最近のこと 2002年度  
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12/4

気づけばもう12月だぁ。

なんてことだ・・・。こんなにも早い一年はかつてあっただろうか。
いや、やはり歳をとるごとに時間の経過が加速しているのだ。

子供の頃は無限にも感じた一年の長さが、今ではまたたくまに過ぎる。
それはつまり我々が大人になり歳を重ねるごとに、物事を深く考え、時間を有用に活用し、
日々生活するために「必要なこと」を行っているということなのだろう。

ぼんやりと将来を夢みていた時間は過ぎ、
この現実の中で「どうやってなんとかうまくやってゆくか」ということに
我々は奔走し続けている。

そうやってゆったりと休むまもなく、これからも時間は過ぎるのだろう。
もちろん休息のときはあるとしても。
それは「次の時限」を見つめながらあせりつつ過ごす、
短い「休み時間」にしかすぎないだろう。

そういう意味では、おそらく老人になるまで、もしくは
棺桶に入るまで、真の意味での休息などは訪れないのかもしれない。

ジェットコースターのように、
転がる石のように、
我々は時間とともに流れてゆき、
おちてゆき、
転がり続けるのだろう。

それが「人が生きる」ということであるなら、
こうして毎年のように年末になってしみじみと、
そして半ば呆然と一年を振り返ることも
そう悪いことではないな、と思う。



話はかわって、昨日のトヨタカップ。
やっぱりレアル・マドリッドは凄かったなあ。
あのパス回し、判断の速さはさすが。

個人的にはあのメンバーで一番好きなのはラウル、次がジダン。
でも昨日はどちらかというと、ロナウドとフィーゴの方が目立っていたね。


さあて、今年もあとわずか。
今のうちに出来ることをしてしまおうか。


10/28

このところ原稿に忙しく、なかなかやりたいことができない(T-T)

明日からは日朝交渉がマレーシアで始まる。
拉致問題、核問題等々、なんとか見事な不時着を期待したいものだ。

モスクワでは劇場での人質立てこもり事件で、死者百人以上。
これもイスラム系過激派のしわざらしい。

インドネシアでの爆破事件といい、世の中ますます剣呑になってくる・・・

北朝鮮との関係が、米国の出方を含めて今後の鍵を握ることになるかもしれない。

私にできるのは目の前の原稿を仕上げることのみ。
とても無力だ。


10/13

F1佐藤琢磨5位入賞★

いやー、良かったねぇ。久々にテレビを見ていて手に汗握ったよー。

というのも、BAR、ジョーダンのホンダエンジンが次々にブローして、
琢磨のマシンもいつ煙が上がるかと、気が気じゃなかった。

これで色々と心配のある来期のシートも、大きく近づいたのではないだろうか。
思えばF1一年目の琢磨には、さまざまな事があった一年だった。

不運やマシントラブルやミス、それに大クラッシュなど。
それらに耐え、最終戦の鈴鹿でついにポイントをとった琢磨に祝福を。

そして、来年からは、さらなる大きな祝福を得る機会を得てほしい。
表彰台、そして日本人初の優勝を目指して。

圧倒的な速さで優勝したシューマッハの天下は当分変わらないだろう。
しかし、モントーヤ、ラルフ、ライコネンをはじめ、若いドライバーが
肉薄してゆくシーズンがやがてはやってくるはずだ。

願わくば、佐藤琢磨も、そうしたトップをライバルとする戦いの一員となることを。

そう、期待せずにはおられない。


9/30

昨日はアニメソングバンド、B.F.S(ブレストファイヤー・s」の初ライブでした。
いやー、疲れた。

アニソンバンド自体は相当前からやっていたのですが、ライブをしたのが今回が初めて。
なんか感無量・・・。
メンバーが皆忙しく、ちゃんと練習時間がとれなかったこともあって、演奏はやはり荒くなってしまいましたが
(うわぁぁぁ、録音したやつを聴くのが怖い・・・)
バンドとしては初めてなりに楽しめたので、次回はもちょい演奏の質を上げたいなと、思ってます。

見に来て切れた方々、本当にありがとうございましたー。次回もよろしく★

しかし、今回対バンした二バンドとも、さすがのクオリティでしたねー。
全員が小学生の格好をして、楽しいライブを見せてくれた給食当番さん。
なんだか、なつかしいような、古きよき空気を感じさせてくれました。
「ウラシマン」の"ミッドナイトサブマリン"は実にかっこよかった・・。

