水晶剣伝説 T〜トレミリアの大剣技会〜
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落馬    

 ブロテが敗れたことに、観客たちは少なからず驚いたし、ブロテこそを賭けの本命としていたものは落胆もしたことだろう。トレミリア騎士の参加者で唯一残るのは、一回戦の最後に登場するビルトールであった。
 剣の腕ではすでにヒルギス、ブロテに並ぶとも言われるビルトールであったが、その人気の方は憐れなほどに無かった。いかにも貴公子然としたヒルギスや、逞しく戦士そのもののようなブロテに比べ、彼の容姿は、ありていにいって「青白い顔の痩せた男」であった。また、これから彼が対戦するのが、話題の一人であったことも災いした。
 その相手が場内に現れると、客席からは大きな拍手が上がった。
 銀の鎧に身を包んだその姿は、貴族席の貴婦人たちをうっとりとさせ、騎手を乗せる見事な鹿毛馬も、ビルトールの黒馬よりよほど輝いて見えた。
 これまで誰も見たことがないような破天荒な試合ぶりから、「兜をつけぬ剣士」の人気は大いに高まっていたが、他方ではレイピアの部の試合において、華麗な剣さばきを披露した「金髪の美剣士」の評判も、なかなかに大きくなっていたのである。
 レイピアの部での四試合で、アレンはその身にかすり傷一つ負うことなく、相手の剣をすべて叩き落として完璧に勝利した。細身の剣を構えた立ち姿は、まるで宮廷人を思わせるように優雅で美しく、的確にくり出される攻撃は、しなやかでありながら速く鋭い。それは、伝説の貴公子にしてレイピアの名手……ロラーンを思い起こさせるほどであった。
(アレン……) 
まるでこれから自分の試合が行われるような気分で、レークは、試合場の端から相棒を見守っていた。
 その少し前……試合の直前のことだった。
 アレンは天幕の裏手に自分を呼び出し、
「いろいろと考えたんだがな」
 そう前置くと、密書の断片が入った筒を懐から取り出した。
「これを持っていてくれ。万が一、試合で取り落としたりしたら事だろう」
「だって、朝はお前が持っているって……」
「いいから。お前がもっていろ。今は……その方がいい」
 相棒の真意が分からぬまま、レークは筒を受け取ったのだった。
「しっかりしまっておけよ」
「ああ」
「なあ……レーク」
 その声の響きに、なんとなくレークははっとした。
「いいか。たとえ……どんなことがあっても、あきらめるなよ」
「なんだって?」
「この剣技会で勝つこと。お前はそれだけを考えればいい。冷静にな。そうすれば勝てる。それを忘れるなよ」
 アレンが、いったいどういうつもりでそれを言ったのか、よく分からなかった。
「お前なら……いや、俺たちならできる。そうだな?」
「な、なんだよ。あらたまって」
「試合に勝て。それだけを考えるんだ。いいか……どんなことがあってもだ」
相棒の言葉の奥にどんな意味があったのか。馬上で槍を構えるアレンを見つめながら、レークは考えていた。
(まさか、あいつ、自分が負けたときのことを考えてるんじゃねえだろうな……)
(まさかな……) 
(どう考えても、馬上槍試合はオレよりもアレンの方が得意なわけだし。奴が負けるなんてことは考えられねえ)
(そうさ……オレたちは決勝で戦うんだ。この大観衆の前で、オレたち二人が優勝をかけて戦う。ずっとそれを考えてきた。この剣技会に参加することを二人で決めた日からな)
(そうだろう。アレン……)
 その思いが伝わったのか、馬上のアレンが一瞬だけ、こちらを向いたような気がした。
 静かな緊張に包まれた場内は、「突撃」の合図とともに一転した。
 二頭の馬が疾走を始めると、客席からは一斉に喚声が上がる。馬蹄の響きと、わあわあという人々の叫び声とが混じり、舞い上がる土埃の中を、交差する二騎の鎧がぎらりと光る。
