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  水晶剣伝説 [ロサリート草原戦(前編)


X

「おおっ!」
「うおおっ」
 兵士たちの雄叫びは、すぐに武器のぶつかり合う、激しい響きにかき消された。
 ガキッ、ガガッ
「ああっ」
「ぎゃあっ!」
 最初の犠牲者が声を上げ、びゅっと血がしぶく。
 剣と槍がぶつかり、鎧と槍が、そして剣と楯が、次々にぶつかり音を立てる。
 朝を迎えた大草原は、一瞬にして、いくさの喧騒に包まれていった。
 ジャリアの歩兵隊は、一人一人が距離をとった横並びの隊形であったが、それは彼らの主要武器である長槍を存分に振り回すための戦法であることが明らかになった。
「ぐわっ」
「あああっ!」
 絶叫を上げるトレミリア兵……その腕や首に、フォーサールの強烈な一撃を受けると、たとえ鎧の上からであっても致命傷になる。こちらの剣の間合いに入る前に、遠目からたたき落とされる長槍の刃は、恐怖以外のなにものでもなかった。
「ああっ、腕が!」
 二の腕から吹き飛ばされ、ひるんだところに、長槍の刃を肩に打ち落とされると、もうひとたまりもない。
「ぎゃあああっ」
「うわああっ」
 トレミリア兵の悲鳴と絶叫があちこちで上がる。
 重量のある長槍を扱うには、相当の訓練が必要であったが、ジャリア兵のすべてはそれを軽々と振り回し、的確にこちらの頭や腕を狙ってくるのだ。
 だが、一方ではなんとかその間合いに飛び込めば、長槍の攻撃は意味をなさなくなる。何度かの攻撃を見極めると、至近距離から剣を突き込んで、上手くジャリア兵を倒してゆくものもいた。
「いいぞ。恐れずに飛び込め。敵の長槍が下がった瞬間を狙え!」
 敵が長槍を振り下ろした瞬間に、懐に飛び込んで剣を突き刺す。そのタイミングに慣れてくると、長槍の攻撃に押されていたトレミリア兵たちが巻き返した。とくにマルダーナ公騎士団のガウリンが指揮をする中央部では、ガウリン自らが戦闘にたち、ジャリアの長槍兵を倒していった。
 だが、トレミリア軍の巻き返しは長くは続かなかった。
 ジャリアの長槍隊の二列目が接近してきて、前列の兵の隙間から現れた。前列が後退すると、それに替わって二列めの兵士が槍を突き出し、攻撃を終えるとまた後退し、もとの前列が再び前進するという、いわば交互の攻撃を始めたのだ。
 間断なく突き出される槍に、懐に飛び込もうとするトレミリア兵は次々に餌食になった。
「ひるむな。前進せよ!トレミリアのために」
 隊長クラスの騎士たちが、鼓舞するように声を出す。だが、容赦なく突き出されるフォーサールの刃に、横にいる仲間が貫かれると、いかに勇敢な騎士たちにも、わずかなためらいが生まれる。
「わああっ!」
「ぎゃあっ」
 絶叫が交差し、血が飛び散る。剥がされた鎧が転がり、兜ごとなぎ払われて倒れこんだその体につまずいて、また別の騎士が敵の長槍に差し貫かれる。
 ジャリアの黒い隊列は、無慈悲なまでに整然と、槍を突き出しながら、入れ代わりの攻撃をこなしていった。 
「くそ、いつまでここから見ているつもりだ」
 ローリング騎士伯の指揮する右翼の騎兵部隊の中、レークは馬上でいらいらとしていた。
 前進する歩兵隊の、その一進一退の攻防を、離れた場所から見守るというのは、ひどくじりじりするものであった。もしも、自分が隊長の立場にいなかったら、勝手に馬を駆って飛び出していたかもしれない。
「前のほうは、なんだか旗色が悪そうじゃねえか。おい、アラン」
「はいっ」
 レークの後方に控えるアランは、隊長に呼ばれて、嬉しそうに馬首を並べてきた。
「おまえ、ちょっと、ローリングのとこへいって訊いてこい。こっちはもう動いてもいいかってな」
「はっ、了解しました」
 軽やかにアランの馬が動きだす。並んだ騎兵たちの間をぬってゆく、その手綱さばきはじつに見事であった。
「なるほど。あれぞ騎兵ってもんだろうな。混戦での伝令にも奴ならうってつけだ」
