ミミーの魔女占い 後編 6/7 ページ



 翌朝、部屋で食事を済ませたミミーは、城の庭園でも散歩しようかと思ったが、さっそく訪れてきたお客がそれを許さなかった。
「おはよう。さっそく来たわ。城での最初のお客が私ってわけね」
 さっさと向かいの席に座ると、レナーテ嬢はいかにも命じなれた口調で言った。
「さあ、占って」
「は、はい」
 デュールとパステットは先に城の探検に出かけてしまっていた。ミミーはひとりペンデュラムを手に女性に向き合った。
「もう、隠しても仕方ないわね。私はこの城の領主の娘。私には腹違いのタンジェリンという妹がいるの。昨日の晩餐で父の横にいたのは、妹の母親よ」
 レナーテは簡単に自分の身の上を説明した。
「私の母は身分の低い侍女で、もう十年も前に死んでしまったわ。だから父上は、妹の方ばかり可愛がっているの。おかげで、私は二十八にもなっていまだ独り身よ。いいえ、でもそれはいいの。だって、私はあの方に出会ったんだから」
 うっとりと両手を組み合わせたその顔を、ミミーは注意深く見守った。頬を紅潮させたその様子は恋する女性の顔つきに違いなかったが、ミミーはどこか違和感を覚えた。
「そのお方の名は……フローリアン王子。昨日の晩餐で、ちらっと見たでしょう?あの方よ。私の想い人は」
「は、はあ……そうですか」
 品の良さそうな若い男性が、楽隊の曲とともに後から現れたことをミミーは思い出した。
「今年になってから、この城に滞在されているの。噂では、よいお妃候補を各地でお探しになっているとか。私はあの方にひと目で恋に落ちたの。ああ、でも……」
 とろけそうだったレナーテ嬢の顔が、一瞬にして醜く歪むのをミミーは見た。
「あの憎たらしいタンジェリンも、あの方を慕っているのよ。そうよ、私たち姉妹はライバルなの。ああ、それもあの子の方が私よりずっと若いから、フローリアンさまもまんざらでもなさそうにして。……いいえ、そんなことないわ!」
「つまり……そのフローリアン王子とのことを占うのですね」
「そうよ。私はあの方と結婚できるかしら。ああ、具体的なことはダメだったわね。じゃあ、私はあの方ともっとお近づきになれるかを、占ってちょうだい」
「分かりました。では、そのフローリアン王子のことを思い描いてください」
「もちろんよ。私はいつだってあの方を思い焦がれているのよ。朝も夜もずうっと」
 目を閉じた女性から強い念が感じられるのが分かった。これほど強力な想いというのはなかなかない。ミミーはペンデュラムを揺らしながら、水晶玉を覗き込んだ。
(ああ、分かるわ……、水晶の中に、未来が見える)
 これまでは、ただなくしものを探したり、簡単な数字や、イエスかノーかの文字盤に頼るだけだったが、今は水晶の中に、ゆらめく時間と、予兆の形とが、もやもやとだがミミーの目には見えていた。
(ああ、すごい……わたしの中の魔力が、開いてゆく)
 なにかがひとつ突き抜けたような、そんな感覚とともに、ミミーは全身から力が抜けるような心地よさを味わった。
「……北の物見の守護霊の名において」
 ミミーは、自分の口から、しゃがれた声が勝手に出てくるのを聞いた。
「未来の予見における、不変の法則は、現在の行動により変化するもの。よって、この占いによりすべてが決定されたと思う必要はない」
「は、はい」
 目を開けたレナーテが、ごくりとつばを飲み込んでうなずく。
「このままゆけば、汝の想い人は、いずれ汝の好まざる相手と、深く交わるであろう」
「な、なんですって。それは、あの方が私ではなく、よりによつてタンジェリンと結ばれるというの?そんな……そんな」
 女性の悲痛な声に、ミミーははっとなって顔を上げた。
「あ……あの」
