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  水晶剣伝説 XI デュプロス島会議


X

「といいますと?」
 首をひねったトレヴィザンを見て、公爵はさすがにいらだってきた。
四十代のレード公に対して、トレヴィザン提督は三十代。切れ者として知られる提督ではあったが、朴訥な武人であるという点においては二人は共通しており、年配の公爵からすれば、あるいは昔の自分を見るような心持ちであったのかもしれない。
「ティーナ王妃は、ご懐妊しておられる」
「おお、まさか……」
 今度こそ、提督は仰天して言葉を失った。
「間違いない。奇しくも、コルヴィーノ王が亡くなられた翌日に、たまたま医者にかかって発覚したのだという」
「まさか……それでは、おお」
 思わず大きな声を上げてしまい、提督は慌てて口を結んだ。それから、反芻するように、低い声で言った。
「王妃殿下がご懐妊……それはつまり、陛下の、コルヴィーノ陛下のお子が?」
「それは、そういうことだろうよ」
 提督の反応を確かめながら、レード公爵は口元に笑みを浮かべた。
「王子殿下か、王女殿下か、まだわからぬがな」
「それでは、それでは、おお……お世継ぎが、陛下の血を引くお世継ぎが」
 おそらくは、どのような厳しい戦いの場においても、決して驚きも震えもしない提督が、いまはただ、湧き起こる喜びに耐えるかのように、その体を震わせていた。
「なんということだ」
 提督は我慢できず、また声を大きくした。
「それでは、ウェルドスラーブの、新たな王が、そのお命を授けられたということか。まことに……まことにこれは」
「このことは、トレミリアにおいてもごく一部のものしか知らぬ。万が一にも、まだジャリアの間者がどこかにおるのなら、王妃殿下の御身が危険になることもあろうからな。なので、ウェルドスラーブに帰っても、しばらくは信頼のおける人間以外には話さぬがよいだろう」
「たしかに、そうですな」
 務めて興奮を押し殺すように、トレヴィザンは何度もうなずいた。
「それにしても、そのようなニュースをここで知ることができるとは。おお、ジュスティニアよ、感謝いたします」
「さきほども申したように、王妃殿下のお身体がまずは第一。いまは、フェスーン王宮の一角にて、絶対に安全かつ厳重な警備のもとで過ごしておられる。お子がお生まれになるまでは、もちろんフェスーンにいてもらってかまわない。むしろ、その方がよいのではと我々は考えている。むろん、ウェルドスラーブの方々が、一刻も早く王妃殿下に戻ってきて欲しいということであれば、お身体が安定したのちにということで、考えることになろうが」
「それは、そうです。大切な……大切な陛下のお世継ぎです」
 喜びに耐えかねるように、トレヴィザンは両のこぶしを握りしめた。
「ああ、なんとしてでも、ご無事の出産を願うばかり。このことは、いったんレイスラーブに戻り、フェーダー侯爵などとも相談したのち、また考えたいと思います」
「それがよかろう」
「おお、まこと……公爵閣下、感謝いたしますぞ。ここにきて、我がウェルドスラーブに新たな希望の火がともったように思えます」
「きっと、お世継ぎの存在を公表できるときがきたら、ウェルドスラーブの国民たちも大いに喜ぶだろうな」
「まさに。トレミリアの姫君であった、ティーナ王妃と、我が陛下との間に生まれるお子ですからな。両国のつながりはますます固いものとなることでしょう」
 提督はその目を輝かせ、いつまでも喜びに浸りたいという様子だった。
「ところで、提督。いや婿殿……ここならそう呼んでもかまわんかな」
「はい、もちろん」
「提督夫人の方も、いまだフェスーンにおるのだが」
「これは、義父どの」
 いくぶん照れくさそうに、トレヴィザンは自らのあごを撫でつけた。
「サーシャのやつめは、いっこうにそなたのことを口にしない。そろそろ夫に会いたかろうとさりげなく聞いてみても、うんともすんとも言わんのよ」
「そうですか」
 案外そっけない提督の返事に、公爵はいくぶんむっとしたようだった。それはむしろ、義父としての娘婿への不満そうな顔であった。
「夫であるそなたを放っておいて、いつまでもフェスーンに留まるのはどうかと思うのだが。そなたの方はそれでかまわぬのか」
