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 水晶剣伝説 Y セルムラードの女王


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 一方、首都の城壁内に立てこもったウェルドスラーブ軍は、外から押し寄せる敵に対して、矢と投石での反撃はしていたが、攻める側と守る側との勢いの差は、もはや歴然であった。
「ご報告します!西側と北西側から、ジャリア軍が城壁へ迫ってまいりました!」
 報告を受けたフレアン伯は、すでにそれを予期してもいたように、声を上げることなくわずかに眉をひそめて、その場にいた他の面々を見渡した。
「きたか」
「ついに、敵の全面攻撃が始まりましたな」
 城の広間に集まっていたのは、スタンディノーブル城から脱出してきたフレアン伯、フェーダー候をはじめ、同じくそれに同行してきたセルディ伯、ブロテといったトレミリアの面々、それにウェルドスラーブの主だった貴族たちと、それぞれの部署の責任をもつ騎士隊長クラスのものたちであった。もたらされた報告に、彼らは一様に顔を見合せ、深刻な顔でうなずき合った。
「いずれはそうなるとは踏んでいたが、少しばかり早かったな」
「おそらくは、敵方の陣営に命令を下す大将が現れたということでしょう」
「つまり、黒竜王子のおでましか」
 城壁の攻防戦が昨日、今日と、徐々に激しさを増してきていたことは確かであったが、これまでのところは物見の塔のひとつと、一部の城壁が損壊した程度で、人的な被害はさほどでもない。もちろん敵の侵入は許していないし、このレイスラーブがよもや敵の手に落ちることなどはないだろうと、誰もが楽観的に思っていたのだが、
「また繰り返しますが、今朝の報告で、ティサードリアから出港したアルディのガレー船団五十隻がこちらの領海内に侵入、それに対抗するため北の港から、我が海軍のガレー船団五十隻を向かわせました。現在、ヴォルス内海にて双方の海軍が睨み合いの状態です」
「海からはアルディ軍、陸からはジャリア軍……このレイスラーブは完全に包囲されつつある、というわけだ」
 あらためて現状を整理するにつけ、今やこの都市が想像以上の危機的な状態にあることは、もはや誰の目にも明らかだった。
「トレヴィザン提督の船団は?」
「昨日の報告の段階では、オルンカンドから発進したアルディ海軍のガレー船二十隻と、ダーネル海峡付近にて交戦中。それ以後の連絡はありません」
「そうか。提督はご無事でおられるだろうか」
 人々はしんとなって黙り込んだ。
 バーネイ、ディナブーリ、スタンディノーブル、オールギアと、ウェルドスラーブの主要な城塞都市がことごとくジャリア軍の前に屈し、残るのはもうこのレイスラーブのみ。それでもトールコンから出発したというトレヴィザン提督の船団は、包囲されたこの都市にいる者たちにとっては、唯一の希望のようなものであったのだ。
「もし……提督の身になにかあったら、わが国は……」
 そのとき、静まり返った広間の扉が開かれた。
「なにをたわけたことを」
 その声に、人々がはっとしたように顔を上げる。
「トレヴィサンは必ず戻って来る。そうであろう」
「これは、陛下……」
 ウェルドスラーブ国王、コルヴィーノ一世は、席から立ち上がった人々を見渡し、力強くうなずきかけた。
「大事ない。儀礼的な礼などはこの際不要。方々、席につかれい」
 国王は、自らもこの会議に加わるのだという意志を見せ、人々の座る卓をぐるりと周って、奥の玉座についた。
「余のところにも報告は届いている。事態はますます悪くなっているようだな」
「おそれながら」
 進み出たのは、コルヴィーノ一世からも信頼の厚い、マルカス公爵であった。マルカス公は、四十がらみの穏やかな人物で、知性と決断力をそなえた有能な文官である。ウェルドスラーブにおいては、いわば内政面での責任者で、軍務の大将であるトレヴィザン提督、宰相であり外交官でもあるフェーダー候とともに、この国の支柱をになう存在であった。
「レイスラーブは現在、危機的な状況にあると申せます。陸側からはジャリア軍の攻撃がいよいよ激しさを増し、海側からはアルディ海軍が浸入、ヴォルス内海とダーネルス海峡を封鎖しております。事実上すべての退路は絶たれたと申せましょう」
「それで、」
 まだ三十半ばという年齢でありながら、さすが剛毅王とも呼ばれる国王は、その顔に一切の不安も恐れも覗かせず、ゆっくりと人々を見回して言った。
「その現状において、最善の策とはなんであるか、端的に発言できるものはいるか?」
「僣越ながら、私のお考えを述べさせていただきたく存じます」
「フレアン伯か、申してみよ」
