ミミーの魔女占い 前編 1/6 ページ

登場人物

ミミー・シルヴァー…魔女見習い
パステット…ミミーの使い魔の黒猫
シビラ…魔女の王国の女王
シーン・ゴールド…先輩魔女
エルフィル・ムーン…ミミーのライバル魔女




 目の前をばさばさと横切った黒いものに、ミミー・シルヴァーは、思わず「あっ」と声を上げそうになった。
「声を出してはダメ!」
 鋭い注意の声に必死に叫ぶのを堪えると、黒いものが、ふわりと樫の枝に舞い降りた。
「怖いと思ってもだめ。もう心のうちは知られているわ」
 厳しい口調でシーンが言う。彼女はゴールドの姓をもつ魔女だ。
「でも……」
 だがミミーはまだ怖かった。体が勝手にぶるぶると震えるのだ。
 枝にとまっている、黒い大きなものをちらりと見る。深い緑色の目が、まるでこちらの心を計るように、じっと見つめている。こんなにも大きいなんて聞いていなかった。
「静かに。心を静かに澄ませて。そして落ちついて、ゆっくりでいいからね、召喚の呪文を唱えるの」
「はい」
 シーンの声に励まされ、ミミーはひとつ息を吸い込むと、大きく口を開けて詠唱の言葉を読みあげた。
「北の物見の塔の主たちよ、大地の主たちよ、北の極の守護者たる北風のボレアスよ、強大なる神々、たおやかなる女神よ、魔方陣の守護として我は汝を呼び起こし、ここに召喚せん」
「五芒をきって!」
 右手の指で中空に向かって星の字を描く。
「忘れないで。地の召喚五芒星よ。呪文を唱えながら左下へ大きく描くこと」
 ミミーはうなずいた。
 シーンの指導は的確で分かりやすい。今度はきっとうまくいく。
 そろそろ日が沈みかける時分だろう、樫の枝の間に覗く空は、黄昏の紫に彩られている。
魔女の王国では、いよいよこれからが活動の時間だ。
 木々の間に風が吹いた。
 そのとき、目の前の空間がゆらりと揺らぐような、奇妙な感覚があった。
「きたわ」
 シーンがやや声を緊張させ、マントのフードを後ろにやる。うっすらとした亜麻色がかった金髪が、月光を浴びてきらきらと光るようだ。それに思わずミミーは見とれた。
 雪のような白い肌と、ふさふさと輝く金色の髪の美人。そして知的で優しく、女性らしい……シーンは、いつもミミーの憧れであった。
「気をそらさないで。精霊がパイワケットに宿るわ」
「は、はい」
 うなずいたミミーはまた緊張の顔つきになる。
 黒々と羽を広げた大ガラスのパイワケットが、かっとその目を光らせた。
 パイワケットは女王シビラの使い魔であり、ただのカラスではない。大いなる魔力を秘めた天空から来た生き物で、ときに精霊を呼ぶための媒介者ともなる。
「せ、精霊よ、大いなる神々の仲立ちたる力を持った聖なる魂よ、どうか我に大いなる汝の加護をさずけたまえ。我は北西の塔で生まれしミミー・シルヴァーなり。我に、精霊の力を授けたまえ。そして我が分身となり、友となり、光と闇におもむくに供にあるべき、大いなる精霊の守護身を、授けたまえ」
 ロータスワンド(杖)を右手に持ち、ミミーは全ての願いを込めるように唱えた。
「偉大なる女神アラディアの名の元に、我が王国の女王シビラに仕える我に、どうか精霊の加護を!」
 黄昏から夜へと移り変わるひととき。夜明け前とともに、もっとも魔力が高まる時間だ。その暗くなりはじめた空のもと、ふっと風がとまり、すべての鳥の鳴き声が消えた。周りは静寂に包まれた。
「シ、シーン……これでいいの?」
「しっ、黙って。そのまま、ずっと心で強く願い続けるのよ」
 シーンは手にしたアサミィ(儀式用の短剣)で、ゆっくりと地面に円を描いてゆく。
「女神アラディアの名の元に、精霊の加護を」
 すると、樫の大木の枝にとまっていた大カラスが、その艶めいた青黒い羽をばさりと広げた。そして一瞬、その体をぴくりと震わせ、そのままバサバサと飛び立っていった。
「魔法円が解けたわ」
 シーンがふっと息をつく。
「ダメだったの?……」
 横にいたミミーが不安げに訊いた。