「かまわぬわけではありませんが、きっと、彼女にもいろいろ考えがあるのでしょう」
「そなたがそう言うのなら、それでよいのだが」
 公爵とすれば、久しぶりに娘が国に帰ってきたことが、内心ではとても嬉しかったのであるが、一方では、提督とサーシャの夫婦間について、舅としての余計な心配などもついついしてしまうのであった。
「サーシャは、私などにはもったいないほどに、よくできた妻ですよ」
「そう言ってもらうと、父として嬉しいのだがな」
「彼女はけっして余計な不平は言わず、そのへんの女のように、心弱くなく、意味もなく嘆くこともない。さすがはレード公爵閣下の娘ごと、いまも常々感服するほどです。心は武人のようですが、かといって猛々しいのではない、トレミリアの姫君としての雅びな優雅さも兼ね揃えた素晴らしい女性です。私は、この生涯でもっとも幸運なのは、彼女を娶れたことだと思っております」
 義父へのお世辞というには、もっと率直な賛辞の言葉に、レード公は思わず破顔した。
「それなら、私も父として喜ばしいというもの。貴殿のような、まことの武人、そして男の中の男に、娘をやれたことがな。下の娘のナルニアは、まだちゃらちゃらとしておるのだが、少しは姉を見習って欲しいものだ」
「ナルニア姫も、ずいぶんとお美しくなられているでしょうね。そういえば、クリミナどのと同い年であられたかな」
「さよう」
 レード公は言葉を濁した。クリミナがフェスーンを出奔したということは、提督の方はまだ知らない。ここでそれを話さずともよいかと、公爵は思った。
「それにしても、おそらく、サーシャのやつは、ティーナ王妃がフェスーンに留まるかぎりは、自分だけがウェルドスラーブに帰る気はないようだ」
「それでよいでしょう」
 トレヴィザンは言った。
「もしも、私が彼女に頼めるとしたら、まさにそのことですよ。こう申しては失敬になるかもしれませんが、陛下を失った王妃殿下に、姉のように、友のように寄り添って、お慰めして欲しいと。そして私が言わずとも、彼女はそうしてくれているでしょう」
 心から妻を信頼する言葉に、レード公はにっこりと笑った。この男のもとに嫁がせて良かったと、父親としてあらためて感じていたのに違いない。
「提督は元気そうだと、フェスーンに帰ったらサーシャに伝えておこう」
「はい。そして、どんなときでも信頼していると、お伝えください」
 トレヴィザンは力強く微笑んだ。
「陛下は亡くなられたが、新たな希望の命が宿ったのです。私はまた、ウェルドスラーブのために力を尽くしてゆけそうです」
 本物の男が口にするその言葉は、とてつもなく頼もしい誓約のように響いた。
 まぶしい残照とともに、アヴァリスがしだいに海の彼方へと降りてゆく、その雄大な光景を、二人の英雄は、デュプロス城の歩廊の上から、しばらく眺め続けていた。

 広間の晩餐もお開きとなり、会議の続きは翌日に持ち越された。
 各国からやってきた代表者たちは、デュプロス城内に部屋を与えられ、一般の騎士たちは、内郭に建てられた小屋や天幕を寝床にして、それぞれに夜を明かす。
 トレミリアの騎士たちも、セルムラード、ウェルドスラーブからやってきた騎士たちも、それぞれに名のある公爵や伯爵を主とする、訓練された騎士たちであるから、酒を飲んで騒いだり、喧嘩を始めるようなことはない。その点では城の従者や小姓たちは、静かな夜にとてもほっとしていただろう。
 そう、静かな夜……いくさの間は、つねに敵の夜襲におびえ、寝ずの番を経験してきたものにとっては、これほど静かで、なにごともなく安らげる夜というのは、おそらく初めてであったろう。輝けるアヴァリスが、再び海の向こうから顔を覗かせるまでは、決してたたき起こされる心配もなく、かれらは安心して眠りにつくのだった。ただし、夜通しの任務があるものを除いては。
 デュプロス城に近い港では、朝日が昇るより早く、すでに起き出しているものたちがいた。停泊する船の管理をする騎士たちで、かれらは、各国の代表を乗せてきたガレー船を、波から守り、岩などにぶつかったりしないよう、交代で寝ずの番をするものたちである。
 ごつごつとした岩場に囲まれた小さな港には、三つの桟橋があり、いまはそこに五隻の船が停泊している。桟橋での見張りには、船に詳しいこともあって、主にウェルドスラーブの騎士が付いていた。
