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   水晶剣伝説 XI デュプロス島会議


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「さて、それでは次は、いまの議題の話とも重なりますが、戦地となったウェルドスラーブ国内も含めて、ジャリアの残存兵についての対処と、とりわけスタンディノーブル城に残るジャリア軍への対応に関してです。さきほどのように、砦を置いて監視状態を作るというのはよしとして、もっと具体的に言えば、かれらを監視したまま放置するのでよいのかどうか、ということも含めて、いかがでしょう」
 セイトゥが新たな議題を投げかけると、当然のようにそれに対してトレヴィザン提督が口を開いた。
「さきほども申しましたが、スタンディノーブル城のジャリア軍については、現在のところ監視を強めるという以外には考えておりません。ひとつには、ウェルドスラーブ国内において、かれらを討伐するためのまとまった兵力というものはなく、またひとつには、スタンディノーブル近隣の町や村での戦闘を避けたいためです。もっとも、かれらが城を出て、首都のレイスラーブに向かってくるのであれば、当然それを迎え撃ちます。また、首都とスタンディノーブルの中間に位置するオールギアには、ある程度の兵は残してありますので、ジャリア軍が動きを見せた場合はただちに知らせを受け、兵を出して迎え撃つ用意はしておくつもりです」
「そのときは、当然、友国として、トレミリアからの兵も馳せ参じることになる」
 レード公が言った。
「さきほどの砦の駐留兵の件が実現すれば、ジャリア軍がかすかな動きを見せればすぐに分かろうし、こちらはスタンディノーブルの西側から、やつらを挟み打ちにすることもできるでしょう」
 それにウィルラースもうなずいた。
「我々アルディも、これからは同盟する国として、ジャリア軍に対しては兵力をためらわず投入するでしょう。ヴォルス内海の安全についても、ウェルドスラーブ海軍とともに守ってゆくことになるでしょうから、たとえば、もう一方の、アンマインの付近に潜伏するジャリア兵たちにも動きがあれば、ただちにガレー船にてムルドゥスから上陸し、アンマインを目指すことができます。たとえば、かれらがスタンディノーブルのジャリア軍と合流しようと考えたとしても、それは不可能でしょう。ただ現実的には、かれらがそのように動く可能性はないと見ていますが」
「ほう、それは何故でしょうか」
「報告によりますと、草原から敗走し、アンマインの付近に潜伏しているのは、もともとが黒竜王子の直属兵、四十五人隊の生き残りを筆頭にした部隊とのことです。一方、スタンディノーブル城に立てこもるのは、遠征部隊の副官であるジルト・ステイクが率いる軍勢です」
「それは知っている。血染めのジルトと呼ばれ、あの国竜王子にも劣らぬ冷酷無比な男だと聞く」
 レード公の言葉に、ウィルラースがうなずく。
「さよう。私は、そのジルト・ステイクとは直接の面識はありませんが、旧アルディの軍部には彼についてよく知る人間もおりました。それによると、ジルトというのは、フェルス王子の部下ではあるが、王子とは必ずしも良好な関係にあったわけではないようです」
「ほう」
「実際にフェルス王子の直属の騎士には、彼の独断的な性質や、見え隠れする野心について、よく思っていない人間も少なからずいたという。そうすると、現在は当の王子が死亡、ないしは行方不明という状況で、アンマインのジャリア兵たちが、無理をしてウェルドスラーブへ侵入してまで、そのジルト・ステイクのいる城へと合流しようとは思わないのではないか。それよりもむしろ、」
「むしろ?」
「もし私ならば、それよりもいまだ混乱……というか、統治の行き届いていないジャリア国内に戻って、首都を奪還する機会をうかがうのではないかと」
 レード公はうなずいた。
「それはもっともですな」
「ウィルラース殿には、軍師としての才能もおありになるようだ」
 トレヴィザン提督が言った。
「つまり、問題となるのは、スタンディノーブル城に留まるジャリア軍よりは、むしろ動きの見えないもう一方の残党兵たちが、ジャリア国内に入って首都奪還を志し、再び騒乱の種を巻き始めるということですかな」
