水晶剣伝説 T
〜トレミリアの大剣技会〜
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最終日 馬上槍試合 

 そして、トレミリアの大剣技会……その決勝の日の朝がおとずれた。
 太陽神アヴァリスが燦然とその姿を現わし、朝の一点鐘が鳴り始めると、人々は祭りの最後の一日を少しでも長く味わおうとばかりに起きだして、さっそく町に繰り出した。多くの人々が、橋の通行が始まる前から、槍試合見物に少しでもいい席を取ろうと、大門の前に集まっていた。
 大会の最終日は、剣の部とレイピアの部から勝ち残った十六名が、馬上槍試合の勝ち抜き戦を行って優勝者を決める。その会場となるの城門前の広場は、数日前に参加者たちが夜を明かした同じ場所であるが、いまはずいぶんとその様相を変えていた。
 入場用の通り道には豪勢なビロードの敷物が長々と敷かれ、試合場を囲むようにして建てられた貴族用観覧席の前では、会場を監督する設計士や、資材を運ぶ人足などが忙しそうに立ち回っている。槍試合のための槍を台車に積んで運ぶ従者の前を、鎧の上に色とりどりのサーコートを着た騎士たちが行き交ってゆく。人々はみな忙しく動き、これから迎える勇壮なクライマックスに向けて、いよいよ広場はざわめきたっていた。
 決勝の馬上槍試合に出場する剣士たちは、それぞれ参加札の確認を済ませると、しばしの自由時間を与えられた。多くのものは、待合所に指定された天幕にて待機していたが、晴れ上がった空のもとを、呑気そうに口笛を吹きながら歩くのは、我らが天才浪剣士、レーク・ドップであった。
(昨日は結局、なにも決められないまま、ぐっすりと寝ちまったなあ)
(けど……まあ、いいか)
こうして一晩たってみれば、昨日の出来事や、密書やガヌロンなどのことは、この青々と晴れ渡った空に比べれば、取るに足らない些末ごとのようにも思えてもくる。
(どうせ、今日の槍試合に勝ちゃあ、それでいいんだからな)
 娼婦との甘い一夜を思い出し頬をゆるませていると、
「隙だらけだな」
 背後からいきなり声をかけられてレークは飛び上がった。振り向くと、朝日に金髪を輝かせる美貌の剣士が立っていた。
「ア、アレン……」
「どうした?俺が化け物にでも見えるのか?」
「い、いや……」 
顔を合わせるのは一昨日の夜、言い争いをして以来である。レークはいくぶん気まずい気分で相棒の顔をちらりと見た。だがアレンはいつもと変わらぬ様子で、その表情からはなにを考えているのかまったく分からない。
「昨日はお泊まりだったようだな。太陽が黄色く見えるか?」 
「いや、……まあ、なんだ」
「向こうの天幕のようだな。俺たちの控え所は」
 歩きだしたアレンの背中に、レークは思い切って声をかけた。
「あ、あのな、アレンよ。その、少し、話があるんだが……いいか?」
「いいとも」
 まるで、それを待っていたというように、アレンはうなずいた。
 広場の南側には、参加者の待合場や、負傷した際の治療場所となる天幕などが立てられ、騎士や従者たちがせわしなく行き交っている。二人はそこを通り抜け、人けのない川べりまでやってきた。
「その、じつはな……アレン」
 周りに誰もいないことを確かめてから、レークは相棒に向き直った。
「なんといえばいいのか、その……」 
「早く言え。集合まで時間がない」 
「あ、ああ……」
 レークは懐から密書の入った例の筒を取り出した。
「じつは、昨日、こんなものを手に入れたんだがな……」
 アレンは、じろりとこちらをひと睨みしてから筒を受け取り、中の紙片を引き出した。さっと書簡を読みくだすと、彼は無言のまま目を細めた。