 同時にくり出された槍が、ガガッと、尖った音をたてて、騎馬はすれ違った。
 両者ともそのまま馬上に健在である。双方の槍は互いの鎧をかすめただけで、一度目の突撃はほとんど互角であった。
「いいぞ!」
「すごい早業だ!」 
 人々から大きな歓声と拍手が上がる。
「勝負つかず。続いて二度目。構え」
 沸き返る客席に顔を向けるビルトール。一方のアレンは淡々と馬を操り、静かに槍を構え直した。
「突撃!」
 合図の旗が上がると同時に、再び二つ騎影が疾走を始めた。
 一度目と同様に、すれ違う二騎からくり出された槍は、互いの兜をぎりぎりにかすめた。
 また勝負はつかず。さらに続けて、三度目の突撃が行われたが、やはりどちらの槍も相手にダメージを与えることはできなかった。
 汗ばんだ手を握りしめ、レークは相棒の戦いをじっと見つめていた。
「アレンのやつ、なにやってんだ!あんな奴を相手に手こずりやがって」
 二人の騎士はまったく無駄のない動きで、同じタイミングで槍をくり出し、それが互いをかすめる場所もほぼ狂いなく同じ箇所だった。
 四度目も、そして五度目の突撃でも、勝負はつかなかった。観衆は二人の正確な早技にただ感嘆し、もはやどちらの贔屓もなく、互角の戦いを繰り広げる両者に、惜しみない拍手と声援を贈るのだった。
馬上槍試合のルールでは、八度まで突撃を繰り返して、それでも勝負がつかないときには、馬を降りて、剣の戦いによって勝敗を決すると定められている。そこまで伯仲した試合というのは、めったにあるものではない。この試合の結末が果たしてどうなるのかと、人々は息をのむようにして見守っていた。
今度は六度めの突進である。旗が上げられ、馬蹄の響きとともに、疾走する二騎が重なり、槍を交差させる。これまでとまったく同じ光景であった。
だが、互いの槍が合わさったとき、ドンという重い音がした。
(あ……あっ)
 それを、レークははっきりと見ていた。
二騎がすれ違う瞬間、ふわりと空中に投げ出された人影を……
 土ぼこりが激しく舞う中を、二頭の馬が走り過ぎてゆく。誰もが声を出すことを忘れていた。水を打ったように静まり返った客席で、誰かが指をさした。
「あそこに倒れているのは」
「どっちだ?」
「勝ったのは……どっちだ?」
 戻ってきた一方の騎士が、槍を高く突き上げた。
「おお、あれはビルトールだ!」
 止まっていた時間が流れはじめたように、客席から大きな歓声が上がりだした。
「ビルトール!」
「勝ったのはビルトールだ!」 
 人々が勝利した騎士の名を連呼する。それに応えるように、騎士は馬上で兜を脱いだ。ビルトールの青白い顔は、今は勝利の興奮に紅潮していた。
「アレン!」
 すぐさまレークは、障壁の前に横たわる相棒に駆け寄った。
「おい、しっかりしろ」
 体を揺すっても、まったく起きる様子はない。
「アレン……おい。どうした?起きろよ。アレン。おい、アレン!」
 頭を抱え起こし、耳元で名を呼んでみるが、だめだった。
「まってろ、いま兜を……」
 留め金を外し、兜を脱がせると、アレンの顔はひどく青ざめていた。頬にはべっとりと汗で髪がはりつき、まぶたは閉じられたまま、ぴくりとも動かない。
「どうした。大丈夫か?」
 審判の騎士と、負傷者を運ぶための従者が近づいてきた。
「大丈夫じゃねえ!医者だ。早くしろ!」
「医者は救護用の天幕にいる」
「ここに呼んでこいよ!」
「すぐに次の試合の準備がある。いつまでも、その者をここで寝かせておくわけにはいかん」
「なんだと……てめえ」 
 レークはかっとなって眉をつり上げたが、いまは怒っている場合ではない。アレンの鎧を外してやり、その胸に耳を当てる。
「どうだ、まだ生きているか?」
「あたりまえだ、馬鹿やろう!救護用天幕だな。触るな。オレが一人で運ぶ」
従者の手を払いのけ、アレンの体を背負う。
「待ってろよアレン。すぐに、もうちっと楽な場所に運んでやるからよ」
