氷川のろっくん娘は、メタルの無い世界でツーバスを踏む 2


「すごいねー、もう三十分も叩きっぱなし」
「す、すみません。つい夢中になっちゃって……」
 スティックを握りしめたまま、はっと我に返った私は、あわてて先輩たちに頭を下げた。
「いいよいいよ。それに最初でこれだけできるって、なかなかたいしたもんだよ」
「ありがとうございます」
「ちょっと練習すれば、すぐにちゃんと叩けるようになるよ。きっと」
「すごいよ、みずっちゃん」
 あかねんも、感心したようにうなずいている。なんだか嬉しい。
「さて、ちょっとお茶でもしよっか。疲れただろ」
「は、はい」
 部屋の片隅には棚があって、そこにはみんなが持ち寄ったお菓子や、ティーパックのお茶がいろいろと入っていた。
「みずっちも紅茶でいい?」
「う、うん」
 お茶を入れるのはあかねんの仕事らしい。ティーパックを入れたポットにお湯を注ぎ、人数分のマグに紅茶を注いでゆく。
「今日は特別だ。カントリーマミーのあまおう味を開けちゃおう」
 机を寄せて、お茶とお菓子を手に、四人が向かい合う。なんかいいなあ。
「みずっちは、レックスの他にはどんなのを聴くの?ロックは?」
「あの、じつは、あんまり詳しくなくて。あとはちょっと前に解散しちゃったけど、V系のバラサイユとか」
「あー、いいね。あれ。けっこうレックスっぽいし」
「はい。あとは、お父さんが聴いてるので、ディ・パープルは知ってます」
「なるほどね」
「なつき先輩は、どんなバンドが好きなんですか?」
「そうだねー、うむ」
 なっき先輩は腕を組むと、少し困ったような顔をした。
「ロック……まあ、ウチはロック研究会なんだけどね。名目上は……」
「名目?」
「そう。なんつーか、いきなりメタル研とかにすると、それこそ誰も寄り付かなくなるからね」
「メタル……って、もっと激しいやつですか?ヘビメタとか」
「ヘビメタね……まあ、そうなんだけどさ。あんまりその略称は使わないでほしい」
「す、すみません」
「いや、いいんだけどさ。私も元々はさ、フツーにハードロックから入ったんだけどね。アニキの影響で。で、気付いたらもう」
「メタルにどっぷり、なのよね?」
 たーや先輩がくすりと笑う。
「うるせっ、たーやなんかさ、もつとマニアックなプログレだもんねー」
「プログレ?」
「そうそ、プログレッシブ・ロックってやつ」 
「なっ、キース・エマースが大好きなんだよな」
「エマース……神です」
「ははは。目がこわいぞ」
 メタルとか、プログレとか、なんか話がどんどんマニアックになって、とてもついてゆけそうにない。
「まあ、ともかく。じつのところロック研といつつ、本当はメタルやりたいんだよね。私はさ」
「メタル……ですか。じゃあ、あかねんも?」
「一学期に先輩に洗脳されたよ。もう戻れないメタル道……」
 にたりと、あかねんが不気味に笑う。
「そんなわけで、メタル叩ける女の子ドラマーを探していてさ」
「ええーっ。でも、私はメタルなんて……」
「でもさ、YOSHI好きなんだろ。レックス・ジャパンだって初期はかなりメタルだったんだしさ」
「でも、そんな……」
「まずは、レックスの曲から練習するのでもいいしさ」
「レックス……」
 それを聞いて、不覚にも私は、「やりたいかも」と心の中で思ってしまったのであった。
「まあ、メイデンは基本よね。それにジューダスだろ」
 いつのまにか、なっき先輩によるメタル講義が始まっていた。
「メイデン?」
「そ、アイアム・メイデン、それにジューダス・グリーフト。メタルゴッドと呼ばれるロブハール・フォードのハイトーンはしびれるよ」
「は、はあ……」
「それから、メダリカ、メガディス。ジャーマンだと、ヘルウィーンとか、ガーマ・レンそれに、ブライ・ガーディアンね」
「はあ」
