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 水晶剣伝説 Y セルムラードの女王


Z

 暗がりの中に、ぼんやりとした光がひとつ、またたいていた。
 まるで、なにものかに揺り起こされでもしたように、ふっと目を開けたレークは、寝台からむくりと起き上がった。
「う……もう、朝か?」
 眠りに落ちてから、まだほんの一刻とたっていないような気分であったが。
 見回すと部屋はまだ暗かった。うっすらと明るいのはある一部分だけである。
「……なんだ?」
 まるで燐光のような、そのぼんやりとした光……そちらに手を伸ばしてみる。
 つかみ取ったものを引き寄せるてみると、それはあの短剣であった。
 短剣の柄にはめ込まれた宝石が、暗がりの中でうっすらと光を放っているのだ。
「……」
 夢見心地のままであったからだろうか、なんとなく、そんなこともあるのではないかと、さして驚く気持ちにもならなかった。いやむしろ、これが当たり前だというような、奇妙な安心感のようなものが生まれていた。
 レークは立ち上がった。
 すると、短剣は手の中で、さらに輝きを増したように思えた。
 そのまま歩きだすと、足元がふわりと浮かぶような、おかしな感覚があった。
「こいつは、まだ夢の中なのか?」
 そういえば、昼間も不思議な夢を見たばかりだった。
 霧に包まれた神殿のような場所で、女の声がして……
(そいうや、あの女は、なんと言っていたのだったか)
(たしか、水晶剣がどうとか……)
 よく思い出せない。
 だが何故か、これからすべきことはもう分かっていた。頭が勝手に覚えているというような、不思議な感じ……
 この短剣だけあればなにも必要ない……そう思えるのだ。
 部屋の外に出る。向かいの部屋のクリミナを呼ぼうかとも少し迷ったが、やめておいた。これは自分の仕事なのだと、いまはそんな気がした。
 暗い塔の螺旋階段を降りてゆく。
 コツコツと足音が静かに響く。
 ひんやりとした空気と、窓から吹き込む水の匂いのする風が、これが夢ではないことを教えてくれた。
 塔の外に出ると、空には高々と月が上っていた。
 池の水面がゆらゆらと風に波うち、見上げると女王の城の尖塔が、星空をバックにしてその優美なシルエットを見せている。
 辺りに人の気配はまったくなく、聞こえるのはただ、かすかな水の音だけだ。
「……」
 これからどこへゆけばいいのかと、それを考える間もなかった。
 手にしていた短剣の宝石が、突然ぱっと輝いたのだ。
 と思うと、足元をさっとよぎるものがあった。
「なんだ?」
 暗がりに目を凝らすと、そこに一匹のネコがいた。
 ほっそりとした、しなやかな黒いネコである。
 その黒ネコは、その緑色に光る目をきらりと光らせ、こちらを見上げて「にゃあ」と鳴くと、そのまま歩きだした。
「オレに付いて来いってか?」
 レークはにやりと笑い、ためらうことなくそのネコに付いていった。
 狼もネコも、月の魔力を受ける動物であるから、おそらく自分をどこかへと案内してくれるはずだ。そう信じられるのは、この夢とも現実ともつかない、ふわふわとした気分のせいかもしれなかったが。
 先をゆく黒ネコは、レークが付いてきていることを疑いもせぬように、立ち止まることなくトコトコと歩いてゆく。
 ぐるりと塔の裏側を周って、城の外壁にそって造られた、ごく狭い通路ともいえぬようなところを巧みに通り抜けてゆく。一歩足を踏み外せば池に落ちてしまいそうで、レークは足元に気をつけながらそのネコを追いかけた。
「いったい、どこへ連れてゆくつもりなんだ」
 向かっているのは城の東側のようであった。なんとなく、そう……なんとなくだがもう分かっていた。たぶんそうなのだろうと。
 前をゆくネコは、ときおりレークをいざなうように、その黒い尻尾を可愛らしく上下させる。月夜のもと、女王が治める森の王国で、城の裏手の歩廊を不思議な黒ネコに案内されてゆくというのは、なにやら夢か童話の中にいるような気分であった。
「あとでクリミナに話しても、きっと馬鹿にされそうだ」
 レークは思わずくすりと笑いをもらした。
(そういえば、どうもあいつはずっと不機嫌だったな)
 晩餐会の間もほとんど口をきかなかったし、リジェと踊ったときにはとくに、ひどく冷たい目で睨まれたような気がする。
(やきもちか……いや、まさかなあ)
 あの誇り高い女騎士がまさか、とレークは首を振った。
(しかし、まさか)
 それが本当に、自分がリジェと仲良くしていたせいだとしたら……もし、そうなら