「ええ。提督のおっしゃる通り。かれらがもし、ジャリアの復権を目指すのなら、必ず新たな旗印を必要とする。それが副官のジルト・ステイクでは、彼には失礼ながら役不足というものでしょう。黒竜王子フェルス・ヴァーレイが生死不明の行方知れずということであれば、その次に考えるのは」
「ふむ、ジャリアの王族……ラハインには、確かフェルス王子の妹が二人いたはず」
「第一王女シリアン、第二王女メリアンですな」
「ではやはり、ジャリアの残党兵は、王女の奪還を目指すと」
「私ならそうします。というか、王国としてのジャリアの復権を目指すなら、そうするしかない」
 ウィルラースがそうきっぱりと言うと、これまでむっつりと黙っていた、アナトリア騎士団のグレッグ・ダグラスが顔を上げた。
「その王女たちは厳重な警備のもと、ラハインの塔に軟禁している。もしジャリアの残党が現れれば、我が騎士団の勢力を上げて叩くのみだ」
 グレッグはそう言うと、テーブルの人々を獰猛な目で見回した。まるでここにいる人々が、ジャリアの残党ででもあるかのように。
 なにかあれば剣や暴力にうったえるぞという、その威嚇めいた圧力に人々は黙り込んだ。こうなってくると、ここで話し合うべき問題というものは明らかであった。これまではあえて触れてこなかった核心の部分……つまり、正規の国家ではないアナトリア騎士が、現在ジャリアを実質的な統治下に置いているという、その異常な事態についてである。
 空気を読んだように、セイトゥがそれを口にした。
「では、ここではジャリア残党兵の問題に関わってきますので、それと合わせて、アナトリア騎士団による、ジャリアへの侵入とラハインの占拠について、そして、今後のジャリアの統治の問題に関しても話してゆきましょう」
 じつのところ、参加した人々のこの会議での大きな関心事というのはまさにそれであった。国家ですらない一騎士団が、当たり前のように、今後もジャリアの統治権を要求してくるのかどうか。そして、かれらはさらに領土を広げることで、その勢力を大きくしてゆくという野望があるのかどうか。議題はいよいよ核心に近づこうとしていた。

 人々は、互いの顔色を伺うように、しばらくは誰もなにも言い出さなかった。
 アナトリアからの二人の騎士は、じっと座ったまま、ときにその威圧感とともに、鋭い視線をテーブルを囲む人々に投げかけている。
「では、ひとまずは、ジャリアの今後の統治に関しての……」
 たまりかねて、セイトゥが言いかけた。
 そのとき、それを遮るように声があがった。
「貴殿らは……まるで、我らがジャリアを不当にのっとった、山賊かなにかのように見ているようだな」
 それはグレッグ・ダグラスだった。
「ならば問わせていただこうか」
 彼は人々を見回しながら、そのよく通る低い声を力強く響かせた。
「ひとつには、貴殿らの王国、あるいは公国、その領土が、かつて征服や略奪によってなされたものではないと、誰が断言できるのか。もうひとつは、このたびの我らアナトリア騎士団のラハインの占拠が、大きないくさを集結させるひとつの要因となった事実を認めない方が、はたしてここにいるのか、ということだ」
 その問いに対して声を発するものはいなかった。人々は、テーブルを囲んで互いの顔を見合いながら、高圧的なこのアナトリア騎士団の出席者を、どう扱うべきか困っているようすだった。
 グレッグの思考は、正当な王国の貴族階級の人間たちとはずいぶんとかけ離れていたし、その言葉やふるまいは、武骨というよりさらに悪い、ひどく粗暴に思えた。ここにいる、レード公やブロテ、それにセルムラードのバルカス伯なども、どちらかというと武人のタイプではあったが、やはりかれらは貴族階級の人間であり、宮廷の雅びや礼儀作法に触れて生きてきたものたちであった。日々厳しい訓練にあけくれて、海賊や山賊たちと実際に戦う、いわば職業戦士のようなアナトリアの騎士たち……かれらのその、肉食獣のようにぎらぎらとした殺気は、貴族たちにとっては理解しがたく、蛮族のような粗暴さを恐ろしく感じたとしても仕方がなかった。
 黙りこくった人々を見回して、グレッグ・ダグラスは、ふんと鼻をならした。
「ジャリアの統治問題についてなどと、ここで議題をかかげても、ようするに、どの国も領土が欲しいのだろう。ジャリアという国を解体し、分割して、自分たちの取り分はどこだと考えているのだろう」
