ミミーの魔女占い 後編 4/7 ページ



「こんにちは」
 白い帽子をかぶった若い女性が店に入ってきたとき、ちょうどお客が途切れていたこともあって、ミミーは台所で軟膏の仕込みをしていた。
「いらっしゃいませ」
 ミミーが店に出てゆくと、そのお客は「あっ」と声を上げた。
「ミミー!」
「えっ?」
「私よ、ミミー」
 はじめ、ミミーにはそれが誰だったかまったく分からなかったが、女性が帽子をとると、
「リミー?」
「そうよ。ああ、久しぶりね!」
 それは、最初の村で初めて友達になった、あのリミーだった。
「びっくりしたわ、リミー」
「うふふ。驚いた?」
「うん。全然分からなかった」
 二人は手を取り合い、なつかしそうに互いの顔を見交わした。
 リミーの姿は、あの村にいた頃とはずいぶん変わっていた。短く揃えていた茶色の髪は、
いまはたっぷりと伸ばされて、綺麗なリボンで後ろにまとめられている。その服装も、まるで男の子のようだった村での彼女とは違い、レースの飾りのあるブラウスに、薄いピンク色の長スカートという姿で、とても女の子らしかった。そういえば、話し方や顔つきまでも、前よりもずっと大人っぽく、しとやかになった感じがする。
「だって、もう一年近くもたつのよ。髪も伸びるし、背も少し伸びたわ。ミミーだってそうでしょ」
「うん。それはそうね」
「まあ、パステットもすっかり大きくなって」
 陳列台のバスケットで眠っていたパステットも、挨拶をするように「にゃあ」と鳴いた。
「さあ、座ってリミー。今お茶を入れるから」
「ありがとう」
 久しぶりの再会をゆっくり楽しみたくて、ミミーは扉に「準備中」の札をかけた。
「とってもいいお店ね。この町でミミーがうまくやっているみたいで、私も嬉しいわ」
「ええ、おかげさまで」
 特製のブレンドティーを淹れながら、ミミーは笑顔でうなずいた。
「あの村もそうだったけど、この町でもいろいろと親切にしてくれる人がいて、とても助けられているわ。そうそう、リミーのおばあさんはお元気?」
「うん。元気みたいよ。手紙でやりとりしているけど。よくミミーはどうしているかしらって、おばあちゃんも気にしていたわ」
「そう。よかった。そのうち会いにゆきたいわ」
 ミミーはハーブティーのカップを置き、リミーの向かいに座った。
「どうぞ」
「ありがとう。いい香りだわ」
「レモングラスとペーパーミント、それにローズヒップを少々。はちみつを少し入れておいたわ」
「うん。美味しい。さすがね」
「魔女のハーブティーをお気に召していただいて」
 二人はくすくすと笑いあった。
「ところで、よくここが分かったわね。もしかして、リミーもこの町に?」
「ううん。私は隣のリンゲの町に住んでいるの。そこで学校に通いながら、私を引き取ってくれている家で家事の手伝いをしているのよ」
「ふうん。学校は楽しい?」
「楽しいよ。勉強ももちろん、いろいろな友達ができて。あの村では、同い年の友達なんて、ミミーのほかには一人か二人しかいなかったけど、町にはたくさんの子どもがいるの。
先生も若くてね。私ももう二年くらい勉強したら先生になって、子どもたちを教えるつもり。教えながら勉強して、いずれは大学に行きたいと思っているわ」
「すごいわ。目標に向かって頑張っているのね、リミーは」
「そんなでもないよ。ミミーの方こそ。こんな立派な店を持って、頑張っているじゃない。この町に来て、ミミーを探そうと町の人に尋ねたら、ああ、あのハーブと占いの魔女さんね、ってすぐに教えてくれたよ。この町じゃもう、すっかり有名みたいね」