 たった今しゃべっていたのは、はたして自分だったのだろうか。まるで、なにかが自分の中に降りてきたような、そんな感覚だった。ミミーは思わず自分の顔に手を当てた。
「本当なの?今の占いは、本当なの?」
「はい……ええと」
 自分がなにを告げたのかははっきりと覚えていた。ただ、それが自分の声ではない、もっと大きなものから与えられた信託のような不思議な感じだったのだ。
(こんなことはじめて。もしかして、本当の占いというのは、こういうものなのかしら)
 自分の魔力が解放され、体がふっと軽くなったようなあの感触。それは決して嫌なものではなかった。
「なんてことかしら……ああ!」
 女性は悲鳴にも似た声を上げ、髪を掻きむしった。
「ああ、嫌よ。そんなの嫌。あのお方が……私ではなく、タンジェリンとなんて」
「あの、レナーテさん。占いはすべてが決定された未来ではなく、その予兆や可能性を求めるものですから、そうなってしまうとはっきり決まっているわけではないんです」
 やや気の毒な気持になって、ミミーはなぐさめの言葉を口にした。
「ああ、そうね……まだそうと決まったわけではないのだわ」
 レナーテ嬢は青ざめた顔でうなずいた。
「ありがとう……さっきは苦しかったけど、今は聞いてよかったと思うわ。つまり、このままではいけない、そういうことなのね」
「ええ……あの」
「ひとつ、お願いがあるのだけど」
 女性の声が低くなった。その目が妖しい光を帯びている。
「媚薬を作ってちょうだい」
「えっ」
「魔女なんだから作れるでしょう?それに、ここなら材料にも事欠かないはずよ」
「でも……あの」
「お願い。人助けだと思って。このままでは、私の人生はおしまいだわ」
 ミミーは困ったように女性を見つめた。たしかに、媚薬作りは薬草と同じで、魔女にとっては人を助ける仕事のひとつではある。悪用しないかぎりにおいては、作ることも売ることも禁じられてはいないのだ。
「お願いよ。決して悪いことには使わないわ。私の愛をまっとうする、そのひとつの手段として、慎重に使うことを誓うわ」
「わ、わかりました。作ったことはありませんが……ちょっと、やってみます」
「ありがとう。じゃあ、これはそれも含めた代金ね」
 女性は金貨を置いて部屋を出ていった。一人になると、ミミーはほっとため息をついた。
「なんだか、びっくりしたわ……」
 媚薬作りを引き受けたことも大変だったが、それよりもミミーには、さきほどの占いで自分の魔力が開けるような感覚を得たことの方が大きな驚きだった。これまでは、ペンデュラムが指し示すものにしか予兆は感じられなかったのだが、さっきははっきりと未来の時間の流れに触れたような、そんな感じがした。そして信託のように、自分の口から言葉が出てきて……
「もしかしたら、わたしには占いの能力もあったのかも」
 そう考えると、なんだか愉快になってきた。自分の能力に自信が持てるようになること。それが魔女として一人前になるための第一歩だと、シーンからもずっと言われていた。
「占い、もっと頑張ってみよう。それと……媚薬も、ね」

 さっそく、ミミーは大釜の前に立ち、レナーテに頼まれた媚薬作りにとりかかった。
 ブドウ酒に、すりつぶした鳩の心臓、スズメの肝臓、ツバメの子宮、ウサギの腎臓の粉末を加え、とっておきのマンドラゴラの根をかけらほど入れてひと煮立ち。猛烈な匂いに咳き込みそうになりながら、魔力で念じるようにかき混ぜる。必要だったバーベナは、ちょうどよく戻ってきたデュールが庭園で摘んできてくれていた。香りづけにコリアンダーの実を砕いて入れ、仕上げに竜涎香を少々。言い伝えだと、恋をさせたい相手の血を入れると完璧になるというが、とりあえずはなくてもよいだろう。