「それは、あまりに乱暴な物言いではないか」
 セルムラードのバルカス伯がたまらず声を上げた。
「草原での大きないくさを尻目に、隙をついて王城を占拠するなど。いわば門番のいない隙に、家に忍び入った泥棒のようなものだろう」
 グレッグ・ダグラスはぎろりとそちらへ目をやった。
「たしかに、我々は国家ではない、ただの騎士団にすぎぬ」
 アナトリア騎士団というのは、もともと海賊退治や、商隊や商船の護衛などを請け負うことで報酬を得ていた、いわばひとつの営利集団であった。かれらが、今回いとも簡単にジャリアの首都ラハインを占拠できたのは、ウェルドスラーブへの侵攻と草原のいくさで手薄になったラハインを、ジャリア軍の代りに防衛することを依頼され、堂々と首都へ入城できたからで、その契約を裏切り、だまし討ちのような形で王族をとらえ、人質にして武装を解除させたというやり方は、山賊のそれと変わりがない。ここにいる、各国の代表の思いも、バルカス伯と同じものであったろう。
「だがな。ジャリアの侵攻を食い止めきれず、ずるずると戦いを続けながら、無駄に犠牲を増やしていった、ウェルドスラーブをはじめ、トレミリアやセルムラードにとっても、このいくさを終わらせたことは感謝されてしかるべきだろう。結局のところ、我々が首都を押さえたことと、シャネイたちがジャリア軍を襲ったこと、このふたつがなくては、草原で優雅に戦っておられた、貴族戦士がたのへっぴり腰では、とうていジャリアに勝つことなどできなかったろうよ」
「貴様……」
 席から立ち上がったのはブロテであった。
「その無礼な言は、到底聞き捨ておけん」 
 普段は決して激さない温厚なブロテが、その顔に血の気を上らせていた。多くの仲間や部下たちが最後まで勇敢に戦い、そして散っていった。それを愚弄されたことは、彼にとって決して許せぬものであった。
「これは、高名なるトレミリアの騎士、ブロテどのか。貴殿の勇敢さと、剣の腕前は噂にも聞いている」
 グレッグ・ダグラスも立ち上がった。体格的にも、ブロテとほとんど遜色ない大男である。ここにいる人間の中では、もっとも戦士らしい風貌の二人が、テーブルを挟んで睨むように向かい合う様は、なかなか迫力があった。
「たしか、トレミリアの名騎士として名高いローリング殿は、草原で戦死なされたそうだが、まことに残念なことだ。それにあの大剣技会で優勝したという剣士、レークどのだったかな、彼も戦死か行方死れずと聞く」
「……」
 敬愛する騎士たちの名を軽々しく出されて、ブロテはむっつりと口を弾き結んだ。
「どうかね、よろしければブロテどのは、いっそトレミリアを離れて、我がアナトリア騎士団に入団されませんかな。我が騎士団は、貴殿のような戦士ならいつでも歓迎しますぞ」
「断る」
 ブロテは即座に言った。
「火事泥棒か山賊まがいの騎士団になど。王より授かりしこの剣が汚れるというもの」
「なんだと」
 声を上げて椅子を蹴ったのは、グレッグの横に座るレクソン・ライアルだった。アナトリア騎士団の副団長は、あるいは団長以上に気が短いのか、腰の剣に手をかけブロテを睨みつけた。
「我が騎士団を愚弄するか。言葉しだいでは決闘を申し込むぞ」
 朝黒い肌をしたレクソンは、長い黒髪を束ねた様子が、どことなくレークに似ているようだった。おそらく年齢的にも近いのだろう。顔つきはレークよりもいくらかクールな感じで、こちらを睨むその目には、鋭い光をたたえていた。
 ブロテは、後には引けぬとばかりに目をそらさずに言った。
「受けて立とう」
「ブロテどの。甘く見ない方がいいですぞ。このレクソンは、我がアナトリア騎士団でも、一、二を争う剣の使い手。山賊のような騎士団といっても、実戦での経験は貴族さまたちよりはよほど上ですからな」
 挑発するようなグレッグの言葉に、ブロテは珍しく怒りをあらわに言った。
「ならば試してみればよい」
 ブロテとレクソンは、いまにも剣を抜きそうな様子でテーブルを挟んで対峙した。
 進行役のセイトゥは困ったように人々を見回した。その中でフサンド公王は、ワインの注がれた杯を手に、面白い見せ物を前にするように、不謹慎ににやにやとしている。
「双方とも、座られよ」
 緊張に包まれた空気のなか、落ち着いた声が上がった。
「ブロテ騎士伯、おぬしらしくもないな」