 王の前にひざまずいたフレアン伯の鎧には、スタンディノーブルからの連戦の凄まじさを示すように、剣による傷や、血の付いた黒いしみがいくつも残っていた。セルディ伯らとともにレイスラーブに戻ってからも、休む間もなく城壁の守備隊を指揮し、前線に立ち続けた伯であるが、その顔には疲れの色はなく、むしろ強い覚悟が宿っていた。
「城壁上にて指揮をしてまいりましたが、ジャリア軍の数は昨日よりさらに増え、その数は一万を超えようかというほどです。それとともに、投石と火矢の攻撃も激しさを増し、現在物見の塔の二カ所が破壊され、城壁の損壊も時間とともに大きくなっております。さらに敵は巨大な破城槌を完成させ、西の城門を突破しようと目論んでおります。我が兵は、なにぶんこれまでに籠城戦の経験に乏しく、昨日からの不眠もあっていくぶん士気が低下しております。弓と投石での反撃も続けてはおりますが、敵へ与えられる被害は微々たるもの。また同時に、海側からのアルディ海軍も、おそらくジャリア軍と連動して、ほどなくして大きな動きを見せてくるものと思われます。つまり、いよいよ陸と海からの敵の本格的な総攻撃が始まったのです」
 前線に立つフレアン伯の生々しい言葉に、フェーダー候をはじめ、マルカス公、セルディ伯、それにブロテらは、みな厳しい顔つきで腕を組んだ。 
「正直なところ、このレイスラーブの全兵員を動員したとしても、ジャリア軍の包囲を打ち破ることは……難しいと存じます」
「たしかに」
 口を開いたのはフェーダー候であった。
「もともと、我が国はヴォルス内海をはさんでの、アルディとの緊張関係から、これまで陸兵よりも海軍に重きをおいてきましたからな。それゆえ、こうして城壁外からの攻撃に関しては、あまり想定してこなかった。これまでは城壁の補強よりも、一隻でも多くのガレー船をと、海側の防備に神経を使ってきたつけが回ってきたのかもしれませんな。また陸戦においては、やはりジャリアの強力な兵力に劣ることは無理なきこと。そしてスタンディノーブル城を先に落とされて、トレミリアやセルムラードなど、西側からの援助も望めなくなった今となっては、わが国はまさしく孤立無援の状態」
 フェーダー候は、自身もトレミリアからの遠征軍とともに、スタンディノーブル城に足止めをくらい、そこであの過酷な籠城戦を生き延びてきた身であるから、その言葉には実感をともなった現実の重みがあった。
「また、肝心の海軍の方も、トレヴィザン提督がおられないのでは、それこそ『船団あって提督なし』ということわざ通り。統制のとれない海戦ほど無残なものはありませんからな」
「確かに、提督がおられなくては、アルディの新型ガレー船団と渡り合うのは、難しいでしょうな……」
 広間の人々は再び静まった。誰もがうなだれたようにして腕を組み、打開する策はないかと考え、あるいは考える風にしていた。
「トレヴィザンは来る」
 玉座からの言葉に、人々ははっとして顔を上げた。
「やつは来るとも」
 国王は立ち上がっていた。
「出立のとき、トレヴィザンは余と約束をした。必ず、首都に帰って来ると。やつは確かにそう言った。余はそれを信じる」
「そうですぞ」
 国王の言葉に、フレアン伯も力を得たようにして人々を振り返った。
「提督は必ず来る。それまで、このレイスラーブを守り抜くことこそが我々の使命では」
「うむ。そうだ。提督が戻るまで、戦いましょう」
「このままジャリアの思うようにさせてなるものか」
 マルカス公をはじめ、その場の人々は、その言葉によって自らを鼓舞するかのように、残った戦いへの活力をその顔にみなぎらせて、うなずき合った。
「私の考えはこうであります」
 フレアン伯は、その目の奥に決意の意志を光らせ、自らの考える策を話し出した。
「まずはともかく、地上からの攻撃を持ちこたえなくてはならない。ジャリアに城壁を突破されてしまっては、ほとんど首都は落とされたも同じです。ですから、現状の陸兵はすべて西側の城壁守備へ回します。むしろ海軍の方を手薄にしてでもそうすべきです。海からのアルディ軍の攻撃は、おそらくさほどまだ激しくはない。何故なら、敵も我等の海軍の威力を知っているからです。できれば、睨み合い程度の牽制を続けて海上での戦いは引き延ばすことが肝心かと。そう、提督の帰還までは」
 人々は異論はないというようにうなずいた。
「ですから、ヴォルス内海においての海戦には、まだ我々としては兵力を動員しすぎないでおく。たとえば、ガレー船一隻あたり、漕ぎ手を半数にしてもいい。その分を陸兵に回すのです。まずは第一に陸側の城壁の守備。次に、トレヴィザン提督の帰還を待つこと。本格的な海戦に乗り出すのはそれからのことでしょう」
「なるほど、実に論理的だ。失礼ながら、フレアン伯がそれほどの戦略家だとは思いもしませんでしたぞ」
 フェーダー候の言葉に、フレアン伯はにこりと笑った。
「私とて、トレヴィザン提督のもとで何年か実戦で学んでおりますれば」
「よかろう」
 国王は人々を見渡し、決定を下した。