 出来上がったどろりとした赤黒い液体をさまして、ビンに入れれば完成だ。
「初めて作ったので、効果は保証できませんけど。とりあえず、まずは少量ずつ飲ませてみてください。決して一度にたくさん飲ませないように」
 夕方やってきたレナーテに、ミミーはそう説明して媚薬を渡した。
「分かったわ。さっそくワインに混ぜてあの方に飲ませよう」
 喜んで媚薬を受けとると、彼女はうきうきと去っていった。ミミーは、かすかに罪悪感のようなものを感じながら、大釜に残った媚薬を別のビンに移した。
「ミミー、それが……びやく?」
 鼻をひくひくとさせてデュールが近づいてきた。たくさんのハーブや薬草を扱ってきたミミーにはさほどでもないが、彼にしてみるとよほど奇妙な匂いがするのだろう。
「そうよ、デュール。残りは棚にしまっておくけど、絶対に飲んではダメよ。いいわね」
「う、うん……ぼかぁ飲まないよ」
 デュールはちらりとビンを見て、さっと顔をそむけた。

 その翌日から、城に来た魔女の噂を聞きつけて、ちらほらとお客が訪れるようになった。
 ミミーは、これまでのようにデュールに手伝ってもらい、庭園のハーブ園から新鮮なハーブを仕入れると、ブレンドティーを調合し店に置いた。町でと同じように、健康にもよいハーブのお茶は、城の侍女や炊婦たちにも人気となった。軟膏や薬草などは怪我をした騎士たちにも好評になった。そして城の若い女性たちは、己の恋を占いたいとやってきて、頬を染めながらミミーの占いに耳を傾けた。
 ミミーは、水晶玉とペンデュラムでの占いに密かに自信を深めていった。最初にレナーテに占って以来、あのときに感じた感覚が、確かに繰り返し起きるのだ。そばにパステットがいるときにはより魔力が増幅されるようで、とても鮮明な映像が見えることもあった。
 十日ほどが過ぎるころには、城に来た小さな魔女、ミミーの占いは、城の女性たちの間で大きな話題となりつつあった。そして実際に、恋が実ったという少女が現れると、ミミーの占いの人気はさらに高まった。
 ただ、ときどきあまりよからぬ相談にくる客もいた。それは、自分の憎む相手を呪ってほしいというようなもので、ミミーはそれについてはやんわりと断りながら、お客の気持を少しでもなだめるために、魔除けや邪眼除けの天然石などを勧めた。また、媚薬とはいかないまでも恋のための妙薬を望む客も多かったので、ミミーは白ワインにコリアンダーの実を砕いて入れた、恋のブドウ酒を売り出し、それも密かな人気を呼んだ。
 そうした日々でミミーが気づき始めたのは、町とは違ってここにいるのは大半が貴族であり、とくに女性たちは己の恋や美貌を保つことについて、ものすごく熱心であるということだった。はちみつにトカゲのフンを混ぜて作る肌の若返り薬は、婦人たちの間で抜群の人気を誇ったし、蜜蝋をベースにアーモンドオイルを加えて作った美容クリームも、素晴らしく売れた。あるとき店に来たのは、領主であるホルガー伯の夫人であった。彼女も、ミミーの美容クリームの噂を聞きつけて、いくらお金を出してもいいとばかりに、それを大量に買っていったものだった。
 恋の占いと、美容と健康、これが城の女性たちの最大の関心事であるのは疑いようがなかった。一方では、パンのクズを求めてやってくる貧民たちは、健康にも恋にも無縁の存在に見えるほど、憐れに汚れて痩せ細っていた。ミミーは、そうした人々を見るのがしのびなく、晩餐に呼ばれても断ることがほとんどだった。彼らに対して自分はなにもできなかったし、彼らを見て哀れむことは、むしろ傲慢なことだとミミーは思っていた。
 ミミーは毎日を占いに没頭し、しだいに自分の魔力が自在にコントロールできるようになってゆくのを実感しながら、それなりに忙しく城での日々を過ごしていた。