 肩ごしにつぶやきながら、レークはふらふらと歩き出した。
 人々の歓声を受けて場内を一周してきたビルトールが、目の前を横切ってゆく。
「……」
 こちらを見下ろす馬上の騎士を、レークはすれ違いざまに一瞬、睨み返した。

「おい、どうなんだよ。お医者さんよ!」
救護用の天幕にいた医師は、たった一人だけだった。ぼさぼさの白髪の老年の医師は、かつぎこまれたアレンを寝台に横たえさせると、その体をさすったり、しきりと脈を計ったりしていた。
「ふむう……意識はないようだな」
 難しい顔をしてつぶやく医師に、レークはいらいらとなって大声を出した。
「そんなこたあ分かってる!そうじゃなくて、どこが悪いんだ?」
「ふうむ」
「もしかして、どっか打ち所が悪かったとか……ぴくりとも動かねえんだよ。なあ、早いところ治してくれ。すぐにだ」
「まあ、そう怒鳴らずに……まずは静かにせい」
レークはむっとしたが、仕方ない。医師がアレンの体を頭から足の先まで、ゆっくりと撫でてゆくのを、じっと傍らで見守った。
「ふむ。とくに大きな外傷はなしと。脈もまあ正常。しかし……」
「しかし……、なんだ?」 
「意識がない」
「だから、それは分かってるって……」
「分かっとらん。これはきわめて危険な状態だ」
 髭を撫でつけながら医師は言った。
「外傷もなく……ということは、もちろん出血もなく、それでいて脈もあり、なおかつ意識がなく、ぴくりとも動かない。また、呼吸も弱々しい……」 
 とんとんと、アレンの胸を指で叩きながら、深刻そうに告げる。
「このまま意識が回復しなければ、あるいは永久にこのまま、ということもありえる」
「なんだって?」
 レークは思わず叫んだ。
「そんな……馬鹿な!」 
「もちろん、これは仮定の話だがな。落馬した際に頭を強く打ち、それによって全く体が動かなくなったり、おつむが働かなくなったりすることは、まあよくあるのでな」
「そんな……」
ひどくショックを受けて、レークはその場に立ちすくんだ。
「まあ、しばらくは様子を見るしかあるまいな」
「おい、アレン」
 寝台に横たわったまま、じっと動かない相棒の顔に、おそるおそる手を触れる。
「……なんで、こんな、こんなことに。なあ、起きろよ。おいアレン」 
「いかん。あまり動かしては」
 体を揺り動かすレークを、医師が押し止めた。
「それより、もうそろそろ二回戦が始まるようだぞ。行かなくてよいのか」
「あ……ああ。そうなんだがよ……だが」
気分としては試合どころではなかった。だが、行かないわけにもいかない。
「くそ。なんだって……こんなことに」
 今にも相棒が起き上がって、いつものように「どうした?レーク」と、その顔に皮肉めいた笑みを浮かべるのではないかと、そう思って、何度も振り返りながら、レークは天幕を出た。

 試合場では二回戦が始まろうとしていた。
 勝ち残っているのは一回戦を勝利した八名である。予選を含めると、二千名以上もいた参加者が、幾多の試合をへて、八名にまで絞られたのだ。優勝するまでには、あと三試合を戦い、そして勝たねばならない。残った剣士、騎士たちは、ここまできたならば最後までと、そう誰しもが気力をみなぎらせていたことだろう。ただひとりを除いては。
(アレン……待っていろよ)
(すぐにに終わらせて、お前の所に行くからな)
騎乗したレークは、内心でじりじりとしながら順番を待った。目の前で行われる試合など、まったく目に入らない。
 やがて大きな歓声が起こり、前の試合が終わったようだった。
「七番、二番、用意」
 番号を呼ばれると、レークは騎槍を握りしめ馬を進ませた。
(くそ。なんだって、こんなときに試合をしなくちゃならねえんだ……)
(アレンが……死ぬかもしれねえって時に……)
 ふいに、そんな考えが浮かんだ。
(なん……だと、死ぬ?アレンが……死ぬ、だって?) 
