ケブネカイゼ 8/10ページ

 
//サーモンド公爵//


 キルティスは何もかもを諦めたかのように、日がな一日部屋に閉じ籠もるようになった。
 寝台に寝ころがりながら、ときどき発作のように、はっと起き上がっては暗い室内をうろうろと歩き回る。そんな日々が続いた。
 侯爵はまったく屋敷には戻らなかった。おかげで、ケブネカイゼになる労力を使わずにすんだが、それを有り難がる余裕も彼にはもうなかった。突然、彼は届くあてのないシャルラインへの手紙を書きはじめ、それを自分で読み返してまた破り捨てたりした。食事には一応は手をつけたが、途中でナイフを置くと、ワインを持ってこいと侍女を呼びつけた。
 傍目には、彼はもう狂った侯爵夫人でしかなかった。侍女たちは部屋を訪れるのを恐れた。怒鳴られるのは茶飯事だったし、うつろな視線でぶつぶつと何かをつぶやきながら部屋を歩き回る主の姿を目にすると、屋敷のものたちは震え上がった。
 キルティスの日常も、ケブネカイゼの日常も、なにもかもが狂いはじめ、もう元には戻らないかに思われた。だが、ある日唐突に、事態を進展させる出来事が起こった。
 「侯爵夫人宛」とだけ書かれた、一通の手紙が屋敷に舞い込んだ。
 結ばれた紐を解いて羊皮紙を広げ、そこに書かれたごく短い文面を読んだ瞬間、キルティスの目が大きく見開かれた。何度かそれを読み返すと、その手が震えだし、彼の目には一縷の希望をひめた光が宿りはじめた。
 手紙を置き、キルティスはいきなり服を脱ぎはじめた。呼び鈴を鳴らして侍女を呼ぶ。
「お呼びでございましょうか?」
「着替える。手伝っておくれ」

 サーモンド公爵邸の門の前に、黒塗りの馬車が止められた。
 馬車から降りてきたのは、黒ビロードの胴着と長スカートに身を包んだ、美貌の婦人だった。
 公爵邸は三階建ての母屋の他にいくつもの塔があり、回廊に囲まれた離れを擁した大きな屋敷だった。出迎えの下男に案内され、その婦人は屋敷の回廊を歩いていった。
「ケブネカイゼ様がお見えになりました。離れの客間にお通ししておきました」
「うむ。いまゆく」
 サーモンド公爵は、書き物をしていた手を止めた。羽ペンを置いて、白いものが混じりはじめた髭を撫でつけながら立ち上がる。
「さて、あの者め。いま時分になんの用であろう」
 客間に入ると、公爵は「ほう」という顔をして、立ち上がった婦人に近づいた。
「久しいなキルティス。いや、ケブネカイゼと呼ぶべきか」
「お久しゅうございます。公」
 丁寧に貴婦人の礼をする、その相手に笑いかける。
「よく来たのう。またおいぼれの説教でも聞きたくなったか」
「まあ、そんなところです」
 挨拶を交わすと二人は席に着いた。
 サーモンド公爵は今年ですでに六十歳。王国の大貴族にして前宰相でもあり、今は地位を退いて若い貴族の後見役などを務めている。白い髭に覆われたその顔は柔和でありながら、懐の深さを感じさせる。
「そういう姿のおぬしはとても美しい。が、いつも言っておろうに。わしの前では無理に着飾ることもないと」
「ありがとうございます。ただ、世間の目というものがありますので」
 それを聞いて、公爵はおかしそうに笑った。
「世間の目、とは。おぬしの口からそんな言葉がでようとはの。これは驚いた。おぬしもずいぶんと大人になったのだのう」
「公、公。私はもう二十七ですよ。大人にもなります」
「ほほ、そうであったな。ついおぬしを見ていると、二十歳かそこらの若造に思えてしまう。まあ、その姿では若造ではなくお姫様、というべきだろうが」
 そんなことを言われれば眉をつり上るところだろうが、公爵の前では、彼女はただ穏やかに笑っていた。
「して、今日は何用じゃ?こうしていきなりここを訪れるからには、なにか用事があるのだろう。それに、そなたは……そう、さっきからそわそわしておるようだ」
「あなたの前では何も隠せませんよ、公」
 彼女は素直に白状した。
「その通りです。私はあせっております。ですから単刀直入にお話ししますが、実は……ある女性について、少しお尋ねしたいことがあるのです」
