騎士見習いの恋  8/10 ページ

      

        

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 九月の三週目のある朝のこと。
 窓の外の馬車の音でマリーンは目を覚ました。
(誰かしら。こんな時間に)
 寝台から起き上がり窓を開けると、朝の光が室内に流れ込む。
(カルードだったら、馬車ではなく馬で来るだろうし)
(まさか、リュシアン……)
 しかし、すぐに首を振る。
(まさかね)
 窓から見下ろすと、玄関の前に黒塗りの馬車が横付けされていた。車体の紋章を見て、彼女は「あっ」と小さく声を上げた。
「そうか……。忘れていたわ」
 そうつぶやくと、彼女はいそいそと鏡の前へゆき、髪をくしけずり始めた。少しして部屋のドアがノックされた。
「マリーンさま。モンフェール伯爵さまがお見えでございます」
「わかりました。客間にお通ししておいて」
 侍女に告げると、マリーンは大急ぎで着替えをはじめた。
「お待たせいたしました」
 客間に現れたマリーンを見て、モンフェール伯爵は立ち上がった。薄いケルメス染めのドレスに身を包んだマリーンにうやうやしくひざまずくと、伯爵はその手に口づけをした。
「今日はいちだんと美しい。こうして朝の光の中であなたを見ることは、私にとって大いなる喜びのひとつでありますな」
「まあ、大げさですわ。モンフェール伯様」
 口髭をなでつつうなずく紳士を前に、マリーンはくすくすと笑いをこぼした。
「いや、そんなことはない。現にこうして、私はあなたを前にして、まるで少年のように胸を高鳴らせているのだよ、マリーン」
 伯爵は手にしていた大きな花束を差し出した。
「誕生日おめでとう」
「まあ、ありがとうございます」
 マリーンは顔をほころばせて、素晴らしい紫のバラの花束を受け取った。
「この時期にはその色のバラしかなくてね。毎年のことだが」
「いいえ、私好きですわ、遅咲きの野ばらって」
 嬉しそうにバラの香りをかぐマリーンを、伯爵は穏やかなまなざしでで見つめた。
「じつは、私、すっかり忘れていましたわ」
「私が来ることを、かね?」
「いいえ、私の誕生日そのものをです」
 マリーンは笑って言った。
「ですからね、玄関にあるのが伯爵の馬車だと分かったとき、大慌てで着替えをしなくてはならなかったのですわ」
「それはそれは。あなたの安らかな眠りを妨げてしまったことは、私にとって痛恨の極み。どうかこの、無粋な私めをお許しくださいますか」
 真面目くさって胸に手を当てる伯爵を見て、マリーンはますますおかしそうに笑うのだった。
「どうかな。これから二人で湖でも見にいかないか。君の誕生日だし、今日はゆっくりと過ごしたいと思うんだが」
 長椅子に腰を下ろし、侍女が運んできたお茶をすすりながら、伯爵はマリーンに提案した。
「そうですわね……」
「なにか用事でも?」
「ええ……じつは」
 今日がリュシアンの家庭教師の日であることを話すと、伯爵は訳知り顔でうなずいた。
「なるほど。以前から聞いていた、君の教え子の騎士くんだね」
「ええ。ですから、できれば……」
「かまわんよ。その彼が来たら、君は教師の仕事をしなさい。私はここでのんびりと待っているから」
「ごめんなさい。勝手を言って」
「なあに、私も前々からその、リュシアンくんに会ってみたかったのだよ。なんならあとで彼も一緒に食事をするのもよかろう」
「ええ……」
 マリーンは複雑な表情でうなずいた。
 彼女はしばらく黙ったまま、なにかを考えるようにうつむいていたが、やがて決意したように顔を上げた。
「それから……、もうひとつお願いがあるのですけど」
「言ってごらん」
 口髭を撫でつけながら、伯爵は穏やかに微笑んだ。
 昼過ぎになると、稽古帰りのリュシアンが屋敷にやって来た。
「いらっしゃい、リュシアン」
 いつものように侍女に案内されて、勉強用に定められた一階の部屋に入ってきた彼は、マリーンを一目見るなり驚いた顔をした。ドレス姿のマリーンが、いつもより着飾っていることに気づいたのだ。
「今日は早く終わったのね」
「あ、うん」
 椅子に腰掛けると、リュシアンはちらりと彼女を見た。
「それじゃ、始めましょうか。今日は修辞学の続きからね。この本の最後の章のところから、もう一度読んでみましょう」
 向かい合ったマリーンを前に、彼はいつになく落ちつかぬ様子で、本をめくり始めた。
「じゃあ、今日はこのくらいにしましょう」
 マリーンがそう言って本を閉じたのは、いつもより少し早めの時間であった。