 ルーナサーが近づいたある日のこと、ミミーは久しぶりに庭園に出て散歩をしていた。
 いつもなら、ハーブの仕入れはデュールにまかせるのだが、今日は天気もよく暖かだったので外に出たくなったのだ。
「たまにはこうして、外で太陽に当たるのもいいものね。月の魔力は受け取れないけれど、そのかわり光が体を浄化してくれる感じがするわ」
 ハーブ園へと続く、幾何学庭園に咲いているバラを眺めながらミミーが歩いていると、
「あら、誰かいるわ」
 ベンチに腰掛けてバラを眺めている男性がいた。男性とはいっても、まだほとんど少年のようにも見える。ミミーははじめ、それは城に仕える小姓かなにかだと思った。
「こんにちは」
「えっ、あ……や、やあ」
 声をかけると、男性ははじめミミーを見て驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「ああ、きみは魔女のミミー・シルヴァーだね」
「そうです。わたしを知っているんですか?」
「この城できみを知らないものはいないよ。それに、きみとは一度会っているだろう?」
「ああ、そうでしたか。ええと……」
「ほら、晩餐会でさ。忘れてしまったかい?」
 ミミーは思い出そうとした。そういえば、なんとなく見覚えがあるような……
「僕はフローリアンだよ」
「えっ」
 ミミーは驚いて声を上げた。
「フローリアン王子……でしたか。し、失礼いたしました」
 慌ててひざまずこうとするのを、王子は笑ってとめた。
「いいよ。そんなことしなくても。きみは僕の家来じゃないもの」
「は、はい……」
 確かに晩餐で見かけた気はするが、そのときはあまり印象になかったのは、人形のように無表情だったからだ。だか、今ここにいる王子は、やわらかな笑顔がとても優しそうだ。王子は今年で二十歳になったというが、どことなく少年のようなあどけなさを残している。
「なんだか、ちょっと疲れたのでね、ここでこうしてバラを見ていたんだよ」
「は、はあ……」
 ミミーは少しどきどきしながらうなずいた。
「まあ、お座りよ。ちょっと話をしないか?」
「で、でも……」
「なぜだか、ずっと君と話がしてみたかった。君が晩餐に姿を見せなくなったから、僕はけっこうがっかりしていたんだよ」
「あの……じゃあ、ちょっとだけ、失礼します」
 ミミーはおずおずと王子の隣に腰掛けた。
「ところで、君も知っているね。レナーテのことを」
「ええ……はい」
「領主の娘で、僕よりずっと年上なんだけど。最近、あのひとがやたらと僕につきまとうんだ。いや、前からなんとなく分かっていたんだけど。その妹のタンジェリンは僕と同い年で、そちらはやや病弱で、痩せて青白い顔をしている」
 王子は打ち明けるように言った。
「正直言って、僕はどちらも好みじゃないんだ。こんなこと、お父上のホルガー伯爵の前ではとても言えないけど。伯爵は、僕がどちらかの娘と一緒になることを望んでいる。いや、きっとタンジェリンの方を押しつけようとしている。レナーテはさすがに年上過ぎて、僕に娶らせるには気が引けるのかもしれない。でも、どっちにしたって僕はいやなんだ。そんな風に押し切られて結婚するのは。だって、僕はまだ二十歳になったばかりなんだ。僕だって、もっといろいろな出会いをしたいし、そのう……恋だってしたい。それなのに、病弱なやせっぽちや、年増の女を押しつけようとするなんて、そんなのあんまりだ。そう思うだろう?」
「は……はあ」
 ミミーはなんと言ってよいものかよく分からず、あいまいにうなずいた。だが王子の方はそんなことはどうでよいようで、たまっていたものを吐き出したいという風だった。