「ほう。また新しい女ができたのか。そちもずいぶんとよい男になったようだのう」
「その皮肉は甘んじてお受けしましょう。ただしあなたが私の問いに答えてくださるのなら」
「……なるほど。どうやら真剣なようだの。その目を見れば」
 彼女はうなずいた。化粧をして女のなりはしていたが、その顔はキルティスのものに違いなかった。
「わしの知ることならば、なんなりと」
「ありがとうございます」
 キルティスは懐から丸めた羊皮紙を取り出した。それは今朝届いた例の手紙だった。
「これを」
「ふむ」
 公爵は手紙を手にすると、その文面を読みくだした。
「男装の貴婦人どのへ。お探しの花についてはあなたの知る公爵にお伺いを。これだけか?」
「それで十分です」
 キルティスは返された手紙をテーブルに置いた。
「私が懇意にしている公爵と呼ばれる方はあなただけです。そして、私が探すのはシャルラインという娘です。ご存じありませんか?」
「シャルライン……、はて。身内にも、知人の娘御にも聞かぬ名だが」
「いえ、もしかしたら、その名はまことの名ではないかもしれません。亜麻色の髪をした、歳は十六、七くらいの、おとなしい小綺麗な娘です」
「ふむ……」
 真剣な顔つきのキルティスを見て、公爵は考え込んだ。
「どうか……公。手掛かりはこれしかないのです。なんでもよいのです。なにか、彼女を探すための手だてになることはご存じではないでしょうか」
 髭を撫でつけながら考えていた公爵だったが、申し訳なさそうに首を振った。
「いくら思い出してみても、そのような娘はわしの知るかぎり知人におらぬようだ」
「そう……ですか」
「すまんの。役に立てず」
 キルティスはうなだれた。やっとつかんだ手掛かりに、当てがはずれた落胆は大きかった。膝に乗せた手が震え、化粧をしたその頬に涙が伝うのを、公爵は見た。
「おぬし……」
「もうしわけ……ありません。こんな所で」
「どうやらよほど大切な娘のようだの」
 キルティスは弱々しくうなずいた。
「ふむ。もう一度、その娘のことを話してくれんか。何か思い出すかもしれん」
「はい……」
 息を吐いて茶を一口すすると、彼女はシャルラインについての、知っているかぎりのことを話しだした。お茶を取り替えに来た侍女が、二人の様子を見て扉を閉めようとしたが、公爵はそれをうながした。
「かまわぬ。入るがよい」
「失礼いたします」
 侍女がテーブルに菓子と飲み物を置いてゆく。
「……それから彼女は花が好きで、僕をベリスやバーベナの花畑に連れていってくれました。彼女は花言葉などもよく知っているようで、バーベナの花言葉は、やさしい愛……だったか。そんなことを教えてくれたりもしました」
「ふむ」
 公爵の前で、キルティスは彼女の姿を思い浮かべるように話し続けた。
「彼女は笑顔が可愛らしくて、僕と遠乗りにゆくときなんかは、花や植物の名前を教えてくれたり、野いちごをとったりと、いつも楽しそうでした。亜麻色の髪を両側でこうくるりと結んで、結っていることが多かったかな。シャルラインの緑がかった灰色の目は、サロンにいるときは少しおどおどとしていましたが、僕と二人のときや外を散歩するときなんか、きらきらと明るく輝いていて、美人というのとは違いますが、なんというか、とても綺麗なんです。ああ、それから彼女の右の耳の下にはほくろがありました。最近見つけたんですが」
「どうせ、睦言の最中にでも見つけたのだろう?」
「ええ、まあ……」
 シャルラインの事を口にしているときには、自然とキルティスの顔には微笑が浮かんだ。
「なるほどな。どんな女性なのか、だいたいのところはわかった。だが、残念ながらなにも思い出せん。そんな娘が、この屋敷に来たことはあったかのう……」
「そうですか」
 キルティスが落胆のため息をついたときお茶を注ぎ直して立ち去りかけた若い侍女が、おずおずと口をはさんだ。
「あのう……」
「どうした?」
 公爵に問われて、侍女は緊張したように口ごもった。
「いえ……あの。申し訳ありません。ただ今のお話の方が……」
「何か知っているのか?」