「実は、今日はお客さまが来ていらっしゃるの。下で待たせてしまっているのだけど」
「……」
「よかったら……あなたも一緒にお茶でもどうかしら?」
 マリーンの声には、かすかなためらいを含んだ震えが感じられた。
 リュシアンは黙ってうなずいた。
 階段を降り、マリーンについて廊下を渡る。二人ともなにも言わなかった。
 客室の前に来ると、マリーンが丁寧に扉をノックした。
「どうぞ」
 中から男の声が聞こえると、リュシアンは少し表情を硬くした。
 マリーンにうながされ部屋に入ると、そこは見事なシャンデリアの吊り下がった広い客間だった。絨毯の上には大きな長椅子とテーブルが置かれ、壁にはいくつもの絵画が飾られている。ここは正規の客人のための部屋で、屋敷に住み込んでいた頃も、リュシアンはめったに入ったことはなかった。
「やあ、はじめまして。君がリュシアンくんだね」
 長椅子から立ち上がった男性が、二人に歩み寄ってきた。
 おそらく歳は三十歳の後半くらいだろう。見事な口髭を生やした品の良さそうな紳士である。背はリュシアンよりもずっと高く、金糸の刺繍が入ったローブをゆったりと着こなした姿は、身分ある貴族に違いない。柔和で聡明そうな顔つきや、やわらかな物腰からも、落ち着いた大人の雰囲気が伝わってくる。
「こちらは、モンフェール伯爵」
 かすかに震える声で、マリーンが紹介した。
「私の大学での先生で、そして今は……私の婚約者です」
 それを聞いた瞬間、リュシアンははっとしたように目を見開いた。だが彼は拳を握りしめ、口元を引き結んだままだった。
 しばらくの沈黙のあと、絞り出すような声で少年が尋ねた。
「結婚……するの?」
 マリーンはうなずいた。
「少し先のことになると思うけれど……いずれはね」
「そうか……」
 伯爵の横に寄り添う彼女を見て、リュシアンは唇を噛みしめた。
「まあとにかく座って一緒にお茶でもどうかね。リュシアンくん」
 黙り込んだ少年を見かねたように、伯爵が声をかけた。
「なんなら、今夜の食事なども一緒に」
「……いえ」
 固い微笑みが浮かべ、リュシアンは首を振った。
「せっかくですが、俺……いや、僕はもう……ゆきます」
「では、せめて一杯だけお茶でもどうだね」
「申し訳ありませんが……、家で母が待っておりますので」
「そうか。では、また別の機会に」
 残念そうに伯爵は手を差し出した。リュシアンはその手を軽く握り返し、もぐもぐと挨拶をすると、足早に部屋を出ていった。
「……」
 少年の足音が廊下の向こうに消えるまで、マリーンはただじっと閉まった扉を見つめていた。彼女の目には、扉の向こうで走り去る少年の姿が見えていたのかもしれない。
(これで……いいのだわ。これで)
 窓辺に立つと、ちょうど駆け出してゆくリュシアンの姿が見えた。
(リュシアン……)
 彼女は苦しそうに眉を寄せた。その唇をぎゅっと引き結んで。
「彼が……そうなのか」
 背後から伯爵が彼女を抱きしめていた。
「彼が……?」
「はい」
「そうか……」
 マリーンは伯爵の胸に静かに顔をうずめた。
「今日が誕生日だというのに、こうして君が泣くのを見るのは、私にはつらいよ」
「ごめんなさい……」
「ああいう嘘をついて、よかったのかい?」
「ええ……いいの」
 うるんだ目で、彼女は微笑んだ。
「これで……いいのです」
「そうか」
 伯爵はひとつ息を吸い込み、マリーンを見つめた。
「それなら、今度は私が言わせてもらうよ。本当は、さっきのような嘘の前に、言いたかったのだけどね。今まで申し込まなかったのは、今日の君の誕生日に言いたかったからなのだ。もう、分かっていると思うが」
「分かりませんわ」
「ならちゃんと言おう。さっきの嘘のことだがね、実のところ、私はそろそろ本当にしたいと、そう思っているのだが」
「つまり?」
「ええい。じれったい」
 伯爵はマリーンの手をとった。
「私と婚約しておくれ、マリーン」
 照れたように自分の髭を撫でつけ、伯爵は告げた。
「ああ、いいや……もちろん婚約だけではなく。いずれは結婚もちゃんと、もちろん」
 マリーンはしばらく、泣き笑いのような表情を浮かべていた。それから、伯爵の顔を見上げてこくりとうなずいた。
「遅咲きの……バラのような、私でよいのなら」

 屋敷の門を飛び出したリュシアンは、無我夢中で走っていた。
 いったい何故、自分がこんなふうに走っているのか、それも分からぬまま、彼は走っていた。
(マリーン……)
(マリーンが結婚……だって?)
(くそっ。なんで俺は、こんなにいらいらしているんだ?)