「そんなことはないと思うけれど」
「どうしよう。これがダメだったら、もう私……試験失格だわ」
 しゅんとするミミーの肩に、シーンは優しく手を置いた。
「大丈夫よ。確かに精霊からの応えはあったわ。かすかだったけど」
「でも……」
 あたりにはまた風が吹きはじめ、木々の上からは再び静寂をやぶって、鳥たちの声が響きだした。巣に向かうムクドリたちだろう、きいきいととても騒がしく鳴いている。それに混じって、別の小さな鳴き声がしたのをミミーは聞いた。
「シーン、今……」
「ええ」
 日が沈みかけ暗くなる林の中に、確かな生き物の気配が生まれていた。魔女の修行をはじめてから人や動物などの気配には敏感になり、どんなに小さなものでも、その存在をはっきりと感じ取れる。
 ミミーは周囲を見回した。暗がりに目をこらすと、さきほど、大ガラスのパイワケットがとまっていた樫の木の根元、そこに……小さな、とても小さな黒いものがいた。
「みゃあ」
 可愛らしい鳴き声。ミミーは、そっとそちらに近寄った。
「お前なの?」
 暗がりの中に、緑色の目がきらりと光っている。
「……」
 ちょこんと座ってミミーを見上げる……それは、真っ黒な小猫だった。
「お前なのね?」
 ミミーの心に喜びが湧き起こった。
「さあ」
 手を差し出すと、子猫はおびえたように後ずさった。
「怖くないよ。だって、私はお前を待っていたのよ。お前は、精霊が私に与えてくれた使い魔……ううん、まだ私は魔女になっていないから、友達ね」
 にっこりと微笑みかけると、子猫はちょこんと首をかしげた。つやつやとした真っ黒な毛並みのほっそりとした子猫だ。胸に白い斑点があるのが、なんだかお洒落な感じである。
「お前、きれいね。美人だわ」
「にゃあ」
 子猫はさっきよりも大きく鳴いた。「誰なの?」というように。
「私?私ね、ミミーっていうのよ。魔女見習いのミミー・シルヴァー。よろしくね」
「にゃ」
 子猫は小さく首をかしげた。その様子はまるでミミーの言葉を理解しているかのようだ。
「お前……ええと、名前はどうしよう」
 闇の中に溶け込むようなその黒猫をじっと見つめ、
「パステット」
 ミミーは心にその名を思い描いた。
「お前の名前はパステットよ。ね、いいでしょ」
「みゃあ」
「気に入った?」
 もう一度手を差し出すと、今度は触れてもいいよというように、子猫は体を寄せてきた。
「よろしくね、パステット。これからね……」
 ミミーは黒猫を抱き上げると、温かな小さな黒い体に頬を寄せ、囁いた。
「私たちはずっと一緒なのよ」
「よかったわね。これで最後の試験は合格よ」
 ミミーの横に来たシーンがほっとした顔で言った。
「精霊があなたの供となるものを授けてくれたのだわ。これで、なんとかソーウィンの祭りまでに間に合ったわね」
「うん。ありがとう、シーン」
 笑顔でうなずき、ミミーは腕のなかで丸くなる小さな子猫を、いとおしそうに抱いた。

 山に囲まれた魔女たちの王国で、冬を迎えるソーウィンの祝祭が盛大に行われた。
 数えきれないほどのたくさんのろうそくが町中に灯され、儀式の森には王国のすべての魔女たち、魔女見習いたちが集まり、歌を歌い、精霊に詠唱し、そして踊り、騒いで楽しんだ。
 混沌に挑戦し混沌を笑い飛ばすという、古くからのしきたり通り、大騒ぎの祝宴と悪戯を魔女たちは存分に楽しみ、そしてやって来る冬を越えるべき力をみなぎらせる。それが次の復活の季節の、その訪れの確信となるのである。
「おお、柊の王よ、どうか我らをお守りください」
 赤い実をつけたヒイラギと、この町のシンボルである樫の大木を囲むように、魔女たちが輪になって手をつなぐ。その中央にひざまずくのは、高々と両手をかかげる女王シビラである。
「銀の車輪の城におはす、樫の王がやがて復活するユールの日まで、どうか我らにひとときの祝福を与えたまえ」
「与えたまえ」
 輪になった魔女たちが、女王の声にならい一斉に唱和する。
