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 水晶剣伝説 X 暁の脱出行


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 小屋の入り口からまぶしい光が差し込んでいる。
「いけねえ……つい、寝過ぎちまったか」
 目をこすりながら起き上がったレークがふと見ると、小屋の外から子どもがおそるおそるというように、こちらを覗き込んでいる。村に住む子どもだろうか。
「おい、ガキ。なに見てやがる。あっちに行け」
 すると、子どもは「あっ」と言って、逃げるように駆けだした。
「さて、もうひと寝入り……」
 ひとつあくびをして再び藁に飛び込んだレークだったが、すぐにがばっと起き上がった。
「……こりゃ、まずいな。おい、起きろ」
「んん、レーク……もう朝なの」
「村の子どもに見つかった。きっと誰かに知らせにいくぞ」
 眠たそうなクリミナと少年を引っ張り起こし、急いで小屋の外に出ると、案の定、何人かの男たちがこっちに走ってくるのが見えた。
「逃げるぞ。村のやつらを敵にしたら面倒なことになる」
 走り出した三人は、再び森の中とへ分け入った。
 昨夜に続いての森の中の逃走であったが、今はすっかり夜も明けて、木々の間から陽光が差し込んでいる。闇夜の恐ろしさはないし、眠ったことですっかり体力も取り戻していた。朝露を含んだ木々の間を、三人は走り抜けていった。
 しばらく森の中を進むと、ようやくもといた街道にでた。
「一時はどうなることかと思ったわ」
 クリミナがほっとしたように言う。
 恐ろしい山賊に捕まり、身の危険に緊張していた昨夜に比べたら、朝日に照らされた街道は平和そのものであった。木々の梢ではちちちと鳥が鳴き、緑の匂いを含んだ爽やかな風が頬を撫でつける。
 あらためて出直しだというように、三人は並んで街道を歩きだした。
「でも、またあの山賊が襲ってこないかしら」
「さすがに、こんな朝っぱらから堂々と街道に出てくることはないだろう。いくら人通りがないっていっても、たまには護民兵なんかだって通るだろうしな」
「だといいけど」
 クレイ少年の方は、昨日のことなどなにもなかったかのように、クリミナと手をつないで、楽しそうに足を弾ませている。
「この分なら、今日の夕方にはグレスゲートに着けるだろう」
 街道わきの切り株に腰を降ろし、レークが取り出した地図を眺めていたときであった。
「レーク、馬車が来るわ」
 クリミナが声を弾ませた。
「おお、本当だ」
 レークも思わず立ち上がっていた。これまでほとんど誰も通り掛からなかったこの街道に、ついに馬車がやってきたのだ。
「助かった。あれに乗せてもらえりゃ、グレスゲートまではあっと言う間だぜ。おおい。オレたちを乗せてくれえ!」
 レークは馬車に手を振った。すると、馬車は速度を上げ、ぐんぐんとこちらに近づいてくる。
「こっちを見つけてくれたみたいだぞ。おおい。おお……」
 だがレークは、突然口をつぐんだ。
「レーク、あれは……」
 クリミナの声も変わっていた。
「ありゃあ……あの、馬車は」
 レークにも分かった。あれが、普通の馬車でないことが。
 その黒い馬車は、もうそこまで近づいてきていた。
 二頭の鹿毛馬に引かれた、角張ったまるで威圧するような黒い車体……その窓には牢のような格子がついており、不気味な感じを見るものに与える。そして、その馬車の御者席にいるのは、どう見ても商人ではなかった。
「こいつは、どうやら……やべえのに当たっちまったかな」
「レーク」
 そばに来たクリミナが不安そうな顔をする。
「なあに大丈夫さ。オレたちはただの旅行者だ。おい、クレイ坊や。ちゃんと帽子をかぶっておけ。顔を見られないようにな」