 私はちんぷんかんぷんで、なっき先輩の口にする呪文のようなバンド名に、ただうなずくだけであった。
「私は、やっぱりドリーム・テアトルですかね」
「あー、ジョン・ミャングか。六弦ベースの」
「はいっ」
 あかねんが嬉しそうにうなずく。
「まあ、メタルっていっても、いろいろあるからね。重いのとか速いのとか、テクニカルなのとか、キャッチーなのとか」
「そうなんですね」
「みずっちは、ドラフォーとか知ってる?」
「なにそれ、美味しいの?」
 私の返答に、あかねんが目を点にする。
「あー、いや……スイーツかなにかかなって」
「いやいや、ドラフォっていったら、ドラゴンフォーサーのことでしょ。メロディック・スピードメタル、いわゆるメロスピよ」
「メロスピ……それもなんか美味しそう、メロンみたいで」
「はははは」
 横でなっき先輩がマジ笑いしていた。
「気に入った!」
 肩を叩かれて一言。
「ウチのドラムはキミだ!」
「あのー」
 私は少し困った顔で、みんなを見回した。
「すぐできるって。さっきの叩きっぷりを見たらさ」
「でも」
 レックスの曲をやりたいのはやまやまだったが、なにせ、私はホンモノの初心者なのだ。
「私、ドラムなんて買えないし」
「大丈夫。なんつっても、ドラムはスティックさえ買えばすぐ叩けるから」
「ああ、そっか」
「まあ、音にこだわりだすとさ、スネアとかシンバルとか、自前で揃えだすんだろうけどさ、とりまツインペだけあれば、ツーバスドコドコできるから。YOSHIみたいに」
「ツインペ?」
「ツインペダルのことよ。それがあれば、ワンバスしかないドラムでも、ツーバス踏めるようになるっていう、超ベンリなアイテムよ」
 たーや先輩が教えてくれた。
「そうなんだ。ツインペってすごいんですね。ツインテみたいでカワイイ」
「ほんとね。可愛いかも」
 たーや先輩がくすくすと笑い出す。
「じゃあまずは、ツインペを買うのを目標にしたら?」
「ああ……はい」
 その場のノリもあって、私はうなずいてしまった。それが、入部の返事になったのだということを、あとになってから悟ったのであった。
「あとさ、今度、ユニオン一緒に行こうよ。いろいろオススメのCDとか紹介するから」
「ユニオン?」
「そそ、ディスク・ユニオン。メタルとかのマニアックなバンドのCDが、いっぱいあるんだよ」
「そうなんですか」
「前は、北浦和まで行かなくちゃならなかったんだけど。まさか学校のあるこの大宮にユニオンができるとはね!」
 私は、十六年間ずっと大宮に住んでいるけど、そんなCD屋があるなんてまったく知らなかった。
「あとは、緑川とうせいのサイトなんかもオススメだよ」
「誰ですか?」
「ネット上ではわりと有名な人だよ。異常にマニアックなバンドのレビューを超いっぱい書いていてさ。私ですらとてもついていけないんだけど、わりと勉強になるから。検索してみな」
「はあ……」

 その翌日は、放課後になるのがなんとなく楽しみだった。
 おずおずと、第二音楽室のドアを開けると、すでに当たり前のように、昨日の三人が笑顔で出迎えてくれた。
「エレキギターはさ、大きく分けてストラトとレスポールのふたつなのよ」
 肩からギターを下げたなっき先輩が、分かりやすく教えてくれた。
「ストラトの特徴はなんたって、アームがついていて、ギュイイーンと音を揺らしたりできるんだ。そのストラトよりも歴史があるのがテレキャスで、カッティング重視ならむしろテレキャスだね。太くてロックな音を出したいならレスポールってとこかな」
「なるほどー」
「他にも、SGにフライングVってのがあるよ。フライングVは名前の通り、V字型をしていて、ステージだととても目立っていいよね。ミハエル・シェンガーなんかが有名だな。あとは変形タイプだとエクスプローラーとかもあるけどね」
