ブルーランド・マスター


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  ■5■船での生活
                 
 それから数日のうちに、グリンはこの船の海賊たちに、顔を覚えられるようになった。
 朝起きると、彼は甲板に出て、海賊たちに混じってマストを張るためのロープを引き、夕方になるとローガンの「鳥撃ち」に付き合った。食事や睡眠も海賊たちと一緒だった。豪快に酒を飲み、大声で笑って歌う男たちにまじって、はじめはおとなしかったグリンも、やがて慣れてくると、杯を交えて一緒に笑い、歌うこともした。
 ルー・パイは、グリンをお気に入りに決めたようだった。グリンが甲板に上がると、たいていは「彼女」もついてゆき、普段は手が荒れるのでやらないというロープ引きも一緒に手伝った。また、ナイフ投げの手ほどきも、手取り足取り熱心に教えるのだった。
 海賊たちも、グリンの素直な性格と、外見に似合わず意外と逞しい所などに、少なからず好感を抱きはじめていたようだった。グリンは、男たちが面倒くさがる甲板のぞうきんがけも喜んでしたし、ときには調理場に顔を出して芋を剥いたりもした。
 グリンにとっては、本物の海賊船に乗っていることそれ自体が、心踊る冒険のようなものだった。彼は、このブルー・マスター号の船首に飾られた女神のようなヘッドフィギュアの由来をオギナから聞かされて感心したり、一本マストの構造をしげしげと観察してはなにやらメモをとったり、海賊たちが使う大砲の弾が、意外にも最新型の形をしていることに密かに驚いたり、あるいは船内をうろついている豚を調理係がその場で殺して料理場に運ぶ光景に腰を抜かしたりと、常に新鮮な体験を目にして、飽きることはなかった。
 数日間、この海賊船で暮らしてみて、グリンはいくつものことに大変感心し、また驚いていた。
 まずは、意外にも海賊たちがさほど怠惰なわけではないこと。もちろん、ときに大酒を飲んで歌ったり、床を踏みならして豪快に踊ったりはするが、船員としての役目もちゃんとこなす。当番としての見張りは常に甲板に置かれ、操舵長の指示があったときには、一斉に甲板に出ていって素早くマストのロープを引き、横風をしっかりと帆に捕らえる「詰め開き」を見事に作るのだ。
 もうひとつは、任務の割り当てや、船の上での上下関係についてである。てっきり、海賊というものは船長以外は有象無象であり、てんでばらばらに戦ったりするものだと思っていたのだが、実際にはそうではないようだった。
 まず、船長でありこの海賊団の首領であるジェーンレーンが筆頭にいる。だが彼女は船長ではあるが、どうもこの船の一切を取り仕切っているのは、実際には「クォーターマスター」といわれるところの操舵長、つまりオギナであるようなのであった。船の舵をとるのも、戦いの際に後部甲板から船員へ指示を出すのも彼であり、その他、喧嘩や私闘の仲裁や、罰である鞭打ちを宣告するのも彼である。また、料理長にメニューを言い渡すのも、勝利の後の分け前を決めるのも、さらには、船の傾倒修理の時期を決めるのも、すべては操舵長の権限であるというのである。
 もちろんながら、首領であるジェーンレーンの命令は絶対であるし、戦いでの指示や、舵取りにも口をはさむのだろうが、基本的には彼女はオギナからの報告を受け、それを是か非かと判断する他は、船員への直接的な命令はすべて操舵長を通して行うらしいのである。
 さらにグリンが驚いたのは、ひとつの航海ごとの分け前は、あらかじめ定められており、たとえば「目標となる船影を最初に見つけた者には、略奪品のうちのひとつをはじめに選ぶ権利があたえられる」とか、「航海で怪我を負ったものには、その傷の大きさによっていくらの保証金が与えられる」といったことまでが、綿密に決められているというのである。
 それから、首領であるジェーンレーンは、船員たちからまるで女神のように崇拝されていた。寝室のハンモックに横たわりながら海賊たちの話を聞くとき、ジェーンレーンの話になると彼らは目を輝かせ、いかに自分らのお頭が綺麗で、そして強いかということを、自慢げに話して聞かせるのだった。海賊たちは、「俺たちの赤毛の女神に乾杯」といって、ワインの杯を上げるのだった。