 自問しながらも、その答えがどこにあるのか、もう半ばは分かっていたはずだった。
(マリーンのことは、もう……あきらめたはずなのに)
(でも……)
(さっき、マリーンが婚約のことを言ったとき、なんだか時間が止まったように思えた……)
 はあはあと荒い息をもらし、リュシアンは立ち止まった。
(あのままずっとあそこにいたら、俺はあいつを、あの伯爵ってのを殴っていたかもしれない……)
(くそっ……今更こんな気持ちになるなんて)
 何度も大きく息をはき、また首を振る。
 いくぶん落ち着いてくると、辺りを見回してみた。どこまで走ってきたのか、振り向くと屋敷の影も形もなかった。閑散とした通りには人通りはない。
(馬鹿みたいだな……俺は) 
 自嘲の笑みが浮かぶ。
(帰ろう……)
 リュシアンは歩きした。
 通りを少しゆくと、向こうから一台の馬車が近づいてくるのが見えた。どこか見覚えのあるような馬車だった。
 馬車はリュシアンとすれ違ったと思うと、すぐに道に止まった。
 振り返って見ると、馬車窓から手を振る姿があった。
「リュシアン」
 それはコステルだった。
 彼女は慌ただしく馬車から降りて、リュシアンのそばに来た。
「こんにちは。もう、お勉強は終わったの?」
「ああ……」
「よかった。ちょっと用があってこっちの方に来てみたのよ」
 コステルは少しもじもじとして言った。
「ね、これから……家に来ない?あの、今日はね、ソランの家と一緒に晩餐パーティをするの。お料理とか、お菓子とか、いっぱい作って。そりゃまあ、王様のような御馳走とはいかないかもしれないけど、でもちょっとしたものよ」
「……」
「リュシアンにも来て欲しいのよ。だってソランの奴ったら、トルーデを誘ってるみたいなの。お食事の後のダンスがあるけど、私は踊る相手がいないのよ。だから、ねえ、いいでしょ」
 楽しげに話すコステルを前にしても、リュシアンはあまり愉快な気分にはなれず、ただぼんやりとして立っていた。
「さあ馬車に乗ってよ、リュシアン。今日はみんなで楽しくお食事しましょうよ」
 じれったそうにコステルが誘った。 
「ねえ。早く乗ってよ。せっかく迎えに来たんだから」
「いや……今日はちょっと」
「そんなあ。どうして?」
「……」
「ねえ、どうして?いいでしょ。ねえ。来てよ。お願いだから」
 不満そうに口をとがらせ、彼女はリュシアンの腕を引っ張った。
「やめろよ」
 リュシアンがその手を振りほどくと、コステルは驚いたように少年を見つめた。
「リュシアン?」
「ごめん……」
「ねえ、どうしたの?リュシアン。なんだかいつものリュシアンじゃないみたい。なんかこわい顔しているし、それに、なんか元気もないし。ねえ……」
 リュシアンは黙って下を向いた。
「なにかあったの?それとも、私なにか悪いことをした?」
「……いいや」
「だったら、来てよ。ねえ。ほら、ソランたちも家で待っているし。早く行かないと、ごちそうなくなっちゃうわ。ねえ……」
「うる……さいな」
 いらいらとした気分で、リュシアンは眉をつり上げた、
「俺のことは放っておいてくれよ!」
「リュシ……」
「関係ないだろ。君には……」
「関係……ない?」
 コステルは驚いたように口に手を当てた。
「わ……私、ただリュシアンと一緒に……いたくて」
 震える声でつぶやく。その目から涙が溢れた。
 リュシアンはそれから顔をそむけると、「じゃあ」と、ひとこと残し、逃げるように走りだした。
 振り返るのを恐れるように、彼はただ走った。
(くそっ、なんだっていうんだ……)
 泣きたいのは自分も同じだった。
(なんだって……)
(俺は……)
 いろいろな思いが、頭の中でぐしゃぐしゃに混ざり合う。自分がいったい何に腹を立て、悲しんでいるのかが分からなかった。
 彼は走った。
 夕暮れの通りの、石畳に伸びる自分の影を追いかけるように。

 翌日の稽古に遅刻をしたリュシアンは、皆の前で隊長のカルードに叱られた。
「寝る間も惜しんで学問だと。もうちょっとましな嘘をつくのだな。最近のお前が多少真面目になったとはいえ、それはとてもあり得ん。もしそれが本当なら、たとえ今すぐこの国が滅びたとしても、俺は驚かん。おおかた女のことでも考えていたのだろう。知っているぞ。最近、お前がどこかの可愛い娘と仲が良いらしいということは」
 仲間の見習いたちからくすくすと笑いが上がり、リュシアンは顔を赤くした。
「よう。女のことで夜も眠れなかったって、本当か?」
 その日の稽古が終わると、案の定フィッツウースが近寄ってきた。
「なんだ、深刻な顔して。もうマリーンにはきっぱり振られて、コステルと付き合うんじゃなかったのかよ?」
「……」
 黙り込んだリュシアンの顔を見て、彼は首をかしげると、「ちょっと、こっちに来な」と、親友を広場の隅に連れ出した。
「さあて、ここなら誰にも聞かれないぜ。話せよ。何があった?」
「ああ……」
 リュシアンが口を開こうとすると、
「おい、待て。ソランのやつがこっちに来るぜ」
「本当だ」
「なんだ、あいつ?おっかねえ顔して」