「なっき先輩のギターはストラトなんですか?」
 よくぞ聞いてくれたというように、先輩はちっちっと指を振った。
「あたしが使ってるのはPRS……ポール・リード・スミスのカスタムってやつ。ストラトとレスポールの中間みたいなやつさ。ほら、アームがついてるっしょ」
「ホントだ。それで、ギュイン、ギュインできるんですね」
「それにほら、このマホガニーの赤いボデイが、こう、うっとりするほど美しいのさ。あたしの好きなオーベスのミカエル・オークフェルドが弾いているのを見て、一目ぼれしたんだよ」
「オーベス?」
「ああ、プログレッシブなメタルバンドだよ。スウェーデンの」
「なっき先輩はメタルに詳しいんですね」
「まあねー、アニキの影響かな。ギターを始めたのも」
「お兄さんから教わったんですか」
「うん……まあ」
「ステキなお兄さんなんですね」
 そのときのなっき先輩は、困ったように笑って、なんとなく微妙な表情をしていた。あとになってから、それがどうしてなのかが分かったのだけど。
「でもさ、みずっちが入ってくれてホント助かったよ」
 先輩は、話題を変えるように言った。
「そうね。このままだとロック研は消えちゃうところだったよね」
「そうそう。実際の活動人数が五人以上いないと、部活として認められないんだよ。そうなると部費もおりない」
「そうだったんですか」
「ああ、三年の先輩は三人とも事実上引退しちゃうだろ。そうしたら、残るのはさらを入れても四人だけ。みずっちが来てくれたおかげで、なんとか人数揃って、月例の活動申請ができるんだ」
「それに、ドラムってなかなか見つからないからね」
 たーや先輩の言葉に、あかねんも同意したようにうなずく。
「ベースの場合は、もともとギターやりたかった人が回ることがけっこうあるけどさ。ドラムはね、なかなか……しかも女子高なんかじゃ、いないんだよねえ」
「そうなんだ」
「だから、みずっちが、レックスのYOSHI好きで、ホント良かったっていうか。これでバンドになるもんね」
「うんうん」
 みんなが揃ってうなずく。そんなに必要とされていたとはと、私も嬉しくなった。
「さーって、じゃあ、さっそく、今日はみんなでちょっと合わせてみよっか。みずっち、テキトーに8ビート叩いてみて」
「は、はい。8ビート……って、ドッタン、ドドタンってやつですね」
「そうそれ」
「あたしがテキトーにギター入れるから、あかねとたーやは合わせてくれる」
「はーい」
 は、はじめてのバンド練習だ。私はキンチョーした。
「みずっち、スティックでカウント入れて。それが合図ね」
「こ、こうかな」
 カツカツカツカツ、ジャーン
 すごい。私がドラム叩くと同時に、なっき先輩のギターが入ってきた。
(あ、それになんか、これ知ってる)
 聞き覚えのあるギターフレーズ。それに合わせてドラムを叩く。
 すぐに、あかねんのベースが加わって、たーや先輩がやわらかなシンセを弾き始める。ただ合わせているだけなのに、ちゃんと音楽になっている。音楽に聞こえる。
(なんか、楽しい)
 私は、一生懸命、遅れないようにドラムを叩いた。
「いいじゃん。みずっち。普通にドラム叩けてたよ」
 ギターを下げたなっき先輩がにかっと笑う。
「は、はい。なんか聴いたことのある曲みたいで」
「パープルのスモコンだよ」
「スモコン?」
「そ、ディ・パープルの代表曲。スモーク・オンザ・ウォール」
「あ、知ってます。たぶんお父さんがCD持ってる」
「だろ?ロックでバンドやろうって奴は、たいてい知ってるからさ。あかねのベースもずいぶん上手くなったよな」
「ありがとさんです」
「んじゃあさ、明日は本格的にこの曲で練習しよう。聴いておいてよ」
「は、はい」
 スティックを手にしたまま、私は軽く感動していた。なんだか、昨日よりも手足がよく動いた。それはきっと、ギターやベースが一緒に音を出しているからだ。
