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 水晶剣伝説 \ ロサリート草原戦(後編)


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 それより少し前、
 凍てつく夜を迎えた湿原を背に、トレミリアとセルムラードの一万五千の連合部隊は、いまだジャリア軍の包囲のもとにあった。
「遅い。すでにもう丸一日たつのだぞ」
 天幕には、セルムラードのバルカス伯、スレイン伯をはじめ、女騎士リジェ、ビュレス騎士伯、トレミリアのヒルギス伯と、隊長クラスの騎士たちが集まっていた。
 レークの提案による作戦で、騎士アランが夜の湿原地帯へ向けて出発したのが、もう昨日の日没になる。だが丸一日以上たっても、いっこうに動きはなく、早い救援を期待していた人々は、しだいにその顔に疲れの色を強くしていた。
「やはり、この作戦は無謀だったのだ」
 卓を囲んで静まり返った人々を見回し、ヒルギス伯はもう我慢がならないというように、一人で声を上げた。
「失敗した以上は、もうそろそろ次の手を考えるべきだろう」
「まだ失敗と決まったわけではないでしょう」
 ヒルギスの言葉に異を唱えたのはリジェだった。
「もう少し待つべきです。きっと、あのアランという彼は……命懸けで、トレミリア軍のもとへ辿り着いてくれているはずです」
「しかし、女戦士どの」
 ヒルギスのその呼び方に、リジェはむっとしたように眉を寄せた。
「これは失礼、リジェどの、でしたな。我々にはもう水も食料もないんですぞ。明日になれば、一万五千の兵たちは飢え始める。このまま待つというのは、ただの無策の上に愚かな自滅ということになる」
「ただ待つのではなく、いつ、なにがあっても動けるようにしておくべきです。味方は……きっと来ます」
「それはいつですかな?」
 ヒルギスが口元を歪める。まともな食事もできず、ワインも飲めないということが、この貴族騎士を思いの外に苦しませていることは、誰にも分かっていた。
「いったいいつまで待てばいいというのか……まったく」
 ため息をついたヒルギスは、横に立つカシールに目をやった。気に入りの小姓として、レークの小隊から異動させたその美青年を、彼はいつも側に置いていた。美しい置物のようにその横顔を眺めながら、ヒルギスは、退屈かつ希望の見えないこの夜を、いったいどう過ごせばいいのかと、うんざりと憂慮する様子だった。
「明日かもしれませんし、これからすぐに起きることかもしれません。私たちにはただ、そう信じることしかできない」
 リジェの方は、まったくもって、この無駄口の多い優雅すぎる貴族騎士が嫌いであるようだった。彼が何度となく前髪を整える姿が嫌でも目に入るので、できうることならさっさと会議を終わらせて外へ出てゆきたかったが、そうもゆかなかった。
「信じる。はっ、信じたところで、起こらぬものは起こらぬし、あるいはもう、とっくにあのアランという若者は、凍りついた湿原で永遠の眠りについているかもしれない」
 さすがにその言葉には、横にいるカシールは口をきっと引き結んだ。しかしなにも言葉は発せず、ただ耐えるようにじっと立っていた。
「ヒルギスどの。ではあなたは、この作戦の成功を最初から信じていなかったというのですか?」
「そうは言わない。ただ、もう丸一日以上がたった。そしてなにも起こらなかった。私はただそう言っているだけだよ」
「ですから、なにも起こらないかどうかはまだ分からぬと……」
 思わず立ち上がったリジェを、バルカス伯がなだめる。
