最近のこと 2001年度 
 

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01/01/30

インターネットの普及。
それはつまり「知る機会」が増えた、とういうことだ。
数々の検索サービス、膨大な量のホームページ、
およそあらゆる情報がこの電脳世界には散らばっている。
重要なのは、それを利用する側が、いかに「目的意識」をもってそれらを活用するか、なのだ。
なんの目的もなくただ、ネット上をさまようだけでは、単なる時間の浪費にすぎない。
いかに知りたいことがあるか、そしてそれがなんなのか、
あるいは自分は何に関わりたく、どんな情報を得たいのか、
それらをきちんと念頭におかなくては、
結局はドラクエの経験値かせぎと同様、人生の貴重な時間を無駄にすることになる。
知りたいことは何か そしてそれを知った後どうするのか
それが有効な情報活用に必要な意識だと思う。
重要なのはつねに「良質な質問」を投げかけること。
そして答えはどこかにある。
良質の解答を見つけ出すためには、
自分の質問の質を高めるのが先決だ。


01/02/06

寒い!肩こりがひどい!おまけにそろそろ花粉の季節!
ぎゃあぁ〜っ。

夏も冬も、徐々に過ごしにくくなる。
これは私が年取ったせいだけでもあるまい。
やはり年々気候が、温暖化が、空気汚染が、さらに食べ物の栄養値が悪化しているせいだっ。
ビタミン剤の摂取量が増え、反比例して野菜の質が落ちてゆく。
近未来は錠剤食が基本になっても、これでは当然だ。
加えて、夏の暑さが人を狂わせ、冬の寒さが人をすさませる。
変わらずにときは流れ、我々は老いてゆく。
パワーが欲しい。
もっとパワーを!
なにものにも負けず、力強く立ち向かうパワーを!

・・・とりあえず、野菜ジュースは毎日飲んでます。(食塩無添加)


01/02/15 

夢日記第3弾掲載!
いやあ・・じっさい、この1991〜1992あたりが最も夢日記を書くのに情熱を燃やしていたころです。
ほとんど毎日書いてました。
起きた瞬間に、忘れないように即座にノートを開き、30分以内に書ききる、と。
それをすぎると詳細を忘れてしまうので。

夢の記憶はとてもデリケートで、起きてトイレでもいこうものなら、すぐに細部が抜け落ちて忘れてしまうのです。
当時私は、こんな面白くすばらしいものを忘れるなんてもったいない!と、夢を記憶することに全ての努力を払っていました。
なにしろ、見た夢をノートに書いたつもりが、「夢をノートに書いた」という夢を何度もみたほどでしたから。
ですから、私の夢日記はほとんど想像や注釈を加えてはいず、見たときそのままの形で記録されていたわけです。
このHPにのせているものは、その中のごく一部、
とりわけ面白かったり、アヴァンギャルドだったり、高度な想像で唸るようなものを選んでいるのです。
ストックはまだまだあります。ただ文字を打ってここに載せる作業が追いつかないのです(笑)

ただ、最近・・・ここ2、3年くらいは、めっきり記録することが減りました。
確かに夢は見るのですが、すぐに忘れてしまったり、記録することがあまり楽しくなくなってきたからです。
私自身の精神が以前よりよほど落ち着いたからなのか、
見る夢も以前に比べれば、破天荒さがなくなり、リアルなものが
多くなったようです。(それでも多分普通の人よりはよほど異常でしょうが)
それは悲しいことかもしれませんが、今の私にとっては夢よりも現実に小説を書くほうがよほど大事に思われるのです。

ですから、以前は一年間でノート一冊分以上はつけていた夢日記も、今ではVOL6からはさほど増えていません。
ちなみに今回のせた夢日記3はノートのVOL3のはじめの方までです。
読み返すと、残酷なものや、異常なもの、いやらしいもの、感動的なもの、等々
色々あって楽しいですが、反面夢の中の自分に対する文句や不信感なども覚えたりします。
私はあまり自分自身が好きではなかったのでしょうか。
夢の中では、色々な人物、まんがのキャラ、男にも女にもなったりしました。
最近ではそういう「なりきる」夢はあまり見ません。
ということは、私が、やっと私を認め、好きになり始めたからなのかもしれません。
なんにせよ、しばらくこの夢日記の編纂は続きます。

