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  水晶剣伝説 \ ロサリート草原戦(後編)


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 陣内へ戻ったローリングは、すぐさまレード公のもとへゆき、アランから受け取った書簡を渡した。そして急ぎ、主要な隊長たちを天幕に呼び集めさせた。
「ホルンの砦より、北東へ約三エルドーン、湿地帯を背にして、我々はジャリア軍に包囲され動けず。至急、援軍を請う。か……」
 書簡に目を通したレード公は、すぐにその顔を険しくした。
「なるほど、そういうことか。それでジャリア軍のあの動きににも説明がつくな」
 努めて、己を落ち着かせるように、レード公はその声を低くした。
「ええ。敵の陣形は、我々を北側へゆかせぬためのものですな。間違いなく」
「セルムラードのバルカス伯と、ヒルギスの連名が記してあるからには、トレミリアとセルムラードの合わせて一万以上の兵が、そこに身動きがとれぬということなのだろうな」
 ローリングは黙ってうなずいた。こうしている間にも、本心ではすぐにでも飛び出して、レークらの救援に駆けつけたい気持ちだったが、それをぐっとこらえる。
 天幕には、アルトリウスをはじめ、ブロテ、ハイロン、ガウリン、クーマンら、主立った隊長たちが、知らせを受けて次々に集まった。
「まさか、そんなことになっていようとはな」
 ことの次第をローリングが簡潔に説明すると、騎士たちはざわめきたった。
「だか、たしかに、いっこうに援軍が到着しないのは、そのような事態もあろうとは考えられたが、それにしても湿原地帯を背に足止めとは」
 腕を組むアルトリウス。その横でガウリンは、むっつりと口を歪める。
「やはり、あんな浪剣士ばらに任せるべきではなかったということでしょう」
「そんなことをいまさら言っても始まらぬ。急いで集まってもらったのは、これからの動きを早急に決めるためだ」
 ローリングの言葉を受けて、ブロテが口を開いた。
「ともかく、早急に救援を出すべきでしょう」 
「うむ。どんな状況であれ、友軍を見捨てることはできねな」
「だが、問題は敵のあの布陣だ」
 ローリングは卓上に広げた草原の地図に、敵を示す黒い駒を置いた。
「実際に前線で見たものは分かるだろうが、ジャリア軍は大きく横に陣形を広げ。ぐるりと北側にまで兵を広げている。これはつまり、」
「我々の、北への救援を阻む意図なのですな。これでようやく、敵の陣形の狙いが分かったわけだ」
 そう言って、アルトリウスが地図を指差す。
「北の湿原地帯を背後に、包囲された友軍はこのあたり。我らとの間には、敵の壁が二重に存在するわけですな」
「だからといって、ここで手をこまねいていては、包囲された友軍は徐々に消耗してゆくばかり。ここはやはり早急に救援を」
「ブロテ卿の言うことも正しい。せっかくの援軍、それもセルムラードから馳せ参じてくれたバルカス伯をはじめとする友国の兵たちを、このまま見殺しにはできない」
「ですが、ローリングどの。現在であれば、決して不利な陣形ではないものを、それを崩してまで急いで攻めては、それこそかえって敵の思うつぼでは」
 口髭をたくわえたハイロンが、年長者らしい落ち着きで進言した。
「いえ、私とて、味方を見殺しにしたいなどとは決して思わないが、しかし、敵の陣形を見れば、我々を引き込んで挟み打ち、あるいは半包囲しようという狙いは明白。そこに飛び込むというのは、あまりに愚かではないかと」
「自分も、ハイロンどのに賛成です」
 ガウリンが口を開いた。
「本来、援軍として合流するはずの部隊が敵に包囲され、それを助けるために戦力を割くというのは本末転倒。包囲された友軍にも、我が本軍にも大きな被害がでることになります。むしろ叩くのであれば北ではなく、正面の敵に打って出るべきかと。それこそが、この草原の戦いの本来的な目的であるように思います」
「それでは、レークどのを、いやトレミリアとセルムラードの友軍を見殺しにせよというのか」
 普段は温厚なブロテが、正面からガウリンを睨み付けた。
「そうは申さぬ。ただ、あの浪剣士のしでかした失敗を、我々が引き受けて苦境にたつのは馬鹿げているということだ」
「きさま。レークどのが失敗をしたと、はなから決めてかかるか」