「まあ二人とも。そんな言い争いをすることこそ無駄なこと。いたずらに体力をつかうのはよろしくない」
「そうですな。それに、ヒルギス伯の言う通り、食料と水が切迫してきているのは事実。今夜はともかく、明朝になって事態が変わらぬのなら、もはや待つだけではそれこそ自滅になる」
 冷静なスレイン伯の言葉に、リジェは黙り込むしかなかった。
「では、犠牲を覚悟で、敵陣を突破にかかるべきだと、スレイン伯どのもそう言われるのですな」
「ええ。ですが、ともかくは、明日までは待ちましょう。待つ身のつらさは分かりますが、一度この作戦を始めたからには、ぎりぎりまで信じることも肝要かと。リジェどのの言うように」
「ええ」
 救われたようにリジェはうなずいた。ヒルギスは仕方なさそうにふんと鼻をならす。
「うー、寒みい、寒みい。湿原はカチンコチンに凍っていやがるぜ」
 陽気そうに声を上げながら、レークが天幕に戻ってきた。
 ぐるりとそこにいる人々を見回したレークは、腰を下ろさずに、そのまま入り口近くに立った。やはり落ち着かないのだろう。会議の間も、何度となく外へ出ては、ジャリア軍に動きがないかを確認しにゆき、湿原の様子を見に回って、また戻ってきたのである。
「まだなにも動きはないですかな?」
「ああ。なにも、ねえ」
 レークはぶっきらぼうに答えた。誰よりも内心でいらいらとし、アランのことを心配しているのは間違いなく彼であった。
「まあ、なるようにしかならねえってこった」
 そっけなくつぶやく。それは自分自身に言い聞かせるような言葉であったが、ここにいる全員が、いや、外にいる兵たちも含めてすべてが、同じような不安を抱いているのはレークにもよく分かっていた。
(アラン、お前は、今どこにいるんだ)
 じっと腕を組みながら、今朝からずっと繰り返してきた思いを、心の中で口にする。
(無事にトレミリア軍のもとに辿り着けたのか)
(それとも……あの湿原で迷ったりして、そのまま……)
 レークはぐっと唇をかみしめた。
(いや、そんなはずはねえ。お前なら、きっとやってくれるはずだ)
 この作戦が、そしてアランの生死そのものが、ここにいる一万五千の部隊の運命を決めるのだ。祈らずにはいられなかった。
 そんなレークのことをリジェは心配そうに見つめていた。二人だけであったら、体を寄せて抱きしめ、互いの不安を慰め合ったのにと、彼女の青い瞳はそう告げていた。
「レークどの。ともかく、水と食料がもたない。明日になったら、犠牲を覚悟でうって出る他にないと思う。いま、そのように話し合っていたのだ」
「ああ……」
 スレイン伯の言葉に、レークは上の空で答えた。
(ジュスティニアよ、大地の神グレーテよ……頼む、頼むぜ)
 もう一度、口の中で祈りをつぶやいた。
 そのときだった。
(……隊長、気付いてくださいよ)
「なに……なんだ?」
 声が響いた気がした。いや、むしろはっきりと頭の中に聴こえたのだ。
「どうした、レークどの?」
「いま、なにかが……」
 だが、レークは言いかけてやめた。この場にいる誰にも、その声は聞こえてはいないだろう。それはすぐに分かった。
(隊長……と、そう聞こえた)
 うめくようにレークは息をもらした。人々が怪訝そうに、その様子を見つめる。
(間違いねえ。いまのはアランの……やつの声だった)
 何故だかはっきりとそう確信できた。
(やつだ。やつは生きている)
(きっと……そうに違いねえ)
 アランはなにかを伝えようとしているのだ。
(あいつは、なにを……)
 そう考えて、レークは思い当たった。
(そうだ)
(やつは指輪を持っている!)
