海が、後を振り返れば、デュプロス島の岩ばった山々が美しい稜線を描いている。
 城壁の歩廊には人の姿はなく、いまは見張りの騎士も一人も見えなかった。戦時中の城であれば、ひっきりなしに見張りが行き交って、胸間城壁の間から目を凝らして、敵の来襲を見つけるための場所であるが、いまはむしろ、海へ降りへゆくアヴァリスの残照をゆっくりと眺められる、平和で穏やかな空気に包まれていた。 
 だが、ガーシャはそんな景色に感動を覚える暇もなく、エルセイナの姿を探して足早に歩廊を歩いてゆく。
 前方に北東の塔が近づいてきた。立ち止まって見上げると、塔のてっぺんに、風になびく黒髪が見えた。
(やっぱり、エルセイナさまはあそこに)
 そう確信すると、ガーシャは塔に入って、また螺旋階段を上っていった。
 セルムラードの首都であるドレーヴェの、あの美しい緑柱石の城に比べると、この城はいかにも武骨で、むき出しの石壁には飾られる絵画のひとつもない。ビロードの敷物もなければ、窓というものは矢を射るためだけの矢狭間しかない。まさに砦の城というような趣であった。
(昔はこの城は、アスカの持ち物だったのよね)
 彼女のような若い人間にとって、アスカというのは謎めいた伝説の国のようなイメージで、実際にその国では、どんな人々がいて、どのように暮らしているのかなどは、とても想像もつかなかった。
(そういえば、アスカの将軍……ザース・エイザーという方が、ここにやってきているのだわ)
 アスカの将軍が入城するとき、ガーシャは離れたところから見ていただけだったが、遠目にもずいぶん大きな体をした人物だった。ほんの数人しかお供は連れず、堂々とした足取りで城内へ入っていった姿が印象に残っていた。
(そうね……いつか、アスカへ行ってみたいなあ)
 そんなことを考えながら、ぐるぐると螺旋階段を上ってゆく。遊撃隊の訓練で足腰は鍛えているので、これしきの階段はなんということもない。
 すると、上の方から人の気配が……というより声が聞こえてきた。
(エルセイナさまかな?)
 もう階段の出口はすぐそこだった。頭の上には黄昏の空が見えている。
 さらに上ると、はっきりと声が聞こえてきた。
「ほう、そういうことか」
「……なに、私だって、本来、来たくてきたのではないのだがな」
「はん、わかっているよ。そちらの考えはね」
 間違いなくそれはエルセイナの声であった。ただ、ガーシャが知る普段の声よりは、いくぶんトーンが高いようだ。
「しかし、そうだな……おおむね、決まるべきことはもう決まったからね。そちらとしても、だいたいは予想通りだろう」
「ずっと見ていたんだろう。そこから、会議の方も」
 声の調子からは、まるで、そこで誰かと話しているかのようだった。しかし、もう一方の相手の声はまったく聞こえない。ガーシャはそれを不思議に思った。
「つまり、将軍閣下の言動も、ちくいちチェックされているわけだ」
「最初から、見られているんだと知っていたら、もう少しディーク閣下にたてついてみても面白かったかな」
 話の邪魔をするのもはばかられるので、ガーシャは階段に立ち止まった。
「……」
 それにしても、こんなに愉快そうなエルセイナの話し声は、これまで聞いたことがなかった。ずいぶん機嫌が良いようである。
(どうしよう。いったん戻ろうかな)
 迷いながらも、つい聞こえてくる会話に耳を傾けてしまう。
「にしても、黒竜王子が倒れたのは予想外だったな。その先の展開もずいぶん予想していたんだが」
「まさかシャネイが動くとはな……それとアナトリア騎士団。どうせ、あれはそっちがたきつけて動かしたんだろう」
「なに、とぼけるのか……ではシャネイは」
「ふふふ。なにを言うか。少なくともあの騎士団に関しては、そっちの手駒のひとつに思っているよ」
 そこから、しばらく沈黙が続いた。ガーシャは、階段を上がろうか迷いつつ、足を踏み出そうとしたとき、また声がした。
「おや……そうなのか。ほう……」
 今度のは、いくぶん押しひそめられた声だった。
「では、そちらは、ジャリアに水晶剣があると、本当に思っているのだな」
(なに?なんのことかしら……)
(水晶剣って……)