 ブロテの肩に手を置いたのは、レード公爵であった。
「ここは会議の場であるぞ。剣士同士のいさかいなら、外でやるがいい」
 公爵の声は、ブロテだけでなく、レクソンにも向けられたものだった。
「ですが、公……」
「ブロテ騎士伯、おぬしはトレミリアの代表としてこの場にいる。その行動も発言も、公のものになると分かっておろう」
「は、はい」
 親に叱られた息子のように、ブロテは頭を低くした。剣に手をかけていたレクソンも、気圧されたように手を下ろした。
「アナトリア騎士団の方々にしても、ここで我々といさかいを起こすのは決して本意ではないでしょう。現在、ジャリアの首都ラハインは、まぎれもなくあなたがたの手の中にある。我々もそれは承知している。その現状を認識しながら、今後の指針をともに協議しようという場であることを、お分かりいただきたい」
「レード公のおっしゃることはもっとも」
 グレッグ・ダグラスは、にやりと笑うと、
「我々としても、やみくもに争いを起こしたいわけではない。ただ、騎士団の名誉を守るため行き過ぎた言葉があったようだ。無礼をお許し願いたい」
 そう謝罪して部下を座らせた。
 当のブロテとレクソンは、席についてもまだ納得しきれぬようにむっつりと口元を引き結んでいたが、かれらの上官であるレード公とグレッグの方は、その口元に社交的な笑みを浮かべた余裕ある顔つきで相手にうなずきかけた。
 ことの成り行きをはらはらしながら見守っていたセイトゥは、心底ほっとしたように席につくと、あらためて人々を見回した。
「それでは、どうでしょう。今日のところは、ここでいったんお開きにして、会議の続きはまた明日ということにしましては」
 誰にも異論があるはずもなかった。デュプロス島までの長旅もあって、人々はすでにずいぶん疲れていたので、これ以上の建設的な議論を交わすことは難しいと思われた。
 会議を主催する立場であるウィルラースが立ち上がり、人々に告げた。
「これから食事を運ばせます。それぞれの王宮のような豪勢な料理ではありませんが、平和の印として、食卓をともにいたしましょう。そのあとは、お部屋の方を用意してありますので、ご自由にお休みください」
 さっきから小姓にワインを注がせて一人で飲んでいたフサンド公王はともかく、それ以外の人々はようやく食事と酒にありつけると、ほっと表情をゆるませた。
「それから、もうひとつ。せっかくリクライア大陸の国々の代表がこのように集った会議ですから、これを記念として、晩餐の模様を絵に描かせたいと思うのですが、よろしいでしょうか。絵が完成した暁には、この広間に飾りたいと思っています」
 誰にも異論はないとみると、ウィルラースは絵師を広間に呼び入れた。まだ若そうなその絵師は、いくぶん緊張した面持ちで礼をすると、運んできた大きなキャンバスを立てた。
 ほどなくして、小姓や給仕たちが次々に広料理を運んできた。またたくまに、テーブルにはかぐわしい香りとともに、美味そうな料理が並んでいった。
 フサンド公王からの資金を受けて、ウィルラースが自ら材料を用意させ、料理人たちに腕を振るわせたもので、それは、さきほどの謙遜が嘘に思えるような、一国の晩餐会にも引けをとらないものであった。
 近海でとれた新鮮な魚の料理は、塩だけで味付けされたもの、クリームのソースがかかっているものなどが好みによって選べて、塩が足りないときは、テーブルにいくつも置かれた銀の塩入れからいくらでも塩を振りかけられた。キジやウサギなどの焼肉は香草と一緒に出され、好みでチーズやソースを塗ったり、パンと一緒に挟んだりもして食べた。果物のジャムがたっぷりと詰まった大きなパイが目の前で切り分けられ、どろりとした赤いジャムがあふれ出てくるのはじつに食欲を誘ったし、丸ごとに調理されたブタの丸焼きが登場すると、人々は思わず拍手をあげた。もちろんワインやビールはふんだんに用意されており、テーブルを囲む各国の人々は、このときばかりは政治的な話は棚に上げて、杯を合わせ、それを空にした。会議のときはテーブルにつけなかった、アルーズやアド、それに他国の騎士たちも、一緒のテーブルで食事を楽しんだ。