「僕にだって好みはあるんだ。もっと可愛らしくて、楽しくて、優しくて、僕を理解してくれるような娘がいい。ああ、でも……どうもおかしいんだよ。このごろ」
 王子はそう言って、苦しそうに頭をかかえた。
「変なんだ。前はあれほど嫌だったレナーテが、最近はそんなに嫌いでもなくなってきた。
ずっと年上で、気が強くて、押しつけがましいあの女性が……なんでこんなに気になりだしたのか。こんなふうになるなんて、少し前までは考えもしなかったのに」
「……」
「いや、誓って彼女を愛することなどない。僕の好みとはかけ離れている。でも……なぜだか、会うのがそう嫌でなくなってきた。いや、むしろ……今は早く会いたいくらいだ。なんでだろう。僕はきっとどうにかなってしまったのに違いない」
 苦しげな王子の横顔を見て、ミミーは罪悪感でいっぱいになった。
(わたしの媚薬のせいだわ……ああ、ちゃんと効いているみたい)
 レナーテがどの程度の量を飲ませたのかは知らないが、嫌いな相手を嫌いでなくさせているのだから、相当の効力があったみてよいだろう。
「ああ、僕はもう死にたい。いや、だがレナーテに会わなくちゃ。会いたくないけど、会いたいんだ。ああ、前までは彼女よりはまだ、タンジェリンの方がましだと思っていたんだけど。本当におかしいな。ああ、こんなことを君に話してもどうにもならないよね。でも、僕には話せる相手がいないんだ。今年いっぱいはこの城に滞在しなくてはならないと、父上にも言われている。でも僕は嫌でたまらない。いっそ死んでしまいたいくらいだ」
「そんな……」
 しだいに、ミミーはこの王子が憐れに思えてきた。それも、確かに自分の媚薬のせいで、これほど苦しんでいるのだから。
「ああ、でもきみに話したら少しだけすっきりしたよ。ありがとう。これからまたレナーテに会うんだけど。とても憂鬱だ。でも楽しみだ……いやそんなはずはない」
「あの、わたし、そろそろ戻ります」
 罪悪感が胸をしめつける。これ以上、王子の顔を見ていられなかった。
「ああ、ありがとう。また会えるかい?なんだか……君といると少し楽になるみたいだ」
「は、はい。それじゃ、また」
 王子と別れ、部屋に戻ったミミーはまだ胸をどきつかせていた。
「あれ、どうしたの、ミミー」
「なんでもないわ……デュール。大丈夫」
 だが、心はどうにも落ち着かない。うろうろと部屋を歩き回りながら、ふと考えるのはフローリアン王子のこと。
(ああ、わたしはなんてことを……)
 軽々しく媚薬などを作ったせいで、王子をあんなに苦しませることになるなんて。ミミーは初めて、魔女としての自分の仕事の、思いがけぬ結果への責任を感じていた。

 その数日後、
 またなんとなく庭園に出てみると、この前と同じバラ園のベンチにフローリアン王子が腰掛けていた。ミミーの姿に気づくと、王子は嬉しそうに手を振った。
「やあミミー。ここにいればなんとなく君に会えるような気がしてね」
「こんにちは。フローリアン王子」
「もう僕を王子って呼ばなくてもいいよ。君は僕に仕えているわけではない、一人の魔女なんだから」
 そう言って笑った王子は、なんとなくだが、この前よりも元気に見えた。
「はい。じゃあ……フローリアンさま」
「うん。ここにお座りよミミー」
 先日と同じように並んでベンチに座り、たわいもない会話をしているうちに、王子の表情はすっかりなごんでいた。
「やあ、やっぱり君といると、とても落ち着くなあ。不思議だけど」
「そうですか。少しでもお役に立てるなら嬉しいです」
「うん。なんだか可愛らしい子猫とたわむれているような、そんな優しい気持になるよ」
 王子はミミーの手にそっと触れた。
「魔女っていっても、僕らと同じように手は暖かいんだね」
「は、はあ……」