 槍を持つ手がぶるぶると震えだす。
(馬鹿な。そんなこと、あるわきゃねえだろ……)
(アレンは……、あいつは、死ぬような奴じゃねえ……どんなことがあっても)
 だが、何度そう否定しても、その恐怖にも似た不安感はいっこうに治まらない。
 馬上から見える景色……試合場を囲む客席も、向かい合う相手騎士も、自分が手にする槍も……そのなにもかもが、まるで意味のないものに思えた。自分がなぜ、ここにいるのかがよく分からなくなった。
「構え!」 
 審判の声が、どこか遠くで聞こえた。
(構え?……だと) 
(なんで構える。なんで……戦うんだ、オレは) 
 はあはあという、ひどく苦しそうな息づかいが耳元に聞こえていた。それが自分のものであることに気づくと、いっそうの息苦しさがつのってくる。
「突撃!」
 審判の声と合図とともに、まるで騒音のような喚声が響きわたる。
(なんだ?これは、なん……だ)
 前方から突進してくる騎影をぼんやりと眺める。
(ああ……試合)
(そうか……、オレは試合を……)
 手綱を握ると、レークは無意識に馬の腹を蹴っていた。 
(槍は……どう構えるんだっけ?)
 まったく現実感がなかった。自分がいったい何故、槍を構えるのか、少しも分からない。視界には相手の騎馬がぐんぐんと大きくなり、耳元で、びゅうびゅうと風が鳴っている。
 ひどく唇が乾いた。兜の中でだらだらと汗が流れ落ちる。
ガシッ、ガシン、と槍が合わさる響き、体に伝わる衝撃に、レークははっと我に返った。
 とたんに歓声が大きくなり、槍を持つ右手がじんじんと痺れた。
「二番の勝ち!」
吹き鳴らされるらっぱの響きと人々の歓声……それを、レークはぼんやりと聞いていた。
(……オレは、勝ったのか。……そうか)
 兜の中でふっと息をつく。
(あと何試合だ?アレンのやつは、勝ったのかな……)
(……アレン)
 レークの目が大きく見開かれた。
「アレン!」
槍を放り出し、レークは馬から飛び降りた。観衆の拍手などになんの意味もなかった。兜を脱ぎ捨て、そのまま天幕へと走る。重い鎧がもどかしい。
「アレン!」
 医療用の天幕の前に、さっきまではいなかった見張りの騎士が立っていた。騎士はレークの前に立ちはだかり、低い声で言った。
「止まれ。中に入るな」
「なんだと?そこをどけ。オレの相棒が中にいるんだ」 
騎士をおしのけて天幕に入ろうとしたが、重い鎧をまとった体格のいい相手は、びくとも動かない。
「どけよ。アレンが……やつの意識が戻ったかどうかを」 
「中には入れん。まだ意識は戻らん。医師の言いつけだ。ここは通せない」
 騎士はむっつりと言い、まるで岩のようにそこを動かなかった。
「くそっ……」
 レークは唇をかんだ。
「……分かったよ。じゃあ、医者のじじいによろしく言っておいてくれ」
 ともかく、アレンの意識がまだ戻らないのなら仕方がない。ここはぐっとこらえて引き下がる。
(どうすりゃあいいんだ……)
天幕の裏手を、レークはふらふらと歩いていた。自分がどこへ向かっているのかも分からない。
(もし、このままアレンの意識が戻らなければ……)
 つのってくる不安は、大きくなるばかりだった。
(たとえ、このまま試合に勝ったって……優勝して、騎士になったって……)
(お前がいないんじゃ……)