 そばに来たソランは、リュシアンとフィッツウースを交互に睨み付けた。この同い年の友人は、もとがいかにも貴族の少年めいた顔だちをしているので、そういう顔をしてもさほど凄味は感じないのだが、
「リュシアン。ちょっと話がある」
 そう言ってリュシアンを手招いた表情は、ひどく深刻そうな様子だった。
「リュシアン。お前、コステルに何をした?」
「ああ……そのこと」
 その返事が気に入らなかったのか、ソランはやや声を荒らげた。
「やっぱり、お前のせいなんだな?」
「彼女がどうかしたのか?」
「泣いていたよ」
「……」
「あんなコステルは初めて見た。いつも明るくて元気で、楽しそうにしているのに。昨日はお前を迎えに行くといって、馬車で戻ってきてから、しばらくは部屋に閉じこもったきり出てこなかったんだ。それから晩餐のあいだも、ずっと悲しそうな顔だったし、あまり食べなかったし、踊らなかった」
 それを聞いたリュシアンは胸を締めつけられる気がした。あとになってコステルにつらくあたってしまったことを、彼自身がとても後悔していたのだ。
「どうしたんだと尋ねても、ただ無理に笑って見せるだけで、なにも言わない。でもきっと、お前となにかあったんだなと、それは分かった」
 ソランはコステルの従兄弟で、彼女が前からリュシアンを好きなことを知っている。
「いったいどういうことなんだよ。リュシアン。お前、コステルに何をしたんだ?」
「……すまない」
 リュシアンは素直に頭を下げた。
「彼女には悪いことをしたよ。そんなつもりはなかったんだけど」
「僕にあやまったって仕方ないだろう。悪いと思うんなら、直接コステルに言えよ。たぶん今も、ずっと悲しんでいるんだから」
「ああ……」
 リュシアンの殊勝な顔つきに、ソランもやや怒りを収めたようで、
「とにかく。僕は彼女の従姉妹なんだからな。もしまたコステルを悲しませたら、僕が許さないぞ」
 そう言い残すと去っていった。
「よう。聞いてたぜ、コステルとそんなことがあったんだな」
「ああ」
「でも、お前が悩んでいたのはそれじゃなくて、たぶんマリーンのことだろう?」
 フィッツウースの言葉に、ふっと笑ってうなずく。
「マリーン、さ」
 リュシアンはぽつりと言った。
「結婚……するみたい」
「本当か」
「うん。昨日聞いたんだ。家庭教師の日だったから屋敷に行って、そしたら、なんとか伯爵っておっさんが来ていてさ……マリーンは、そいつを婚約者だって、僕に紹介したんだ」
「ほう」
「そう聞かされると、やっぱりけっこうショックでさ。もう、半分はマリーンのことあきらめていたつもりだったのに……それでもなんかこう、胸がずーんと苦しくなってきて……、気づいたら走って逃げていたよ。そこから」
 フィッツウースは何も言わず、じっと話を聞いていた。
「まあ、それでさ……。そのあとコステルと会っちゃって……、俺、自分が何言ったのかもよく覚えていないんだけど、とにかくなんかひどいことを言って、彼女を泣かせてしまった。コステルには、悪いことしたなって思うんだけど、そのときはマリーンのことで頭がいっぱいでさ。家に着いて部屋に入ってからもずっと、マリーンのことばかり考えていたよ。だってそうだろう?」
 リュシアンの声が震えた。
「婚約者!ああ……マリーンには婚約者がいたんだ。今までそのことを隠したまま、俺とああなったのかって思ったら、なんだかやりきれなくてさ」
「そうだな」
「一緒のときは、俺のことだけ見ていてくれると思ってた。抱き合ったときも、キスしたときも。そりゃ、マリーンに恋人がいないのかずっと気にはなっていたよ。でも、まさか婚約者がいたなんて」
「……」
「確かに俺はガキだし、ただの落ちこぼれの騎士見習いだよ。だけど……だけど、俺は本気でマリーンを好きだったし、マリーンも俺を……って思ってた。だから、婚約者って聞いたとき、頭にきたっていうより、なんていうか悲しくて、俺の知らなかったマリーンがいたみたいで、それを知ってしまった気がして」
 それまでため込んでいた思いを吐き出すように、リュシアンは話し続けた。
「ああ、そうだ。その婚約者って奴は、大学の先生だと言っていた。それで分かった気がする。なんでマリーンが大学なんかに通っていたのか。いつも俺に馬車で送らせて。馬車で俺の横に座るマリーンはいつもすごく綺麗だった。なんかお洒落して、髪も綺麗にして、見とれるほど。それはきっと、あいつに会うためだったんだな。うきうきとして、いつも楽しそうにしていたのも、その婚約者に会えるからだったんだな。今になってそう考えると、なんか悔しくてさ。俺に笑いかけたり、俺とキスしたり、俺と……抱き合ったりしたのも、みんな、その婚約者に会いに行くついでに、くそ……遊びでしたことなのかって思うと……」
 リュシアンの声がうわずり、涙まじりにかすれるのを、フィッツウースはじっと聞いていた。
「俺とのことは、結局……ほんの何ヵ月間だかの、ただの遊びだったんだ。マリーンにとっては。そう思うと、いまさらだけど、悔しいんだ。婚約者がいたのに、それを俺に隠してまで。昨日のマリーンに対してじゃなく、あの時のマリーン……俺と抱き合ってキスをした、あのときのマリーンに、裏切られたような気がして。それが、苦しいんだ。苦しくて……悔しいんだ」
