にゃーどとドラゴン
〜魔法の鍵の物語〜


◆5◆ 地下迷宮の冒険

 翌朝、巨木の家の前の広場には、話を聞きつけた村人たちが集まっていた。
「おい聞いたか。村長んとこの子どもが西の森へ行くんだってよ」
「馬鹿、違うだろう。ギルを退治しにいくんだよ」
「なんだって?子どもがあの怪物を?なんてあぶねえことを」
 がやがやと人々の噂する声が広場に響く。
「なにいってんだ。子どもがひとりで行くわけねえだろ。ほら、村外れに住む、あの無愛想な木こりと一緒だとよ」
「ああ、あの木こりか。でもなんでまた」
「それがよ。聞いた話だと、あの木こりは実は、もとはお城にいた騎士さんかなんかで、たいそう強いらしいぞ。それで村長がギルの退治を頼んだらしい」
「へええ、そうだったのかい」
「そういや村長さんとこの、セシリーが化け物にさらわれて、もう三年になるもんな」
「可哀相に。あれから村長さん夫婦は、ずっと健気に孫を待ちつづけているものな」
「孫娘がまだ生きているかどうかも分からないってのによ」
「馬鹿。そんなひどいことを」
「だってよ……」
 ざわめき合う村人たちの前に、巨木の階段を下りてガシュウィンが現れ、続いて少年ペトル、そして村長夫妻が現れた。
「村の衆よ、」
 老人は人々の前で、村長らしい威厳のある声で告げた。
「ここにおられるガシュウィンどのは、もとは王国に仕えた騎士であったお方だ。長年この村を悩ませてきた巨人のギルのことを話したところ、騎士どのは自らが西の森へ行ってくださると快諾してくだされた。うまくすれば、孫娘のセシリーも救い出し、そしてギルを懲らしめてくれると約束してくださった」
「それは、ありがてえ」
 集まった村人たちから拍手が起こった。
「あのギルの野郎には、ほとほと困っていたんだ」
「うちは牛と豚を全部やられた」
「うちは畑を荒されて、去年は散々だったんだ」
「ギルのやつを退治してくれたら、そんなに嬉しいことはねえだ」
「頼みますぞ騎士どの」
 村人たちの声に軽くうなずきながら、ガシュウィンは人々の間を通り抜けた。その後をペトルと村長夫婦も続く。
 愛用の剣を腰に吊るし、革の胸当てと肩当てを付けたガシュウィンは、その筋肉質の体のせいもあり、たいそう立派な戦士に見えた。おそらく、木こりの仕事をしながらも剣の習練は欠かしていなかったのだろう。歩く姿はとても堂々としていて、その目にはいつにない鋭い光があった。
 ペトルの方も、これから冒険に旅立つという高ぶりに頬を火照らせていた。老婦が縫ってくれたチュニックの上に革のチョッキを着て、日除けの帽子をかぶり、老人からもらった短剣を身につけた姿は、ちょっとした騎士見習いの少年風にも見えた。
 村のはずれまで来ると、老夫婦はペトルの手を握りしめ、少年の無事を心から祈った。
「はい。お弁当だよ。少し長持ちする固いパンも入れておいたよ。あと乾し干し肉と、乾果もあるからね。水筒の水は切らすんじゃないよ。川を見つけたらいつも汲んでおおき」
「ありがとう、おばあさん」
「くれぐれも気をつけるんじゃぞ、ペト」
「はい、おじいさん」
「ガシュウィンどの、この子をどうか頼みます」
「もちろん。必ずお守りします」
 騎士は力強くうなずくと、ペトルにうなずきかけた。
「じゃあ行ってきます。おじいさん、おばあさん」
「ペトや、気をつけてな」
「早く戻ってくるんだよ」
 歩きだした二人を見送る老夫婦は、彼らの姿が村の外に小さくなっても、いつまでもずっと手を振り続けていた。

 木々の間に見える空は、群青色に晴れ渡っていた。
 小鳥のさえずる緑の梢を見上げ、朝露の残る草を踏みしめて、二人の冒険者は歩いてゆく。がっしりとした体に革の鎧をまとった戦士の隣で、かつて捕らわれの王子であった少年は、今はペトルという名前とともに、生まれ変わったような心地で歩いていた。
 それは、ずっと憧れていた冒険というものに、これから乗り出してゆくのだという、わくわくとした気持ちであった。これまで本の中でしか知らなかった未知の世界へ、ついに自分は一歩を踏み出そうとしているのだ。
(なんだか、すごく楽しい気分だな)
 もちろん、現実には、巨人に捕らわれた村長の孫娘を助けるという大きな目的があったし、それにともなう危険や困難も少しは想像することができた。ただ、それでも彼の心には、沸き立つような冒険へのたかぶりが沸き起こり、なかなか消えなかった。
 それは、王国の元王子という立場とはまったく異なる、ただの自由な一人の少年、ペトルとしての気持ちであった。
(僕は……ペトル)
(自由にどこへでも行けて、こうして冒険や旅にも出掛けられる。誰にも縛られず、どこにも閉じ込められず、僕は……世界中へ出てゆけるんだ)