 そうした様子を、若い絵師は、黙々とキャンバスに描いてゆく。その絵の出来に関心があるものは、ほとんどこの場にはいなかったが、おそらく、後世の人間がこの城の広間を訪れるときには、各国を代表する貴族や騎士たちが、テーブルを囲んで歓談する生き生きとした描写に、絵画の前でしばし立ち止まって、その歴史的な会議の空気を感じるように想像してみることだろう。
 給仕たちが忙しく立ち回り、焼きたてのパイが次々に運ばれ、杯にはワインが注がれてゆく。このデュプロス城の形に作られた砂糖菓子の彫刻が運ばれてくると、すでにすっかり酒に酔っていたフサンド公王が、「これぞ歴史的な会議の記念碑である」などど言いながら、それを絵師に近いテーブルの真ん中に置かせた。いまさらその砂糖の彫刻を追加して描かなくてはならなくなったことに、絵師の方はいくぶん迷惑そうではあったが。
 広間の人々は、ひと通り食欲を満たすと、酒を飲みながらゆったりとくつろぐ様子だった。儀礼的にはもういつ席を立って、部屋で休んでもかまわない頃合いであるが、フサンド公王は、まるで会議よりも祝宴を目的にきたのだといわんばかりに、なみなみと杯に注がせたワインを常に口に含ませながら、近くに来させたウィルラースらと、愉快そうに言葉を交わしていたし、さきほどは険悪な雰囲気を作り出した当のアナトリア騎士団の二人も、ずいぶんと酒に酔ったとみえ、ときおり大きな笑い声を上げていた。セルムラードのバルカス伯などは、そろそろ引き上げようかと頃合いを見計らうようにそわそわしていた。一方、ミレイの総督代理、セイトゥは、絵師が手がける絵にどうやら興味があるようで、ときおり立ち上がっていっては、その出来ばえを覗いたりしていた。
 そして、トレミリアのレード公やブロテも、さすが武人らしい健啖ぶりをみせて、ずいぶんと食べ、そして飲んだようであった。いまは空になった皿と、パンの台座を前に、トレヴィザン提督らと話を弾ませている。
「なるほど、そのような過酷な長期戦というものは、なかなか想像もつきませんが、しかし、刻々と変わってゆく事態に対応するのは、勇気のいることでしょうな」
 トレヴィザン提督は、よほど酒につよいらしく、ずいぶんと飲んでいるはずなのに、その顔色はまったく変わらない。レード公が話す、草原の戦いの様子に、感じ入ったようにうなずいていた。
「ひと月ものあいだ、食料の危機や包囲の危機、何度も窮地に陥ったものだが、ゲオルグの加護もあってか、運良くも敗走するをまぬがれ、最後まで戦うことができたのだ」
「ひと月にもおよぶ、草原での戦いですか……強大なジャリアを相手に、勇敢に戦い抜いたトレミリアとセルムラードの戦士たち。この戦いは歴史的にも大きな意味を持つものとして、のちのちまで語り継がれるでしょうな」
 トレミリアとセルムラード、それぞれの軍を指揮する立場で、かたやロサリート草原、かたやヴォルス内海という、遠く離れた場所で戦いを繰り広げたかれらは、互いに己の戦ったいくさを回想するように語り合った。
「ところで、私は海での戦いというのは未経験なのだが、それこそ、船の上ではいっときも気を緩められないのではないかな」
「いえいえ、私などは提督などと言われていますが、結局その場の判断は、各船の船長任せになりますからな。ここにいるアルーズも含め、優秀な部下のおかげですよ」
「なるほど、それは私も一緒かもしれぬな。いまはなきローリングや、ここにいるブロテといった勇敢な部下たち、かれらのおかげで我々は勝てたものと思っている」
「恐縮いたします」
 ブロテは嬉しそうに胸を手を当てた。
「なるほど、ブロテどのは、まさに素晴らしい騎士伯でしょうな。我がコルヴィーノ王をレイスラーブからお逃がしくださったことも、その感謝の気持ちはいまも、これからも変わりません」
 そう言ったトレヴィザン提督は、ふっと寂しげな笑顔を見せた。
「陛下が亡くなられたのは、まこと残念ではありますが、しかし我らにはまだ、ティーナ王妃殿下がおられる。ブロテどのや、トレミリアの方々のおかげで、我がウェルドスラーブはこれからも王家の血を残せるのです。それに関しては、我々は永遠に感謝し続けるでしょう。ティーナ王妃という、すばらしき姫君がトレミリアから嫁いでくださったときから、我々は陛下と同じように、妃殿下にも永遠の忠誠をお誓いしております」
 普段は決して見せぬような提督の表情に、横にいるアルーズも、その目に涙をにじませていた。
