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 水晶剣伝説 Y セルムラードの女王


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 セルムラードの宰相であり、男性、女性の性別を超越したような中性的な存在……そして、水晶剣の秘密を匂わせる、妖しくも不思議な人物が、そこに。
「やあ、来たか。レーク・ドップ」
 水晶の壁の前には毛布が敷かれていた。そこに横たわったまま、彼女……か、彼かは、弱々しく微笑んだ。
「この格好で失礼するよ。まだ、ちょっと、起きられそうもない」
「どうした?具合でも悪いのか」
 水晶の光に照らされているせいもあるのだろうが、彼女の顔は真っ青で、心なしかげっそりと頬がこけ、ひどくやつれて見えた。その長い黒髪はばらばらに乱れ、床石の上に扇のように広がっている。
「見ての通りさ。体力が回復していない。アストラル体となった君に、魔力を供給し続けていたからね。しかしまあ、今日一日こうしていれば、もとに戻るだろう」
「じゃあ、やっぱり、あれは夢ではなかったんだな。オレは意識体となって空を飛び、ウェルドスラーブへゆき……、あんたは、そのせいでそんなに疲れ果てているのか」
「水晶の魔力は、その力をある程度制御できる人間を介さなくては、力をなさない。いわば私は、この水晶の壁とアストラル体となった君との間で、魔力を変換していたのだ」
 かすれたようなエルセイナの声は、ひどくつらそうであった。
「よく、わからねえが……そりゃ悪いことをしたな。オレが長いこと戻らなかったせいで、あんたは余計な体力を使っちまったってわけだ」
「気にしなくてもいい。私も興味はあったからね。君が次に、いったいどこへゆくのか。それを少し知りたかったのも確かだ。なので、ぎりぎりまで君を好きに飛ばせておいた。また、無理に寝ている君の実体の体を起こしてしまうと、君の意識が二度と肉体に戻れなくなる場合もあるからね。あれは……そう、けっこう危ないところだったよ」
 そこまで言うと、エルセイナは目を閉じ、そのままじっと動かなくなった。
「おい……」
 レークが心配そうに覗き込むと、
(大丈夫だ)
 心の中に声が響いた。
(ちょっと体力がもたないのでね、これで会話をさせてもらうよ。その短剣を手にしていれば、私の意識の声がよく聞こえるはずだ)
「ああ、そういうことか」
 眠っているように動かないエルセイナの白い顔を見つめながら、レークは短剣を手に心話で言葉を送った。
(これで、オレの声も聞こえるのかい。便利なもんだな)
(そう。とくにこの場所は、水晶の壁が剣の力を増幅するから、互いの意識の感度というのかな。その波長がよく交わることができるんだ。それに魔力で失った体力も、ここにいれば回復が早い)
(なるほど。それで、やっぱりオレが見たあれは、なにもかもが本当のことなんだな?)
(レイスラーブの陥落のことか?残念ながらその通りだ。今頃はもう、都市内はジャリア軍に蹂躙され尽くし、黒い鎧の兵士たちが征服者のようにして町を闊歩しているだろう)
 レークは意識体となって見た、あのレイスラーブの光景を思い出した。通りの店店を略奪し、生き残った市民たちをなぶり殺してゆくジャリア兵たち。それを思い返すだけで、じわりと沸き起こってくる怒りや悔しさが、また体を熱くする気がした。
(オレは、なにもできなかった。殺される人や、なぶられる娘を前にして、なにも……)
(それは仕方のないことだ。ただ頭の中で映像が見えるという感覚以外は、アストラル体には五感は持てぬし、現実の相手になんの干渉も与えることはできない。いうなれば、別の次元からこの世界を覗き見しているようなものだからな)
(ともかく、これでウェルドスラーブは、もう事実上ジャリアの統治下に置かれた。こうなると、あの王子の次の狙いはトレミリアに間違いあるまい。予測よりも少し早いが。どのみちこういう状況になろうことは分かっていた)
(そして、次の戦いの場は、ロサリイト草原だな)
 あくまで冷静なエルセイナの心の声に、レークはかすかないらだちを覚えた。事実としては状況を受け入れられても、まだ感情の方が追いつかないのだ。