(一緒に音楽を演奏するって、こういうことなんだ)
(これがバンドなんだ……)
 その翌日は、パープルのスモコンをひたすらみんなで合わせた。
「おー、いいよー、だいぶいい感じになってきた」
 振り向いたなっき先輩が親指を立てた。そのギターは、回数を重ねるごとに伸びやかな音に聴こえ、先輩自身もノリノリになってきて、気持ちよさそうになるのが分かった。きっと、みんなの音に一体感が出てきたからだ。
「その両手の十六分のハイハット、ずいぶん慣れてきたじゃん」
「はい。家でも練習してます。あのー、雑誌を叩いて」
「いいね、いいね」
 最後まで一曲を演奏できるって、こんなに楽しいものなのだ。あかねんのベースともずいぶん合うようになってきたし、みんなの顔をちょっと見るくらいの余裕も出てきた。
「よー、じゃあ、ラストもう一回!」
「はい」
 私がカウントを入れようとしたとき、勢いよくドアが開いた。
「おー、音がしてると思ったら。曲やってるんだ?」
 よく響く声とともに、ふわふわの茶髪がなびいた。
「あ、さら!」
「どうもー、久々―」
 可愛らしい声、そして太陽のような笑顔で、こちらに手を振る。それが噂のさら先輩なのだと、私はすぐに悟った。
「おっ、その子が新しく入ったドラムの子?」
「はじめまして。氷川美泉です」
「高鼻紗良です。いちおー、この部のヴォーカルなんだけど、声楽の方もやっててさ」
「は、はい。存じています」
「ふうん。可愛いね。性格も良さそう」
 さら先輩が入ってきたとたん、部屋がいきなり華やかになったようだ。なんというか、声にも姿にも、華がある人だと思った。
「だろ?ドラム初心者なんだけど、もうスモコン叩けるんだぜ」
「いいね。あたしも混ぜてよ」
「おお、やろやろ!」
 というワケで、ついに歌入りのフルメンバーが集まった。ギター弾きながらの、なっき先輩のヴォーカルもけっこうよかったけど、さら先輩が歌いだしたとたん……世界が変わった!
 その声はとてつもなく伸びやかで、そしてただただ綺麗だった。ソプラノというのか、裏声を巧みに使いながら、張り上げるところは高音の地声で突き抜ける。私もけっこう歌は好きで、カラオケなんかもたまに行ったりするのだが、さら先輩のは、そんなレベルではなかった。
(これが、声楽をやってる人の歌声なんだ)
 ドラムを叩きながら、私はまた感動していた。ちょっと疲れてきていた自分の腕に、その声によってまた力が注ぎ込まれるような。
(すごい……歌って、すごい)
「スモコンって、こんなにエモーショナルな曲だったんですね」
 演奏を終えて、あかねんがぽつりとそう言った。エモーショナルか。私もそう思った。
「だねえ。さらが歌うと、なんでもすごくなっちゃうんだよな。オペラティックでブルージーで、その両方かな」
「うん、私、声楽もロックも好きだから」
 それから、お茶を飲みながらみんなで話をした。さら先輩の一番の気に入りのバンドは、グイーンなのだという。私は「ボヘミアのラプソディ」くらいしか知らないが、確かお父さんがCD持っていた。帰ったら聴いてみようと思った。
「さらはメタルだと、ウィズインとかが好きなんだよな」
「ウィズイン?」
「うん、ウィズイン・テンプション。オランダのバンドでね。ヴォーカルのシャランの歌声がすっごいきれいなの」
「そうなんですね。女性のヴォーカルのメタルもあるんだあ」
「ナイトウィッチとかね。エヴァンネッセとか、知ってるかな」
「あ、名前はなんとなく」
「そうそう、激しいだけがメタルじゃなくて、美しさもあるのがいいんだな」
 さら先輩は、普通に話すときの声もとても可愛いらしくて、その声を聞くだけで楽しくなってしまう。
「私はちょっと、毎日は来られないんだけど、また一緒にやろうね」