 リュシアンは、そばにあった木の幹を何度も殴りつけた。
 腕を組んで話を聞いていたフィッツウースは、しばらく黙って親友を見守っていたが、やがて口を開いた。
「なるほどな……それで?お前はどうしたいんだよ」
「どう?どうって……」
「まあ、お前の気持ちも分かるけどよ。でも過ぎたことはもうどうにもならないだろう。お前の言うことが事実なら、なおさらにな」
 フィッツウースは穏やかな口調で言った。
「それより、これからお前はどうするのかってことが大切だと思うけどな。このままじゃコステルだって可哀相だし、マリーンとのことも、はっきりしなきゃならんのだろう」
「ああ」
 リュシアンは素直にうなずいた。
「ああ……そうだね」
 九月の風が、伸びかけたリュシアンの髪をそよがせる。変わりゆく季節の中で、さまざまなことを思い、また考えたのだろう、その顔には、以前の彼よりも少し大人びた、複雑な表情が浮かんでいた。
 フィッツウースはそんな親友をちらりと見やり、やや明るい口調で言った。
「で、やっぱまずはコステルだよな。さっきソランも言ってたけど、傷ついてるんじゃないの、彼女も。お前がつらくあたったその訳も知らないんだしさ。ようするに八つ当たりだろ?お前の勝手な」
「ああ。泣いてたって言ってた」
「女の子を泣かすようになりゃ一人前の騎士だ……なんてな、うちの親父あたりなら言うところだけどさ」
「お前の親父さんも、やっぱり女好きなのか?」
「血は争えねえ、ってな」
 そう言って片目をつぶったフィッツウースに、リュシアンはくすりと吹き出した。
 二人は誰もいなくなった稽古場を、肩を並べて歩いていった。言いたかったことを全て友人に吐き出したからか、リュシアンの顔はさっきよりもずっとさっぱりとしていた。
「やっぱり、謝るしかないよなあ」
「そうそう。早いほうがいいぜ。花束でも持って行ってさ、じっと見つめてやりゃあ、女なんてイチコロよ。んでもって、この前はごめん……とかなんとかマジな顔で言うのさ」
「うーん、花束かあ……ちょっと照れるな」
 女たらしのフィッツウースと違って、そんなキザなことは今までにしたこともない。
「お前が照れてどうすんだ、馬鹿。しかしまあ、それで仲直りさ。良かったな。これでコステルとも、やれるぜ」
 そう言ってにやりと笑う友人に、リュシアンは苦笑した。
「そんなの簡単に言うなよ。だってあの娘はソランの従姉妹なんだぜ。軽はずみにしちゃったら、良くても即結婚……悪ければ殺されるかも。家柄的にも俺の方がずっと下なんだし」
「そんなもん、いまどき関係ねえよ。本人同志が好き合っていりゃあ大貴族のご令嬢だろうと、下町の娼婦だろうと一緒になれるさ」
「そうかな……」
 リュシアンは、ふっと顔を曇らせた。
「……じゃあ、マリーンとは?」
「ああ……」
 フィッツウースは笑うのをやめた。まだマリーンのことを、心の中では捨てきれていないのだと察したのだろう。
「八つ、年上だったか?」
「ああ……」
「年上で、それに、あのカルードの姉さん、家柄もソランやコステルと同じくらいの名家の伯爵令嬢。んでもって、現在はお前の家庭教師、ついでに婚約者もいる、と」
 フィッツウースは腕を組んで「ううむ」と唸った。
「そりゃ難しいな」
「ああ……」
 その答えを待つまでもない、そんなことはもう、とっくにリュシアンには分かっていた。このままコステルと付き合って、楽しく過ごした方がずっと気が楽だろうことは。
 しかし……
 自分の中に、いまだに消えないもやもやとしたものが、まだどこかにくすぶっているのも、また確かな気がするのだ。
「難しいけどな……しかし決めるのは、お前だ」
 フィッツウースの言葉にうなずき、リュシアンはふっと笑った。
「でも……もう仕方ないよ。マリーンには婚約者もいるんだし。てことは、結婚も決まっているようなもんだもんな。いまさら、俺がいくらどうこう思ったって……」
「それなんだけどさ……どうも、ひっかかるね」
「なにが?」
 フィッツウースはあごに手をやり、考えながら言った。
「俺も何度かマリーンさんとは話をしたことがあるけど……どう考えてみても、なんていうかな、婚約者がいたまま、ただの遊びでお前と恋愛ごっこができるような人には思えなかったけどな」
 それを聞いてリュシアンはふと立ち止まった。
「そう……かな」
「ああ。それにさ、前から婚約者がいたんだったら、屋敷でも噂になっていたはずだろ?マリーンのおっ母さんの……ええと」
「レスダー伯夫人」
「うん。お前だって屋敷で働いているときに、話をする機会も多かったんだから、マリーンの婚約者の話題も、それまでに耳にしていて不思議はないはずだろ?」
「ああ。そんなことは誰からも、一度も聞いたことはなかった。そういえば、そうだ……」
「なら、おかしいよな」
「ああ……」
 にわかに、胸がざわめいた。
(もし……)
(もし、昨日マリーンが言ったことが嘘だったら?)