そしてカイザー・デビル・カスタムさんの圧倒的なパワー!!
いや、もの凄い・・・。なんだか凄まじいものを見た、という感じです。
バイファムやガオガイガーの熱い魂のこもった演奏はまさに鳥肌もの。
ゲストの三五美奈子さんを加えたマクロスの「愛おぼえていますか」「ランナー」では
しっとりとした情感溢れる歌で、観衆を魅了していました。
凄いのは二週間後には再びライブをやるそうで(しかも二時間!!)、
その無尽蔵のパワーには圧倒されるばかり。

うーん、我々もあと十年くらいしたら、あそこまでの実力を身につけられるのでしょうか・・(たぶん無理)

ちなみに我々B.F.Sの次回ライブは、未定。ぐす・・・

よっしゃー、次はもっと楽しめるライブにするぞー。
そんなわけで

リズム練習しよっと・・・


9/17

セリエAも開幕
世界のサッカーが活気付いてきました。

レッジーナの中村にはぜひとも頑張って欲しいものです。
初戦0-2で敗退しましたが、今後の活躍に期待してます。

パルマの中田は、はや5年目のセリエAシーズン。
今期は、左サイドをまかされまそうな感じで、色々と苦労もあるでしょうが
やってくれるでしょう。

オランダ、フェイエノーヘルトの小野は、もはやチームの中心とした欠かせぬ存在に
なったかに思えます。この前の試合で2ゴール1アシストと絶好調。
今期はどこまでやってくれるか、楽しみ。

ブレミアではフルハムの稲本が大ブレイク中。
リーグ戦二千連続ゴール。2アシストと全得点に絡む活躍。
すでにチームの柱か?こわいほどの活躍ぶり。
今後はよりマークが厳しくなることが予想されますが、
それに負けることなく、この勢いを続けて欲しいものです。

あとベルギー、ゲンクの鈴木。
ポルトガル、ブラガの広山(「ひろ」の変換ができん)
ポーツマスの川口。
みな、厳しい中を頑張ってもらいたいですね。

レッジーナ戦、地上波でやってくれえぇぇ


9/11

9.11。
もう丸一年が経った。
あのアメリカの同時多発テロから。
今、日本テレビの特番を見ながらこれを書いている。

この一年の間で世界はどう変わったのだろう。

アメリカは対イラク攻撃を示唆している。
大リーグのストは回避されたようだが、それが大問題と報道されるほど
米国は平和だったのだろうか。
それともあえてそうした話題を持ち出すことで、変わらぬ日常を認識し続けたかったのか。

かつてアメリカが介入したイスラエル、バレスチナ問題は
今年に入ってさらなる終わり無き報復テロを繰り返している。

ビン・ラディンの消息は特定できず、すくなくとも報道に彼の名が現れる回数は急激にへった。
タリバンが政権を失ったアフガンでは、自由と平和が本当に戻ったのだろうか。

今日、9.11を迎え、米国のみならず日本や世界各地で、追悼式や黙祷が行われ、
テロの犠牲者を悼んだ。

テロに立ち向かった人々、救助や支援に全力をかけた一人一人の人々は、
私などの言葉にはできぬほど勇敢で、人間としての個人のモラルと正義によって動いた
素晴らしく、かけがえのない個々である。

今見ている特番に出てくる勇敢な消防士たちや、惨状を近くで撮り続けたカメラマン
ハイジャック犯に立ち向かった機内の乗客など、
皆、個人としての使命をまっとうして死んでいった人々だ。

私が悲しいのは、そうした人、一人一人としての存在や人間性とは別に
アメリカという国そのものを憎む人々がいる、というギャップである。

一人一人の個人への恨みは無くとも、その集合体の国家への憎しみが
このようなテロを引き起こす、というその大きな深い溝に私は嘆く。

ビル崩壊を内部からとらえたこの特番の映像に、この破壊から一年を経た今も
私は戦慄を覚えずにはいられない。

破壊は一瞬で多くの命を奪い去り、その数倍の悲しみを生き残った人々に刻み付ける。

無差別の破壊行為、すべてのテロを私は憎むだろう。

ただ、アメリカという巨大化しすぎたこの国に対して「傲慢」を見出す人々が
確かに世界にはいるのだ、という事実があることも認めるべきだ。

最大の消費国であり、テクノロジーと科学の先端をゆき、スポーツをこよなく愛するその国を
困窮と民族紛争の只中にいる、別の神を信じる腹を減らした人々がどう思っているかということを。

