*

夜になった。

放っておくこともできず、学生は自分の部屋に女を招き入れた。
 ばれたら大変だが。
禁制に触れる。騎士ではないし。

 女は体調をだいぶ持ち直したようだった。
 学生がこっそりと皿にとってきた彼の夕食の残りをきれいにたいらげたのだ。
 ワインを欲しそうな顔にはさすがに無視をしたが。
 女は彼女の人生においては大変珍しい様子で丁寧に礼を述べた。
 頭は下げずとも。傍らに剣を置いたまま。
 かすかに学生は不安を覚えたが、それでも明日の試験のためにそれを打ち消した。

 綺麗だけど変だ。
 勉強だ勉強。

 しかし驚いたことには。
 彼が広げた羊皮紙の束を、女は興味ありげに見回すと、朗読を始めたのだ。
 美しく、よどみない声で。

 仰天した学生。なんだってこの女、こんな難しい文字が読めるのだ?
 ラテン語もルーン語も、大学に行かなくてはめったにお目にかからないはず。

 すらすらと。すらすら
 
読みおえ、女は
 そのまま横になって眠ってしまった。
 飽きたのだろう。

 月も出て。
 学生は明け方まで一人、勉強を続けた。



 翌朝、女はいなかった。
 彼が起きたのは試験の始まる一刻ほど前だ。
 もう行かないと。
 女を探したいとも思わなくもなかったようだがそれでも
 人生がかかっているのは彼も同じ。
 試験会場へ。
 
寮から回廊を回り、六つの物見の塔をぐるりと。
 その先の古びたレンガ造りの講堂だ。

 女は
朝食は食べたのだろうか。
学生が思った。


 よう。できたかい?

 ああ、まあまあだ。

 なら飲もうぜ。

 どこで?

 騎士団の連中に誘われてんだよ。

 騎士団か……
 なあ行こうぜ。女もいるっていうし。

 女ね……

 俺たち勤勉の徒には無縁のものだが、騎士たちはな。
奴らは見習い期間が終わると村で女を作ってもいいらしい。

 そういうもんか。

 ああ。
だからさ、じっさい俺も迷っているんだ。
始めは医者になって故郷に戻るつもりだったが、このまま騎士団に入るのも悪かねえなって。

 そういうもんか。

 だって女だぜ。女。
こんな大学で勉強ばっかしてる間に、騎士見習いたちは、俺たちより若くして騎士になり、
女をつくり、楽しそうにやってんだぜ。うらやましいだろ?

別に……。

 変な奴だな。お前は。
村にはまだいい女がいるってよ。
この島もまだ捨てたもんじゃないぜ。
あと一年。帰るかとどまるか、じっくり考えようや。

 そうだな。

 学生は曖昧に返事を返して、友人と別れた。

 日差しが温かい。
 晴れ渡った島の空は。いつもながらに。

 試験も終わり、
 学生たちは外に飛び出し、楽しそうにはしゃいでいるし。
 花畑を転げ回る学生たちを窓から見下ろしながら、彼は一人部屋に戻った。

 あの女…
 ザースと名乗った女。
銀色の髪の、謎めいた瞳の女。

女は何処へ行ったのだろう?