 圧倒的な解放の喜びと、自由という名の大いなる武器を手にした実感……
 草を踏みしめ、青い空を見上げ、川の水を飲み、鳥たちの声を聞いて木の幹に寄り掛かって休み、また歩きだす。少年にはなにもかもが楽しく、そしてすべてはつながっていて、大きな世界の中に自分がいるということが、また小さな感動につながってゆくのだった。
 村を出てから、二人は何度か小休止をして歩きつづけた。
 そろそろ太陽も高くなりはじめた頃だった。
「ペトル、そろそろひと休みしよう」
 川べりまで来ると、ガシュウインはそう言った。彼自身は、さほど疲れているふうではなかったが、おそらく少年を気づかってのことだろう。
「うん」
 ペトルは額の汗を拭くと、河原の石の上に腰を下ろした。
「疲れたか?」
「ううん。平気だよ」
「そうか。地図によると、西の森はこの川の向こうだ。廃墟というのは丘の上にあるらしいから、おそらくあのあたのだろう」
 ガシュウィンが指さした方に、森に囲まれた中に小高い丘が見えた。川の向こう側にはうっそうとした森が続いており、その丘は森のずっと奥の方で、ここからはかなり遠くに思える。
 あそこまで行くのかと思うと、さすがにペトルもやや不安になったが、一人ではなく、ガシュウィンが付いているのだから大丈夫だという、安心も大きかった。この戦士の存在は、それだけ少年にとっては大きくなりはじめていたのだ。
 ガシュウィンは決して口数は多くはないが、いつも自分のそばを歩き、自分を見守ってくれている。ペトルが少し疲れたと思えば、自然に歩を緩めてくれ、休憩をしようと言ってくれる。なにかを話しかければ、ちゃんと答えてくれ、力強くうなずいてくれる。
 ペトルにはそれがとても嬉しかった。塔にいる間は、そんな相手は誰もいなかった。
 自分の言葉を真剣に聞いてくれ、自分を対等に扱ってくれる。そんな存在を、彼は見つけたのだった。
 老夫婦の作ってくれた腸詰め肉をはさんだパンで腹を満たすと、また力が沸いてきた。川を越えて、あの森へ入ってゆくのも怖くはない。そんな気分だった。
 食事を終えると、ガシュウィンは「水を汲んでくる」と、立ち上がった。村の近くの小川と違い、川幅が広く、流れも速そうだ。
 ペトルも一緒に川べりへ行って、水面を覗き込んだ。川の水はきれいに透き通っていて、すっかり底まで見通せる。深くはないので、渡るのはそう大変ではなさそうだ。ときおり魚の影が見えると、ペトルは水に手を入れて、その冷たさに声を上げた。
 しばらくして、どこからともなく笛の音が聞こえてきた。
 最初は川の流れる音にまぎれていたが、それがやがて、はっきりと笛の奏でるメロディになると、二人は顔を見合わせた。
「誰が吹いているんだろう?」
 ガシュウィンはおもむろに剣を抜き、ペトルを守るようにして辺りに目を光らせた。笛の音は少しずつ近づいてくる。
「あっ」
 声を上げたのはペトルだった。
 上流の方から、人影がこちらに近づいてくるのが見えた。軽やかな足取りで歩いてくるのは、尖った帽子をかぶって、長いチュニックにチョッキを着た若い男……
 手にした縦笛を吹き鳴らし、竪琴を背負ったその姿が川沿いを近づいてくると、ペトルは思わずその名を叫んでいた。
「詩人さん。詩人のレファルドさんだ!」
「よう」
 歩いてきたレファルドが、ペトルに向かって手を振った。
 嬉しそうに詩人に駆け寄るペトルだったが、ガシュウィンの方は、いったん剣は鞘に戻したものの、近づいてくる相手を鋭く睨みつけた。なにしろ、ペトルを金で売ろうとした相手であるから、信用ならない奴と、ガシュウィンが警戒するのも当然であった。
「どうしたの?詩人さん、戻ってきたの?」
「ああ、まあな」
 レファルドはぽりぽりと頭を掻き、ややばつが悪そうにうなずいた。
「ほら……これはお前にやったものだからな」
 持っていた縦笛をペトルに差し出す。
「これを僕に届けに?」
 目を輝かせる少年に、詩人は照れながら言った。
「ああ。それにいつかほら、竪琴も教えてやるって約束したしさ」
「それじゃあ、一緒に来てくれるの?」
「ええと、」
 レファルドはちらりと、ガシュウィンの顔を見た。するどい目で自分を見るこの戦士が、彼にはどうも苦手であるようだ。
「まあ……それもいいかな、なんて」
「お前はペトルを金で売ろうとした人間だ。よくも、のうのうと戻ってきたな」
 ガシュウィンの厳しい言葉に、さすがに詩人も真面目な顔をしてあやまった。