「なんかの密書らしいんだがな、その……意味がさ、さっぱりわからねえ。色々考えたんだが。捨てちまおうかとか、だけどせっかくもらったんだからさ、何の意味があるのか分かった方がいいし、もしかして、お前なら分かるかな、なんて思ったんだが……」
「レーク……」
「分かったか?オレにはさっぱり分からなくてさ、昨日の夜なんか、面倒くさくなってさ、もういっそ捨てちまおうかと……」
「レーク」
 その声に冷たい怒りがあることを、いかに無神経なレークでも気づかざるをえなかった。穏やかな相棒の顔は、一見すると笑ってさえいるようにも見えた。その冷徹なまなざしに、レークはごくんとつばを飲み込んだ。
「あ……すまねえな。な、なんか、機嫌が悪いみたいだ。つまらねえことで時間を取らせちまって……」
「いいから、そこへ座れ」
 有無を言わせぬような口調に、レークは黙って川べりの石の上に腰を下ろした。
「さて……それで、どこで、これを手に入れた?」
 アレンの声はとても静かであったが、それがかえって恐ろしい。もはや逆らったり、言い逃れたりすることはできぬと、レークはすべてを白状することにした。
「ああ、じつはな……」
 昨日あったことの全て……イルゼと町を歩き、ベアリスの店を見つけたこと、そこで短剣をもらい、ガヌロン伯爵なる人物に会えと言われたこと、路地で待ち伏せていた女騎士のこと、そして当のガヌロンとの会見とそこでの会話などを話していった。アレンは黙って聞きながら、ときどきうなずいては考えるようにして黙り込み、ときおりレークに質問をした。金細工師のベアリスや、怪しげな伯爵についてのことはもちろん、路地で出会った女騎士や、町娘のイルゼについても、そのときの服装や交わした会話のひとつひとつ、その他の細々としたことまで、訊かれるままにレークは答えた。
「なるほど……よく分かった」
 密書の断片を見つめながら、ようやくアレンはうなずいたのは、定められた集合の時刻となる頃だった。槍試合の開始に先立って、国王の出座を迎えるセレモニーが予定されており、参加者は全員、鎧兜に身を包んで場内に並ぶことになる。遅れることは許されない。
「そろそろ戻ったほうがいいな」
「あ、ああ」
「この密書は俺が預かっておくが、かまわないか?」
「そうしてくれ。もう何もかも面倒だ」
 ほっとしたようにレークはうなずいた。
「なあ、アレン。それに書いてある数字だの、文字などがなんなのか、お前には分かるのか?」
「ふむ。これが分からないなら、お前にはやはり陰謀ごとに関わるのは無理だな」 
 密書の筒を隠しにしまいながら、アレンはにやりとした。
「ちぇっ。どうせ……」
口を尖らせるレークだったが、内心では重い荷物を相棒にすっかり預けた安堵感があった。
(やっぱりオレは、得体の知れない面倒ごとよりも、剣を振っている方がよっぽど楽なようだぜ)
「では、行こうか。栄えある馬上槍試合の舞台へと」
「ああ」
 二人の浪剣士は肩を並べて歩き出した。

 五月の大地を見下ろすように燦々と輝くアヴァリスのもと、楽隊のファンファーレを合図にして、十六名の剣士たちが、ずらりと騎乗して会場に現れた。
 広場を埋め尽くした観客から大きな歓声が上がるなか、鎧を着込んだ剣士たちが、美しく馬具で装飾された馬にまたがって、トレミリアの三日月紋の旗をなびかせた騎槍を手に、悠々と試合場を一周してゆく。
馬上槍試合は、かつての戦乱の時代にはジョストとも呼ばれ、騎士や兵士たちの意気を高めることを目的に頻繁に行われていた。また当時は、槍試合の団体戦もトーナメントの一環として催され、騎士たちは、意中の姫や貴婦人たちの為に勇敢に戦い、勝利した者は褒賞や土地を与えられたものだった。