我々が想像することができるだろうか。

何が正しいか、どちらが正義かなどという論議はあてはまらない。
そもそも人間が生きることそのものには、正義や価値基準の統一化などはありえない。

そんな、「違う人々」がこの地球には一緒にいるのだ。

では、どうすればいいのだろう。

テロは許せない。
そう叫ぶだけではしかし、何も変わりはしないのだ。

悲しみ、悔やみ、嘆き、神に祈る。
言い方は悪いが、なにもかもが事が起こった後の慰めだ。

傷はいつかは癒されるかもしれない。
しかし、その頃に再び悲劇が繰り返されるのでは、我々人間の精神は何も進歩していないことになる。

そろそろ我々は真に地球規模での行動が求められているのではないだろうか。

環境問題にしても、京都議定書をほっぽり出したアメリカには、彼らなりのやり方と正義とがあるのだろう。
しかし、アメリカとしての立場や方法などは問題ではない。

最大の消費国が世界的な視点でのスタンダードでは必ずしもないのだ。
それに気づいているのか、または気づいていながらも自ら知らぬフリをしているのか。

この大国の行為を「思い上がり」と思う人々がいるかぎり、世界の普遍的な価値などは見つけられるはずもない。

テロでの犠牲者に対する哀悼の意はすべきだし、
大統領の演説に少々大仰さが混じったとしても不思議ではない。
ただし
悲劇をドラマチックに再構築するだけでは、言い方は悪いが
結局はハリウッド映画同様、実のないカタルシスにしかならない。

アメリカの正義を、ある程度は支持せざるを得ない国にいる我々としては
おそらく「世界」のために出来ることは限りなく少ないのだ。

せめて個人が、この世界で起こる事象を考え続けること
それが我々にできる最小の「真実」の表明なのかもしれない。

壊れてゆく環境、壊れてゆくこの地球の上で
これから我々はどうやって、「なんとかうまくやっていく」ことができるのだろう。

答えは現れないだろう。
ただ傷にばんそうこうを貼って、またケンカに向かうだけならば。

色々と考えさせられる。
そんな日に毎年なるのだろうか。

この9.11が


9/4

もう9月だ。
といっても、夏は終わらず。暑い日々が続く。

今日の「赤毛のアン」はとりわけ面白かった。
アンが物語倶楽部を作る話だが、
アンがダイアナに延々と自分の物語を聞かせるシーンが凄い。
物語の映像は笑えたけど。

エンディングのクレジットを見たら脚本が高畑勲。
さすがだね。



7/18

「ああ、ダイアナ。妖精を信じることをやめないで」

昨日の「赤毛のアン(アニメ版/NHKBS11にて水曜18:30〜放送中)」の中で
主人公のアンが親友のダイアナに言ったセリフである。

じーんときたぞ。なんという名セリフだろう。
親友を見つめる真剣なアンのまなざし。

「信じるとも、アン」
録画したビデオを見ながら心でそう思った私。

それを「年甲斐もなく」とか「馬鹿だ」とか思うのなら、
それは擦り切れすぎて感覚の鈍ってしまった「ただの大人」である。
私はいつまでも、流れ行く雲や夕日を見上げて、泣きそうになる大人でいるぞ。

ちなみにこの「赤毛のアン」、前にも書いたが
宮崎駿、高畑勲、さらに今は亡き、「耳をすませば」で監督をした近藤喜文などが
スタッフに名を連ねるだけあって、心の入った演出が光っている好作である。

見よう。みんな。


7/16

ううむ。最近とくに滞っているこのページの更新。
とくに書くべきこともないような、いやあったかもしれないけどなんとなくやり過ごして
過ぎ去っていっている気がします。そんな今日この頃。

ワールドカップが終わって、通常の日々("ケ"というやつ)が戻り、
めっきり野球を見ていてもさほど盛り上がれないし、
かといってJリーグは放映局がないしで(怒)、
やっぱりテレビなどそう見ている時間もない。

そして台風は二度過ぎ去った。
まだ梅雨なの?

中村セリエAレッジーナへ
稲本プレミア、フルハムへ
鈴木はベルギー
?
(やっぱベルギー戦でのあのゴールのおかげか)
中田、小野はまあ心配要らないので、あとは川口か・・・

という具合に移籍市場は楽しみではある。
そうそう、シーコが日本代表監督に決まりそう。
いいような、悪いような・・・
「神様」は意外と気が短いような気がするので
(ブラジル人特有の気質だと思うが)
結果が出なかったときに、トルシエのようにぐっと耐えられるかが重要になるかも。


さて、
私の日常では、ワールドカップ後、沈滞期間をはさんで若干方向が変わっていた。
なんだかぼんやりしているうちに新たな道の模索がはじまり、
それまで気づかなかった(というより気づかぬフリをしていた?)別の才能に自信を深め、
今はそっちに向かって進んでいるのだが、
これでいいのか?