 男性にこうして触れられたことのないミミーは、思わずぱっと頬を染めた。
「それで、レナーテのことなんだけど」
「はい」
「なんだか、おとといあたりから、またあまり好きでなくなってきてね。これも変なんだけど、やっぱり会うのも疲れるし、できれば会いたくないような気持になってきたんだ」
(媚薬が、切れたんだわ……)
「やっぱり僕には彼女のような気の強い人は合わないよ。第一、歳が上すぎるもの」
「そ、そうですか……」
「うん。それに……ね、僕はあまり派手派手しい人は好きじゃない。もっとつつましくて、優しい、可愛らしい人がよいな。そして、一緒にいてなごめるような」
 王子の目がじっとミミーを見つめていた。
「……」
 ミミーは顔を真っ赤にしながら、黙ってただバラを見つめていた。とても王子と目を合わせることはできない。心がふわふわするような、そんな変な気分だった。

 その日の夜、ミミーのもとを二人の客が訪ねてきた。
 一人めは、ミミーの予期していた通りレナーテ嬢であった。少し不機嫌そうに眉を寄せた彼女は、部屋に入るなり「もっと媚薬をちょうだい」とミミーに詰め寄った。
「媚薬がなくなったとたん、フローリアン王子がそっけなくなったのよ」
 レナーテ嬢は、ヒステリー一歩手前という様相で、いらいらと足を踏み鳴らした。
「早く媚薬を。もっともっと飲ませなくちゃ。王子と結婚するまでは」
「それは飲ませすぎですよ。ほんの小量ずつ飲ませた方が、体にも害はないし、それにあまりたくさん飲ませては、相手の気分が急激に変わって混乱してしまいますよ」
「分かってるわ。そうするから。早くちょうだい。お金は払うから」
 ミミーは迷った。棚にはまだ何本かビンが残っていたが、このまま彼女に媚薬を渡し続けては、それを飲まされる王子の方が心配であった。
「あの……申し訳ありません。薬は切らしてしまっています」
「なんですって?いつできるの?」
「ええと……なるべく早くしますけど、材料が……あの」
「必要な材料があるなら、このお金で買ってちょうだい。明日でも明後日でも、とにかく早く欲しいのよ」
 レナーテ嬢はミミーに金貨を押しつけて、くれぐれも早くと念を押すと去っていった。
(これで……よかったのよ)
 魔女として、お客に初めて嘘をついてしまったという罪悪感はあったが、それでもこのまま王子を媚薬漬けにしてしまうことよりはましだと、ミミーは思った。
 晩鐘の鐘も過ぎ、そろそろ店を閉めようという時分に、二人めの女性客が現れた。
 黒の胴着に白いサテンのローブをしとやかにまとったその女性は、高貴な身分らしくお付きの女中を連れて、おずおずと店に入ってきた。
「こちらは、ご領主ホルガー伯爵様のご息女、タンジェリン様でごさいます」
 女中が告げた名を聞いてミミーははっとなった。噂には聞いていた、レナーテ嬢の腹違いの妹、タンジェリン姫である。
「あ、ようこそ。いらっしゃいました。どうぞお座りください」
 青白い顔をしたタンジェリン嬢は、無言でミミーをちらりと見ると、女中の手を借りて椅子に腰掛けた。その様子からも、彼女がレナーテ嬢とは正反対の性質であるのが察せられた。いかにも薄幸の姫といった感じである。
「外へ出ていて、ペルメル」
「は?ですが、お嬢様」
「いいから。お願い。私はこの魔女と二人でお話ししたいの」
 ぼそぼそとしたタンジェリン嬢の話し方は、どことなくデュールの独り言に近いものを感じる。たぶん、彼女もひどく内気な性分なのだろう。
 女中が部屋の外へ出て行っても、彼女はまだもじもじとして、しばらくはなにも言い出さなかった。ともかく用件を聞こうとミミーが口を開きかけたとき、奥の部屋からぬっそりとデュールが出てきた。
「ぼかぁ……寝たいけど、まだお客なの?」