 婚約者というのが、本当は根も葉もない作り話だったとしたら。
 黙り込んだリュシアンを、友人が心配そうに覗き込んだ。
「おい、大丈夫か?」
「あ、ああ……」
 ひとつ息を吐くと、リュシアンは首を振った。
「どっちにしろ、やっぱりだめだ。いまさらもう……」
「かもな」
「やっぱり、コステルに謝るよ。あの娘に悪いことをしたのは確かだし」
「そうだな、それがいいかもな」
「それに、あの娘……コステルのことも好きだし。話していて楽しいし……たぶん、俺と気が合うみたい」
「まあなー。俺もあの子はちょっといいなって思ったくらいだもん。ソランの女、なんつったっけ?あれよりもずっと可愛いぜ、コステルの方が。欠点といえばお前に惚れていることぐらい。それに、うまくいって一緒になれば、相当の持参金が見込めるぜ。婿養子にでもなろうもんなら、お前も大金持ちの大貴族だ。そうなったら、お前のおっ母さんも喜ぶだろうぜ。なあ、この、逆玉の輿っ!」
 フィッツウースが陽気に背中を叩く。
「痛ってえな」
「ま、どっちにしても幸せな悩みだってんだよ。まったく。かたや年上の美女、かたや大貴族の令嬢、お前みたいなガキにはどっちも過ぎた相手だぜ。ちくしょう」
「お前だってガキだろう」
「おう。ガキはガキでもな、経験値はお前の何倍かだ。くやしかったらさっさとコステルちゃんをモノにするんだな」
 それが親友なりの激励の言葉なのだと、彼には分かっていた。
 リュシアンは笑ってうなずいた。
 赤く溶けるような夕日を背に、二人はまた歩きだした。
 
 翌日の午後、リュシアンは炊婦のメアリに頼み込んで、母親に内緒で庭園に咲いていたビンカの花を摘んでもらうと、その花束を手にコステルの家の扉を叩いた。
 広い庭園に囲まれたその屋敷は、白壁に青屋根の美しい造りで、いかにも貴族の名家というにふさわしい威容だった。緊張しながら扉の前で待つリュシアンであったが、しばらくして現れたのは、見覚えのある年増の侍女だった。彼がコステルに取り次いで欲しいことを頼むと、侍女はいったん屋敷に入ってからまた戻ってきて、
「嬢様は、リュシアン様にはお会いしたくないとのことです」
 そう淡々と告げた。
 そういうことも予想はしていたが、もう少し都合の良い展開も頭のどこかにあったので、少なからずリュシアンはがっかりした。
 仕方なく、コステルに届けて欲しいと花束を侍女に手渡し、そのまま屋敷を後にした。帰り際に屋敷を見上げると、二階の窓からちらりと金色の髪が見えた気がした。が、それはすぐに引っ込んでしまった。
 翌日もリュシアンは出掛けていった。
 屋敷の扉を叩くと、昨日と同じ侍女が出てきて、無表情に同様の文句を述べた。むっとしたリュシアンは、侍女に罵声を浴びせようかとも考えたがそれをなんとかこらえ、その代わりに、せめて少しだけでも彼女と話がしたいと、猛烈に食い下がった。侍女は困った顔をしたが、一応その言葉を伝えに屋敷の中に入っていった。
 リュシアンは扉の外で待たされたが、やがて侍女が戻ってきて、少々改まった態度で彼に告げた。
「客間にお通しするようにとのことです。どうぞ」
 案内されて、リュシアンは屋敷の客間に上がった。
 きらびやかなシャンデリアが吊り下がり、床一面には深紅の絨毯敷きつめられた広い客間は、いつ来ても圧倒されるような豪華さだった。椅子に腰を下ろしたリュシアンは、美しいタペストリや絵画などがぎっしりと飾られた壁を、落ちつかなげに見回していた。
 少しして部屋の扉が開いた。コステルがそこに立っていた。
「や、やあ……」
 立ち上がったリュシアンが挨拶をすると、コステルは無言で貴婦人の礼をした。彼女はリュシアンの向かいの椅子に腰掛け、こちらと目を合わせないまま、ただじっと黙っていた。
「あ、あの……さ」
 リュシアンはなんと言ったものかと口ごもりながらも、とにかく声をかけようとした。だが間が悪いことに、ちょうど扉が開いて侍女がお茶を運んできた。
「あ……」
 気勢を削がれたリュシアンは、高級そうなティーカップやお菓子などがテーブルに置かれるのを、黙って見ているしかなかった。
「もう入ってこないで。誰も近づかないでちょうだい」
 はじめてコステルが声を発した。リュシアンは少しほっとして、また声をかけた。
「あのさ、コステル。この前のことだけど……」
 横を向いたままの彼女のあごがぴくんと動いた。
「ごめんよ。俺、なんかその、ひどいことを言っちゃって」
「……」
「言い訳かもしれないけど、あの時はちょっといらいらしていて、俺……どうかしていたんだ」
 コステルがちらりとこちらを見た。
「だから、君にあんな乱暴な口をきくつもりもなかったし、君に八つ当たりするようなことになっちゃってさ……俺、後ですごく後悔したんだよ。いまさら、こんなふうに言い訳するのも情けないけど。ソランから、俺のせいで君が悲しんでいるんだって聞いたら、なんだかとても、その……君に早く謝りたいって思って」
「そう……」
 コステルの頬に少し赤みがさした。