 さっきの声が、あるいは指輪の魔力を通してのものだったとすれば……
 あの声は幻聴などではなく、水晶の魔力が運んだ、意識であったとしたら。
「ちっとまた、行ってくるぜ!」
 いてもたってもいられず、レークは天幕を飛び出した。
 冷たい夜の空気が、本来なら冷静さを与えてくれるはずだが、この胸騒ぎはいよいよ強くなるばかりだった。
 懐にしまってある短剣を取り出すと、魔力を持つ水晶の短剣は、いくぶん熱を帯びているようだ。
「間違いねえ。指輪に反応しているんだ」
 レークは短剣を手に持ち走り出した。
 アヴァリスが沈んでから、とうに一刻以上はたち、夜闇に包まれた陣地には、毛布にくるまって仮眠をとる兵たちの姿があちこちにあった。天幕の中で休めるのは上級の騎士だけである。包囲された状態が続くのは、彼ら一般の兵たちにとっては、体力的な負担も大きいのだった。
 狭い陣地のところどころには松明の灯が炊かれ、そこには夜番の騎士が交代で見張りに立っている。レークは自分の部下たちのいるあたりに来ると、見張り番に近づいた。
「これは、レーク隊長」
 見張りに立つのは、小隊のニールであった。小柄な体格だが、乗馬の腕前はアランの次に巧みな騎士である。
「ああ、今夜の見張りはお前か」
「はい」
 近くを見回すと、ひときわ大きな体格のラシムが毛布にくるまっている。その周りに固まって休んでいるのが、小隊の連中だろう。アランもトビーも、カシールもここにはいない。戦いの中で人数も減っていたので、ずいぶんと寂しくなったものだが、大切な部下たちであるには変わりはない。
「よし。いいか、すぐ動けるよう、みんなを起こしておけ。俺はこれから、ちっと前線を見てくるから」
「分かりました。なにか動きがあったのですか?」
「ああ、たぶんな」
 レークはそうとだけ言うと、眠っているラシムの体を蹴飛ばした。
「うわああっ」
「もう起きてろ。馬を借りていくぜ」 
 驚いて飛び起きるラシムに笑って告げると、レークは馬に飛び乗った。
(さって、なにがあるのかな)
 落ち着かぬ心持ちのまま手綱をとり、なにかに急かされるように前線へと向かう。
 昨夜、アランが出発してからは、昼夜を問わず何度となく自分で出向いていって、ジャリア軍に動きがないかとしつこいほどに確認した。交代で見張りに立つ騎士たちは、トレミリアの騎士はむろん、セルムラードの騎士も、もうすっかりレークのことを覚えてしまっていた。
「ああ、これは、レークどの」
 前線を見張る夜番に立つセルムラードの騎士が、近づいてきたレークの馬に気付いた。
「どうだ、動きはないか?」
「ええ、まだなにもありません」
 レークの胸騒ぎのことなどは知るよしもない。ほとんど時間を置かずに見に来たことに、いくぶん苦笑ぎみの様子である。
「そうか。なにかあったらすぐ報告しろと、他のやつにも言っとけ」
「はい、分かりました」
 夜闇の向こうに目を向けると、ジャリア軍の包囲陣は、ひっそりと静まり返り、さきほど見に来たときとなにも変わらない。
(さっきのは気のせいだったのか……)
 なんとなくそのまま帰りがたく、レークは陣地にそって馬を東へと歩ませた。
(いや、そんなはずはねえ。あれは、確かに……)
 アランの声だった。そうに違いないと、なにかが教えてくれていた。
(アラン、あれはお前だったんだろう。オレに、なにを気付いて欲しいというんだ?)
 馬上からまたジャリア軍の陣地を見やりながら、姿の見えない部下に向かって問いかける。敵陣には一定の間隔で松明の灯が並び、それがこちらを包囲する壁の広がりであることを示していた。
(東へ……もっと、東へ)
 何故だか、はっきりとそう感じるのだ。東へゆけば、なにかがあるとばかりに。
(水晶の短剣が熱い……)
 陣地の東寄りまで来ると、その感覚がさらに強くなった。短剣がなにかを告げている。
 やってきたレークの馬に気づくと、そこにいた見張りの騎士が慌てて立ち上がる。居眠りでもしていたようだ。
「おい。なにか、」
 異変はないかと尋ねようとしたレークは、ふと、敵陣に目をやって、それに気付いた。
「あれは……なんだ」
「レークどの、どうしましたか?」