(くそ。しかし、みすみす敵を前にしながら、仲間たちの戦いをただ見ているだけってのは……アストラル体ってのはいやなもんだな)
(だが、そのおかげで得難い情報を知ることができる。なにより、まさしくこの自分の目でね。おそらく、トレミリアなどにレイスラーブ陥落の最初の報が届くのは、早くとも今日の夜になってからだろう。しかしもう我々はそれを知っているし、ウェルドスラーブの国王が密かに首都を脱出して生き延びていることも知っている)
(国王……ああ、そうだ)
 レークは実際に見た、港から脱出しようとする船のことを思い出した。
(ブロテたちが国王と妃を助けて船で……やつらは無事でいるだろうか)
(おそらくはな。ヴォルス内海では、まだトレヴィザンの率いる海軍とアルディ海軍は交戦中だ。夜にまぎれて脱出する小さなガレー船のことなどは目に入らぬだろうし、また探す余裕もないだろう。それに、ウィルラースの率いる船団が応援に到着したことで、海戦においては、今はむしろアルディ軍の方が押され気味だ)
(トレヴィザン……提督も、まだ戦っていたのか)
 いま思えば、トレヴィザン提督からウィルラースへの密書を託され、アルディに渡り、苦労のすえにそれを届けたことが、こうして実を結んだのだと思うと、自分たちのなし遂げたことが情勢の変化に大きく関わっているのだという、そんな感慨があらためて湧いてくる。
(では、ブロテたちの船は……いまどこへ)
(おそらく、すでにウェルドスラーブの海域は抜けたはず。それに、彼らの船がどこへ向かうのかも分かっている)
(どこだ)
(ウェルドスラーブから東へ向かうのは危険がともなう。サンバーラーンの付近では、アルディの船団が目を光らせているだろうからな。ウェルドスラーブ国王を乗せた船はおそらく西へ向かうはず。友国であるトレミリアを目指して。そして立ち寄るのは、物資も豊富にあり、補給も船の修理もできる中立の島……)
(てことは、コス島か)
(おそらくね。順風であれば、今日の夕刻にも到着するのではないかな)
(そうか……ブロテたちはコス島に)
(仲間に会いたいかい)
(ああ。それは、もちろん……そうなんだが)
 ブロテとは、実際にはスタンディノーブル城で会ったのが最後であった。まさかアストラル体となった自分が、彼らのいるレイスラーブを空中から見つめていたことなどは、知るよしもないだろう。
(ここからカイル川を下って海にでれば、たぶんちょうど夕刻にはコス島にゆけるよ)
 エルセイナのその言葉は、レークの気持ちをぐっと惹きつけた。
(だが、オレたちはトレミリアへ……)
(どちらにしても同じことだろう。彼らにしても同じようにトレミリアを目指しているのだから。むしろ、彼らに合流し、ウェルドスラーブの国王らをともなってトレミリアまで護衛の任務をこなせば、騎士としての君の株も上がるのじゃないかな。それに、草原での戦いに向けての武器の調達も重要だろう。コス島でならいい剣も手に入るだろうし。どうせ、ウィルラースからもらった金がたっぷりあるんだろうから)
(……)
 騎士としての株などというものにはまったく興味はなかったが、確かにブロテとは早く会いたくもあり、また戦いにそなえての武器の調達というのも、もっともなことであった。手もとにあるこの剣はスタグアイで調達したものであったが、何度か使ってみて、あまり自分には合わないのか、振り心地がどうも気に入らなかった。コス島のメルカートリクスであれば、優秀な女職人もいるだろうし、これよりもずっと実戦向きの剣が見つかるのではないかという気がする。
(そう……だな。たしかにこのままトレミリアへ戻るのも、コス島でブロテらと合流してからゆくのも、同じことか)
 そう思うと、もう半ば心は決まった。
(いろいろありがとうよ。その……オレは最初さ、あんたをうさん臭い、妖しい奴だとばかり思っていたんだが、どうもそうでもないようだ)
(ふふふ。それはどうかな。私はただ忠告をしたり、互いの情報を伝えあったり、見たいものをみせてやったり、ただそうしただけのこと。それに、私には私の考えもあるからね。ただ、少なくとも、今のところは君は、私の……私たちの敵ではない。そういうことだ)
(わたしたちの敵……それは、セルムラードの、ということか?)