「そんなことないけど……でも、よかったわ。そのおかげでこうしてリミーに会えたんだもんね」
「うん。あたしの町にいるエルフィルっていう魔女から教えてもらったんだよ。隣のクセングロッドの町にミミーがいるってね」
「そうだったの」
 そういえば、エルフィルはここから遠くないすぐ隣の町にいるのだとミミーは思い出した。すると、何故かとても心強いような気持になった。
「あの魔女さんは綺麗な人ね。あたしたちとあまり歳は変わらないみたいなのに、すごく上品で大人っぽい感じ」
「そうね。エルフィルはとっても優秀な魔女なのよ。王国の中でもとくに」
 ミミーは少し自慢げにうなずいた。
「でも、今のミミーだって素敵よ。それに頑張っているから、とても輝いているわ」
「ありがとう。リミー」
 ミミーは照れながら親友の言葉に微笑んだ。二人がお茶を飲みつつ語り合っていると、買い物から帰って来たデュールがおどおどと店に入ってきた。
「あ、あの……ぼかぁ」
「ああ、リミー。こちらはデュールよ。この店を手伝ってくれているの」
「こんにちは」
「こ、こんにち……わ」
 デュールがもじもじとしながら、店の奥へ引っ込んでゆくのを見て、二人はくすりと笑いあった。
「さて、あたしも、そろそろ帰らなくちゃ」
「えつ、もう?」
「うん。今日は午後の授業がなかったんだけど、この町に来るついでに、家の人から買い物を頼まれているの。帰ったら、また家事をいろいろとしなくてはならないんだ」
「そっか。大変だね。リミーも」
「ううん。全然。楽しいよ。村でうじうじしていた頃よりもずっと。忙しいけど、それは将来のために頑張っているんだって思えるもの」
 そう言ってにこりと笑ったリミーは、前よりもずっと魅力的で、大人に見えた。
「また来てくれる?」
「うん。また。もしかしたら、来週の休みとかには来られるかもしれないわ」
「待ってる」
 二人は手を握りあった。
 リミーを見送って、扉から「準備中」の札を外そうとしたときだった。ミミーはふとなにかの気配を感じて振り向いた。向かいの路地の暗がりに一瞬だけ、赤い目のようなものが見えた気がしたが、それはすぐに消えてしまった。
「なにかしら……」
 眉をひそめたミミーだが、すぐにうきうきとした気分が怪しむ心にふたをした。
「ああ、でもやっぱり、親友っていいものね。よし、わたしも頑張ろう!」

 そして一週間はなにごともなく過ぎた。
 ミミーの店は変わらずにぎわい、ハーブはよく売れ、なくしものや占いの客は、毎日引きも切らなかった。
 リミーからの手紙が届いた。そこに次に町に来られる日が書いてあったので、ミミーはあらかじめその日を店をお休みにすると、ポボルに頼んでパン屋のかまどを借り、リミーをもてなすためのケーキを焼いた。
「おや、それはよほど大切な友だちなんだね。店を休んでまでケーキを焼くなんて」
 はちみつとラム酒のシロップ作りを手伝いながら、ポボルが言った。
「はい。わたしの親友なんです」
「そうかい。いいねえ、友情ってのは」
 ポボルは、店にあるアーモンドや砂糖菓子を好きに使わせてくれ、おかげで初めてにしてはなかなか立派なケーキが出来上がった。ミミーは大喜びでケーキを持ち帰り、それからお茶の支度にとりかかった。
 リミーがやってきたのは、お昼を少し過ぎたころだった。
「こんにちは。来たわよ、ミミー」
「待っていたわ。入って、リミー」
 ミミーはうきうきと親友を招き入れると、さっそくとっておきのハーブティーを淹れた。
「さあ、どうぞ。こっちのは今朝わたしが 焼いたケーキなの」