(まあ、そのうち、訊いてみるか)
 どこまでも鈍感な浪剣士は、その問題をしばし棚上げすることにした。
 前を歩く黒ネコは、城の東側の塔の裏手まで来ると、ぴたりと足をとめた。歩廊はここで終わっていて、その先はもう池である。
 池の向こうには、木々の間から白い建物が見えている。
(やっぱり、あそこにいくのか)
 だが、池に橋はかかっておらず、ここからでは歩いては行けない。まさか水の中を泳いでゆくわけにもいくまい。
 黒ネコはなにやら、池の対岸をじっと見つめているようだ。
「おいおい、ネコちゃん。まさかこの池を渡ってゆくつもりなのかい。ずぶ濡れになるのはゴメンだぜ」
 ネコの横に立って池を覗き込んでみる。水の深さはどれくらいなのか分からないが、城の堀も兼ねているのだから、足が立つほど浅いはずもない。
「飛んでゆくつもりなのかね?」
 そのとき、黒ネコがぴんと尻尾を立てた。
 と見るや、そのままひょいと水の上にジャンプした。
「おおっ」
 レークは思わず声を上げた。
 ネコが水の上に立っていた。水面に波紋は広がったが、水に沈むこともなく、ネコはそのまま、ひょこひょこと水上を歩きだしたのだ。
「なんだ……これは魔法か。それとも、やっぱりこれは夢なのか?」
 レークは自らの頬をつねってみた。ちゃんと痛みはあるようだ。とすると…… 
「……」
 もう一度、水面にじっと目をこらす。よくよく見ると、池の上には一本の筋のように、ごくわずかに色の違う場所があった。
「なるほど……そういうことかい」
 おそるおそる、レークは水面に足をつけてみた。
「おお」
 くるぶしまで水につかるくらいの深さに固いものがあった。かろうじて片足が置けるくらいの、それはごく細い足場であった。それがまっすぐに続いている。つまり、水の中に細い石の橋があったのだ。
「なるほど。水に隠れた渡り石ってわけか。しかし、こいつはなかなか渡るのが大変そうだぜ」
 水中にある細い石橋を歩いてゆくのは、滑りやすくなかなか難儀に思えた。レークは履いていた靴を脱いで裸足になると、もう池の半ばほどまで進んでいるネコのあとを追って、水の上を歩きだした。
「おい、ネコちゃん、待ってくれよ」
 両手でバランスをとりながら、渡り石を踏み外さぬよう、一歩ずつ進んでゆく。冷たい水の感触に慣れて来ると、しだいにテンポよく足を踏み出せるようになった。
「しっかし、もしずぶ濡れになって帰ったら、城のやつらに怪しまれそうだな。それに第一、女ばかりの城じゃあ、まともな着替えもなさそうだ」
 つぶやきつつ先を見ると、ネコはすでに向こう側まで渡りきって、池のふちの石の上にちょこんと座っている。
「待ってろ。こっちも、もうちょいだ。おっとと……」
 ふらりとしながらも、なんとか上体を保ち、石の上を歩いてゆく。
 そうして、レークもなんとか池を渡りきった。
「ふいー。本当に夢の中なら、水の上も歩けただろうに。なあネコちゃん。おや、」
 見ると、さっきの黒いネコとは別に、もう一匹の、こちらは真っ白なネコが並んでいた。
「いつのまにか二匹になって……ああ、そういや、女王の広間で白いのと黒いのがいたような気がしたな。すると、お前らは女王のネコなのかい?」
 話しかけると、二匹のネコはその緑色の目でレークを見上げ、意味ありげに「にゃあ」と鳴いた。
「ふうむ。面白いこった。それに、なんだかこの神殿も……」
 大きな四つの円柱が並ぶ神殿が、周囲を木々に囲まれて、夜の中にひっそりとたたずんでいた。ぽっかりと開いた入り口は、まるでレークをいざなうかのようで、正面から見ていると、ふっと吸い込まれそうな気分もになる。
 しばらく神殿を見上げていると、二匹のネコはさっさと石段を上って、神殿の入り口に入っていった。それはまるで、彼らは最初からここに住んでいるのだというふうに。
「ああ、行きますよ。ここまで来たら、中に入らなきゃいけない気になってきた」
 レークもネコたち続いて石段を上り、円柱の間に開いた神殿の入り口へ入った。
 神殿の中はとても暗く、冷え冷えとして静かだった。
 ここは、いろいろな儀式を行ったり、ときに都市民たちが集まって、女王の言葉を聞くのにも使われる場所だという。中はひとつの広間のような大きな空間になっていた。中央には円形の噴水があり、神殿の奥は何段か高くなった舞台のようになっている。
 手にしている短剣の宝石が、ここに入ったとたんに、いっそう強く輝きだし、松明の代わりに辺りを照らしてくれた。短剣の光を頼りに辺りを見回してみるが、レークの予想に反して、ここは夢で見たような回廊ではなかった。