「ああ、悪かったよ。ほんと。でも俺はそういう仕事を頼まれただけだし、もう仕事は済んだから、もう二度とそんなことはしないよ。それにこの金だって。どうせ俺だけじゃ使いきれないし、こうなったら、山わけしてもいいぜ」
「そんな金はいらん!」
 ガシュウィンはきっぱりと言った。詩人は口をへの字にした。
「なんて堅物なんだろうね。あんたは。森の木こりだって聞いたが、その真面目さは、まるで王宮に仕える騎士みたいだ」
 そのとたん、ガシュウィンは目をじろりと相手を睨んだ。
「きさま。なにを知っている?」
「な、なにも知らないさ。ただ、そう言ってみただけだよ。なんだよ、そんな怖い顔をして……」
 相手の剣幕にレファルドはややたじろいだが、次にぴんと来たようににやりと笑ってみせた。
「ははーん、そうか。やっぱりあんた、城の騎士なんだな?そうだろう」
「……」
 答える必要はないというように、ガシュウィンは黙っていた。
「ふうむ、そういやペトルも城の連中が探しているってことは、きっとただ者ではないんだろうな。そしてあんたが城の騎士で、このペトルをそうやって守っている。それはいったい何故か……」
「きさま……」
 剣に手をかけるガシュウィンを見て、詩人は慌てて首を振った。
「ああ、いやいや。なんでもない。なんでもないよ。俺はなにも知らないさ。なにも関係ない。ただの吟遊詩人。流浪のミンストレル。ららら……おや、いいメロディが浮かんだぞ」
 レファルドは石の上に腰掛けると、愛用の竪琴を手にした。口ずさみながら弾きはじめると、川の流れの音に優雅な音色が加わった。
「ららら、流浪のミンストレル。川の流れとともにゆく。ららら」
「……」
 ガシュウィンは、すっかり呆れたように詩人を見つめている。ペトルは目を輝かせて、詩人の演奏に聴きいっている。
「ふむ。なんとかリズムと主旋律は決まりそうだ。タイトルは川の流れのように。どこかで聞いたような曲名だな……まあいいか」
 ひとりでうなずくと、詩人は竪琴を置き、気持ち良さそうに体を伸ばした。
「さて、で?出発はいつだい?」
 もう一緒に行くことが決まっているように尋ねる。
「お前を連れてゆくとはひとことも言っておらん。だいたい、自分の身すら守れない詩人などは、ただの足手まといだ」
「……」
 詩人はむっつりと唇を尖らせた。が、すっと立ち上がり、すたすたとそばに来てその手を差し出す。
「ナイフかなんかあるかい?」
「どうするつもりだ?」
「いいから、ちょっと貸せよ」
 ガシュウィンが、しぶしぶ腰元のベルトからナイフを引き抜き、それを渡すと、
「見てな」
 詩人はそう言って川べりに立った。
 しばらく川面を睨み付けてから、
「そらっ」
 掛け声とともに、水面に向かってナイフを投げつける。
 すると、ぴしゃん、という音とともに魚が跳ねた。石の上でぴちぴちと跳ねている魚に、詩人の投げたナイフが見事に刺さっていた。
「すごいや!」
 ペトルが感嘆の声を上げる。
「どうだい?俺は自分の身も守れるし、自分の食べ物だって取れる。これでも足手まといかい?」
 レファルドは自慢げに言うと、仕留めた魚を拾い上げた。洗ったナイフをガシュウィンに返すと、ぱちりと片目をつぶってみせる。
「……」
 むっつりと黙りこんだ戦士に、詩人は「よろしく」と言って、その背中を叩いた。
 冒険の仲間がまた一人加わった。

「ガシュウィン……確かにそう名乗ったのだな?」
 明け方、ほうほうの体で戻ってきた手下たちから報告を聞き、黒フードの魔術師ゲルフィーは眉間に深い皺を寄せた。
 ビロードのカーテンの閉め切られた薄暗い部屋には、朝の光も入ってはこない。
 蝋燭の明かりに浮かび上がる水晶球と、その前に座る魔術師の姿は、いっそう不気味な光景だった。
「まさか、まさかな……あの男め。今になって、よもやまたしても私にたてつこうとは」
 細めた目に憎しみの炎を宿し、ゲルフィーがつぶやく。
「それで……お前たちはガシュウィンと名乗る男に叩きのめされ、王子を連れてくることもかなわず、逃げ帰ってきたと。そういうわけだな?」
「お、お許しを……」
 震え上がる三人の男たち。それに背を向けたまま、魔術師はしわがれた声で言った。
「許さぬ。許さぬぞ。たかが一人の騎士風情が、このわしに、ゲルフィーに逆らうことなど……」
「ひいっ」
 男たちの悲鳴と、それをかき消すような、ゲルフィーの怒声。
「許さぬっ!」
 手にした杖を振ったそのとたん、三人の男たちの姿がふっと消えた。と思うと、ぱさりと床に落ちたのは、彼らが着ていたはずの服だけであった。
「にゃあっ」
 テーブルの上にいたドラゴンネコが、かっと目を輝かせた。
 床に落ちた男たちの服の中から、小さなネズミが三匹現れた。ちゅうちゅうといいながら這いだしてきたネズミを見下ろし、ゲルフィーが冷酷に言う。