「いえ。その、もしかしたら、フローラのことではないかと、思ったものですから」
 それを聞いたキルティスは、さっと顔を上げた。
「僕の話した女性を知っているの?」
「いえ、あの……すみません。お話を勝手に聞いてしまって……」
「そんなことはどうでもいい。なにか知っているなら教えて」
 キルティスのただならぬ剣幕に、侍女は驚いたように尻込みした。
「ああ、申し訳ありません。でも、もし違っていたら……私」
「いいから。言ってみて」
「まあ、落ちつけ。キルティス、いやケブネカイゼ」
 て立ち上がりかけた彼を、公爵がおだやかに制した。
「まあ座るがよかろう。ゆっくりとな、落ちついて聞こうではないか」
「はい……」
 座り直したキルティスは、侍女の入れてくれたハーブのお茶を一口飲んだ。
「さて、お前は名前はなんといったかな?」
「は、はい。ミルダと申します」
 まだ歳若い侍女は、日頃はほとんど言葉を交わすことなどない公爵から声をかけられ、ひどく緊張した様子になった。
「こちらのケブネカイゼ夫人の話を聞いて、お前はその女性について、何か知っているというのだね」
「はい。いえ、はっきりとは分かりませんが。お話の方は、なんだか以前この屋敷の炊婦をしていたフローラに似ているかと存じます」
 侍女の言葉に、キルティスは思わず身を乗り出した。
「フローラ。フローラというの、その娘は」
「はい。フローラは、つい三月前まで、ここで私どもと一緒に働いておりました」
「三月前……」
 シャルラインがサロンに現れたのはふた月ほど前である。もし、そのフローラがシャルラインだとしたらつじつまは合う。
「なるほど、炊婦か。ここには炊婦だけでも十人、侍女は十五人もおるからな。そんな娘がいたことなど知りもしなかった。その娘はどのくらいの間ここにいたのだ?」
「はい。フローラは半年ほどここで働いておりました。私とは歳も近いこともあり、たまに休みのときには一緒に町に出たり、散歩にいったりもいたしました。彼女はいつも亜麻色の髪を両側で結っていました。性格はおとなしくて、あまり自分からはしゃべらない子でしたが、花が好きで、調理場にはいつも摘んできたビンカやベリスを飾っておりました」
「ああ……」
 キルティスはつぶやいた。
「彼女だ。きっとそれは彼女だ。フローラ……、フローラというのか。彼女は」
 その名前は彼女にぴったりに思えた。はかなげな笑顔、花が好きな亜麻色の髪の少女……キルティスはもう、それが彼女であることを確信していた。
「ふむ」
 公爵は、そんなキルティスの様子をちらりと見ると、また侍女に尋ねた。
「それで、その娘フローラは、どうしてここをやめていったのか、分かるかな?」
「さあ。よくは存じませんが……でも、ある時、侍女頭のミースさんに突然暇乞いを申し出ていたのを覚えていますわ。私も一度訊いてみましたけど、彼女は少し事情があって、としか言いませんでしたから」
「そうか。それでは、その娘が今どこにいるのかまでは知らぬわけだな」
「はい。申し訳ございません」
「よい。他に、何か知っていることはないかね?」
「そうでございますね……」
 思い出せるかぎりのことを話そうと、侍女は頬に手を当てて考えるふうだった。
「とにかく、とても真面目な娘でした。仕事はきちんとしているし、ときどき失敗して年上の炊婦仲間に叱られているのを見ましたが。でも無断で仕事を休んだりしたことはないし、いつも礼儀正しかったし。それから……ああそうそう、お互いの身の上を話したことがありました。あの子の実家は都市郊外の農家だそうです。早くに父親を亡くして、母と兄弟姉妹で暮らしていたようです。このお屋敷で働けるようになったのをとても喜んでいました。このお給金で家族を助けられるって。それで一生懸命やっていたのでしょうね。ですから、突然やめてしまって、今はどうしているのかしらと、私もときどき心配になったこともあるんですよ」
 話し終えた侍女が部屋から出ていってからも、キルティスはじっとうつむいていた。
 そんな彼女を見かねたように、公爵は静かに声をかけた。