「そうではないという確証はないだろう」
 ガウリンとブロテは、同じく腕の立つ騎士同士であり、年齢も近い。大柄で寡黙なブロテに比べ、細身で筋肉質のガウリンは血気盛んで、鼻っ柱が強いタイプである。むしろ、レークの性格に似ているかもしれないが、それもあってか、ガウリンはもとからレークを気に食わぬ奴とみなしていることを、ブロテはなんとなく気付いていた。 
「あんな浪剣士を、わが軍に入れてしまったことこそがそもそもの間違い。先にも前線で勝手気ままな動きで味方の邪魔をし、大くの犠牲を出したのだからな。それから後方に下がって穴堀りをやっていたようだが、ずっとそうしていればよかったのだ」
「レークどのはな、そんなお人ではない。ときに考えなしに突進することもあるが、それとて状況を打開するため。先の前線での戦いでも、レークどのの小隊が多くの戦果を上げたのも事実。今回のこととて、きっと援軍を助けるために必至に尽力しておられるに違いない」
 ブロテにとっては、レークは一緒に旅をしてきた間柄であり、すでに友と呼べるほどに、互いを信頼している間柄であると思ってもいた。ガウリンの言葉にこれほど腹が立つのも、不思議とは思わないくらいに。
「ならば、やつは、自ら責任をとって、自らの力で敵の包囲を突破するべきだろう。我々が手を貸してやる必要はない」
「きさま、それでも同じトレミリアの騎士か!」
 顔を赤くして怒鳴るブロテを、人々は驚いて見つめた。この巨漢の騎士がそのようにして激昂するところを、彼らはついぞ見たことがなかった。
「よせ、二人とも。レード公の御前だぞ」
 二人の間にローリングが割って入った。心情的には味方をしたいというように、ローリングはブロテの肩をぽんと叩く。
「双方の言い分には、どちらも一理ある。友軍を助けに動くことは、あるいは敵の罠に落ちることになるかもしれん。それを承知で軍を動かすか、それとも動かさぬか。決めなくてはならない。それもいますぐにだ」
「ローリングどのの言う通り。事態は一刻を争う。ここでいくら意見が割れようと、司令官であるレード公が決定することであれば、我らはそれに従うまで」
 アルトリアスはそう言うと、レード公に向けて胸に手を当てた。ハイロンとブロテもそれに習い、騎士の礼をした。ガウリンもしぶしぶというように胸に手をやる。公爵の側近であるリンデスは、ただ黙って主に従うまでというようにうなずいた。
 レード公は一歩前に進み出ると、騎士たちを見渡した。
「我が考えを言う前に、ひとつ」
 むしろ落ち着いた静かな声が、天幕に響いた。
「いまはジャリアに蹂躙されたウェルドスラーブ、我が友国の王である、コルヴィーノ陛下は、いまは国を脱し、フェスーンへとまいられたが、トレヴィザン提督率いるウェルドスラーブ海軍はいまなお、ヴォルス内海で戦っていると聞く。そして、そのかたわらで助けるのは、アルディで革命を志すウィルラース卿だという。そして、セルムラードの、あのいくさを好まぬフィリアン女王が、我がトレミリアの危機のために、いや、このリクライア大陸の危機のために、こうして兵を動かしてくれた。それは、どちらもあの、レーク・ドップの働きであることを知ったとき、わしは驚嘆したものだ。それは到底、一介の浪剣士ごときに、できよう所為ではない。いや、たとえ名高い騎士であってもできぬ。やつでしかできぬ。自由で、勇敢で、行動する剣士……レークにしかできぬことだ」
 ローリングとブロテが大きくうなずく。腕を組むアルトリウスは黙って目を閉じ、ガウリンはその拳をぐっと握りしめる。
「我々は、おそらく、知らぬうちにも彼に助けられているのだ。あるいは、彼の起こした行動の恩恵を受けているのだ。セルムラードからは一万の兵たちがやってきたのも、海には新たなアルディを志す海軍が現れたのも、それに、この事態を我々に知らせに、たった一騎で脱出してきたという騎士も。レークの部下だという……そのものもきっと、命をかけるに値する使命だと、己を奮い立たせ、敵の包囲をかいくぐってきたのではないか」
 人々は黙り、それぞれにレード公の言葉をかみしめた。
 天幕の中は静まり返った。そのとき、一人の騎士がおずおずと入ってきた。
「おお、アランか。もういいのか?」
「は、はい。十分に休ませていただきました」
 ローリングは、アランを手招きすると、人々に紹介した。