 主と一緒に、デュプロス城へ入ったものは、温かな食事と、藁や毛布の寝床を与えられていたが、港に残った騎士……主に若い騎士や見習い騎士たちは、貧乏くじを引かされたような気分で、ひがな一日、波打つ海を見つめていなくてはならなかったのだ。
「よう、カルロ。眠そうだな。そろそろ交代してもいいぞ」
 すでに夜は明け始めていたが、今朝はどうも霧が濃いようで、アヴァリスの光はあまり届いてこない。まだ薄暗い桟橋を歩いてきた若い騎士は、白い霧におおわれた海をぼんやりと見つめる当番兵に声をかけた。
「おお、助かった」
 夜の間ずっと、ローブにくるまって桟橋に座り込んでいたのだろう、やってきた仲間を見て、ずんぐりとした騎士は、ほっとしたように立ち上がった。
「会議は、今日で終わるのかねえ」
「さあな。お偉方のやることは、あんまり俺たちには関係ねえさ」
 岩場の上にそびえるデュプロス城もずいぶん霧にかすんでいる。それを見上げながら、騎士は感慨深げに言った。
「でもよ、あそこで、いろいろなことが取り決められて、そして世界が変わってゆくんだぜ。そう思うと、この場所に立ち会えた俺たちも、なかなかに光栄ってもんじゃねえか。なあ」
「ああ、世界各国の首脳陣……てのかい、それがこの島に集まってるってだけで、すごいことだよな」
「そうさ。我が国にはトレヴィザン提督がおられるんだから、きっとウェルドスラーブはこれからまた良くなるはずさ」
「だといいねえ。ふああ……ともかく、いまは眠いよ」
「よし、交代だ。お前は休んでいいぞ」
「ありがてえ」 
 眠たそうにあくびをすると、任務を終えた騎士はふらふらと桟橋を戻りだした。よほど眠たいのだろう。
 だが、すぐに背後から仲間の声が上がった。
「おや、ちょっと待て」
「どうしたい?」
 立ち止まって振り返ると、見張りを交代した仲間が、海の方を指さしている。
「おい、あれは……」
 そちらへ目をやると、白く霧のかかった海面に、すっとなにかが見えたようだった。
「ありぁ、船か?」
「こんな朝早くにか。いったい、どこのだ……」
「このあたりでは、見たこともない船だな」
「ああ……」
 音もなく霧の中から現れ、こちらに近づいてくるのは、一隻のガレー船だった。二人の騎士は、しだいに霧の中からはっきりと浮かび上がってくるようなその船を、言葉もなく見つめていた。
 それは、確かにウェルドスラーブのものでも、アルディのものでもないようだった。大きさはさほどではなく、むしろガレー船としては小型の部類だろう。三本のマストに帆をなびかせるガレアッツァで、漕ぎ手が少なくても帆船のように進むことができるタイプだ。
「おい……隊長に報告に行った方がいいかな」
「ああ……」
 見る間に、船はゆったりと港に接近し、二人の見守る前で静かに停船した。
 ほどなくして、船から下ろされたボートが、こちらに向かってくるのが見えた。うっすらと霧の広がる波間を、滑るように近づいてくる。
 乗っているのは漕ぎ手の他に、もう一人いるようだった。ボートは二人のいる桟橋の近くを通り過ぎ、島の岩場へと入っていった。
「お、おい、」
「ああ」
 二人の騎士は顔を見合せると、慌てて駆けだした。
 岩場まで来ると、ちょうどさっきのボートから二人の人影が降り立ったところだった。
「あ、あのう」
 おそるおそる声をかける。すると、先に降りた一人がこちらを振り向いた。
 それは騎士の姿をした女性だった。薄い金色をした長い髪に、透き通った青い目をした、非常な美人である。
 二人は思わず息を飲んだ。このあたりの人間にはない、異国的な雰囲気の美女である。
「……」
 しかし、これも任務のためと、相手が何者か誰何しようと歩み寄った。
 そのとき、ボートから降り立ったもう一人がこちらを向いた。そちらは、薄紫色の長ローブに全身をすっぽりと包んだ、男性とも女性ともつかぬ姿であったが、長い黒髪を海風になびかせるのは、やはり女性であるに違いない。騎士はそう思った。
「もし……そちらはどなたか」
 だが、そこまで言って騎士は絶句した。漆黒の髪がふわりとなびき、切れ長の目がこちらに向けられると、二人の騎士はその場に動けなくなった。