(そうともいえるし、それだけでもないともいえる)
 エルセイナの言うことは相変わらず謎めいていて、そこに隠された真の意味を計ることはレークには難しかった。ただ、確かなのは、彼女……か彼かは、今こうやって魔力と体力とを回復するために力なく横たわっており、それは意識体として飛んでいた自分を助けするためであったということだ。そのことだけでも、レークには彼女に感謝はすれど、敵とする理由はないのだった。
(ともかく、礼を言うぜ。ブロテやセルディ伯らが生きていることが分かっただけでも、オレにとっては嬉しいことだ)
(ふん。甘いな。だが……そうだな、君の相棒と二人一緒であれば、それはちょうどよいのかもしれない)
(どういうことだ。相棒……アレンがどうしたって?)
(さあ。まだ分からないよ。ただ、ひとつ言えるのは)
 エルセイナの声が……心に響く声であったが……しだいに小さくなってきた。
(君の相棒は、君よりもはるかに……そう、私の側に近い人間だということだ)
(アレンが?……それはどういうことだ)
(いずれ知るだろう。あるいは知らずにいられるかもしれない……)
(ただ、気をつけておくのだな。君と君の相棒は、互いに共にいることでバランスを取りあってきた。そうでないと……)
(どうなるってんだ?)
(……)
(おい、エルセイナさんよ)
(ああ、すまない……そろそろ心話もつらくなってきた)
 そこに横たわっているエルセイナの顔が、ひどく青ざめていることにレークは気づいた。
(こうして話すのにも、多少の魔力は使うのでね。そろそろ……すまない)
(ああ。わかったよ。こっちこそ、いろいろ助かったぜ)
(君はすぐに、出発するのかい?)
(ああ。そうすることにした)
(コス島へか。それがいい)
(それで、この短剣は……もうあんたに返した方がいいのか?)
(ふむ。気に入ったのならもってゆくといい。どうせ、アドにやったものだ。なにかの役にたつのなら……)
(アスカの……マール・ジェイス)
(なに?アスカの誰だって?)
(彼に会ったときに……) 
 もうほとんど、エルセイナの声は消えかかっていた。
(確かめ……魔力を……合わさった、とき……)
(……)
 声が消えた。
 エルセイナの意識が深い眠りに入ったことが分かった。おそらく、レークの想像以上に疲弊していたのだろう。横たわったその体はもうぴくりとも動かなかった。
「まるで、死んでいるみたいだな……」
 だが、その体を覗き込もうとすると、それ以上は近づくなというように、ちくりとするような感覚があった。魔力の力で結界でも張っているのだろうか。
「まあ、そいじゃ……いろいろあんがとよ。いずれまた会うこともあるだろう」
 レークは短く別れの言葉を告げると、最後に短剣を手にして水晶の壁に近づいた。
 すると、不思議なことが起こった。
 一面の水晶がさっと強く輝いた。と思うと、レークの手にした短剣に向かって、なにかが流れ込んで来るようなイメージがあった。目にはなにも見えなかったが、レークには確かにそれが感じられた。短剣を通して、体の中に新しい力が注ぎ込まれてくるような、そんな清々しい感覚が。
「水晶の短剣か……こいつも、不思議なもんだな。黒竜王子が持つ水晶剣は、これよりもずっと強力な力があるっていうのか」
 きらきらと輝く短剣を見つめながら、レークは、水晶と魔力の関係について、そしてエルセイナに訊き忘れた、意識体となって最後に見た、あの不思議な都市の光景などについて思いを馳せ、しばし不思議の念にとらわれていた。

 レークは部屋に戻ると、さっそくクリミナにコス島への出発を提案した。
 クリミナははじめは驚いて、それに反対したが、ブロテやセルディ伯たちが生きていて、ウェルドスラーブの国王や王妃とともに脱出してきているということを告げると、いっそうその驚きを強くして、いったいどうしてそんなことを知っているのかと、半信半疑に聞き返してきた。それを宰相エルセイナから告げられた確かな情報だと言ってレークが聞かせると、彼女はいくぶん納得したようだった。本当はアストラル体となって空を飛び、自分の目で見てきたのだという事実を告げたとしても、彼女はおそらくそれを信じないばかりか、きっとこちらの気が触れたのではないかと思うに違いない。レークの性格としては、本当のことを言いたくてうずうずしていたのだが、それをぐっとこらえたのだった。