 ミミーたち見習い魔女は、魔女のつくる輪のさらに外側で手をつなぎ、先輩魔女の真似をしながら、ときに両手をかかげ、詠唱の文句を唱える。
 ここは魔女の王国。
 魔女と、魔女になるための見習い魔女が住む、特別な王国なのだ。
 女王シビラの肩に、漆黒の羽をした大ガラス、パイワケットがふわりと舞い降りた。大いなる魔力をもつこのカラスは、そこいらの魔女よりもよほど強い力をもち、大いなる精霊との仲介役ともなる、女王シビラの使い魔なのだ。
 そのシビラは、すでに齢にして五十年を数えるはずだが、その見かけはまったく若く、しっとりとた黒髪に、なめらかな白い肌をした美女である。その艶やかな黒髪を高く結い上げ、黒ビロードの長スカートに、祝祭のための刺しゅうや飾りが施されたローブをまとい、威厳ある面持ちで頭上の満月を見上げている。それは、物語の中のように幻想的な姿だった。
(きれい……)
 ミミーはやや離れたところから、うっとりと女王の姿を見つめていた。
「みゃあ」
 その足元に、小さな黒猫が体をこすりつけてくる。
「パステット、もう少しだから、ね。おとなしくしていて」
「みゃあ」
 黒猫のパステットは、ひと月の間にだいぶ大きくなり、すっかりミミーにも慣れてきていた。ときどき言うことを聞かなくなるが、今はミミーと同じにソーウィンの祭りの儀式に興奮する様子である。ぴんとしっぽを立て、そわそわと魔女たちの輪を覗き込んでいる。この儀式に降りてくる見えない力の存在が、なんとなく分かるのだろうか。女王の使い魔であるあのパイワケットが、精霊と交感して遣わしてくれたのだから、もしかしたらパステットはその魔力を引き継いでいるのかもしれない。
(まさか……でも、そういえば、あのときもすぐにパステットという名前が思い浮かんだっけ。やっぱり、この子はあのパイワケットの子供かなにかなのかしら)
 儀式の最中であったが、思わずミミーはそんなことを考えていた。
「我らが女神アラディアの名の元に。大地と宇宙と月に、忠実なることをお誓いします」
「お誓いします」
 高々と響くシビラの声に魔女たちが唱和し、ミミーも慌ててそれに合わせる。
 厳かな儀式が終わると、それからは無礼講の祝宴がはじまる。本格的な冬に備えるためのパワーを得るために、大いに飲み、食べて、陽気に歌い踊るのだ。魔女たちは口々に歌いはじめ、隣のものと手をとって踊りはじめた。
 黒や白のローブ姿のたくさんの魔女たちが、樫の大木を囲んで踊る様は、とても不思議で、幻想的な光景だった。それぞれにほうきや杖を手に、この日ばかりは乱痴気騒ぎも許されるのだと、誰もが声を上げて笑い、放歌高吟してはしゃぎまわる。年老いたものも、若い者も、ミミーのようにまだ少女の見習い魔女も、みな一緒になって騒ぎ、踊るのだ。
 白い月が輝く一夜、ソーウィンのお祭りは、そのようにして愉快に更けてゆく。そうして、またひと月が過ぎ、柊の王が銀の車輪の城へと去り、代わって樫の王が復活するユールのサバトを終えると、また魔女の王国は新たな一年の始まりを迎えるのだ。
 新たな年になると、それはミミーの旅立ちの年でもあった。

 ミミーは十三年前の秋分の前の晩に、北西の塔で生まれた。
 この王国では、生まれた赤ん坊はそれが女性であると、即座に塔のてっぺんで精霊の祝福を受け、魔女としての人生の始まりを告げられる。もしも生まれた赤ん坊が男児の場合は、すぐに王国の外へ出され、町の修道院に引き渡されることになる。つまり、この王国には男はいない。ここは女だけの、魔女の王国なのだ。
 生まれたばかりのミミーは、シルヴァーの姓を与えられた。魔女の王国には三十六の姓があり、赤ん坊には、生まれた塔の方位や、祝福を受ける精霊の種類、それに占いなどによってふさわしい姓が与えられる。
 ゴールド、シルヴァー、コッパー、クリステル、アンバー、ベリル、コランダム、ムーン、ウインド、ウッド、ウォーター、ヒル、ブラッド、ボーン、ストーン、ホーン、クロウ、ブラック、ホワイト、グリーン、ブルー、ナイト、ベル、チャリス、アサミィ、ワンド、オーク、アッシュ、シカモア、バーチ、クラタガス、サンバカス、キラン、ローレル、シャムロック、バーベナ、