 当の女神である彼女の方は、あまり船室や食堂に顔を見せることはなく、たいていの時間は船長室にいるようだった。
 最初の日の尋問のとき以来、面と向かって言葉を交わす機会はなく、ときおり甲板に上がってくる彼女の姿を、海賊たちに混じって遠目に見るくらいで、なんとなくそれがグリンには残念だった。できればまた、その輝くような赤い髪を眺めながら、エメラルドのような瞳でじっと見つめられたいものだと、彼は密かに思っていた。

 数日が過ぎたあるときのこと、唐突にグリンの願いが叶った。
 夕食どきに船長室に来るようにと告げられたのだ。
 高鳴る鼓動を抑えながら扉を叩くと、「入れ」という声がした。グリンは扉を開けた。
「来たな。まあ座れ」
 テーブルの向こうで、女海賊が彼を迎えた。
「失礼……します」
 テーブルには二人分の夕食が用意されていた。グリンが席につくと、彼女は二つのグラスにワインを注いだ。
「なんとなく、お前と話がしてみたかったのでな」
 ジェーンレーンはそう言って杯を上げた。
「海賊船の奇妙なお客人に」
 かちりと杯を合わせ、二人はワインを飲み干した。
 食事は普段のものよりはいくぶん豪勢だった。いつもの固ビスケットの代わりに白いパンが、ひからびたバターではなく大きなチーズが皿に置かれ、後は肉入りのスープと野菜、そして果物だった。
 向かい合うジェーンレーンは、白いブラウスに黒のズボンとベルトといういつもの姿で、束ねられた赤毛がたっぷりと片方の肩に流れ落ちている。それだけで彼女は美しかった。
 食事をとる間、彼女はほとんどグリンの方を見なかったが、ごくたまに目が合うと、慌てて目をそらすのは決まってグリンの方だった。彼は緊張のため、自分が何を食べているのかも分からなかった。テーブルごしに名高い女海賊を見ているという信じられない状況に、彼は注がれるワインの量以上に酔ったような気分になるのだった。
「お前は……」
 フォークとナイフを置き、口を拭うと女海賊が話しかけてきた。
「商人にしては、ずいぶんと体力があるようだな」
 じっとこちらを見るその視線に、グリンは顔を伏せた。それを質問に対しての逃げととったのか、彼女は少し語気を強くした。
「うちの男たちと一緒にロープを引いたり、大砲をいじったり、マストにも登る。商人というよりは、まるで訓練された船乗りだな」
「……」
 女海賊の探るような視線を、グリンは受け止めた。だが、こうした状況での返答は、じつはすでにいくつか考えてあった。
「そうです。実をいうと、僕は船乗りをしていました。というよりも、かつて商船で護衛をしていたという方が正確でしょうか」
「ほう。ということは、商人というのは嘘で、お前は我々を騙していたということになるな」
 女海賊はすっと目を細めた。そうすると、冷たい美貌の中にほのかに残酷そうな凄味が垣間見える。さすがに海賊団を率いる首領というべきだろう。それに少しひるみながら、グリンは言葉を続けた。
「その点で罰せられることには異を唱えません。ただ、商船をドルテック海賊団に襲われたことは、まぎれもない事実です。そして僕は海に飛び込み、拾われたのが得体の知れぬ海賊船。失礼……私にとって、これは絶望的な状況でしたので……助かるために、つい自分を商人と偽りました。それは本当にお詫びします」
「商人であれば、殺されないとでも思ったのかな」
 女海賊の声が和らいだので、グリンは内心でほっとした。
「ポート・イリヤに来る商船の多くは、海賊たちとも取引があると聞いていましたので」
「ふむ。で……」
 グリンの話を咀嚼するようにうなずくと、女海賊はゆっくりとワインを口にした。グリンはその赤い唇を見ながら、こんな際ではあったが、彼女の凄艶な美しさに惹きこまれるような気がした。
「お前は、私の船に興味を持っているように、皆にいろいろと訊いて回っているようだが……」
「それはもちろん……なにせ名高い女海賊、赤毛のジェーンの船ですから。その噂を知る者にとっては、あなたは伝説か、おとぎ話の中の人のようなものなのです。それに……私はこの船をガルタエナでも見ていましたので」
「なに?」
 グリンの思惑通り、女海賊は眉をつり上げた。
「ガルタエナ……だと?」
「もうふた月も前ですか。騎士団に護衛された商船、ノークライム号から、銀貨が奪われた事件がありました」