「分かったわ。セルディ伯やコルヴィーノ陛下の乗る船が、本当にコス島に向かっているのなら、私たちもコス島へゆきましょう」
 ようやくクリミナの賛同を得ると、レークはほっと胸をなでおろした。
「トレヴィザン提督の方は、無事でおられるのかしら」
「さあな。その情報についてはなにも。ただ、やっこさんのことだ、きっとしぶとく生きているだろうさ」
 トレヴィザンもそうだが、一緒に船にいるだろうアルーズのことも、レークには気がかりではあった。だが、今はそんな心配をしていたところで始まらない。
「ともかく、まずはコス島へ、だ」
 二人はさっそく出立の準備にとりかかり、女王にその旨を伝えに赴いた。
 緑柱石の広間は、ちょうど太陽が中天に差しかかった頃であったので、頭上から降り注ぐ光が緑柱石を通してやわらかに広間を照らしだしていた。
「そうですか。分かりました。では道中くれぐれもお気をつけて」
 きらきらと輝く銀色の髪に金の略王冠を戴き、その胸に二つのエメラルドの入ったペンダントを下げたフィリアン女王は、いつになくにこやかであった。その美貌はもとより、うっすらと紅潮させた頬や、可愛らしい微笑みを浮かべた口元、そのサファイヤのような瞳は、なにもかもが魅力的で、この女王のためならば、自分の命くらいはいつなりと差し出すだろう騎士が、たとえ何千人いたとしても不思議とは思われなかった。
「何度も申しますが、我がセルムラードは、トレミリアの永遠の友人です。そしてリクライア大陸の平和のために尽力をすることに、なんのためらいもありません。エルセイナの体調が戻ったら、さっそく会議を開き、今回の派兵についての細かな決定をし、すみやかに事を進めるつもりですので、その点も書状もろともトレミリアのマルダーナ陛下、そして宰相オライア公爵へお伝えください」
 女王はレークとクリミナにそばに来させると、それぞれの顔を見てうなずきかけた。
「そういえば、クリミナさん。あなたはオライア公爵のご息女でしたわね」
「はい」
「このような危険な旅をして、さぞお父君はご心配でありましょうね」
 女王の言葉に、クリミナはだが、きっぱりと首を振った。
「いいえ。私は騎士として国に仕える身です。いくさともなれば、同じく騎士として戦い、命をかけることになんのためらいもありません」
「まあ。なんとご立派なこと」
 女王は、同じ女の身として、騎士として生きるクリミナに興味を持ったようだった。
「でも、いずれは女は愛するものと結ばれることが幸せ。私のように、大きな責務を生まれながらに持った身では、そうもいきませんが。あなたにはぜひ、幸せになっていただきたいものです」
「ありがとうございます。でも、私はこうしているのが幸せななのです。陛下。子を産むためだけに夫婦となり、屋敷に閉じ籠もり、空の広さや黄昏の美しさを知らずに、毎日変わらず営みで日々を過ごすよりは、剣を差して馬に乗り、どこかを旅したり、国のために働いたりすることが、私はとても好きなようです」
「まあ……それはとても、素敵なことですこと」
 クリミナの言うことを理解したというほどでもなく、女王はくすりと微笑んだ。
「あなたはきっと、そういう自由や、男の方々のするようなことに、とても憧れがあるのですね。それは分からなくもありません。私も、ふっとなにもかも捨てて、飛び出してゆきたくなることがあります」
 そっと胸のペンダントに手をやった女王は、遠くを見るようなまなざしで囁いた。
「なにもかも捨てて……とても無理でしょうけど。でも、いつかは、そう……」
 それは、もしかしたら「あの方のもとへ」と口にしたかったのかもしれない。女王はその言葉を飲み込むように、そっと目を閉じた。

 女王への挨拶をすませると、二人は城を出た。
 池にかかる橋を渡りながら、レークは水に浮かぶこの美しい緑柱石の城を、いま一度振り返った。そうして、ここで起こった不思議な出来事をまた思い返し、あの美しい女王と、そして不思議な能力を持つ宰相が治めるこの国を、その記憶に刻んだのだった。
 女王宮の城門を出ようとすると、馬に乗った女騎士の一隊が門の前に並んでいた。リジェたち遊撃隊の面々であった。
「もう、行ってしまうんだって?」
「ああ。あんたらにも世話になったな」