「馬鹿ものどもが。ドラネコのエサになってしまえ」
「にゃあーっ」
 床に下り立ったドラゴンネコは、獲物を狙うように体を低くした。次の瞬間、目にもとまらない勢いでネズミに襲いかかった。
「ふがーっ!」
「ちゅう、ちゅうっ」
 逃げまどうネズミたちは、ドラゴンネコの鋭いツメで、一匹ずつ仕留められていった。
「ふん。役立たずの部下などはいらん」
 ゲルフィーの足元で、仕留めた獲物に満足そうなドラゴンネコがにゃあと泣いた。三匹のネズミを前に、これからゆっくりと食事にかかるのだろう。
「さてと、これでドラネコのエサも節約できたし。わしはこれから北の宮殿まで行ってくるとしよう。エンシフェルさまに事のしだいを報告せねば」
 いそいそと外出用のローブを羽織ると、魔術師は食事中のドラゴンネコへ言った。
「よいか、わしのいないあいだ、おとなしく留守番しているのだぞ。夜には戻るからな」
 行儀よくお座りをしながら、獲物を平らげていたドラゴンネコは、やや不満そうに「にゃー」と鳴いた。
「ネズミを三匹も食えば、夜までは充分であろう。いやしいネコめ。それを食ったらおとなしく寝ていろ。食って寝るだけがお前のできることなんだろう。では行ってくるぞ」
「にゃーっ」
 魔術師が出てゆくと、ドラゴンネコは閉まった扉に近寄り、ガリガリとツメを立てた。ウロコの付いた固い尻尾が、ばしんと音を立てて床を叩く。
「……」
 しばらく待っても魔術師が帰ってこないと知ると、彼はいったんは仕方なさそうに、テーブルの上に上がり、寝床である積み重なった本の上に丸くなった。
 しかし、すぐに飽きたように、またテーブルから下りて、壁をガリガリとやったり、ネズミの残りカスをくわえてはまた吐き出したりとしはじめた。
(あーあ、)
 残ったネズミのしっぽをツメで転がしながら、彼は退屈そうにあくびをした。
(行っちまったナ。まさか僕がこんなネズミを、それもたった三匹で満足だとでも思っているのかい。だいたい、こんなものはただのおやつだよ!)
 扉に向かってフッと怒りの声を上げる。
(まったく、あとは夜まで寝ていろだって?冗談じゃない。寝るのはいいけど、こんなカビ臭い部屋はゴメンだよ。せめて、日当たりのいい廊下の絨毯の上でないとナ)
 ドラゴンネコは、またばたんと尻尾で床を叩いた。怒ったときのストレス解消は、高いところから飛び下りるか、走り回ってそこいら中をツメでガリガリとやるかだ。
 しかし、どうも今は、そのどちらの気分でもないようだ。
(はあ……馬鹿らしい。あのゲル公がいるときならサ、嫌がらせにまじないの邪魔をして、水晶にツメを立てたり、わざと本の上に寝てやったりしてもいいんだけど。相手がいないんじゃ、それも馬鹿らしいや)
 部屋をぐるぐると歩き回ってもすぐに飽きてしまう。
(退屈だナあ、もう退屈ゥ……)
「にゃあっ」
 軽くひと鳴きすると、彼はひらりと本棚の上に飛び乗った。部屋の高い場所に換気用の小さな窓がある。扉が閉まっていても、小さな体ならそこから出入りできるのだ。
(ともかく、外へ出よう。今日は天気もいいしね。庭園にでも出掛けようかナ)
 人間の頭くらいの大きさしかないその窓を、すいっと簡単にくぐり、彼は外へ出た。
 城の外壁づたいの狭い足場を歩いてゆき、見知った縄張りである空中庭園にやって来た。
(ああ気持ちいい)
 広い庭園で、ドラゴンネコは嬉しそうに思いきり伸びをした。
(あんな部屋に一日中いたら、きっと気が狂ってしまう。ああ、でもアイツはもう狂ってるよナ。狂った魔術師のオッサンに飼われる僕は、なんて可哀相なのかしら)
 お気に入りの、よく日の当たる石の上にぴょんと乗ると、彼はまたあくびをした。
(少し眠ったら、また女中をおどしてエサをもらおうっと)
 そうしてしばらく、暖かな石の上でまどろんでいると、
(おや……なんだろう)
 すぐに何かに気づいてクンクンと鼻をならす。
(なんだろう。なんだかよく知っているような匂いがするぞ)
 それはとてもよく知る匂いである気もするし、そうでないような気もする。興味をひかれたように、彼はとことこと庭園の石畳を歩いていった。
(あのあたりだナ)
 植えられた木々に挟まれた、庭園の奥まった一角までゆくと、そこは城下の町並みが一望に見下ろせる、見晴らしのよい場所だった。
(そういえば、この辺までは来たことはなかったっけナ)
(でも、それにしてもなんだかこの懐かしい匂いはなんだろう)
 それははっきりとしたものではなく、その匂いを吸い込むと、じわりと何かを思い出させるような、そのような不思議な感じのものだった。