「ううむ、思っていた場所とはちょっと違うなあ」
 てっきり、ここに来ればあの夢の中で見た光景が見られるのだろうと、そう思っていたのだが……やや当てがはずれた気分であった。
 このまま外に出るのもつまらないので、ともかくレークは神殿の奥まで歩いていった。
 神殿には人の気配はまったくなく、静まり返った暗がりを、冷たい床石を裸足でひたひたと歩いてゆくのは、どうも薄気味の悪い感覚だった。
 奥まった場所にある、舞台の上の壁際には、女神をかたどった彫像が何体か置かれ、静かにこちらを見下ろしている。きっと女王がこの舞台の上に立つと、それは神々しく見えるのに違いない。
「さてと、どうしたものか……」
 他にはとくに目につくようなものはない。神殿内をぐるりと一周するようにして、また戻ってゆくと、さっきのネコたちが噴水の周りを走り回っていた。
「おい、ここはお前らの遊び場なのかい?」
 ネコたちは、さかんににゃあにゃあと鳴きながら、一見まるでじゃれ合うように、ぐるぐると走り回っている。その様子は微笑ましくもあったが、ここが森の王国の神殿であることを思えば、それもまた幻想的な様子にも思えるのだった。
 黒と白のしなやかな二匹のネコたちは、女王の飼いネコなのか、それとも、この神殿の案内人なのか。思わずレークはふっと笑った。
「ネコの案内人か……おかしな話だが、こんな満月の夜には、それもアリかもな」
 なにげなく噴水に近づき、その泉を覗き込んで見ると、透明な水をたたえた底の部分に、なにやら複雑な文字盤のようなものが見えた。それが何語で書かれているのかはよく分からなかったが、かつて少しだけ学んだことがある古代アスカ語に少し似ているようだ。
「アレンでもいりゃあ、すらすら読めるかもしれないがな」
 レークは水の中に手を入れてみた。
 泉は案外深く、底までは手が届きそうにない。よく見ると、底に見えている文字盤の上部にはいびつな形をした穴が空いていた。たぶん、そこから水がどこかへ流れてゆく仕組みのだろう。
「……ふむ」
 その奇妙な形の穴をじっと見つめていたレークは、なにを思ったか、手にした短剣を水の中に入れた。
 とたんに、短剣の宝石が水の中で強く光り出した。
 走り回っていたネコたちは、ひょいと噴水のふちに飛び乗ったと思うと、いよいよ騒がしく鳴き始めた。
 短剣はゆっくりと水の中へ沈んでゆく。
 そして、まるで吸い込まれるようにして、底の穴へはまった。
「……」
 しばらくはなにも起きなかった。
 だが、
 二匹のネコが、いきなりフッと唸りを上げた。
 ゆっくりと、水底の文字盤が動きはじめていた。
「おお」
 文字盤が左右に開かれてゆくと、そこから水が一気に流れ出し、みるみるうちに泉の水位が下がってゆく。
 やがて、水底にはぽっかりと開いた穴ができた。人一人が通れるほどのその穴には、地下へと続く階段が見えている。
「こいつは……驚いた。こんな仕掛けが隠されていたとはな」
 驚きながらその穴を覗いていると、二匹のネコがひょいと水底に降り立った。ネコたちは「にゃあ」とひと鳴きすると、そのまま穴の中へと消えていった。
「……やっぱり、オレにもそこに入れってことだよな。これは」
 少し迷ってから、レークも泉の底に飛び下りた。覗き込むと、穴の中の階段は、水を滴らせながらずっと下へ続いているようだった。
「ともかく、行ってみますか」
 鍵の役を果たした短剣を拾い上げ、レークは穴の中の階段に足を踏み入れた。
 足をすべらせぬよう気をつけながら、短剣の光りを頼りに、水が流れる階段を降りてゆく。両側を壁に挟まれ、人ひとりがやっと通れるほどの狭い穴の中へ降りてゆくのは、まるで地中深くへと潜ってゆくような、不気味な感覚であった。
 ゆうに二階分くらいは降りてきたろうか、いい加減この狭さにうんざりとし始めたころ、唐突に階段が終わり、同時に周囲がふっと広がったような気がした。
「着いたのかな」
 光る短剣を松明のように顔の前にかかげて、辺りを見ると、
「おお、」
 そこは、地下の回廊であった。
 幅はそう広くはない回廊の両側には等間隔に円柱が並び立ち、それがまっすぐに奥へ続いている。降りてきた階段は、そのまま水路へつながっていて、回廊の中央をゆるやかに水が流れてゆく。
「ここは……」
 レークは声を震わせた。
 この回廊は、夢で見たのと同じ場所だった。
「ここが……そうだったのか」
