にゃーどとドラゴン
〜魔法の鍵の物語〜
◆11◆ にゃーどとドラゴン
「ペトル!」
「ああああ」
がくがくと体が震える。誰かが自分を揺さぶっていた。
「おい、ペトル。しっかりしろ!」
「ああ……」
ぱっと目を開けると、そこはもとの宮殿の広間だった。
まだ頭がぐるぐると回っている。体にはびっしょりと汗をかいていた。
「大丈夫か?ペトル」
横にいるのはレファルドだった。足元にはにゃーどが心配そうに見上げている。
「いきなり動かなくなっちまって。いったいどうしたんだ?」
「う、うん……ちょっと、ね」
さきほどまで見ていた世界のことを思い出し、ペトルはぶるっと体を震わせた。
「どうだ?王子よ」
玉座から闇皇帝の声が響いた。
「その鍵を渡せば、今見た通り、お前の父と母も生き返らせてやろう。もとのようにお前は城の王子として、親子ともども幸せに暮らせるのだぞ」
「……」
ペトルはさっき見ていたのは現実ではなく、エンシフェルの魔力が見せた幻影なのだと知った。だが、この腕には確かに感じた母のぬくもりが残っていた。そして、それがたとえまやかしであっても、父と母が生きていたという震えにも似た喜びがあったことを。
「さあ、王子よ。ここへ来い。鍵を渡し我がしもべとなれ。そうすれば、なにもかもが良くなる。父や母を生き返らせ、元の城に返してやろう」
闇皇帝の誘惑にも似た声が響く。
「……」
ペトルは首にある三つの鍵に手を触れた。鍵たちはかすかに熱くなり、そして不安げに震えているようだ。
「どうした。王子よ」
「……いやです」
ペトルは静かに言った。
「僕がまた王子に戻ったら、今城にいる叔父さんやルリカはどうなるの?僕が幸せになることで、他の誰かが幸せでなくなるなんて……そんなのはいやだ」
「ふん。なにを言っておるのだ?」
玉座の闇皇帝がいぶかしそうに言った。
「なにら、お前は王子に戻りたくはないのか?また父や母と暮らしたくはないのか?」
ペトルははっきりとうなずいた。
「誰かの幸せを奪ってまでは、戻りたくはないよ。もし、たとえ僕が城に戻って、父様も母様も生き返ったとしても、ルリカや、他の誰かがそれで居場所を失うんなら、そんなの意味はない」
「なんとも、分からぬな。下等な人間の考えることは。我にはまったく分からん」
馬鹿にしたように闇皇帝が言う。
「まあいいわ。ならば、せめて鍵を渡せ。そうしたらお前の好きなようにしてやる。それでよかろう」
「いやだ」
顔を上げたペトルは、玉座に座る相手をまっすぐ睨んだ。
「だってあなたは、正しくない。あなたが鍵の力を使うと、きっと誰かが不幸になる。さっきの幻影を見て、そう分かった。だから僕は王子として……今はもう王子ではないけど、父様の守った王国のために、正しい行いをするんだ。それが……僕の務め。父様、母様に教わった、僕の生きかただ」
「なんとも……おろかな」
闇皇帝の背後の炎がゆらめき、大きくなる。
ぼうっと青い火柱が上がり、
「よいわ。ならば……死ね!」
はじけた炎がペトルたちに襲いかかった。
「危ない!」
とっさにレファルドがペトルを押しやる。飛んできた炎の束は、二人のいた床に火柱を立てた。身軽なにゃーどはさっと炎を避け、広間の柱の影に隠れたようだった。
「我が炎の鍵の力で、お前の体を焼いてからゆっくりと鍵を手に入れることにしよう」
闇皇帝の乾いた笑い声が上がり、再び炎が二人に襲ってきた。
「わあっ!」
ペトルとレファルドは床を転がるようにして炎を避けた。ペトルの近くで火柱が上がる。ものすごい熱さだ。
「くそったれ!」
レファルドは懐からナイフを取り出し、玉座に向かって投げた。
だが、闇皇帝の体に触れたナイフは一瞬で燃え上がり、そのまま黒い灰となった。
「そんなもので、この我を傷つけられると思っているのか」
笑い声とともに、次々に炎が襲いかかってきた。二人のすぐ近くで、いくつもの青い火柱が上がる。
「くそ。このままじゃやられるぞ」
床に伏せながらレファルドが言った。