 何故だかガーシャには、その言葉がとても気になった。
「それでか。ラハインに騎士をやろうと考えたのだな……ああ、そうだろうとも」
「だが、簡単には見つかるまい。あの剣はな、それをもっとも欲するほどの野望がなくてはな。ただの研究材料にするような人間には、近づいてはこないよ」
 エルセイナがこれほどよく話すというのは、なかなかないことだった。普段はむしろ寡黙な方で、事務的な指示をしてくる他には、あまり自分から話すことなどはしない人だと思っていた。なので、この島についたとき、エルセイナが自分から海辺を散歩したいと言い出したときも、ガーシャはとても驚いたものであった。
(なんだか、私の知っている宰相閣下とは、少し違う感じだけど)
 あるいは、本来はこういうふうに楽しそうに話すこともあるのかもしれない。ガーシャは、なんとなく、エルセイナが話している相手が誰なのか、とても知りたくなった。
「……」
 足音を忍ばせて、ガーシャはまた階段を上がりだした。
 塔の屋上はさほど広いスペースではない。直径にして5ドーンほどだろうか。中央部は円錐の屋根が突き出していて、その周囲が円状の歩廊になっている造りだ。
 螺旋階段を登りきって、ガーシャは歩廊に頭を覗かせた。
 涼やかな風が顔に当たる。
 狭間胸壁の上に、腰かけている姿があった。
「誰か?」
 エルセイナの声がした。
「は、申し訳ありません」
「ガーシャか」
「はい」
 ガーシャはおずおずと、エルセイナのいる方へ近づいた。横目で周りに目をやるが、他には誰の人影もない。
「どうした?」
 エルセイナの様子はいつもと変わらない。冷静そのもので、穏やかだった。
「なにかあったのか」
「はい。あの、ええと……」
 ガーシャは口ごもった。
「会議の方は、だいたい終わりそうだ。だが、これから帰り支度をするのは、ちと慌ただしいからな。城でもう一泊させてもらって、明日の朝に発つとしようか」
「はい」
「それに、どうせ、フサンド公王陛下が、たっぷりと食料や酒を用意しているのだから、今日も晩餐で消費して差し上げなくては、かえって申し訳あるまい」
「はあ」
 どうにも不思議な気分で、ガーシャは目の前のエルセイナを見つめた。
 漆黒の髪を風になびかせる、その中性的な美しさは、古めかしい城の胸壁とあいまって、いつも以上に妖しく見える。そのほっそりとした白い手には、美しい宝石の入った短剣があった。
「あの、」
 さっきの話し声のことを質問しようかどうか、ガーシャが考えていると、
「おや、どうも、中庭の方が騒がしくなってきたようだよ」
 胸間城壁から中庭を見下ろし、エルセイナが言った。
 ガーシャも胸間の合間から覗き込んだ。見ると、さっき通ってきた内郭の中庭には、騎士たちがひとつ所に集まっていた。その様子から、どことなく、ただならぬ気配が伝わってくる。
「ふむ。なにやら物騒なことでも始まるみたいだね」
 エルセイナは面白そうに言った。
「どちらが勝つかは目に見えているが」
 そのつぶやきの意味が、ガーシャにはよく分からなかったが、なにかいざこざでもあったのだろうか。
「ふむ。決闘、といってもいいのかな」
「決闘ですか……いったい誰が」
 驚くガーシャの顔を見て、エルセイナはうっすらと微笑んだ。
「まあ、下手をすると、大変な事態になるかもしれないな。すまないが、ガーシャ。見に行ってきてくれるかな」
「は、はい」
 大変な事態というにしては、エルセイナの口調は優雅ですらあったが、宰相の命令には女王に次ぐ絶対の重みがある。
「止められはしないだろうが、そうだな、せめて、我がセルムラードの騎士たちが巻き込まれないようにね」
「かしこまりました」 
 ガーシャは一礼すると、上がってきた螺旋階段を急いで駆け降りた。
 結局、肝心なことはなにも訊けなかった。それに、報告すべき大事なことも忘れてしまっていたが、いまはどうやらそれどころではないようだった。

 デュプロス城の内郭では、騎士たちの大きな歓声が上がっていた。
「我らが団長、グレッグ・ダグラス!」
 そこにアナトリア騎士団を率いる団長のグレッグ・ダグラスが現れたのだ。続いて、トレミリアのブロテ騎士伯、ウェルドスラーブのトレヴィザン提督が城内から現れると、これまた各国の騎士たちがこぞって声を上げた。