 天上高くそびえる円柱群、暗がりの先へとどこまでも続いてゆく回廊……水路を流れる水音、そして、自分が裸足でいることも、あの夢の通りだった。
 違うのは、これが夢ではない現実であることをはっきりと感じさせる、しめった空気の匂いとひんやりとした冷たさ、そして、水路を流れる水の、その確かな水音であった。
 先に降りていたはずのネコたちの姿は、どこにも見えなかった。鳴き声も聞えない。
 あたりはしんと静まり返り、ゆるやかな水音だけが聞こえている。
「……」
 レークは回廊を歩きだした。
 ここを進めば、きっと、あの夢の通りのことが起きると……そんな期待とも、確信ともつかぬ思いとともに。
 だが、しばらく歩いても、水路の水は宝石のように輝きはせず、それが水晶に変わるようなことは起こらなかった。冷たい床石で足は凍えるようだったし、地下の暗がりを奥へと進んでゆくのは、ぼんやりとした夢の中とは異なる、実際的な恐怖も感じた。
「どこまで続くんだ……」
 そうつぶやいてみると、よけいにこの暗がりの回廊が果てのないものに思えてくる。水はどこまでも流れてゆき、それに誘われてこのままゆけば、もう二度とは戻れない永劫の闇へと入り込んでしまうのではないかという、そんな恐ろしい想像が頭をよぎる。
(だが、これは現実だ)
 ここは夢のようなあやふやな空間ではない。そうである以上は、回廊には終わりはくるはずだ。そう信じて、レークは短剣を握りしめた。
 さらにしばらく進んでゆくと、ついに回廊の前方になにかが見え始めた。
「あれは……」
 どうやら、そこが回廊の終点であるようだった。水路はそこでとぎれており、まるで壁の中に吸い込まれるようにして消えている。
 そして、その回廊の終点となっている壁は……ただの壁ではなかった。
「なにかが、光っているようだな」
 近づくにつれ、それはいっそう強い光であるのが分かった。
 光り輝く壁……
 水路の水が吸い込まれると、壁はさらに青く、そして紫に、きらきらと輝くのだ。
「こいつは……」
 レークは思わず息を飲んだ。
 それは水晶であった。
 一面が、天然の水晶の巨大な壁であったのだ。
「すげえ……」
 暗い地下の回廊でも、まるでそれ自体が生きている発光体であるように、水晶の壁はまばゆいばかりに、青紫の輝きを放っている。
 引き寄せられるように、レークは歩いて行った。
 握りしめる短剣の宝石が、これまでになく強く光りだしている。
「本当に、これがぜんぶ、水晶でできているのか」
「その通り」
 声がした。
 男とも女ともつかぬ、やや高い、それでいて静かな声。
 レークは驚かなかった。
 あの夢の中のように、頭の中に直接響いてくる声ではなく、それははっきりと存在する声であった。
「よくぞここまで参られたな」
 水晶の壁の前に、ゆらりと人影が現れていた。そこには、石でできた腰掛けと石のテーブルがあり、よく見ると、その石も水晶を含んでいるのか、ほのかに輝いている。
 その人物の足元には、さっきの白と黒のネコたちが、ちょこんと行儀よく座っている。
「シルバンとジルファンに案内させたが、それでも、短剣の鍵がなければここには辿り着けない。なので、やはり、ようこそと言っておこう。レーク・ドップどの」
「あんたは……」
 レークはじっとその相手を見つめた。
 それはあの夢の中に出てきた女のようでもあったが、少し違うようでもあった。ただ、なにより、はっきりと実在の輪郭をともなった人間であるのは間違いない。
「意識体の私は、つい女になってしまう癖があってね」
 彼女は……彼女とそう呼んでもいいものならば……妖しげな笑みを浮かべると、こちらに来いとばかりにそっと手招いた。透けるような薄いローブから覗く、白く細い指をひらひらと動かせて。
「どうした。私ですよ。お会いしたでしょう。夢の中でのことはともかく、広間にて」
「あ、ああ……そうか」
 水晶の輝きに照らされて、だいぶ印象が異なっていたせいだろうか。レークはようやく思い当たった。
[さあ、こちらに。こんなところで立ち話も気疲れでしょう。どうぞ、こちらに来てお座りを」
 エルセイナ・クリスティン……セルムラードの宰相は、ゆったりとうなずきかけた。
 レークはなおもうさん臭げに眉をひそめつつ、目の前に立つ、黒い髪に半ば顔を隠した、その男とも女ともつかない相手をじっと観察していたが、やがて腹を決めたとばかりにそちらに歩み寄った。
「もう自己紹介は無用でしょう。レークどの」
「つっても、オレはあんたのことはなにも知らないんだぜ」
 床から突き出した石の腰掛けに座ると、レークは相手を見つめた。