「……」
 ジェーンレーンの目つきが変わっていた。彼女はワイングラスを手に、鋭い目でグリンを睨み付けている。
「そのとき私は、湾内にある別の船にいました」
 グリンは、ここぞとばかりに言葉をついだ。商船を護衛する騎士団の船に乗っていたということは、どうしても隠さねばならない。海賊と騎士は天敵同志のようなものだ。もしそれが知れれば、確実に処刑が待っている。
「銀貨の事件については、我々はあとから知ってたいそう驚いたのです。なにしろ二千枚もの銀貨です。それが一瞬のうちに忽然と消えたというのですから。あのとき、我々の船から見えたのは、大砲でマストを壊された商船でした。そうこうしているうちに、一隻のスループ船がノークライム号に接舷したんです。と思ったら、あっと言う間にその船は離れてゆき、そのまま沖へと消えていった」
「……」
「おそらく護衛船の騎士たちもでしょうが、違う船にいた我々はあっけにとられていました。そして、その小型の快速船がじつは海賊船であったこと、しかも名高いあの赤毛のジェーンのブルー・マスター号であったことを聞き、私は仰天したものです」
 グリンはいったん言葉をきると、息をついてワインを口にした。
 女海賊は、グリンが話しだすのをじっと待っているようだった。会話の主導権を握ったことに勇気を得たグリンは、先を続けた。
「それから、これも後で聞いたことですが、騎士団のガレオン船がすぐに動きだせなかったのは、回頭のために張られるべきトップスルーのロープが切られていたからだというのです。しかも、それは海賊船からの銃弾によって狙い撃ちされたという話でした。僕には信じられませんでしたよ。だって、そんな距離から正確に細いロープを狙い撃てる銃などあるはずがない。そう思っていました。でも、こうして偶然この船に助けられて、先日のこと、甲板で珍しい長銃を持った彼に会ったとき、ひらめいたのです」
「ローガンか」
「ええ、彼です。はるか遠くの上空を飛ぶ鳥を、見事に撃ち落とすあの腕前……そして、あの特殊な銃」
「……」
「あのガルタエナで、騎士船のロープを撃ち抜いたのは彼だ。違いますか?」
「その通り」
 落ちついた声だった。
「我々は、無駄な弾は撃たない。銃だろうが大砲だろうが。無駄な戦い、無駄な殺しはしない。船を動けなくして、お宝をいただく短い時間さえできれば、それでいいのさ」
 じろりとグリンを見据え、彼女は誇らかに言った。
「それが、あたしらのやりかただ」
「ええ。まったく見事だった」
 うなずいた彼は、心の中で思い出すようにつぶやいた。
「襲われた船の者たちはもちろん、それを護衛していた騎士たちですら、海の彼方に小さくなってゆくあなたの船を、ただ見つめるだけだった」
「……それで?」
 女海賊はまた杯からワインを飲み干し、グリンに尋ねた。
「お前はあそこにいたというが、私になにを聞きたい?いまさら、その銀貨を返せとでも言うつもりなのか?」
「まさか」
 グリンは慌てて首を振った。
「あの船長の私財など、どうなろうとも自分には関係はない。ただ僕が知りたいのは、あなたがいったいどうやって、ほんのわずかの間に二千枚もの銀貨を持ち去ったのかということです。まるで、はじめから銀貨の場所を知っていたとでもいうように……いや知っていたとしても、船を接舷させて乗り込み、重い銀貨を運ぶことをしなくてはならない。しかし……あのときにそんな時間はなかった」
「ふふ、簡単なことさ」
 女海賊はにやりと笑うと、それに答えた。
「銀貨の場所は知っていたよ。だが私が知っていたわけじゃない」
 その奇妙な返答に、グリンはいっそう興味をつのらせた。
「それでは、どうやって……」
「それを知ってどうする?」
 灰色がかった緑の瞳が、彼を包み込むかのように、大きく見開かれた。
「ローガンの銃にも興味を持っているようだが、それはいったいどうしてだ?見るところ、お前は私の船と、そしてあるいは私自身にも、ただの商人か船乗りが持つ以上の興味を抱いているようだが。違うか?」
「……ええ、その通りです」
 グリンはそれを素直に認めた。
「それは、何故だ?」
 女海賊と若い騎士の目が合った。
 強い光を放つ探るようなまなざしと、少年のような恐れを知らぬまなざしが交差する。
「……」