「私も、提督の部下の一人として、ウェルドスラーブの騎士の一人として、トレミリアの方々への感謝は決して忘れません。スタンディノーブル城では、レークどのやブロテどのをはじめ、トレミリアの方々が、ともにが戦ってくださったおかげで、犠牲はずいぶん少なくて済みました。包囲されたレイスラーブにおいても、ブロテどのらは最後まで戦われ、国王陛下や王妃殿下をお逃がしくださった。いったんは、首都を奪われた我々の希望は、ただ、陛下と王妃殿下であったのです。我々が海の上で存分に戦えたのも、それがあってこそ。まこと、トレミリアへの感謝の気持ちは、陛下が亡くなられたいまでも、いや増すばかりです」
 涙ながらのアルーズの言葉に、ブロテも感じいったように、その骨ばった頬をいくぶん赤らませた。
「ちと、よろしいかな提督」
 立ち上がったレード公爵が、トレヴィザン提督をうながした。レード公が二人だけで話したいという意志だと、勘のいい提督はすぐに察して席を立った。
「では歩廊にでも出ますかな」
 提督の護衛役も自認しているアルーズも、一緒に立ち上がろうとしたが、提督は肩ごしにかすかに首を振った。大勢で席を立って部屋を出てゆくのは目立ってしまう。アルーズはそれを理解して席に座り直した。ブロテの方は、よく分かってるように、広間を出てゆくレード公と提督を横目に、なにごともないようにアルーズに話しかけた。
「そういえば、アルーズどのとは、あのスタンディノーブルの城でも共に戦った同士でしたな」
「ええ。あのすさまじい防城戦はいまも忘れられません」
 アルーズは、思い出すようにうなずいた。
「もうずいぶん昔のことのようにも感じますが、あれからまで数月しかたっていないんですね。そう、敵軍の中へ入り込んでいったレークどのの行動力や、すさまじい戦いぶりはいまも目に焼きついています。そして、あの地下水路からの脱出行……橋の上から船に向かって飛び下りてきたレークどのの姿は、いまでもはっきりと思い出されます。ああ、もちろんブロテどの統率力と冷静なご判断も、そしてトレミリアの騎士方の活躍があってこそ、城はなんとか持ちこたえたのです」
「まこと、激しい戦いでしたな。その後のレイスラーブの防衛戦、そしてロサリート草原と、この数月はほとんど戦いつづけていたようなものだ。アルーズどのの方は、ヴォルス内海での船での戦いでしたな」
「ええ。提督とともに戦い、そして勝利したことは、私の誇りです。ブロテどのは、レークどのとともに、草原でジャリア軍と戦ったのですね」
 ブロテはうなずいた。
「草原はとても広く、両軍とも大規模な陣をひいていたので、じっさいには近くで戦ったわけではないのだが、レークどのは……そう、やはり行動的で、とても勇敢で、我々には考えもつかないところから現れたりと、自由に戦っていた」
「そうですか」
 ブロテの話を聞きながら、アルーズは、草原を馬で走り回るレークの姿を想像するように、その目を輝かせた。かれらはともに、レークと肩を並べて戦い、冒険をともにしてきた者同士であったので、レークへの友情と崇拝の気持ちは同じものであった。
「我々は、いま思うと、とてつもない戦士と一緒に戦ってきたのかもしれませんな」
「まさしく、まさしく」
 共通の親友の話題をするときの、ある種の絆のようなものを感じながら、二人は話し続けた。草原の戦いのあらましや、レークのとった行動についてなど、アルーズはブロテの言葉をひとつも聞き逃すまいというようであった。そして話がついに最後の決戦へと至るくだりへくると、アルーズはぎゅっと拳を握りしめた。
「おお、決死隊で敵陣へと突入。それはまさに、命をかけた作戦だったのですね」
「そう。レークどのは、」
 酒のおかげもあって、ブロテの方も、普段の寡黙さとはうらはらに、熱っぽく言葉をついだ。
「自ら志願し、決死隊の先頭に立って、黒竜王子のいるジャリア中枢を目指したのだ。途中、多くの仲間が死に、敵に囲まれながら、隊の数はどんどん減っていったという。私自身も、その隊に加わりたくて仕方がなかったのだが」
「そして、レークどのは、黒竜王子を倒した。そうですね」
「おそらく。いや、そうだと信じている。でなければ、いくらシャネイの出現があったとはいえ、あそこまで敵軍が崩れたりはしないだろう」
「そうでしょう。きっとそうに違いない。レークどのが、国竜王子を討ったのだ」