「オレはあんたが女なのか男なのかも知らないし、あんたがあの夢に出てきた奴なのかどうかも知らない。もし、そうだとしたら、ああいう魔法めいたやり方は、オレは好きじゃない。人の夢に勝手に出てきて、オレを操るようにしてここにつれて来るなんざ」
「それについては、いささか強引ではあったと認めるけれどね」
 彼女は、ほっそりとした顎に指を当て、少し愉快そうに言った。
「あれは正確に言うと夢ではなく、お互いアストラル体という意識体になって遭遇したということなのだが。まあいい、しかし、ともかく、ここに来たのはあなたの意志でしょう。ちょっとした案内はあったにせよ」
 エルセイナの足元に、二匹のネコが甘えるようにして絡みつく。
「そう、お互いの意志であったというべきか。私たちがここで出会うのはね」
「そのネコはあんたのかい?てっきり女王のネコかと思っていたが」
「シルとジルは私の……そう、子どものようなもの。陛下にもよくなついておられるが、月の魔力を受ける存在としては、よほど私の方に近い部類なのだろうな」
「よく、わからねえが」
 レークは眉を寄せた。
「その月の魔力で、もしかしてあんたは、山の中で狼にオレたちを案内させたのかい?」
「いいや、そうではない。あれは私ではなく、君の剣の力だ。むろん、その魔力の動きについては、遠く離れていてもその発動は感じ取れるから、君たちがドレーヴェに近づいていたことは分かっていた。だから、陛下に進言して遊撃隊を斥候に出したのだ」
「剣の力……」
 レークは手にしていた短剣をあらためて見つめた。
「そう。それは私がアドに渡したものだ。そしてアドが君に渡し、こうして私のところにまた戻ってきた。これも剣の力による運命の帰着というのだろうかね」
「あんたは、これを……この短剣のことを、よく知っているみたいだな」
「まあね。それは世界に四本しかない水晶剣の短剣。ひとつは今、そうして君が持っており、ひとつは君の金髪の相棒のもとにある」
「やはり、アレンの持っているやつと、これは同じものなのか」
「正確には、それぞれの石に込められた魔力というのは、いくぶん種類が異なるのだが、まあ同様のものといってもいい」
 謎めいた宰相は、艶やかな黒髪をすいとかき上げると、自らのローブの懐に手を入れた。
「そして、三本目はここに」
 その手には、レークの手にする短剣と、まったく同じものがあった。
「あんたも、持っていたのか」
「ほら、見るがいい。埋め込まれた水晶が共鳴している」
 その短剣をレークの短剣に近づけると、二本の剣はいっそう強く輝き出した。柄に埋め込まれた宝石が、これまで見たこともないような……赤や黄色や青の、次々に色合いの変わる光を放ちだした。
「私のは赤、君のは紫、それぞれの水晶の持つ輝きが合わさり、その互いの魔力を接触させている。こうすることで、剣たちは互いの存在をまた確認し合う」
「剣たちって……まるで生き物みたいな言い方だな」
 まばゆいばかりの輝きに圧倒されながらも、それに見入ってしまう。レークは引き込まれるように、輝く二本の短剣を見つめていた。
「ある意味ではそう。剣は生きているのだ。かつてマーゴスが己の命と引き換えに、すべての魔力を封じ込めた剣。それが水晶剣だ。この短剣はいわば、その余りで作られた剣にすぎないが、それですらも魔力の大きさは遠くからでも感じ取れる」
「水晶剣……あんたは、水晶剣のことも知っているのか」
「むろん。それがどこにあるのかも」
「どこだ?どこにあるんだ?」
 レークは思わず身を乗り出した。
「それは、君ももう知っていよう。なにしろ、君はもう会っているのだからな」
「なに……なんだと」
「分からないのか。強大な魔力はときに、強力な野望と相互に引き寄せ合う。そうすることで、剣の魔力はその持ち主に取り付き、野望と欲望のエネルギーを吸収する。それはだが、ちっぽけなものではだめだ。強大な……そう、一人の人間が望むには大きすぎるくらいの望みでなくてはならぬ。それがいわば、魔力を持つ剣をさらに育て、その力をより強大にしてゆく糧となる。たとえば、他国を侵略し、支配するための力。一人の王子がそれを得たとき、世界はそれに巻き込まれ、嵐のような変化に飲み込まれてゆく」
「王子……それは、黒竜王子のことか」
 エルセイナはうなずくでもなく、ただ静かにレークの目を見返した。
「やはり、あれが、あのときの剣が……水晶剣だったのか。なんて、こった」
 驚きに打たれながらつぶやくレークに、エルセイナは囁いた。