「トレミリアの英雄、ブロテ騎士伯!」
「我が海の将軍、トレヴィザン提督!」
 そして、最後に、アスカの大将軍、ディーク・ザース・エイザーが姿を見せると、あたりはただならぬ緊張感に包まれた。堂々たる体躯をほこる強者たちが、会議をよそに腰に剣を吊り下げて出てきたのだ。これがただ事であるはずがない。
 そこに集まったすべての騎士たち、見習い、従者たちは、これからいったいなにが始まるのかと、興奮を隠せぬようにざわめいていた。
「おい、まさかこの四人が、これから剣で戦うってんじゃないだろうな」
「おお、そうしたら、まさしく世界最強を決める戦いじゃないか」
「アナトリアの団長ってのも、見るからに強そうだしな」
「なに、我がトレミリアのブロテ騎士伯に勝てるものか」
「それに、あのアスカの将軍さんも、すげえ体つきだよな。見ろよ。体格だったら、一番じゃないか」
「まさか、本当にここで戦うつもりなのかな」
「まさか……でも、見ろよ。おえらがたは、なんだか、びりびりと張りつめた感じだぜ」
 騎士たちがどよめく中を、まず進み出たのはグレッグ・ダグラスだった。
「この島に集まりし各国の騎士諸君!」
 握った拳を前に突き出し、彼はその朗々とした声を響かせた。
「ここにいる諸君が立ち会いの証人となるのだ。これより、自分、グレッグ・ダグラスとアスカのザース・エイザー将軍との剣の試合による決闘を取り行う」
 周りの騎士たちは、それを聞いて一斉にざわめいた。
「おお、グレッグ団長が自ら」
「アスカの将軍と決闘だとよ」
「こりゃ、すげえぞ!」
 どよめきと歓声とが入り交じり、城の内郭はますます異様な気配に包まれた。
 見上げると、城のバルコニーからは、フサンド公王やレード公をはじめ、会議に参加していた代表の面々が揃って顔を覗かせている。会議を中断することとなったこの事態を、止めることはできずにただ見守る恰好なのだろう。
「なお、審判役には、トレミリアのブロテ騎士伯が買って出てくれた」
 グレッグの言葉を受けて、ブロテは無言で進み出てうなずいた。なにも自分から買って出たのではなく、頼まれたからではあったが、トレヴィザン提督が一緒に来てくれたので、多少心強くはあった。
「詳しくはここでは言えぬが、この勝敗によって、我がアナトリア騎士団と、アスカの主張するそれぞれの条件を決めることとする。それに異存はないな、将軍」
「かまわぬ」
 短く答えたディークは、準備体操をするように軽く肩を回した。
「よかろう。では諸君、場所を開けていただこう」
 さすが統制のとれた各国の騎士たちである、かれらはさっと円状に広がって、中央には十分な空間ができた。
 グレッグとディークの二人が中央に進み出る。
「それでは、お二人とも、ジュスティニアとゲオルグに誓いを」
 向かい合って立つ二人に、審判役のブロテが告げた。
「正規の剣技試合にのっとり、どちらかが剣を取り落とすか、致命的なダメージを与えるか、あるいは自ら試合を放棄するか、そのいずれかにより勝敗を決するものとする。今回は公平をきすため、我がトレミリアの一般騎士用の剣を使ってもらうが、よろしいな」
 二人はうなずいた。ブロテが部下に持って来させた剣がそれぞれに手渡されると、二人は戦い神に誓いを立てた。
 グレッグは威嚇するように、剣をぶんぶんと振ってみせた。巨漢といってよい二人には、己の用の剣が使えないのは物足りないようで、手にした剣はずいぶんと小さく見えた。
「提督、こんなことをやらせていいんでしょうか」
 トレヴィザンに付いてきていたアルーズが、そっと耳元で言った。
「それに、これでアナトリアの方が勝てば、やつらはますます増長して、自分たちに有利な条項を盛り込んでくるのでは」
「そうなるだろうな」
 トレヴィザンの方はまったく落ち着いた様子だった。なにが起ころうとも、それはそれで仕方がないという考え方なのだろう。ただし、その目は二人の姿からいっときも離れなかった。
「こうなった以上は、どちらもあとには退けぬだろう。互いの名誉と、互いの国と、騎士団の名誉がかかっているからな。それに、」
「それに?」