「はいっ」

 それからの私は、日に日に、自分がドラムを叩くことが好きになってゆくのを、確かに感じていた。
 毎日みんなと音を合わせていると、少しずつ、自分ができることが増えてゆくのが分かった。いままでは、ハイハットを叩き続けるとすぐに右手首が疲れてしまったんだけど、いまなら何曲か続けて出来るくらいにはなったし、最初は慣れなかったバスドラも、足で踏みながら体全体でリズムをとるのだと分かると、むしろ一番大切なのは手ではなく、右足なのではないかと思うようになった。ハイハットのシャシンシャンシャン、バスドラのドンドンドン、スネアのタン、タンタン、これが合わさって、楽しいリズムになる。その不思議な面白さに、私はますますハマってゆく気がした。
 曲もパープルのスモコンだけだったのが、レイボーンの「キル・ユア・キング」、メダリカの「エンター・サンダーマン」と、難しすぎないメタル曲をみんなで選んで、少しずつレパートリーを増やしていった。
 忙しそうなさら先輩も、ときどきやってきて演奏に加わった。すると、とたんに私たちの音は華やかに、そして力強くなるのだった。なんというか、さら先輩の歌声が入ると、欠けていたピースが埋まって、完璧になる感じがした。
(早くレックスの曲もやりたいなあ)
(さら先輩も、レックスは好きだって言ってくれたし、)
(先輩が歌うと、トシとはまた違った、きれいな感じになるんだろうなあ)
 そう思いつつ、レックスの曲はツインペダルを使わないとできないと分かったので、まずはいまのうちに基礎を練習しておいて、
(ツインペ手に入れたら、絶対レックスの「グレイ・ナイン」やるんだ!)
 私はそう、心に誓ったのだった。
 土日は店の手伝いをし、おこずかいとバイト代を貯めた。昼食代にもらっている毎日の五百円も節約。パン一個でガマンである。
(これもツインペのため。レックスのため!)
 そうして、一か月後。ついに私は、念願のツインペを購入したのです。ひゃっほう!
「結局、TAMAのアイアン・コブラにするんだ?」
「うん。やっぱりメタルにはこれでしょって、店員さんも言うし」
 学校帰りに、さっそく山村楽器に寄った。あかねんとなっき先輩、たーや先輩もついてきてくれた。
「ついでにスティックも見ていったら?」
「そうね、自分の手になじむ太さのやつが一番だよ。あと重すぎないやつね」
 なっき先輩のアドバイスに従って、自分の手に合いそうな細めのスティックを選んでみる。材質や長さ太さもだけど、先の形が丸いのや楕円のや、いろいろあって迷う。
「たしか、オークってのが一番硬くて、メイプルが一番軽いんだったかな。でもメイプルは折れやすいって聞いたことある。ヒッコリーってのが中間だから、とりまそれでいんじやない」
「ふむふむ」
「あとは、なるべく自然に持てるのがいいんだよ。ギタリストのピックと同じように、身体の一部になるみたいにさ」
「なるほど」
 私はいろいろなスティックを手に持って、それを振ってみたりしながら、自分に合いそうなやつを選んだ。
「あっ、こっちにはスネアやシンバルも置いてあるよ」
 そこには、色とりどりのドラムセット、輝くような黄金色のシンバルがずらりと並んでいて、思わず目を奪われる。
「あのー、たしか、学校のドラムセットって、カ、カノウプ……ってやつでしたよね」
「そうそうカノウプス。日本のメーカーだよ。タマとかパールとかが有名なんだけどさ、カノウプスはコアなファンがいるんだって」
「へえー」
「みずっちは、スネア買うとしたらどんなのにする?」
「うーん、もうお金ないし、まだすぐには買えないと思うけど」
 私は、棚に並んだドラムをぐるりと見回しながら、
「あんなのとか、いいなあって」
「へえー、あれはブラスかな」
「ブラス?」
「そう、ブラスバンドのブラス。真鍮だったかな」