「わあ、おいしそう。すごいわ、ミミー」
 アーモンドのスライスと砂糖細工で飾りつけをしたケーキを、二人ではしゃぎながら切り分ける。甘いケーキと、いい香りのハーブのお茶で、二人の顔には笑顔が浮かび、自然と会話も弾んだ。デュールには今日はお休みだから、ゆっくり寝ていていいと昨日から言ってあったので、店には降りてこなかった。パステットも散歩に出ていたので、ミミーは親友と二人でじっくりと語り合うことができた。
 そうして、楽しい時間はまたたくまに過ぎた。
 午後の三点鐘の音が響くのを聞くと、リミーは席から腰を浮かせかけた。
「あら、もうこんな時間。そろそろ帰らないと」
「あら、まだいいでしょ。お茶のおかわりは?」
「ありがとう。そうね……じゃあ、もう一杯だけもらおうかな」
「うん。じゃあ待ってて」
 もっとリミーと話せると、うきうきと台所へ飛んでゆくミミー。その後ろで、ゆらりとなにかが動いた。しかし、それはよほどの魔力を持つものでなければ気づかない、ほんのかすかな空気のゆらめきだった。
「お待たせ」
 ミミーはなみなみとハーブティーを入れた壺を手に店に戻った。リミーはとくに変わったところはなく、さっきと同じように微笑んでそこに座っている。
「いい香りね」
「でしょう?これは最近店で人気の健康ティーなの」
 レモングラスとエキナセア、ダンディライオンなどをブレンドした、特製のハーブティーだ。ミミーが二つのカップに注ぐと、独特の香りが立った。
「さあ、どうぞ」
「ありがとう」
 リミーがそれをひと口飲んだ。
「うん。ちょっとつんと来るけど、おいしいわ」
「つんと?そうかしら」
 ミミーが自分のカップのお茶の匂いをかぐ。
 そのとたんに、悲鳴が上がった。それは、「ぐっ」という喉をつまらせるような呻きとなり、リミーがぐらりと体を揺らせた。
「リミー!」
 床に倒れ込んだリミーの顔は苦しそうに引きつっていた。
「どうしたの?リミー、しっかりして!」
 いったいなにが起きたのか、ミミーには分からなかった。ただ目の前の親友が、息を荒くして苦しげに呻いている。
「ああ、リミー。どうしよう……」
 おろおろとしていたミミーだったが、すぐに自分を律した。
(そうだ、こんなときこそ冷静にならなくては!)
「とにかく、リミーを助けないと」
 体を震わせるリミーを仰向けに寝かせ、その手を握りながら耳元に言葉をかける。
「リミー、リミー。わたしが分かったら手を握り返して」
 すると、かすかにリミーの手に力が入ったのが分かった。まだ意識はある。だが、とても苦しそうだ。
「なにか、悪いものを飲んだのかしら。でも、どうして……」
 リミーの飲んでいたカップを手にとり、においをかいでみる。すると、
「なに……これ」
 そこにはハーブティーの香りではない、ひどくつんとした、嫌な匂いが混じっていた。
「これって……なにか、覚えがある匂いだわ。なんだろう」
「ああ、でも、まさか……」
 ミミーははっとして、よろい戸の横の棚に目をやった。いつもは陳列台に飾っておく、そのビンを目で探す。
「ない。ないわ……」
 そこにあるはずのマンドラゴラの入ったビンが消えていた。魔女キルケの植物と言われ、魔術に用いられたり、催淫剤や媚薬、薬草にもなる、不思議な根を持つマンドラゴラ。独特の匂いをもったその根は、すりつぶして使うと強力な毒にもなる。
「どうして……」
 昨日は確かにあった。だがいつのまにかなくなっている。リミーが飲んだハーブティーに、それが入っていたなどということがあるだろうか。誰かが入れたにしても、いったいどうやって?