「見ろ。二人ともやはりただものではない。あの構えや間合いの取り方……いったいどれほどの使い手なのかと、武人であれば興味はつきぬさ」
 それにアルーズはいくぶん苦笑した。海の男であっても、やはり一人の騎士として、強い人間というのに興味があるのだろう。それはアルーズとて同じではあった。
 片手で軽々と剣を振り回すグレッグと、剣を縦に構えてじっと相手をみすえるディーク……へたをすれば命を落としかねない決闘を前に、両者ともまったく緊張する様子がない。
「用意はよろしいか。ではお二人とも、騎士として正々堂々と戦われよ」
 向かい合った二人が剣を構え、ブロテが手を上げた。
「はじめ!」
 掛け声とともに、グレッグは一歩、二歩を踏み出した。
 相手との間合いをはかるつもりだろう。なにしろ、二人ともが巨漢でリーチがあるので、通常の騎士の試合よりも当然間合いは長くなる。互いにそれを計り合いながら、攻撃と防御のバランスを整えなくてはならない。
「おおっ」
 驚いたように声を上げたのはグレッグであった。
 ガン、ガンッ
 剣がぶつかり合う響きが上がった。
「おお、早いぜ!」
 騎士たちから驚きの声があがる。
 飛び込んで攻撃を仕掛けたのはデュークの方だった。
 その剣を振り下ろす速さに、グレッグはいくぶん驚いたようだった。
「やるじゃねえか」
 にやりと笑って剣を構え直す。だが、息を整える暇はなかった。
 続けてまた、ディークが打ち込んできた。
 さきほどとまったく同じように、剣を振り下ろす。
 ガン、ガガッ、
 鋭い響きが上がった。
 今度はそれを予期していたように、グレッグは動じなかった。
「見かけよりも攻撃的なやつだな。ならば、」
 次は自分から仕掛ける。ディークに負けないスピードで打ち込み、次にステップを変えて横凪に剣を振る。
 ガッ、カシッ
 剣を受け止めながら、ディークは何歩か下がった。
「いいぞ、団長!」
「我らがグレッグ・ダグラス。そんなアスカ野郎やっちまえ!」
 柄の悪い声援に気をよくしたように、グレッグは続けざまに剣を繰り出した。
「おら、おらよ」
 縦に横に斜めにと、自在に剣を打ち込んでゆく、その速さと的確さは、さすが五千人を数える騎士団の長というべきか。だが一方のディークも、体格には似合わぬ身のこなしで、右に左にと体重を移動させ、やわらかく剣をかわし、ときに軽やかにはじき返す。
 そして、相手の動きが一瞬でも止まると、そこを狙ってまっすぐに剣を打ち込んでゆく。それはすさまじい速さと、そして重い一撃だった。
 ガン、ガッ、ガン、
 剣と剣とが強烈にぶつかり合う音が何度も響き、ときにリズミカルに続いてゆく。
「すごいな……」
 すぐそばで戦いを見つめるトレヴィザンは思わず声を上げた。その横でアルーズも手に汗を握っている。
「どちらも、強いですね」
「いや、あの将軍閣下の方さ。あの強烈な打ち込みというのは……剣があんな音を立てるのは、なかなか聞けるものではない。しかし、」
「どうかしましたか、提督」
「いや……不思議に思ったのだ。将軍の方は、あれだけ軽やかに剣をかわすことができるのに、自分が打ち込むときは決まってまっすぐだ。あれでは剣で受け止めてくれというものだろう」
 たしかに、トレヴィザンの言う通りだった。
 打ち込んだディークが数歩後退すると、今度はグレッグが攻撃を仕掛ける。それを左右にステップしながら巧みに避けると、また隙をみてディークがまっすぐに打ち込んでゆく。
 ガン、ガガッ、
 同じように剣と剣が音を立てる。それが何度となく繰り返されるのだ。
「見ろ。グレッグの方は、ずいぶん息が上がり始めている」
 トレヴィザンが言った。
「相手の力強い打ち込みを受け止めるのと、自分の攻撃を繰り返すことで、体力を消耗しているんだ。それに比べて、ザース・エイザー将軍は、まったく顔つきが変わらない」
「ええ、まるで機械のような正確さで、剣を打ち込み続けています」 
 アルーズはうなずいた。
 力強さと速さをかねそろえた、ディークの剣技に引きこまれる気がした。
 それは、二人の戦いを一番近くで見つめるブロテも同じだった。