「今の話によると、その娘は身分もない農家の娘らしいな。おぬしともあろうものが、貴族でもない娘を、それほどまでに好いてしまったのか?」
「……はい」
 公爵は、皺の深くなりだした顔に、暖かな微笑みを浮かべた。
「わしも、何か力になれればよかったのだが」
「いいえ。それよりも、このように突然お訪ねし、詰まらぬ話にお時間を使わせてしまい、申し訳ありませんでした」
「かまわんよ。前から思っていたが、お前はわしの娘……いや、息子か、そのようなものだとな」
 キルティスは公爵の顔を見上げ、やわらかく微笑んだ。
「ありがとうございます。私などにそのようなお言葉をかけてくださるのは、この世であなただけです。今日は本当にありがとうございました」
「もう行くのか?」
「はい」
 公爵に深く礼を述べ、キルティスは立ち上がった。
「ケブネカイゼ」
 扉に向かって歩きだした彼女を、公爵が呼び止めた。
「一つ約束をしておくれ」
 振り返った彼女に、まるで父親のようなまなざしを向けて、公爵は言った。
「たとえ、何が起ころうとも。たとえどんな時であっても。わしはお前の言葉に耳を傾けるだろう。だからお前もな、この世のすべてが敵に思えても、こうして一人の老人がお前のために門戸を開いて待っているということを、どうか覚えておいておくれ」
 彼女は、それに小さく「はい」とだけ答え、部屋を出た。
 だが、それでもキルティスの心は、屋敷を出るときよりも、少しだけ浮き立っていた。
(フローラ、か……)
 彼女の本当の名前が分かった。それだけでも収穫だった。たとえ、彼女がどこにいるのか、どうして姿を消したのかが分からなくとも、少なくとも、彼女がかつてはサーモンド公爵のもとで働いていたことは確かめられた。
(それに、なんて彼女にぴったりな名前だろう)
 どこにでもいそうな平凡な名前ではあるが、侍女の口からその名を聞いたとたん、「それは彼女の名前だ」という、なにか本能的な確信を感じたのだった。シャルラインという名も綺麗だし響きは良いが、少し貴族的すぎる。
(フローラか。フローラ……)
 帰馬車に揺られながら、キルティスは心の中で何度もその名を呼んだ。
(君はどこにいるの?フローラ)
(僕はこんなにも、君を探しているんだよ)
 恋人に囁きかけるように、キルティスは窓の外へ優しいまなざしを向けた。

 ふと思いついたキルティスは、屋敷に戻る前に途中で馬車を降りた。御者に向かって、「ここからは歩いて帰るので先に戻るように」と言い残し、一人で街路を歩きだす。
 道ゆく人々が、美しく着飾った彼女を、いったいどこの貴婦人だろうかと、振り返ってゆく。キルティスはそんな周りの視線などまったく気にすることもなく、大股で悠々と通りをゆき、見知った路地を曲がって、目的の家までたどり着いた。
 その古びた家の扉を叩くと、ややあって男が現れた。
「なにかご用ですか……って、ああ!あんたか」
 驚いて目を丸くしていたのは、むろんレイナルドだった。
「やあ、おじゃましていいかな」
「う……」
「なんだよ。入っていいのか?悪いのか」
 女性の姿のキルティスに大いに面食らったのだろう、レイナルドはまじまじと彼女を見つめ、それからやっとうなずいた。
 まだぽかんとしている男の横をすり抜けて、キルティスは、すでに勝手知ったこの隠れ家に上がり込んだ。
「なんだよ?さっきから気持ち悪いな。この恰好、そんなに珍しいか?」
 向かい合って腰掛け、お茶をすすりながらも、まだレイナルドはキルティスを見つめていた。
「あ、ああ……いや、すまん。少し驚いて。扉を開けたときは、いったいどこの貴婦人が立っているのかと思ってびっくりしたよ」
 照れたようにレイナルドは頭を掻いた。
「ふふふ。そりゃ面白いな。じゃあこれからも、ときどき驚かせにこの恰好で来るかい?」
 キルティスはくすくすと笑った。
「でも、化粧したり、こんなしちめんどくさいドレスやら下着やらを付けるのは、本当はまっぴらなんだ。今日は、さる身分のある方の所へ行ってきたところなんでね。仕方なくさ」