 といった具合に、三十六の姓は、それぞれがカブン(グループ)となり、家族のようにその姓の守る魔力を受け継いでゆくのだ。そこには血のつながりではなく、精霊と運命のつながりによる絆がある。年寄りの魔女は若い魔女に、若い魔女は少女の見習いに、それぞれの力や技を伝授してゆくのである。
 ミミーがシルヴァーの姓を授かったのは、なかなかに運命的なことだった。なぜなら、ゴールド、シルヴァー、ムーン、ホワイト、ブラックという、これらの姓は、特別な力のカブンを意味し、王国の中でもとくに敬われている。よほどの強い運命の持ち主か、生まれた時点で魔力が相当に強いかでなければ、それらの姓を受けることはまずないのだ。
 しかし、ミミーは、言うならばいたって普通の少女であり、魔女見習いだった。同世代の娘と比べても、とりたてて何かが引き立っているということもなく、ごく普通の……もう少しいうなら、少々おっとりとした性格をした少女であった。
 だから、当のミミーは、ときおり自分が優秀な「シルヴァー」という姓を持つカブンの一員であることを不思議に思ったり、あるいは、ときにそれを重荷に感じたりもしていた。
(私は、本当に魔女になれるのかしら……)
 彼女はいつもそんなふうに考えていたし、年の近い周りの少女たち、たとえばエルフィル・ムーンなども、ミミーに対して疑問を持っていた。
 エルフィルは、ミミーよりも一つ年上の少女で、優秀な魔女見習いである。美しいプラチナブロンドの髪をした彼女は、現在、十四歳にしてすでに見習い魔女の最終審査までこぎつけている。来年には彼女が魔女として独り立ちするだろうと、誰もが言っている。
 そんなエルフィルにとって、ごく当たり前の魔力しか持たないミミーが、名高きシルヴァーのカブンにいることは、なかなか我慢できないことのようであった。
 なので、彼女は、ことあるごとにミミーを前にしては、自分の方がよっぽどシルヴァーの姓にふさわしいと、そう言うのだ。
「この髪の色を見なさいな。月明かりに銀色に輝いて、とてもきらきらとしているでしょう。あなたの茶色の髪は、どちらかというと木や土の方がお似合いだわ。今からでもウッドとかアッシュ、オークなんかのカブンにまぎれこんだらいかがかしら」
 エルフィルはそう言って、鈴のような綺麗な声でふふふと笑うのだ。
 そんなとき、たいていミミーは何も言えず、ただじっと黙っている。それはミミー自身も、エルフィルの美しさや、魔女としての能力の高さはよく知っていて、それに比べていかに自分がシルヴァーの姓にふさわしからぬかということも、いやというほど分かっていたからである。
(エルフィルは美人だし、精霊の召還もちゃんと一人でできるし、私なんかよりはよっぽど素晴らしい魔女になりそうだわ。私なんか、あと何年もしても、きっとぼんやりとして、まだ見習いのままで、お姉様たちから愛想をつかされて、いつか王国から追い出されてしまうんだわ)
 そう考えると、ミミーはいつも落ち込んでしまう。
 これまでだったら、そんなときには一日中泣いて過ごし、カブンの姉たちに呆れられつつもなぐさめられて、数日もたってからようやく気力を取り戻すのだったが、
 今はもう違った。
「みゃあ」
 ミミーのかたわらには、黒猫のパステットがいる。パステットはちょこんと座りながら、ミミーの顔を静かにじっと見ている。顔をなめてくれたり、なぐさめてくれるわけでもないが、その不思議な視線は、ミミーになんとなく「頑張ろう……頑張らなくては」という気持ちを起こさせるのだ。
「パステット、今はお前がいるものね。もう私は寂しくなんかないのだわ。いつもお前がそばにいて、私を見ていてくれる。私は立派な魔女にならなくては。お前のためにもね」
