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  水晶剣伝説 [ロサリート草原戦(前編)


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 夜になってもジャリア軍の奇襲はなく、翌朝になると、アヴァリスの到来とともに、再び戦いが始まった。
 昨日同様に、ジャリア軍は長槍隊を横に並べて前進してきたが、異なるのはすでに戦端が開かれていることで、トレミリア側はためらいなく弓を使うことができた。
「長弓隊、構え!」
 二千人の弓兵が、空中に向けて矢を引き絞る。長弓の射程は二百ドーン以上、薄い鎧ならば板金をも貫通させる威力がある。
「撃て!」
 放たれた矢が一斉に宙を舞った。
 昇りゆくアヴァリスを正面に、それに向かって吸い込まれるように飛び立った矢が、二千本の黒い影となってジャリア軍に襲いかかる。
 ジャリアの長槍部隊はぴたりと前進を止めた。背負っていた大きな楯をかがけて防御姿勢をとると、そこに、矢の雨が振り注いだ。
 鉄の楯が矢をはね返し、あるいは一部は突き刺さった。
 草地に刺さる矢の中で、黒い鎧姿がむくりと起き上がる。
 敵軍は静かに前進を始めた。
「第二矢、用意。敵からの矢はあるか?」
「いえ、敵は矢を放ちません!」
 鐙に立ち上がった見張り騎士が前方に目を凝らす。
「長槍兵はそのまま前進してきます!距離は百ドーン」
「どういうつもりだ。弓なしで、歩兵戦に持ち込みたいのか……」
 弓兵に指示を与えるのは騎士伯ロッペンである。その横にきたローリングは、前進する敵兵の姿をじっと見つめた。
「いかがいたしますか?」
「ともかく……第二矢を撃て。無駄かもしれんがな。同時に歩兵を前進させる」
「かしこまりました」
 全軍の指揮権は、本陣に控えるレード公爵のものだが、前線での判断はすべてが騎士伯ローリングに委ねられていた。
 ここで下手な動揺や軽はずみな用兵を見せることは、敵に足元をすくわれることになる。まだ奇策をとるときではない。どっしりと構えて戦うのだと己に言い聞かせるように、ローリングは馬上でぐっと眉を寄せた。
「長弓隊、構え!」
 次の矢をつがえた兵士たちが再び弓を構える。敵兵はさきほどよりもさらに近づいている。いまやその鎧姿と、手にした大きな楯とが黒い壁のように、目前にまで迫っていた。
「撃て!」
 今度の矢は、さきほどよりも低めの弾道で放たれた。ジャリア兵は同じように、楯を差し出して防御の姿勢をとる。
「よし、歩兵隊前進!」
 二千本の矢が敵に降り注ぐと同時に、中央の歩兵隊が突進を開始した。草原に地鳴りのような足音と、兵たちの叫びが響きわたる。
「トレミリアのために!」
「おおおっ」
 ジャリア兵も矢を防ぐ姿勢から、再び前進を始めようとする。その隊列に、そうはさせじとトレミリアの兵士たちが殺到する。
 ジャリアの長槍隊に対抗して、トレミリア軍は、新たに歩兵隊の前列に槍を持たせた布陣をとっていた。
 その両者が激突し、激しい戦いが始まった。
 槍と槍が交差し、楯と槍が、鎧と剣がぶつかり合い、鈍い響きと絶叫とが混じり合う。
 槍と槍ということで、はじめは一見して互角に思えた歩兵隊の戦いであったが、すぐにその優劣がはっきりとしてきた。
 ジャリア軍はその戦法をいくぶん変えていた。大きな楯を持った前列の兵士は、対弓用の防御と思われたその楯を使い、トレミリア兵の槍を防いだ。同時に、二列目の槍兵がその楯の間から槍を突き入れることで、防御と攻撃を同時に行うというものである。