 馬上のリジェは少し寂しそうにふっと笑うと、その輝くような銀色の髪をかき上げた。
「乗りなよ。カイル川を船で下るんだろう。船着場までさ」
「ああ、ありがとうよ」
 来たときと同じように、レークはリジェの馬の後ろに乗った。クリミナも別の馬に乗り、二人は遊撃隊に護衛されるようにして、ドレーヴェの町を出た。
「ラズロのやつはは無事にスタグアイまで戻れたかな」
 丘を下る道を進みながら、レークはつぶやいた。眼下に広がる緑の森と山々は、ここに辿り着くために苦労して越えてきた景色だった。
「ああ、あのお付きの船乗りか。どうだろうな。森に入らずに、カイル川ぞいを下ってゆくルートの方が安全なんだが」
 リジェの声がやわらかに喉にからんだ。
「ねえ、それよりも……さ、私は、本当にあんたが気に入ったんだよ。だから、もっとずっとここにいて欲しかったんだけど」
「……」
「あんたは、私が嫌いかい?」
 手綱をとるリジェの腰に手を回していると、女騎士の思いが体温とともに伝わって来るような気じがした。レークにしても、このどこか野性的な女戦士のことは、剣を交えてからもずっと、その強さと美しさも含めて、ずいぶん気に入っていた。
「嫌いじゃないさ。むしろ……」
 だが、レークは言葉を飲み込んだ。
 あるいは、共に旅をしている女騎士の存在がなかったとしたら、レークは今ここで、彼女に「一緒に来い」と告げていたかもしれない。
 リジェの方も、そんな思いを知ってかどうか、それ以上はなにも追求してこなかった。彼らはもう、それきり黙ったまま、馬に揺られて、丘を下る道を降りていった。
 川沿いの道に出てほんの半刻もゆくと、船着場が見えてきた。
 さほど川幅の広くないカイル川の岸辺にある桟橋には、川を下るための小型船が何隻か付けられ、船に荷物を運び込んだり、船の整備をしたりする人々が忙しそうしている。辺りには、小屋やテントなどが雑多に立てられて、まるで小さな村のようににぎわっていた。
「ここから、川を下ってアングランドのマイエまでゆける。このあたりの農作物や、ドレーヴェで作られた加工品なんかが、船でアングランドやオルレーネなんかに運ばれてゆくのさ。カイル川は流れが早いからね、距離はあってもけっこうすぐに着くよ。マイエからはコス島への定期便が出ているから、それに乗るといい」
「ああ。いろいろありがとうよ」
 馬を降りると、レークはリジェたちに礼を言った。
「それに剣の試合も楽しかったぜ。いつかオレにも曲刀を教えてくれ」
「レーク」
 こらえかねたようにリジェが馬から飛び下た。
「おい……」
「ちょっとだけ」
 情熱的な抱擁にいくぶん戸惑いながら、レークはその体を抱き留めた。
「また、会えるよね」
「ああ……たぶんな」
 うなずき合うと、二人は握手を交わした。
「じゃあ、またな」
 先に船着場へ歩きだしていたクリミナを追いかけ、レークが走り出す。
「リジェ姉、いいの?」
「ああ、いいんだ」
 リジェはひらりと馬に乗ると、仲間の女騎士たちにうなずいた。
「またすぐに会える……なんだか、そういう気がするんだよ」
 レークらの乗った船が動きだし、やがて見えなくなるまで、彼女は馬上からそれを静かに見送り続けた。
「こんな気持ち……はじめてだったな」
 つぶやいた女騎士の頬に、うっすらと白いものが流れた。

 レークとクリミナを乗せた船は、すべるように川を下りだしていた。
 いろいろな大きさの木箱や樽などが積み込まれたその船は、下流の港町マイエへ物資を輸送するための、半分は貨物船のようなものであるようで、ぎっしりと積まれた物や箱の間に、ついでといった感じで乗客が押し込まれているという風だった。
「なんだか、ずっと左右に揺れて、危なっかしい船だな、おい」
「……」
 二人は木箱と木箱の間の、客席ともいえぬようなところに腰を下ろし、向かい合っているのだが、さっきからクリミナは、むっつりと黙ったままひと言も口をきかない。
「川の流れはかなり急みたいだな。立っていると振り落とされそうだ」
 船は、形こそガレー船であったが、左右の漕ぎ座は物置や客席として使われており、船首と船尾にそれぞれ一人ずつ、櫂を手にして舵をとる船員がいるだけであった。川の流れに気をつけながら、漕ぐというよりは流されてゆくというような感覚である。マクスタート川のように川幅は広くないので、岸に当たらぬよう前後の舵取りが重要なのだろう。