「そうなんですね。なんか金色できれいだなって」
「おっ、あれもカノウプスのじゃん」
「本当だ」
 あんな綺麗なスネアドラム、いつか買いたいなと、欲張りな私はそう思っていた。
「ありがとうございましたー」
 会計を済ませると、レジのおねえさんが私を見てにっこりと笑う。女の子でツインペダル買うのって、やっぱり珍しいのかな。
「うわー、重いなあ、ツインペって」
 購入したてのツインペダルの入ったバッグをかつぐと、ずっしりとした重みによろけそうになる。専用のバッグがサービスで付いてきたのはありがたかった。
「これをかついでるだけで肩が鍛えられそう」
 なんだか、本当のドラマーになった気分だった。きっと、若いころのYOSHIも、最初はこうしてツインペをかついでいたのに違いない。
「よかったね、みずっち」
「うん」
「ねえ、どうせなら、これからスタジオ行かない?」
「えっ、これからですか?」
 なっき先輩の提案に、私たちは顔を見合わせる。
(このツインペで、初めてのドコドコ……)
「当日でもスタジオって、入れるんですか?」
「平日だし、たぶんイケるよ。あたしもちょうどギター持って帰る日だったから」
 ギターケースを背負ったなっき先輩が、ぐっと親指を立てる。同じく、ベースをつかついだあかねんも。
「じゃあ、私は見学ね。キーボード、レンタル料かかっちゃうし」
「ずりーな、たーや。じゃあ、お前歌えよ」
「ええー」
「わりと歌上手いんだよね。ただ照れ屋なだけで」
「そうなんですかあ」
 感心する私に、たーや先輩はぶんぶんと首を振った。なんか可愛い。
「行こうぜ。ゲートウェイってとこ。あたし会員になってるからさ」
「はーい」
 ツインペの重さもなんのその、私はウキウキとしながら、先輩のあとについて行った。
「こっちだよ」
 「スタジオ、ゲートウェイ」の看板の横にある、地下への階段を降りてゆく。
(そういえば、本格的にスタジオに入るのって初めてだ)
「まあ、いつも学校でやってるもんね。あたしもスタジオは久々だよ」
 平日の夕方前なので人はあまりおらず、予約なしでも部屋はすんなり借りられた。重い扉を開けてスタジオ内に入ると、独特の匂いと無音の空気が感じられる。当たり前だけど、学校の教室よりも防音がしっかりしているのだろう。
「じゃあ、セッティングして、軽く合わせようぜ」
「みずっち、ツインペダル組み立てられる?チューニングキー付いてきただろ?」
「は、はい。たぶん」
 バッグを開けると、ペダルが二つ入っている。それを鉄の棒みたいのでつなぐのだ。四角いイモネジを回すのがチューニングキーと。
 私は確認するように、ツインペダルを組み立て、それをバスドラムにはめ込んだ。
「で、できた……」
「踏んでみなよ。重かったら、スプリングを緩めたり、ピーターの長さを調節したりするんだよ」
「ピーター?」
「バスドラを叩くヘッドのことだよ。それもチューニングキーで調節できるはず」
「へえ、ベンリなんですね!」
 おそるおそる、二つのペダルに足を乗せて、踏んでみると、ドンドンと、両足がバスドラを叩く感覚が伝わって来た。
「おお!」
 いつもは、左足はハイハットのペダルの上なんだけど。
「なんか不思議です。ハイハットの方はどうすればいいのかな?」
「上手い人はさ、曲によって、左足をツインペダルに置いたり、ハイハットに置いたりするみたい。まあ、とりあえず慣れるまでバスドラをドコドコでいいんじゃないの。ハイハットはクローズのままにして」
「ドコドコ、でいいんですかね」
 とにかく練習だと、私はドコドコと両足を踏んでみた。が、これがまたなかなか難しい。ちゃんと揃って音が鳴らないのだ。ドココ、ってなっちゃう。
「まあ、いままで右足だけだったからね。慣れるまで時間かかると思うよ」
「は、はい」