 騎馬にまたがるレークは、いつになくしっかりと鎧を着込み、隊長である印でもある飾りつきの兜をかぶっていた。腰にはオルファンの剣と、接近戦用の短剣を差し、左腕には丸形の楯を装備している。本来は、縦に長いカイトシールドで足まで覆うのがバナレット騎士たるものなのだが、身軽さを好むレークは必要最小限のものでいいとこれにした。
「どうせ敵の矢が降ってきたら、当たるときゃ当たるんだ。いくら自分の体を楯で防いでも、馬に刺さっちまったら元も子もねえだろう」
 というのが、レークの言であった。それに、三十人という小部隊である以上、できうるかぎり身軽に移動し、効果的な戦いをすることが役目であると、自身でも分かっていた。
「レーク隊長」
 横にきたのはカシールだった。手綱を取る若い騎士の、その面頬から覗く顔には、いくぶんの不安な色があった。
「どうした?落ち着かねえのか」
「はい。自分は、実戦は初めてですので」
 フェスーンの宮廷でずっと平和に過ごしてきた貴族騎士の若者にとっては、実際のいくさの緊張感というのは、味わってみて初めて分かるものなのだろう。主の緊張が伝わってか、彼が手綱をとる馬が、ブルルと低くいななく。
「戦いが始まっちまったらな、あとはもう、ただ、やるか、やられるかだけだ。いいか」
「は、はい」
「貴族の試合や決闘なんかとはワケが違うんだ。目の前の相手に容赦はするな。生き延びるためにはな。たとえ敵が命乞いをしようが、背中を向けようが、決して油断するな。自分が生き残るためにはな、ただ目の前にいる敵をやるだけなんだぜ」
「わ、わかりました」
 馬上でうなずくカシールだったが、その顔はやや青ざめている。人と人との殺し合いであるいくさへ、これから自分も向かってゆくのだという実感が、己の中に渦巻いてでもいるのだろう。
 レークの部下である若き騎士たちは、そのような緊張と不安とにか、みな馬上で顔つきを固くしている。それも無理はない。敵はあの悪名高い黒竜王子率いるジャリア軍であり、たとえ今日一日を生き残れるという保証ですら、ここにいる誰にも確かではないのである。
「レーク隊長」
 アランが戻ってきた。
「これから左翼を指揮するアルトリウス様が前に出るそうです。我らも、それについて前進してよしとのことでした」
「そうか、ようし」
 レークは己の部下たちを振り返った。
「お前たち。いいか、これから左翼に回るぞ。いよいよ戦いだ!」
 若き騎士たちはその顔をさっと緊張させ、馬上から「おおっ」と声を上げた。ここまできたら、あとはジュスティニアとゲオルグに加護を祈るしかない。
「付いて来い」
 レークを先頭に、少人数の騎馬部隊が動きだす。
 全軍の後衛を回り、左翼に出ると、アルトリウスの率いる二千の騎馬隊が、ちょうど前進を始めるところだった。
「遅れるな、オレたちは左翼のさらに外側に出るぞ」
 アルトリウスの部隊にまぎれてしまわぬよう、部下たちを固まらせて隊列を作らせる。
「前進!」
 号令とともに、アルトリウス大隊の騎兵が一斉に走り出す。
 ドドドと、馬蹄が草原に響きわたる。
 土埃と草が一斉に舞い上がり、騎兵たちの上げる「おおお」という叫びが、あたりにこだまする。
 二千の騎兵が、敵の長槍部隊をめがけて側面からぶつかってゆく。とたんに、剣と槍がぶつかる激しい音と、絶叫とが交差してゆく。
「行けっ、倒せ。ジャリアどもを!」
「おおっ」
 いくぶん押され気味だったトレミリアの歩兵たちも、味方の騎兵隊の参戦で再び力を得たように、再び前進する。
「敵の騎馬隊がきます!」
 こちらの動きに合わせるように、ジャリア側の右翼から騎馬隊が突進してきた。
「よし、てめえら。いくぞ」
 レークの小隊は、アルトリアス隊の左外に付きながら隊列を整えていた。
「いいか。基本はチャージ、アンド、アウェイだ。敵と接近して、タイミング良く攻撃、そしてすぐに離れろ。馬上槍試合の要領だぞ」
「了解しました!」
 たった三十人の小部隊であったが、馬術と剣の実力で選ばれた精鋭たちである。誰もひるむような様子はない。
「敵の騎馬とすれ違って、攻撃には遠い距離であれば無理するな。防御に徹して、次の突撃に備えろ。じゃあいくぞ!」