 しばらく、互いに明かすことのできぬ何事かを心の内に思いながら、二人は無言のまま、テーブル越しに相手を見つめあっていた。
「まあいい……」
 先に視線をはずしたのはジェーンレーンだった。彼女はふっと口許に笑みを作り、杯のワインを飲み干した。それから、今度はどこか面白そうな目つきでグリンを見た。
「いいさ。知りたいのなら教えてやるよ。べつにたいしたことじゃない」
 女海賊の様子は、おそらく他の海賊たちが見れば、いつになく楽しそうだと思ったに違いない。ワインを注ぎ足すと、彼女は話しはじめた。

 どのくらいの時間、船長室にいたのだろう。
 部屋を出たときには、船内は静まり返っていた。海賊たちはもう多くが眠りについているのだろう。
 グリンは一人甲板に出た。
 当番の見張りが戦闘楼に立っている他は、甲板上には誰もいない。グリンは甲板の端から暗い海を見つめた。
 頬をなでる海風が冷たく、心地よい。雲の間からはときおり星が顔を出し、うっすらと波間を照らす。少しワインに酔った頭で、彼はさきほどまでの、美しき女海賊とのひとときに思いを馳せた。
(ジェーンレーン……)
 口の中でその名をつぶやくだけで、いまなお震えにも似た、奇妙な感動がこみ上げてくる。
 自分は今、たしかに海賊船にいる。そして女海賊という伝説の存在に接しているということが、まるで、物語の中の主人公になったような気分にさせるのだ。
(ああ……)
 このままこの海賊船とともに、どこか見も知らぬ海へ旅へ出たいという、これまで思ったこともないような感慨が、己の内に込み上げてくるのを、グリンは感じていた。
 何もかもを捨て去る自由……自分の立場も、名前も、仲間や友人もすべて捨て、冒険に出かけてゆくというのは、なんと爽快なものだろう。現に、こうして多くの男たちが、世間の不自由やまっとうな仕事を捨て、海賊となってゆくのも、その自由こそが最大の報酬であればこそなのだ。
 それは、なんと甘美な誘惑だろう。
 だが、月の光にきらりと光る、その胸にあるものに気づくと、彼はその夢から即座に覚め、騎士としての自分を取り戻すのだった。
 グリンは銀のコンパスを握りしめた。そこには、艦長から託された任務と、殺された仲間たちの思いが、封じ込められていた。
(……俺は騎士なんだ)
 自らに言い聞かせるようにつぶやくと、グリンはその目の奥に、燃える輝きを取り戻した。
「それにしても……」
 改めて、ジェーンレーンが話してくれた、例の銀貨奪取の話を思い返す。食事を終えた彼女は、右手にワインのグラスを揺らし、その美しい顔に笑みを浮かべながら話してくれた。それは、実に恐るべき、見事なものだった。
「そうさね、船を接舷した時間は、商船から放り投げられた銀貨の入った箱を受けとる時間だけだったよ。お前ももう会ったかもね。今この船にいるトーマスという男……」
 昨日も一緒にマストのロープを引いたので、よく知っている。背の低い三十歳くらいの海賊だ。グリンはそう口にした。
「そう。そいつさ。あいつはね、半年ほど前からセルムラードの商船組合に入っていたのさ。一級船員としてね。もちろん、なるたけ金目のものを積んだ商船に乗り込むのが狙いだったのだけど、このご時世だ。なかなかこれだという船がないまま、仕方なくしばらくはただの穀物や果物、酒なんかを運ぶカラベル船に乗って働いていたんだよ。もともとあいつは海賊になるまえは、商船の船員をやっていたんでね。年季が入っていたし根は真面目なやつなんで、その働きぶりから船長に信頼されちまったようで、何度か同じ船で航海するうち、いつのまにか船員を仕切るような立場になっていたんだよ。積み荷の事はもちろん、船倉や船室の一つ一つにいたるまで、船長と同じくらの権限で見回ったり、物のありかを把握したりね」
 話を聞くうちに、しだいにグリンは事の真相に勘づきはじめたのだった。
「あるとき、やつはもういいかげんその船から降りて、もっと大きな船でお宝を探そうと思い立って、船長に暇を願い出たんだよ。だけれど、すでにそいつをすっかり信用していた船長は、有能な副官に去られては困るというので、ついにずっと秘密にしていたお宝のことを話して聞かせたのさ。そして、この航海が終わったら、分け前としてその一割をやると、やつに約束したのさ」
「まさか、それが例の……二千枚の銀貨」