「俺、君といると楽しいし、元気で明るい君の笑顔が好きだから。また、そういうコステルと一緒にいたいなって」
「……八つ当たりって?」
「あ、ああ……」
 コステルがようやくこちらを向いてくれたことに安堵しながら、リュシアンはどう答えようかと迷った。
「それは……さ、あの日、家庭教師の日、マリーン……さんと、ちょっと喧嘩をしちゃったんだ。それでいらいらしてて」
 マリーンの婚約のことを聞いたことは言わなかった。それを言うと話がややこしくなるからで、自分とマリーンとのこれまでの関係や、自分の本当の気持ちを知られるのも、また弁解が面倒だった。
「そうだったの」
「うん。そうなんだ。だから、つい君にまであたってしまって、ごめんよ」
 それを聞いて、コステルの表情が少し柔らいだ。
「そう……。それなら分かるわ。リュシアンはマリーンさんに憧れていたんだものね?」
「ああ……うん」
「なら、いいわ」
 コステルはにこりと笑った。
「もう許してあげる」
「本当に?」
「ええ。だって……花ももらったし」
 リュシアンはほっと胸を撫で下ろした。
「私の部屋に飾ってあるの。あのビンカのお花」
 かすかに頬を染めてコステルは言った。
「……見にくる?」
「うん」
「じゃあいきましょ」
 立ち上がったコステルはリュシアンの手を取った。
「本当はね……私も早くあなたに会いたかったのよ」

 仲直りした二人は、それから頻繁にデートを重ねるようになった。
 騎士団の稽古が終わると、リュシアンはコステルの家を訪ね、二人で庭園を歩いたり、彼女の部屋で話をしたりして過ごした。
 母のクレアは、息子にガールフレンドが出来たことを喜び、コステルを何度か家に招待した。明るいコステルはすぐにクレアや炊婦のメアリとも打ち解け、まるでずっと前からの知り合いのように楽しげに会話をはずませた。
 あれ以来気まずかったマリーンとの学問の時間も、リュシアンは定められた通りにこなした。マリーンの方も、よけいなことは一切言わず、ただ彼に学問を教えることのみに専心している様子だった。婚約のことも、それ以外のことも、勉強以外の話題はまったくしなかったし、リュシアンもまた尋ねなかった。
 十月のある日、リュシアンの家にマリーンが訪れた。客間に通され、母のクレアとリュシアンを前にして、彼女は来月いっぱいで家庭教師は終了したいという旨を告げた。
 最低限必要な学問の基礎は、この何ヵ月かで教えることができたからと、マリーンはその理由を述べた。母のクレアも、このところのリュシアンの成長ぶりを知っていたので、残念がりながらもそれを了承した。マリーンは最後に、来週は私事があるので授業を休ませて欲しいと付け加えた。
 リュシアンは、少なからず複雑な心境であった。
 来月いっぱいでマリーンと会えなくなるのかと考えると、彼の心にはいったんは忘れかけてた寂しさと、また同時に、不思議なやるせなさが沸き起こった。ただそれも、かつてマリーンの屋敷を出る時に感じたような、あのどうしようもない絶望感ではなかった。
 週末になると、リュシアンはまたコステルの家に出掛けていった。
 くるくるとおさげにした蜂蜜色の髪を揺らして走って来たコステルは、花のような笑顔でリュシアンを迎えてくれた。
 二人は手をつなぎ、広い庭園をのんびりと散歩したり、柴の上に腰を下ろし、舞い落ちる木の葉を見ながら話をした。コステルは、友達や家族の話や、最近あった出来事を話しながら、時々無邪気な笑い声を上げた。
「……それでね、トルーデはソランとキスをしたあとで、思わず自分の唇をつねってみたんだって。本に書いてあったみたいにレモンの味も、その他のハーブの味もなにもしなかったってね」
 くすくすと笑うコステルをじっと見つめ、リュシアンはその肩を引き寄せた。
「ん……」
 何度目かのキス。はじめてのときよりは慣れたように、彼女もリュシアンの背に手を回してきた。
 唇を離すと、コステルは頬を染めて横をむいた。
「ごめんよ。いきなり……」
「ううん……」
 コステルはおずおずとリュシアンの手に自分の手を重ね、
「ね……私ね」
 顔を真っ赤にしながら耳元に囁いた。
「あの……。あれ、まだ……したこと、ないの」
 彼女がなにを言っているのか、リュシアンには分かっていた。
「リュシアンは……ある?」
「いいや」
 リュシアンは嘘をついた。
「ああ、でもフィッツウースのやつは、けっこうもう、いろいろと知ってるみたいだけど」
「そっか……そうよね。だって彼はいかにも女の子にもてそうだし。それは不思議ではないわ」
「私の知ってるお友達には、けっこういるのよ。経験した子が」
「ふうん」
「でもね、だいたいの子が、年上の男の子が相手だったり、中には貴族のおじさんとそうなったって子までいたのよ。驚いちゃった。だって……私だったら、そんなおじさんとなんか嫌だもの。初めてのときは、やっぱり好きな人と……ってずっと思っていたし」
 コステルはちらりとリュシアンを見た。
「ねえ……リュシアンは、私のこと好き?」
「ああ……」
「好きだよ……」
「よかった」
 頬をバラ色に染め、コステルが目を閉じる。リュシアンはその唇にやさしく唇を触れた。