「こちらが、レーク小隊にいる騎士、アランだ。レード公がいま話された通り、アランは単身で敵の包囲から脱出し、我々に事態を知らせてくれた」
 トレミリアの名だたる騎士たち、そしてレード公爵を前に、アランはその頬を紅潮させた。汚れた服を着替え、食事もとったのだろう、その顔色はさっきよりもずいぶんよくなっていた。
「あらためて、ご苦労であった。アラン」
「は、はい」
 じきじきにレード公から言葉をもらい、アランは緊張ぎみに騎士の礼をした。
「そなたの命をかけた行いが、我々に重大な事態を知らせ、知らず友軍を見殺しにするという愚を犯すのをとどめたのだ」
「はい、そのことですが、どうか、一刻も早く救援の部隊を」
「分かっている」
 うなずいたレード公のその目は、すでに強い決意の光を宿すようだった。
「まずあらためて、そなたの知っていることを、ここで話してもらえるか。それくらいの時間は、友軍も持ちこたえてくれよう」
「はい」
 アランはひとつ息をつくと、人々に向き直った。自分の言葉を、名高い騎士や騎士伯たちに直接伝えるのだと、いくぶん顔を緊張させる。
「昨日の早朝です。レーク隊長以下、我々は予定通りに城砦都市ホルンの城外で援軍が現れるのを待ちました。しかし、いつになっても、門から援軍部隊が現れる様子はないので、ホルンの城門へゆき確かめると、部隊はもうとっくに外へ出たというのです。昨日は霧がひどく、視界がとても悪かったので、おそらく援軍部隊はあらぬ方向へ進んでしまったのだろうと、我々は周囲を探し始めました。すると、霧の中から突然ものものしい気配が起こり、気付くともう、あたりは戦いのさなかだったのです」
「なんと。では敵は援軍を待ち伏せしたというのか」
 声を上げるアルトリウスに、アランはうなずいた。
「おそらくそうだと思われます。とにかく、我々は敵兵の中をかいくぐり、なんとか援軍部隊のもとに辿り着きました。そこで、セルムラードのバルがス伯や、トレミリアのヒルギス伯にもお会いし、北の湿地帯を背にして、部隊がジャリア軍に取り囲まれている現状を知ったのです。ですが、ジャリア軍はこちらに攻め込むような様子はなく、おそらく時間稼ぎのためと、我々を消耗させることを狙いにしているのだろうと思われました。このままでは、援軍としての役割を果たせぬままだと、レーク隊長の案で、私がなんとか単独で脱出し、事態を知らせる使者となることに決まりました」
 アランの話しぶりは明快で、レード公やローリングを含めて、その場にいる人々を、何度もうなずかせた。
「その作戦とは、夜になり湿原地帯が凍りつくのを待って、私がそこを馬で抜けるというものでした」
「なんと、あの湿原地帯を……馬でか」
 アルトリウスが驚いたように声を上げる。
「私もあの湿原地帯へは何度か近づいたことがあるが、昼間はまるで泥の海。夜になって凍ったといっても、足をとられれば深い泥にはまって身動きができなくなるぞ。それもこの時期は寒さで凍死してもおかしくはない」
「はい。無茶は承知でしたが、他に方法がなかったのです。幸い、私は乗馬にはそこそこ自信がありましたので、できるかぎり軽装になり、合図とともに湿原に踏み出しました。レーク隊長他、前線の兵たちは私の脱出を助けるために、敵陣へ突撃を行い、敵の目をそらしてくれました。私はとにかく湿原の上を馬を歩ませました。途中何度も方角が分からなくなってさまよい、実際にもうだめかとも思いましたが、奇跡的に、というかジュスティニアのご加護のおかげか、気付くと湿原を抜けておりました。すでに朝になっておりましたので、あとはただ、アヴァリスの輝きを東に見ながら、こちらを目指して馬を走らせました」
「そうだったのか。それは、なんという勇気よ」
 レード公は感嘆したように、アランの肩に手をおいた。
「まだ二十歳そこそこの若者が、あの大湿原を、それも暗闇の中、方角もさだかではなく、凍った泥の上で凍える恐怖を乗り越え、命懸けで使命を果たした。見事だぞ、アラン。おぬしこそ、本物のトレミリアの騎士たるにふさわしい」
「は、恐縮であります」
 アランは嬉しそうにうなずいたが、天幕にいる騎士たちがみな黙り込んでいるのに気付いた。何故、一刻も早く動きだし、救援の部隊を編成しないのか。
「私は……」
 思わず言葉が次いで出た。