 ミミーの言葉が分かっているのだろうか。パステットは「にゃあ」と、少しだけ力強く鳴く。そうすると、もうミミーには、己の内から湧き起こってくる新たな魔力の源を信じ、それを感じることができるのだ。
「お前が力をくれる。だから……私は頑張るわ」
 座り込んでいた木の根もとから立ち上がると、もう姉たちには頼ることなく、ミミーは一人で占いの勉強や、薬草の調合、飛行の練習などに打ち込みだすのだった。

「頑張っているようね、ミミー」
 王国の中心にある女王シビラの塔……その周りに繁る儀式の森で、ミミーがパステットを連れて薬草とハーブの種類を熱心に調べていると、先輩魔女のシーンが声をかけてきた。
「勉強は進んでいる?」
「ええ。もう基本と薬の調合は覚えたわ」
 ミミーは得意そうにうなずいた。
「今はハーブを合わせて、胃腸に効くお茶を作ろうと思っているの」
「そう。熱心ね」
 シーンは、ちょうど女王の塔から出てきたところらしい。王国の魔女を示す正規の白いローブを着て、五芒の入った銀のリングを額にはめている。亜麻色がかった金髪を綺麗にまとめて、ゆったりと後ろにたらした様子は、相変わらずとても優雅な雰囲気だ。
 シーンはゴールドの姓を持つ、王国第一級の魔女だ。見かけはほっそりとした美人だが、魔力の大きさは王国の中でも五本の指に入るだろう。まだ年齢は若いながらも、すでにシビラの後継者になるだろうとも噂されている。ミミーからすれば憧れの存在である。
「そうね、基本はペパーミントと、レモンバームで、胃腸によくて香りもよいお茶ができるわ。それにニガヨモギを少しだけ加えると、腹痛のときに効く薬にもなるの。あとは、いろいろと試してみて、あなたの好みの味と香りを作ってゆくことね」
「ええ、ありがとう。シーン」
 シーンは同じカブンの「姉」ではないのだが、いつもミミーのことを気に掛けてくれ、あれこれとアドバイスや指導をしてくれる。本来は、異なるカブンの者同志は、互いに競い合うライバルともいってよい関係にあるのだが、シーンはそんなことはあまり気にせずにミミーに接してくれる。ゴールドとシルヴァーが近しい姓であることもあるのだろうが、それはミミーにはとても嬉しかったし、シーンという存在が憧れであると同時に、とても慕わしいものにもなっていた。
 だから、シーンのためにも、自分はちゃんとした魔女にならなくてはならない。ミミーはいつもそう思う。
「ニガヨモギは……これね」
「あら、ミミー。それはヒヨスよ。毒があるから決して飲んではだめ」
「ひゃあ」
「それは軟膏に使うの。ほら、こっちの葉の長い方がヨモギ。覚えておいてね」
 ミミーは慌ててうなずいた。
 シーンのようになるには、まだまだ知識も経験も足りないようであった。

 ついにその日がきた。
 女王シビラから、直接にミミー・シルヴァー宛の派遣要請書が届いたのだ。
 つまり、魔女見習いとしての最終試験の始まりである。
「気をつけておゆきよ。ミミー」
「はあい、ヘレン婆」
 シルヴァーのカブンが集う家では、前日からミミーの出発の準備におおわらわであった。
「本当に、この子ひとりで大丈夫かしら」
「そうねえ。なんせミミーだからねえ」
 十一人いるシルヴァーのカブンにおいて、ミミーは下から三番目である。一番の年上は、隠居魔女のヘレン婆で、今年で七十五歳になる。現役の魔女として王国の外へ働きに出るのは五十歳までだ。シルヴァーの姉たちの五人ほどは、それぞれ別々の町や村へ出向いて、現地での住み込み魔女として暮らしている。
「あたしもね、初めてのときは心細かったわ。見知らぬ町に行って、たった一人でなにもかもやらなくてはならないのだもの」
「ケイト姉……」
 ミミーのすぐ上の姉、ケイトは十七才。今年にも正式に魔女として独り立ちすることになっている。茶色がかった金髪をくるくると頭に巻き付けた、いかにも今風のお洒落好きな姉である。
「でも大丈夫よ、ミミー。なにかあればみんなが助けてくれるから。どうしても困ったときは助けを呼びなさい。ただし、二度までよ。それを超えると、不合格になってしまうからね」