 そのかつての栄華を甦らせるように、華やかな鎧兜を陽光に光らせた騎士たちが、試合場の中央に整列した。中には、巨大な羽飾りを背中まで垂らした大仰きわまりないサリットをかぶった者や、これ以上ないほどの大きなカイトシールドを持つ者もいて、さかんに観衆からの喝采を浴びていた。
 三点鐘を告げる鐘の音が響きだすと、それを待っていたかのように、楽隊が勇壮な音楽を奏で始めた。剣士たちはいったん、それぞれの小姓に槍を預けて馬を下り、貴族席に向かって横一列に立ち並ぶ。
「これより、トレミリアの大剣技会、最終日の馬上槍試合を開始いたします」
 白銀の鎧に身を包んだ騎士隊長アルトリウスが、剣士たちの前に進み出た。
「お集まりの方々も、しばしの静粛を。これより国王、マルダーナ陛下のご来臨であらせられます」
 楽隊のファンファーレとともに、真紅のビロードの敷物の上を、数名の小姓を従えて、一人の男がやってきた。頭上には金色の略王冠をかぶり、金糸の刺しゅうが施されたサテンの胴着と、最高の権力を示す貝紫染めのマントを肩にかけた……その人こそ、トレミリア国王、マルダーナ四世である。
 貴族用観覧席の中央にしつらえられた王座の前に立つと、国王は客席を見渡して、ゆっくりと手を上げた。とたんに観衆からは盛大な拍手が上がる。臨席する貴族たちも、座席から立ち上がり、右手を胸にあてて王への礼をした。
「お集まりの諸兄、大儀である。今日は騎士たちの戦いをぞんぶんに楽しまれよ。陛下はそう仰られております」
 側近が王の言葉を伝えると、また大きな拍手が上がり、国王万歳の声が連呼された。続いて王の座席にほど近い席から、藍色のマントを肩にかけたオライア公爵が声を上げた。
「お集まりの国民諸君、並びに近隣から来国の方々、そして勇敢なる剣士諸君。本日は、我がトレミリアの盛大なる大剣技会、その最終日である」
 朗々とした声が会場に響きわたる。
「これより行われる馬上槍試合は、数千の参加者から勝ち残った勇猛にして卓越した剣士、そして騎士たち十六名による勝ち抜き戦である。おそらくは、かつて行われた槍試合のどれよりも素晴らしい戦いが見られよう。ここに集まられた人々には、この戦いをしかとその目に焼き付け、勇敢なる騎士たちの姿を語り継いでもらいたい。そして、騎士たち、剣士たちには、本日は国王陛下の御前試合でもあるから、各々の実力の全てを発揮し、その名に恥じぬ誇り高き戦いをされることを。今日ばかりは貴族や市民、その他の身分にかかわりなく、忌憚なく戦われることを望むものである。それでは、栄えあるトレミリアの大剣技大会、その馬上槍試合の開幕をここに告げる」
 オライア公が宣言すると、すべての客席から大きな拍手が上がった。続いて楽隊の演奏に合わせて、人々はミサ曲を合唱した。ジュスティニアへの祈りが終わると、いよいよ試合が始まる。
「うげえ。暑かった……」
 控え所の天幕に戻って兜を脱ぐや、レークはうんざりとした顔で言った。
「だから、こんな鉄くせえ兜はいやなんだ。あああ、試合でもこんなもん付けなくちゃなんねえのかな?」 
「それはそうだろうさ」
 アレンがくすりと笑いをもらす。
「馬上槍試合は危険な戦いだ。いくら先の丸い槍を使うといっても、馬上で受ける槍の衝撃は大変なものだ。突き落とされて地面に頭でも打ったら、そのままあの世ゆきだ」
「ちぇっ。いっそのこと、決勝戦も剣の試合にしてくれりゃいのに」
「まあそういうな。おそらくこれは、貴族から優勝者を出したいという、宮廷側の思惑なんだろうからな」
「けっ。そりゃあよ、オレなんか馬上槍試合なんて、遊びでしかやったことないけどさ。ようするに、相手に槍先をぶつけて馬から落とせばいいだけだろう」
「その通り。しかし、イメージするほどには優雅なものではないからな。重い槍を手にして馬を走らせるというのは、なかなか大変なものだ」