十年前の夢をこうして今自分のHPに載せることになるとは、当時は思わなかったことでしょうね。


01/02/21

うる星やつらDVDBOX1」を買ってから、毎日寝る前に一話ずつくらい見ている。
日本が誇るアヴァンギャルド、プログレッシヴアニメの金字塔。
後にパトレイバーを手がける押井守、伊藤和典、キャラ面では高田明美、もりやまゆうじなど、層々たるメンツ。
破天荒で実験的な演出の数々。無論今見るとつまらぬ愚作も話数によってはあるものの、
つぼにはまった作品に関しては抱腹絶倒確実、笑った後に「恐るべし・・」となる。

とくに豪華絢爛な声優陣、その中でもひときわ異彩をはなつ千葉繁の存在感は絶大だ。
原作にはなかったアニメのみのオリキャラ「メガネ」
独特の啓蒙思想を持ったこの場末のザコキャラにここまでの命を吹き込んで見せた。
話数を重ねるごとに、そのどう考えてもアドリブとしか思えぬエセ理論を説く意気込みも調子づき、
ますます切れ味鋭くなってゆく。
ここまでの台詞をはくキャラが、じっさいまったくなんのとりえもないただのザコキャラである、という事実に驚愕する。
ヤマトの「佐渡酒造」ですら医師としては有能だった。
おそらくこの作品を演ったからこそ、千葉繁は己の内なる才能を開花させたのではないか?
マニアックな話題になったが、なんにつけても「うる星」はすごい。ということだ。
原作とは別のカオス、ブラックホールを感じる。
まんがを離れて一人歩きし始め、その上スタッフのセンスと意気込みで、
これほどの不可解かつプログレな作品が誕生したという例は、日本アニメ史上かつてあるまい。
21世紀の今、これを前世紀の遺産として語り継いでゆこうではないか。

・・・はあ、後期BOXでまた金が・・


01/03/02 

昨日「寺山修司仮面画報」と、エッシャーの画集を買った。
エッシャーはいわゆる「だまし絵」。あの水が下から上に流れてゆく図は有名だろう。
しかし私はどちらかというと「正則平面分割」の方に感動を覚えた。
ようするに平面に同種の絵を、無駄な空間なしに幾何学的に配置したものだ。(下図)

エッシャーはたくみにこれを応用して、さまざまな絵図をそこに描いた。
それは見ているだけで、そのシンメトリーの計算しつくされた絵図への畏怖さえも覚えるものだ。
恐るべき研究と、角度、幾何の勉強がなくてはたどり着けぬような。
偶然では決してできぬような。それは見事なものだ。しかもこれが木版画だというのだから。
一枚絵を見ていると、それに見入り、トリップしてゆくような感覚さえ覚える。
後年のだまし絵もそうだが、これはひとの三半規管さえも「だます」時空を平面上で曲げてみせる芸術だ。

寺山修司の方は、摩訶不思議な前衛劇団「天上桟敷」の事柄をメインに、
異常写真、絵図、散文などカラーページ満載の本。堪能した。
天上桟敷、かつては海外公演も頻繁にこなしていたこの前衛集団、その劇のタイトルだけでも実に奇妙奇天烈。
「阿呆船」「青森県のせむし男」「大山デブ子の犯罪」「身毒丸」「盲人書簡」等々
本の中では、それ以外にも発明機械や遊戯なども紹介されていて、一番面白かったのが「密通チェス」
これは通常のチェスの駒の代わりに、「主人」や「奥様」「書生」「猫」「家庭教師」などの駒があり
相手の奥様を奪えば勝ち、というまことに不道徳なゲームだ。なんと実物の写真まである。
本当に駒の人形を一体一体作っていて、そのルールも細かく載っているのだ。
「猫」の駒の気まぐれな動き、「家政婦」の駒の運動量の多さ、素早さには笑った。

寺山修司が生きているうちに、1度劇を見に行きたかったものだ。


01/03/06

とてつもなく恐ろしい夢を見た。
ひどくリアルかつ絶望的。これだけのものは久しぶりだ。
記録しようとしたが、話の展開がどうもあやふやで文章ではこの感覚的な恐怖は伝わらぬだろう。
こんな感じ。

主治医の脳外科医が私を強引に手術。私の記憶中枢を変革。後頭部に四角くメスを入れられ。
その後ビデオ屋へ。店員が私に「あなたはいつも適当に選んで買う」と文句。5本買って店を出る。
見上げると空に巨大な影。モスラ(羽つき)のような巨大怪獣。九十を越した老人の私。思うように歩けない。
介添えをする妻。怪獣が歩くたび、コンクリート片が飛び散り、路上の車が横転。破片がぶち当たり、私の左腕が折れる。
その後横転した車にはじきき飛ばされ全身打撲。妻ともはぐれる。
逃げ惑う人々。町中破滅におののく。老人の私、よぼよぼとかろうじてシェルターへ。