やはり考えても「自分が望む理想の自分」に近づけるために、
常にベターな選択をし続けなくてはならない。
「理想」にすぐになれずとも、なんらかの肥やしになったり、
「理想」を具現化するための準備ができる「別の方向」ならば
けっして自分にとってマイナスにはならないだろう。

汚れなど気にしてはいられぬ。
時間はさほど多くはない、そう思うことで「焦りながらの質の高さ」が維持できるのだ。
芸術家などになりたくもないし、なれぬだろう。
最高の自己満足が他人に評価されること。そんなもの望みたくはない。
私は質の高いプロであることを望むだろう。
「自分」を「他者」とみたてて楽しませること。まずはそれからなのだ。

興奮と心地よいドーパミンを感じることで、私は私によって楽しまされる。
千人の他人が自分にあればといつも願っていた。

ああ、アイスコーヒーが飲みたいよ。

湿度75パーセントの今日に。


6/18

日本代表ベスト8ならず。
惜しくもトルコに敗戦。

うむ・・・。惜しかったね。でもよく戦った。
自分のパスミスからコーナーキックで失点という、中田浩二にとっては悔しい負けだろうが、
彼にはまだ4年後もある。
また現在の若いメンバーの過半数は4年後でもまだ20代。
さらなる進化をして、たくましく次回ドイツのピッチに立って欲しい。

なんにしても今回の日本代表のサッカーは「次」を期待させるに足る戦いぶりだった。
決勝トーナメント初戦で敗れたとはいえ、そう嘆くこともない。
敗戦の苦しみ、悲嘆を経験しないで済むのは参加32ヵ国のうち優勝する1国のみ。
他の31国は早かれ遅かれこの「嘆き」を味わうことになるのだから。
そして日本にとってこの敗戦は「早すぎも遅すぎもしなかった」と思う。

ベスト16
これが今の日本に見合う実力であり、納得できる位置であろう。
たとえその試合内容に納得がいかなかったとしても。

今日の試合としては不完全燃焼の感もあるが、それはやはりトルコがうまかったということ。
「納得のいく試合をして勝ち、そして負ける」なんてことはそう何度もできることではない。
終わってから「まだできるのに」と思うこと
悔しいが、それが負けるということなのだ。

しかし、これほどに日本全体がひとつのスポーツの結果に歓喜し、悲嘆するというのは
なかなかに貴重な体験だったと思う。

今日の試合の終わった直後に街を歩いたが、
通りを行きかう人々の顔がなんとなく沈んでいたし、
空気も(天気のせいもあるが)どことなく重たかった。
また、勝った試合の後で街を歩いたときは、人々の顔には笑みが浮かび、
自分も晴れやかな気持ちからすっきりした表情で大手を振って道を歩いたものだ。

感情が空気を伝わり、その場を「喜び」で満たす。そして「悲しみ」で満たす。
これほどの「全空間的な感情の振幅」というのはそうめったに体験できるものではない。

喜びも嘆きも、それは人間の感情のひとつの発露の形である。
たとえその瞬間、敗戦に胸が締め付けられたとしても
感情のメーターは時間とともにゆるやかに変化し
そしていずれは我々は「ケ」に戻る。ニュートラルな日常へと戻ってゆく。
しかし体験した、この内から揺さぶられるような、激しい感情のあったことを
我々はしばらくの間忘れないだろう。

祭りの喜びと嘆き、瞬間的な一喜一憂、興奮と失望と期待
それらを強烈に我々に味あわせてくれた日本代表の選手たち、
そしてフィリップ・トルシエに拍手を。

ありがとう日本代表。


6/12

ワールドカップもたけなわ。
しかし波乱続出。
今日は前回王者のフランスに続き、優勝候補本命のアルゼンチンまでが予選敗退。
なんてことだ。あれだけタレントを揃えた攻撃陣が、点を取れないとは。

優勝候補2チームが消え、これで決勝トーナメントに入ってからはさらに激戦が予想される。
そういやイタリア、ポルトガルも次勝たないとやばいわけだし、
今大会は強豪にとって苦難が続く。

今現在、私が見た中でもっとも素晴らしいサッカーをやっているのがスペイン
そして前評判をくつがえし、のびのびと軽やかにプレーしているのがブラジル
今後はこの2チームを中心に進んでゆくと思われる。