「レファルド。逃げて。あいつの狙いは僕と鍵なんだから」
「馬鹿。なにを言ってる。ここまできて」
飛んできた炎を避け、レファルドはペトルの横にきて囁いた。
「それより、どうせ黒こげにされるなら……ちょっといいことを思いついた」
そう言って詩人はにやりと笑った。
「さっきから、どうもおかしいと思っていたんだよ」
「おかしい?」
「あの玉座に座っているやつさ。目はぎらぎらと光っているが、体はさっきから全然ぴくりとも動かねえ。もし、オレの考えが当たっていたら……」
レファルドは最後のナイフを取り出すと、横目で少年を見た。
「ペトル。一回だけでいい。お前の鍵の力であの炎を防げるか?」
「分からない……けど、やってみるよ」
「よし。いくぞ」
立ち上がったレファルドは、火柱の間を駆け抜け、玉座への階段を正面から登った。
「愚かな。まずはお前から死ぬ!」
皇帝の青い炎がレファルドを襲う。
「水の鍵よ!力を貸して!」
ペトルは青い鍵を手に、叫んだ。すると、胸の鍵が光り、そこから青い矢が放たれた。
それは水の矢となってレファルドを襲った炎に突き刺さった。じゅっ、という音とともに炎は一瞬で消えた。
「そらっ!」
レファルドはナイフを投げた。
「そんなものが我を傷つけられると……」
だが、皇帝の言葉は途中で消えた。
レファルドの投げたナイフは玉座をそれて、その後ろの壁の絵に突き刺さった。
一瞬、広間が静まりかえった。
低い、唸りのような叫びがどこかで上がった。
ナイフは、壁の絵に描かれた若者の額を貫いていた。
「ぎゃああああ」
広間に絶叫が響きわたった。それとともに、玉座に座る皇帝の額の目から、どろどろと青緑色の血が流れ出した。
「やっぱり!奴の本体はあれだったんだ」
ぱちんと指を鳴らすレファルド。見ると、広間の床のそこかしこで燃えていた火柱が、ふっと消えていた。
「レファルド!」
詩人のそばに来たペトルは、玉座の皇帝の体が燃えはじめているのを見た。
「おのれ……四つの鍵の力で、我の体を実体にしようという野望を……よくも、よくも!」
玉座の背後の壁にある絵の中で、苦悶の表情を浮かべているのは、長い金色の髪をした若者だった。紫のビロードに金糸で彩られた豪奢なローブを着て、頭には金の小王冠をかぶっている。それは若き皇帝の肖像というに似つかわしい姿だった。
「燃える……おお、我の体が、燃えてしまう」
玉座は完全に炎に包まれていた。絵の中の皇帝は、額にナイフが突き立ったまま、憤怒の表情でペトルとレファルドを睨んだ。
「許さん……許さんぞ」
絵の中で皇帝が動いた。
手にしていた弓をこちらに向けて引き絞ると、絵の中から放たれた矢は、実際の矢となって飛び出し、まっすぐにペトルに向かって飛んできた。
「ペトル、危ない!」
「ああっ」
ペトルの胸を矢が貫く寸前、横からぱっと飛び出してきたものがあった。
「ふぎゃぁ!」
悲鳴のような鳴き声……
どさりと、ペトルの前に何かが落ちた。
「あ……」
矢に射抜かれ横たわっているのは、クリーム色のなめらかな毛並みをした小さな姿……
「にゃーど!」
駆け寄ったペトルは、その腕ににゃーどを抱き上げた。
「にゃーど。しっかり!しっかりして」
びくびくと震えているにゃーどの体。その目は閉じられたまま動かない。
「にゃーど!」
「ふふ……ははは。お前たち……生きて、ここから出られると思うなよ」
絵の中の皇帝が狂ったように笑った。すでにその顔からは血の気が失せ、その絵自体が色彩を失いはじめているようだった。
「お前たちともども、ここで葬ってやる。鍵ごと、この宮殿の中に閉じ込めて……やる」
皇帝の声が途切れると、すぐに宮殿全体が大きく揺れ始めた。
「ペトル、危ないぞ。逃げるんだ」
「にゃーど……にゃーどが」
腕の中で、かすかににゃーどが動いた。
「にゃーど!」
(お別れだナ……ペトル)
かすかに開いたコハク色の目がペトルを見た。
「にゃーど。しっかりして!」
ペトルの目から涙があふれる。