「あ、ああ……」
 霧のかかった岩場に立つ、その神秘的な姿は、人のものとは思われなかった。神の化身か、それとも妖しい魔物のようにさえ思われた。
 それは、なんと美しい人間だったろう。ローブの外に出ているのは、顔と手先だけであったが、その肌の白さときたら、まるで生きている人間とは思えない。彫刻か人形のようであった。
 騎士姿の女性の方も、美しく白い肌をしていたが、そちらはまだ人間らしさというか、人の体温を感じさせる。だが、黒々とした髪を背中まで垂らした、ローブ姿の女性は……いや、本当にそれを女性といってよいものかどうかもまだ分からなかったが……かといって、それが男性であるというのも到底信じられぬ。あえて言うなら、男性、女性といったものを超越したような、究極的な美というべきか。
「あ、……あなたは」
 まるで、夢を見ているかのように、騎士は目を白黒させた。
 ローブ姿の相手が、すいと首をかしげる。その目……まるで夜空のように、なにもかもを吸い込むような黒い目がこちらに向けられると、騎士はそれだけで、その相手になにもかも従わねばならぬような気持ちになるのだった。
 紫のローブから覗く、ほっそりとした手がすっと持ち上げられ、岩盤の上を指さした。
「デュプロス城か」
 つぶやきが聞こえた。
 さほど高くも、低くもない。やはり、男性とも女性ともつかぬ、それは不思議に魅力的な響きの声だった。
「久しぶりだな」
「あの……、あ、あなたは、あなたさまは……」
 ひどく緊張しながら、騎士は声をかけた。あるいは、この相手に対して直接に声をかけるなど、自分たちはとんでもない不作法を犯しているのではないかという気持ちもぬぐいきれないままに。
「ああ、ご苦労さまです。見張り番の方」
 答えたのは、女騎士の方であった。
「私たちはセルムラードからきました」
「おお、そうでしたか」
 言葉が通じる相手だと、騎士がほっとしたのを見て取ってか、女騎士はその口元に笑みを浮かべた。
「わたしたちをデュプロス城にお通しいただけますね。すでに、バルカス伯にも、宰相閣下が来ることは伝わっているはずですから」
 それを聞いて、二人の騎士は、驚いたように顔を見合せた。
「さ、宰相閣下……」
「それでは、あの、あなたさまは、もしや……」
「はい」
 女騎士はにこりと笑ってうなずいた。
 一方、ローブ姿の人物は、そんなやりとりには興味もなさそうに、岩場をぐるりと見渡していた。
「風が心地よいな」
 気持ちよさそうに軽く首を振って、その長い黒髪を風になびかせる。
「まだ時間もあろう。少し海辺を歩きたい」
「そうでございますね。それでは、お供いたします」
 騎士たちを残して、二人は優雅に岩場を歩きだした。少しずつ霧が流れ、アヴァリスの光が海と岩場を照らし出してゆくその前に、かれらの姿はもう見えなくなっていた。
 まるで絵画の中から現れ出たような出来事に、騎士たちはあっけにとられたように、ぼんやりと岩場に立ち尽くしていた。

 二日めの会議は、午前中から始められた。
 長旅に疲れ気味だった昨日とは違い、一晩ゆっくり休んだことと、晩餐をともにして一緒に杯を合わせたことで、参加する人々の緊張感はずいぶんとやわらいでいた。
 テーブルの席につくのは、昨日と同じく、トレミリアのレード公爵、ブロテ、ウェルドスラーブのトレヴィザン提督、セルムラードのバルカス伯、アナトリア騎士団のグレッグ、レクソン、アルディのウィルラース、そしてミレイのセイトゥと書記のハイケンという顔ぶれであった。
 そこにフサンド公王の姿は見当たらなかった。昨晩の酒が残っているのか、あるいは単なる寝坊なのか、誰も知らなかったし、それをとくに追求しようというものもいなかった。
「では、昨日の続きの議題から」
 昨日と同じように、テーブルに広げられた大陸の地図を指し示しながら、進行役のセイトゥがまず話しだした。
「まずは、ウェルドスラーブ国内、とりわけ、スタンディノーブル城に立てこもるジャリアの残存兵への対応ですが、監視を強めつつも、無用に刺激することはしない。そして昨日提案された、監視砦の建設については異存がなければ正式に決定といたしましょう。資金面については、トロスのフサンド陛下を中心に、ウェルドスラーブ、アルディ、トレミリアが合同で出資し合う形でよろしいでしょうかな」