「でもこの分なら、ほんの一刻くらいで、海まで出られそうだな」
「……」
 彼女はレークの方を見ようともせず、うなずくでもなく、じっと膝を抱えている。いったいなにをそんなに怒っているのかと、レークは問い正したくなったが、なにかを言おうとすると、じろりと彼女の冷たい視線に合い、出かかった言葉をまた飲み込むのだった。
(まあ、いいさ。きっとトレミリアに戻れば、ご機嫌も治るだろう)
 山の上から川で下るような急流の地帯を抜ける、船の動きがいくぶん静かになってきた。もうずいぶん下ってきたようで、上流に比べると川幅もだいぶ広くなり、流れも穏やかになりつつある。
 そうして、太陽が西に傾く頃に、ついに前方に海が見えはじめた。
「おお。もうすぐ着きそうだぜ。川の右側がアングランド、左側がオルレーネなんだな」
 大陸西部の海洋国家群ではもっとも大きいアングランドの港町、マイエに船は到着した。さすがに海洋国家らしい立派な桟橋には、荷物を運び出すための人足たちがすでに待ち構えており、船が着けられるいなや、慌ただしく人々が船と桟橋とを行き交いだす。
「よし、いくぜ」
 船を降りたレークとクリミナは、人込みにまぎれるようにして港を小走りに走りだした。大切な書簡を手にしている身であり、またクリミナはとくに、トレミリアの女騎士としてもよく知られている存在であるから、なるべくその顔を伏せながら、人込みをすり抜ける。
「あっちだ。おお、ちょうど船が出るところみたいだぞ」
 コス島行きの定期便が停泊する桟橋に来ると、そこを通り掛かった、やや身なりのいい船員らしき男に金を渡して、船に乗せてもらった。
 あてがわれた船倉の積み荷の影に腰を下ろすと、二人はほっと息をついた。
「そういや、最初にコス島を目指したときは、自分たちの手で船を動かして、川を下っていったんだったな」
 動きだした船の揺れを感じながら、レークはそれを思い返してつぶやいた。
 トレミリアを出発し、ヨーラ湖からマクスタート川をくだり、仲間の騎士たちとともに夜の海に漕ぎだしたときには、わくわくするような気分と、不安と、そして高ぶる気持ちに包まれて、星空を見上げていたのだ。あれがもう、ずっと昔のことのように思える。
 今はだが、その仲間たちはここにはおらず、そばにいるのは栗色の髪をした女騎士……この旅をずっと共にしてきた、今やかけがえのない存在である、その彼女のみであった。
「……」
 船倉の暗がりに並んで腰を下ろしながら、レークはあのときに見ていた星空を、天上の暗闇の向こうに見る思いで、横にいる女騎士の、そのかすかに触れ合いそうな肩のぬくもりを心地よく感じるのだった。

 沈みゆく太陽を後方に見ながら、船は洋上を進んだ。
 赤から紫へと移り変わってゆく黄昏の空が、しだいに暗さを増してゆく頃に、船はその視界にコス島をとらえた。
 メルカートリクスの港に船が入港すると、レークたちは何食わぬ顔で、乗客にまぎれて船から降りた。
 港には何隻もの船が停泊しており、その多くはアングランドやイルレーネ、あるいはミレイなどからの定期船であるらしく、積み荷を下ろしたり、ここで調達した物資を船に運び込む人足や船乗りたちで、桟橋の周辺は大いににぎわっていた。
 町の市門でトレミリアからの通行証を見せると、すんなりと二人を通してくれた。さすがに船に乗り通しで疲れていた二人は、前にも世話になった町の宿へ向かった。
「まあまあ、あんたたちかい。よく来たね」
 宿のおかみは二人のことを覚えていて、驚きながらも嬉しそうに迎えてくれた。
「あれから、ウェルドスラーブではいくさが始まって、あんたたちはどうなったことかと、とても心配していたんだよ。ともかく、また無事でよかった。さあ入って。まずは温かいスープでもお飲み」
「ああ、ありがとうよ。もう腹ぺこなんだ」
「じゃあ、焼肉をはさんだパンでも作ってあげようかね」
「ひょう。やった」
「あんたは?トレミリアのお嬢さん」
「じゃあ、私もそれを」
 お嬢さんなどと言われることには、常ならば大変抵抗のあるクリミナであったが、このおかみの陽気さの前には、そんなものもただのつまらぬプライドにすぎないと思えるのだった。なにより、前にこの宿に来たときには、おかみに借りた女らしい服を着て祭りで踊ったこともあるのだし。それに不思議とこの町は、いつも彼女の気を安らがせてくれるようであった。