「うん。分かった」
 新しい木ぐつと帽子、それに木製の儀式刀を受けとり、ミミーは不安そうにうなずいた。十三年間、一歩も王国の外へ出たことのない自分が、まるで知らない町で、知らない人々のところで上手くやってゆけるのだろうか。そう思って緊張に震えるミミーの足元では、黒猫のパステットが「みゃあ」と鳴く。
「まあ、まあ。でもね、一番は案ずるよりも、とにかく行って、見て、そして行動することよ。ね、ミミー」
 このカヴンの中でも母親的な存在である、イバネスがそう言って笑いかけた。
「あなたならきっと大丈夫だわ。私の十三才のときよりも、ずっと勉強もできるし、薬草の扱いも上手よ」
「ホント?」
「ええ」
 シルヴァー一家の中でも、かつて王国五指の魔女とまて言われたイバネスの言葉は、ミミーをよほどほっとさせた。彼女は主に、若い魔女たちの後見を務めているが、女王シビラからの信頼は今なお厚い。年に八回の大サバトのときも、シルヴァーを代表して女司祭役になることも多いのだ。
 姉たちに囲まれた最後の晩餐について、祈りを捧げると、ミミーは暖かなスープに口をつけた。こうして大勢で食事をすることは、明日からはもうしばらくはないのだ。
「私、頑張るわ」
 自分に言い聞かせるようにミミーはつぶやくと、ぴかぴかの木ぐつとほうきをベッドのすぐそばに置き、そして眠りについた。
(頑張る……から)
 その夜はいくつかの夢を見たが、一番はっきりと覚えているのは、大好きな黒いカラスが行ってしまうという、悲しい夢だった。
 魔女の王国に雄鶏はいないが、雄鶏が最初の鳴き声を上げるくらいのまだ暗い夜明け前に、ぱっとミミーは目覚めた。
 旅立ちの朝だ。
 そう思うと、にわかに緊張とともに寝起きの頭がはっきりとしてくる。ミミーが起き上がると、一緒に寝ていたパステットもさっとベッドから飛び下りた。
「そうか。お前も、はじめての旅立ちだものね」
「みゃあ」
 さっそく魔女のローブを着て帽子をかぶり、木ぐつをはくと、しだいに気分が高まってきた。今日から誰の力も借りず、見習いとはいえ、たった一人で魔女としての生活を始めるのだ。十三才の少女には、人生最大の冒険に出るような気分である。
 すでに、必要最小限の荷物は革袋に詰め込んであった。気に入りの水晶玉や、アメジストにコハク、ブラッドストーンといった、占いや護符などに使う天然石、それに自分で書きつけた薬草手帳に、これまで勉強した魔女のノウハウを記した虎の巻、大切な儀式刀に聖杯や鈴などの儀式用具も一式。薬草を煮たり、調合するための大釜は持ってゆくには重いので、現地で調達することにした。
「よし、これでいいわ」
 よいしょと革袋を背負い、愛用のほうきを手に、ミミーは部屋を出た。
 姉たちとは昨晩のうちに別れを済ませてあったので、今朝は誰も見送りはない。階段を下りると、台所の方から、「いっておいで」というヘレン婆の声が聞こえてきただけだ。
「いってきます」
 それに小さくつぶやき返し、ミミーは家を出た。
 夜明け前の空気はひんやりと冷たかった。あたりはまだ暗く、しんと静まり返っている。王国の魔女たちは、たいていは月の力が強い夜半に薬の調合や占いなどの仕事を行うので、明け方の今時分はちょうど眠りにつこうかという頃合いなのだ。
 ミミーは、足元にパステットを連れ、ひとり暗い夜道を歩いていった。
 石畳の道を他に通り掛かるものはない。周りの家々には、まだ明かりの灯っている家もあったが、そろそろ夜が明けようというこの時間であるから、起きている魔女もさほど多くはないだろう。
 五芒の形に区画された通りを北西に向かって歩いてゆく。旅立つときは、自分の生まれた北西の塔からにしようと、ミミーはずっと決めていた。北は神秘と暗闇の方角、西は勇気と創造性の方角。その両方の性分を自分は併せ持っているのだと、ヘレン婆からも聞かされ続けてきた。
(勇気と創造性と神秘をもって、私は立派な魔女になるんだわ)