「ああ、ああ……」
 声にならない呻きを上げているリミー。マンドラゴラを飲んだのだとしたら、その毒は半日ほどで人を死に至らしめる。
「ああ、リミー。どうすればいいの。どうすれば……」
 冷静にならなくては。リミーを助けるために。 
(誰かを呼ぼうか。向かいのポボルさんにでも……)
 だが、すぐにミミーは首を振った。
「マンドラゴラの毒は、マンドラゴラから作った薬草でしか消せないと習ったわ」
 だとすると、誰を連れてきても無駄だし、まして医者が診ても治るはずがない。瀉血治療などという時代後れなことをされては、いっそうリミーが弱ってしまう。
「ともかく、なくなったマンドラゴラを探すしかないわ。それも今日中に」
 しかし、どうやって。ミミーは考えた。
 誰かが、この店から持ちだしたのだとすれば、まだこの町の中にあるはず。しかも、魔女のミミーに気づかれずに、マンドラゴラのビンを簡単に持ちだせるのは……
(魔女しかいない……。やっぱり、)
 となると、犯人を決めつけるのはよくないが、どうしても、結論はそこに行き当たる。
(ウルスラ……)
 魔女のウルスラ・ブラッドを訪ねようと、ミミーは思った。
 そのとき、階段を降りてくる足音に、ミミーははっと顔を上げた。奥の扉が開いて、デュールが顔を出した。 
「あの、僕……なんか、声が聞こえたから」
「ああ、デュール」
 ミミーは、これをどう説明しようかと思ったが、余計なことを言うのはやめた。
「デュール。友だちのリミーが病気なの。わたしの部屋のベッドに運ぶのを手伝って」
 リミーはもう意識をなくしていた。ただ口からぜいぜいと息をはいて、小刻みに体を震わせている。
「リミー、もうちょっと辛抱して。きっと……きっと助けるからね」
 デュールと二人がかりでリミーの体を持ち上げ、なんとか階段を上って部屋へ運んだ。ベッドに横たわった青ざめた親友の顔を覗き込むミミーは、泣きそうになりながら、ぐっと口元を引き締めた。
 とりあえず、なにもしないよりはいいだろうと、解毒作用のあるペパーミントと苦痛を抑えるシャムロックで薬用ハーブティーを作り、それをリミーに飲ませた。苦しそうだったリミーの息が少し落ち着いてくると、ミミーはほっとした。だが、それでも時間とともに顔色は青ざめる一方で、このままでは毒が全身に回ってしまうのは疑いがなかった。
「デュール。わたしが出かけている間、ここでリミーを見ていてくれる?」
「ああ、ぼかぁ……いいよ」
 日が沈む前に、なんとかウルスラに会って、もし彼女のしたことならマンドラゴラを取り戻して、今夜のうちに薬草を作るのだ。そうしないと……
 リミーが死んでしまう。そんなことは考えたくもなかった。出かける支度をしているところに、カラスのパステットが木窓からふわりと飛び込んできた。 
「パステット。今までどこに行っていたの」
 カラスが猫の姿になったので、そばにいたデュールは仰天したようだった。だが、ミミーはそんなことにはかまっていられない。
「わたしはこれからウルスラに会いにゆくわ。お前は、王国へ飛んでマンドラゴラの解毒の薬を……」
 だが、言いかけてミミーは首を振った。
「だめだわ。今からじゃ、王国まで行って戻ってくるのは時間がかかりすぎる」
 今夜中に解毒薬を飲ませないと、おそらくリミーは助からないだろう。
「ああ……そうだわ。隣町のリンゼにはエルフィルがいる!」
 ミミーは思い出したように手を叩くと、急いで彼女に宛てて簡単な手紙を書きつけた。
「もしかしたら、彼女もマンドラゴラを持っているかもしれない。いい?パステット、お前は隣町まで飛んで、エルフィルを探してこの手紙を見せてちょうだい」
 ミミーはパステットの足に手紙を縛りつけると、その緑色の目を覗き込んで、自らの思いを託すように強く念を送った。