「おおっ」
 レークを先頭してに、三十騎がくさびのような隊形となり、一斉に走り出す。
 アルトリウスの騎馬隊が敵の騎兵と正面からぶつかる。そこを抜けてきた敵騎兵に狙いを定めて、彼らは突進した。
「おらっ」
 馬上で剣を振り上げ、急接近した敵とすれ違いざまに、思い切りなぎ払う。
 ガガッ、
 剣が鎧にぶつかる手応え。一瞬にして、敵が馬上から転がり落ちる。
 すぐに次の敵が接近する。今度は左側だ。
 馬上で体をひねりながら、タイミングよく剣を振り下ろす。
 あの、フェスーンの剣技大会での馬上槍試合を思い出しながら、レークは相手との距離を冷静にはかり、剣を振り上げ、馬を走らせた。
「よし、いったん離脱だ!」
 レークの合図で、部下たちもさっと敵から離れる。 
「どれだけやられた?」
 戦場から少し走って距離をとると、レークは兜の面頬を上げて、付いてきた部下たちを振り返った。
「はっ、我が隊の犠牲者は、おりません!」
 隊の人数を数えたアランが報告する。
「おお、そりゃすげえ。誰もやられちゃいないってことか。いいぞ」
 部下たちも、ほっとしたように面頬を上げ、互いに仲間の顔を確認し合っている。
「で、お前ら、敵をどれくらいやった?オレは三人だ」
「私は一人倒しました!」
「私は二人です!」
 トビーとアランが誇らしげに言う。
「僕は、一人です」
 カシールは、やや気恥ずかしそうに言ったが、それにレークは大きくうなずいた。
「上出来だ。他には」
「私も一人」
「私も一人です」
「私は三人やりましただ!」
 大きな声を上げたのは、馬上においてもひと目でそれと分かる、長身のラシムだった。
「ほう、やるじゃねえか。お前」
「どうもです」
 これまた身長に似合った大きな剣を手にして、ラシムは元気そうに笑った。
「よーし、じゃあ最初の突撃で、こっちは十二人倒して犠牲はまったくなしってこったな。最高のすべりだしじゃねえか」
 若き騎士たちは、初めてのいくさでの突撃に、みな興奮していた。
「よし、この調子でゆくぞ。隊列を整えろ、次いくぜ!」
「はいっ」
 誰もが見事な手綱さばきで、素早く隊形を直すと、彼らは再び走り出した。
 次の突撃においても、レークの小隊は、敵の騎兵隊の側面から突入し、効果的なダメージを与えた。若き騎士たちも、最初の緊張を通りすぎると、徐々に慣れてきたように、すれ違いざまに馬上から上手く剣を繰り出して、多くの敵を落馬させ、負傷させた。
 その後も、突撃するごとに、二十人、三十人と、小隊はその戦果を増やし、遊撃としての役割を充分に果たしていった。
 六度めの突撃のあと、レークは隊をいったん自陣に引き上げさせた。
「ようし、そろそろ小休止だ。各自、休憩ののち半刻後に集合。アラン、こちらの損害はあるか?」
「いまのところ負傷者は三名、うち二名は軽傷です」
「よし。そいつは手当てを受けさせてやれ。残りの二十九人は大丈夫だな」
「おおっ」
 戦いの高揚感と、自分がなし遂げた手柄の誇らしさに、騎士たちはその顔を火照らせながら声を上げた。
「草原での騎馬戦ってのも、なかなか緊張するもんだな」
 陣地に戻り、馬から下りたレークは、兜を脱いで、顔からびっしょりとしたたる汗を拭いた。彼にしては珍しく、兜はもちろん、胸から肩、腰に膝、そしてすね当てという、全身に鎧をまとった姿である。
「それに、こんなに鎧をつけたのは、あの馬上槍試合のとき以来だぜ」
 もちろん、試合用の重い板金の鎧に比べれば、必要最小限といってもよい軽い鎧であったので、そう動きにくさは感じなかったが。着慣れない鎧での戦いに、いつも以上に汗をかいた。どうしても馬上で四方の敵と戦う混戦では、いかにレークとはいえ、不意に手足に攻撃を受けることもあるだろうから、小手やすね当てを身に着けるのもいたしかたない。
 従者から水筒を受け取り、水を飲み干すと、ようやく人心地ついた。
「お食事もなさいますか?」
「いや、いい。またすぐに出るからな。馬にも水と飼い葉をやっておいてくれ。それから、そうだな……槍を用意してくれ」
「槍でございますか」