(なんだか、気づいたら飛び出していたンだ……痛いけど、平気。君は、友達だから)
「にゃーど……」
(炎の鍵はあそこだよ……)
見ると、燃えていた皇帝の体を包む炎が、しだいにひとつの形をとりはじめ、それはやがて真紅の鍵になった。
(よかったナ。これで……君の願いがかなうよ)
「にゃーど……死なないで」
(一緒にいて、けっこう楽しかった……ヨ)
「にゃあ……」
最後に、にゃーどは小さく鳴いた。そしてもう、その体は二度と動かなかった。
「にゃーど……」
ペトルの腕の中で、にゃーどの体はきらきらと輝きはじめた。ドラゴンネコの命の終わりを告げるように、光はやがて空中に溶け込むようにして消えてしまった。
ペトルの手に残っていたのは、彼が作ってあげた草編みの首輪だけだった。
「にゃーど……にゃーど!」
ペトルは泣いた。
あの塔で初めて見たときから、ずっと友達のように思っていた、小さなドラゴンネコ。
自分をかばって死んでしまった、大切な友達……
「にゃーど」
涙はあとからあとからあふれて止まらなかった。
「ペトル……」
レファルドが優しく少年の肩に手をやる。
「ともかく、逃げよう」
「うん……」
宮殿を包む振動は、しだいに大きくなっていた。広間の柱には次々に亀裂が入り、天井からは崩れた石が落ちはじめた。
闇の宮殿は崩壊しようとしていた。
「おっと、鍵……炎の鍵を拾わなきゃ」
真紅の鍵を拾おうと、レファルドが玉座への階段を上ろうとしたそのとき。
玉座の近くで、もやもやと黒い気配が立ちのぼった。
「あっ、お前は……」
「炎の鍵は我が手にいただく」
魔術師ゲルフィーがそこに立っていた。黒いフードの中で青白い顔がにやりと笑った。
「他の三つの鍵も、いずれな」
真紅の鍵が魔術師の懐に吸い込まれてゆく。それとともに、その体がまた黒いもやとなって消えた。
「ちっ。まだあいつがいやがったか」
辺りを揺るがす振動は、やがてゴゴゴゴという恐ろしい音をともない、広間のあちこちが崩れはじめた。
倒れかかる柱をよけ、レファルドはペトルの肩を抱くようにして、宮殿の出口へと急いだ。間一髪で外に出ると、ほどなくして二人の背後で闇の宮殿が音を立てて崩れ落ちた。
「ふええ、助かった……」
ひと息ついたレファルドだったが、暗い夜空を振り仰ぐと、思わず「あっ」と声を上げた。バサバサという翼の音とともに、空から巨大なものが舞い降りてきた。
燃えるような真紅のドラゴンがそこにいた。
「炎のドラゴンさん……」
岩山の上に降り立ったドラゴンが、こちらを見下ろしている。全身が赤いウロコにおおわれ、夜闇の中でもまるで燃え立つ炎のように、その体は赤々と輝いている。
その竜の背に黒い魔術師の姿があった。
「さあ王子、おとなしく三つの鍵を渡してもらおう。この炎のドラゴンに焼き殺されたくなければな」
ゲルフィーは勝ち誇ったように言った。その手には炎の鍵が光っている。
「誰が……お前なんかに」
「そうか。ならば……死ねっ!」
ゲルフィーが二人を指をさすと、ドラゴンはくわっと口を開いて襲いかかってきた。
「やべえ。逃げろっ!」
ペトルとレファルドは走り出した。背後でドラゴンの吐いた炎が燃え上がる。
二人は転がるように走り出し、岩山を駆け降りた。
谷を渡る吊り橋の前まで来ると、レファルドは後ろを振り返った。
「追ってこないな……。よし、今のうちだ。どうしてもこの橋を渡らなくちゃ戻れない。いいか、ペトル」
「うん」
二人は吊り橋を渡りだした。
ペトルは真っ暗な谷底を見ないように、レファルドの背中を頼りに橋を渡っていった。
「よし、もう少しだ……」
橋の中ほどあたりまで来て、レファルドは振り返った。
谷から吹きつける風が橋げたを揺らす。
と思うと、バサッバサッ、という音が風に乗って聞こえ……
「あ……」
詩人の目が大きく見開かれた。
逃げる時間もなかった。
谷間から現れた紅の竜……凄まじい速度で飛んできたドラゴンが、その鋭い爪で吊り橋を引きちぎっていた。
「わああっ」
「ペトルーッ!」