・・ギャグではないです。マジに。質感と重量感をともなっていて、じつに恐ろしかった。
はっと、目が覚めたとき。思わず「助かった!」と本気で思いました。
いやはや・・・


01/03/15 

わーい。「はいからさんが通る」再放送!NHK/BSえらいっ!
しかし、1978ですか。そんな昔だったのかこれやってたのって。年とるわけだ・・・。
「冬星」さんは私のPNの由来です。ちなみに「緑川」は「エースをねらえ」のあの方より


01/03/20

ライブまであと5日っス。
花粉症は悪化の一途をたどり、現在ピーク。目鼻喉ともにやられ、鼻水とのどと目のかゆみにもだえています。
次回からこの時期のライブはやめようと決意。
今書いている小説で新たな局面を迎え、長年楽しみにしていたキャラになりきることになる。
しかしあまりに複雑かつ情緒の激しい人物ゆえ、今の状況ではなかなか同化できない。降りてこない。
このダウナーな状態で最も激烈なキャラになるのはひどく大変だ。
でも主役の一人だからなんとかなりこなさなくては(奇妙な表現?)。


01/03/29

「アルジェントソーマ」
(テレ東木曜の深夜アニメ)は実に良く出来ていた。
感動的でドラマチックな部分が少々あざとくもあったが、裏を返せばそれだけ
エンターテイメントとしての作りこみが意識された作品だったともいえる。

難を言えばシナリオ上の演出過多の部分や、上官のセリフなどに過分な知性的な言葉を練りこみすぎて
「知性を武器に」しすぎるきらいもあったが、おおむねそれらは許されるべき範囲である。

細かな時間の倒置、キャラの二面性など、ドラマとしては「エヴァ」の方法論を踏襲しつつも、
あえてそれを反面教師とした部分も見える。
それは、ドラマとしての分かりやすさ、最終話までの作りこみ、
そして希望をもたせた世界観、というところに反映している。

また下手をするとシリアスになりすぎるテーマを上手く料理、
テレビとしての過剰すぎる描写を避けていたことにも作り手の配慮がうかがえる。
そこには芸術はないが、多くの人々に好感を抱かせる細かな作りこみ、
つまり娯楽の精神が確かにあるのだろう。

刺激的な描写の深夜アニメが増える中、こうしてあえて一線をもうけて、
その範囲で最大限にドラマを生かすという姿勢は評価に値する。
王道的なハッピーエンドを、軽すぎず、クサすぎずに、センスよくまとめた作品といえるだろう。


01/04/09 

今日はチルドレンオブボドム、ダークトランキュリテイのライブに行ってきました。
久々のメタルライブ。3時間立ちっぱなし・・・つらかったです。

で、ライブの方は、ダートラについては特になにもないです。あまり悪口は言いたくないし。
しかし、チルボドはやっぱ上手いわ!歌いながら時折複雑なフレーズを的確に弾きこなすアレキシは無論のこと、
テクニカルに弾きまくるキーボードのヤンネ(若くてハンサム)も、ベースも(5弦)も、
ギターの片割れも(太めの巨漢)みなプロです。
特に驚いたのがドラマーの上手さ。アルバムだと軽めのドラムでそれほどとは思わなかったのですが、
ライブだとスネアの一音、タムの一音、そしてバスドラも、くっきりパワフル。
ダートラのドラマーの約3倍ほど手数が多く、音が力強かったです。

いやあ、演奏力はデス、ブラック界トップでしょう。
ただ「デス」というにはあまりにメロディックな音楽ですが。
再来週はクレイドルオブフィルス。また立ちっぱなしです。・・・疲れそ・・・。


01/04/22

今日はクレイドルオブフィルスのライブに行って来ました−。
渋谷クラブ クワトロ。オシャレなファッションビルでブラックメタル!ちょっと場違いなような気も・・・
演奏の方は楽しめましたが、歳のせいかスタンディングライブに疲れました。
友人のMatsumotoくんに写真とってもらいました。