「あの王子と剣を、すぐ間近にして生き延びただけでも、それはたいしたものだというべきだろう。そうして君はここに来た。私がアドに託した水晶の短剣を手にして」
「短剣は四本あると言ったな。ひとつはアレンが、ここにふたつ、そしてもう一本はどこにあるんだ?」
「アスカに」
 それは秘密でもなんでもないというように、彼女は簡単に言った。
「アスカ……」
「そう。私も君も、縁の深い国だろう。それに君の相棒のアレイエンも」
「あんたは、なにもかもを知っているのか」
 ぞくりとするような気持ちで、レークは尋ねた。
「あんたはいったい……なにものなんだ?」
「私がなにものか、と?」
 氷のような、彫刻のような、その冷たく整った顔には、なんの表情も浮かばない。ただ嘲笑めいたかすかなため息が、その唇からもれる。 
「それは知っても仕方がない。それは、今知るべきことではない。とくに君には、そう……まだ早い」
 意味ありげなその言葉に、レークは眉を寄せた。
「では、では、オレをここに呼んだのはなんのためだ」
「それは、ひとつにはその水晶の短剣をどうしようかということ。なにしろもともと、それは私のものなのだから。もうひとつには……」
 エルセイナの目が、まるで水晶の輝きを吸い込んだかのようにきらめいた。
「そう……未来が、かかっている。君の行動にはね。だから、セルムラードの宰相としても、トレミリアへの協力を惜しむような真似はしない。ウィルラースのよこした書簡についての答えはもう出ている。陛下にしてもそれを望むだろうから」
「よく、分からないが。つまりどういうことだ」
「つまり……そう、簡単に言うのならこうだ。水晶剣を追い求めるのは、もうやめておくがいい」
「なに……なんだと?」
「そうは言っても、君のあの相棒は案外頑固だから、聞きやしないだろうけれど。少なくとも、君だけは肝に命じておくがいい。水晶剣を手にするということは、世界中の不幸をその身にまとうことなのだ。いや、あるいは権力や暴力、征服を好む人間には、それは代えがたい快感なのかもしれないが。不幸自体が力になるという、その負の連鎖を具現化することで己の存在を見いだそうとするような種類の人間にとっては。あるいは、どうあっても手に入れたい最強の武器となるのかもしれない」
 淡々と話されるそれらの言葉は、一国の宰相というよりは、予言者か、まるで哲学者の言葉のようでもあった。
「そう。不幸そのものをエネルギーに変えてゆくというのは、とてつもないパワーを必要とする。そのパワーを魔力に求めた時点で、そのものはもう、二度と戻れない破滅への道を進み始めるのだ。なので、魔力を食べて生きるものと、そうではないものの間では、いずれ道は分かたれることになる。片方は魔人としての生きかたを望み、そうでない方はその相手を憎むことになるかもしれぬ。たとえ、今はまだ同じ方角を向いていると、そう思えたとしてもだ」
「……」
 彼女の話す言葉の意味は、今のレークには半分も理解できなかった。ただひとつだけ確かなのは、この人物の存在はおそらく自分やアレンにとって、どうやら単なる森の王国の宰相という以上の意味をもつらしい、ということであった。
「分かるかな。あのジャリアの黒竜王子は、もはや魔剣の力にとりつかれ、互いに離れられぬ状況……相互依存の状態にある。人間の黒い欲望、野望を源とし、剣の力はさらに増してゆく。そしてその剣を持つものは、己の強大な力と、その全能感に酔いしれ、しだいに麻痺してゆく。人を殺すこと、国を滅ぼすことなどは造作もないと。それが破滅の道でないとしてなんだというのか。次々に敵を倒し、いくさを続けて、国を侵略する。そうして、すべてが自分のものとなったとき、そのものはどうなるのか。安定には満足などできぬ。魔人に安息などはない。より強大な相手を求めて、いくさを、人殺しを求めて飢え、血を欲してさまよい続けることになる。どれだけの人間をその手にかけても、大陸中の国を滅ぼしてもまだ足りない。そんな悪魔のような人間が今、確かに育てられているのだ」
「……」
「戦えば戦うほど、あの黒い王子は喜ぶだろう。国々が抵抗すればするほど、より殺戮への欲求は昂るだろう。その興奮にひとときの満足を得ながら、また次の渇きが襲って来る前に、彼は次の生贄を探すだろう。それが不幸でなくてなんだというのか。剣の魔力と人間の欲望が深く結びつけばつくほど、その力は強大になる。周囲の人間と、国を巻き込んで、まさしく竜巻のようにそれらを巻き上げ、飲み込んでゆくのだ」