 審判という立場上、二人の動きを均等に見ながら、判断をするべきなのだが。ブロテが見つめるのは、いまやディークの動きだけであった。
(前に、このような戦いを見たことがある……)
 激しく動きながら、互いにまったく譲らない。繰り返される攻撃と防御……見かけ上は、まったくの互角の戦いであった。
 だが、なにかが違った。
(そうだ。たしかにあれと同じだ)
 ブロテは思い当たった。
 ガン、ガガッ
 強烈な剣の響きが目の前で上がる。
(あれは……)
 ガン、ガンッ
 同じ剣のぶつかる響き。
「いいぞ!」
「すげえ戦いだ!」
 見かけ上はまったく一進一退という激しい二人の戦いに、周りを囲む騎士たちはいよいよ興奮し、その声を大きくする。
「やっちまえ、グレッグ団長!」
「アナトリア騎士の力を見せつけろ!」
 白熱する騎士たちの歓声とともに、戦いはさらにこのまま続くかに思われた。
 だが、意外なことが起こった。
「なに」
 グレッグは思わず声を上げた。
「どういうつもりだ」
 太い眉を吊り上げて、鋭く相手を睨みつける。
 あれほど激しく打ち込んできていたディークが、構えていた剣を下ろしていた。まるで、その場に凍りついたかのように動きをとめている。
 それを怪訝そうに見つめながら、
「はっ、もうおしまいか?」
 グレッグはにやりと笑った。
 攻撃に疲れたか、打つ手がなくなったのか。その両方なのか。
「ならば、終わりにしてやる」
 どちらにしても、これで決着をつけるとばかりに、グレッグはその剣を大きく構えると、一気に打ちかかった。
 まだディークは動かない。ただ、剣を静かに横に倒したのみだ。
 次の瞬間だった。
 ガッ、ギッ
 ひどく耳障りな響きとともに、
 剣先が宙を飛んだ。
「なっ」
 いったい、なにが起こったのか分からぬように、グレッグは呆然と立ち尽くした。
「ばかな……」
 己の剣を見ると、真ん中から、剣がまっ二つに折れている。
「なんだ……」
「いったい、なにがあったんだ」
 周囲の騎士たちから、ざわめきが起こる。
 呆然と立ち尽くすグレッグを前に、ディークは静かに剣を鞘に納めていた。
「それまで。ザース・エイザー将軍の勝利!」
 ブロテがそう告げると、
「待て。待ってくれ……」
 グレッグは納得がいかないように声を上げた。
「ただ剣が折れただけだ。俺はまだ負けてはいない。剣をくれ。代わりの剣を!」
「やめておくがよかろう」
 静かな声……すでに戦いは終わったというように、ディークは肩をすくめた。
「何度やっても同じことだ」
「なんだと」
 折れた剣を放り出し、グレッグは叫んだ。
「俺の剣で戦えば、こんな簡単に折れるはずはない。やつともう一度やらせろ!」
「いや、グレッグ・ダグラスどの」
 進み出たブロテは、きっぱりと言った。
「これは、試合前から取り決められたこと。それに、ザース・エイザー将軍は、あなたの剣を狙って、はじめから折るつもりだった」
「なんだと。そんな馬鹿な……そんなことができるはずが」
 信じられぬというようにグレッグが首を振る。ブロテの方は、いくぶん顔を青ざめさせ、沈着な彼にしては珍しく、驚きに包まれた表情であった。
「剣殺し……あのときと同じ、あのレークどのの試合と」
 かつて、フェスーンの剣技会で目の当たりにした、かの浪剣士のすさまじい技を思い出すように、ブロテはつぶやいた。それをいま、ここで再び見ることになるとは。
「剣を折るつもりで……だと、そんなことができるはずはない」
 いまだ納得がいかないように、グレッグは憮然とした顔でディークを睨み付けた。
「こんな、馬鹿な勝負があるか。俺は認めん。認めんぞ……」
「もう一度やってもいいが、時間の無駄だろう」
 預けておいた己の剣を拾い上げると、ディークはそう言い残して城の方へ歩きだした。
「待てよ、アスカの将軍さんよ!」
 鋭い声が上がった。
 アナトリア騎士団の副団長、レクソン・ライアルだった。その手にはすらりと剣が抜かれている。
「俺とも勝負しろ!」
「……」
 だがディークは、立ちふさがった相手をちらりと見ただけで、また歩きだした。
「このっ」
 飛び掛かったライアルの剣が背中を襲った。
 ガッ
 鋭い響きと同時に、
「うわっ」