01/04/29

日記形式のバンドもの小説ヴァールハイト」載せました。
言うまでもないですが、これはすべてフィクションで作中の人物は私とは無関係ですし、当然実在しません。
虚構と現実のはざま。HPの特性を生かしてこんな作りにしてみました。
時々メンバーの言葉が更新されてゆき、読んでゆくうちに少しづつキャラの性格や日常などが
思い浮かべられるようになれば、小説として成立したことになるのでは、と思います。
ときどき覗いてみてください。
小説のコーナーへ


01/05/09

「学園戦記ムリョウ」はすごいね。
いや、火曜の18:30〜NHK BS11で始まったアニメだが。
オープニングから「おっ」と思ったが、本編を見て非常に感心した。
内容は「エヴァンゲリオン」以降はやりの宇宙人侵略物。
しかしそのクオリティたるや。とくに細かなディティールとリアリティはエヴァの上をいっている。
ザコキャラにいたるまでの綿密な性格設定が素晴らしい。
着ている服の趣味から髪型、話すセリフまで、ちゃんとその人物の性質を慮って考えられている。
さらにシナリオ、背景画、世界設定にいたるまで、あらゆる角度で緻密に構成されている。
見事である。しかも雰囲気は話のへヴィさに比して明るくたのしい陽性なのだから。
まだ1話なので、いちがいに傑作といいきれないかもしれないが、
これほど作りこまれたディティールがあるからにはそうポカは出まい。
なんにしても久しぶりに「見る価値のある」アニメが始まったわけだ。
すごいね。マッドハウス。


01/05/19

今日はウリ・ジョンロートのライブに行ってきました。東京厚生年金会館。
目の前で繰り広げられるスカイギターの乱舞に感激。
スコーピオンズ時代の曲から、最近作、さらにビバルディの四季などのクラシックものまで幅広く披露。
アンコール二度を含む2時間半の熱演でした。
ウリのギタープレイはもちろん素晴らしく、時代を超えた音色を感じました。。
また、フェアウォーニングのトミー・ハートも数曲でその素晴らしい歌唱を聴かせてくれました。
さらに、BOW WOWの山本恭司もゲストで参加、ウリとのギターの掛け合いさすがの一言。
キーボード、ベースも実力者でウリのギターをメインにバランスをとりながら土台を作っていました。
実に格調高いロックを堪能したひとときでした。


01/05/25


おなかがいたいの。
ただの人。

つまりは
アイスコーヒーの飲みすぎ。
暑い日のときはね
気をつけないと。

どんなに自負心が強くとも
腹痛には勝てぬ
ただの人

たまの苦痛もよいか
小さな辛さで思い出すこともね
無力を楽しむ
ただの人

風呂に入ろうとしてやめた
もう寝る。が
腹巻が欲しい。

おなかがいたいの
ただの人


01/06/08

グインサーガ79巻を読んだ。
動きだしましたねえ。20年目ですか。次は80巻。
私がこの長大な物語を読み始めたのが高校3年のころ。
たまたま学園祭の準備期間で、ヒマだったときに学校の図書室で読み始めてからすっかりハマリ、
翌日からもらっていた昼飯代の500円で文庫本を毎日買っては一心不乱に読み、
当時出ていた29巻をきっかり29日で読み通した、という記憶があります。
それから10年がたち、この物語はいまようやく佳境、というか、いよいよクライマックスの「始まり」を迎えようとしています。
その間自分でも小説を書き始め、まんがも書き、巷ではパソコンが普及し、ついにこのようにインターネット
という新たなこ表現手段を人は常用するまでになりました。当時は考えもつかなかったことです。
時の流れの速さ、光陰矢のごとし、という言葉がしみじみと去来しますね(じじくさ・・)。

それにしても今日の大阪での事件・・・。小学校での惨殺事件・・・。
あまりにも残酷、かつ身勝手。「死刑にして欲しい」と、道連れに子供たちを、とは。
近頃はネットでの「出会い系」サイト関連の殺人も起こり始め・・・、自己本位の殺生が目立ちます。
今後はこのようなより「時代的」な事件が増えてゆくのでしょうか。
ネットワークは広がっても基本的に我々は「孤独」であり、勘違いや思い込みの触れ合いで
友人、恋人になったつもりでいても、それはすべてはオンライン上の接触にすぎず、
互いの意思は、やり取りする文章に反して、全く通っていない、という状況もあるわけです。