「その通り。ああ、なんて間抜けなんだろうね!金目のものを探していた海賊に、それをあっさりとばらしちまうんだから」
 くすくすと女海賊は笑った。彼女は机の引き出しを開けると、そこに手を入れ、握りしめたものをテーブルの上にじゃらじゃらと落とした。それは、きらきらと光る八リグ銀貨だった。
 あっけにとられるグリンを前に、女海賊は話し続けた。
「それからは簡単さ。出帆の前に、あいつは航海の予定日時と行き先を詳細に手紙にしたためて送った。秘密のルートがあってね。どんな場所からでも、最終的には私のもとに手紙は届くのさ。そしてさっそく計画を立てる。おそらく普通の商船だから、騎士団の護衛を雇っても、せいぜいガレオン船が一隻程度にちがいない。襲撃はガルタエナの湾内に決める。これがもし、喫水の浅いガレアス船が相手だったら難しかったろうが、直前の情報によると護衛は間違いなくガレオンだという。大型船は湾内には入れないから、沖合で錨を下ろすだろう。頃合いを見計らって、あたしらの船は全速で湾内に向かう。甲板には目立つように、品のいい服や女の服を着せた連中に笑顔で手を振らせる」
 グリンは、そのときの光景を思い描いた。
「騎士たちは、あたしらを旅行客のいるただの商船だと勝手に思い込み安心する。念のため、騎士船のヘッドスルーをすぐに上げられないようにロープを撃ち抜かせた。ローガンの銃の能力については、お前の見ての通り。これで時間稼ぎはできた。あとは一目散に商船に近づき、大砲一発でマストを壊す。動けなくして接舷すると、タイミングよく商船にいたあたしらの仲間のトーマスが、銀貨の入った箱を樽に入れて海に投げる。待ち構えていたうちの連中がそれを拾い上げたら、お仕事完了さ。あとは何もせず、騎士船の大砲の射程に入らないように湾の外へ逃げて……おしまい」
 女海賊は両手を広げて見せた。
「トーマスは何食わぬ顔をして、大騒ぎしている他の連中と一緒に、船内をおろおろ駆け回っていればいい。ガルタエナに着いたらもう、さっさと船から逃げておさらば。数日後、落ち合う場所でこの船があいつのボートを拾ったわけさ。半年ぶりにこの船に戻ってきて、やつは本当に嬉しそうだったね。うちの連中も、英雄の帰還とばかりに大騒ぎさ。見事に仕事をしてのけたあいつには、いただいたお宝の一割はやらないとね」
 テーブルに散らばった銀貨を弄びながら、彼女はにやりと笑った。
「どうだい?これが襲撃の全貌だよ。聞いてみればなんてことはないだろう?無駄な怪我人も出さず、欲しいお宝だけをいただいたのだから、よく出来た作戦だったと、我ながら思うけどね。迅速かつ大胆に、そして決して無駄死には出さない。これがジェーンレーン一味のモットーなんだよ」
 グリンは、半ば唖然とし、半ばは感動に震えながら、赤毛の女海賊の顔を見つめていた。
「あと三日すればポート・イリヤに着く。お前が望むのなら、そこで降ろしてやってもいいが、お前はなかなか、船員としても見どころがあるようだ。オギナもそう言っていたしな。もし残りたければ、残ってもかまわない」
 彼女は最後にそう言うと、テーブルに散らばった銀貨の一枚を、グリンに放ってよこしたのだった。

 スループ船「ブルー・マスター号」は、いっぱいに帆を広げ、輝く青い海を滑るように進んだ。
 航海はなかなかに楽しく、海賊たちは陽気で、みな人なつこい連中だった。たとえ見かけは凶悪そうな者でも、一度酒を酌み交わせば大声で笑い、親しげに肩を叩く。グリンのことも、この数日のうちには、同じ船にいる仲間として扱ってくれ、なにかと自分の世話を焼きたがるルー・パイにはちょっと困った顔をしつつも、見習い海賊の少年ドリスや、銃の名手ローガンたちとも打ち解けて、彼は船上で、海賊たちと愉快な時間を過ごした。
 杯を片手に聞く彼らの話は、どれも面白く、また興味深かった。
 他の海賊団との抗争の話や、伝説の宝をめぐっての冒険、大嵐に巻き込まれて漂着した無人島で十日間生き延びたという話など、中にはいかにもほら話のようなものもあったが、とりわけグリンの興味を引いたのは、このマロック海における海賊たちの勢力についてであった。ドルテック海賊団、海賊王ボールドリッジ、ジャック・ラカンといった伝説の大物海賊の名が、実際の海賊たちの口から聞かれると、実に説得力をもってその存在が感じられるのである。