「しかし、戦わなくてはジャリアは、どんどん、そうだ……いずれはこの国にだって侵攻してくるだろう。戦わなくては。他にどうするってんだ」
「そう。戦いは避けられぬ。これからさらに、大きな戦いが待ち受けているだろう。大陸中を巻き込んだ、大きな戦いが」
 エルセイナの声はまったく高ぶることなく、むしろいっそう淡々として静かに、あの水晶の壁に響くかのようだった。
「水晶剣がそうさせるのならば、それは止めようがない。一度膨らみ上がった魔力は、すべてを解放せぬ限りは消えることはない。我々にできるのはただ、それを見守り、なるべくつまらぬ介入をしないことなのだ」
「だが、今でもオレの仲間たちはウェルドスラーブで戦っているんだ。そして、やつらは、ジャリアどもは、これからトレミリアにも侵攻してくるだろう。一刻も早い援軍がいる。あんたはこの国の宰相だろう。だったら友好国であるトレミリアのために、そしてトレミリアが助けようとしているウェルドスラーブのために、すぐにも派兵の決定をしてくれ」
「それについては、もう少しの時間がいる」
 にわかに宰相としての口調になると、彼女は論理的に説明をした。
「ウィルラースからの書状というのも、じつのところ想定の範囲内さ。トレミリアとの協力を呼びかける、つまりは派兵の要請だ。その他の細々とした事項もあったが、まあそれらはおおむね女王の決定されること。しかし、派兵となると、セルムラード各地の主要な公爵たちを呼び集めねばならない。見てのとおり、このドレーヴェを守るのは、遊撃隊の他には、たった千人ほどの都市貴族による兵員がいるだけだからな」
「はっ、優雅なお国だぜ。まあ、こんな山と森とに囲まれた、それも丘の上にある都市に攻め入ろうなんていう、そんなご苦労な敵はめったにいないだろうからな」
「だが、魔剣を持ったあの王子の軍勢ならやるだろう。いまのところ、ウェルドスラーブをほぼ手中に収めたばかりだが、次はロサリイト草原を西へ進軍し、トレミリアを狙い、その次にはこのセルムラードへと手を伸ばしてくるのは誰にでも読める。なので、派兵については私も反対する理由はない。ただ、それを決定したとしても、どのみち各地の騎士たちや兵を集め、編成するのには最低限もう数日の時間が必要となる」
「ちょっとまて……」
 レークは思わず身を乗り出していた。
「今、ジャリアがウェルドスラーブを、ほぼ手中に収めたと、そう言ったな。それは……どういうことだ」
「どうもこうもない。その通りの意味だ」
 あくまで冷徹にエルセイナは告げた。
「ジャリア軍に包囲されていた首都のレイスラーブ。その城壁がさきほど破られ、武装したジャリア兵たちが一斉に町になだれ込んだ。こうなったらもはや、首都の陥落は決定的だと、そういうことだ」
「なん、だって……レイスラーブにジャリア軍が」
 レークは言葉を失った。
「遅かれ早かれ、こうなることは予想できた。だが、二日ほど早いな。私の予測よりも。ジャリアにはなかなか優秀な軍師がいるようだ」
「だが、あんたはいま、ついさきほどと……そう言ったな。どうして分かる。ウェルドスラーブからは早馬を飛ばしても、いくら快速船を使っても丸一日以上はかかるこのドレーヴェにいて、どうしてその情報を知ることができるんだ」
「見てきたからさ」
 エルセイナはあっさりと言った。まるで、隣町にでも行ってきたというように。
「見てきた……だと。そんな馬鹿な」
「べつに、どうということはない。アストラル体となって見てきたのだ。ちょうど城壁が破られるところだったよ。坑道を掘るでもなく、投石機と簡易の攻城塔だけで城壁を突破するとは、あれはなかなか見事なものだった」
「アストラル体……それは、さっきも言っていたが、オレが夢でこの場所を見たような感覚なのか」
「基本的にはそれに近いものがあるが、ここではそう、もう少し高度な飛翔ができる。この……」
 エルセイナは立ち上がると、妖しく輝く水晶の壁を指さした。
「水晶の力を飛翔のバネにしてね。なんなら君も見てくるか?」
「見てくるって……オレにもできるのか。そのアストラル体とかってのが」
「できるとも。なにしろ水晶の短剣がここに二本も揃っているのだから。意識体となれば、ウェルドスラーブなどへはほんの一瞬でゆける」
 彼女が水晶の壁に近づいてゆき、それに手を触れると、その体に一瞬、水晶の輝きが吹き込まれたように見えた。
「どうする?」
「できるなら見てみたい。レイスラーブが、仲間たちがどうなっているのかを」
 やや迷ってからレークは答えた。
「そのアストラル体というやつになれば、この目で実際に見られるというのなら。頼む」