我々は今後何を見、何を体験してゆくのでしょう。
恐怖すべきなのは、時のながれではなく、それに翻弄され、時代に巻き込まれてゆく我々、
進歩するデジタルという「道具」を逆に信じすぎたあやうい個人の、その心と体のありかた。
世の中にあわせて常に変容をせざるを得ないが、しかしうまくいかず「適応しそこねた」精神なのかもしれません。
そしてそれは、他人事でも、単なる狂人のものでもなく、私たち「すべての」人のなかに含まれる葛藤であるともいえるのです。


01/06/18

プログレのページをリニューアルしました。
マイナーだけど、音楽は素晴らしくぜひ知って欲しい、というバンドものせました。
これでよりマニアックなプログレファンにも対応。
ただ、 HP容量のせいもあって全バンドの画像を載せられないのが残念ですが。
あとTOPページも変更しました。こちらは毎月私のお気に入りバンドのジャケを飾る予定です。

さて、プログレ・・つまりプログレッシヴロック=進化するロックのことですが、コーナーでは
メロディとリズムを追求した高度かつ純粋、しかも芸術的で素朴、ダークなのもハッピーなのも、
クラシカルで壮大、しかもポップ、という数々の素晴らしいバンドを今後も私の知る限り紹介してゆきます。
コメントに関しては私の感性、趣味によるところが大きいので、異論のある方もいるかもしれませんが。
なにか言いたいことや、このバンドも忘れるな、という声がありましたら、メールなり掲示板なりによろしく。

私は基本的にメロディック&シンフォニックな音楽が好きですので、レビューもそれ系のバンドが多く、
ジャズロックやサイケデリック系は弱いので(フランスのマグマ、ゴング、ドイツのアモンデュール、アシュラテンペル等々)
のっけていない主要バンドもあるかとは思いますが、ご容赦を。未だプログレ探求中の身です。

さて、プログレとひとくちにいっても、私の好きなシンフォニック系から上記のジャズ、サイケ、または室内楽、クラシック系、
アヴァンギャルドにプログレメタル、アニメ、ゲーム系、はたまたトラッド、フォークなどさまざまです。
しかし共通するのは、どれも「売れ筋ポップス」や「ダンスミュージック」では味わえないもの、
つまり純度の高いメロディや、複雑なリズム、過剰なほどのドラマ性、内面的ナイーブさ、逆に攻撃性や暗黒、
つまり人間のもつ感情、精神が、音という形をなして表されているという点です。
それは売れること、メジャーになることを意識せずに作り手が純粋にその人間性を発揮した「本物の瞬間」であり、
また音楽という表現手段、その可能性への挑戦であるともいえるのです。

私がプログレに今後も未知の可能性を感じるのはそれゆえであり、
心地よさ、感動、感嘆を感じるのもそれらバンドの音に真摯な姿勢を感じるときであります。
純粋なメロディに酔い、テクニカルな超絶アンサンブルに唖然とする楽しみ、
それがプログレッシヴということ、つまり「人間」の音楽である、ということなのだと思います。

堅い話になりましたが、もし興味を持った方がいたら難しく考えずにまずは聴いてみてください。
もし私の紹介したアルバムの1枚でも聴いたなら、それらが理解できることと思います。
はあ・・・疲れた。指が・・・。あとは小説も更新しないと。


01/07/04

なんとなく久しぶりに「H2」(あだち充)を読み返した。
これが、じつに面白く、つい一気に20冊近くも読んでしまった。
細かく、ゆっくりとコマやセリフを見ているといくつも新しい発見があった。
とくに、会話における言葉の「遊び」と背景のコマの意味付けにはとても深いものがある。
微妙で絶妙、それらは演出の芸術ともいうべき地平にまでいっている。
マンガとしての完成度、ってやつだ。すべてのコマや絵に意味があり、すべてを効果的に使いこなしている。
コマのつながり、連動、セリフ中の伏線。そしてさりげなくクールな「答え合わせ」。
それに気づくと、思わず読んでいてにやりとする。
話だけを追えば、じつはセリフ量が少ない分さらっと読めるのだが、
じっくりとキャラの心理や、そのときに言うセリフや表情を感じながら読むと、
これがみごとに「入り込める」深さをもっているわけだ。
とりわけ「おさえのきいた感情表現による、感動の描写」はぴかいち。
くどくないし、大盛り上がりの記号が薄い分、逆に「静かな劇的さ」に唸り、ぐっとくる。
いや、すばらしいね。ここまでの表現手段がマンガにおいて可能というのは。