「お前ならきっと、エルフィルの魔力を感じとれるわ。急いでね。お願いよ。リミーの命がかかっているの」
「みゃあ」
 ひと鳴きしたパステットが再びカラスに変身し、窓辺から飛び立っていくのを見送ると、ミミーも急いで家を出た。

 太陽はゆるやかに傾きはじめ、黄昏の時刻が近づいていた。
 魔力の増幅するこの時間は、ちょっとしたことにも敏感になる。通りを行き交う人々が、自分を指さしてなにごとかをひそひそと言い交わす、それらの言葉もミミーの耳には感じとれるのだ。
「ほら見なよ。あの魔女だよ。毒を使って女の子を殺そうとしているんだって」
「本当かい?怖いねえ」
 ミミーがそちらにゆくと、話をしていた中年女が「ひゃっ」と声を上げて、慌てて逃げようとした。
「助けておくれ。魔女があたしを!」
「わたしはなにもしません。それより、わたしが毒を飲ませたって、そんなでたらめを誰が言っているんですか?」
「ひゃあ。呪わないでおくれ。邪眼もやめておくれ。あたしには亭主も子どももいるんだから」
「そんなことしません。わたしは毒も使いませんし。呪いもしません」
「そうなのかい?でも、さっきから通り中であんたの噂をしているよ。あんたが、毒を飲ませて女の子が死にかけてるって」
「なんですって?いったい誰がそんなひどい噂を……まさか」
 とても考えたくはなかったが、マンドラゴラを持ちだして、自分にそんな悪評を立てるような相手は、一人しか思い浮かばなかった。
 ほうきにまたがると、眉をつり上げたミミーは人目もはばからず空に飛び上がった。魔女ウルスラの店は、大通りを挟んだ町の西側にあるはずだ。
(ウルスラ……もし、これがみんなあなたのしたことなら、わたしは許さない)
 黄昏を迎える赤紫色の空を、ミミーのほうきが飛んでゆく。
「このあたりかしら」
 いくつかの通りを抜けた狭い路地の入り口で、ミミーはほうきから降りた。辺りは暗くなりはじめ、あまり人けがなく、並んだ店店もその多くがよろい戸を下ろしていた。
「なんだか、さびしい通りだわ……」
 通りの石畳は汚れていて、そばに肉屋か魚屋でもあるのだろうか、生臭いような匂いがただよっていた。道の端にはゴミや食べ物のくずなどが捨てられ、丸々と太ったドブネズミがうごめいている。しだいに暗さをましてゆく狭い路地を、ほうきを手にしたミミーは歩いていった。
 路地の中ほどに、屋根の崩れかけた一軒の家があった。ここがウルスラの店に違いない。釣り下がった五芒の透かし看板を見るまでもなく、ミミーには分かった。
 店の扉は開いていた。外から覗くと店の中は暗く、人がいるのかどうかも分からない。ミミーは少しためらったが、苦しむリミーの顔を思い出すと、思い切って足を踏み出した。
「さっきから、首のうしろがちりちりするわ。すごい魔力を感じる……」
 店は静まり返っていた。客が来なくなってから相当時間がたっているらしく、魔方陣が描かれた床はほこりだらけで、アメジストの鉱石やブラッドストーンなどの固まりが、そこら中に転がっていた。
「ウルスラ……さん、いませんか?ミミーです」
 すると、暗がりの向こうにちらりと赤い目が光ったような気がした。ミミーはおそるおそる、そちらへ歩いていった。
 奥の部屋には儀式用の祭壇があった。聞こえてくるかすかな詠唱のような声とともに、青白い炎がゆらめいた。見ると、ろうそくの灯る燭台は、人間の握りこぶしのようだった。
「ひゃっ……」
 ミミーは思わず声を上げた。
 ふっ、ふっ、という、獣のような息づかいが近くで聞こえた。
 と、ぴたりと詠唱の声がやんだ。ゆらりと顔を上げた人影が、ミミーの方を向いた。
「いらっしゃい。おじょうさん」
 色の異なる三角の切れ端をつなげたような奇妙なローブをまとい、不気味な黒い仮面をつけてたその人物がこちらを見た。
「あ、あなたは……ウルスラ?」