*

 さて、夕暮れが島を包み、海からの風が心地よく吹きつける時分になって、

 女が姿を現した。

 予感があったといえば、それも嘘にはなるだろうけど。

 学生はどきどきしながら扉の前に立っている女を。
 部屋に差し招いた。

 無言で部屋に入り扉がしまったとたんだ。
 女は剣を引き抜いた。

 なんてことだ。

 細身の尖った剣先は、
 血に濡れて。
 ぽたりと雫が。

 女、静かに言った。

 殺した。
 この大学の講師であり、騎士団の幹部である男を。

 殺した。と。

 うそだ。

 学生は思わず笑い顔。

 しかしその血は…

 そんなことあるはずがない。
 あなたのような人に。そんなこと。

 女は唇を軽く。
 かんで、不服とも嘲笑ともつかぬ顔を。

 学生は、
 ワインをさしだした。
 試験が終わったので解禁だ。

 飲みますか。

 女は剣を収めた。
 血は拭けば十分だ。
 くすねてきた貴重なガラスの器になみなみ 杯を合わせ、

 カチリ

 男は女を見ながら、女は学生を見ながら、
飲み干した。

 さて、どうします?寝るのなら僕は出ていくけど。

 女はなぜか苛立たしげに髪を乱暴にかきあげる。
 獣脂のランプのもとでも、輝く銀に、見惚れぬ者はない。
 それを知ってか知らずか、女は静かに。
 
私の任務は終わった。
もう恩は返した。だからこのまま立ち去るつもりだったのに。

 女はまた唇をかんだ。
 学生はワインをついでやった。
 
でも、また指令だ。
逆らいたいが、そうもできない。
恩は返したが、あと義理が残っていた。
これきりだ。あとひとつだ。
 
またワインを飲み干し、女。
 学生を、仕方なさそうに睨む。
 ふりをすると、
 
その幹部。
私が殺したその騎士団の幹部兼大学講師の。その助手を。
大変な剣の腕の持ち主らしい。その男を。
 それを。
殺すの。

 早口で、囁く。

 あと一人。
それを切れば、もう用はない。私はここを出る。
なんなら…

 女は目をそらし、

 お前も連れていってもいい。

 学生驚いたが、平静に。そんなうまいことって。
 こんな美人と一緒の旅か。

 船に乗って、内海の旅。島から島へ。空の下。

 学生は微笑んだ。

 女は少し照れたようだ。
 顔をそむけたまま。
 
お前は、私を助けてくれ、食事をくれ、秘密を守り、私を二度部屋に入れた。
 だから。
 その借りを返したいのだが。

 女はちらりと男を。

 一晩、だけでは。
 返しきれない…

 どきどきと。学生。背中に汗をたらしながら。

そりゃそうだ。

 生まれてこのかた、女の経験などないし。
 いや、一度娼館へは行ったが。自治体の経営だったし、ひどいあばたのちんくしゃで。
 こんな美しい女などとは……

 どきどきと、まさか、ここで。
 ごくりと唾を呑み込みつつ、いや待てよ。

 女、白い頬に少し血の気を見せつつ、

 その前に、
 教えて欲しい。
 そのもう一人。
騎士団の幹部兼この大学の講師でもあった私がさっき殺してきたその男の、
助手とは、
 誰なのか。

 ローブを脱ぎながら、女は、その細い白い足を、あらわにしつつ、
 尋ねた。

 学生どきどきと。
 震える手を差し出し、
 女の体ヘ

 床に剣を下ろし、女は目を閉じた。

 男は

 ばたん。

 外へ出た。



 月が高い。
 白く輝く、空の上。
 見下ろされて、この島。騎士と大学の島。
 バーンズデイル王立大学。

 戦争になれば、
騎士団が戦い、学生も戦い、島を守るために手を尽くし、負傷者を助け、包帯だってまくだろう。
みんな。

 学生は中庭の暗がりの円柱に寄り掛かり、
遠く聞こえてくる酔っぱらいの歌声を聞きながら、一人考えた。

朝になったら大騒ぎになるだろう。
もし……

学生は首をふった。

いいや。
せっかく試験が終わったというのになんだ。自分はもうじき、

……

なんになる?

女の言葉を、
確かめる勇気はなく。

ここバーンズデイル王立大学で。

モラトリアムとユートピアの違いを初めて。
彼は考える。

答えは月にはないが。

彼は、考える。

夜空は静かに高く。



明け方
学生が部屋に戻ると、寝台はからだった。


「ときがながれてゆくよ」
「ときがながれてゆくよ」

人形の言葉はザースにだけ。

「なにを待っているの?」
「なにを待っているの?」

銀色の髪、朝の光を恐れて。



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