01/07/17

毎日暑い。
やはりこれも地球温暖化のせいか。
科学的根拠に基づくデータによると100年後にはさらに6度も気温が上がるらしい。
てことは夏は40度はあたりまえ?外出禁止令とか出るのだろうか。
我々の子孫はそれまでに火星に移り住めるのだろうか。せめて避暑にぐらいは。

ともかく、風呂上りのビールがうまい。
気に入りはエビスアサヒスーパーモルト(サントリーモルツじゃないよ)。
発泡酒など!麦芽100パーにかぎるのだ。
アニメは「学園戦記ムリョウ」!この面白さ、緻密さ、最高(守山那由他 LOVE!)。

この1週間ほどで小説150枚以上書いた(原稿用紙換算)。
いままでにないハイペース。
ゲームはやらないし、ネットは一日15分平均。
夜3時に寝て昼11時に起きる健全な(?)生活だ。


01/07/19

テレ東の深夜アニメ「NOIR/ノワール」を見ているといつも不安になる。
「これでいいのだろうか?」と。
私が思うに、この作品は少なくとも「万人の目に映る可能性のある」地上波TVには向かない。

まずいっておくが、作品の質それ自体は高い。
センスのある脚本や、音楽、背景のヨーロピアンな情緒。
感情表現をなるたけ抑えたクールなキャラ描写。
いずれもが独自の世界観を描き、殺伐とした「殺し屋」ものであるが、不思議な情感を感じ取れる。

私がこの作品に危惧するのは、その「殺し」における痛みのなさである。
主人公たちは女性でありながら殺し屋「ノワール」として裏社会に精通し、
大組織などとの抗争に巻き込まれながら、銃を片手に生き抜いている。
基本的に毎回ターゲットとなる「殺されキャラ」がいるのだが、彼らはまだいい。
そうしたメインキャラは「死」そのものがシナリオ上のクライマックスとなり、
その人物の思いや、過去、現在の立場などを浮き彫りにした後に「劇的に」殺されるわけだ。
しかし「その他」大勢の「ざこキャラ(主に黒い服を着た組織の三下連中)」にいたっては、
毎話、数人から多いときは10数人が、あっさりと撃ち殺される。
場合によっては数秒で10人くらい死ぬときもある彼らには、「人間」としての扱いはない。
ザコなのだから当然、ともいえる。またこれはテレ東や放送コード上の問題だろうが、
撃たれたキャラが血を吹き出すことは決してない。

血を流さず、見ていて心の痛みも感じない。
ザコだから。「人間」でもないただの背景、シナリオ上の「死に役」だから。
こうした手軽な「殺人の記号」が見るものに与える影響を、私は考える。
それは記号としての「死」であり、痛みも悲しみも、人間としての「生」の認識もない死である。
つまり、ザコキャラには過去も未来もなく、そのキャラが普段はどんな生活をしているのか、
妻はいるのか、子供は何人か、何が趣味で、好きな食べ物は何か、などは「必要でない」わけだ。
ただ死ぬためだけに適当に描かれ、撃たれ、血も流さず、「死ぬ必要」をまっとうして消える。
それは「記号」であり、本当の死ではない。
まあ、確かにテレビアニメで、血を吹き出したり、肉を裂かれたり、内臓がとびちったり、
骨が砕ける音がしたり、苦痛にゆがんだ顔が断末魔に変わっていったり、
という絵は使えまい。それらは残酷で、見るに耐えなく、直接的だからだ。
しかしそれが「本物の死」であって、
お手軽に銃でパンと撃ち、転がって倒れて二度と画面には映らない、そんな死は「死」ではない。

重要なのは、作品を見る側がそれを本当に「分かって」いるかどうかだ。
スイッチを入れれば、たとえ見たくもない人でも見てしまうテレビアニメにおいて、
こうした「アニメとしての記号的表現」の多用が、はたしてすべての視聴者にとって心地よいものかどうか。
少なくとも私は不快であった。
悲しみも痛みもないただの記号としての死など。
だったら内臓がはみで、血が飛び散り、「死」の残酷さをまざまざと見せてくれるほうがずっといい。
そして、これは私のものかきとしての癖であるが、たとえどんなザコキャラであっても、
そのキャラがどんな人間で、どんな性格をしていて、どんな生を送っているのか、と常に考えてしまう。
しかし、この作品においてはそれを考える材料は皆無である。
ザコはザコ。死ぬための背景であり、その他大勢、名のない「死に役、A、B」にすぎないのだ。