 相手は答えなかった。ふっふっ、という息づかいと赤く光る目が、ミミーの回りをうごめいている。祭壇の上には、怪物めいた妖しげな彫像や、魔力を増幅される儀式用の紐、わら人形などが置かれ、それらがろうそくの炎に影をゆらめかせている。
「来るとは思っていました。さあ、そこへお座りなさいな」
 儀式用の杖を手にしたその人物が、低い声で言った。
「ウ、ウルスラ……わたしは」
「さあ。お座り」
 有無を言わせぬその口調に、ミミーは仕方なく椅子に腰掛けた。
「あとでね、あなたの爪を少しもらえるといいのだけど。ダメかしらね……あの人形に入れたりはしないわ。呪ったりはしないから、ね」
「そ、そんなことよりも……」
 ミミーは勇気を振り絞って言った。無駄な話をしている時間はないのだ。
「ねえウルスラ。わたしのマンドラゴラを使って、リミーを苦しめているのは……あなたでしょ?」
 こぶしの燭台にささったろうそくの炎が、ぱっと大きく燃え上がった。そのとたん、ミミーはぎゅっと喉元をつかまれたような苦しさを覚えた。
「おだまり。まったく、なんて小娘だろうね。あたしからお客を奪っただけでなく、今度は人に罪を着せようとするなんて!」
 仮面を付けた魔女……ウルスラが足を踏みならした。
「憎たらしいったらありゃしない。おかげでこの店はこの通り、すたれ放題にすたれて、金も食べ物も底をつき、ついに昨日はネズミの肉を焼いて食べたのよ」
「そ、そうだったの。ごめんなさい」
 ミミーは、ともかく早くマンドラゴラを取り戻したいと、ともかくあやまった。
「じゃあ、今度からわたしのパンを分けてあげるから……」
「まあ、なんという傲慢さだろう!」
 甲高い声で、ウルスラはわめいた。
「あたしに食べ物を恵んでくれるというのかい。ひゃあ、素晴らしい高慢だねえ、ミミー。さすが名高きシルヴァーの性を持つだけあるよ」
「そんな……わたしはただリミーを助けたいの。あなたのやったことは、もう咎めません。
ただ、マンドラゴラを返して。リミーを助ける薬草を作らなくてはならないの」
「ふん。そんなもの知らないね」
「そんな」
 「ただ……、こうしようじゃないか」
 ウルスラの声の調子が変わった。
「あんたのお友だちが苦しんでいるのは、あたしの与り知らぬところだけどね。それを見捨てるのも、人助けを重んじるシビラの王国の魔女としてはしのびない。だから、さ……仲直りしよう。そして、あんたがあたしの言うことを聞いて、あたしの邪魔をしないと誓うのなら、マンドラゴラをあげよう」
 ウルスラの指さす棚の上に、見覚えのある形の根のマンドラゴラが入ったビンがあった。
「ああ、言っておくけどね、あれはあたしが持っていたやつだよ。あたしのマンドラゴラだからね」
「……」
 しかし、ミミーにはひと目で分かっていた。間違いなく、あれはミミーの店にあったものだ。だが、今はそんなことはどうでもよかった。とにかく、あれを持って帰れればそれでいいのだ。
「さあ、どうだい」
「分かりました」
 ミミーは素直にうなずいた。
「あなたの店の邪魔はしません。誓います。もともと、そんなつもりもありませんでしたから」
「ようし。ではあたしの言うことを聞くというんだね?」
「それは、どういうことでしょう?」
 ミミーの背後で、ふっ、ふっ、という息づかいが近くなる。赤い目をしたグレイハウンドは、ウルスラの忠実な使い魔だ。
「ともかく、握手だよ。ほら、仲直りの印にね」
「……」
 差し出されたウルスラの手を、ミミーはじっと見つめた。もやもやと嫌な気分があふれてくるが、そうするより他にリミーを救う手段がないのなら、仕方がない。
「さあ!」
「……ええ」
 うながされて、ミミーはためらいがちに手を伸ばした。
 そのとき、
「ダメよ。ミミー!」
 声がした。
「誰だい、せっかくの呪縛を邪魔するのは!」
 バサバサという羽の音とともに、壁際の暖炉から飛び出してきたものがあった。