(ここに、なにかがいたんだナ)
 ドラゴンネコは、クンクンと地面の匂いをかいだ。ここに座っていると、なにやら暖かな感じがするのは何故だろう。
(大きなもの、なにか大きなものがいた……)
 そこはかとない安らかな気分が、彼を包み込んだ。そんな気分になったことは、あの魔術師のゲルフィーにここに連れてこられてからは、初めてのことだった。
(ああ。だってあいつはケチで、怒りっぽくて、ちっとも遊んでくれないものナ)
(エサだって、いつも人間どもの残飯ばかりだ。時々ネズミをくれるのはいいけどサ、でもたまには新鮮なサカナとかも食べたいし)
 そう思うと、再び不満な気持ちが沸き起こってくる。
(あああっ、もうこの城にいるのも飽きてきたナあ)
(いっそのこと、町へでも下りてゆくか)
 ここから見下ろすと、城壁に囲まれた町並みは小さく、それにとても狭苦しく思える。
(でも、町に行ってもどうせあいつに見つけられてしまうしな。分かってる。あいつの魔力はけっこう強いんだ。一見バカに見えても、五百年以上は生きている化け物だから)
 もう少しここで昼寝をしたら、魔術師が帰る前に、またあの部屋に戻っていようか。
(そりゃ、つまんないけどナ……)
 町の外に広がる、緑の森と草原を見下ろしていると、思わず飛び出して行きたいような、ちょっとした冒険心が沸き起こってくる。それに、この場所にあるなつかしい匂いをかいでいると、不思議と勇気が沸いてくる気がした。
(……うん、そうだよナ。ネズミと残飯のエサを待って、カビ臭い部屋で眠るより、やっぱり外の世界で新鮮なエサを食べてみたい)
(よーし、決めた)
 ドラゴンネコは、ひょいとひょいと近くの木の上に登った。高い枝の上に立つと、ぐっと体に力を入れ、背中の翼を広げる。
(はあ……飛ぶのって久しぶりだから、大丈夫かナ?)
 少し怖かったが、ゆっくりと翼を動かしていると、しだいに飛べそうな気がしてきた。
(新鮮な獲物っ、見つけるんだ!)
 気合を入れるように「にゃあ」と叫ぶと、ぐっと後ろ足を踏ん張り、思い切り蹴りあげた。
(わっ、わっ)
 ただちに落ちそうになるのを、慌てて翼をはためかせると、ふわりと浮く感覚があった。
(にゃっ、落ちるもんか)
 態勢を立て直すと、風に乗るコツを少しつかんだ。バランスをとるため、ぴんと尻尾を伸ばすととてもいいようだ。
 ドラゴンネコは、ぱたぱたとその翼を動かした。そうして、軽やかに……とはいかないまでも、空中庭園から飛び立っていった。

 うっそうと繁った森の中を、下生えを踏みしめ歩きつづけると、三人の前に小高い丘が現れた。木々はここでとぎれ、久しぶりに陽光の日差しが彼らをまぶしく照りつける。
「うへえ、ここを登るのかよ」
 目影をさして見上げながら、情けない声を上げたのは、詩人のレファルドだった。
 目の前に続く丘の高さは、山というほどは大きくはないが、斜面にはごろごろと大きな石が突き出しており、登るのはなかなか難儀なことに思われた。
「地図によると、この上に目指す廃墟があるはずだ」
 そう言ったガシュウィンの横で、詩人はすっかり疲れた顔で地面に腰を下ろしていた。
「なあ、ちょっと一休みしようぜ」
「さっき休んだばかりだろう。付いてこられないのなら置いていくぞ」
「ああ、わかったよ。いきますよ……」
 渋々と立ち上がったレファルドは、腹いせまじりにつぶやいた。
「まったく、こちとら楽器を背負っているナイーブな詩人なんだからな。体力バカの剣士さんとは違うんだ。もうちょっといたわってくれてもいいだろう」
「なにか言ったか?」
「ああ、いいや。なんでもないよ」
 振り向いたガシュウィンに慌てて笑顔を見せつつ、横にいるペトルに向かってはひそひそと囁く。
「なあ、あいつは筋肉でできた堅物だな。きっと脳みそまでムキムキなんだろうよ」
 くすりと笑ったペトルだったが、彼の方はこれだけ歩いてもまだ元気そうだった。
 かつての痩せっぽちだった少年は、老夫婦の家での生活で、見違えるように体力を取り戻していた。よく食べ、よく眠り、そして体を動かすことで、育ち盛りの体にはしっかりと肉が付き、今ではひと回りほど体格が大きくなったようにすら思えた。
 村を出発する時には、体力的な部分が不安でもあったのだが、こうして太陽の下を長いこと歩きつづけても、ペトルはもうまったく平気だった。むしろ、土の上を歩き、川を渡ったり、木々に囲まれた森の中をゆくことが、彼には楽しくて仕方がなかった。
 鳥たちのさえずりを耳に聞き、思い切り息を吸い込み、土の感触を感じながら歩いてゆく。それは、自分がこの世界に生きる動物であることを、改めて教えてくれるようだ。