「トレミリアのために、この命を捧げる覚悟でありました。いまでもそうです。そして、それは包囲された援軍部隊にいる兵たちも同じです。私は……このいくさで友人を失いました。そして、生きている友人を部隊に残して、この任務を買って出ました。湿原で迷ったときは、ここで死ぬかもしれないと思いましたが、後悔はありませんでした。私は、トレミリアのために戦って死ぬつもりです。そして、そう思っている同じ仲間のために戦って死ぬつもりです」
 その顔を真っ赤にし、アランは涙を流していた。
 静まり返った天幕の騎士たちの中で、ローリングが口を開いた。
「援軍を……」
 彼は絞りだすように、その声を震わせた。
「彼が、命を懸けて駆け抜けてきた、北にいる援軍を見捨てたなら、私は生涯にわたって己が騎士であることを恥じるだろう」
「ローリングどの、私もそう思う」
 アルトリウスが言った。
「同国の仲間、友国の仲間たちのために戦う、それこそ我らトレミリアの騎士。彼らと合流し、ともにジャリアに立ち向かおう」
 うなずくブロテの目にもうっすらと涙がにじんでいた。反対していたハイロンも、ガウリンもなにも言わず、口元を引き締めてうなずいた。
「では、このアランの言葉通り。我らも仲間のために命をかけるとしよう」
 アランの肩に手を置きながら、レード公は人々を見渡した。
「よいかな、トレミリアの騎士たちよ」
 異を唱えるものは誰もいなかった。仲間のために、トレミリアのために、誰もが最後まで戦うことを、彼らは無言で誓い合った。
「ではさっそく、救援部隊の編成を考えよう。問題は、どの程度の規模で、どのような陣形にするかだが、」
「ジャリア軍の陣形から見て、やはりくさび形の隊列で突破をかけるのが一番でしょう。先頭の騎馬隊は、間違いなく命懸けの役割になりますが、私が先頭を指揮いたします」
 勇んで言ったアルトリウスを、ローリングがうらやましそうに見る。
「本来なら、私がゆくと言いたいのだがな。いや、レード公さえお許しになれば、私がゆきたいのだが」
 だが公爵は首を振った。
「さすがにそれは許せぬ。いかにおぬしの頼みでもな。おぬしには副司令官として、万一のときのために、全軍を見渡す場所にいてもらわねばならぬ」
 無念そうにうなずくローリングの顔には、友を救いに行きたい、いや行かねばならぬのに、というような苦渋の色が見えた。それはブロテとて同じであった。
 巨漢の騎士ブロテは、己が馬術においてはそれほど秀でてはいないことをよく知っていたので、本当であれば、レークらのために先頭に立って戦いたいのだが、突撃する騎士たちの足手まといになってはと自制したのだった。
「では、騎兵部隊はアルトリウスの指揮のもと、ケインとフレインを隊長にしよう」
「お待ちを、レード公閣下」
 声を上げたのはガウリンであった。
「私も、先陣の騎兵部隊に加えていただきたい」
「だが、ぬしは重装兵部隊の隊長であろう」
「私とて、騎上しての戦いもこなせます。敵陣を突破し、友軍と合流してからは下馬しての乱戦も考えられましょう。それに、」
 ガウリンはぎらりとその目を光らせた。
「あのレーク・ドップに、このまま死なれるのはつまらない。一度、手合わせもしたければ、ともに戦ってみたくも存じますからな」
「なるほど」
 武人であるレード公には、ガウリンの気持ちがなんとなく理解できたようだった。あれほど憎むようなそぶりをしながらも、おそらくどこかではレークの剣の腕前を認め、そしてまた、ライバルというような目でも見ていたのだろう。 
「よかろう。では、重装兵部隊はブロテに任せるとしよう。よいか」
「了解いたしました」
「公爵閣下、お願いいたします。どうか、私も前線の騎兵部隊にお入れください」
 跪いたアランが、公爵に願い出た。
「私は、乗馬を得意としておりますし、それに、友軍の正確な位置も知っております。必ずお役にたちますので、どうか」
「ふむ。おぬしの騎士としての忠誠は、まこと立派なものだな。それとも、あの男への忠誠なのか。それほどに部下から敬愛される剣士を、どうあっても見殺しにはできぬな。むろん、ヒルギス伯らも含め友軍の兵たちもな」
 頭を下げるアランを見つめて、レード公はにやりと笑った。
「よかろう、ではおぬしに、ただいまから騎士隊長の地位を授ける。前線にて好きなように戦うがよい」
「あ、ありがとうございます」
「さあ、立つがよい。おお、それに、そのままの姿では戦えまい。新しい鎧と兜、そして剣をさずけよう」