 二人はおかみの作った温かなスープを味わい、ほっとひと息をついた。
「ところで、レイスラーブが陥落したんだって?あんたたちもよく無事だったねえ」
「へえ、おかみさん。もうその情報はここまで伝わっているのかい」
 焼肉のパンを頬張る二人の前に座って、おかみは神妙な面持ちでうなずいた。
「ああ、ジャリア軍の連中は、それは凶暴で残酷だっていうじゃないか。あんたらがこうして無事にいてくれて、本当に嬉しいよ」
 それからそっと、二人に囁くように言った。
「ところでさ、ついさっきも、ウェルドスラーブから逃げ延びてきたらしい騎士さんたちがここに来てね、いま二階にかくまっているんだよ」
「なんだって?」
 レークはパンを喉に詰まらせかけ、あわてて水で流し込んだ。
「それがなんだか、とても高貴な人らしいので、できるかぎり上等の食事とお酒をふるまって、二階の一番広い部屋で休んでもらっているよ。なんだかひどく……そう疲れているみたいだったから。傷の手当てもしてあげたけど、あれは、相当わけありだねえ」
「お、おい……おかみさん、もしかして、その連中の中に、大柄な騎士はいたかい?こう、がっちりと体格がよくって」
「ああ、いたよ。それと、何人かの騎士さんと、あとなんだか秘密めいて頭からフードをかぶった女性が二人。それとさっき言った、いかにも高貴そうなお人さ。なんだか、すごい気品があって、まるで逃げ落ちてきた名のある貴族か、もしかして王様みたいな……」
 レークとクリミナは思わず顔を見合わせた。
「……おかみさん、いまその連中は、この宿にいるんだな?」
「ああ、そうだよ。なんだかいかにも訳ありみたいなんで、もう他のお客は店に入れずに閉めようかと思っていたんだ。ああ、でもあんたらは別だよ。おや、どうしたんだい?」
 レークは椅子から立ち上がると、
「ちょっと確かめてくる。もしものために、誰も客がこないか見張っていてくれ」
 クリミナにそう言い残し、宿の階段を駆け上った。
 二階の客室で一番広いのは突き当たりの部屋だ。前に泊まったときに、騎士たちと一緒にざこ寝をした部屋である。
 レークは足音をしのばせて、その部屋に近づき、扉の前に立った。
「……」
 軽くノックをすると、中からガタンと物音がした。
 なにやら、さっと緊張するような気配が感じられ、
「誰だ。おかみか?」
 低い声がした。
「いや、違う」
 レークは声を震わせた。相手の声が誰なのかが、もう分かったからだ。
「オレだ。レーク……レーク・ドップだ」
「なに、なんだと?」
 驚く声とともに、扉が開いた。
「おお」
「よう、久しぶりだな」
 レークはその相手を見てにやりと笑った。
 そこに立っていたのは、がっしりとした大柄な騎士……まぎれもないトレミリアの騎士、ブロテであった。
「おお……まさか。レークどの。本当に……レークどのなのか」
「ああそうさ。クリミナも一緒だ」
「なんと……なんと」
 信じられないというように、ブロテは目を見開いた。その肩には血のにじんだ包帯を巻き、顔にもいくつもの生々しい傷跡をつけている。よほど激しい戦いを切り抜けてきたのだろう。
「よくここが……そして、無事で」
 驚きに包まれていたその顔に、生き生きとした笑顔が浮かんできた。
 部屋いた人々も、ブロテの様子に警戒を解いたたようにこちらにやってきた。そこにはセルディ伯をはじめ、見知った顔のトレミリアの騎士たちが何人もいた。 
「レークどの、おお……」
「よくご無事で」
「ああ、お互いにな」
 驚きと喜びの混じった顔でそこにいる、そんな彼らにうなずきかけるレークにも、ぐっと込み上げて来るものがあった。
「また会えて、嬉しいぜ」
 レークとブロテは互いの目を見交わして、固く握手を交わした。
 スタンディノーブルの城で共に戦い、そして別れ別れになってから、さまざまな変転を経ての、じつに久しぶりの仲間たちとの再会であった。






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あとがき

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