「フレアン伯。城壁戦の前線に立ち続けるそなたの言葉ならば、現状における最善の策であると信じられよう。トレヴィザンが戻るまで、そなたを全軍の総指揮官とする。方々、異存ないな」
「は。ありがたきお言葉」
 ひざまずいたフレアン伯が胸に手を置く。
「隊長クラスへの指示、海軍方面への連絡は、メルヴィン騎士隊長、ホドソン船団長にそれぞれ任せるものとする。マルカス公には引き続き、貴族、市民たちの統率を頼む」
「了解いたしました」
 静まり返っていた広間の空気は、国王の言葉や、人々に宿った意志の力によって、息を吹き返したかのように思われた。
 その後、さらに細かな城壁守備隊の人数の増員、弓兵や投石機の配置、城門の補強や城壁の修復作業、さらには市民たちの安全確保などについての取り決めがなされ、役目を受けた隊長騎士たちは、会議が終わると即座に任務へと向かっていった。
 国王も退席し、最後まで広間に残っていたのは、マルカス公、フェーダー候、フレアン伯、それにトレミリアのセルディ伯とブロテであった。
「さて、では我々も、城壁守備の方へ兵たちを向かわせますか」
「お待ちを、ブロテどの」
 立ち上がりかけたブロテを、フレアン伯が引き止めた。
「トレミリアの方々には……じつは、そう、別のお願いがございます」
「別の、とは?」
 ふと眉をひそめたブロテの横で、セルディ伯の方は静かに座っていた。
「すでにセルディ伯閣下にはお話ししたのですが、」
 そう前置きすると、フレアン伯は、残っていたマルカス公、フェーダー候とちらりと目を見交わした。
「セルディ伯、ブロテどの以下、トレミリアの方々には、なにとぞ、陛下の護衛役をお願いいたしたい」
「なんですと。それはどういう……」
「このようなお願いをしなくてはならない事態になろうとは、ほんの十日も前には想像もしませんでしたが、しかし、現状は大変深刻です。このレイスラーブが落ちるようなことがあれば、それはすなわちウェルドスラーブの滅亡を意味します」
「それは重々承知。それゆえ、なおいっそうの城壁守備の強化をと」
「いいえ」
 フレアン伯は首を振った。
「もはや、城壁は数日ももたないでしょう」
「なんと申される」
「いえ。もちろん、我らウェルドスラーブのため、この身を投げ出し、最後の一兵となるまでジャリア軍を食い止める所存。なれど……」
 フレアン伯はぐっと歯を食いしばり、絞り出すように言った。
「あくまで冷静に現状を考えれば、ジャリア軍の勢いをとどめられるのも、せいぜいあと三日。いや、もって五日が限度。我等は最後まで戦い、トレヴィザン提督の帰還を待つつもりなれど、しかし陛下は……」
「陛下はそう、あの通り気性の強い御方なので」
 あとをつぐようにマルカス公が口を開いた。
「決して弱音も申されないし、おそらく陛下自身も、このレイスラーブとともに命運をともにされるおつもりでしょう。ですが……そう。陛下に万一のことがあったら、その時点でウェルドスラーブは滅びます。陛下は決して、ここから逃げようなととは思われないでしょう。ですから、」
「つまり、我等にコルヴィーノ陛下をお逃がしさせろと?」
「陛下のみならず。王妃のティーナさま、それに提督の奥方、サーシャさまも。できれば……もっと多くの方々をお救いしたいのですが、そう……それにフェーダー候、あなたも、我が国にとっては得難い存在。陛下ともども生き延びて、王国再建の礎となっていただきたいのですが」
「これは買いかぶりを」
 フェーダー候は穏やかに微笑んだ。こんな際であっても、貴族らしい気品と優雅さを忘れない、確かにこの侯爵はひとかどの人物であるといってよかった。
「私などの命はどうでもよろしい。それにさよう……私はこの国が、そしてこのレイスラーブという都市が大好きですからな。最後まで、ここで上等のクオビーンを味わいつくすつもりですぞ」
「そう言われるだろうとは思いましたが。あるいは陛下も同じように、いくら我等がお願いしても脱出されようなどとは思われないかもしれない。ですが、どうかそのときはブロテどの……」
「力ずくでもお逃がししろと?それは、しかし……」
 ブロテは、あくまで騎士らしく戦わせろというように首を振った。
「我らにしても、騎士としての使命がありますれば。せっかくトレミリアから意気揚々とレイスラーブにやってきて、ジャリア兵と戦わずに逃げるなどというのでは、兵たちはなかなか納得しないでしょう」
「いいえ。もちろん、戦っていただく。城壁の守備も一部はお任せしたい。ただ、今日、明日の状況しだいでは、城壁の守りよりも、さらに大切なものを守っていただきたいということです。それは陛下のお命であり、王妃殿下のお命であるのです」
「……」
「どうか、なにとぞ、お引き受けを」
 ブロテは、横にいるセルディ伯の顔を見た。この遠征で、スタンディノーブル城の籠城戦を戦い、こうしてまたレイスラーブでも敵に包囲された戦いを強いられたこともあり、セルディ伯の顔はひどくやつれていた。その伯は無言のままブロテを見てうなずいた。