 アランは立ち上がり、感動の面持ちで公爵に騎士の礼をした。それから小姓が運んできた剣と兜を受け取った。房飾りのついた隊長騎士のかぶる銀の兜を。
 それから、部隊編成の細かな確認がただちになされ、アルトリウスとガウリンを隊長にした三千の騎兵部隊を先頭にして、その後ろに重装兵に固められた歩兵部隊が続くという、敵陣を突破するため、より前後に厚みを持たせた、長いくさび形の陣形をとることが決められた。
「あとは、いったん前進を開始したら決して立ち止まることなく、とにかく敵陣を突き破ることだな。少々の犠牲が出るのは仕方がない」
「ですな」
 ローリングの言葉に、アルトリウスが地図を指でなぞりながらうなずく。
「おそらく、敵は我らを南北から挟み込もうとするはず。そこで、いかに部隊を分断されずに持ちこたえるかが肝心です」
「そこは命に代えましても、この私が」
 ブロテが胸に手を当てる。中央部の重装兵と歩兵を指揮するブロテの役割も、前線の騎馬隊と同じほどに大きい。 
 すべての作戦が決められた。あとは、動くだけであった。
「それでは、準備が整い次第、進軍を開始する。汝らの上にアヴァリスの加護とゲオルグの勇気を!」
 レード公が手を挙げると、それに騎士たちが唱和する。
「ゲオルグの勇気を!」
「トレミリアのために!」
 そこにいる、ローリング、ブロテ、ハイロン、ガウリン、アルトリウス……彼らはまさしく、このいくさにおいて命運をになう、トレミリアの名だたる騎士たちであった。
 祖国の命運をかける戦いが、これから行われるのだと、彼らはそれぞれの胸に、決意の炎を燃やして、腰の剣をにぎりしめた。 

「ローリング閣下、ブロテどの」
 会合を終え、騎士たちがそれぞれの部隊へと向かうなか、天幕の外にいたアランは、出てきた二人を呼び止めた。
「じつは、レーク隊長から、お二人にことづてを頼まれております」
「レークから……」
 ローリングとブロテは顔を見合わせた。
「そうか。それで、なんと?」
「はい、ご無礼を承知で、そのままの言葉でお伝えします」
 アランはひとつ咳払いをすると、思い出すように話しだした。
「まずローリング閣下には……迷惑をかけてすまねえ。司令官としての決断は難しいだろうが、この援軍は大切な戦力だから、どうか頼む。少しの救援さえあれば、あとはこっちも突破に全力をかける、と」
 レークの口調をまねようとするアランだったが、どうしても彼の陽気な粗暴さというようなものまでは表現しきれない。それでも、ローリングは、その言葉の向こうにレークの顔を見るかのようにうなずいた。
「それから……きっと戻って、またお前と共に戦うぜ。そのときはよろしくな、と。そう申しておりました」
「そうか。そうか……もちろんだ。戻ってきたら、ともに戦いたいものだ。そして、このいくさが終わったら、またゆっくりと酒を酌み交わそう」
 友に語りかけるように、ローリングはつぶやいた。 
「ブロテどのには……コス島から、森を抜けて、このロサリート草原へと一緒に旅をしたオレたちだ。あんたには、いろいろとハラハラさせることもあったろうが、今度は心配しなくていい。お互い生き残ってまた会おう、と」
「もちろん、もちろんですとも」
 ブロテは、思わず目頭を熱くするようにして、何度もうなずいた。 
「そして、あの剣を頼むと。最後にそう申されました」
「ああ、この剣だ。あれからずっと肌身離さず持っている」
 ブロテは腰に吊るした、カリッフィの剣に手をやった。
「ブロテどの。その剣を、自分に預けてはいただけませんか?」
「なんだと?」
「私が、私が必ず、命に代えましても隊長に届けます」
「……」
 アランの真剣なまなざしに、ブロテは剣を吊るす皮紐をほどくと、ベルトごと剣を手渡した。カリッフィの剣は、長さはさほどではないが、幅広のどっりとした剣であった。鋼鉄性のため、重さは普通の剣よりもむしろ軽い。
「頼むぞ」
「必ず、お届けします」
 アランは大切そうに剣をかかえると、二人に向かって騎士の礼をした。
「では、ゆきます。お二人ともご武運を」
「お前も、生きて戻るのだぞ」
「はっ。それでは」
 アランは走り出した。これからすぐに鎧を着込み、騎乗しなくてはならない。次に馬に乗れば、それが間違いなく命をかける戦いであることを、彼は知っていた。