爽やかな五月の風が頬を撫でつける。晴れ渡った空を見上げると、思わず涙が出そうになった。
(くそっ。オレは……こんなに弱いやつだったのか)
(オレは、自分一人でなんだってできる。いつだって、誰の手も借りず、一人でなんだってやれる。そう思っていた……)
(なのに……今、お前がいない。ただそれだけで、もうオレはまるで、世界が終わったかのように感じている)
(なんにもできねえのかよ。アレンがいないと、オレは……)
 試合場からの歓声が風に乗って聞こえてくる。それはとても遠く、そしてむなしく感じられた。
「……やってられるかよ」 
 吐き捨てるようにつぶやくと、レークは走り出した。だが、すぐに立ち止まり、その場で地面に突っ伏す。
「……くそっ!」
 その口から声にならぬ呻きがもれる。
「う……」
地面をつかみ、土を握りしめて、レークは嗚咽した。
「アレン……」
(そうだよ……、あいつが……アレンがいれば。やつがいるだけで、オレはいつだって……なんでもできる気がした)
(やつが、いてくれたから……)
 あの冷笑的で、説教くさい皮肉屋の相棒を、自分はいかに頼りにしていたことだろう。
(いまさら、そんなことに気づくなんて……)
 もし、このまま、アレンの意識が戻らなかったら……その恐怖は圧倒的であった。
「アレン……オレは、オレはどうすりゃいいんだ?」
 そのつぶやきに答えるものはいない。レークは膝をかかえ、まるで置き去りにされた幼子のように、その場にうずくまった。どす黒い絶望が、体中の血液にまで広がってゆくような気がした。

 勝ち残った四名による準決勝が、これから始まろうとしていた。
 観客の注目は、ここまで圧倒的な槍さばきで勝ち上がった宮廷騎士ビルトールと、そして、浪剣士でありながらも、見事な戦いぶりで騎士ブロテを倒した、兜をつけぬ剣士……つまりレークの二人に集まっていた。他に勝ち残っているのは、九番と十二番を付けた剣士で、九番の方はすらりとした体に精悍な顔つきの若者で、西の沿岸の小国イルメーネ出身の騎士、そして十二番の騎士は、顔を隠すようにして兜の面頬を一度も上げず、まるで正体が分からなかった。めざとい観衆たちの中には、それが実はどこぞの名だたる名剣士で、ゆえあって顔を隠してこの大会に出場しているのだ、などと囁き合うものもいた。
 なかでもやはり、今日の戦いぶりの見事さからから、人々の間ではビルトールの人気がずいぶん高まっていた。準決勝前の宣誓においても、居並んだその四名の中で、彼は普段はその青白い頬を紅潮させ、自信に満ちた表情で立っていた。
「ここに居並ぶ四名こそが、いま、トレミリアにおいて最も優秀な剣士たちであると言えよう。存分に戦われるがよい。ジュスティニアとゲオルグの名において、彼らに祝福を」
オライア公爵の言葉を受け、四人の剣士たちは胸に手を当て、騎士の礼をする。客席の人々は立ち上がり、彼らに大きな拍手を贈った。
 午後の三点鐘が鳴り響くなか、いよいよ準決勝が始まった。
「二番、十二番、構え!」
 強い日差しに焼かれる鎧の中で、暑さに朦朧となりながら、レークは槍を構えた。
「突撃!」
 こんなに重たい槍をかかえて、自分は何のために馬を走らせるのか……醒めた意識が自分に語りかけてくる。
(これに勝って、優勝して、騎士になったって……それがなんになる?)