 さっきまで眠っていたらしい。デュールはぼうっとしてさえない様子だった。
「ああ、いいのよデュール。先に寝ていてちょうだい。パステットもそのうち戻ってくるだろうから」
「ああ、じゃあ……おやす、み」
 デュールはまた寝室に入っていった。
「あ、あの……今の方は」
「デュールといいます。店を手伝ってくれているんですよ。ちょっと不作法ですけど、少し心の病気なんです。どうかお許しください」
「いえ、いいの。私も……周りからは心が病気だっていつも言われているから」
 消え入りそうなタンジェリン嬢の声は、注意して聞かないと聞き取れないほど小さい。
「それで、あの……今日は、占いをして欲しくて」
「そうでしたか。分かりました」
 ミミーはペンデュラムを手にすると、水晶玉ごしにうなずきかけた。
「どのようなことを知りたいでしょうか?」
「ええと……あの、あの」
 もじもじと両手を揉み絞る令嬢は、その色白の頬にかすかに血の気を上らせた。
「あの……ええと、」
「お好きな方がおられるのですね?」
 あまりのじれったさに、ミミーは先にそう口にした。
「え、じつは……そうなの」
「それは、フローリアン王子でしょうか?」
「えっ、どうしてそれを」
 タンジェリン嬢は驚いた顔をしたが、すぐに思い当たったようだった。
「ああ、姉が……レナーテはもうお知り合いなのね?姉から聞いたのでしょう」
「ええ。そうです。失礼ながら」
 実は王子とも会っていて、あなた方姉妹についても聞かされているとまではさすがに言えない。
「そう。フローリアン王子……お慕いしています。優しくて、気高くて、たくましく、まさしく白馬の王子のようなあのお方」
(優しそうだとは思うけど、そうね、あまりたくましくは……ないと思うわ)
 ミミーの内心の声などには気づかず、タンジェリン嬢はまるで夢見る少女のようにうっとりと目を閉じた。
「そしてあの方も、きっと私のことを……ずっとそう思っていたの。なのに、ここのところ、何故だか私よりも姉のレナーテとばかり会っているようなの」
「……」
 それが自分の媚薬のせいだとはとても言えない。
「ああ、どうしてなのかしら。こんなにお慕いしているのに、どうしてこの気持があの方には伝わらないのかしら」
 目に涙をため、今にも泣き崩れんばかりの顔で、令嬢はミミーを見て言った。
「お願い。それか知りたいの。教えてちょうだい。私はあの方と結ばれるのかどうかを。ああ……だめだわ。それを知って、もし結ばれないと言われたら、私はこの場で死んでしまう。せめて……そう、あの方が私を振り向いてくださるかを占って欲しいの」
「は、はあ……」
「私はこの通り病弱で、体が強くないから、レナーテみたいに強引にあの方を引っ張って連れ出したりはできない。だから、私はいつもベッドで夢見るの。いつか、あの方が白馬に乗って颯爽と迎えにきてくれ、私をお妃にしてくれるって。そうして、私は幸せになって、いつかは子どもも生まれて、そうしていつまでも、いつまでもあの方と二人で仲良く暮らせるんだって。それが私の夢なの。タンジェリンの夢なの……」
 はらはらと涙を流す令嬢に、ミミーは心を揺さぶられた。だが、さっそく占ってはみるが、どうにも令嬢の望むような未来は見えてこないようだ。水晶玉に映るイメージは、嘆きと悲しみの波動ばかりで、それは灰色とブルーに覆われていた。
「どう?どうかしら。ね……なにか見えて?分かって?私の夢は叶うのかしら?」
「ええと……そうですねえ」
 ミミーは言葉に詰まった。ありのままに伝えるべきかどうか。
「どうあっても、王子とは結ばれないようです」
 などと言ったら、そのとたんに彼女は卒倒するだろう。悪くすれば、本当に死んでしまうかもしれない。それはあまりに憐れだし、第一、この店で領主の娘が倒れたとあったら、それこそミミー自身にも大変なことであった。
