待ってなどいない

パン屋の向こうに黒い塔が立つのを

待ってなどいない

あの子の心の暗がりの微々たる変化を

待ってなどいない

ガラクタの中でしだいに年老いてゆくのを

待ってなどいない

帰り損ねた幼子の声と涙を

待ってなどいない

枯れはててゆく井戸と共にある穏やかな人々を

待ってなどいない

王子さまも、伯爵さまも、そして乞食も

待ってなどいない

フランドルへの早馬の知らせを

待ってなどいない

鞭打ち苦行団の巡礼を

待ってなどいない

申し分のない相手からの憎たらしいまでの褒め言葉を

待ってなどいない

城壁から飛び下りる兵士の亡骸を

待ってなどいない
もう二度と来ない甘酸っぱい失敗の抱擁を

待ってなどいない
人形に化けてしまったあの姫の呪いが溶けるのを

待ってなどいない
こわれかけた時間がもとに戻るのを

待ってなどいない
蒸し焼きにされた豚がじゅうじゅうと音立てるのを

待ってなどいない
空気の抜かれた風船が煙突に落ちるのを

待ってなどいない
華麗なるあの人の頽廃と、そして悲恋を

待ってなどいない
導かれるままにぞろぞろ到達する能無したちを

待ってなどいない
この激烈な怒りがゆるやかな水面の波紋になるのを

待ってなどいない
空気中の低音波が耳に届くことを

待ってなどいない
楽団が笑顔で解散し家路につくのを

待ってなどいない
塩辛さが涙の池に変わるのを

待ってなどいない
待ってなどいない

苦しまぎれの一打が当たり、勝ち誇る姿を

待ってなどいない
待ってなどいない

そんな存在の不確かな意志が、壁をつくって立ち向かってくるのを

待ってなどいない
オレは、待ってなどいない

美しさも、醜さも、嫉妬も、羨望も、
なにもかもが、綺麗な泡となって海面に立ちのぼり、
そして消え去るのを

待ってなどいない
オレは

待ってなどいない

どうしようもない、明日が来て、
囚われの美姫が助けを呼んだとしても

オレは、待ってなどいない

待ってなどいないんだ

宣戦布告とともに、鳴らされる鐘の音も
午後の暴君の昼寝も
それを邪魔する道化の笑いの中のひとつぶの悲哀も

消し去ることのできない記憶の
その曖昧なユートピアの思い出も

それが、たとえ時間の流れに合致して
ときにオレを慰めるとしても

そんなものを

オレは待ってはいないんだ



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