「ああ、軽めのやつでいい。馬上で使えそうなやつを五、六本たのむ」
「かしこまりました」
 従者が走り出してゆくと、入れ代わるようにアランが近づいてきた。
「レーク隊長」
「おお。お前も、なかなかの活躍だったじゃないか」
「ありがとうございます!」
 頬を紅潮させ、嬉しそうにうなずく。
「少し休んだので、もういつでも出てゆけます」
「それは頼もしいな、ところでお前。馬上で槍は使えるか?」
「は、一応、練習はしたことがありますが」
「ならいい。お前と、もう二、三人に槍を持たせる。オレを含めて五人くらいを先頭に、槍を手にして突撃する。その方が、きっと効果的だと思ってな」
「わ、分かりました。槍でも斧槍でもいけます」
「ふむ」
 アランの言葉に、レークはなにか思いついたようだった。
「ハルバード(斧槍)か……なるほど。馬上で使うにゃ、いささか重い代物だが、やつなら……」
「隊長?」
「よし」
 にやりと笑うと、レークはアランの肩をぽんと叩いた。
「もうすぐ集合だ。準備をしておけよ」

 それから半刻を待たず、小隊の若き騎士たちは、装備を整えて集まっていた。誰もがはやる気持ちを押さえきれぬように、すでに乗馬してレークの命令を待っている。
「ようし、いいかお前たち。明日のことは考えるな。今日を生き残ることを考えていろ」
「はい」
「次の出撃で、ちっと試したいことがある。基本的にだ、オレたちの隊は遊撃の役割ということで、なるたけ身軽な装備でやってみたが、やはりちっとばかし破壊力が足りないって気がする。そこで、」
 レークは部下たちを見回すと、従者に運ばせてきた荷車を指さした。
「隊列を組んだとき、オレを含めた前列の五人に槍を持たせることにする。これで敵陣に穴をあけるように突進するんだ。いいか」
 自ら馬にまたがると、レークは従者から槍を受け取り、それを馬上で構えて見せた。
「オレに続くアランと、もう二、三人が槍を手にして楔の先頭をゆく。敵に穴をあけたところに、残りの奴が付いて来るって寸法だ。それから、ラシム」
「は、はっい」
 ひときわ目立つ長身のラシムが前に進み出た。
「お前には、特別な武器をやる」
「へっ、特別な……」
 レークは従者にそれを持って来させた。相当の重さなのだろう、従者の少年はそれを両手に抱えて、ふらつきながらようやくレークのところに持ってきた。
「おお……」
 騎士たちからどよめきが起こった。
「これだ、ハルバードってやつだな」
 それは全体の長さは優に二ドーン半はあるだろう。いわば長槍の先に、斧のような刃が付けられた武器だった。
「この斧槍、とんでもなく重い代物だ。普通なら両手で持って扱うものだろう。だが、お前なら、馬上でもこれを扱えるんじゃないか?」
「や、やってみまうっす」
 ラシムはさっそく馬に乗ると、ずしりと重い斧槍を受け取った。
「どうだ?」
「こいつは、片手で手綱を取りながらだとけっこう大変ですな」
 しかし、そう言いながらも、ラシムは馬上でハルバードを片手で振り上げてみせた。
「うんむ、でも慣れればなんとか……」
 斧槍を振るごとに、ブンブンと、強く風を切る音がした。これが相手に当たれば、たとえ鎧の上からでも相当な威力だろう。
「いけそうだな。よし、じゃあ、お前はオレと共に先頭だ」
 レークとラシム、それに槍を持った数人を先頭に配して新たに隊列を整えると、小隊は陣地を出発した。
 右手に槍を持ち、左手で馬を操るのは、あの馬上槍試合以来であった。しかも、ここは整えられた試合場ではなく草原であり、本物のいくさの只中である。槍を手にしたまま馬を操り、草地の上で方向を変えるのは、慣れるまでは少し苦労しそうだった。
(だが、まあ……なんとかなるだろう)
 いつだって、なんとかしてきたのである。本当に無理そうであればやめる。無理そうでないからやるのだ。その強い自負がレークの中にはあった。
「おい、ラシム、お前は俺の右に来い。右側の敵は全部お前に任せるからな」
「わ、わっかりやした」