 興奮したアルーズは、つい声が大きくなっていた。ななめ向かいにいたアナトリア騎士団の二人が、こちらをじろりと見たが、彼はかまわなかった。レークの話をこうしてできることが、嬉しくて仕方なかったのだ。
「レークどのは……私の英雄です。そして、ウェルドスラーブにとっても、いや、このリクライア大陸にとっても、偉大なる英雄です」
 感極まったように、アルーズは涙を流していた。
「あの人が、簡単に死ぬはずがない。そう思います」
「うむ……私も、あんなにすごい戦士を、いままで見たことがない」
 ブロテの方も、気持ちは同じであったろう。レークが死んだなどとはとても信じられない。その気持ちを共有する仲間がいることは、それだけでとても心がなぐさめられる。
「きっと、どこかで生きていよう。レークどのは、きっと……」
「はい。はい……」
 トレミリアと、ウェルドスラーブ、それぞれに立場は異なる二人であったが、共に戦った仲間であり、友でもある、陽気な浪剣士の存在の大きさを互いに確かめ合うのだった。そして、彼への変わらぬ友愛を誓いながら、二人は何度も杯を合わせた。

 一方、広間を出たレード公とトレヴィザン提督は、回廊を渡り、城の内郭を見下ろす城壁の歩廊まで来ていた。すでに日はずいぶん傾き、あと数刻もすれば、海面に沈みゆくアヴァリスの雄大な光景が見られるだろう。
「どうやら部下たちは、楽しくやっているようですな」
 歩廊から見下ろせる城の内郭では、トレミリアやウェルドスラーブ、セルムラードなどの騎士たちが一緒になって酒や食事を楽しんでいる。
「おそらくは、この中にはウェルドスラーブや草原で、一緒に戦ったもの同士もいることでしょうな」
「かもしれぬな」
 辺りにはワインやビールなどの樽がいくつも置かれ、焼きたての肉やパンを頬張りながら、思い思いに他国の騎士たちと交流をしている、そのがやがやとにぎやいだ気配が、この歩廊の上にまで届いてくる。
「平和な光景が戻ってきたのは、なにより嬉しいことだ」
 しみじみとしたレード公の言葉に、トレヴィザンもうなずいた。
「まったくです。お互い、多くの部下たちを失ったことでしょうが、いくさも終わり、このように部下たちの楽しげな姿を見ることができることは、きっと死んでいったものたちも、少しは浮かばれるでしょう」
 レード公よりも、十歳ほど歳の若いトレヴィザン提督にとっては、杯をかかげる楽しそうな騎士たちの様子を見ているだけで、我がことのように嬉しいようであった。提督の口元には自然と笑みがうかんでいた。
「ようやく、ほっと息がつけました。どうも、自分はあまり堅苦しい会議というものには向かないようだ」
「それは、こちらも同じよ」
 レード公も笑っていった。
「できることなら、こういうオライアのやつに任せたかったのだが、いろいろとやることが多いらしく、本来は武官の私に面倒が回ってきたわけよ」
「私も同じく、フェーダー侯の方がよほどこのような会議には向いているはずなのですが、なにしろ首都は人材不足で」
「だろうな」
 歩廊に立つ二人の姿を見つけたのだろう、「トレヴィザン提督万歳」、「レード公爵閣下、万歳」という声が上がった。こちらを見上げる騎士たちにとっては、トレミリアとウェルドスラーブの軍を率いた司令官二人が肩を並べるところは、この大きな戦いの本当の意味での終結を感じさせる光景であったに違いない。
 トレヴィザン提督が軽く手を振ってやると、騎士たちは杯をかかげて歓声を上げた。提督は部下たちに大変な人気があるようであった。
「ところで、どうやら、会議はいくぶん長引きそうですな」
「うむ」
 レード公は、するべき話を思い出した。
「やはりどうしても問題となるのは、今後のジャリアの統治についてだろう。我々としては、トレミリア、セルムラード、アルディ、ウェルドスラーブによる合同の統治が望ましいと意見したいところだが」
「私もそう思います。しかし、アナトリア騎士団は譲歩するつもりがない様子ですな」
「ああ。しかし、いくら兵力があるといっても、たかだか一介の騎士団が、広いジャリアの全領土を統治するなどというのは、考えてみるまでもなく不可能だろう」
「しかし、そうなると、彼らが折れるか、我々が歩み寄るかで、いつまでたっても結論は出ないことにもなりますが。あるいは……」
 トレヴィザン提督は、城門塔の向こうに広がる海に目をやった。