「ねえ、今日はね、お母様もお父様も、夜まで帰ってこないの」
「……」
「私……リュシアンにだったら、いいわ」
 耳元の甘い囁きに、リュシアンは体が熱くなるのを感じた。
「本当は結婚まではそういうことはよくないって、お母様には言われたことがあるけど。でも、みんなしているもの。それに私……」
 彼女は頬を染めた。
「リュシアンとだったら、結婚してもいいわ。どこかの知らない貴族のおじさんとかに貰われてゆくのなんて、私は嫌よ」
 初めて入ったコステルの部屋は、女の子らしく綺麗に整えられていた。可愛らしい刺繍の入ったカーテンや、引き出しのついた姿見、天蓋付きの寝台などを見回しながら、リュシアンは落ち着かない様子でそわそわとしていた。
「平気よ。誰も来ないから」
 羽織っていたローブを脱ぎ、コステルは寝台に腰を下ろした。
「私、どうしたらいいのかよく分からないんだけど……」
 とにかく服を脱がなくては駄目だと分かっているらしく、彼女はリュシアンの前でスカートの止め紐を外しはじめた。ペティコートと、その下に履いていたカルソン(ズボンのような下着)を脱ぐと、コステルは寝台の上に寝ころがった。
「これでいいのかしら?」
「あ、ああ……」
 リュシアンは興奮していた。なにしろ、マリーンと離れてしまってからずいぶんと経つ。一度知ってしまった女性の体の感触を忘れられずにいるのは、若い彼にすれば無理からぬことではあった。
「他には、どうすればいいの?」
「あ、ああ……。それじゃ、髪もおろしてみて」
 コステルが言われた通りにリボンをほどくと、蜂蜜色の長い髪が寝台に広がった。めくれたスカートから覗く白い素足がまぶしい。
「……」
 リュシアンはごくりとつばを飲み込み、自分も服を脱ぐとベッドに上がった。
「リュシアン。やっぱり、恥ずかしいわ……こういうのって」
「大丈夫だよ」
 顔を覆ったコステルに囁く。
 胴着に手を差し入れると、ぴくんと、コステルの体が震えた。
「あ……」
「そんな、とこ……」
 コステルは真っ赤になった。
「んっ……いたい」
「あ、ごめんよ」
 リュシアンはあわてて手を引いた。少女のまだふくらみかけの胸は、マリーンのに比べれば少し固かった。
(あまり強くしてはいけないんだな)[
「大丈夫……だから、いいよ。好きなようにしても」
 微笑んだコステルがとても可愛く思えた。
 リュシアンはその唇にキスをすると、ゆっくりと胴着を脱がせた。
「ああ……リュシアン」
 息を荒くしたコステルがしがみついてくる。
「あ……なんか、ダメ。やっぱり恥ずかしい」
「でも、こうしなきゃ」
「う……うん」
 コステルは言われるとおりに、おずおずと足を開いた。
 スカートをめくり上げると、コステルはぎゅっと目を閉じた。その体がかすかに震えている。
(俺は、これからこの娘を抱くんだ)
(べつに、したっていいよな。フィッツのやつだって、いつも何人の女としたって自慢しているし。俺だって……)
 コステルの両膝をぐいと押し開く。彼女はきつく目を閉じたままだ。
(やっぱり、怖いのかな)
(初めてなんだから、それはそうか……)
 目の前の少女を見下ろしながら、リュシアンは、どこか冷静でいる自分に、少し驚いていた。
(俺は……)
(俺は、この子を抱いて、どうするんだろう?)
 にわかに、自分がひどく悪いことをしているような気がした。
(結婚……か。この子と、結婚するのかな、俺は)
 横たわる金髪の少女を見つめ、リュシアンは思った。
(それも、いいかな……)
(この子のことは好きだし、一緒にいて楽しいし。いい子だよな……ほんと)
  自分はコステルを好きなのだ。たぶん……愛している
 ……はずだ。
(そうだよ。それに……)
(苦しくないものな)
(マリーンといるときみたいに)
 同年齢のコステルとの恋愛は、レモンケーキのように甘く、ほのかにすっぱくて、いつも楽しい。気負いのないつきあいは、どうしようもない切なさや、胸の痛みがないぶん、ずいぶん気が楽だった。
 だが、
(この子は、マリーンとは違うんだな)
 当たり前のことだ。顔も、性格も、年齢も、立場も、なにもかもが彼女とは違う。それがなんだというのだ。
(マリーンとは……)
 自分が思い出そうとしているものを、知りながら、
 それを止められなかった。
(マリーン……)
 脳裏に甦るのは、自分が愛した女性の顔。マリーンの顔……
 自分を見て微笑んでいるマリーン
 悲しそうにうつむくマリーン
 その声、その指先のひとつひとつ、
 それが自分に触れた感触……
 それらすべてが甦り、そのときの自分の感情までもが、はつきりと思い出される気がした。
 いくら振り払おうとしても、それはもうなかなか消えなかった。
(マリーン……、俺……)
(俺は……)
 コステルは、目を閉じたままだ。
 手が震える。
(ああ……)
 リュシアンは、喘ぐようにつぶやいた。



  
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