 その剣が吹き飛んだ。ライアルは腕を押さえて、その場に膝をついた。
 幅広の大剣がぎらりと光った。すさまじい早業だった。
 静かに剣を鞘に戻し、ディークは歩きだそうとした。そこへ、数十名の騎士たちが立ちふさがった。
「アナトリア騎士団を愚弄するものは、誰であろうと許さない」
 団長と副団長がやられて黙ってはおれぬと、かれらは怒りに燃える目で、ディークを睨み付けた。
「俺たちが相手になるぞ!」
 剣を抜いたかれらは、いつでも一斉に襲いかかれるように身構えた。それはまさしく、実戦で鍛えられた動きであった。
 立ち止まったディークは、わずかに腰を落とした。
 この人数が相手でも、なんの問題もないというのか。それほどの剣技を持っているのか。その立ち姿には隙は微塵もなく、その背中はとてつもなく大きく見えた。
 他国の騎士たちが、息をのんで見つめるなか、
「やめろ、おまえたち!」
 団長であるグレッグの声が飛んだ。
「ここは戦場ではない。あくまで会議の場だ。みな剣をしまえ」
「ですが、団長……」
「お前らの勝てる相手ではない」
 グレッグの言葉に、騎士たちはおとなしく剣をしまった。
「非礼を許されよ、ザース・エイザーどの」
「……」
 振り向いたディークは軽くうなずくと、そのまま歩きだした。
 アナトリアの騎士たちが道を開ける。
 その大きな背中を止めることのできるものは、もう誰もいなかった。

「見ていたか?」
 北東の塔のてっぺんから地上を見下ろしていたのは、長い漆黒の髪をなびかせる謎めいた宰相、エルセイナ・クリスティンだった。
「なるほど。すごいね。あれがアスカ自慢の大将軍の実力というものか」
 妖しげな微笑みを浮かべると、その視線を中空へと向ける。
「最後に見たときはまだ、ほんの少年のようだったと思ったが、ずいぶんと立派になったものだ。たしかに、あれならどんな大軍を引き連れてくるよりも威圧感がある。彼を単独で来させたのも、あながち間違いではなかったわけだ」
 まるで、そこに誰かがいるかのように、彼女……か、彼か、性別すら謎の宰相は、一人言葉を続けた。
「ああいう、力ずくのやり方も命令のうちなのかい?」
「はっ、よくもそんなことを言う。どうせ条件を飲ませるためには、どんなことでもしろと命じてあるんだろう」
 もしも、他の人間が見ていたなら、それは奇妙な独り言を続ける、気でも違った者のように映ったことだろう。
「ところで、ジャリアにあるのだとしたら、どうやって水晶剣を手に入れるつもりなのかな?まさか、一介の騎士たちに秘密を告げるわけにもゆくまい」
「……は、たわけたことを。そんな傍観者づらをするなら、何故わざわざラハインに騎士をやる」
「なにか、ほかにもくろみが……」
 そこまで言いかけて、 エルセイナの視線がすっと上に動いた。なにかがそこに浮かんでいるというように。
「おや、もう行くのか?」
「まだ魔力は充分持つだろうに。なに?……はん、まあいい」
「またいずれ、お目にかかるときがくるだろう。そのときまではな。忘れるな……」
「我々、調整者の役割を」
 空に向かって飛んでゆくなにかを見送るように、エルセイナはしばらく、黄昏色に変わりつつある空の向こうをじっと見つめていた。
 その手にある短剣の宝石が、最後にきらりと鈍い光を放った。

 夕刻を前にした城内では、従者たちの手で次々に燭台に火がともされていた。多くの人間の手によって、さびれていた城砦が甦ったことは、あるいはこのデュプロス島会議の別の側面での功績であったかもしれない。この城の存在が、おそらくこれからも歴史的に意味をもつことになることを考えれば。
「それでは、よろしいでしょうか。デュプロス島会議の全条項は、これで決定させていただきます」
 晴れやかなセイトゥの声が広間に響くと、テーブルを囲む人々は、やれやれというように息をついた。
 ワインの注がれた杯を手にしたかれらの中に、もう異論をとなえるものはいなかった。アナトリア騎士団の二人も、いまはおとなしく腕を組んでいる。