すべての死に痛みを。
たとえアニメだから、ゲームだからといって、主役以外を人とみなさぬやり方を私は好まない。
それだったら、苦しく、つらい、えげつなく残酷な死の描写をもっと。
少なくとも、1話30分で数10人が撃ち殺されても何も感じないよりは、痛み、苦しむ方がずっと健全である。

こう考えると「学園戦記ムリョウ」(NHKBS11 火曜18:30〜)はすごいなぁ。
どんなザコキャラでさえも、その背景にある生活が思い描ける。
それが世界観の深みであり、想像世界としての密度なのだろう。

死を描かなくても、生と死、それに時間を表現し、感じさせることはできる。
そして「本物の死」を描くのは、作り手もつらく、勇気と強さのいることだ。
しかしそれをやるのが「ものかき」であり、「創作者」の義務であるようにも思える。
小説を書く人間として、ぜひとも気をつけたい事項だ。


01/08/07

すでに次の小説のキャラデザができた。

何もしないでばんやりできる期間はそう長くはない。
ぼーっとすることは私にとって、今となっては罪悪に等しい、といったらいいすぎか。

とにかく、ぼーっとしているのは気分が悪い。
「なにもしない」のは「なにもできない」からだ。
それが腹立たしい。今できることは何か。
それを常に自問する。
結論は、とにかく「始めること」なのだ。
始めればおのずと「それが正しいかどうか」「この方向でよいかどうか」が判然としてくる。
修正は実践のなかで行えばいい。いずれ目標が明確になる。

急かされるように書く、というのは悪いことではない。
有限の時をどこかで認識しているからこそ、「もう始めなくては」と常に自分に叱咤する。
これを考えると学生の頃はなんと時を無為に過ごしていたのだろう。
「幸せな時代」というものが無知と無自覚の上に成り立つものなら、
私は二度と戻りたくはない。


01/08/15

アヴァンギャルド、プログレ小説「黄昏騎士」の4話UPしましたー。
よかったら読んでみてちょー。

でもなんか思ったより「小説っぽく」なってしまったような・・
もっと破天荒に「???」な感じにするはずだったのに。つい構築の癖が。

まともな(?)小説を書く合間に、気晴らしに書いているこのシリーズ。
次はいつになるやら。
小説・黄昏騎士

話は変わるけど、栃木の小学二年の女の子、見つかってよかったねー。
自宅の庭先で水遊びしていてさらわれるとは、なんとも恐ろしい。
いったい何が目的だったのか。犯人は男女二人組だということだが(その後男二人組と判明)。

兵庫の小1男子をポリ袋に入れて川に流したあれといい、
今や大人たち、親たちの方が壊れてきていることは間違いない。
こうした子供に向けられた歪んだ精神や虐待は、さらに増加しつづけていくのだろうか。

そうして、虐待され異常な状況下で育った子供たちが、
今後大人になり親となり、社会を支える側になったとき、
いったいどういう世界が出現するのだろう。
と思うと末恐ろしい。


01/09/11

やばいよ。
何が起こったんだ。
さっきテレビをつけたらアメリカの貿易センタービルに2機の航空機が突っ込んだ映像が。
航空機はハイジャックされ、乗客が乗ったまま突っ込んだという。
さらにペンタゴンにも。・・・まさかこんなことが起こるとは。
今後いったいどうなるのか。戦争になるのだろうか。
日本にいるとはいえ、人ごとではすまぬ事態になるはずだ・・・


01/09/12

昨日のテロ事件報道から一日たった。
事件に関する情報が増えるにつれ、その被害の大きさに慄然となる。
貿易センターに勤める日本人も、かなりの数が犠牲になっているようだ。
ハイジャックされて墜落した航空機には日本人学生も。

ペンタゴンでの死者は800名にもおよび、全体の死傷者は数千とも1万とも見られている。
ブッシュ大統領は、テロの首謀者、組織との徹底的な対決を表明。
実行犯がアラブ系のテロリストということは分かったらしい。
あとはそのバックにいるのがパレスチナかアフガンか。
どちらの国もそれぞれテロとの関与を否定しているが・・・はたして。

しかし何度見ても飛行機がビルに激突するシーンはショッキング。
特に2度目の激突は、多くのテレビカメラが回っていたこともあり、
あらゆる角度からの映像が、その恐るべきシーンを映している。
ビルの倒壊と立ち込める煙、逃げ惑う市民たちの映像は全世界に何百回と流されているのだろう。