「まあ、なんとかならあな。そういや、あいつ。デュカスの奴が見えないな……」
 参加者の控え場と定められたこの天幕には、レークたちの他に六人ほどの剣士がいたが、そこに見覚えのある顔はなかった。
「貴族騎士用の天幕は、別にあるようだからな」
「貴族騎士?どういうことだ?」
「なんでもない。ところで、組み合わせ表は見たか?」
「いいや。どうせ誰がきたっておんなじだろう」
「お前の最初の相手は、貴族騎士の一人、ブロテだよ」
「ああ、あのでかぶつか。へえ」
 とくに驚くでもなくレークはにやりとした。
「四試合目だ。ちなみに俺の方は八試合目。相手はビルトールという貴族騎士」
「ビルトール……そういや、けっこう使える奴だったような。戦い方は汚えが」
「そう。若手だが最近めきめきと剣の腕を上げ、実力ではヒルギス、ブロテを凌駕するともいわれる。ただし、市民にはあまり人気がない。青白い顔の痩せた男……」
「よく知っているな。そんなことまで」
「まあな」
 意味ありげに微笑んだアレンは、金髪をかき上げると、兜をかぶり直した。
「さて、俺たちも行くとするか。そろそろ最初の試合が始まるようだ」
「おおよ。賞金をかっさらいにな」

 高らかにらっぱ吹き鳴らされ、大歓声の中を、槍を手にした二騎が現れた。
 馬上槍試合は、馬に乗った騎士がランス(騎槍)を手に突撃し、すれ違いざまに槍で相手を攻撃するという競技である。かつては本物の槍が用いられたものだが、あまりにも危険なために槍は木製になり、また、馬と馬が接触しないよう、障壁を挟んで戦うのが普通になった。
 もちろん、いくら木製の槍でも、すれ違う馬のスピードが速ければ、鎧をへこませるくらいの衝撃は生まれる。そのため騎士の鎧には、「パスガード」と呼ばれる、首を防護するための反り返りのある肩当が付けられ、槍の的となりやすい鎧の左側には、防護のための厚い鉄板が加えられた。腕を守るための「バンプレート」を付け、頑丈なヘルム、アーメットをかぶり、巨大なランスを手にした騎士の姿は、まさに完全武装といった重々しいものである。
「それでは、第一試合を始める。十二番、八番、双方構え!」
審判の声とともに太鼓が鳴らされると、距離をとって向き合った二人の騎士は、馬上で槍を構え、試合開始の合図を待つ。
 客席の観客たちが息をのんだように静まり返る。
「突撃!」 
 開始の合図となる旗が上げられると、騎士を乗せた馬が土を蹴り上げ、走り出した。
どどどど、と音を立て、両側から駆け抜けてくる二騎は、あっと言う間にすれ違う。
 その瞬間、互いに相手を狙った槍の一撃が、鋭く交差する。
ガガッ、バキッ、と鋭い音が上がった。
 と思うと、片方の馬から騎士が転がり落ちた。土煙が舞い上がる中を、二頭の馬はそのまま走り去ってゆくが、そのうちの一方に騎手の姿はなかった。
「十二番の勝ち!」
 勝利のらっぱが鳴らされ、客席から大歓声が上がる。
 見事に相手を打ち落とした騎士が、誇らしげに障壁の周りを一周してくると、人々は立ち上がり、拍手喝采するのだった。
「へええ。なかなか見事なもんだな」
 入場口のあたりで試合を見守っていたレークも、目の前で繰り広げられた本物の槍試合の迫力に感嘆の声を上げた。
「馬上槍試合なんざ、大したことねえと思っていたが……なかなかどうして、けっこうスピード感があるもんだな」
「どうだ、怖くなったか?」
「馬鹿いえ。面白そうだ」
 金髪の相棒に向かって、にやりとしてみせる。
 続いて、場内に次の試合の二騎が登場すると、その片方の騎士をアレンは指さした。
「番号からすると、あれが例の山賊のはずだ」
「デュカスか?」