 敵の隊列は昨日よりもその間隔を狭めていたこともあり、前進したトレミリア兵が隊列に割って入ることも容易にはできない。そして、やはり訓練されたジャリアの長槍兵の槍術は、トレミリア兵のそれを凌駕した。
 半刻もしないうちに、トレミリアの隊列は押され始めていた。
「騎兵部隊、前進!」
 歩兵の劣勢を見かねて、左翼をになうアルトリウスと、ローリング率いる右翼の騎兵隊が、同時に動いた。
「両翼から突撃をかける!」
「待ってました!」
 いよいよ出撃かと勇み立つレークであったが、すかさずそれに待ったがかかった。
「おぬしの小隊はここで戦況を見ていてくれ。左右両翼で、形勢の悪い方へ応援を頼む」
「ちぇっ、分かったよ。指揮官閣下!」
 レークはいったん手綱を握りしめた手をゆるめ、動き始めたローリングの騎兵部隊を見守った。
「お前ら、ちっと待っとけ。またすぐに出番が来るからよ」
「はいっ」
 従順な部下たちは、待機命令に素直にうなずく。横にいるアランも、ラシムも、面頬から覗かせた顔は引き締まっていたが、すでに実戦を経験したことで、昨日よりはずいぶんと硬さもとれているようである。
「なかなか頼もしいぜ」
 前方に目を戻すと、ローリングをはじめとして、ロッペン、ヤコンらの騎士に指揮された右翼の騎馬部隊が、速度を上げて敵に突進してゆくところだった。
 すかさずジャリア側も、それに合わせるように騎兵隊を前進させてきた。中央では歩兵隊、両翼では騎兵同士が激突してゆく。戦いは一気にその激しさを増した。
 ジャリアの騎兵隊は、トレミリアの騎兵を中央部に寄せつけぬように、厚い隊列を作っていた。それは歩兵隊の優勢を守るというような陣形であり、長期戦を考えての構えに思われた。
「くそ。じりじりしやがるな」
 後方から戦いの趨勢を見守るレークは、馬上でいらいらとしながら握った槍で地面をコツコツと叩いた。
「隊長。このままでは中央の歩兵隊はどんどん不利になります」
「ああ、分かってる」
 横にいるアランにも、味方の苦戦がはっきりと見て取れるのだろう。その顔つきは厳しく、槍を持った手をぐっと握りしめる。
「なんとか……なんとか、したいです」
「……ああ」
 それでも高ぶる気持ちを抑えて、つとめて冷静に戦況を見極めるべく、レークは馬上から前方を見渡した。
 ジャリアの騎兵部隊は、こちらの右翼を入り込ませぬようにと人数をかけているように見える。それに比べるとアルトリウス率いる左翼の騎兵隊は、動きがスムーズで互角に戦っているようだ。
「よし、左だ」
 そちらから回り込めば、苦戦する中央の歩兵隊の援護にゆけるとレークはふんだ。
「左翼の大外から回るぞ!」
「はいっ!」
 待ってましたとばかり、小隊の部下たちは声を上げた。
 レークを先頭にして三十騎が動きだす。
 臨機応変、即断即決、小隊だからこそできる迅速な行動力、それが、この大きな戦いでは重要になるはずだと、手綱を握りながらレークは己に言い聞かせた。
 全軍の後方を回って味方の左翼を前方に見る位置につくと、レークは部下たちに告げた。
「お前ら、今日は昨日以上の危険な突撃をするぞ。いいか、左翼の大外から回り込み、敵の騎兵隊を突破して、中央の長槍隊に突撃する。あるいは、誰かが犠牲になるかもしれねえ。だが、決して止まるな。たとえ横の仲間が落馬してもだ。これは命懸けの突進だぞ。とにかく、敵を突き破る。いいな!」
「おおっ、トレミリアのために!」
「トレミリアのために!」
 若き騎士たちは、己自身を鼓舞するように、剣と槍を手に叫んだ。
 面頬を下ろして槍を手に構える。
「いくぜ、突進!」
 掛け声とともに拍車つきのブーツが馬腹を蹴った。
 騎士隊は疾走を始めた。
 ドドッ、ドドッと、草原の上に馬蹄が響きわたる。