 口の中でジュスティニアへの祈りを捧げる。トレミリアにいる家族と、そして愛する女性のことを思い浮かべると、またじわりと力が湧いてくるようだった。

 トレミリアの全軍が動きだしたのは、中天に到達したアヴァリスが西へと傾きだした頃だった。
 アルトリウスの指揮する騎馬隊の先頭には、ガウリン、そしてアランの姿もあった。それに続く、左右の第二騎馬隊は、それぞれをケインとフレインが隊長を務める。ブロテとクーマンが指揮する歩兵部隊は、重装兵部隊を外側にして騎馬隊の後ろにつく。そしてレード公爵とローリングの本隊が続き、後詰めにリンデスとヨルンが控えるという縦長の布陣である。
「全軍、進軍開始!」
 号令とともに、連絡役の騎士が、それを部隊の前方へ触れて回る。
「進軍開始!」
 アルトリウスとガウリンを先頭に、三千の騎馬部隊が動きだした。草原に土埃を上げながら、全軍が一斉に前進を始める。それは、なかなか圧巻の眺めであった。
 これまでは、侵略軍たるジャリア軍の攻撃を受け止めるという形で、こちらから攻め上ることはなかったトレミリア軍が、このようにして敵に向かって積極的な進撃を仕掛けることは、このいくさにおける大きな転換期になるといってもよいだろう。たとえ、それをジャリア軍が予想していたとしても、これからのいくさの結末が、この日を堺に大きく変わることは間違いない。つまりこれは、リクライア大陸全土の命運にも影響する進軍であるのだった。
「進め。隊列を乱さず、進め!」
 隊長のアルトリウスが声を張り上げるなか、訓練されたトレミリアの騎兵たちが、先頭を尖らせたくさび形の陣形で、前後左右の騎馬と一定の距離を保って、整然と進んでゆく。
 騎兵用の鎧に身を包んだアランは、アルトリウスとガウリンのすぐ後ろにつき、馬上からその目をジャリア軍の黒い壁に向けた。
(なんとしても、レーク隊長に剣を届けるんだ。そして……また、仲間たちと一緒に戦うんだ)
 最前線に立って正面から敵に向かってゆくことに恐ろしさはあったが、それ以上に、いまも包囲されるはずの仲間たちを助けるのだという、その強烈な使命感がアランの気持ちを強く鼓舞していた。カリッフィの剣を腰に吊り下げた彼は、必ず敵の壁を突破してやると、手綱を握りしめた。
「敵陣に動きなし」
「このまま進め!」
 左右に広がった黒い敵兵の壁には動きはなかった。まるで、こちらが接近してゆくのをじっと待ち構えているかのような、不気味な静けさが感じられる。
 相変わらず、敵の中央部分にはぽっかりと穴があき、兵の壁がとぎれている。それが敵の誘いであるのは分かっていたが、トレミリア軍はあえてそこを突破することを選んだ。ともかく、まずは包囲されている味方の軍と合流することが最善としたのだ。
 騎馬隊は、後に続く歩兵部隊が離れないよう、比較的ゆっくりと馬を歩ませる。三千の騎馬部隊が前進するにつれ、ジャリア軍との距離が少しずつ縮まってゆく。
「敵陣に依然として動きなし!」
 もう敵兵一人一人の姿が、はっきりと見える距離であったが、相手はまるで、こちらを攻撃する意図すらないよう、まったく動かない。
「よし、いったん隊列を整えよう。しばらく行軍停止」
 アルトリウスは馬上から手を上げ、進軍を停止させた。振り返れば、騎馬隊の後に続く歩兵部隊はいくぶん後方に遅れていた。騎馬隊だけが先行してしまうことを気をつけていたのだが、兵士一人一人のはやる気持ちがそうさせるのだろう。前後に長い隊形であるから、いったん間延びすると、再び隊列が整うのに時間がかかる。この間にジャリア軍が距離を詰めてくると、少し焦るところであったが。
「敵に動きはありません」
 それを聞いて、アルトリウスはほっとしたようにうなずく。
「合図があるまで待機。次に進軍を始めれば、もう敵の投げる槍が届く距離になるぞ。心せよ!」
 わずかな小休止。騎士たちはそれぞれに兜の面頬を上げ、息を吸い込み、従者から受け取った水を口に含みながら、ジャリア兵の黒い広がりを馬上から見やるのだった。
「隊列整いました」
「よし、行軍再開。同時に戦闘用意!」
 号令とともに、再び騎馬隊が動きだす。敵は目前であった。今度こそ、激しい戦闘が始まるのだ。誰もがそう思っていた。
 だが
「ジャリア軍に動きなし!」
 大きく横に広がった敵の隊列は、まったく動く気配はなく、それはまさに黒い壁のように、ただ「そこにある」という風であった。