 それは鎧の肩当てに七番を付けた騎士であった。いかめしいヘルムをかぶった、いかにも武骨な装いのその騎士に、レークは注目した。
 開始の合図とともに、双方が槍を構えて突進する。二騎が交錯し、槍がぶつかり合う鋭い音が響いた。
「うわっ、おしい……」
思わずレークは声を上げた。
 一度の突撃ではどちらも相手に槍を当てられなかった。二騎は向きを変えて、次の合図とともに再び突撃してゆく。決着がつくまで、これが繰り返されるのだ。
「そこだ。やれっ!」
 興奮して叫ぶレークの隣で、アレンは七番をつけた騎手にじっと視線を注いでいたが、「おや」というように眉を寄せた。
 試合は二度目でも勝負がつかず、ようやく三度目の突撃で、七番の騎士が勝利した。
「デュカスの野郎、ひやひやだったな」
「ふむ。あれがあの山賊なのだとしたら、なかなかまともな騎士ぶりというべきだが」
 意味ありげなアレンの言葉を、レークは聞きとがめた。
「そりゃ、どういうこった?」
「なんでもない。それより、次はいよいよお前の番だな」
「ああ。んじゃ、ちっといってくらあ」
 今日ばかりは入念に鎧を着込み、仕方なく熱苦しいヘルムをかぶったレークは、その重たさに散々文句を言いながら、従者の手を借りて馬上に上がった。
「まったく……こんな鉄板を体につけていちゃ、一人で馬にも乗れやしねえ」
「どうだ?レーク。馬上の騎士になった気分は」
「重たいし、暑い」
 レークは身も蓋もなく言った。
「オレは、たとえ本物の騎士になったとしても、真夏の槍試合だけは断固として断るだろうよ。すでに汗だくだっつうの」
受け取った槍をなんとか手にして、彼は試合場へと馬を進ませた。右手に重い騎槍を持ち、左手一本で手綱を操るのは、慣れていないと相当難しい。馬を操る事にはそれなりに自信を持っていたが、本格的な馬上槍試合というのは初めての経験である。
「こりゃ、意外と大変だな、くそっ……おっとと」
 ようやく試合場へ進み出ると、対戦者である大柄な騎士の馬が、するりと横を通りすぎてゆく。
(おっ、奴がブロテが。でっけえな……やっぱり)
 闘技場でもその戦いを見たが、ブロテは、トレミリアの貴族騎士の中では、がっしりとした体躯の武闘派の騎士であった。その見事な体格はもちろん、剣の方も宮廷屈指の腕前で、市民たちの人気も高い。そのブロテが、いまはさらに大きな肩当ての付いた鎧を着込んで、槍を手にした様子は、さらに大きく、重たく見えた。
(パワーではとても勝てそうもねえな)
 二騎が対峙すると、客席からは大きな拍手が沸き起こった。割れんばかりの歓声とともに、ブロテの名を呼ぶ声が次々に上がる。
 槍を構え、レークはじっと試合開始の合図を待った。
「あんな遠くから走ってきて槍をぶつけ合うんじゃ、まともにくらったら確かに死ぬぜ。ほんと……」
 障壁をはさんだ向こう側で、同じように槍を構える相手を見つめる。
「さって、いっちょうやったるか」
 額にじっとりと汗がにじむ。兜のせいで拭えないのがどうにも腹立たしい。面頬の隙間から入る風だけがとても心地よい。
 審判が手を振り上げた。
「突撃!」
 旗の合図と同時に、レークは思い切り馬腹をけった。両側から騎馬が勢いよく疾走を始める。
 どどどど
どどどど
馬蹄が土を蹴り上げる音に、人々の喚声が混じり、耳の中でごうごうと鳴り響くようだ。
 揺れる馬上でしっかりと上体を立て、バランスをとりながら槍を握りしめる。スピードを上げた二頭の馬が、両側からぐんぐんと近づき、あっと言う間に交差する。
「そらっ!」
 目前に迫ってくる相手の鎧めがけて、槍を突き出した。
 だがタイミングが早すぎた。槍先は相手に触れることができず、次の一瞬、びしゅんと風を裂く音が耳元で鳴った。
「うわっ」 