橋げたごと吹き飛ばされた二人は、真っ逆さまに谷に落ちてゆく。
頭の下に黒い谷底がぽっかりと口を開け、広がっていた。
空中を落ちながらも、ペトルはなにか不思議な感覚を覚えていた。
(ああ……なんだか、前にもこんなことがあった)
びゅうびゅうと風が耳元で鳴り、落下の感覚に意識が朦朧となってゆく。
(そうだ……あの塔の時も)
ペトルは思い出した。
首の鍵に手をやり、
ただ願えばいい。
(銀の鍵を持つかぎり、我はいつでもそなたのもとへ……)
「風のドラゴンさん」
ペトルは空中で祈るように叫んだ。
「力を……僕に力を貸して!」
きらりと、銀の鍵が光った。
空の彼方の黒い雲が、二つに割れた。
翼を持った竜が現れ、風を切るスピードで黒い谷底へ急降下する。
ペトルは見ていた。緑がかったウロコをかすかに光らせ、巨大なドラゴンが翼を広げて飛んでくるのを。
「ドラゴンさん!」
あの時のように、舞い降りたドラゴンは、ふわりとペトルをその背に受け止めた。
(銀の鍵の主……我が王子よ。なんなりと命ぜよ)
ドラゴンの声が頭の中に響く。
「ありがとうドラゴンさん。レファルドも助けてやって」
ドラゴンはすいと体を傾け、落下するレファルドに近づいた。
「レファルド!手を」
「あ、ああ」
差し出された詩人の手をつかみ、引き寄せる。レファルドはペトルにしがみつくようにドラゴンの背に下りた。
「ひ、ひゃあ……」
間近で見る巨大なドラゴンの姿に、詩人は目をしばたかせた。
「こ、こいつは……なんていうか、」
言葉にならない様子のレファルドに、ペトルは大丈夫というようにうなずいた。
(王子よ。そなたは少しの間にたくましくなったようだな)
頭に聞こえるドラゴンの声は、いくぶん愉快そうだった。
(さて、前にいるあれは炎のドラゴンか。炎の鍵の魔力で操られているようだな)
前方を飛ぶ赤い竜が、こちらに気づいたようにぐるりと旋回した。
「戦うの?」
(そうしたくはないが、やむをえまい。炎の鍵はもっとも攻撃的な魔力を秘めている。それに操られているなら……)
飛んできた炎のドラゴンが火を吐いた。
「わっ」
ペトルたちを乗せたまま、風のドラゴンは炎を避けるように体を傾ける。レファルドは悲鳴を上げて、ドラゴンの背にしがみついた。
赤と緑の巨大な体が空中で交差する。
黒い谷の上空で、二匹のドラゴンの戦いが始まろうとしていた。
それより少し前、
夜の草原で戦い続ける、ガシュウィンと騎士たちは、ある異変に気づき始めていた。
「なんだか、ゾンビ兵たちの動きが鈍くなったようです」
「なんだと?」
そばにいた騎士の報告に、ガシュウィンはふと眉を寄せた。目の前のゾンビ兵を斬り捨て、さっと戦場を見渡してみる。
確かにさっきまでの激しい戦いからすると、今はどことなく敵の勢いが落ちているように見える。騎士たちの数も減り、劣勢であることには変わりはなかったが、辺りにはなにかさっきまでとは違う空気が感じられた。
「見てください!あの巨人戦士も……」
別の騎士が指さし、叫んだ。
これまでに多くの騎士たちをなぎ倒してきた、敵の巨人戦士……ツォルマードもまた、その動きをぴたりと止めていた。そのおそるべきパワーで殺戮機械のように振り回される斧槍で、すでに数十人の騎士が犠牲になっており、どうあっても人の力では歯が立たないと、騎士たちの間には絶望感も広がりつつあったのだが、
今、その巨人戦士は巨大な斧槍を手にしたまま、まるで人形にでもなったかのように、その場に固まっていた。
「なにかが……あったんだ。なにかが」
ガシュウィンは、暗い夜空の向こうの黒々とした山を見つめた。
そのもとに、グランスと名乗ったあの若い騎士が来た。
「ガシュウィンどの。ゾンビ兵たちが崩れてゆきます」
見ると、これまでは首や腕がもげても何度も起き上がってきたゾンビ兵たちが、騎士たちに斬られると、そのままどろどろと崩れだした。そして、あとかたもなくなり地面に消えてゆくのだ。
「これは……」