あとあなどれないのが、スウェーデン、デンマークの北欧勢。
なんとどちらもグループ1位通過。
その強い守りと安定した試合運びは堅実で隙がない。
アルゼンチンやフランスですら彼らからまともに点をとることができなかった。
守備力ではあのカテナチオのイタリアさえも上回っている。

それから初出場のセネガルも勢いに乗っていて見ていて面白い。
カメルーン、ナイジェリアが敗退した今、アフリカサッカーの躍進は彼らにかかっている。

どこがこの大会で優勝国となるのか、現時点ではまったく予想さえできなくなった。


6/3

ワールドカップ開幕。
始まって4日目だが、連日好試合が続いていてテレビから目が離せない。

ここまで見ていて、やはり強いのはアルゼンチン、次にイタリア
攻撃的なアルゼンチンのメンバーは、リケルメ、サビオラが代表落ちするほどのメンツ。
特に司令塔ヴェロンは円熟の極地にあり、フランスのジダンが負傷している現在世界最高のトップ下と言えるだろう。
イタリアはやはり守備力。統率された最終ラインと正確な前線へのフィードは素晴らしい。
トッティ、ヴィエリのコンビは二人だけで相手ディフェンスを切り裂いてしまう。
この2チームに続く実力を持っているのはスペインかもしれない。
組織力をともなった攻撃という点では全チーム中最高のレベルだ。
加えてラウルの調子がよさそうなだけに、今回は取りこぼしはないだろう。
気になるフランスはジダンが戻らないことに加え、FWのアンリ、トレゼゲのコンディションがイマイチ。
優勝は難しい気がする。
チームバランスではイタリア、スペイン。攻撃力でアルゼンチン。
この3強が今大会をリードしてゆくに違いない。

・・・しばらくはテレビにかじりつく日々が続く。


5/17

日本代表23名決定!!

そして、中村俊輔落選(TT)

あうう・・・まさかぁ・・・

いや、小笠原と中村、どちらかが落ちるとは思っていたけど、まさか俊輔の方とは・・・

冷静に考えると中村落選の理由は大きく三つあると思う。

ひとつは「左サイド」に3人はいらないという考え方。
小野、三都主に続く「三番手」扱いは最後まで変わらなかった。

二つ目は、「トップ下」を考えた場合、今のチームの軸は間違いなく中田。
で、その中田が負傷や警告などで出れないとき、その代わりができる選手が必要。
中村では「中田の代わりはできない」と「トルシエは考えた」のだろう。
プレースタイルが中田に近い小笠原が「代役」として選ばれたわけだ。

三つ目は中村の怪我。
これがおそらくトルシエにとって中村を落とす最大の「口実」になったと思う。
ファンの間では中村待望論が多く、トルシエは最後まで悩んだだろうが、
この怪我で(怪我の大小に関わらず)決断できたのではないだろうか。

しかし。・・・残念。
俊輔のコーナーキック、フリーキックの精度は、中田や小野のさらに上をいくと思うからだ。
しかし、まあ三都主もいるし、セットプレイのキッカーで悩むこともなかろうが。
レアル・マドリッドへの移籍話も立ち消えになったし、
俊輔にとってはくやしい年になってしまった。

あと、代表に選出された23人の中で、中山はともかく秋田には驚いた。
ノルウェー戦での中沢と比較して決めたのかもしれないし、
対ロシア戦でもしかして4バックにして戦うことなども想定してのことかもしれない。

それから久保も無念だろうな。
高原の欠場でチャンスが回ってきたのに、結果的に中山に負けたことになるのだから。

とにかくメンバーも決まったのだし、次の試合では良い試合を見せてほしい。


5/11

時々「俺はアホなのではないか?」
と思うときがある。

昨日、今日と朝の5時すぎまで、ご来光が近くなる時刻まで
あずみ」(小山ゆう)を読み返していた。

じっくり読むと面白いのだ。
とてもよくできているのだ。
で、ついドラマツルギーの妙を考えながら
一人唸り、感心しながら
「あずみ」を読んでいた。

感情表現が素晴らしい。
死に直面する状態でのキャラの表情や心の動きが丹念に、
しかも非常に高度な「記号」でもって分かりやすく示されている。
エンターテイメント性と本物のドラマ性、それも生死込みの極限のドラマを
見事に融合させ、両立させているのだ。
普通ならこの残酷描写により目も当てられない作品になるはずなのだが、
それを主人公の「菩薩」的な無垢さと「女性」としての繊細な感情描写により
読者を引き込ませることに成功している。