「遠方からやってくる、大国の人間が、新たな方向づけをもたらすかもしれませんが」
「それは、アスカのことか」
「ええ。話によると、アスカの代表として、将軍クラスの人間がやってくるとか」
「なるほど。いままで、西側の動きについては無関心、というか静観を続けていたかの国も、ここにきていよいよ動きだすわけだな」
「なにぶん、アスカについては未知の部分が大きいですからな。現在のところアスカとの国交があるという点では、唯一、都市国家のトロスのみ」
「ふむ、そうか。それでフサンド公王を会議に出席させるよう、ウィルラースどのは働きかけたのだな」
「おそらく。彼もああ見えて、やり手ですからな。我々としては、新しいアルディとの友好関係も、交易を含めて、少しずつ進めてゆこうとは思っておりますよ」
「ふふ。提督も、ただの武人以上に、充分切れ者であるようだな」
「おそれいります」
 トレヴィザン提督は、いくぶん声を落とした。
「ところで、私にお話というのは。会議のことだけではないでしょう?」
「ふむ」
 レード公は、周りに誰もいないことを見て取ると、
「まだ公にするには早いのかもしれぬが、ともかく提督にだけは、まず先に話さねばならぬだろうと思ってな」
「はい」
 提督はいくぶん眉を寄せた。公爵がそのようにもったいつけた様子なのは、人のいる広間ではよほど話せぬような事柄なのだろう。
「そのままでいい。耳に口を寄せたりするよりも、たわいない会話をしている風に思われた方がよい」
「分かりました」
 それでも公爵は、どう言うべきかと迷うようなふうだった。
「コルヴィーノ王陛下は、まこと残念だった。私は、そのときはフェスーンにはおらなんだが、もっと警備を強固にすべきだったのではないかと、オライア公爵も申していた」
「そのことにつきましては、もはや。起こってしまったことですから」
「うむ。下手人はジャリアの間者、それも黒竜王子直属の騎士らしいとのこと。フェスーンからはまんまんと逃げおおせたようだが、もしもまだトレミリアにおるのならば、なんとしても捕えるべく、いまも各都市に触れを出して捜索させている」
「あるいは、そのものは、黒竜王子の部下ということなら、草原のジャリア軍に合流したかもしれませんな」
「なるほど。その可能性もあるだろうな」
「もしそうなら、先の戦いですでに死んだか、運がよくても敗走したことでしょう。私としましては、下手人当人よりも、その命令を下した黒竜王子が倒れたのなら、もはや誰にも恨みはありません。このたびの草原でのトレミリア、ウェルドスラーブの勝利と、内海での我がウェルドスラーブ、そして新アルディの勝利によって、陛下への無念は晴らしたと考えております」
「貴殿にそう言ってもらえると、いくらか胸のつかえがとれた気がする」
 そこで公爵はひとつ咳払いをした。その声の感じが変わったことに、トレヴィザンはやや首を傾げた。
「さて、ティーナ王妃の方だが、王妃は日増しにショックから立ち直られて、いまではときおりお笑いになったり、お食事もたくさん召し上がっておられるようだ」
「それはなによりです。王妃殿下こそが、いまの我々の唯一の希望。いずれ、ウェルドスラーブ国内がもう少し安定し、王妃殿下をお迎えできるようになったときに、そのときにこそ、レイスラーブにて、女王への即位をしていただきたいと思っておるのです。それまでの間は、どうか、王妃殿下をお頼み申し上げます」
「うむ、それはもちろんだが」
 公爵はいったん言葉を切ると、それから思いがけないことを言った。
「じつは、王妃殿下は、その……もう数月は、フェスーンに滞在いただくのがよいだろう。そう思うのだ。場合によってはもっと」
「それは……」
 トレヴィザンの方は、いったい公爵がなにを言いたいのか、まったく分からないようだった。
「どういうことでしょう」
「医者が言うには、お身体が安定するまでは、馬車にも乗らぬ方がよいと言う」
「医者が……王妃殿下は、もしやどこかお悪いのですか?」
 心配そうな提督の顔を見て、レード公は、少し意地の悪い言い方をした。
「ふむ、男というのは、いつの世もそのように鈍いものなのだろうな」
「は?」
「分からぬか。つまり、ティーナ王妃は、もうお一人ではないということだ」


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