確かめるようにガシュウィンも剣をとり、近くのゾンビ兵を斬り倒した。すると、やはりたった一撃を加えただけで、ゾンビ兵はばらばらになって地面の上に崩れ落ち、そのまま溶けるように消えてしまった。
「おお。勝てるぞ。皆、剣をもて!」
ガシュウィンは、残っていた数十人の騎士たちに向かって叫んだ。
「敵は崩れはじめた。もうひと息だ。剣を持て。共に最後まで戦おう!」
「おおっ」
剣を突き上げるガシュウィンに呼応して、騎士たちも一斉に叫び声を上げ、再びゾンビ兵たちに斬りかかっていった。
「ギル。今がチャンスだぞ!」
巨人戦士ツォルマードとの戦いで傷つき、地面に倒れこんでいたギルが、ガシュウィンの声に力を振り絞るように起き上がった。
「巨人戦士を倒せ。お前ならやれる」
「おお。おら……おら、やるだ」
全身があざと傷だらけになっていたが、ギルは歯を食いしばって立ち上がり、その腕に力こぶを作ると、巨人戦士に向かっていった。
「おおおっ!」
叫び声とともに突進したギルは、その拳を思い切り巨人戦士に叩きつけた。
ぴしりと、巨人戦士の体がひび割れた。ギルがさらにもう一度拳をぶつけると、ぐらりと巨大な体が揺らめいた。
ゆっくりと後ろ向きに倒れた巨人戦士は、地面にぶつかり、そのままばらばらに崩れた。跡には粉々になった砂の山と、斧槍だけが残された。
「やった!」
騎士たちから歓声が上がる。
残ったゾンビ兵たちも、意気の上がった騎士たちの手で次々に倒されてゆき、その崩れた残骸は地面に消えていった。
戦いはついに終わろうとしていた。
百名いた騎士たちは、今ではその半分以下になっていたが、誰もが王国を守るため、人間の誇りを守るために命をかけ、勇敢に戦ったのだ。
「あれは、あれはなんだ!」
騎士の一人が空を指さした。
北の山の方角から、なにかが飛んでくるのが見えた。
「あれは……」
ガシュウィンは暗い夜空に目をこらした。
しだいに大きく見えはじめた二つのそれは、互いに交差したり離れたりしながら、こちらに向かって飛んでくる。
「あれは、伝説のドラゴン……」
今や、他の騎士たちの目にもはっきりと見えていた。
翼を広げた二匹の竜……巨大なドラゴンが空中で戦っている姿が。
赤と緑の二匹のドラゴンは、ときに体を絡ませるように、ときに空中ですれ違うように、激しく飛び回っている。ドラゴンが炎を吐くと、暗い夜空が一瞬明るく照らされた。
「こっちに来るぞ!」
騎士たちは空を見上げた。
二匹のドラゴンはみるみるうちに接近し、今やその翼のはためきが、風のように感じられるくらいだった。
「皆、伏せろっ!」
ガシュウィンの声で騎士たちがその場に伏せる。低空で飛んできたドラゴンが彼らの頭の上をかすめた。
「あれは……」
赤いドラゴンが頭上を飛びすぎた一瞬、ガシュウィンはその背に乗る黒い姿を見た。
「ゲルフィーか。とすると……」
見上げると、二匹のドラゴンがすぐ上空で互いの翼をぶつけるようにして戦っている。おそらく、もう片方の緑のドラゴンには、ペトルたちがいるに違いない。
ガシュウィンは急いでギルのもとに駆け寄り、巨人戦士の使っていた武器を指さした。
「この斧槍を投げられるか?」
「うわっ、危ねえっ」
竜の首根っこに捕まりながら、レファルドが叫んだ。
強烈な炎が顔のよこをかすめ、自分の髪が焼かれてないかと思わず手をやる。それにしても、長い吟遊詩人の生活で、まさか空を飛ぶドラゴンの太い首にかじりつくことになるとは、彼自身、夢にも思わなかったに違いない。
ペトルの方は、ドラゴンの背中で身を低くしながら、じっと前を見据えている。その肝の座った様子に改めて感心しながら、詩人はつぶやいた。
「うう、すげえ迫力。地上に下りたら……まず吐いて、それからドラゴンの曲を作ろう」
二匹のドラゴンは、それぞれの背に魔術師ゲルフィー、ペトルとレファルドを乗せながら、山を下るように飛びながら戦い続けていた。