「もうひと息だよ、レファルド」
 にこりと笑ってペトルは言った。
 ガシュウィンを先頭に、一行は丘を登りだした。少しずつ逞しくなる少年の背中を見ながら、詩人はふっと笑いをもらす。
「いつか、お前の歌を作ってやるよ」
「えっ?なにか言った?」
「いや、なんでもねえ。さあ、行こうぜ」
 三人の冒険者は、照りつける太陽のもと、ごつごつとした石が転がる丘の斜面を、一歩ずつ登っていった。
 辺りには、ほとんどといってよいほど木や草は見当たらない。固い土と岩ばかりの斜面を、日差しを受けながら登るのはなかなか大変だった。
 それに、まるでやって来る者を阻むようにして、大きな石が斜面に突き刺さるようにあちこちにあって、今にも転がってきそうな恐怖を、彼らに与えるのだった。
 ガシュウィンは、後に続くペトルのために、なるべく登りやすい足場を選んでくれていた。少年が少しつらそうだと見るや、ときおり足取りを緩めたり、振り返って声をかけたりもした。
 そうして三人は、ようやく丘の頂上にさしかかったのだった。
「ふぅー、きつかったなあ」
 はあはあと息を荒らげながら、レファルドは辺りを見回した。
 丘の上は案外広く、それに平らな場所だった。やはり周りに緑はほとんどなく、斜面と同じように大きな石があちこちに転がっている。というよりも、まるで誰かが大きな石を運んできて、並べるようにして置いたような、そんな感じであった。
「あっちに、なにかありそうだよ」
 指さしたのはペトルだった。そこに行ってみると、そこにはより大きな石が円を描くように並べられていた。ガシュウィンの背丈よりもずっと高い巨石が、ずらりと並んで置かれている様は、廃墟というよりは古代の遺跡のような、どこか神秘的な風景であった。
「こりゃ……面白いな」
 並んだ石の間を通りながら、レファルドは興味深そうに言った。
「もしかして、その巨人のなんとかって奴が、これを運んで並べたのだとすると、相当の力がありそうだぞ」
「ふむ。しかし、これだけの石を一人で運んでくるのは、いくら巨人でも無理だろう」
 目の前の大きな石を、ガシュウィンも不思議そうに見つめる。
「それじゃあさ、もしかして、巨人ってのはたくさんいるのかね?こんなデカい石を持ち上げるような連中がわんさかいると思うと……おお、怖いっ」
 ぶるっと体を震わせるレファルド。
「まさかな」
「まさかだよな」
 ガシュウィンと詩人は顔を見合わせた。
「ねえ、こっちに入り口があるよ!」
 石と石の間を入っていったペトルが、向こうから声を上げた。二人がペトルのもとへゆくと、そこは周りを石柱に囲まれ、その中央に石造りの縦穴があった。
「ここが廃墟への入り口か」
 四角くあけられたその入り口を覗き込むと、地下に向かって石段が続いていた。奥の方は暗くて分からないが、穴の幅は人が三人ほどは並んで下りられるくらいに広い。
「そりゃあまあ、巨人どもが出入りするんだからな、これくらい大きくないと」
 入り口を覗きながらレファルドが言った。その声はやや震えている。
「で……。は、入るのか?」
「ああ。行きたくなければ、ここで待っていてもいいぞ」
 ガシュウィンは冷たく言った。彼は食料の入った革袋と水筒を腰のベルトに縛りつけ、腰の剣を確かめると、少年に向き直った。
「ペトルはどうする?」
「ぼく、行くよ」
「危険だぞ?」
「大丈夫。ガシュウィンがいるもの。それに、おじいさんからもらった短剣だってあるし。怖くはないよ」
「そうか、分かった。では、なにがあっても、私から離れるな」
「うん。じゃあね、レファルド」
 まだ決心のつかないレファルドを残して、二人はさっそく地下へと続く穴の中へ入っていった。
「じゃあねって。お、おい……お前ら」
 取り残されたレファルドは、不安そうに辺りを見回した。
「おい……、オレをここに一人で置いてゆくのかよ」
 詩人はおろおろとその場を歩き回り、時々穴の中を覗き込んだ。穴の奥は暗がりに包まれ、もうペトルたちの姿はまったく見えなくなった。
「うう……、オレは、暗いのも狭いのも嫌いなんだよ……」
 しかし、一人でここに残って彼らが戻るのを待っているのも、同じように不安で寂しいことには違いない。
「くそっ」
 ついに決心して、詩人は穴の中へ足を踏み入れた。暗がりの中に、地下へと続く石段がずっと続いている。
「……ちくしょう。待ってくれよ。やっぱりオレも行く!」
 不安を振り払うようにそう叫ぶと、闇の中に消えた二人を追って、詩人は石段を駆け降りていった。
「あっ、レファルド」
 ようやく前をゆく二人に追いついたとき、彼は心底ほっとしていた。だが、それを顔には出さなかった。