 それは真っ白なふくろうだった。
「ひゃっ」
 鋭い爪に襲いかかられて、ウルスラの顔から仮面が落ちる。
「なっ、なんだい、こいつは……」
「トラッポ!」
 ミミーはその名を呼んだ。それは、よく知っている魔女の使い魔だ。
「クロウリー!なにをしているんだい。こいつを追っ払っとくれ」
 だが、ウルスラの使い魔のハウンド犬は、さっさとテーブルの下に逃げ込んでしまった。
「なんて役立たずなんだい。ほら、早いとここのフクロウを……うわっ、痛たた」
「無駄よ。使い魔にも等級があるの」
 戸口の方から声がした。凛とした響きの、美しい声が。
「ゴールド、ムーン、ホワイト、ブラック、そしてシルヴァーの魔女に仕えるものは、その他すべての使い魔を服従させるのよ」 
「あんたは……」
 息をのむようなウルスラと、驚きに目を見開くミミーの前で、銀色がかった金髪をかき上げて、現れたのは……
「エルフィル!」
 それは、もちろんエルフィル・ムーンであった。
「来てくれたの、エルフィル」
 目を輝かせ、ミミーはそちらに走り寄った。
「あなたが呼びによこしたんでしょう。この子を」
「パステット」
 ネコの姿のパステットがミミーの足元にきた。それを抱き上げてたくさん撫でてやる。
「よくやったわ。パステット。ありがとう」
「なんだか、あなたの場合は……使い魔というよりも友だちみたいなのね」
 少し呆れたようにエルフィルが言った。
「それにしても、間一髪というところね。ミミー、もう少しでこの魔女の呪縛にかかるところだったわよ」
「呪縛……」
「魔女の呪縛は、長い詠唱の呪文を唱えてから、その相手の手を握るか、相手の髪の毛か爪を、呪いの人形に入れれば完全になるわ。そうなったら、あなたはもうただの奴隷のように、この魔女のいいなりになるところだったのよ」
「ちぇっ、まったく!」
 ウルスラは赤い髪を振り乱し、恨めしそうにエルフィルを睨んだ。
「肝心なところで邪魔をするとはね。ムーンの魔女さん」
「邪魔しているのはどちらなのかしら?ブラッドのウルスラさん」
「なんだって?」
 眉をつり上げたウルスラは恐ろしい形相になった。しかし、エルフィルの方はまったく気押される様子もなく、腰に両手を当ててつんとあごをそらした。
「あなたは、ミミーの店からマンドラゴラを盗んで、それを罪もない女の子に飲ませた上に、町中にミミーの悪評をまいているそうね。とても同じ仲間とは思えない。いいえ、魔女というよりも誇りのある者なら、とてもできない行為だわ」
「ふん。なにを証拠にあたしがそんなことを……まったく」
「あのマンドラゴラはどうしたの?」
 エルフィルが棚のビンを指さす。
「あれは、あたしが自分で取ったんだよ。このクロウリーに引かせてね」
「へえ、それはそれは。さっきからテーブルの下で震えているあなたの使い魔だけど、マンドラゴラを引き抜いたのなら、命はなかったはずよ」
「そ、それは……あたしがあとで生き返らせたんだよ」
「甦らせの秘術は、最高位の魔女でも難しいわ。たかが、ブラッド性のあなたの力では……とても無理ね」
 くすりと笑ったエルフィルに、ウルスラは顔を真っ赤にした。
「ガキの分際で、よくもあたしをバカにしたね。許さないよ!」
「あら、どう許さないのかしら。魔女の力には年齢はそれほど関係ないわ。一番は資質よ。私たちムーンとシルヴァーの二人を相手にして、魔力で勝てると思っているのかしら」
 ミミーは二人のやりとりをはらはらしながら見ていたが、腕の中のパステットがひょいと離れてテーブルの上に飛び乗った。
「なんだいこのネコは。生意気に、あたしに歯向かおうってのかい」
「パイワケットの血を引くエルフキャットよ。どうやらもう覚醒しつつあるようだから、
魔力ではわたしのトラッポの上をゆくわ」
 パステットの緑色の目が、静かにウルスラを見つめていた。すると、不思議なことが起こった。