死に行くキャラにまでその人物の生活背景と感情をもたせ、
けっしてただの死に役Aに終わらせないやりかた、
つまりすべての人物に「人生」を持たせる物語構築。
これは書き手として非常な苦痛をともなうものなのだが、
それを見事なまでの冷徹さで遂行している作者、小山ゆうは凄い。
「おーい竜馬」を描いてから何かをつかんだのか、ここまでの場所に到達するとは。
何しろ作品を描いていて自分でキャラに感情を込め、その人物になりきり
自分の人生としてそれをを思い、のめりこみつつも
物語としてまことにあっさりと、ある意味潔くそのキャラを殺す。
この苦しさは同じ物語を描く人間としてよく分かる。
それをここまでバサバサとやってゆくのは、ある種のマゾ的爽快感とも言えるかもしれない。
それが見ている側には非常に複雑な気持ちを起こさせる。
「まさかこのキャラがここで死なないだろう」というのを「あずみ」ではあっさりと裏切る。
しかもその死は唐突であるが、ぐっと見るものの心を鷲づかむように深く、
死に行くキャラの想いと人生をともなって読者へと届くのだ。

物語としてのダイナミックさは、それと同時に事象としての「死」を考えさせ、
死に行くキャラの断末魔の思いと無念を見るものに感じさせる。
それでも尚けがれない主人公あずみの純粋さに我々は美とはかなさを見る、と。
まさにこれは「血と菩薩」のまんがである。
この物語のラストがいったいどういう結末となるのか
まったくもって分からない。
おそらく・・・
いや、やめておこう。
「その時」はいずれ来るのだから。



5/4

早いよ。

こんなに暖かくなってるし。

明日はラプソディのライブだ。

Time passes quicklyってやつだ。

呆然としている場合ではないのだが

春眠が不意に襲う。

ほのぼのと何もせずうとうとしていたい。

そんな場合ではない。

と10分後叱咤する自分の声が。

私は途上にいる

だからか。

結果よりも過程

そう言える時代は過ぎている。

さて、やろうか。

HAPPY THE MAN

その皮肉めいたバンド名を

私はかみしめていた。


4/15

みんな同じ統一されたものを求めすぎる。

同じ価値観の相手
同じ雰囲気のもの
似通ったもの
分かり合えそうなもの

安心したい気持ちは分かるが

うわべだけの似たもの同士
うわべのサークル
うわべの小社会
そりゃ、似ていれば楽だしね

自分の暗黒を見るのがいやなの?

調和と統一もいいけど
たまにはエキセントリックなものもね

ぜひおためしあれ
眉をしかめる前に


4/12

昨日は親父の三回忌だった。

亡くなった者はもう変わらない。
変わることはない。
残された者の、記憶の中で存在し続けながら

ここにいる我々は、時の流れの中に身をおき、やがては少しづつ変容してゆく。
変わってゆく
心も体も。そして想いも。

元には戻らない。

変わってゆくこと。戻れないこと。

それが「生きている」ということなのだ。


3/29

「赤毛のアン」(NHK BS2で水曜の18:30〜)は実に素晴らしいアニメだ。
本放送当時は見ていなかったが、年齢を経た今見ても尚、実に良くできた作品である。

主人公アンの目を通して物語は進むが、作品中ではアンのみならず大人のキャラクターの成長も描かれており
脚本と演出において、ごく自然に少女アンの視点と大人のキャラの視点との両方で物語楽しめるようにできている。
アニメーション的にも細やかで、動作や表情などにより人物の内面の感情を映し出す手法が素晴らしい。

また、7話にしていまだ登場人物は3人というのもある意味で凄い。
二人だけの会話がえんえんと一話にわたって続く回もあり、この饒舌な脚本がそれだけで世界を描き出している。
今のアニメ作品のように数多くのキャラをを出さずとも、物語は成立するのだ。
ダイナミックさやスリルがなくとも「人間」をちゃんと描くことは、そのままドラマたりえるのだ。
あらためてそう思い知らされている。

宮崎駿、高畑勲コンビが冴えを見せた好作。
こういうアニメを見て育つ子供たちが増えて欲しい。


3/8

ようやっとADSL開通!!
夢の8メガ生活。速っ。さすがアナログとは段違いのスピード。
HP容量も増えたし、現在移転作業進行中。
まずは最近聴いたCDレビューの画像を増やして、と。
今月のお奨め曲とかも何曲かのっけられると思います。ご期待を。

それにつけても花粉症の猛威はさらに増大し、
目のかゆみ、くしゃみ、鼻水、などによる生活苦は深刻化しております。
本来「春」といえば古来から心躍る季節だったはずが・・・
いつからこのように「心躍らぬ春」を我々は持つようになったのか・・・って
ようするに戦後の緑地計画とやらでやたらめったら杉の木を増やしたことと、
排気ガスによる深刻な大気汚染があいまって、この「現代病」を完成させたわけで、
やっぱ悪いのは人間なのだったー。
杉に罪はない・・・んですよねー。あうう・・・