相手の槍が頭の近くをかすめたのだ。鞍から転げそうになるのを、なんとか両足で踏ん張る。
「ふう……あぶねえあぶねえ」
 互いの馬は、相手の騎手を打ち落とすことなく、それぞれが反対側まで到達した。
 一度目の突撃では勝負がつかず、二騎はくるりと円を描いてまた位置につく。馬上槍試合では、常に相手を左側に見ながら突進するのがルールである。
「くそっ、さっきのはちっと早すぎたな。次はようく相手を見て……」
 馬を落ち着かせるように手綱を引き絞りながら、レークは口の中でつぶやいた。
「二度目、構え」
「突撃!」
再び馬腹を蹴る。今度はさっきよりも緊張がない。その視界には相手騎士だけを捕らえ、槍を持つ手にぐっと力を込める。
 どどっどどっ、という馬蹄の響きがリズムを刻み、それに合わせて体のバランスをとる。
(おうし、いい感じだ)
二度目の突撃にして、レークはすでに槍試合の醍醐味を楽しみはじめていた。
 視界から周りの景色が消え失せる。自らの持つ槍の先と、それに重なるように大きくなってくる馬上の相手だけに集中する。
(まだだ、まだだ……)
 槍を出すタイミングを計りながら、騎馬がすれ違うそのぎりぎりまで、引きつける。
 馬蹄のリズムを数えつつ、迫ってくる相手との距離を見据えて、ここぞと、レークは目を見開いた。
相手の突き出した槍先が、目の前に飛んできた。それを避けもせず一瞬だけ引きつけると、
「今だ!」
相手の槍にクロスさせるように、渾身の一撃を繰り出した。
 バキバキッ、という音とともに、レークの槍が砕けた。すれ違った騎馬が離れてゆき、ゆるやかにその速度を落とす。
 観客たちは、いったいどちらが勝ったのかと、息をのんだように静まった。双方の騎馬に視線が注がれる。
どちらの騎手も落馬はしていない。このまま続けて、三度目の突進が行われると、そう誰もが思った。両者が負傷していないかを調べ、どちらも無傷であれば、このまま試合が続けられる。
 レークとブロテ、それぞれの馬に判定員が近寄ってゆく。
「なんだよ。オレはなんともないぜ」
自分はまったく元気だと、レークは右手に持った槍を突き上げて見せた。一方のブロテも馬上に健在だった。だが……そばに寄った判定員が声をかけようとしたとき、
「わあっ、誰か、そこの従者……手伝ってくれ」
 ブロテの体が馬上でぐらぐらとよろめいた。騎士たち数人がかりでその巨体を馬から下ろし、兜を脱がせると、精悍なブロテの顔が現れた。彼は気絶していた。
「これは……相当の衝撃だったのだろう。よくぞ落馬しなかったものだ」
 レークの槍が直撃した鎧の胸の部分に、丸くへこんだ痕が残っていた。重い体を六人がかりで持ち上げられ、ブロテは救護用の天幕へと運ばれていった。
「二番の勝ち!」 
 あらためて審判から勝利を告げられると、レークはほっと胸をなでおろした。
「はあ……けっこう、おっかねえや」
名手ブロテを倒した浪剣士に、客席の観客たちはどよめいた。それから、ためらいがちな歓声と拍手が上がりだした。
「でもこのスリルは、なかなかたまんねえな。これが馬上槍試合の醍醐味ってわけか」
客席に手を振りながら、場内を一周するのはなんとも気分がよいものだった。
「よくやった。これであと三つ勝てば優勝だな」
 勝利して戻ってきたレークを、金髪の相棒が出迎えた。
「ああ、楽勝……とはいえねえが。つかんだぜ。槍試合の戦いってやつを」
「ほう。それは、さすがだな」
「へへっ、どうせなら、オレたちで決勝戦を戦いたいもんだな。なあ、アレンよ」
 馬を下りて兜を脱ぐと、レークは汗だくの顔をほてらせ、にやりと笑った。


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