 昇り始めたアヴァリスの方角へ。
「よし、いったん距離をとるぞ」
 小隊は左から回り込むようにして離れてから、角度をつけると、敵味方が入り乱れる戦場へ突進した。
 アルトリウス率いる左翼の騎兵部隊は混戦の只中にあった。敵の騎兵隊と正面からぶつかり、互いに交差して、再び反転して突撃というのが、騎兵隊特有の戦法であったが、何度かの突撃で、もうすでに全体としてのタイミングがずれていたため、突撃するもの、反転するもの、敵味方が大いに入り乱れて、大変な状況に陥っていた。
「突撃、突撃だ!」
「反転、いったん離脱!」
 叫び声と怒声とが混じり合い、敵の馬と交錯して慌てて剣を振り上げるもの、落馬するもの、近すぎて槍が役に立たず、敵のメイスに頭上から襲われるもの、それぞれがただ、目の前に現れた敵に行き当たりばったりで対処するという、統制なき戦いをすることを余儀なくされていた。
 そこにいきなり、レークの小隊が横から飛び込んできた。
 混戦のさなかに突っ込んできた新たな騎馬隊に、ジャリア軍はもちろん、味方のトレミリア騎兵たちも仰天した。
「すまねえな。通してくれよ!」
 敵も味方も入り交じった乱雑な混戦の中を、小隊は強引に突っ込んでゆく。
「な、なんだ。敵か?……いや、違う」
「なんだこいつらは!」
 反転しかけていたトレミリアの騎兵が体制を崩しかける。
 ジャリアの騎兵たちも、一瞬、呆気にとられたようにして動きをとめた。そこをレークとラシムの槍の一撃が蹴散らしてゆく。
「おらおら、突破するぞ、てめえら!」
 レークの叫びとともに、くさび形の陣形の小隊が強引に戦場を横切る。目の前のジャリア騎兵をなぎ倒し、ときに味方の間を器用にすり抜けて。
「よし、もうちょいで、中央にでられるぞ」
 だが、そこを行かせぬとばかりに、ジャリアの騎兵の隊列が立ちふさがった。
「ラシム、前に出ろ。一点突破だ」
「は、はい!」
 長身のラシムが先頭になり槍を突き出すと、その恐るべき迫力に、いかなジャリアの騎兵といえどもひるんだようだった。
「いくぜ!」
「おおっ」
 気合もろとも突進する。
 ガガッ、バキバキッ、と音が上がり、軽い衝撃とともに、
 敵の隊列を突きやぶった。
 と、目の前には空間がひらけた。
 同時に、歩兵同士がぶつかり合う戦場の光景が目に入った。
「よっしゃ!このままいくぜ」 
 部下たちが続いていることを確かめると、レークは恐れも見せず、そのまま戦場に突き進んだ。
「ラシム、槍を投げ込め!」
「はいっ」
 馬上からラシムが思い切り槍を投げつける。
 いきなり側面から騎兵隊が突入してきたのだから、驚いたのは敵も味方も同じだったろう。槍をよけようとジャリア兵の隊列が乱れた。そこへ、レークが突っ込む。
「続けっ!」
「おおっ」
 剣を抜いたラシムとアラン、それに小隊の騎士たちが、レークに遅れじと突入する。
 横合いからいきなり現れた騎兵隊に、ジャリア兵は明らかに同様を見せた。
「うわああっ、敵の騎馬隊が」
「ぎゃあっ」
 レークらは馬上からジャリア歩兵を次々に斬り伏せ、さらに深くへと突進する。
 味方であるはずのトレミリアの歩兵たちも、いったいなにが起こったのかと、一瞬呆然となっていた。だが、それが味方だと分かると、その突進によって崩れたジャリアの隊列に向かって斬り込んでゆく。
「おらっ、ジャリアのくそったれども!」
 馬上から次々に敵を斬りつけながら、混戦の中を突っ込んでゆく。この無謀とも思える特攻を、レークは気合と体力にまかせて駆け抜けようとしていた。
「ぐわっ」
「ぎゃああっ」