「王妃殿下ティーナさまも、提督夫人サーシャさまも、もとはトレミリアの姫君。いったんトレミリアに迎えていただければ、お二人のお心も休まるでしょう。そして陛下……なんとか陛下もご説得して、生きてくだされば……」
 フレアン伯の声がかすれた。彼自身にも妻はいたのだろうが、王国のことを第一に考えるその武将らしい言葉に、ブロテは胸をうたれた。
「分かりました。お引き受けしよう」
「おお、ブロテどの」
 フレアンは伯はブロテの手を取った。
「かたじけない。どうか、どうか、よしなに。陛下と、王妃殿下と、サーシャさま。それに、できれば、他にも助けられるだけは助けたい。さっそく船の用意と脱出行路の検討もしておきます」
「だがもちろん、ともあれまずは城壁の守備ですな。ジャリア兵を撃退できれば、それに越したことはないわけですから」
「もちろんです。もちろん」
 涙をこらえるようにフレアン伯はうなずいた。その横でマルカス伯がこらえかねたように涙をぬぐい、フェーダー候は変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべ、詩的な言葉をつむいでブロテをたたえた。

「なんというか……難儀な事態になったな」
 広間を出たセルディ伯とブロテは、早足で回廊を歩いていた。
 レイスラーブの王城は、たとえばトレミリアのフェスーン城などに比べるとごく簡素な造りで、入り組んだ回廊や大小たくさんの中庭があるわけでもなく、回廊は直線的で部屋や広間を結ぶためだけのもので、いわば、ただ大きめの角張った屋敷というような建物なのであった。
 これまで直接に戦火に見舞われることはなく、どちらかというとこの城は単に、王の一家が住まう場所というにすぎないこともあって、武将たちがこうして広間に集まり会議をするなどということもあまりなかった。王はむしろ海上での謁見を好み、自らの優美なガレー船でヴォルス内海を遊覧しながら、そこからもろもろの指示を出したり、賓客を迎えたりする方が多かったのである。
 ウェルドスラーブにおいては、まず重要であるのは海軍であり、保有するガレー船の数であった。ヴォルス内海の対岸に位置するアルディ、そして内海を北側へ進めばジャリアへ近づく。この内海に目を配り、三国の均衡を保つことこそが、すなわち王国の平和を意味していたのである。なので、この度の陸側からのジャリアの進攻については、まったくの想定外であったとは言わないが、誰もがまさかと思っていたことは確かであったろう。ほんのひと月足らずの間に、バーネイが落ち、ディナブーリが、スタンディノーブル城が落ち、要であるオールギアも征されて、敵が首都まで進攻してくるとは。これは誰も予想だにしない早さであった。
「我らがトレミリアを出立した時点では、敵はまだバーネイの対岸に陣を張っただけだった。それが、わずか十日ほどの間にバーネイが落ち、スタンディノーブル城が敵に包囲され、我らはそこに閉じこめられた。そしてあの、過酷な籠城戦……」
 セルディ伯は立ち止まり、思わずというようにぶるっと体を震わせた。
「飢えと不眠による危機的な状況で、私は一時は本当に死を覚悟した」
 もともと武人ではないから、ブロテのように体力もある方ではない。セルディ伯の顔は今ではげっそりとやつれ、肌は青ざめて、目の下の隈はもうずっと消えなかった。
「なんとも、すさまじい体験だったなあれは。だが、なんとか我々は生き延びた。そしてレイスラーブへの帰還を果たした。だが、敵はすでに北からも迫っており、ほどなくして今度はレイスラーブが包囲された。それも海と陸の両側から。アルディ海軍も本格的に動きだし、完全に首都は敵に囲まれてしまった。これから、ジャリア軍の全面攻撃が始まるのだ。そう思うと、私は、正直恐ろしい……」
「……」
 これまでずっと、トレミリア軍部隊を率いる司令官という立場から、どのような苦境でもそれなりに毅然とした態度で振る舞っていたセルディ伯であったが、その気力も今やもう限界にきているようであった。
 だが、ブロテはそれを責める気にはならなかった。彼自身にしても、包囲された城にいる恐怖というものは同じく感じていたし、今回はあのときのスタンディノーブル城よりも、さらに危機的な状況であるということもよく分かっていた。逃げ出したいのはブロテも同じであった。
「しかし、まだ……完全に負けたわけではありますまい。ジャリア軍に城壁を突破されたわけでもない。我々はただ、己のなすべきことをするのみでしょう」
「そうだ。そうなのだ……それは分かっている。だが、」
 回廊を抜けると、そこに晴れ渡った空があった。海からの潮の香りを含んだ風が、涼やかに頬を撫でる。
 二人は立ち止まり、ふと空を見上げた。
 どこまでも続く青い空、ゆっくりと流れてゆく雲……