 誰からも異論があがらぬとみて、セイトゥは横に座る書記にその旨を書き取らせた。
「これについてはまた、後日見積もりの詳細を詰めるということで。それから次ですが、これも昨日途中のままになっていた、ジャリア国内の統治問題です」
 セイトゥはテーブルにつく人々の顔色をうかがった。昨日のように、アナトリア騎士団の二人が攻撃的な態度に出ると会議にはならない。慎重に言葉を選ぶようにして、セイトゥは続けた。
「まずは、ジャリア南部の自由国境地帯付近に潜伏しているという、ジャリアの残存兵についての対処ですが」
「よろしいかな」
 手を挙げたウィルラースに、セイトゥはほっとしたようにうなずいた。
「これにはアナトリア騎士団の方にも、ぜひともお願いしたいのだが」
 そう前置きしてから、ウィルラースは続けた。
「ジャリアの残存兵の動きを監視するには、ある程度ジャリアの南部における、各国の通行の自由を認めるべきだと思います」
「それはつまり、ジャリアの……いや、ジャリア南部の統治を各国で分割するべきということでしょうか」
「さよう」
 うなずいたウィルラースを、その正面に座るグレッグ・ダグラスがじろりと睨んだ。
「ただ、ひとつには、現在まだジャリアという国は名義的に存在しているのかどうか、それが問題になります。私の個人的な見解を申させていただくと、アナトリア騎士団による首都ラハインの占拠というのは恒久的なものではなく、おそらくは、その事実をジャリアの全国民が受け入れることはありますまい」
「なんだと……」
 声を上げたのは、アナトリア騎士団の副長、レクソン・ライアルであった。秀麗な美男子だけに、眉間にしわを寄せるとひどく酷薄な顔つきになる。
「我々がただの一時的な簒奪者だとでもいうのか」
「言い方を悪くすればそうなりますかな」
「この……」
 昨日と同じく、腰を浮かせかけたレクソンを、今日は団長のグレッグが制した。ウィルラースの背後には、美しき女剣士がぴたりと近づいて、いつでも主を守れるように身構えている。 
「まあ、最後まで聞こうではないか」
 グレッグが落ち着いた声でそう言うと、レクソンはおとなしく席に着いた。アナトリア騎士団の団長は、昨日よりもリラックスしているように見えた。ただ、その目は鋭く、獰猛な戦士の心を、いまはあくまで内に潜めているというように見えた。
「我々とても、各国の方々と喧嘩をするためにここにきたのではない。互いに話を聞き、双方の納得がゆく最良の方向を定めたいと、そう思っている」
 意外にも冷静なその言葉に、テーブルにつく各国の代表は、いくぶん緊張をやわらげる様子だった。
「グレッグどのがそう言われるなら、話は早い。それでは、先を続けさせていただきましょう」
 ウィルラースは軽くうなずきかけると、話をつづけた。
「アナトリア騎士団が一時的に首都を占拠しているとか、不法な簒奪行為だなどということは、いまさら言っても仕方がない。私が言いたいのは、もっと実際的なことです。つまり、簡単に申して、広大なジャリアの領地……そこに住まう国民たちを、恒久的に統治してゆくことは、ひとつの騎士団ではどうしても無理があるということです」
「我々が、たかが小さな騎士団だからと、そう言いたいのか」
「いえ、私が言うのは、あくまで実際的な問題ですよ」
 もともと血が上りやすいたちらしい、レクソン・ライアルに向かって、ウィルラースはできるかぎり穏やかに微笑みかけた。絶世の美貌をもつ貴公子に、そのような顔をされてなお、激しい敵意を燃やせる人間はそうはいないだろう。
「一国を統治するということは、ただ支配し、隷属させればいいというものではない。一時的にはそれでよいとしても、たちまち国には干上がってしまう。人々の死に絶えた荒野を統治したいのであれば、それでもかまわないでしょうが」
 ウィルラースの言に、トレヴィザンやレード公もうなずく。それを皮肉まじりの言葉と、怒るべきなのかどうか、レクソンにはよく分からないようだった。