「あれだ……」
 レークは、暗がりの向こうの敵陣を指さした。
「なにかありますか?」
「見えないのか」
 そちらに目を向けた見張りの騎士が首を傾げる。
「動いている……」
 それは、レークのように並外れて視覚が良くなくては、とても分からなかったかもしれない。
「あれは……」
 松明の灯に照らされて、黒い鎧姿がせわしなく動きだしていた。
 それは戦っているようでもあり、あるいは侵入したなにかを追いかけているようでもある。どちらにしても、ただごとではない様子が伝わってくる。
「まさか、アランか……お前なのか」
 だとしたら、なんという無茶なことだろう。だが、とうにレークは確信していた。
「レークどの、いかがしま……」
「敵陣に動きだ!」
「えっ」
「ただちに部隊を動かすと伝えろ」
「はっ、ええと……あの」
「さっさと行け!馬鹿野郎が」
 狼狽するような騎士を、レークは怒鳴りつけた。
「アランだ。アランが来たんだよ。あれはやつだ。間違えねえ!」 
「は、はいっ」
 騎士が慌てて駆け出してゆく。
「アランだ。お前が来たんだ。そうだろう」
 暗がりの向こうの敵陣の中に、その騎馬姿を見るように、レークは熱を帯びた短剣を握りしめてつぶやいた。  

 レークからの報告を受け、部隊は大急ぎで動きだした。
 一万五千のうち、まずは前衛として編成された三千の兵たちを敵陣に向かわせ、これが本当に味方からの救援部隊の到着であったなら、続けて後続がすぐに動けるように準備を整えた。
 前衛部隊の編成を待つ間も、レークはいてもたってもいられぬとばかりに、いまにも先頭にたって飛び出したいような気持ちであった。ただちに集まっていたレークの小隊を筆頭にして、トレミリア、セルムラード連合部隊はついに動きだした。
「慌てるなよ。いっきに飛び込まずに、じっくりと敵の動きを見ながらだな」
 暗がりの中を、接近するまではなるべく敵に気取られぬよう、ひっそりと、部隊は前進を始めた。レークがポイントに睨んだのは、敵陣の東側であった。
「しかし、もしレークどのの言うのが、援軍部隊ではなく、単に見間違いであったなら、我々はどうなるのかな?」
 レークの横に来たヒルギスが、馬上から疑わしそうに言った。
「そのときは、敵に突入して一か八かよ。あんたも、明日にはそうするつもりだと言っていたろう」
「それはそうだがね。しかし、こんな夜中の戦いなどは、僕は経験したことなどないんだよ」
(夜中だろうが、アヴァリスの輝く昼間だろうが、どっちにせよ、あんたには経験不足なんだろうにさ)
 内心ではそう思いつつ、一応は司令官である彼の顔を立てるべく、レークは気をつかうように言った。
「もちろん、司令官どのを守るために、オレをはじめ、すべての騎士たちが戦いますともさ。最悪の場合でも、あんたくらいは、逃げ延びさせられるつもりだ」
「そうか。しかしむろん、私とて騎士のはしくれ。命をかけて戦うにやぶさかというわけではないからな」
 納得したようなヒルギスがカシールとともに、後方へと下がってゆくと、レークはぺろりと舌を出した。
「やれやれだ。優雅な貴族さんのお守りも大変だぜ。さて、」
 レークははやる気持ちを抑えながら、部隊の先頭に立って馬を歩ませた。
 暗がりの中の慎重な行軍というのは、どうにも性に合わない。できればこのまま駆けだして、敵陣に突入したい気持ちだったが、この行動に部隊全体の命運がかかっているからにはそうもゆかない。
(それに、どうも……おかしいな)
 さきほどまで、慌ただしい動きがあるように見えた、ジャリアの陣地内が、いまはいくぶん静まっているようなのだ。
(だが、まったく動いていないわけではない。どういうこった)
 敵陣の松明の灯を前方に見ながら、レークは他に見えるものはないかと、辺りに視線をさまよわせた。
(ああ、でも感じるぞ。短剣がまた……熱くなってきている)
 どこかにいるはずだ。どこかに。
 レークは夜闇の中に、なにかの兆しを見つけようと、目を凝らした。
「隊長」
 するすると部下の馬が近づいてきた。ニールだった。
「いまあちらに、なにかが見えました」
「どっちだ」
「左手です」