 その視線は、ときおりいまいましそうに、フサンド公王の隣に座るアスカの将軍に注がれはしたが。かれらは結局、シリアン王女の護衛として、アスカの騎士十名をラハインに入れることを了承した。ただし、その騎士たちは常にアナトリア騎士団の管理課に置かれ、ラハインから移動する際には必ず見張りを付けるなど、細かな条項を加えさせた。
 ディークの方もそれに応じ、アスカの軍がジャリアの統治に関与することはないという誓約を公に立てた。さきほどの、シリアン王女がアスカの血を引いている云々ということについては、ほとんどの人間はおそらく信じてはいなかったが、あえてまたそれを口にするものもいなかった。
 そしてついに、ここにデュプロス島会議の条文が完成した。
 その明文化された文面の横には、各国の代表がサインを書き連ねた。

 トレミリア王国、レード・ダルフォンス公爵
 ウェルドスラーブ王国、フレドロ・トレヴィザン提督
 セルムラード王国、宰相、エルセイナ・クリスティン
 アルディ公国、宰相、ウィルラース・パラディーン
 都市国家トロス、公王、ジョゼッフェ・フサンド・ハストロン
 アナトリア騎士団、団長、グレッグ・ダグラス
 アスカ帝国、将軍、ディーク・ザース・エイザー
 見届け人として、自由共和国家ミレイ、総督代理、セイトゥ・ミカワード
 その最後には、「リクライア大陸の新たなる秩序と平和のために、これら条文を遵守することを誓う」という言葉が記された。 

「それでは、みなさん。会議の成功と、リクライア大陸の平和に」
「リクライア大陸の平和に」
 人々は唱和して杯をかかげた。各国の代表はもちろん、アルーズやアドをはじめ、お付きの騎士たちも一緒に杯を上げ、そのワインを飲み干した。
 トレミリアにセルムラード、アルディ、ウェルドスラーブ、ミレイ、トロス、そしてアスカという、これだけの国の面々が一緒に乾杯をしたのは、おそらく歴史上で初めてのことだったろう。
 ここから、新たな大陸の歴史が始まり、新たな秩序が紡がれてゆく、その大きな流れを、人々は感じていたに違いない。
 トレミリアのレード公、セルムラードのバルカス伯は、いくぶんほっとしたように笑みを浮かべていたし、ウェルドスラーブのトレヴィザン提督、新たなアルディの宰相となったウィルラースは、これからの自国がたどるだろう険しい道のりに思いを馳せるようだった。アナトリア騎士団の二人は、なるようになるだろうという涼やかな顔でワインのお代わりを申しつけ、トロスのフサンド公王は、すでに酔いの回った赤ら顔で笑い声を上げていた。
 アスカからの使者、ディーク・ザース・エイザーは、ワインを飲み干したあとは、ただじっと腕を組み、人々の様子を見回すでもなく、どこか遠くを静かに見つめているようだった。そして、エルセイナ・クリスティンは、その白く美しい顔に妖しい微笑みを浮かべ、なにごとか……おそらく他の人間には計り知れぬ事どもを、ひそかに考えてでもいるのだろう。
 リクライア大陸のすべての国々にとって、ここからどのような歴史が始まってゆくのか、ここに集った人々がどのような時間をたどり、役割を果たし、変わり、あるいは変わらずにいるのか、いまはまだ誰にも分からなかった。
 そしてまた、ここにはいない人間が、新たな英雄となったり、または騎士となり、王となり、ジュスティニアの命運をゆだねられ、どのように世界と関わり、世界を動かしてゆくのか、それを予見できるものはいなかったろう。神々の他には……あるいは、神々であってすらも。
 西の空に沈みゆく、アヴァリスの放つまばゆい輝きだけが、確かな時間の流れと時間の存在とを、すべての人間たちに教えてくれる。
 この南海のデュプロス島においても。そしてまた……トレミリアでも、ウェルドスラーブ、アルディ、ジャリアにおいても。
 時間の中に存在する己という、世界のなかの他ならぬひとつの個を、光と闇の中で生きる人たる存在を、アヴァリスが、そしてソキアの光が、確かなものに感じさせてくれる。
 人々は、アヴァリスとソキアが回り、回る、円環する時間の中に生きながら、戦い、愛し、裏切り、喜び、また眠るのである。
 誰もが同じく、生から死へのはざまの、ときのながれのなかで。



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