「つまり、交通の問題、税の問題、作物の問題、流通の問題、そして統治する組織の問題、それらすべてが上手く回ってゆくためには、面倒なほどのさまざまな取り決めや、順序立てた組織作りというものがどうしても必要になる。そうした人材を、アナトリア騎士団はすべてお持ちなのでしょうか。武力だけでは、結局のところ、人民を支配するだけで政治とは呼べない。いずれは、大いなる不満分子を育ててゆくことになり、それらはやがて反乱の機会をうかがう。こう申してはなんでしょうが、第二、第三のアナトリア騎士団を作ることになるのです」
「……」
 グレッグ・ダグラスは無言のまま、じっと睨むように、美貌の貴公子を見やったが、声を上げることはしなかった。
「そこで、私が提案したいのはこうです」
 ウィルラースは、迷いない口調で言った。
「アナトリア騎士団は、首都ラハインを含むジャリア北部を独自に統治する。騎士団領のある北海に近い土地ですから、相互の移動もスムーズでしょう。そして、ジャリアの南側は、アルディ、ウェルドスラーブの共同統治とする」
「……」
 グレッグ・ダグラスはにやりと笑った。それは、「なるほど」という様子でもあったし、「ふざけるな」という顔つきにも見えた。
「なんでしたら、トレミリアやセルムラードの兵が常駐し、四国統治の形でもよいでしょう。そうすれば、たとえ、ジャリアの残党がどこに出没しようとも、各国の騎士たちが協力して対応できる」
「共同統治か」
 ウィルラースの提案を吟味するように、グレッグはようやく口を開いた。
「つまりは、ジャリアの領土をすべて持ってゆかれるのでは、我慢がならないというワケだな。しかし、もしも、我々がそれを完全に拒否すると言ったら?」
「さきほども申したように、アナトリア騎士団だけの人員では、ジャリア国内の全領土を統治してゆくのは物理的にも不可能。さらに、南部に潜伏するジャリア軍の残存兵の動きも監視しながらというのは、とても手に余ることでしょう」
「そうかな」
「もし、共同統治ができるのであれば、各国協力のもと、ジャリア兵の動きに関する情報網も共有できますよ。また、必要であれば有能な文官をお貸しすることもできる。政治の面倒事をすべて、そちらの騎士団のみでスムーズにこなしてゆけるのでしたら、その必要もないでしょうが」
 ウィルラースの言葉を、ひとつずつかみ砕いて考えるように、グレッグは腕を組んだ。
「それでは、ウィルラースどのの提案するのは、こういうことですかな」
 進行を引き継いだセイトゥが、テーブルの地図を指し示しながら補足した。
「ジャリア全土の統治権を決めるのではなく、各国による共同統治。具体的には、首都を入れた北部はアナトリア騎士団が、南部はアルディとウェルドスラーブを中心にした連合統治。そして、ジャリアの残党兵に対しては、各国が協力して情報と兵力を共有すると」
「そうです。おそらく、それこそが最良の選択でしょう」
 うなずいたウィルラースは、テーブルごしにグレッグ・ダグラスの顔を見すえた。
「もうはっきりと申し上げても、アナトリアの方々は怒らないでしょうが、やはり、そちらの騎士団の中に、政治的な手腕や国を統治してゆくために必要である文官としての能力を持っている人材というのは、おそらくごくごくわずかでしょう。もしいたとしても、そうした人材をいまから見つけて、主要なポストに登用してゆくのでは時間がかかりすぎる。その間に、ジャリア国内では、アナトリア騎士団の征服……国民たちはそう考えるでしょう、それに我慢がならず、ひそかに兵を集めだしたり、不穏分子たちが集ってゆくことは大いに考えられる。それら反乱分子をすべて見つけ出し、あるいはそうした芽を摘み取ってゆくには、広大なジャリアの全土にてまんべんなく監視の目を光らせていなくてはならない。最低限、主要な各都市には総督クラスの人間を置いておかねばなりますまい。つまり、我々が共同統治を申し出ているのは、そうした地方における人材の派遣も含めたお手伝いをしましょうということなのです。それはひいては、今後起こらなくて済むはずの反乱やいくさの芽を摘むことにもつながるのです。我々が望むのは、大陸間のバランスの安定と、無用の武力衝突を起こさぬ平和的な統治、ただそれだけなのです」
 ウィルラースの美声が広間に響き渡り、人々はその声の持つ意志の力をかみしめるように、しばらく黙ったまま声を上げなかった。
「なるほど。よく分かった」