 徐々に速度を上げて戦場へ近づくと、前方では、アルトリウス率いる騎馬隊が、まだ同じ敵の騎馬隊とやり合っていた。彼らは歩兵を助けるために出て行ったのだが、敵の騎兵との戦いで、いまはそれどころではないようだ。
「しょうがねえな。よし、オレたちが敵の長槍隊に穴をあけるぞ!」
 レークは部下たちに向けて叫ぶと、戦地を左側からぐるりと回り込むようにして、混戦の中へと突進した。
「いいか、絶対離れるな。隊列はこのままだ。深追いもするな!」
 右手に槍をぎゅっと構えると、強く馬腹を蹴る。
 さらにスピードを上げて敵めがけて突っ込む。
 耳元で風がびゅうびゅうと鳴り、戦場の喧騒がそれに混ざり合った。
 剣と鎧がぶつかる音、怒声と叫び声合わさりが、わああああ、おおおおお、という、ひとつの大きな響きとなってゆく。
 すれ違う敵の騎兵。それには目もくれず、中央でぶつかり合う歩兵戦の只中へ、突進した。
「いくぜ!」
 前方に黒い鎧姿の塊が見えた。ジャリアのパイク(長槍)兵だ。
 レークは左手で手綱を操りながら、槍を持つ右手を上げ、それを下に向けて突き出した。
 馬が敵の壁を蹴散らし、槍がジャリア兵の鎧を突き刺した。
「おおおっ」
 横に付くくラシムはハルバードを振り、何人ものジャリア兵を吹き飛ばした。やはり、馬上からの斧槍の威力は圧倒的だった。
 槍を手にした小隊の先頭がジャリア兵たちを蹴散らし、壁を突破した。続く騎士たちが、ひるんだ敵兵をなぎ払う。
「よし、いったん離脱だ!」
 小隊は密集した隊列のまま戦場を駆け抜け、左手に大きく迂回した。
「ようし、けっこうやったな。どうだ」
 安全な場所まで来ると、レークは兜の面頬を上げ、部下たちを確認した。
「私は槍で二人やりました」
「自分は三人、いや四人かもしれません」
「自分は、六人くらいはやりまっした!」
 誇らしげにラシムがハルバードを突き上げた。この上背に加え、馬上から斧槍を振り下ろされては、いかに勇猛なジャリアとてたまらないだろう。
「いいぞ。後ろのやつらも、けっこうやったようだな。こちらの被害はあるか?」
「こちらに犠牲者はおりません!」
「よし。それじゃ、またいくぞ。息を整えたら、隊列につけ!」
「はいっ」
 続く突撃でも、レークの小隊は、ジャリアの長槍隊の一部に、けっこうなダメージを与えた。馬術に長けた騎士たちの突進は、それだけもで歩兵を脅かすものだったが、それに加え、スピードに乗った馬上からの槍の一撃は、頑丈な鎧をも貫く威力があった。
 そうして前列が槍で突破すると、それに続く騎士たちも、ずっと楽に剣で敵を倒せるようになっていた。小隊は一回の突撃で、二十人近い敵兵を倒した。とくに、長身の体躯から軽々とハルバードを振り回すラシムは、一人で五、六人、多いときには十人もの敵を倒した。
「よーし、この辺でいいだろう。休憩だ」
 さらに五度の突撃のあと、レークはそう告げた。
 馬上から振り返って戦場を渡すと、苦戦ぎみであったトレミリアの歩兵隊も、レークの隊の活躍もあってか、今はずいぶん持ち直してきたようだった。
「陣地まで戻るぞ。武器の交換と、傷のあるやつは手当ても受けろ」
 レークの小隊には、好きなときに休息をとれるという特権を与えられていたので、戦況を見ながら、こうして騎士たちを休ませてやるそのタイミングを、レークは隊長として感覚的に決めていった。
 自軍の陣地に戻り、改めて確認すると、小隊での負傷者は四人。それもいずれもが軽傷であった。いかに優秀な若手騎士とはいえ、これは立派なものである。
「よくやったぞお前ら。とくに前列のラシム、それにアランも、たいしたもんだ」
「ありがとうございます」
 名を呼ばれた二人は、兜を脱いだその顔を紅潮させていた。戦果をあげたという誇りからだろう、誰もが充実感に包まれた表情をしている。
「よし、じゃあまた、次の突撃に備えて休憩だ。今回はちょっと長めに、メシ食ってもいいぞ」
「レーク隊長」
 いったん解散したのち、レークのもとにやってきたのは、カシールであった。彼はその美少年じみた白い顔をいくぶん赤らめ、口元をぎゅっと引き締めていた。
「おお、どうした」
「あの……僕も前列で、槍を持たせてください」