「よ、よう」
 何事もなかったようににやりと笑い、二人にうなずきかける。
「やっぱり一緒に来るの?」
「ああ、なんていうか、お前らが心配だしさ。こんなわけの分からない場所に、二人だけで行かせるなんてのは……いけねえや」
 自分が一人でいることに耐えられなかったなどとは、プライドの高い彼には口が裂けても言えない。
「そう。でも、よかった。やっぱりみんな一緒の方がいいもんね」
 にこりと笑ってそう言ってくれたペトルの横で、ガシュウィンは詩人の足元をじっと見ていた。
「へ、へへ……」
 がくがくと震えていた足を、急いでしゃきんとさせると、レファルドは親指を立てた。
「よし。じゃあ……行こうか」
「うん」
「ここまで来たからにはもう戻れないぞ」
 ガシュウィンが釘を刺すように言う。それにふんと口を尖らせながら、詩人はごくりとつばを飲み込んだ。
 三人は、ガシュウィンを先頭に、さらに下へと続いてゆく階段を下りていった。
 地下へ続く石段は、はてしがないように続いていた。
 いったい、どのくらいの深さまで来たのか、とても長い間こうして下りつづけているような気もするが、先がどのくらいあるのか、まったく見当がつかない。それに、暗がりの中を石段を下りてゆくのはなかなか大変だった。おそらく、巨人のサイズに合わせて造られたのだろう、普通の階段に比べて一段一段の高さが大きいのだ。そのぶん天井もかなり高く、そのおかげで先が暗くとも、頭をぶつけたりするような心配はなかった。
「こいつは、たいした地下廃墟かもしれんな。普通の人間の手では、こんなに深くまで掘ることはできないだろう」
 延々と続くような階段の先を見つめながら、ガシュウィンがつぶやいた。
「じゃあやっぱり、ここに巨人たちが住んでいるっていうのか?」
「それは間違いあるまい。私も村長から話を聞いたときは半信半疑だったが、これを見るとそれは確かに本当らしい」
「巨人族か……そんなものが本当にいるのか。オレは世界各国を旅してきたが、そんなものを見たことはなかったぞ」
「まて、どうも少しずつだが、下の方が明るくなってきたようだ」
「どれ、おお本当だ」
 しばらくゆくと、はっきりとそれが分かった。
 暗闇の中を、どこまでも続くかに思われた階段は、どうやらもうすぐ終わりに近づいているようだった。少し下りた先が、うっすらと明るくなっている。
「ここからは、大きな声は出すな。足音もなるべく立てるなよ」
 ガシュウィンは二人に注意すると、やや慎重な足取りで、静かに階段を下りはじめた。ペトルとレファルドもそれに続く。
「あの明かりは、もしかして……巨人があそこに住んでいるってことなんだろうな、やっぱり」
「しっ、声を出すと言ったろう。先に向こうに気づかれたら、とてもこちらに勝ち目はない」
 戦士としての経験からだろう、冷静にガシュウィンが言った。
 詩人は不安そうに囁き返した。
「勝ち目って、おい……まさか、その巨人ってのと戦う気じゃないんだろう?」
「さあな、そういう場合もあるかもしれん、ということだ」
「ああ……やっぱり来るんじゃなかった」
「しっ、明かりはすぐそこだぞ」
 階段の終点は石壁になっていて、その右手には通路が続いている。明かりはその通路からもれてくるものだった。
 最後の石段を下りた三人は、通路の手前の壁に身をひそめた。近くに気配がないことを確かめると、
「よし、ではゆくぞ」
 いつでも剣を抜き放てる恰好で、ガシュウィンが進み出た。
 後の二人も、それぞれに武器に手をやり……といってもペトルは短剣、レファルドは投げナイフという、いささか頼りないものであったが、彼らは慎重に通路に踏み出した。
「ああ……すごいや」
 つい声を上げたのはペトルだった。その横では、レファルドもぽかんと口を開けて立っている。油断なく辺りを窺うガシュウィンも、周りに何の気配もないことを確かめると、あらためて目の前に広がる光景に目をやった。
 そこは、巨大な地下通路だった。
 まさか、地下深くにこれほどの空間があろうとは、誰も想像もしないに違いない。それほどに、これは広々とした通路であった。
 天井はおそろしく高く、足元の床も左右両側の壁も、しっかりと四角い石で固められている。辺りにはひんやりとした空気が立ち込めていて、そして、明かりだと思っていたのは、床石の間に生えている苔のせいであることが分かった。ヒカリゴケの一種なのだろう、それらがぼうっと光りを放ち、幻想的に通路内を照らしている。
「驚いたな。まさか、地下深くにこんなに広い空間があるとは」
 さすがにこの光景に感じ入ったように、ガシュウィンも熱心に周囲を見渡している。