しかし、当のパレスチナでは、人々がテロの成功に喜び、笑いあう様は、なんともいえない。
他民族というだけで、相手の不幸、災害を喜べるという感覚は、我々日本人には理解しようもない。

今後のアメリカの対応次第では、湾岸戦争の再現か、それ以上の激烈な戦いが始まることもありうる。

それにしてもアメリカを攻撃するのに選んだ凶器が、そのアメリカ人を多く乗せた一般の航空機だというそのやり方には恐怖する。
アメリカそのものを憎む「彼ら」からしたら、それこそがある意味皮肉めいた意味を持っていたのだろうか、とも思える。
操縦する自分の命をかえりみないばかりか、乗客や市民など一般人の巻き添えをも念頭に入れた無差別テロという点で、
ある意味、ミサイルを打ち込むよりも、相手の精神的ショックは大きい。
これは犯罪というレベルではない。

この数千人の被害者の代償をどうとるのか。
ブッシュ大統領のやり方が、今後の世界の動向を決める。


01/09/30

なんかいろいろあったねえ。テロ後二週間ちょっとの間に。

暴落するNY株価。国内では、広がる狂牛病騒動。
スポーツ界では
中田&高原の今期初ゴール。川口(横浜Fマリノス)イングランドのポーツマスへ移籍。
近鉄優勝にローズの55号。
マリナーズ地区優勝&イチローの新人最多安打記録更新。
長嶋監督辞任発表。ついでに槙原、斎藤、村田真の引退発表。星野、仰木監督も。
今日は高橋尚子のベルリンマラソンでの世界最高タイム(すげえやあんた!!)。

・・・なんだかこのひと月弱の間に、一年分くらいテレビを見ていたような気がする。

ブッシュ大統領の対テロへの徹底抗戦表明の大演説。
小泉さんも大忙しだ。
対するアフガン、タリバン側も、高まる反アメリカ感情で世界の緊張は増し。
戦いの空気は止むことはなさそうです。
繰り返される自衛隊派兵問題。
さて。。。

年末に向け、情勢はどうなってゆくことやら。
世界が無事にこの秋冬を超えられることを祈りたいものです。


01/10/6

コーヒーのお供に、黒糖かりんとうも非常に合うことを発見した。
いままではマクビティ,オーツ&レーズンだったが。
コツはかりんとうが甘いので、コーヒーはブラックぎみにすること。

そろそろ夜も涼しくなってきたので風呂上りはビールから赤ワインにシフト。
つまみはチーズ。雪印の芳醇チーズか、カマンベールが良い。


01/12/15

パソコンが直った。
しかし、なんてことだ。修理代4万とは!
ハードディスク交換だから金がかかるのもしかたないが・・・

久々にページの更新ができる。
しばらくメールもできなかったので、返信できずにいた方々ごめんなさいっ。
なんせアドレスも全部消えたので、よかったらメールしてください。

あうう・・、しかしパソなしの不便さを改めて感じました。
それと同時に、たかが機械ごときが、これだけ人の生活の中で重要な位置を占めるというのは、
じっさい恐ろしいことなのではないか、などとも考えてしまいました。

メールもネットもできずにさびしいような気もしましたが、これらのコミュニティが存在しなかったころは
我々はもっと「人は基本的には一人である」ということを認識していたはずです。
ネットやメールを「孤独を紛らわすための道具」と考えてしまうのは危険なことです。
まず我々は「個人」であり、「一人」である、という自らの存在を確認をした上で、はじめて「他者」の存在があるのです。
たとえオンライン上のみの関わりであっても、その人に「個としての確立」がなければ、
他者との関係においても結局はすべてが「嘘」となってしまいます。

今回2週間ほどメールもネットもせず(ネット喫茶には数回行きましたが^ ^;)、
パソなしの閑静な生活をしてみて、そのようなことを改めて考えさせられましたね。

まずは人としての少々の孤独に耐えうる強さを身に付けたいものですな。


0/12/31

今年も終わりかー。
いや、ほんとに色々ありすぎた一年でしたね。世界的に。

景気にしても、平和にしても、光が見えるのはどのくらい先なのでしょう。
光が見えていながら、そこへ向かえないのだとしたら、
我々人間とは偉そうに霊長類をきどっていても、
結局はミミズ以下のしろものということになりますが・・・

とりあえずこれから猪木対K1をテレビで見ます。
ガンバレ!アビディ

よいお年をー。




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