3/2

気づけばもう三月!
F1もJリーグも開幕。K1も明日開幕だ。
今年のF1は佐藤琢磨に、トヨタ参戦と見所たくさん。
不動の本命は名実ともに歴史上最高のF1ドライバーとなったシューマッハ。
そのフェラーリの牙城に迫る一番手はウィリアムズか。
弟ラルフ・シューマッハ、そしてモントーヤ。この二人の能力はミハエルに匹敵する。
去年新人だったキミ・ライコネンも今年はマクラーレンに移り、さらにぐっと来そうだ。
佐藤琢磨のジョーダンは、フェラーリ、ウィリアムズの二強+マクラーレンに続く4番手くらいのところか。
なんにしてもイギリスF3チャンピオンという日本人過去最高の肩書きをもってデビューする彼に
ファンとしては大いなる期待を寄せずにはおけない。

それにつけても、花粉症!
去年はそれほどでもなかったのだが、今年は来た。
鼻が、喉が、目があぁ〜。
つらい季節の到来。
特に寝ているときの目のかゆみは嫌なもの。
あまりこすり過ぎると目が傷つくし、でもかゆいし。
どなたか特効薬知りませんか〜


2/14

「プライベートライアン」という映画をご存知だろうか。
私は映画はTVでチェックする方なので、先週だったかにこの映画を録画した。
先日録画したものを見たのだが、30分ほどで見るのをやめた。
恐るべき完成度の素晴らしい映画であることが、分かった。
これは今見るべきではない、そう思った。
と、いうのは私は現在とても繊細な小説を書いている最中である。
このようなものすごい刺激的な映像を見てしまっては、それに影響が出てしまう、
そう決断した私の判断はまことに正しかったと思う。
それだけの、これは映画であることが30分見ただけで分かった。
映画の内容は第二次大戦の戦争をテーマにしたもの。
圧倒的な現実性。臨場感、残酷に繰り広げられる「死」の描写。
思わず息を呑み、目をそむけたくなるほどの、それは克明な「戦争」という「地獄」の記録であった。
そうだ。これが「死」なのだ。
これが「戦争」なのだ、と思わせる現実感がそこにはあった。
まだ全編を通して見ていないのでこう断定するのはどうかと思うが、
これこそが「本物の戦争」を体験するのに「限りなく近い」、戦争の残酷と死を人に伝えることが出来る作品である、
そう思えた。
じっさい、映画に出演した俳優には本物の軍事訓練をさせたというほどのこだわりよう。
「シンドラーのリスト」以降のスピルバーグの写実主義には感嘆すべき徹底したものがある。
無論それは本物の「現実」ではない。映画としてのドラマとストーリーがあるのだが、
それをこうした「虚構としての現実」と両立させる手腕には賛嘆を禁じえない。
これは「最低の現実」にさえなり得る(最大の誉め言葉)作品だ。
たいがいの作品はどんなに素晴らしくてもそれは「最高の虚構」どまりだ。
写実とドラマとを見事に融合させたスピルバーグの作品は、「限りなく現実に近い虚構」である。

冒頭のノルマンディー上陸の場面の凄まじさ。
血が噴出し、内臓がはみで、手足が吹き飛び、泣き叫ぶ兵士たち。血に染まった海岸。
こうしたショッキングな死の描写は、最近のパソコン世代の少年たちにこそ見て欲しいものだ。
現在、テレビやアニメ、ゲームにおける描写はディフォルメと洗練の一途をたどっている。
スタイリッシュで無駄がなく、上辺だけは綺麗なもの。美しいCGや効果的なアニメーション、
そうした「作られた世界観」ばかりが表面化している昨今。
メディアには「本物の死の描写」が薄れ、かえって人々は「残酷なもの」を見ないようにと
努めているようにさえ思える。
死や残酷性を直視することなしに、ゲーム感覚、アニメ的なディフォルメされた「死の記号」を
それが実際の死であると勘違いすることは大変に恐ろしいことなのだ。
スピルバーグの提示したこの映画における戦争の地獄は、そうした「記号化された死」への
アンチテーゼであるかのようだ。
「プライベートライアン」における、この画面から伝わる強烈な死。
目をそらすことなく作品を見れば、我々は「戦争」と「死と生」というものをもう一度感じ、考える機会を得ることになる。
これはそういう作品だ。
小説が書き終わったら、じっくりと鑑賞しようと思う。
「メメント・モリ」という言葉を心に思い浮かべながら。