 そこには、この絶望的な窮地を思わせるものはなにもない。たとえ、いずれはこの空が紅蓮の炎と黒煙にまみえるだろうとしても。
「クリミナどのは……無事でおられるだろうか」
 セルディ伯が小さくつぶやいた。
「それは、ご無事でしょうとも。トレヴィザン提督がトールコンにお連れになったと聞きました。あそこなら少なくともここよりは安全です。それに……スタンディノーブルから脱出したレークどのもきっと、無事でおられるはず」
 空を見上げるブロテには、その二人のたどった驚くべき冒険行のことなどは知るよしもない。そして、その二人が大陸の命運を握る新たな旅へとまた出発したことも。
「トレミリア……我が美しき母国に幸あれ」
 セルディ伯も、ブロテも、国に残した家族や愛するものたちのことを、その胸に思い描いていたのだろう。彼らはしばらく、城壁から静かに押し寄せる破滅の気配に気づかぬようつとめながら、じっと黙ったまま空の彼方に目をやっていた。



 レークたちを乗せたガレー船は、デュプロス島の南側をぐるりと迂回し、アルディの沖合を進んでいた。はるか北の方に陸地が見えはするが、そこで始まっているはずの激しい海戦の光景などはここまでは届いては来ない。
 海面はずっと穏やかで、太陽に照らされた波間がきらきらとまぶしく輝いている。南西からの向かい風のせいで、役に立たない帆は畳まれて、今は漕ぎ手による人力の航行であるが、速度としては充分である。船はスムーズに海面を進んでいた。
「ちょうど、ダーネルス海峡の沖合にさしかかるあたりです」
 漕ぎ手たちへの指示が一段落したようで、船長のモーガンが後部甲板に上がってきた。
「ふうん。て、ことは、このまま北へ向きを変えりゃ、レイスラーブへゆけるってワケだな」
 すでに船旅は飽きてしまったというように、レークはさっきから甲板をうろうろとしながら、四方を見渡していた。だが、見えるものといえば海ばかり。モーガンの言葉で、右手の方に目を向けてみるが、いくら目を凝らしても、水平線のあたりにかすかに陸地らしきものが見えているくらいで、他に船らしきものはまったくない。
「まあそうですが、しかしやはりすでに海戦は始まっているようです。目のいいものにマストに登らせましたが、ダーネルス海峡付近では、かなりの数の船が入り乱れて戦っているようだとのことです」
「そうなのか。ここからじゃあ、まったくなにも見えねえが。それに、さっきから他の商船なんかもまったく通らないな」
「このあたりは航路からもだいぶ外れた沖合ですからな。我々のように相当の経験を積んだものでなくては、遭難の恐れから沖には出られませんよ。ある程度、陸地を確認できるくらいの距離でないと商船の航路にはならんのです」
 モーガンは、どうやらレークたちが気に入ったようだった。はじめはトレミリアの騎士と聞いて、お高くとまった口うるさい貴族のような人間を想像していたようだったが、まったく気取らない率直な物言いのレークには、彼らと同じ船乗りの気質に近いものを感じとったようであった。漕ぎ手や舵取りへの指示をだしながら、ときおり寄ってきてはレークにいろいろと話しかけてくる。また、かたわらにいる男物の服に身を包んだ美しい女騎士の存在も大きかったろう。
「クリミナどのは、なにか不自由なことはありませんかな?」
 まるで紳士然と尋ねるモーガンに、後部甲板の座席に腰掛けたクリミナはうっすらと微笑んでうなずいた。
「ええ。大丈夫です。この船はとても快適です。どうぞご心配されないで」
「それはよござんした。我らトロスでも名うての漕ぎ手たちであります。海面をすべるようにガレー船を走らせるのが我らの仕事で。美しい騎士どのをこのようにお迎えできて、かような幸せな任務などは他にありましょうか」
 というようなわけで、もとより彼女の方も、トレヴィザンなどをはじめ、船乗りという種類の人間からはとても好かれる性質であるようだった。その姫君というにはさも凛然として、騎士というには類まれに美しい、そのいわば中性的な雰囲気が彼らを魅了するのであるのかもしれない。当の本人にとっては、そんなことはちっとも意識していないであろうが。
「船酔いになりそうでしたら、ライム水のおかわりをお待ちします。仮眠をとられる場合は船室へご案内します。その他、なにかありましたらまた気兼ねなくお呼びください」
 まるで女主人に仕える執事でもあるかのように、モーガンはそう丁寧に言い置くと、また漕ぎ手たちの様子を見に、甲板へと降りていった。
「なんつうか、憎めないやつだな」
 海を見るのに飽きたのか、クリミナの隣の席に腰を下ろすと、レークはそう言ってテーブルのライムをひとかじりした。
「うおっ、すっぺえ」
「ええ。てきぱきとしているけど、なんだかとても気をつかってくれて優しいし、トレヴィザン提督もそうだけれど、船乗りの男の人というのは、みなこんな感じなのかしら」
「さあて、それは知らねえがな」