「さる身分ある方……か。でも、そういえばあんた。なんだかちょっと見ないうちに痩せたみたいだな。何かあったのか?」
 頬のこけたキルティスの顔を見て、彼は心配そうに言った。
「この前、女と駆け落ちする約束をして結局来なかったっていうあの日から、もう二週間とちょっとだ。それで、まだその彼女は見つからないのかい?」
「ああ……そのことでな」
 キルティスは、懐から丸めた羊皮紙を取り出した。それは今朝届いた例の手紙であった。
「もしかしたら、と思ったんだが。この手紙はお前が書いたものではないのか?」
 レイナルドは羊皮紙を受け取り、それを読みくだした。
「……ふむ」
 口を引き結んだ男の様子を、キルティスはじっと見つめた。
「どうだ?それはお前が書いたものだろう。他に考えようがない」
「……ああ。確かにそうだ。俺が書いた」
「そうか。やっぱり」
 得心がいったとばかりに、キルティスはひざを叩いた。
「前々から気になっていたんだ、お前のことは。私の屋敷にその手紙を置いていったということは、お前はとうに私の正体をすでに知っていたのだな」
「ロイベルト侯爵夫人、ケブネカイゼ……さん。だろう?」
 レイナルドはその名を口にすると、ばつが悪そうに上目でこちらを見た。
「すまなかったな。今まで……知らないふりをしていて」
「べつにいいさ、いまさら。以前なら秘密を知ったな、生かしておけんと、お前に切りかかるところだが。今となっては、なんだかね、そんなことはどうでもいいことに思えるんだ」
 よほど晴れやかな顔をして、キルティスは言った。
「自分自身でも驚くけどね。この何週間かで、私は本当に変わった気がする。色々なことを考えて、悩んだり、ときには笑ったり。それはみんな……みんな一人の女性のためなんだけど。本当、自分でもおかしいくらいに」
 波うつような金色の髪に、綺麗に化粧をした彼女が寂しげに微笑むと、それは蠱惑的で美しかった。
「それで、今日やっと、彼女の名前が分かったんだ。彼女の本当の名前だよ」
 嬉しそうにキルティスはその名を口にした。
「フローラ。フローラ、というんだ。ああ……なんて彼女にぴったりな名前なんだろう。そう思うだろう?レイナルド。おっと、お前はまだ彼女を見たことがなかったんだっけ?いや、でも私にあんな手紙をよこしたくらいだから、どこかで知っているのかな。まあ、どうでもいいや。とにかく、僕はこれからフローラを探すんだ。きっと彼女を見つけてみせる。そして言うんだ。フローラ、僕は君を……ってね」
 頬を紅潮させるキルティスを、レイナルドは無言で見つめた。
「今日はそれを言いに来たんだ。それに、お前がこの手紙を出したこともちゃんと確かめられたし。ああ、だとすると……そうか、お前のおかげで彼女の手掛かりが多少でもつかめたんだな。礼を言ったほうがいいかな」
「いや……」
 どこか苦しげな面持ちでレイナルドは首を振った。
「でも、どうして私にあの手紙を書いたんだい?それから、他に何かフローラについて知っていることがあったら……」
「キルティス!」
「なにさ?いきなりこわい顔をして。どうしたんだ」
「ちょっと、来てくれ」
 目をそらしたまま、レイナルドは低く言った。
「行くって、どこへ?」
「二階だ」
 それに首をかしげるキルティスだったが、言われたとおり、男の後に付いて階段を上がった。
 二階は古い寝台があるだけの殺風景な部屋だった。以前にレイナルドに助けられたとき、弱っていた彼女がしばらく使っていた部屋である。
「それで、なんだい?なにかこの部屋にあるのかい?」
 部屋に入ってから背を向けたままだったレイナルドが、ゆっくりと振り返った。
「……キルティス。あの娘のことはあきらめろ」
「あの娘とは、シャルライン、いやフローラのことか?」
「そうだ。あの娘はあきらめろ」
「なにを馬鹿な」
「いいから、聞け。あの娘はな、もう戻ってこないんだ」
「なんだと?」
 キルティスは眉を寄せた。
「戻ってこないんだ。だから、あきらめろ。お前が苦しむだけだぞ」
「何を言っている。お前は何を知っている?」
「だいたいの事情は知っている。だからこうして俺はお前に……」