 グレッグ・ダグラスは静かに言った。横にいるレクソンの方は、まだ憎たらしそうにウィルラースを睨みつけていたが、それはいわばすねた子供のような表情であった。
「たしかにな」
 団長であるダグラスの方は、もう少し実際的な判断ができるようであった。
「ウィルラースどのの言うように、たしかに、我々だけでは、ジャリア全土の安定的な統治というのは難しいだろう。北部と南部に分けての共同統治という提案も、おおむねよいと思う」
「それでは……」
「ただし、条件がふたつある」
 グレッグはそう言うと、ぐるりとテーブルの人々を見回した。あくまで、この議題に関してのイニシアチブは自分にあるというように、余裕めいた顔つきをして、各国の代表たちを見渡す。
「ひとつには、南部の共同統治に関してだ。アルディとウェルドスラーブ、それに都市国家トロスが関わるのはかまわんが、トレミリアとセルムラード、それにミレイについては、一切の要求を拒む」
「なんだと」
 セルムラードのバルカス伯が声を上げた。レード公の方は、腕を組んだまま黙っている。
「当然だろう。セルムラードやトレミリアは、西側の国である。草原から西に関しての通行や関税などについての権利はあると思うが、山脈を越えた東側にあるジャリアの統治に関わるというのは不自然だろう」
「それは、そうかもしれんが」
「それに、いくつもの国の兵や文官などが、ジャリア南部に集まっていては、いつなんどき、そやつらがひとつにまとまり、今度は我がアナトリア騎士団を排除しようという動きに変わるかもしれぬ。そのような可能性が絶対にないとは、誰にも保証できんだろう」
 たしかに、グレッグの言うことはもっともではあった。連合国によるラハインへの侵攻……逆に言えば、それについて密かに考えていたものも、すでにいまこの場にいたかもしれない。
 人々はなんとも言えぬような顔を見合わせて、黙り込んだ。この武骨そうなだけの団長が、見かけよりはずっと頭がきれるらしいということを、ここにきて各国の人々は知ったのである。
「なので、ジャリア国内に入れるのは、アルディとウェルドスラーブの騎士と文官だけだ。そして、当然ながら、騎士の人数も制限することになる。それについての具体的な数はまたあとで決めればいいだろう」
 グレッグは己の言葉を続けた。
「もうひとつの条件は、こちらも当然ながら、たとえ他国が共同統治する南部であっても、アナトリア騎士団の人間であれば、通行証の有無に関わらず通行ができること。逆に、南部から北部へと他国の人間が入る際には、正規の通行証を必要とすること。統治に関する議題の決定には、どのような些細な問題であっても、アナトリア騎士団への報告を必要とすること」
 それにトレヴィザン提督が口をはさんだ。
「それでは、共同統治といいながらも、まるで国王に仕える臣下のような扱いで、南部を属国とするようなものではないか」
「どのようにとってもらっても結構。しかしながら、この条件は絶対に譲れぬ」
 グレッグは、むしろにこやかな顔を提督に向けた。あくまで、ジャリアの領地についての主導権は自分の側にあると言いたいのだろう。
 トレヴィザン提督をはじめ、レード公も、セルムラードのバルカス伯も、グレッグの出した条件にはいい顔はしなかったが、かといってそれを完全につっぱねることは、いよいよアナトリア騎士団の孤立化と、かれらの武力の脅威をただ強めることになる。たとえ、その条件を飲んだとしても、ジャリア国内の統治と情報の共有を推し進めるべきであろうことは、誰にも分っていた。
「それでは、細かな条件面については、のちほどまた詰めるということで」
 進行役としての務めを果たすように、セイトゥがおずおずと口を開いた。
「ともかく、ジャリア南部の共同統治に関しては、おおむね異論はないということでよろしいでしょうか」
 しばらくを待って、横にいる書記にそれを書き取らせようとしたとき。
「少し、お待ちいただきたい」
 声を上げたのはセルムラードのバルカス伯だった。従者からなにやら耳打ちをされているところだった。
「じつは、わが国からもう一人の代表者が……ただいま到着したとのことなので、」
 言いおえるより先に、ゆるやかに広間の扉が開かれた。



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