「なにい?」
「僕にだって、できます。お願いします」
 懇願するカシールに、レークは落ち着いた声で言った。
「まあ、気持ちは分かるがな。だか、いくさってのはな、適材適所なんだ。お前に重い槍を扱うのは無理だよ」
「で、できます。僕にだって」
「お前にはお前の良さがある。いずれもっと、お前の剣が必要になるときが来るさ。その前に死んじまったら、元も子もないだろう」
「ですが、僕だって……」
「ああ、分かってる。お前の剣の腕前は一流だ。それが馬上からではあまり発揮できないのも分かる。だが焦るな」
「隊長……」
 唇をかみしめる悔しそうなカシールを見て、いかにも隊長らしく、レークは優しくうなずいてやった。
「まだいくさは始まったばかりだ。状況も変わっていけば、戦い方も変わっていくだろう。そのときになにができるか。なにが自分に必要になるか。それを考えながら、今はちっと待っていろ」
「……はい。分かりました」
 すべて納得したというふうでもなかったが、カシールは話ができたことでいくぶん気が気が晴れたようであった。騎士の礼をすると、彼はアランたちのもとへと早足で歩いていった。
 次の突撃の準備を始めようと、再びレークの小隊が集合しようとしていると、陣内にひとつの報告が飛び交った。
「ジャリア軍が後退!ジャリア軍が後退!」
「なに?」
 兜をかぶり直し、これから馬に乗ろうとしていたレークだったが、伝令を伝える兵士が声を上げながら目の前を走りゆくのを見るや、部下たちに告げた。
「お前らはちょっと、このまま待機していろ。オレはローリングのところへ行ってくる」
「了解しました」
 武装を整えようとしていた隊の騎士たちは、いったん馬から下りるとその場に整列した。
「そうだな……お前も来い、アラン」
「はいっ」
 二人は馬に飛び乗ると、陣地の中央にあるレード公の天幕へ向かった。
 馬上から陣内を見渡すと、戦場から引き上げてきた騎士たち、兵士たちには、傷を負っているものも多く、中には血だらけになって仲間の手で運ばれるものもいた。負傷者は手当てを受ける救護用天幕の前に列をなし、間に合わないものは負傷者同士で互いに相手に包帯を巻き付けている。そんな光景に、あらためていくさの激しさを見る思いであった。
 陣営における本部というべき、レード公爵の天幕のあたりには、次々に報告に訪れる騎士たちが慌ただしく行き来していて、物々しい雰囲気に包まれていた。
「お前は、ここで待っていろ」
「はい」
 レークは馬を下りると、アランをそこに待たせて、公爵の天幕へ近づいた。
「騎馬小隊のレーク・ドップだ。入ってもいいか」
「は、どうぞ」
 天幕の前に立つ見張り騎士に告げると、レークの名はもうずいぶん知られているのだろう、騎士はさっと礼をして入り口をあけた。
 天幕にはローリング、ブロテをはじめ、ハイロンやガウリン、クーマンら、歩兵部隊を指揮する隊長騎士たち、それに左翼の騎兵隊を指揮するアルトリウスらもいて、総司令官であるレード公に現状報告をしているところであった。彼らの身につけた鎧には、たくさんの傷がつき、そのマントには返り血の染みがあったり、肩に負傷を負ったのか血のにじんだ包帯をまくものもいた。
 地図を広げたテーブルの前に立つレード公爵は、部下たちの報告に耳を傾けながら険しい顔つきでうなずき、隊長騎士たちに意見を聞いては、次々に命令を下してゆく。指令を受けた小隊長クラスの騎士が、天幕を出てゆき、代わってまた別の騎士が入ってくる。
 いったん報告を終えたらしい、ローリングが近づいてきた。
「まずは無事でよかった」
「あんたもな」
 二人は握手を交わした。
「敵兵が後退したって?」
「ああ、これで今日の戦いはもうないかもしれんな。まずは、騎兵隊が退却して、次に長槍部隊が少しずつ後退していったようだ」
「いったい、どうしてまた」
「さあな。ただ、最初は我々は敵の歩兵隊に押されていたが、左翼の騎兵隊を出してからは、反対に我々が敵を押し返し始めていた。それで、あるいはいったん兵力をたて直しにかかったのかもしれん」