 馬が走り出す。どどど、という馬蹄の音は、すべてを否定する答えのようだ。
(そんなもの、オレ一人じゃなんの意味もない)
(意味も、ないんだ……)
 ふっと、手綱を握る手から力が抜けた。目の前に、相手の槍が突き出された。
「くっ!」
 反射的に槍を出すと、ガガッ、という鈍い音とともに腕に衝撃が走った。
「ちくしょう!」
 とたんにレークは我に返った。
 突撃を終えた相手の騎士は、しなやかに馬を操り、くるりと向きを変える。じつに無駄のない見事な動きだ。
「へっ、さすがに、ここまで勝ち残った騎士さんってわけだ」
 兜の中でレークはにやりとした。
 敵を目の前にしたときの剣士としての本能が、己の内にじわりとしみ出してくる。
「おお。そうだな……、アレン」
 燃え立つように沸き起こる、戦いと勝負への執着……レークはそれを思い出していた。
「ここでぶざまに負けちゃあ、お前に会わせる顔がねえよなあ……」
 ぎゅっと手綱を握りしめ、兜の中でぺろりと唇をなめる。
「二度目。両者構え!」
 互いに反対側に位置を替え、次の突撃に備える。
「突撃!」
合図とともに両者の馬が走り出した。
相手の馬は、障壁から離れるように外側にふくらんだ。そして角度を付けて急接近してくる。馬上槍試合における高度な技術の一つだ。
「面白え」
 レークはつぶやくと、突進してくる馬上の相手に槍の狙いを定める。
「おらっ!」
 両者の槍が交差し、バキンと、槍の合わさる音が響いた。
 強烈な衝撃とともに体に激痛が走った。
「くッ」 
 左の肩当てが吹き飛ばされていた。衝撃で転げ落ちそうになったが、なんとか鐙に足をふんばり、とどまる。
 客席からの大歓声は、相手騎士のたくみな馬術へのものだった。
「くそっ……」
 左肩にはずきずきと痛みはあるが、なんとかまだ動かせる。だが、次に同じ場所に攻撃を受ければ、ひとたまりもないだろう。
 見ると、相手騎士はまったく優雅な動きで、静かに次の突撃の構えをとっている。レークは思わず弱音をはいた。
「こりゃあ……勝てねえかな」
三度目の突撃は明らかにレークに不利だった。痺れている左手で握る手綱はひどく心もとなく、相手から狙いやすい左の肩はむき出しであった。
「なんとか、攻撃を受けずやりすごすしかねえ、か……」 
 できるかぎり左肩を後ろに守る体勢をとると、レークは、土煙を上げて突進してくる騎影をじっと見つめた。
(来やがれ……)
 さっきと同じように、相手騎士はいったん外にふくらみ、大きく角度をつけて接近してきた。鋭く突き出される槍の動きを読んでいたレークは、馬上で体を倒して避けた。
 だが、相手はさらに一枚上手だった。レークの動きに合わせるように、騎槍を突き下ろしてきたのだ。
「うわっ!」
 瞬間的に手綱から手を離し、体をのけぞらせて槍を避けたが、バランスを崩した。
 そのまま、レークは馬上からはじき飛ばされていた。
(負けた……)
 時間が止まったように感じた。
(でも、これで……いいのかもな)
(どうせアレンは……)
(アレンは……)
 心の中のなにかが、反抗する。
 己の中の、まだだという声が……
「く、そっ!」
 それは、ほとんど本能の動きだった。地面に転げ落ちる寸前に、その手から槍が放たれた。
 悲鳴にも似た声が客席から上がる。相手騎士がどうなったのかもう見えない。