 敵とも味方ともわからぬ絶叫が前後で上がり、ガツガツと鉄のぶつかり合う響きが混じり合う。耳の奥がしびれるような感覚……気を抜くと、ふっと気が遠くなってしまいそうな奇妙な意識の痺れ。
(これが、いくさか……)
 無意識に剣を振り下ろし、相手の兜を叩き割る。飛び散る血を視界の端に見ながら、すでにもう次の敵を探している。
 わあわあと、音という音が重なって響き、まるで前後が分からなくなるような気持ち。
 不安感と高揚が入り交じり……それを打ち消す残酷なる自分が声を上げる。
「ちくしょうが!」
 ただ前に進み、敵に剣を叩きつける。果てしもないその繰り返し……
(まるで、いくさをする人形のようだ)
 そんなことを思いながら、また目の前の敵兵に剣を叩きつける。
「隊長!」
 後方で声がした。
 しかし、振り返る余裕も、立ち止まることもできない。
 ただ目前の敵を吹き飛ばし、前へ進む。いまはそれだけしかできない。
「隊長っ!」
 今度こそレークははっとなった。
 眼前には数千の黒い鎧たち。ジャリアの長槍兵が、そこに集結していた。
 調子に乗って敵の隊列の奥深くまで突き進んだが、これ以上の突破は不可能であった。
「くそっ、ここまでか!」
 左右を見渡して、敵の少ないほうへ方向を一瞬で見定める。
「離脱!いったん離脱だ。付いて来い!」
 そう叫ぶと、レークは地に濡れた剣を振りかざし、そちらへ突っ込んだ。

「何人やられた?」
戦場から離れた場所まで来ると、ようやくレークは馬をとめた。
 集まった部下たちは、みな鎧や兜にダメージを負い、あるいはたっぷりと返り血をつけたありさまで、ひどく荒い息をついていた。
「ラシムはいるな、アランは?」
「は、はい」
 応えたアランは兜の面頬を上げ、べっとりと脂汗をかいた顔を覗かせた。
「確認します……残っているのは、二十、二十二人であります」
「てことは、やられたのは八人か……くそ」
 それでもあれだけの決死行であるから、半分以上が生き残っているのは奇跡的と言ってもよかったかもしれない。
「隊長、トビーが!」
 手を上げたのはカシールだった。馬上でぐったりとなった仲間を心配そうに見やる。
「やられたのか?」
「は、はい。傷を負ったようです」
「そうか。よし、このまま陣内まで引き上げるぞ。そこで手当てをさせる」
「だ、大丈夫……ですよ」
 馬上で腹を抑えながらトビーが声を出した。かろうじて意識はあるようだった。
「おい、しっかりしろ」
 腹を槍で突かれたのだろうか、出血がひどい。鎧から流れ出た血が鞍にまでしたたっている。
「ともかく、ここにいては敵に狙われる。戻るぞ。誰かトビーを支えてやれ」
「はい」
 カシールがトビーの馬に並んで、並走する馬の手綱を引く。
 小隊がトレミリア軍の陣地内まで戻ると、すでに多くの負傷者たちが運び込まれてきていた。鎧姿のまま血だらけでうずくまるもの、仲間から手当てを受け、ぐるぐると包帯をまかれるもの、あるいは横たわったまままったく動かないものなど、治療用の天幕には入りきらない兵士たち、騎士たちが数百人はいただろう。草や地面の上に血がしたたりおち、あちこちから苦しげなうめき声が上がっている。
「こいつは、けっこうな負傷者の数だ。どこの天幕もいっぱいみたいだな」
 仲間たちが手伝って馬からトビーを下ろしてやる。兜を脱がせると、その顔はひどく青ざめ、いまはぐったりとして意識はないようだ。
「よし、トビーはオレの天幕に運べ」
「はい、隊長」
「ケリー、すぐに医者を呼ばせろ」
「かしこまりました」
 レーク付きの従者が駆けだしてゆく。カシールとアランが両側からトビーを支え、足を引きずらせながら天幕へと運んでゆく。
「他のやつらは休息をとれ。それからまた出撃準備だ」