「敵はどういうつもりなのだ」
 兜の中で眉を寄せ、アルトリアスがつぶやく。
「あくまで、こちらを迎え撃とうというのか。それならば、望み通りに突入してやろう」
「アルトリウスどの」
 横に馬を並ばせたアランが、いさめるように前方遠くを指さす。
「うむ。分かっている。目的はあくまで、敵の包囲の向こうにいる、援軍部隊の救出だ」
「はい」
「そのまま前進せよ。敵陣の穴をつく。向こうが動くまでは攻撃はするな!」
 部隊に指示を出しながら、己自身の昂りを抑えるように、アルトリウスは馬上から四方に目をやった。
 ここまで接近すると、ほとんどジャリア軍の壁に半包囲されるような威圧感があった。ただ、その中央には大きく空間が空いているのも変わらない。トレミリア軍をそこに引き込もうという敵の意図は、もはや明白であったが、こちらはあえてそれに乗り、敵陣を突破して援軍を救出に向かうという算段であった。
 ただ、戦端が開かれるまでは、なるべく無用な犠牲は出したくはない。接近した両軍の間には、静かな緊張が流れていた。
「敵陣に接近。距離およそ五十ドーン」
 敵の壁は目と鼻の先だ。すでに、すでに敵兵一人一人の鎧も区別できるくらいである。
 いつでも剣を抜けるように、アランは馬上で身構えた。
 だが相変わらず敵に動きはない。穴の空いた中央部を埋めるつもりはないというように、左右の黒い壁は微動だにしないのだ。
「まったく動かないな。まさか、このまま通してくれるつもりなのか」
 アルトリウスも、なにかが起こるはずだという猜疑心を持っているのだろう。じっと敵の動きに目を向けながら手綱を握りしめている。敵が動きだせば、こちらもただちに臨戦態勢をとるつもりである。
「距離およそ三十ドーン」
「このまま。このまま前進だ」
 他に選択肢はない。というより、これこそが、援軍を救出する最善の方策であるのだ。
 さすがに肝の据わったガウリンは、無言のまま先頭をゆく。アルトリウスもアランも、それに遅れじと付いてゆく。
 敵の壁の中央に空いた空間も、ここまで来ると、そのおおよその幅が分かる。五十から六十ドーンというところだろう。部隊が通過するには充分な距離だ。
「敵に動きなし。まもなく、敵の壁の間に入ります」
「よし、そのまま警戒を解くな。左右から敵が襲ってくることを念頭に入れておけ」
 先頭をゆく騎馬兵たちは、張りつめた緊張を漂わせて、隊列を乱さぬよう注意を払いながら馬を歩ませる。いったん戦端が開かれてしまえば、混戦となるのは分かっていたが、密集した隊形をとっている分、こちらは簡単には蹴散らされないという安心感はあった。
「敵の壁の間を通過します!」
 それでも、ジャリア軍に動きはなかった。ごくわずかに、包囲が狭まっていた気もするが、それもよく注意しなければ気付かない程度のもので、こちらにさしたる影響はない。
「まさか、本当にすんなり通してくれるとはな」
 アルトリウスは、ほっとしたようにつぶやきながらも、なお警戒を怠るなと部下たちに告げた。両側を敵兵に挟まれながらの行軍など、誰にも経験はない。黒い壁の圧迫感はかなりのものであったが、トレミリアの騎士たちは、内心のとまどいを隠しながら粛々と馬を歩ませた。
「敵に大きな動きなし。前方にも敵は見えません」
 三千の騎馬隊が、くさび形の隊列で整然と進んでゆく。上空から見たならば、それは黒い壁の間を銀色の軍勢が抜けてゆく、というような様子であったろう。
「よし。このまま騎兵部隊が通過できたら、敵に向かって反転攻勢をかけると見せかけながら、北へ進路をとる」
 まだなにも起きなかった。
 ただ、両側に並ぶジャリア兵たちが、こちらを包囲しようとするかのように、向きを変えつつあるように思えた。
「アルトリウスどの」
 気付いたのは、やや前に出ていたガウリンだった。
 すでに部隊の先頭は、敵の包囲の外へ出ようとしていたのだが。
「どうした」
「あれを」
 ガウリンが左手後方を指さした。アルトリウスやアランも、馬上から背後に目をやるが、ここからでは後に続く騎兵たちにさえぎられ、なにも見えない。
 アルトリウスは馬足を早めて、ガウリンの横に馬を並べた。
「おお、」
 振り向いたアルトリウスが声を上げる。
「こ、後方、両側から敵が迫ってきます!」
 その報告はすでに遅かった。
 敵が動きだしていた!