「ううむ……わっかんねえな」
 レークは首をかしげた。
「確かに、いくらかは押していたようだが、しかし、そう有利に戦っていたってほどでもねえ。それなのにこう、あっさり退却するってのは」
「退却というよりは、いったん敵も陣地に戻って休息するつもりなのかもしれん。いくさの初日だからな。こちらもまだそう深追いはしたくないので、我々としても助かった。今は、各部隊ごとの戦果と損害の報告をし、次の戦いに向けての部隊の編成をし直しているところだ」
 ローリングは、彼の部隊自体はまだ激しい戦いにはならなかったようで、かすり傷ひとつ負ったような様子はない。いくさに高ぶるふうでもなく、冷静そのもののいつもの彼である。
「こちらの被害としては、やはりもっとも損害が多いのは前列の歩兵隊で、五百人近くがやられたようだ」
「そんなにか」
 確かに、ジャリアの長槍隊の姿を思い出せば、彼らの統制のとれた動きと、冷徹かつ的確な攻撃は、単なる歩兵の威力を超えているといわざるを得ない。 
「こちらが敵へ与えた損害は、多くても三百人というところだろう。だが、聞けばおぬしの小隊はかなり活躍したようだな。歩兵部隊の隊長のハイロンが、おぬしの隊が突撃するところを見たと言っていたぞ」
「ああ、まあな」
 レークは誇らしげにうなずいた。
「たった三十人の隊だがよ、たぶん合わせて百人以上の敵はやったと思うぜ」
「ほう」
「それは頼もしいことだ」
 そう言ってこちらを振り向いたのはレード公爵だった。
「アルトリウスの報告を聞けば、レークどのの小隊が左翼から果敢な攻撃をしかけたおかげで、中央の歩兵隊も持ち直すことができたという。ごくわずかな人数で、敵の只中へ向かって突撃をしかけるのは並大抵の勇気ではあるまい。さすがというべきでろうな」
「こりゃどうも。お褒めに預かりまして」
 トレミリアの名だたる隊長騎士たちの前で、総司令官であるレード公から直接に称揚されては、気分がよくないはずはない。レークは照れながら頭を掻いた。
「どうだ。三十人とはいわず、いっそ百人の中隊を率いてみては」
 それは一介の元浪剣士に与えるには、余りある名誉な辞令であったが、
「いえ、三十人で充分ですよ」
 レークはあっさりと首を振った。
「百人なんて……そんなに多かったら、自由に戦えない。身軽に動くのには、三十人くらいがちょうどいいですな」
「なるほど。あくまで遊撃としての身軽さにこだわるか。それもよかろう」
 レード公はうなずくと、それぞれ右翼と左翼の騎兵を指揮するローリングとアルトリウスに確認し、あらためてレークの小隊の自由な出入りを許すことを宣言した。
「今後も緊急時の命令を除いては、そなたの判断で動いてかまわぬ」
「どうもどうも。それが一番ありがたいですな」
 いかにももう何年も隊長をしているというような顔つきでレークはうなずいた。広い草原で隊列を組んで馬を駆るという大規模ないくさに、最初はとまどいを覚えていた彼であったが、実際に戦ってみると、スタンディノーブルでの城を守る鬱屈とした防城戦などよりも、馬上で風の音を聞き、草の匂いをかぎながら馬を走らせることは、よほど性に合ってることが分かったのだ。
「また草原を走り回って、スカっと敵を倒してやりますぜ」
「それは頼もしいな」
 レード公は笑ってうなずいた。
「では、引き続き、全軍の隊形は変えず、左翼はアルトリウス卿、右翼はローリングの率いる騎兵隊で固め、中央の歩兵隊には、敵の長槍隊に対する槍兵をいまよりも多く配備する。あとは、弓兵による攻撃とのタイミングに合わせて、前進、後退を間違わぬように。ブロテを筆頭に、ハイロン、ガウリン、クーマン、指揮を頼んだぞ」
「はっ、おまかせを」
「栄えあるトレミリアのために」
 オライア公騎士団団長のハイロンは、今年三十歳になる体躯のいい騎士で、若い頃には、今のヒルギスやケインのように、トレミリアの誇る美剣士ともてはやされた。口髭をたくわえた精悍な顔つきは、レード公をやや若くしたようなイメージもあり、部下たちにも慕われる開豁な人物である。