 その中にあって、このジェーンレーン一味がそれら大海賊たちに匹敵する存在として知られているということに、彼らは大変な誇りをもっていた。また、ここのところドルテックとボールドリッジが、互いに接近を図って共闘しようとしているらしいという話や、ジャック・ラカンの焼き討ち船が、中規模以下の海賊組織を標的にしているらしいという噂などを、海賊たちは真剣な顔つきになってあれこれと談じるのだった。
 色々と話を聞くうちに、ドルテック海賊団とこのジェーンレーン一味とは、どうも険悪な関係にあるらしいことが分かった。それは完全な敵対関係というよりは、ドルテック側がジェーンレーンをその配下に加えたがっていて、何度となく脅しを受けながらも、彼女はそれをきっぱりと拒絶しているということらしい。この船の海賊たちは皆、ドルテックを憎んでいるようだった。自分たちの首領である美しいジェーンレーンに、ドルテックの畜生が懸想しているのだと、彼らは嫌な顔をして吐き捨てた。
 ドルテックという名を聞くと、グリンは、あの占拠されたタンタルス号での恐怖が蘇るような気がした。
 目をぎらつかせた髭の海賊の姿、銃声と怒号、そして悲鳴……
 船倉の樽の中で聞いた、あの低い笑い声が脳裏に浮かび、思わず彼は身震いした。
(くそ……いつか、皆の仇を)
 グリンはぎゅっと唇を噛んだ。そのためにも、この海図を早く、騎士団の船に渡さなくてはならない。

 このまま順風なら、明日の夕刻にはポート・イリヤに着くだろうというその日、船の甲板上では、海賊たちによるちょっとした剣技大会が行われた。剣に自身のある男たちが、一対一で戦う勝ち抜き戦である。
 甲板に集まった海賊たちはマストの周りをぐるりと取り囲み、その中で、細身の剣を手にした二人の海賊が対峙する。
 太鼓の音とともに、振り上げられた二本の剣が合わさり、カシン、カシンと音を立てはじめる。
 一段高い後部甲板の上からは、ジェーンレーンが戦いを見守っている。自分たちのお頭の前でいいところを見せてやろうと、海賊たちは己の剣の腕を披露するのだ。
「いけっ、ジャック」
「いいぞっ、あっ危ねえ」
「それまで、バシルクの勝ちだ」
 審判役のオギナがさっと手を上げる。
 相手の剣を落とすか、相手の背中が甲板に付くかすれば、勝利となるというのが決まりだった。
「次、ローデスとグリン」
 海賊たちがいっせいにはやし立てる中、なりゆきで参加することになってしまったグリンは、借りてきた剣を手に立ち上がった。
 剣の試合などいつ以来のことだろう。相手はグリンより頭ひとつも大きい、がっしりとした体格の男だった。
「よし、いいか。はじめ!」
 オギナの声を聞き、グリンは剣を構えた。剣の扱いには、ちょっとした自信があった。騎士団の若手の中では上位を争う腕前である。
 だが、打ち込んでくる海賊の剣をかわしながら、グリンは考えた。
 ここであまり目立ってしまっては、自分が騎士であることを知られてしまうのではないか。それに、こんな海賊を相手に本気で戦って、怪我でもしたらかなわない。
(まったくだ。俺にはもっと別の使命がある)
 適当にやって負けるのがいいだろう。グリンはそう考えた。
「そらっ、いくぞ小僧!」
 頭上から海賊の剣が襲いかかってくる。ここでわざと剣を取り落とせば簡単に負けられる。
(よし……)
 しかし、そのとき視界に、赤い髪……ジェーンレーンの姿が見えた。無意識の動きで、グリンは剣を受け止めると、態勢を立て直し、素早く踏み込んでいった。
 次の瞬間、
 ガッシーン、と鈍い音とともに、相手の剣が宙を舞っていた。
 巨漢の海賊は、しびれたように手を前に突き出して膝をついた。
「……」
 剣を鞘に収めたグリンは、口をへの字にして頭をかいた。どうして勝ってしまったのか、自分でもよく分からない。
「グリンの勝ちだ!」
 オギナが告げると、海賊たちの間にどよめきが起こった 後部甲板に立つ女海賊の顔にも「ほう」というような、驚きを含んだ表情が浮かぶ。
 次の試合でも、グリンは見事な剣さばきを見せて、相手をあっさりと打ち負かした。しだいに周りの海賊たちのどよめきは、拍手へと変わり、それは大きくなっていった。
「やるじゃないかよ、あの小僧」