 まるで、それまで開いていた扉が閉まるように、黒い壁が距離を狭めてゆく。ジャリア軍が両側から、後方のトレミリア軍に襲いかかってきたのだ。
「全速前進!騎兵部隊はこのまま駆け抜けるぞ」
「ですが、そうすると後に続く歩兵部隊が……」
「やむを得ん。ここで少数に分断されるよりはな。全速。全速だ!」
「全速、全速前進!」
 アルトリウスの命令を受け、連絡係が声を張り上げる。
 騎馬隊は一気に速度を上げた。
 後方では大変な喧騒が起きている。数百、数千の怒声と鉄と鉄のぶつかり合う響きが上り、あたりはたちまち戦場の空気に包まれた。
「駆け抜けろ。いったん距離をとれ!」
 くさび形だった三千の騎馬隊は、いくぶんばらけて、それぞれに全速で疾走を始めた。
「歩兵部隊はついて来られません!こ、後方は……」
 報告の騎士が、アルトリウスに馬首を並べて叫んだ。
「敵の壁です!」
 馬上から後方を振り返れば、左右から殺到したジャリアたちが黒い塊となって、トレミリア軍を完全に分断していた。
「これがやつらの狙いか……」
 挟撃の予測はしていたが、まさか壁を閉じるようにして、こちらを前後に引き裂くとは。それになんの狙いがあるというのか。 
「よし。いったん停止だ」
「騎馬隊、いったん停止!」
 アルトリウスの命令で、騎馬兵たちはその場で隊列を整えた。
「抜け出せたのはどのくらいだ?」
「はっ、三千の騎馬兵のうち、おそらく二千以上はいるかと思いますが、残りは……」
「くそ。なんということだ……」
 あるいは、はなから前線の騎馬部隊のみを孤立させるのが狙いだったというのか。その証拠に、後方に閉じた敵の黒い壁は、いこうにこちらに向かってくる様子はない。
 アランは、部隊の指揮官であるアルトリウスに馬を並べた。
「どうしますか、アルトリウスどの」
「反転して、敵と戦うべきだ」
 ガウリンが言った。
「分断されたままでは、我々はただ孤立してしまう!」
「ですが、我々の第一の目的は、北の湿原地帯に追いやられた、援軍部隊の救出です」
 反論するアラン。それぞれの言葉に、アルトリウスは迷うようだった。
「私とて、反転して敵と戦いたい。だが、アランの言うように、我らの目的を考えれば……ここは」
 おそらく、このチャンスを逃せば、湿原にいる援軍を助ける機会はないかもしれない。アルトリウスは、おそらくアランと同じようにそう考えていたろう。
「では、みすみす敵の襲撃から逃げるというのですか」
「そうではない。ガウリンどの。作戦には目的があり、戦うべきときがあるということだ。いま混戦の中に我々が取って返したとして、そこにどんな結末がある?それこそ敵の思うつぼだろう。混戦で部隊はさらに痛手を受け、もはや北の援軍どころではなくなる」
 アルトリウスの言葉に、ガウリンは口をつぐんだ。目の前の戦いから逃げることをよしとしない、武人たる彼からすれば、理屈では分かってはいても納得がならないのだろう。
「それに、わが軍とて簡単にはやられはしまい。ブロテどのの指揮する重装兵隊もいるしな。それに、ローリングどのが混乱した全軍を立て直してくれる」
 おそらく激しい戦いが始まっているだろう、後方に見える黒い壁を振り返って、アルトリウスは祈るように言った。
「簡単には、やられまい……」
「では、このまま北へ向かいますか」
 アランはふと前方に目をやった。
「待ってください。あれは……」
「どうした?」
 騎馬部隊がいったん停止したこのあたりは、比較的地面の高低差がある土地で、前方はやや小高い傾斜になっていた。そのせいで、勾配の向こうまでは見えなかったのだ。
「あれは……て、敵です。前方から敵の部隊が!」
 そのゆるやかな斜面の上に、黒い鎧姿がずらりと現れたのだ。
「敵の歩兵部隊のようです。おそらく三千くらいはいるかと」
「我々が突破するのを見越して、ここに兵を伏せていたか」
「戦いますか!」
 勢い込むガウリンに。アルトリウスはなだめるように言う。
「敵が歩兵のみならば、すぐに移動すれば追いつかれまい」
「ですが……また逃げるのは」
「ここで戦うのなら、反転して戦うのも同じだ。我らの目的はあくまで、」
「レーク隊長……いえ、北の湿原地帯の仲間の救出です!」
 アランが言葉を次ぐと、ガウリンはいくぶん不満げにうなずいた。
「ではどちらへ?逃げるなら右か左、つまり北か南だが」
「このまま北へ向かうとしたら、敵の思うつぼだろう。ジャリア軍も、当然そう予想して、兵を配置しているに違いない。草原は広い。ここはいったん南へおもむき、夕暮れを待って北を目指すのがよかろう」
「私もそう思います」
 まっすぐな瞳でうなずくアラン。その素直さに、アルトリウスも好感を抱いたようだった。
「よかろう。では、南へ転進する。敵を引き離すまでは全速だ!」
「転進!南へ向かう」
 触れ係の声が響きわたる。アルトリウスを先頭に、騎馬部隊は南へと進路をとった。


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