 レークはやや面白くもなさそうに言った。
「トレヴィザンはともかく、まあ、この船の連中は裏表のないいいやつらのようだ」
「まあレーク。なんだか、トレヴィザン提督のことをよく思っていないというように聞こえるけど」
「へっ、そりゃそうだろう。だいたい、やつがアルディへ行けというからその頼みを聞いてやりゃあ、わけの分からねえガキのおもりをさせられて。しかもそれがアルディの公子だときた。おかげで山賊には狙われるは、あのくそいまいましいクソったれ監獄に入れられるはで、こちとら大変な目にあったんだ」
 あの難儀な旅を思い返して、レークはむっつりと口をへの字にした。
「でも、山賊に遭遇したり監獄に入れられたりしたのは、なにも提督のせいではないでしょう」
「そりゃそうだがよ。しかし、そもそもこんな大変な任務になると分かってりゃ、引き受けはしなかった。あのトレヴィザンの野郎が、さも気楽そうに、まるで隣の国にちょっと行ってきてくれという程度に言いやがるから、まんまとだまされたがな。そして、こうしてまた、今度はあの美形の革命貴族のダンナから新しい役目を言い渡されて、来るときとは反対の方角へ海を進んでるんだから。なんともお笑い種だぜ」
「でも、反対に考えれば……」
 もういちいちレークの粗雑な言葉やふるまいに怒ることはよしたというように、クリミナは、むしろその顔にふっと笑みを浮かべて言った。
「私たちのこの大切な任務が、いろいろな国に新しい関係をもたらして、この戦いを少しでもよう方に導いてゆくことになるとしたら……それは、素晴らしいことではないのかしら?それに、なんだかいろいろな国に行ったり、初めての場所や町を歩いたり、違う空を見上げたりして旅するのは、私はとても楽しいわ」
「……」
 レークはやや驚いたように、クリミナの横顔を見つめた。
「へえ。なんだか、あんたは……」
「え?」
「いや、なんだか……ちょっと変わったな」
「そう、かしら」
「ああ。最初にトレミリアを出発したときには、いかにも顔を緊張させてさ、こう険しい顔つきで……レーク・ドップ、私のそばに寄るな、とか言っていたのに」
「あら、そうだったかしら?」
「今はなんていうか……すごく、自然に話したり、こうして思ったことを互いに言い合ったりしていて、なんか、不思議な感じだ」
「そう……それはそうね」
 そんなことを言われて、クリミナは少し戸惑い気味に目を泳がせた。
「でも、なんだかトレミリアを出発したのが、もうずっと前に思えるわ。実際にはまだひと月もたっていないというのに。それに、まさかこんなにたくさんのことが起こったり、いろいろな場所へ行くことになるなんて、思いもしなかった」
「そうだな」
 それはレークとて同じ思いだった。
 トレミリアを出発し、ヨーラ湖のサルマから船で川を下りコス島のメルカートリクスへ渡り、物資を積み込んでウェルドスラーブの首都レイスラーブへ到着。そこから単身スタンディノーブル城へと乗り込み、激しい籠城戦の末に船で脱出、グレスゲートにてクリミナと再会するも、トレヴィザンから書状を託されてただちにアルディへ出発した。サンバーラーンの港からはボートで脱出し、徒歩でグレスゲートを目指す途中に山賊に襲われ囚われの身となり、なんとか逃げ出すも、今度は護民兵に遭遇、山賊ともどもバステール監獄へ入れられてしまった。一度は脱獄に失敗し絶望にくれるも、アドの力を借りて脱出し、そうして都市国家トロスへ、という……それはなんとも信じがたいような冒険行であった。
 だが、それもまだ終わってはおらず、アルディの革命貴族、ウィルラースからの書状を手に、今度はセルムラードを目指してこうして船に乗っているのだ。自分がどうやってそれらの窮地を乗り切り、生き延びてきたのかをあらためて考えてみるだけで、頭がくらくらとしてくるような気がするのだった。
「なんつうか、一生分の冒険をこのひと月でしているような気分だぜ」
「そうね。これまでほとんどトレミリアを出たことのない私にすれば、本当にそうだわ」
 この変転の運命に不思議の念に打たれたように、クリミナはあらためて船の周囲に広がる海を見回した。
「今までこんな、陸地もなにも見えないような、どこまでも海に囲まれた景色は見たことがなかったし、もちろんトロスのような都市や、ああいう違う文化、感覚というのかしら、そういうものを感じたことも初めてだった。これまではフェスーンの宮廷で、ただレイピアの訓練をして、自分は騎士なのだというささやかな誇りを持ってさえいればそれでよかったのだけど、なんというか、こうして思うのは、世界は広いのだということ。雅びなトレミリアの整った庭園と、石造りの城や屋敷しか知らずに生きてきたことが、いまはなんだか、とても恥ずかしく思える」
 彼女はそう言ってため息をついた。