「なんだと。では、彼女はどこだ?どこにいる?」
 キルティスは相手に詰め寄った。
「お前は知っているのだろう?教えろ」
「それは……」
 レイナルドは首を振った。
「言えん。しかし……、いずれ分かるだろう」
「お前は、いったいなんなんだ?」
 キルティスの中で、得体の知れないものに対するような、激しい怒りが沸き上がってきた。
「知ったふうにあれこれと。お前は何者なんだ?どうして私にそんなことを言う権利がある」
 二人は睨むように向かい合った。
「本当は……こんなことは言いたくはなかった。俺に与えられた仕事からは外れることだからな。しかし、俺は……俺は、」
 最後はつぶやきのようになった言葉を、彼は飲み込んだ。
「キルティス!」
 声をあげる間もなく、彼女は体を抱き寄せられた。
「なにを……する」
 驚きに目を見開いたキルティスの唇に、男の唇が合わさった。
「う……ぐ」
 キルティスは呻いた。なんとか顔を横にむけて唇を引き離すと、男の顔を殴りつけた。レイナルドはよけなかった。
「なにをする!いきなり」
 彼女は鋭く相手を睨みつけた。
「すまなかった。だが……、俺はお前を好きなんだ、キルティス」
「なにを言っている。気でも違ったか」
「いいや。そのお前の姿、輝くような髪、気高く、そして美しい。俺はそんなお前が……」
「なにを馬鹿なことを言っている。知っているだろう。私は女などでは……」
「いいや。お前は女だ。その心はどうあろうと。今のお前のその姿を見て、お前が女だと思わぬものはいない」
 レイナルドの目がぎらついたように光っている。
「よせ。私はお前にそんなふうにして欲しくない。お前は……友人だと思っていたのだぞ」
「俺だって……俺だってそうだ。キルティス。ずっとそう思っていた。お前は姿はどうあれ、中身は俺と変わらぬ男だと。男の友人だとばかり……だが、違った」
 にじり寄ってくる相手に、キルティスはあとずさった。
「今日のお前を見たとき。俺は……俺の心は決まっていた。いや、気がついたんだ。俺はお前を愛しているのだと。いや、お前がそうして女の姿で現れたからではない。お前が、お前の笑顔が、俺をこうさせた。美しいお前の、寂しげな笑顔が。だから、頼む……あの娘のことはあきらめてくれ。これ以上お前につらい思いをさせたくない」
「なにを言っているんだ。勝手なことをいうな。お前がどう思ったかなど知らないが、私は、私だ。女などではない。僕はキルティスだ。それ以上近づくと……」
 壁際に追い詰められたキルティスに、レイナルドが飛び掛かってきた。
「キルティス!」
「や、めろ!」
 必死に引き離そうとするが、力ではかなわない。レイナルドはキルティスの両腕をつかみ、そのまま寝台に押し倒した。
「やめろ。離せ、レイナルド!」
 キルティスはもがいた。両足で相手を蹴りあげようとするが、上からのしかかられては思うようにいかない。
「くそ……離せ!馬鹿」
 首筋に男の唇が触れると、彼女は嫌悪感に体を震わせた。
「よせ。この……」
「キルティス。俺が守ってやる。俺が、お前を……」
「うっ……よ、よせ」
「お前は美しい。キルティス……」
 耳元でそう囁き、レイナルドはそのまま、キルティスの胴着の紐をほどきはじめた。
「や、めろ……頼む」
 キルティスの体から、少しずつ力が抜ける。
「嫌だ……いや」
 レイナルドは、ぐったりとなったキルティスの両足を持ち上げ、スカートをずらした。
「お前も……なのか?」
 弱々しく、彼女はそうつぶやいた。
「お前も、同じなのか……あいつらと」
「……」
「友達だと……おもったのに」
 頬に涙を伝わせ、諦めたような表情のキルティスを見下ろし、レイナルドは押さえつけていた手を離した。
「……くそっ。やっぱり、俺にはできん」
 口のなかで言うと、彼は立ち上がった。
 キルティスは、顔をそむけているレイナルドの横をすり抜けるようにして部屋を出た。



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