「はいっ」
 馬を降りるとレーク自身も、肩や足などがずきずきと痛んだ。大きな怪我にはなっていないようだが、混戦の中で敵にぶつかりながら、無茶な突破をしたのだから、この程度は当然といえば当然であった。
「いてて、うう……本当、俺だってこのまま天幕で休みたいぜ」
 歩いてゆくと、そこら中に負傷者や、すでに息絶えた兵士たちが横たわり、代わりにこれから出撃してゆく騎士たちがあわただしくすれ違ってゆく。あたりには血の匂いと消毒や治療のためのアルコールの匂いなどが充満し、つい数日前とはまったく様子が変わっていた。
「こいつが、いくさってやつなんだな……」
 負傷した仲間の名を呼ぶ声や痛切なうめき声、そして命令を下す騎士たちの怒声、それらが混ざり合い、けたたましい喧騒となって、頭に響いてくる。けっこう痛む左足を引きずり気味に、レークは自分の天幕の方へ歩いていった。
「どうだ、トビーの具合は」
 天幕にはアランとカシール、それにラシムがいて、医者の施す治療を見守っていた。
「は、はい……それが」
 アランがぐっと眉を寄せる。友人でもある仲間の容態が心配なのだろう。
「よろしくないな」
 そう答えたのは医者だった。四十を超えたくらいの、額のはげ上がった医者は、その鷲鼻に皺を作って首を振った。
「まず背中に打撲、右の腹に深い傷。折れた骨がはらわたに突き刺さっとる。出血が止まらん」
「治せないのか?」
「ここでは無理じゃな。設備もないし、人手もない。いい薬もなければ、替えの包帯すらも不足しとる。かろうじて、骨を戻して包帯できつく腹をまいたが、他にはどうしようもない」
「そんな……トビー」
 カシールが目に涙を浮かべる。彼自身も、その鎧にたくさんの返り血を浴び、打撲や傷を負っていたが、それよりも仲間の重傷にショックを受けているようだった。
「しっかりしろ、トビー。ずっと、ずっと一緒に剣の稽古をしてきただろう。こんなところで、死ぬなよ……くっ」
 アランもその声をかすれさせた。額に血のにじむ包帯を巻き付け長身のラシムは、黙ってじっと立っている。おそらくは、彼の働きがなければ、もっと多くの犠牲が出ていたことだろう。
「今はもう、他に手の施しようがない。一気に失血することはないが、おそらく徐々に……おそらくは、もって今夜までというところだろう」
「そうか……」
 最初に会ったときの、明るく洒落っけのある若者の姿を思い出しながら、レークは青ざめた顔で横たわるトビーを見つめた。
「おや、あんたも怪我をしているようだな。その足は……ちょっと見せてみなさい」
「なに、大丈夫だよ。こんなくらい」
「いや、いかん。隊長さんなんだろう。怪我をしていては、思うように戦えまい。どれ」
「おっ、いたっ、痛っ……はなせ、はなしやがれ!」
 ぐいぐいと左足を引っ張られて、レークは思わず呻いた。
「こりゃ、そうとう腫れとるぞ。膝当てを外してちゃんと診せてみろ」
「大丈夫だっての。痛たた……」
「もしかしたら、骨が折れとる可能性もある」
 ひどく痛がるレークを見て、部下たちも心配そうに言った。
「隊長、大丈夫ですか?」
「レーク隊長に、もしものことがあったら……」
「大丈夫だよ、心配すんな。ちょっと打っただけだ。こんなモンちょっと休めば治らあ」
 まだしつこく足を触ろうとする医者から離れると、レークは部下たちにうなずきかけた。
「また出撃するがな……お前ら、トビーのそばにいてもいいぞ。ああ、ラシムは来てくれ。お前がいるといないのとでは、戦力がだいぶ違うからな」
「いえ、僕らもいきます」
 アランはきっぱりと言った。
「自分は仮にも隊の副隊長ですから。それにトビーだって、我々に戦ってもらいたいと思っているはずです」