 マルダーナ公騎士団副団長ガウリンは、二十七歳の勇猛な騎士で、剣の実力では宮廷随一、実戦においてはあのヒルギスよりも上であろうと認められている。とにかく気が強く、まるで傭兵のような荒々しさで剣を振るう姿は、貴族の騎士とは思えぬほどだ。体格は一見すらりとした細身であるが、長剣を軽々と扱う腕っぷしの強さから、このたびの戦いでは歩兵部隊の中央を任されている。さきほどレークと目が合ったときには、互いにじろりと相手を睨むようにして、その存在を意識していた。
 三十二歳のクーマンは、スタルナー公騎士団副団長であるが、文人の代表というべきスタルナー公とは友人のように親しく、彼自身も知性派の騎士である。もちろん剣技、馬術に長けているのだが、この度のいくさに関しては積極的な参加というよりは、スタルナー公爵という名を立てることの意味合いが強かった。トレミリアの名だたる公爵に比べて、位としてはずいぶんと低く見られていることから、スタルナー公爵家のために武勲を立てることが、今の自分の役目であると考えていた。もちろんトレミリアへの愛国の気持ちとともにであるが。基本的には、殺し合いであるいくさというものを好まない性分であったので、一戦を終えて、高揚するガウリンの様子などに比べると、彼はその端正な顔をいくぶん青ざめさせていた。
「それでは、くれぐれも奇襲に備えて、夜になっても油断は怠らぬよう。各自、部隊ごとにいつなりとも体制を整えられるように」
 レード公の言葉で軍議が解散すると、各隊長騎士たちは、己の率いる部隊にまた散らばってゆく。騎兵を率いるローリングとアルトリウス、それに歩兵全体の指揮をとるブロテは、引き続き天幕に残って、さらに戦略についての詳細を議論するようであった。
 レークが天幕を出ると、すでに日は西に傾き、赤く染まったアヴァリスの残照が、草原を赤々と照らしていた。
「さって、今日はこのままメシ食って寝ちまっていいのかな」
「隊長、どうでした?」
 アランが走り寄ってきた。そういえば、外で待たせていたのだった。
「おお、やっぱり、オレたちの隊は好きに動いてもいいってさ」
「そうですか。あまり期待されていないのでしょうか?」
「そんなこたないさ。レード公じきじきに、頼もしいって言ってくれたんだせ」
「ほ、本当ですか」
 アランはぱっと顔を輝かせた。彼などにとっては、トレミリアの大将軍として名高いレード公爵は、口をきくにも恐れ多い、雲の上のような存在なのだ。
「頑張りますよ、隊長。自分はレード公閣下のもとで、そして隊長のもとで戦えることを、心から誇りに思います」
「ああ、まあ、頑張ろうや。死なない程度にな」
「なんの、この命など、トレミリアのためならいつでも捧げますよ!」
 興奮に拳を握りしめる若者に、レークは笑ってうなずいた。血気盛んなことでは、自分自身も同じであったはずなのだが、それ以上に熱く興奮し、ときにつまらぬことに感動したりする、そんな部下などというものができると、かえって冷静な落ち着きが出てくるものなのかもしれない。
(なんだか、妙な気分だぜ)
 これまでであれば、軍議やら報告やらなど、まったく面倒で、自分一人で馬に乗って飛び出してゆくのが彼のやり方であった。もちろん、いまだって、そうした気持ちもあるにはあるが、
(しかし、なんだろうね……責任感っていうのか、部下やら、慕ってくる連中やらがいるってのは)
 自分一人ではない。自分の行動や言動には、多くのものの運命が左右されたりするのだという、その重さが、少しずつ感じられる。
(面倒なことだ……だが、それでいて、身が引き締まるってのかな)
 いままでであれば、窮屈このうえないと思ったであろう、この隊長などという立場が、今は……
(そう、悪くもないかな……)
 不思議とそう思えるのだ。
(笑えるぜ。レーク・ドップ)
 アランと並んで馬を歩ませながら、レークはこの戦いについて、そして隊長という自分についてのさまざまを、明日へのおぼろげな想像とともにまた考えていた。



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