「当たり前だけれど、世界にはいろいろな人々がいて……もちろん、王や貴族や騎士もいて、でも、それ以上に普通の市民や農民たち、たくさんの人々がいて、山賊もいれば、船乗りもいて、召使も侍女もいて、革命を志す強い貴族もいれば、家族から引き離されたり、政治のために利用されたりする公子さまもいる。私たちは、それを頭の中ではなんとなく知ってはいても、実際にこうして接したり、関わったりしなくては、彼らも自分と同じように生きている……悩んだり苦しんだりしながら、みんな同じように生きているのだということが、本当は分からないのだわ。私も想像もしなかった。こんなにたくさんのことが起きて、たくさんの人々がそれに関わって、戦ったり、死んだり、出会ったり、そういうふうに、物事がつながっているのだということが。初めて知った気がするわ。私も……その中にいるひとりで、私のしたことが、そういう物事や誰かの運命に、どこかでつながってゆくのかもしれないのだということが。私は……」
 己の中に湧き起こる感慨に浸るように、クリミナはまた言葉を続けた。
「いまになってやっと、そういうことが分かった気がする。世界はとても広くて、私はただのほんの小さな存在でしかないということが。貴族だ、女騎士だと、いい気になっていたことが恥ずかしい。私にもできないこと、手に届かないこと、どうにもならないことが世の中には数限りなくあって、誰もがそういう絶望や悲しみをもって生きているのだわ。戦いで恋人を失ったり、愛するものが戻って来ないことを嘆いたり。いくさという大きな渦の前には無力なことがとても多くて、国同士の戦いに巻き込まれてしまった女や子どもたちにはどうしようもないことばかり。私はそれでもまだ、騎士として自分で戦うことのできる立場にはあるけれど、それでもやはり無力なのだから、そうではない人々にとってはそれは大変な絶望でしょう。なにもできない存在、ちっぽけな自分というものに、つい私はいらだってしまう。でも……それでも、世界はつながっていて、人々もまたつながっている。なにもできないようでも、自分のしたことのひとつが、たとえ、それがごく小さなことであっても、誰かのためになったり、世界のためになったりすることがある。そういうことが本当は大切なんだと、たとえ直接大軍を動かしたり、王様を動かしたりできなくとも、そういう大きなことへつながってゆくかもしれない、そのためになるかもしれないちょっとした行いは、きっと誰にもができる。それが希望ということのなのだと思う。だから、きっと……」
 己の中にしまってあるある思いを、これほどに率直に語ってしまったことに少し恥ずかしさを感じたように、クリミナははにかんだ。
「わたしたちのこの旅も、きっとなにか大きなことへとつながってゆくのだろうし、たとえ、そこに大変な苦労があったり、途中でなにか絶望するようなことが起こったとしても、それでも、私たちはただ、私たちのすべきことをしてゆけばいいのだと思う。それがきっと、私たちの、次の運命を選んでゆくことになるのだと思うわ」
「次の運命を……か」
「ええ」
 強くうなずいた栗色の髪の女騎士が、レークには誰よりも輝いて見えた。
 「私たちの」という言葉には、くすぐったいような嬉しさも感じたが、それは口にせず、彼はただ黙ってライムをひとかじりした。

「このまま順調にゆけば、夕刻にはコス島に到着できそうです」
 船長のモーガンがそう知らせにきたのは、それから一刻ほどののちだった。
 素人目にも風向きは悪くなく、潮の向きもよいようで、逞しい漕ぎ手たちによってガレー船はすべるように海面を進んでいた。
「今はちょうど、ウェルドスラーブの海域を抜ける頃合いです。もうそろそろ、少しばかり陸地に近づいても大丈夫でしょう。このあたりまでくれば危険なこともない。最近は海賊どもも大陸北側のマロック界の方を主な根城にしているようですから」
 予定としては、コス島で一泊してから、翌朝にアングランドのマイエを目指すということになっていた。
「コス島かあ。最初にメルカートリクスの町に行ってから、もうずいぶんとたっているような気がするが、じっさいは、あれからまだひと月にもならねえんだよな」
 コス島の港町、メルカートリクスで補給物資を買い入れ、ひとときの祭りの一夜を楽しんだことが、もう何ヶ月も前のことのように思える。あのとき一緒にいたトレミリアの騎士たちはいまはここにはいない。かたわらにいるのはクリミナだけだ。彼らは今頃は、レイスラーブでジャリア軍と戦っているのだろうか。みな無事でいるのだろうか。レークはそんなことを思いながら、海の彼方を見つめた。
「みんな無事でいるかしら。セルディ伯も、騎士たちも……」
 クリミナの方とて同じ気持ちだったのだろう。かすかに見えている陸地に目をやりながら、敵に包囲された首都にいるはずの仲間たちを思うように、彼女はその深い緑色の目を曇らせた。
「ああ。ブロテもいるしな。大丈夫さ、きっと」
 希望をこめて、レークはそうつぶやいた。