「見られるとも。二本の剣と水晶の力があれば。あとはちょっとしたコツと、いくつかの注意を心にとめておくこと、それだけさ」
 エルセイナはそう言うと、水晶の壁の前に短剣をかざした。そして、ぶつぶつとなにかを唱え始めた。
 レークの見守る前で、彼女の短剣の宝石がきらきらと輝き始める。
「さあ、これでよい。レークどの。こちらへ」
「あ、ああ……」
 エルセイナの言う、「意識体」というものが、実際にどういうものなのか、それもよく分からなかったし、彼女に身を預けてしまうことに不安もあった。だが、それよりもレイスラーブが今どのような状態にあるのか、それを知りたいという強い気持ちが勝った。
 レークが意を決して壁の前に近づくと、エルセイナは短剣を差し出した。
「二本の剣を両手に持って、何度か深呼吸をして。それから左右の剣を持ち替えて同じようにまた深呼吸。それで、感覚的にいいと思った方の手で剣を持つといい」
「分かった」
 レークは言われた通りに剣を手にすると、深呼吸をした。すると、水晶の壁から、自分に向かって輝きが注ぎ込まれるような、そんな感覚があった。
 剣を持ち替えて同じようにすると、また同じような、暖かいようなまぶしいような光が、自分を包み込んでくる。
「なんとなくだが……こっちの方がいいみたいだ」
「ではそれで。次にその場で寝そべって」
「ここでか」
「膝を立てて寝そべる体勢が一番リラックスできるのだから。まあ立ったまま意識を飛ばすこともできることはできるが、その場合、脱け殻となった体が倒れて、戻ってきたときに怪我をしているなんてことにもなりかねないから」
 くすりとエルセイナは妖しく笑った。
「……」
 この男でも女でもないような謎めいた人物を、本当に信じてもいいものかと、レークは一瞬また考えたが、もう心を決めた以上、あとはなるようになれと思うしかなかった。
「では目を閉じて。心からリラックスして。安らぎながら眠るような気分で」
「……ああ」
「そう。ゆっくりと呼吸をして。いいかな。眠りに落ちそうな瞬間がきたら、大きくジャンプするようなイメージで。空に向かってね。あとはただ、ゆきたい場所を心に念じて飛べば、そこへゆける。ただし、これだけは覚えておくように」
 目を閉じてゆっくりと呼吸をしていると、しだいに気分が落ち着いてきた。頭の中では水晶の輝きが赤や青にまたたいている。
 エルセイナの声が響いた。
「意識体となっている間は、たとえ目の前にあるものでも、実際には触れることはできない。こちらからは見えていても、現実の存在である相手には見えない。声は聞こえても、相手には聞えない。あくまで君は実体のない意識にすぎないのだということを忘れずに。無理に実在の相手に干渉しようとすれば、現実とアストラル界の波長が乱されてしまう。意識体のままで、もし現実の存在との過剰な接触をしたならば、君の意識はもうここには戻れなくなってしまう。そうなれば、ここにある君の体は魂を失い、死んだも同然だ。そのことを忘れぬよう。それから……」
(ああ、なんだか……不思議な感覚だ)
 まるで、体が溶けてゆくような、奇妙な感覚……しかし、それがちっとも嫌でなく、むしろ安らぎに包まれた暖かさ、安堵感のようなものがじわりと広がってゆく。
 閉じた目の奥に、ちかちかと輝いているものはなんだろうか。夜空の星々のようなそれは、赤に青にとまたたき、ときにゆるやかに回転したり、ぱっと強く光ったりと、それ自体が生きているかのようだ。
「それから、もし、もしも、意識体である君のことを認識するような相手と出会っても、無用に関わることは決してしないことだ。もっとも、地上に生きる人間で、それほど鋭敏な力をもつものなど、ほとんどいはしないのだが。さあ、私の注意がすべて分かったなら、分かったということを心に念じてみるのだ。さあ」
(ああ、分かったよ。エルセイナさん……)
 心で答えると、エルセイナはそれをすぐに理解したようだった。
「よし。では、そろそろ水晶の力も充分入ったはずだ。アストラルジャンプはイメージの力で左右される。強く飛ぶことを念じるのだ。強く、高く、と」
(強く……高……く)
 ゆるやかに意識が遠のくような、それでいて、ゆっくりと持ち上げられるような、不思議な感覚……
「おお、水晶の壁が光り始めた……」
 それが最後に聞いたエルセイナの声だった。
 そのまま深い眠りに入るように、レークの体から力が抜けた。


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