1/31

久しぶりに自分の写真をとってみました。
私はそうめったに自分のはとらないのですが、まあ1年に1度くらいはいいかな、と。

現在の自分。
私は自分のアルバムなどはもっていませんし、過去の写真を見なおすこともほとんどありませんが、
ときどき鏡を見て、自分の目がまだ死んでいないことを確かめたりはします。

そして「自分はまだやれる」と暗示をかけるように思うことで
私はまた強くなれるのです。


1/26

この一週間ほど、いまだかつてないペースで原稿を書いている。
何かがのりうつったとしか思えぬ。

気がつくと夕方になり部屋はうす暗くなっている。
そして手元には原稿の山が。

久しぶりに自分が怖くなった(どっちかというと負の意味で)・・・


 1/2

新年になりました。

が、世界の問題はいまだ解決などしておらず、国内でも経済的にも引き続き厳しい年になるでしょう。
デジタルやネットワークの日進月歩の進化には目を見張るものがあり、それに伴う諸問題は
そこに身を置く我々にとって今後ますます深刻なものになってゆきそうです。

だって、ウイルス!! 
なんと最近多いことか。
こうしたウイルスなどによる迷惑メールというのは、
無差別かつ匿名性のある悪意であるという点で、小型のテロとさえ言っていいでしょう。

テロは人々を恐怖させるだけでなく、人類のテクノロジーの進歩を阻害し、
まったく無益な回り道をさせ、時間を浪費させる、いわば退行と破壊をもたらす攻撃です。
「許せない」のは当然として、そうした悪意をばらまくことは、結局人間すべてを、
つまり悪意をまいたその本人すらもいずれは阻害することになるのだ、ということを自覚するべきです。

ウイルスのために壊されたハードディスクは、全世界でいったいどのくらいにのぼるのか。
部品のリサイクルにも限度があるでしょうに。
資源の無駄遣いと燃えないゴミの肥大化という点だけでもこれは許されざる行為です。

ウイルスソフトとブラウザのセキュリティ性能を上げてゆくという点では、
彼らの役割はそれらを供給するソフト会社への貢献といえなくもないでしょうがね(皮肉^ ^)。
しかしそれらは本来「無駄な産業」であるべきなのです。
そんな暇があったら世界平和と、しだいに住めなくなるこの地球の環境問題、
あるいは月、火星へのテラフォーミング、豊かな教育への取り組み、増えすぎる車の処理、
その他もろもろのために頭を使い、人材と資金を集め、時間をさいて取り組むべきなのに。

我々は自らが作り出したいまだ全貌の分からぬネットという洞窟に逃げ込み、
つかの間の喜びと、あるいは得たいの知れない恐怖とを味わい、
神経をすり減らし、好き好んでストレスを貯めています。

くだらぬことはよせ。
文明の停滞をうながす迷惑なテロはやめろ。
ウイルス。
それはコンビニのウーロン茶に毒を入れることであり、なべの中のカレーにヒ素を混ぜるのと同じことである。
あなたは犯罪者だ。
テロもウイルスメールも通り魔も、飲酒運転のトラックも、みな。
凶器であり、狂気のさただ。
マウスをクリックしてミサイルを撃つのは誰だ。
人類の敵となるということは、その自らをも含めた破滅を望むことに他ならない。

人を巻き込むタナトスを好む暗黒の精神。その醜さを知れ。
戦うならその手を返り血で汚すべきだ。
悪意は名を名乗れ。その勇気があるのなら。


うーん。
これはけっこうカッコイイエッセイかしら。ふふ。
なんかウイルスメールに腹が立っていたもので。
馬鹿者へひとことでした。

でもウイルスメールの根深さというのは、それを送信した者が犯人とは限らないということでしょうね。
コンピュータというものの特性を生かし、プログラムにより登録アドレスに勝手に毒をばらまいて、
私たちを知らないうちに「加害者」にも仕立て上げる。
「被害者」でありながら「加害者」としての恐怖も味わうというのは、
まさしく「ハイジャックされ自爆テロにおもむく飛行機の乗客」と同じです。
こんな卑怯で非道なやり方には、怒りを通り越して悲しささえも覚えてしまいます。

我々人類はいったい何度自分で自分の首をしめねば気がすまないのか。
これがもし「レミングの自殺」同様の一種の自衛的現象なのだとしたら、
我々の世界はどうにもならない所まで追い詰められているということになりますね。


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