「な、なんだい……これは。力が、入らない」
 ウルスラが呻いた。その顔がしだいに青ざめてゆく。
「なんだか、眠い……よ。うう……」
 ずるりと壁にもたれたウルスラの体が、そのまま床に倒れ込む。
「魔力を吸い取ったのね。もうしばらくは起きないわ」
「パステット……すごいわ」
 ミミーは驚きながら、眠ってしまったウルスラを見つめていた。
「ふふ。わたしが来るまでもなかったかしらね」
「ううん。そんなことないわ。ありがとう、エルフィル。来てくれて」
 ミミーは、エルフィルの手をとって心から感謝した。
「さて、念のためにウルスラには何もかも白状させましょう。自分の罪を認めさせて、もう二度とこんなことをしないように」
「そんなことができるり?」
「ええ。キラン石を持ってきたわ」
 エルフィルは、黄色みがかった小さな石を取り出した。それを布に包んでウルスラの頭の下に敷く。
「タゲリ鳥の巣からとった石よ。眠っている相手に使うと自白作用があるの。ちょうど魔方陣もあるし、王国の監査部へつなげて、自白を記録させましょう」
「すごいわ。エルフィルってなんでもできるのね」
「別に。ただ、こういうのはけっこう好きなのよ。あなたの占いのようにね」
 エルフィルは魔方陣の上に立ち、儀式刀を手に精霊を召喚すると、次にウルスラに向けて命じるように言った。
「汝、ウルスラ・ブラッド。王国の魔女の名において、己の罪を語るべし。我、エルフィル・ムーン、そしてミミー・シルヴァーの前で、その真実を語るべし」
 横になったウルスラの体がかすかに震えだした。
「ウルスラ・ブラッド、汝はマンドラゴラを盗み出し、それを罪なき少女に飲ませたことを認めるか」
「……う、うう」
 ウルスラの口元がぴくりと動いた。最後の抵抗のようにその体が大きく揺れる。
「み……み、認め……る」
 その口から確かな声が発せられるのを、二人は聞いた。
「よし。では、ここにいるミミー・シルヴァーを、よからぬ噂を流すことで、人々の信頼をおとしめ、それを己の益にしようと企んだことも認めるか」
「みとめ、る……」
「よし。この自白は王国の監査部に記録された。汝の罪は明白となった。これより、汝は魔女としての個人の権利を剥奪され、その処分は王国にゆだねられるであろう。我、エルフィル・ムーン、そして立ち会ったミミー・シルヴァー、二人の魔女を証人として」
 エルフィルが言葉をおえると、そのままウルスラはぐったりとなって動かなくなった。
「魔力が回復するまでは眠り続けるわ。目が覚めても、今の自白の記憶は彼女の中に残るから、もう下手なことはできないでしょう」
「あ、ありがとう。エルフィル。わたし……なんといったらいいのか」
「あなたは、まだまだ甘すぎるのよ。いずれ、こういうことは他の町に行っても起こり得るのだから。そのときはもう助けられないわよ」
「う、うん」
 ミミーの足もとに、パステットがすり寄ってくる。
「パステット。お前も、本当にありがとう。すっかり助けられてしまって。お前は、わたしよりもひと足先に大人になってしまったみたいね」
「みゃあ」
 抱き上げてやると、前と変わらぬ様子でパステットは可愛らしく鳴いた。
「さあ、早くマンドラゴラを持って帰ったら。解毒薬が効くのは今夜いっぱいでしょう」
「そうだわ。ありがとう、エルフィル。わたし行くわ」
 マンドラゴラのビンを手にして、ミミーは店を出た。 
「本当にありがとう、エルフィル!トラッポも」
 もう一度礼を言うと、ミミーはほうきに飛び乗った。ふわりと浮かび上がると、カラスに姿を変えたパステットがついてくる。
「すごいわ。こうしてお前と一緒に飛ぶのは初めてね」
 すっかり暗くなった夜空には銀色の満月が輝いていた。
 ミミーのほうきとカラスのパステットが、並んで月夜を飛んでゆく。


次ページへ