 ニールが指さす方に目をやる。暗がりの中、確かに動くものの姿があった。
「あれは敵か?」
「分かりません」
「よし。ちっと見に行ってくる。付いてきたいやつは来い」
 レークは部隊から先行して馬を走らせた。どのみち、このまま接近すれば、いずれは敵に気付かれるのだ。
「おっ、ありゃあ……」
 ニールの言った方へ近づくと、空闇の向こうに、数騎の騎馬が去ってゆく姿が見えた。ジャリアの騎馬兵に間違いない。
「ちっ、どうやら見つけられちまったようだな」
 あの騎馬兵たちが報告に戻れば、こちらの進軍をただちに知られることになる。すぐに追って行って、仕留めるべきか、レークは迷った。
「しかし、まてよ……やつらはいったいなんで、こんなところまで」
 手綱をしぼり馬のスピードを落とす。背後から何人かの部下たちも付いてきていた。
「アランか、まさか……」
 あたりを見回すと、なにかが……なにかが目に入った。
 もう一度、ゆっくりと闇に目を凝らす。
「おお、そこか」
 すぐ左の前方に、地面に横たわる鎧姿があった。
 馬から飛び下りると、レークはそちらに駆け寄った。
「アランか。おい、アラン!」
 そこに倒れ込んでいたのは、間違いなくアランであった。ぐったりとして、動く様子はない。
「アラン!」
 そばに行って声をかけると、アランはうっすらと目を開いた。兜を脱いだレークが、その顔を覗き込む。
「隊長……」
「アランか。一人なのか。なんてこった」
 苦しげな様子でうなずく。その体からは血が流れ、地面に赤黒く広がっていた。
「おい、しっかりしろ。やられたのか……」
「た、隊長……剣です」
 震える手でアランが腰の剣を差し出した。レークはそれを受け取った。ブロテに預けていたカリッフィの剣だ。
「ああ、ありがとうよ。お前……このために命懸けで」
「よかった……」
 うっすらと微笑んだアランは、そのまま息絶えてしまうかに見えた。レークは耳元で叫んだ。
「アラン、おい、アラン!しっかりしろ」
 アランの身体を抱え起こす。流れ出る血の熱さを感じながら、この傷ではもうどうしようもないことをレークは知った。
「火矢……を」
「なに?」
 ぐったりとなったアランの口元から、つぶやきがもれる。
「合図の火矢を……空に向けて」
「ああ、わかった。おい、火矢だ。空に火矢を放て!」
 レークが大声で告げると、部下の騎士が、大急ぎで後方へ駆けだしてゆく。
 しばらくして、闇夜を切り裂くように火矢がぱっと立ち上った。それが援軍への合図なのに違いない。
「よかった。これで、これで、自分は……」
 安心したようにアランが目を閉じた。その体からしだいに力が抜けてゆくのをレークは感じた。
「アラン、おいっ、アランっ」
 揺さぶっても無駄なことは分かっていた。だが、他になにもできない。
「しっかりしろ。アラン!」
 自慢の部下だった。乗馬の達人で、自分を信じ、崇拝してくれ、命令にもよく応えてくれた。そして、こうして最大の任務を果たしたのだ。
「ああ……よく、よく、やったぞ。アラン……」
 すでに動かなくなったアランの体を抱きしめ、レークはつぶやいた。
「見ていろ。命を懸けたお前の働きは、決して無駄にしないからな」
 この場で弔ってやれないことが口惜しかった。それは小隊の他の部下たちも同じであった。彼らは今が非常時だとわきまえている。馬を降りることもせず、馬上からアランを見つめ、おそらく内心で祈りを捧げているのだろう。
「すまねえ、アラン。いまは時間がない。あとできっと……戦いが終わったら、きっと、お前の墓を作ってやるからよ」
「隊長、敵に動きが」
「ああ……」
 顔を上げ、涙の浮かんだ目をこすると、レークは敵陣に目をやった。ジャリア軍の陣地では、黒々とした兵士たちが集結するような動きが見えた。
 レークは立ち上がった。 
「連れてゆけなくてすまねえ。ここから見守っていてくれ」
 最後にアランの亡骸を見下ろし、そう言い残すと、レークは兜をかぶり馬に飛び乗った。
「みんな、いよいよ戦いだ」
 それぞれにアランへの祈りをつぶやく部下たちも、悲しみをこらえてうなずく。
「いいか、アランがオレたちに道を開いてくれた。一緒に、戦うぞ。剣を抜け、敵は目の前だ!」