「あの……それほど悪くはないようです」
 ミミーは嘘をついた。
「本当?じゃあ、私はあの方と結婚できるのね?そうなのね?」
「ええと、そこまではまだ……」
「そうなの。でも少なくとも、あの方は私に好意を寄せておられる。私を振り向いてくださる。それは確かなのよね。そうでしょう?」
「あの……それはたぶん」
「よかった!」
 タンジェリン嬢は、とたんにその顔を輝かせた。
「ああ、フローリアン様。お慕いしています。お慕い……しています」
 青白い頬を紅潮させてつぶやく令嬢を前に、ミミーはひどく胸が痛むのを感じた。もし、彼女の望むようにならなかったら、そこにはいったいどれだけの嘆きがあるのだろう。
 ためらったのち、ミミーは令嬢に媚薬のビンを渡した。これでひとときでも、望みが叶えられれば、彼女は幸せになれるのではないか。
(これで、よいのかしら……これで本当に)
 令嬢が帰っていったあと、ミミーは自問自答しながら寝床についた。
 その日はなかなか寝つけなかった。ふわりとしたパステットの毛皮が隣に入り込んでくると、少しだけ気が楽になった。きっと明日になれば、これでよかったと思えるはずだ。ミミーはそう思った。

 さらにその数日後のことである。
 やや重たい気分で庭園に出たミミーは、バラ園のベンチでフローリアン王子に遭遇した。声をかけずに通りすぎるのも失礼だろうと、ミミーは王子に話しかけた。
「あの……こ、こんにちは」
「やあ、ミミーか……」
 頭をかかえるように座っていた王子が顔を上げた。その顔はげっそりとしてやつれ、何日もろくに寝ていないように、目の下にはくまが出来ていた。
「なんだか、すごく久しぶりな気がするな。といっても、五日もたっていないのかな」
「フローリアンさま、なんだかお顔の色がすぐれませんが……」
「ああ、ここのところ眠れなくてね」
 王子は深いため息をつき、またうつむいた。
「なんでこうなるのか……僕にはもう分からない。何故、今度はよりにもよって、タンジェリン嬢のことが頭から離れないのか。うう……こんなバカな話はないだろう?」
 ミミーは黙ってうなずくしかなかった。これが自分のしたことの結果なのだ。
「ああ、もう僕はどうかなってしまったみたいだ。レナーテのことが頭から離れたと思ったら、今度はタンジェリンだ。なんてことだ。僕はこんなにも女狂いだったのか」
 苦しそうに頭を掻きむしる王子の姿を、ミミーはまともに見られなかった。あのときは、
確かにタンジェリン姫が憐れに思えて、つい媚薬を渡してしまったが、やはりそれは正しいことではなかったのだ。
「僕は……僕は自分が自分でないみたいだ。僕の頭が勝手にタンジェリンのことを考え、彼女に会えと命令してくる。うう……こんな、こんなことってあるのかい。苦しくて、どうにもやりきれない気持で、僕はもうおかしくなりそうだ……」
「ご、ごめんなさい……」
「どうしてミミーがあやまるんだい?それとも、こんな僕のことを、君は心配してくれているのかい?」
「はい……とても、心配です」
 ミミーにはそれしか言えなかった。しかし、それを聞いて、王子はその顔にやわらかな笑みを浮かべた。
「ありがとう。ミミー。僕のことを心配して、気づかってくれ、優しくしてくれる。僕が安らげるのは君といるときだけだ」
「フローリアンさま……」
 ミミーは込み上げてくる気持を感じながら、王子を見つめた。それが哀れみなのか、自らのしたことへの罪悪感なのか、それすらも分からずに。

 
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