「グリンっていったか。ただのお坊ちゃんかと思っていたら、あんなに使えるとはな。こりゃたまげたぜ」
「いや、あのレイピアさばきはどう見ても素人じゃない」
「ジョニーはこの船でも五本の指に入るんだぜ。それをあっという間に負かしやがった」
 試合を試合をおうごとに、海賊たちの声にはグリンに対する賛嘆の響きが混じりはじめた。
 彼らにとって「強い者」というのは、それだけで尊敬の対象であった。しかも、見かけは一見ヤワなこの金髪の若者が、これほど見事な腕前を見せるなどとは、誰も想像していなかったのだろう。もちろん、それが騎士団で教え込まれた剣技とは知らず。
 次の試合も勝利したグリンは、とうとう決勝戦に挑むことになった。
「では、ライバート、グリン、双方構え」
 最後の相手は、筋肉質の若い海賊だった。グリンよりは幾つか年上であろう、その鋭い目でこちらをじっと睨んでいる。物凄い意気込みが伝わってくる。これに勝てば、なにか大きな賞品でももらえるのだろうと、グリンは考えた。
「始め!」
 操舵長の掛け声が甲板に響いた。
 わあわあと、海賊たちが歓声を上げる。
 晴れ渡った空と、白い帆のはためくマストの下で、グリンはこうして剣を振る自分を、不思議な爽快さとともに感じていた。
(何故だろう……)
 ここしばらくの船上の生活で、すっかり日焼けした顔に汗をしたらせながら、生き生きとした表情で彼は剣を振り続けた。
 甲板上に、剣のぶつかり合う音が幾たびか響き、それとともに男たちの歓声、怒鳴り声などが重なる。
「……」
 ときおりグリンは、長い赤い髪をした姿をその視界に入れた。すると、彼の体はよりしなやかに動き、巧みに相手の剣をかわし、素晴らしいスピードで剣先をはじき返すのだった。
 マストの周りを左右に回りながら、己の剣が動くままに戦う。騎士であることを知られてしまうかもしれないという、かすかな恐れも消えていた。彼の前にあるのはただ、自分と剣と相手の剣、そしてこちらを見つめる赤い髪の女海賊……それだけだった。
 ガッ、ガシッ、ガシーン
 続けざまに鈍い音が上がり、最後の一撃とともに、どちらかの剣が甲板に落ちた。
 見守る海賊たちは静まり返っていた。彼らは、信じられないものでも見ているように、ぽかんと口を開けてグリンの方を見ていた。
「……それまで」
 オギナの声が上がった。
「グリンの勝ちだ」
 周りの海賊たちから「おおっ」とどよめきが起こり、続いて拍手と喝采、そして少々野卑な言葉が飛び交った。にわかに甲板上は騒然となった。
「すげえや、あいつ。あんなに強いなんて」
「信じられなーい。あたしの投げナイフに腰を抜かしてたのに。ああ……でもすごいよ!」
 そばで見ていたドリスとルー・パイが声を上げる。他の海賊たちも目を丸くして「あんな剣さばきは見たことがない」「まったくすげえ小僧だ」と、口々に言い合った。
 ほっと息をつくと、グリンは照れたように頭をかいた。その周りには海賊たちが輪をなして、彼の肩を荒っぽく叩いて祝福した。
 さっと人垣が割れた。
 こちらに降りて来たのはジェーンレーンであった。
 女海賊は、グリンの方にまっすぐに歩み寄ってきた。どうすればいいいのかとグリンが周りを見回すと、海賊たちはなにやらにやにやと笑っている。
「見事だった」
 彼女はグリンの前に立つと、懐から何かを取り出した。それは、美しい飾りの彫られた銀製の短剣だった。
「受け取るといい。お前は海賊ではないが、戦いに勝ったのだから、賞品を受ける正当な権利がある」
 グリンが短剣を受け取り、それを眺めていると、
「早く横を向け」
 じれたような声がした。
「え?」
 グリンが顔を上げたそのとき、
 ふわりと髪がなびき、彼の鼻をくすぐった。
 女海賊は、グリンの頬に唇を当てた。
「あ……」
 あっけにとられるグリンにくすりと笑いかける。
「では、明日はポート・イリヤだ。皆支度をしておけ」
 そう言い残すと、さっと髪をかきあげ、女海賊は去っていった。
「……」
 頬に触れた唇の感触に、グリンは呆然と立ち尽くしていた。
「ちくしょう。お頭のキッス、俺ももらいたかったぜ」
「まったくな」
 海賊たちがうらやましそうに口を尖らせる。その横で、彼は思いもよらぬ優勝賞品に、しばらくだらしなく顔をゆるませていた。
 ポート・イリヤの港が見えたのは、その翌日の夕刻だった。