 なんか悔しかったが、これでレックスの曲も叩けるのだと思うと、私にはワクワクとした楽しみの方が大きかった。
「じゃ、とりあえず、いつものナンバーやってみよっか」
「はい」
「たーや、マイクのバランスは?」
「あー、あー、たぶんオーケー」
「じゃあ、みずっち。カウントよろしく」
「いきまーす。ワン、ツー、ワン、ツー、スリー、フォー」
 いよいよ、ツインペでのドラムが始まる。スティックからのカウントにも気合が入った。
「つ、疲れたー」
 スタジオから出た私は、肩にかついだツインペの重さに足をふらつかせた。
「大丈夫?みずっち」
「太ももとスネの筋肉が死んでます」
「ははは。最初はそんなもんでしょ。私だって、ギター始めた頃は腕がつりそうになったことあったよ。慣れだよ、慣れ」
「はい。頑張り……ます」
 足はパンパンに張っていたが、ツーバスは楽しかった。なんというか、これぞメタルという。レックスの曲でよく聴いたような、ドコドコを自分でやったのだという満足感。
(これで、YOSHIに少し近づいた……かな)
「じゃあねー、みずっち」
「はい、また明日」
 先輩たちは二人とも電車組だ。なっき先輩、たーや先輩と手を振って別れると、私はあかねんと並んで歩き出した。あかねんは隣の町なので、途中まで一緒だ。
「そういえば、あかねんは最初からベースやるつもりだったの?」
「うーん、ギターでもいいかなーと思ってたんだけどね、先輩から教わったドリムテのライブDVD見たらさ」
「ああ、ドリーム・テアトルね」
「うん、ライブ見てたらさ、うわ、ベース恰好いいなあって」
「そうなんだ」
「そう。だから、お金を貯めて、いずれジョン・ミャングモデルの六弦を買うんだ」
「おお。じゃあそのときは一緒に行く。今日みたいにみんなで行こうよ」
「そうだね」
 あかねんと別れて帰宅した。店の入り口のケースをチェック。今日もプリンはほぼ売り切れのようだ。うむうむ。
「ただいまー」
「おかえり。おや、大きなバッグしょって」
 キッチンで夕食の支度をする母が、こちらを見て眉をひそめる。
「うん。前から言ってたでしょ。ツインペ買ったんだ」
「よくわかんないけど、あんたがドラムなんて、できんの?」
「いや、もうやってるから。今日もスタジオ行ってきたとこ」
「まあいいけど、あんまりハメ外しすぎるんじゃないよ」
「うーん、はいはい」
 激しいメタルやってることで、すでにハメ外してる気もするんだけど……と、内心で苦笑しつつ、私は重たいバッグをえんやこらと階段を上がった。これは、腕も鍛えられるわあ。部屋に入り、ツインペダルのバッグをどすんと置いて、ベッドに横たわる。
「ふうっと」
(とりあえず、明日学校に持って行ったら、しばらく部室に置いておこう)
 とてもこれをかついで毎朝は登校する気にはなれない。しかし、これでもまだペダルだけなのだ。スネアやらシンバルやらを買うようになったら、いったいどうなってしまうのか。いまの私には想像もできなかった。
(ドラマーは大変だな)
(でも、ツーバス楽しいな)
 私は上体を起こし、ベッドに腰かけながら、床の上で足を交互に動かした。ツインペダルを踏むつもりで。
「ドコドコ、ドコドコ……けっこういい感じ」
 さっきのスタジオよりも、ちゃんと踏めている気がする。やはり、これは慣れなのだろう。
「ドコドコ、ドコドコ」
 よし、この足踏みを日課にしようと、私は決めた。
「毎日百回くらいね」
 壁に貼ってある、レックスのポスターを見ながら、私はドンドンとパワフルに床を踏み続けた。 
「みずみー、うるさーい!」
 階下からの母の声にだってめげない。
 だって私はもう、誇り高きツーバスのドラマーなのだ。


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