「そうか。そうだな……」
 少しの休息のあと、レークの小隊は再出撃の準備を始めた。だが、日が傾く頃になると、昨日同様にジャリア軍が後退を始めたという知らせが入った。
 トビーが息を引き取ったのはそれから間もなくだった。

「敵はいったいどういうつもりなのでしょう?」
 レード公の天幕には、今日も大隊長クラスの騎士たちが集まっていた。激しい戦いで、彼らの顔には昨日よりも傷が増え、鎧やマントもずいぶんと汚れているものもいた。
「優勢であったのは、明らかにジャリア軍の方でした。にもかかわらず、またしてもあっさりと退却するというのは」
「おそらくは、時間稼ぎではないかと」
 そう言ったのは、オライア公騎士団団長のハイロンだった。
「おそらく、敵軍はジャリア本国からの増援を当てに、いくさを長引かせるつもりなのでしょう」
「だが、そうであるなら、こちらとしてもむしろありがたい。最新の早馬の知らせでは、セルムラードからの援軍が、すでにフェスーンに向けて出発したということだ。フェスーンでトレミリア軍の増援部隊と合流し、もう三日もすれば一万を超える援軍がここに到着するだろう」
「おお」
 ローリングの言葉に、テーブルを囲んだ騎士たちがうなずく。
「だが、それにしても、明日も敵が同じような戦法でくるとしたら、こちらの犠牲もまた同じように出ることを考えねばなりませんな」
「アルトリウスどののいう通り。報告では、今日だけで死者は千人以上、三千人を超える負傷者が出たことになる」
「このままでは、援軍が来る前に、ずいぶんの数の兵力を失うことになります」
「うむ」
 騎士たちの言葉を聞きながら、全軍の司令官であるレード公はじっと腕を組む。
 その静まり返った天幕に、ひょっこりレークが入ってきた。
「こりゃ、みなさんおそろいで。ちっと遅れちまいまして、申し訳ないこって」
 へらへらとした笑いを浮かべて、元浪剣士の小隊長は、名だたる騎士たちの横を通り抜けた。レークにしてみれば、部下であるトビーの死を聞かされ、内心では動揺があったのだが、それを見せまいとむしろ明るく振る舞っていたのであったが。そんなことは知らない騎士たちは、一様に眉をしかめた。
「我が小隊の素晴らしい活躍もあって、今日もジャリアどもを撃退したってことで、よかったですなあ」
「よかった、だと……きさま」
 さっきから気に食わないふうにレークを睨んでいたが、とうとう我慢できずに声を上げたのは、マルダーナ騎士団副団長のガウリンだった。
「貴様の無茶な突進のおかげで、前線が混乱したことを分かっているのか?」
「へ?なんだって?オレたちは、ちんたらと戦っているあんたらを援護してやろうと、命懸けで戦ったんだぜ。礼を言われるのが筋ってもんだろう」
「きさま……」
 鋭い形相でレークを睨むと、ガウリンはぐっと拳を握りしめた。
「お前の勝手な小隊のせいでな、俺の片腕だったラウリがやられた。お前の無謀な突進がどれだけの混乱をまねいたと思っている」
「へっ、それはこっちも同じだ。あんたらを助けるためにな、大切な若いやつが死んだんだ。へっぽこな歩兵部隊が、ジャリアどもに押されてたからだよ」
「このっ」
 ガウリンの拳がレークの顔面を殴りつけた。
「ぐっ」
 不意をつかれたレークは、そのまま後ろに倒れこんだ。
「この、浪剣士風情の素人が!」
「この……野郎」
 すぐに立ち上がったレークは、痛みに顔を押さえた。鼻から血がしたたる。
「やりやがったな、てめえ……」
「やるのか、このならずもの上がりの下司が!」
 ガウリンが腰の剣に手をやる。
「やめぬか、レード公爵閣下がおられる前だぞ!」