炎のドラゴンは、口から吐く強烈な炎の息と、すれ違い様に鋭い爪で攻撃をしかけてくる。ペトルたちの乗る風のドラゴンは、なんとかその攻撃を避けつつ、風の流れを味方につけて逃げるように飛んでいた。
「攻撃力では向こうが上ってワケか。くそ……このままじゃあ、やられちまうぜ」
レファルドの言うとおり、風のドラゴンは相手の攻撃に押され、少しずつ追い詰められるようにして高度を下げていった。
山を下りた二匹のドラゴンは、草原の上空にさしかかった。
「おい、あれは騎士たちとガシュウィンじゃねえか」
レファルドが地上を指さした。
「本当だ。みんな無事だったんだ。おおい!」
そのとき、炎のドラゴンが大きく旋回した。
敵のドラゴンが先回りするように前方から襲いかかってくる。
鋭い爪の攻撃を避けようとして、二人の乗るドラゴンが空中でバランスを崩した。
「うわあっ、落ちる!」
レファルドが頭を抱えた。
急降下した風のドラゴンは、地面に足をつくと、倒れ込むようにして着地した。そこへ上空から炎のドラゴンが襲いかかる。
「わっ、来るぞ!」
だが、着地したドラゴンはすぐには飛び立てない。ペトルとレファルドはなすすべなく、頭上に迫り来る赤いドラゴンを見上げた。
「王子、覚悟!」という、ゲルフィーの声が聞こえた気がした。
そのとき、地上から投げられたものがあった。
それは巨大な槍だった。ギルの投げた斧槍が、ぶんぶんと回転しながら、炎のドラゴンの背に乗るゲルフィーをかすめた。
「うわっ」
魔術師は叫び声を上げ、両手でドラゴンの首にしがみついた。
その手から、炎の鍵がポロリと落ちる。
「しまった!」
こぼれ落ちた鍵が、きらきらと光りながら空中を落下してゆく。
「ま、待て。鍵っ、まてっ」
ドラゴンの背から身を乗り出したゲルフィーが、ずるりと足を滑らせた。
「うわっ、あああっ」
滑り落ちたゲルフィーが空中でもがいた。
あわれなことに、そこへ炎のドラゴンが猛烈な炎を吐いた。
「ぎゃああっ」
一瞬で黒こげになった魔術師を、その下では口を開けた風のドラゴンが待ち構える。
ばくり
ゲルフィーはドラゴンのエサになった。
そしてペトルの手の上に、赤く輝く炎の鍵がぽとりと落ちた。
駆け寄ってくるガシュウィン、ギル、そして騎士たち……
見上げると、自由になった炎のドラゴンが上空を悠々と旋回している。
東の空から一条の光がさした。
夜明けはすぐそこだった。
ひざまずいた騎士たち、赤と緑の翼をたたんだ二匹のドラゴンを両側にしたがえ、鍵を手にしたペトルが静かに立っていた。
草原に暁の輝きが生まれる頃、手にした四つの鍵を天に向かってかかげ、少年はそっと目を閉じた。
(魔法の力を秘めた、四つの鍵たちよ。どうか僕の願いをきいて)
(たったひとつの、大切な願いを)
鍵たちがいっせいに輝きだす。赤、青、緑、そして銀色に。
風、炎、水、大地、四つの精霊が、世界の再構築を命じるかのように、その扉を開ける。
きらきらと輝きながら、徐々に手の中で震えだした四つの鍵……そのきらめきが、空中に広がり、天高く登ってゆくのを、その場にいた人々は目撃した。
しばらくして目を開けたペトルは、手の中の鍵を見つめた。今はもう、その輝きはすっかり消え、鍵たちはその使命を果たして満足そうに眠っているかのようだ。
「なにを願ったんだ?ペトル」
そばに来たレファルドがおずおずと声をかける。
「やっぱり、ご両親の……王国の復活のことなんだろう?なあ」
それに少年は何も言わず、ただうっすらと微笑んだ。
「新しい夜明けだ」
ガシュウィンが言った。
「黒い魔力は去り、これからは我々が自分自身の手で、未来の王国を作るときだ」
その言葉に騎士たちが一斉に顔を上げる。
「セトール王子殿下」
ガシュウィンが静かに、ペトルの前にひざまずいた。
そのとき、騎士たちは王子の帰還を知った。
今までペトルであった少年は、かすかな悲しみを含んだ笑顔でうなずくと、太陽の昇りはじめた東の空を見やった。
「いこう」
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