 落ち込んだときは、いつも自分にそう言い聞かせてきた。今もまた、その気持ちを新たにし、ミミーは新たな旅立ちへと歩いてゆく。
 女王シビラの塔の区画を通りすぎたあたりで、前方の暗がりからすうっと人影が現れた。
「ミミー」
 そこにいたのは、白いローブ姿の美女……
「あ、シーン!」
 先輩魔女のシーン・ゴールドだった。
「いよいよゆくのね」
「ええ。行きます」
 力むような顔でうなずくミミーの横にくると、シーンはにこりと笑った。
「塔まで見送るわ」
「ありがとう」
 二人の魔女は(正確には魔女と見習い魔女だが)、北西の塔へと続く道を歩いていった。
「うまくやれそう?」
「うん。たぶん」
「そうね。あなたなら、きっと大丈夫よ」
 シーンのやわらかな笑顔を前に、ミミーはほっとした気分でいくぶん緊張を解いた。
「でも……やっぱり、ちょっと不安かも」
「そう?」
「だって、私、ドジだし、おっちょこちょいだし、この間は薬草の種類も間違えたし、五芒をきるのも、また間違えて右から描いてしまいそう」
「ふふ」
 シーンは思い出すように笑って言った。
「たしかに、あなたはあまり出来のよい生徒ではなかったかもね」
「そんなぁ」
「でも、それはみんな同じよ。私だってそう」
「シーンも?」
「そうよ。私だって見習いの頃は、それはいろいろと失敗もしたわ。たぶんあなたもそうだろうけど、私もゴールドという姓を重荷に感じたこともあったし」
「へえ、そうなんだ」
 憧れの先輩であるシーンもかつてはそうだったのかと知り、ミミーは少しだけ安心した。
「だから、大丈夫。ちょっとやそっと失敗するくらいは、なんていうことはないわ。ただ、大事なのはね」
 ミミーの顔を見て、白い魔女は言った。
「あきらめないこと。失敗したことを忘れずにおくこと。同じ失敗をしなければ、失敗の数は自然と減ってゆくのだから。そして、それはやがて経験になって活かされてゆくわ」
「ふうん……そういうものなの?」
「そうよ。今にあなたにも少しずつ分かってゆくと思うわ。失敗したときや、上手くいったときや、どっちでもなかったときも、それはすべてが大切な経験なのよ」
「ふうん。そっか」
 それらはまだ実感としてはよく分からなかったが、ともかく失敗というのはそう悪いことではないらしい。ミミーはうなずいた。
「ありがとう。シーン、私なんとなく、緊張がとけてきたみたい。うまく飛べそうだわ」
「よかった。飛行には心の揺らぎが大きく関わるから。自信をもって飛ぶのよ。気流の変わる明け方はとくに注意して」
 塔の前までくると、二人は並んで物見の塔の守護者へ祈りを捧げた。そして魔法の文句をとなえ塔の扉を開けた。ここは王国にある五つの大塔のひとつであり、魔女の王国と外界をつなぐ出入口でもある。
 塔の内部はがらんと広く、そして暗かった。頭上は吹き抜けになっていて、はるか高くに夜空が見える。周囲の壁には螺旋階段がぐるりと上に伸びており、ミミーたちの立つ床には大きな魔方陣が描かれている。ここが飛行のための発着場であった。
「じゃあ、いくわ」
 ミミーは魔方陣の上でほうきにまたがった。
「あ、待ってミミー。これを」
 シーンは自分の胸元にあった銀のペンダントを外し、それを差し出した。
「お守りよ。ペンタクルはいつも身につけておくといいわ」
「ありがとう」
 ミミーは五芒のペンダントを大切そうに首からかけた。
「それから、これも」
「なに?」
 受け取った革袋は、なんだかきついにおいがした。
「私の特性の軟膏よ。もし、なにかあって手に負えないときは、これを塗って眠るの。夢の中で会いにきて」
「私、アストラルジャンプって苦手なんだけど……」
「大丈夫、この軟膏があれば勝手にジャンプできるわ。ほうきに乗って飛んでくるよりもずっと早く帰ってこられるから。私はいつもあなたの気配を気にしていることにするわ」
「ありがとう、シーン」
「にゃあ」
 足元でパステットがせかすように鳴いた。