 落馬したレークは、ごろごろと地面を転がった。
 土埃の中を走り去ってゆく二頭の馬を前に、客席は静まり返った。試合を見定める審判さえも、あっけにとられたように声もない。らっぱ吹きも、警備の騎士たちも、その従者も、そこに凍りついていた。
「いつつ……」
 ゆっくりと立ち上がると、腕と足がずきずきと痛んだが、幸い怪我はしていないようだ。
レークは兜を脱ぎすてると、汗まみれの顔で周りを見回した。
 いったい、なにが起こったのか。障壁の向こう側には、地面に座り込んでいる鎧姿が見えた。
「どっちが勝ったんだ?」
「先に馬から落ちたのは、あの二番の浪剣士だろう」
 にわかに客席はざわめきに包まれていた。
「しかし、あいつの投げた槍が、相手を落馬させたんだ……」
「こりゃ、勝負つかずってんで、もう一度突撃のやりなおしだろう」 
「馬鹿言え、こういう時は審判の判定で決まるんだよ」 
「いいや、もう一度突撃だ」
 誰も彼もががあれやこれやと言い合うが、いっこうに判定は上がらない。肝心の審判は、落馬した両者を見やり、どうにも判断がつきかねるというふうであった。
「人々よ」
 そのとき、貴族席から立ち上がったのはオライア公爵だった。観覧席の最前に進み出ると、公爵はよく通る声で人々に告げた。
「どうか静粛に。この試合の判定は、公式に定められた馬上槍試合のルールにのっとって下される」
 客席から拍手が上がった。公爵はそれを軽く手で制し、続けた。
「馬上槍試合は、二名の騎士が槍を手に突撃をし、どちらかが落馬するまで続けられる。ただし、八度の突撃で勝負がつかぬ場合はその場で下馬し、剣の試合により勝敗を決す。また、同じ突撃において二人の騎士が落馬した場合も同様、剣による試合を行うべし。二年前に改定された、トーナメントと剣技会における条項にはそうあったと思うが、いかがかな?」
「は、その通りと存じます」
 審判は頭をたれると、あらためて判定を告げた。
「では、両名ともこちらへ。槍試合では同時の落馬とみなし、決着つかず。そこで、これより剣による試合を行うものとする」 
観客たちから大歓声が上がった。まだこの二人の戦いを見ることができるという、それはそんな期待のこもった拍手と歓声であった。
「二番の剣士、兜は?」
「いらねえよ」
 試合用の剣を受け取ったレークは、不思議なくらい穏やかな気持ちで、そこに立っていた。
(あぶねえところだったよ)
(オレは、なんて馬鹿だったんだ……)
(すまなかったな。アレン……もう弱音は吐かねえ。けっしてな)
 剣の柄を握りしめると、ゆるやかだがはっきりと、己の内に瑞々しい力がみなぎってくる気がした。
(約束したんだよな。最後まで戦うって。そして、必ず俺たちは勝つって……な)
 もう迷いはなかった。
(もう、恐くねえ。たとえ……ここにはいなくても、お前はいるんだ)
(そうだろう。いつだってな)
 悲壮感も不安も、そして恐れもない。その顔にはただ、静かな微笑みだけが浮かんだ。
(騎士とか、地位とか、名誉とか……そんなものはいらねえ。ただ……勝つだけだ)
黒髪を後ろにかきあげると、レークはぎらりと目を光らせた。
(勝てと、お前はそういった。ならオレも、すべてを賭けるぜ)
(みていろ。……アレン!)