 ローリングの一喝でガウリンは剣から手を離した。レークの方は、まだ拳を握ったまますぐにでも飛び掛かろうかというように、ガウリンを睨んでいる。
「ここは理性をもって行う軍議の席である。いさかいなら外でやるがよかろう」
「しかし、ローリング卿……、いやレード公閣下にもこの際なので申し上げたい」
 鼻血をぬぐうレークを指さして、ガウリンはまるで告発するかのように告げた。
「このものは、命令にはない無謀な突進を行ない、前線を大変な混乱に陥れた。多くの同胞の戦いの邪魔をし、数多くの犠牲が出た。それもすべては、このものの勝手きわまりない行動がまねいたこと」
「なんだと……オレは」
 レークは込み上げてくる怒りに言葉をつまらせた。仲間が、トビーが死んだというのに。
「元浪剣士の愚策、そのせいで前線の態勢は乱れ、混乱し、敵の付け入る隙となった。左翼の騎兵を率いておられたアルトリウスどのも、そう思われるだろう?」
「それは、確かに……」
 三十台後半のベテラン騎士であり、トレミリアに名高いサーモンド公爵騎士団を率いるアルトリウスは、その口髭に手をやり、うなずいた。
「我らの騎兵隊の真横から突入してきた彼の小隊のおかげで、こちらもずいぶんと混乱してしまった。隊列を立て直すこともなかなかできず、数十人の騎士がやられた」
「ということです。レード公閣下。このものの小隊は、やみくもに戦場を混乱させ、その結果、無用の犠牲者を出すことになりました。私は、彼の小隊を解散、ないしは前線から排除することを望みます」
 ガウリンの厳しい言葉に、天幕にいる騎士たちは黙り込んだ。おそらく、同様に感じているものもいるのだろう。うなずくものや、それが当然というように鋭くレークを見るものもいた。
「なるほど。ガウリン卿、そちがそう言うのなら、それはゆえあってのことなのだろう」
 テーブルを囲む隊長騎士たちを見回し、レード公は言った。
「よかろう。では、ここにいる大隊長たちに選択を委ねる。このレーク・ドップの小隊を不要であると思うものは、卓に手を乗せよ」
「はっ」
 真っ先に手を伸ばしたガウリンに続き、アルトリウスも卓の上に手を置いた。続いて、同じく歩兵隊を率いるハイロン、騎兵隊のケイン、フレイン、そしてレード公を守る後方部隊のリンデス、ヨルンも手を置く。
「……」
 ローリングとブロテは腕を組んだまま動かない。それに歩兵隊のクーマンも迷うようにしたが、結局手を出さなかった。
「十二人中で七人か……では決まったな」
 レード公が重々しく告げた。
「レーク・ドップの騎兵小隊は、当面補充戦力として、陣内にて待機。命令が下るまでその活動を禁じる」

 天幕から出てきたレークを待っていたのは、アランとカシールだった。
「隊長……なにか、あったのですか?」
 鼻を赤くしたレークの様子を見て、二人は心配そうに尋ねた。
「まあな。隊のことだがよ。解散……とまではならなかったがな。命令があるまでは活動禁止だとよ」
「そうですか……」
 アランとカシールは黙って顔を見合わせた。
「すまなかったな、お前ら」
「そんな、レーク隊長は悪くありません」
「そうです。トビーが死んだのだって……隊長の責任では」
「いや……」
 レークは力なく首を振った。
「もしかしたら、オレは間違っていたのかもしれん。トビーをはじめ、何人もの命を預りながら、それを守れなかった。オレはなんだか、自信がなくなった」
「そんな……」
 二人の若き騎士は、いつになく落ち込むようなレークを前に、かけるべき言葉を知らなかった。
 


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