「おおっ」
 馬上の騎士たちが剣を抜き放つ。レークも、アランから受け取ったカリッフィの剣をすらりと抜いた。
「合図の火矢を放て。三本だ」
「ですが、隊長……」
 三本の火矢は、後方に控える部隊に向けての合図である。救援の味方が現れたことを知らせるものであった。
「かまわねえ。やれ」
 レークは信じて疑わなかった。アランが援軍部隊を連れてきたのだということを。
 夜空に火矢が放たれた。これでもう後戻りはできない。
「前進だ!」
 背後に続く三千の騎馬兵とともに、部隊は動きだした。
 片手に手綱を、片手に剣を持つ戦闘態勢をとった騎士たちは、これまでの包囲された圧迫から解放されたように、敵陣を見据えて迷いなく前進した。
 こちらの進軍に対応するように、集結を始めていたジャリア軍であったが、その動きがにわかに慌ただしくなった。いったんは、隊列を組んで向かってくるかにも見えたが、にわかに混乱をきたしたように、その壁がばらけだした。それは明らかに、急襲を受けた混乱ぶりであった。
「きたか。よし、突進するぞ。続け!」
 レークを先頭に、騎馬部隊がスピードを上げる。
 ジャリア軍の黒い壁の隙間をぬうように、先頭の騎馬部隊が突入した。
 松明に照らされた黒い鎧兜と、白銀の鎧の騎士たちが交差する。
「続け!離れるなよ」
 レークは叫びながら、馬上で剣を振り上げ、ジャリア兵をなぎ倒す。
 命令と怒声が飛び交い、すぐにあたりは混戦となった。
 松明をなぎ払い、ぱっと火が立ち上る。トレミリアの騎士たちは、目の前に現れる黒い鎧姿に剣を振り落とし、果敢に突き進んだ。
 明らかに、ジャリア軍は大きく混乱していた。レークはその敵の混乱を助長するように、馬上から大声を張り上げた。
「壁の向こうから一万の援軍がきたぞ。後ろからは一万五千の部隊が続いているぞ!」
 それはまったくのはったりであって、アランが連れてきたのがたった二千の騎兵隊であることなどは、レークは知らなかった。だが、それはどうでもよかった。混乱の中であれば、二千の兵が一万の兵とおなじほどの脅威を与えられるのだ。
「二万の兵が突入したぞ!トレミリアとセルムラードの連合軍だ!」
 その声を聞いたジャリア兵たちが、いくらかでも気勢をそがれ、あるいは戦意を失うことになればしめたものであった。また実際に、敵兵たちは大きな混乱の中にいて、まだ命令系統がゆき届いていないらしく、右へ左へと、その動きがばらばらであった。
「ようし、突破するぞ!」
 もともとがこのジャリア部隊は、包囲することのみを目的に編成されていたのだろう。混戦状態のなかで、包囲陣はばらけはじめ、いまが突破のチャンスであった。
 まずはレークの小隊が敵陣を突き破った。続いて後続の、トレミリアとセルムラードの連合部隊が突進してくる。
 馬上から周囲をぐるりと見渡すと、暗がりの向こうから騎馬が走ってきた。
「レークどの!」
 近づいてきた騎馬にまたがる騎士が兜の面頬を上げると、レークはにやりとした。
「おう、あんたか」
「ご無事で」
「ああ、あんたも。来てくれて助かった」
「むろん。友軍を見捨てることなどいたさぬわ」
 トレミリアのベテラン騎士、サーモンド公爵騎士団団長、アルトリウスは、馬上で大きくうなずいた。
 思えば、あの大剣技会で進行役を務めていたときから、この生真面目な騎士のことは、ずいぶん印象に残っていた。いま戦場でこうして一緒に馬を並べているのは、なんとなく不思議な感覚であった。
「大変な混戦のようだが、我が友軍は突破できそうかな」
「ああ、いけるだろう」
 すでに周りには、続々と敵陣を突破してきた騎士たちが増えてゆく。ラシムをはじめとして、小隊の部下たちの姿もあった。アルトリウスの騎馬部隊が駆けつけてくれたのであれば、後方部隊が敵陣を突破するのも時間の問題に違いない。
「よし。じゃあ、もうちょい敵を蹴散らしておくか」
「承知した」
 顔を見合わせた二人は、馬首をめぐらせると、剣を手に、再び敵兵に向かって動きだした。


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