「それでは、両名とも、剣の試合も正々堂々戦われよ」
 国王や公爵の見守る貴族席からほど近い場所で、落馬した十二番の騎士とレークが剣を手に向かい合う。
「始め!」
 審判の掛け声と同時に、相手騎士は鋭く踏み込んできた。
 慌てることなくレークはその剣を受け止める。
 カシーン、カシーン、と、剣と剣がぶつかり合う、高い響きが上がった。
 剣で戦うのがひどく久しぶりに思えた。つい二日前には何試合も戦い、名のある騎士や剣士たちを次々に打ち倒したというのに、それはもうずっと前の事のように感じられる。
 カシュッ、ガシーン 
 双方の剣がリズミカルに合わさり、鋭く音を立てる。相手の動きを読みつつ足場を動し、剣を打ち込んではまたかわす。ごくあたり前のそんな体の動きが、レークにはとても楽しく感じられた。
(オレは剣士なんだ……)
 それは、言葉にすればそういう思いであったろう。腕をしならせて横から剣をふるい、さっととびすさって腰を落とす。右手から左手に剣を持ちかえたり、相手の打ち下ろす剣を下段から受け流したりと、それは、今までにも何度となくやってきた、体に染みついた動きである。
(貴族でも、騎士でもねえ。オレは、旅から旅へと流れ歩く剣士……浪剣士なんだ)
白熱する戦いに、客席からもさかんに歓声が上がる。驚くほど俊敏に、そして軽やかに剣をふるう、躍動するようなその戦いぶりは、人々がかつて闘技場で見た「兜をつけぬ剣士」そのままであった。
カシッ、カシッ、ガシン
 幾度となく激しく剣がぶつかり合い、尖った音を響かせる。攻撃を受け止めながら、レークはじっと相手の動き方をうかがっていた。
剣を合わせたその瞬間から、これが簡単に勝てる相手ではないことは分かっていた。かつて試合で戦ったヒルギスと比べても、こちらの騎士の方が動きに無駄がなく、その攻撃は的確だった。
(なかなか、手強い相手だが……もうしまいにするぜ)
 しかし、今はその相手すらも、レークには遅く見えていた。続けざまの打ち合いで、疲労してきているのだろう。相手の剣の動きが少しだけ鈍くなったのが分かる。
 レークはそれを見逃さない。
次に騎士が剣を戻した、その瞬間、浪剣士はその懐に飛び込んでいた。
「!」
 まるで、相手に向かって倒れ込むような、危険をかえりみない動きに、騎士はぎくっとしたように腰を引いた。
 そのまま剣を打ち下ろそうとする騎士……だが、レークの体は、すでに互いの鎧が触れんばかりに近くにあった。
「そらっ!」
騎士の剣が空を切るのと同時に、低い姿勢から剣を振り上げる。
 のけぞった相手の喉もとを、レークの剣が切り裂いた。
「な……」
 騎士が初めて声を上げた。その剣が手から離れた。
 血しぶきは上がらなかった。ただレークの剣はも寸分違わず、兜の留め紐を切り落としていた。
 倒れ込んだ騎士の兜が脱げ落ちると、
(ああっ)
 レークは目を見開いた。
「しょ、勝負あり!二番の勝ち」 
 審判が手を上げる。
 静まり返った客席は、次の瞬間、大歓声に包まれた。
 うわああああ!
 爆発するような歓声、そして拍手。試合を見つめていた誰もが立ち上がり、声を上げ、手を叩いていた。
 降り注ぐ歓声のなかを、レークはゆっくりと騎士に歩み寄った。
「あ、あんた……」
騎士が上体を起こした。栗色の髪がこぼれた。
「……」
青みがかった緑色の瞳と、浪剣士の黒い瞳が、ぴたりと合わさった。
「やはり、お前だったのだな。あの夜のならず者は……剣を合わせれば分かる」
 額にかかった栗色の髪をかきやり、騎士は……いや、女騎士はレークを睨んだ。
「あんたは……」
 あの夜の女騎士……そして、路地で待ち構えていた、あの女騎士。魔法にでもかけられたような不思議な気分で、レークは相手を見つめていた。
「あんたは、いったいなにもんなんだ?」
 そんな言葉しか出てこない。
「私は……」
「私は宮廷騎士、クリミナ・マルシイ。もはや隠すいわれもあるまい」
女騎士は静かに言った。
「クリミナ……宮廷騎士」
「この屈辱。忘れぬぞ……」
 そう言い残すと、くるりと背を向けて歩きだした。
「おい、あれは……クリミナ様だぞ」
 観客の誰かが声を上げた。
「なんだって?」
「おおっ、まさしく……まさか、あの方が出場なさっていたとは」
「クリミナさまだ」
「宮廷騎士長どのが……」
ざわめきに包まれだした客席をよそに、レークはただじっと、去ってゆく女騎士の後ろ姿を見つめていた。
 しだいに、客席のざわめきは少しずつ大きくなり、試合場を包みこんでいった。しばらくして、それが勝利した自分に向けられたものだと、レークはようやく気づいたのだった。


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