 海賊たちにとっては見慣れたはずのその島が、舳先の向こうに大きくなると、いてもたってもいられぬという様子で、船の男たちは甲板にやってきた。その顔は一様に、久しぶりに陸に上がれる、新鮮な肉やチーズ、酒、それに、女にもありつける、といった喜びに輝いていた。陸に上がれば、次の航海までの間は、マスト登りやロープ引き、嵐や凪の悪夢からしばし開放されるのだ。思う存分に羽目を外し、好き放題に惰眠をむさぼれる。そんなしばしの休暇の夢をそれぞれに思い描きながら、彼らは眼前に大きくなる港の光景に胸を高鳴らせるのだった。
 海賊たちが上陸の準備に取りかかっている頃、グリンは船室で一人考えていた。
(ここでこの船を降りて、なんとかガルタエナ行きの船にでも乗り込めれば……)
(そうすれば、きっと騎士団とも連絡が取りやすくなるはずだ)
 タンタルス号を脱出してから、すでに十日ほどがたっている。その間、作戦を同じくする他の船がどうなったのかは、これまでまったく分からないままである。
(とにかく、一刻も早くこの海図を、できれば他の船……クインズドウター号でもアラベスク号でもいい、騎士団の船に渡さないと)
 そう考える一方で、もしかしたら他の船も、すでにタンタルス号同様に、海賊の手によって占拠されてしまっているのではないか、作戦はとっくに失敗しているのではないか、という不安が頭に浮かぶ。もしそうなら、自分がこうして生きていることなどは無意味で、艦長に託されたこの海図を自分が持っていることも、それを届けようとすることも、すべては無駄な努力なのではないか……そのような思いがつのってくる。
 だが、すぐに彼は首を振った。
(俺は与えられた任務を果たさなくては……)
(よし……とにかく、ポート・イリヤに上陸しよう。そして、ガルタエナ行きの船を探すんだ)
 そう心を決めたとき、船室のドアが開かれた。
「あら、なにしてんのさ。あんたも上陸組なんだろ?もう支度はいいのかい」
 扉からひょいと顔を覗かせたのは、ルー・パイだった。
「剣で勝ち上がったあんたは、お頭のお供で町にゆくんだから」
「なに……なんだって?」
「あら、知らなかったのかい?」
 事情が飲み込めていないグリンに、彼女は説明した。
「あの剣技大会は上陸前の恒例のやつでさ。町へ出て、交渉やら買い物をするお頭の、その護衛役を決めるためのものなのさ。今回、まさか門外漢のあんたが優勝するとは、みんな驚いてたけど、決まりは決まりだからね。さっきオギナに訊いたら、ジェーンレーンもあんたを連れていくことに問題はないと言っていたそうだよ」
 それを聞いたグリンは、なんと言ったらいいものか、分からなかった。
 女海賊の護衛だって?この自分が。
 その成りゆきのおかしさに、思わず笑いだしたくなる。騎士である自分が、まさか海賊の護衛とは!これはいったい、なんという皮肉だろうか。
 もちろん、この船の海賊たちは、自分がよもや彼らを討伐するための作戦中にある、騎士の一人だとは思わないだろう。その自分に、首領の護衛を託すなどという、この馬鹿げた事実に気づいたら、彼らはいったいどう思うのだろうか。
「……」
 グリンは薄い笑みを浮かべ、これから自分はどうなるのだろうかと考えた。
「まあね。お頭は美人だし、あんたが憧れるのはわかるけどね。でも、あの人はあたしよりもよっぽど強いし、怖いよ。そりゃ仮にも海賊団の頭なんだからね。それを覚えておくんだね」
 グリンの表情を見て誤解したのだろう、ルー・パイの言葉にはいくぶん皮肉めいた響きがあった。
「それに、あんたは商人だっていうんで、もうよく知っているかもしれないけど、ポート・イリヤは危険な町だよ。いくら剣の腕が強くても、決して一人では歩かないことだね。これはあたしら海賊が言うんだから間違いないよ。海賊同志の殺し合いなんてのは日常茶飯事だし。それに人買いに強姦、とくにあんたなんて顔がいいんだから、どっかの色好きにさらわれたり、捕まって薬漬けにされないように気をつけるんだね。ほんとはあたしも付いていきたいくらいだけど。お頭は何人もお供が付くのを嫌がるんでね。なんとかあんたの無事を祈ることにするよ」
    


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