 ガレー船はしだいにウェルドスラーブから離れ、西へ、西へと進んでゆく。
「コス島が見えました」
 太陽が西の水平線に降りかかる頃、前方の海上に大きな島影が現れた。
 コス島は大陸南部の海ではデュプロス島に次ぐ大きな島で、女職人の町メルカートリクスの存在でよく知られている。もとはごつごつとした岩ばかりの島だったのが、最初に移り住んだ人の手によって町が作られて以来、対岸の都市スタグアイやパルドレールからも商船が頻繁に行き来するようになった。メルカートリクスは職人の町としてしだいに大きくなり、今では腕のよい女職人の手で作られる、質のよい武具や、生活品、洋服などの物資を求めて、わざわざ遠方から買いつけに来る商人も多く、また、見習いの職人希望者なども年々増えているという。
「ああ、コス島だわ。ここに戻ってきたのね」
 眼前に大きくなる島影を前に、クリミナは思わず立ち上がった。彼女にとっても、幾多の変遷をへて、またこの島に戻ってきたのだという感慨は強かったのだろう。
「あの宿のおかみさんは元気でいるかしら。ねえレーク」
「ああ……」
 だが、レークはじっと座ったまま、鋭い目を前方に向けてじっと腕を組んでいた。
「コス島で一泊……翌朝に出発か。いや。そんな余裕はねえ」
 そうつぶやくと、彼は思い立ったように立ち上がった。
「レークどの?いかがされた」
「おい、モーガンさんよ。コス島には寄らねえ」
「なんですと?」
 レークの言葉に、船長は仰天したように目を見開いた。
「ですが、漕ぎ手たちもひとまず上陸して休まなくてはとてももちません。それに食料の補給も」
「だからよ。島にはゆかず、このまま近くの陸地へ向かえってんだ。ミレイでも、スタグアイでもいいからさ」
「どういうことなの?レーク」
 島に立ち寄るとばかり思っていたクリミナも、眉をひそめて訊いた。
「コス島にゆかないって」
「どうもこうもねえ。このまま島で一晩休んでその翌朝に出発なんてことじゃ、時間の無駄だってんだ。今にもレイスラーブが落ちようかってときだぜ。オレたちの行動に国の命運がかかっているだとしたら、できるかぎり迅速に動くべきだろう」
「それはそうでしょうが……しかし、当初の予定ではアングランドのマイエまではなにがあってもお送りするということに」
「マイエに明日の朝着くよりも、今ミレイなり、どっかに上陸した方が早いってんだよ。そっからは陸路で行く」
「で、では、我々はもう用なしということなのですか?」
「ここまで運んでくれただけで充分だ。あんたらのおかげだよ。さすがトロスの最新鋭ガレー船だ」
 レークの言葉には断固とした強い意志があった。
 船長のモーガンは困ったように唸った。
「ですが、我々はウィルラース閣下から仰せつかり、海神アルヴィーゼに誓って、あなた方をセルムラードまでゆかせるという使命を受けた。たとえばスタグアイであなた方を降ろして、そのまま帰るなどということはいたしかねる」
「へへっ、あんたらもなかなか頑固だな。そういうのは嫌いじゃねえ。だが、本当にもう充分だ。だがもうオレらを陸に上げてくれ。あとはてめえの足でセルムラードまで行く。よくしてくれたあんたら、トロスの船乗りたちのことは一生忘れないよ」
「しかし、しかし……」
 まだ納得しかねるというように船長はレークを見、それからクリミナを見た。
「ク、クリミナどの。あなたもそのように思われますか?」
「私は……」
 クリミナは少し迷ったように口ごもったが、ちらりとレークを見ると、心を決めたようにうなずいた。
「彼が、そのように言うのだったら、きっと、その方がよいのでしょう」
「そんな……」
「コス島に寄らないのは私も残念だけど、でもレークの言う通り、私たちには一刻も早く果たさなくてはならない目的がある。そのための最善の手段を尽くすためなら、私は彼についてゆきます」
 それを聞くと船長は黙り込み、ひとつ息をはいた。
「……分かりました。そこまでおっしゃるのなら」
「すまねえな。わがままを言って」
「では、ともかくスタグアイまではお送りします。ミレイの首都バコサートよりはそちらの方がよいでしょう。マクスタート川を下って来る商船などから、トレミリアの現在の状況なども多少は知ることができるのではないかと」
「おお、そりゃあいい。ありがとよ、モーガンのだんな」
 レークは船長の肩をぽんと叩くと、クリミナと目を見交わした。
「トレミリアか。いっそのことマクスタート川を上って、そのままトレミリアまで戻っちまうか」
「ふふ。それもいいわね」
 冗談めいた二人の言葉に、船長のモーガンは眉を寄せた。
「川を上るのはガレー船でも難儀ですよ。そのときは漕ぎ手を手伝っていただかないと」
 それを聞いて、レークとクリミナは顔を見合わせ、声を上げて笑いだした。


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