「はいはい、ごめんね。待たせちゃって。じゃあ行こうか」
 ほうきにまたがったミミーは、最後にシーンに向かって手を振ると、それから目を閉じて気を集中させた。心の中で、自分の生まれたこの塔へ話しかけるようにして、その魔力をたくわえ、ほうきが浮かぶのをイメージする。
「いってらっしゃい、ミミー」
 ふわりと浮き上がったミミーのほうきは、シーンの見送る前でどんどん上昇してゆく。
「パステット、しっかりつかまっているのよ」
「にゃあ」
 樺の小枝を束ねたほうきの先にパステットがしがみつく。ミミーはさらに気を集中させた。上昇のスピードが速くなる。
「それっ」
 塔のてっぺんから外に飛び出すと、視界いっぱいに星のきらめく夜空が広がった。湿りけを含んだ風が涼しく頬を吹きつける。
 前方には黒々とした山がそびえ、その向こうはもう外の世界だった。飛行の訓練で、何度か王国の上空を飛んだことがあるが、ミミーはいつか自分が山を越えて、外の世界へ出てゆくことをいつも想像していたものだ。
 上空から魔女の王国を見渡すと、不思議な感情が湧いてくる。
 それは、生まれ育ったこの王国への愛着と、離れがたい気持ち、そして、ついに外へ出てゆこうとしている自分への誇らしさ、それらが入り交じったような気分だった。
(ああ……私は今、本当に旅立とうとしているんだわ)
 背後では東の空がしだいに白み始めている。夜明けはもうすぐそこだ。
「みゃあ」
 背中越しにパステットがひと声鳴いた。
 振り返って見ると、東の方向から、こちらへ近づいてくるものがあった。
「あれは……」
 誰かがほうきに乗って飛んでくる。白いスカートをひらひらさせて。
「ミミー」
 風に乗って聞こえたその声で、ミミーは相手が誰なのかを知った。
「エルフィル」
 ミミーのほうきの横にすいと近づいてきたのは、ひとつ年上の見習い魔女、エルフィル・ムーンだった。
「あなたを見送りにきてあげたわ」
 エルフィルはふんと顔を横にそらし、銀色がかった金髪を風になびかせた。
「せいぜい、失敗を続けて泣いて帰ってこないことね。シルヴァーの姓が恥ずかしくなったら、代わりにわたしがもらってあげるわ」
 相変わらずきつい言い方だったが、もうしばらくは彼女とも会えないのだと思うと、ミミーはさほど怒る気にもなれなかった。エルフィルの方もいくぶん声をやわらげた。
「私は、今年のうちに最終試験を受けて正式に魔女になるつもりよ。そうしたら、こうして会うこともずっと少なくなる」
「そう。さびしいね」
「ふん。せいせいするわ」
 その言葉とは裏腹に、エルフィルはミミーの目を見て笑いかけた。
「私はムーンの姓を汚さないよう、立派な魔女になってやるわ。王国の伝説に残るくらいの。あなたも……」
「うん、私も頑張るわ」
「まあ、伝説は無理だと思うけれど、まず不合格にならないように頑張るのね。シルヴァーの姓の見習い魔女が不合格になっては、それこそ王国の汚点だわ」
 パステットがフーッと鼻をならす。
「それがパイワケットの血を引くエルフキャットね」
「エルフキャット?」
「そうよ。なにも知らないのね」
 エルフィルはくすりと笑い、そのままくるりとほうきの向きを変えた。ほうきの先には、白いフクロウが悠然ととまっていた。彼女の使い魔、トラッポである。
「もう帰るわ。トラッポは夜明けの太陽が苦手だから」
「ああ、うん。じゃあね」
「さよなら、ミミー」
 そう言い残すと、エルフィルは素晴らしい飛行術でほうきを旋回させ、王国に向かって急降下してゆく。
 ミミーは、気を取り直すように大きく息をつくと、また前方の山に目を向けた。
「ありがとう。エルフィル。私……きっと頑張るから」
 小さくつぶやく。そのとき、背後からきらりと光がさした。
「夜明けだわ」
 暁のきらめきを背中に受けながら、ミミーは生まれ育った王国に別れを告げた。
 

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