「これを巨人どもが造ったってのか……」
「すごいや……こんな場所があるなんて」
 レファルドの横で、ペトルもすっかり魅せられたように、この広大な空間を前に立ちすくんでいる。
「まったくな。これなら、確かにここに化け物がいても、すげえお宝かなんかがあっても、全然不思議はないぞ」
 恐ろしさの中にも、非常な好奇心を刺激されたように、詩人はそう言ってぺろりと舌をなめた。
「なんにしても、これから歌にする冒険のネタが一つ増えたってワケだ」
「では、ともかく、前に進んでみるか」
 ガシュウィンを先頭に、一行は地下通路の冒険に乗り出した。
 広々とした通路は、まっすぐに先まで伸びていた。そして高い天井のせいもあってか、どこまでも続いていくかのように見えた。
「しかし、廃墟と聞いていたが、案外きれいなもんだな」
 レファルドの言うとおり、石造りの壁はところどころがひび割れてはいたが、壊れたり痛んでいるような場所はなく、床には石ころひとつ落ちていない。
「ここに住んでいるっていう巨人は、よほどきれい好きなのかね」
「さあな」
 詩人の言葉に、ガシュウィンはさして感銘を受けるようでもなく、前方に気を配りながら歩いてゆく。もしものときには、後ろにいるペトルを、なんとしてでも守ろうと考えているように、ときおり振り返り、また慎重に進んでゆく。
 ヒカリゴケの明かりを頼りに、三人は通路を進んでいった。奥にゆくにしたがって、辺りの空気はいっそうひんやりとしてくるように思われた。
 そうしてどのくらい歩いたろうか。どこまでも続くかと思われた通路の先に、ようやく壁のようにものが見えてきた。
「あそこが行き止まりなのか?」
 ガシュウィンが暗闇の先に目をこらす。
「なあ、行き止まりだったらさ、もう引き返さないか?このぶんだと、巨人って奴もどうやら見つからないみたいだし」
 ひきつった薄笑いを浮かべ、レファルドが言った。こんな地下深くまで来てしまったことに、相当に恐ろしさがつのっていたらしい。
「なあ、そうしよ……」
「いや、待て。向こうに扉のようなものが見える」
「なんだって?」
 さらに近づいてゆくと、ガシュウィンの言うとおり、ゆきどまりに思えた前方の石壁の右下に、四角い扉があるのが分かった。
「本当だ?」
 ガシュウィンの横に来たペトルが声を上げる。
「きっと、あそこに巨人さんが住んでいるんだよ」
「巨人さんだって?」
 げっそりとレファルドは言った。
「相手は化け物だぜ。そんなに楽しそうな顔をするなよ」
「だって……」
 ペトルの顔は、未知のものへの興味と冒険の楽しさに、きらきらと輝いていた。緊張を忘れさせるような少年の顔に、ガシュウィンもつられてふっと笑いをもらす。
「よし、行くか」
 再び顔を引き締め、三人は歩きだした。
 突き当たりの壁の前まで来ると、三人は息をのみ、その巨大な扉を見上げた。
「こりゃあまたでっけえ扉だぜ」
 詩人が呆れたようにつぶやく。
 彼らの前にそびえる扉は、太い丸太を縦に並べて造られたもので、その高さは、ガシュウィンの背丈の軽く二倍はあろうかというほどだった。
「やっぱり、こりゃ確かに巨人でもなければ、とても作れそうもないぜ……うう」
「静かにしろ」
 ガシュウィンが囁いた。
「どうも……この向こうに、なにかの気配がするようだ」
 そう言ったとたん、
 扉の向こうから、もの凄い声がした。
「うわっ」
 詩人が床に尻もちをついた。それは、それほど強烈な声だった。
 まるで獣かなにかのような、恐ろしく低い、そして凶暴そうな叫び声……
「な、なに……?巨人さん?」
 思わずペトルも、ガシュウィンの後ろに隠れていた。
「おそらく……」
 ガシュウィンが、ゆっくりと腰の剣に手をやった。
 つづいてまた、ぐおおお、という猛烈な叫び声が上がり、今度はそれに続くどかんどかんという、なにかを叩くような音も加わった。
「ひ、ひゃあ……」
 座り込んだ詩人が、恐ろしさに声を上げる。
「やめて、お願いっ」
 だが、次に聞こえてきたのは、少女ものと思われる悲鳴だった。
「中に女の子がいるよ」
「ああ、もしや村長の娘という……」
 ペトルとガシュウィンが顔を見合わせる。
「セシリーだ!」
 その声が聞こえたのだろうか、扉の向こうの叫び声がぴたりとやんだ。
「……」
 そのまま息をのむ三人の前で、大きな扉が音をたて、ゆっくりと開かれた。
 そして、どしん、という足音が響いたと思うと、巨大なものが、そこから現れた。



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