 馬車は三人の手前でゆっくりと止まった。
 御者の男が降りてきた瞬間、レークは自分の勘が当たったことを知った。
 男は体格のいい体に革の鎧を着込み、腰には長剣を吊るして、どこか殺気だったような様子でこちらを睨み付けた。その姿は騎士というよりは、むしろ民兵に近いような雰囲気である。
「お前たち。この国のものではないな。通行証を見せろ」
 鋭い声で男が言った。
「オレたちは、ただの旅行者さ。そういうあんたは何者なんだい?」
「自分はサンバーランの護民兵、ワーレム・ダレン。ストンホード大公直属の元近衛騎士団に所属していた」
(なるほどな……騎士くずれの護民兵か)
 その立ち姿から、確かにどうやらなかなか腕も立つようだとレークは見て取った。
「ストンホード大公!それはまた、たいそうな名前を耳にする。その大公じきじきの護民兵さんが、いったいオレたちになんの用なんだい?」
「昨日、サンバーラーンの港に停泊中の船から、ボートで逃げたものがいたという報告を受けた。それが女と男、そして子連れの三人だとな」
「ははっ。それがオレたちだっていうのか?」
「そうではないとでもいうつもりか?」
「……」 
 これはなかなか手ごわい相手のようだ。ここはどうすればいいかと、レークは思案した。
「オレたちはミレイからの旅行者だ。ちゃんと通行証もあるぜ。そら」
「なるほど。これは確かに本物だ。では、そちらの子どものものを見せていただこう」
 差し出された通行証を確認すると、護民兵はじろりとレークを見た。
「どうした?持っていないのか」
「あ、あるとも」
 レークは仕方なく、少年のお供の女性からもらった通行証を差し出した。
「どれ。ふむ……これも確かに本物だが、これだけはウェルドスラーブからのものだな。この子どもは、お前たちの子どもではないということだろう」
「それは……」
「我々が探しているのは、大公閣下の弟ぎみのご子息、セリアスさまだ」
「セリアス……」
「そう。由緒あるフレイン家の跡継ぎである。そのセリアス・フレインさまが、ウェルドスラーブより密かにお戻りになられるという話が大公閣下のお耳に入った。そこで、グレスゲート行きの船はすべてサンバーラーンで留めおき、乗員、乗客を一人ずつ調べていたのだが、先日捕らえた女をあらためて尋問したところ、どうやら間違いなくセリアスさまのお付きの侍女であるらしいことが分かった。女はかたくなにしゃべらなかったが、ともかく船から逃げた連中が怪しいと、こうして街道を追ってきたのだ。失礼いたす」
 護民兵の男は、いきなり少年のかぶっていた帽子を取り上げた。あらわになった少年の顔を見て声を上げる。
「おお。やはり……あなたは、」
「ちょ、ちょっと待てよ。この坊やはオレたちの……そうだ、いとこの子どもなんだ」
 レークはとっさに思いついた言い訳を口にした。
「ちょっと、訳あってウェルドスラーブに預けられていたんだが、グレスゲートに住んでいるいとこが急病になっちまって、それでオレたちが送ってゆくことになったんだ」
「嘘をつけ」
 男は鋭く言い放つと、少年の前にうやうやしくひざまずいた。
「私はずっと前に、まだほんの小さな可愛らしいお子の頃にしか、お目にかかってはいないが、このお顔は……まさしく、この方はセリアス様に違いない」
「違います。この子は……この子はクレイ様です」
 クリミナがかばうように少年を抱き寄せた。
「そんなものは、素性を隠すための偽りの名前だろう」
「そんなことはありません」
「どうあっても偽るならば、力づくでも連れてゆくぞ……」
 男はすらりと腰の剣を抜いた。
「おい、ちょっと待てよ」
「セリアス様をこちらに渡せ。邪魔をするとただでは済まぬぞ。見ての通り、この馬車は犯罪人などの護送用だ。山賊や浪剣士といったならず者も、ついでに引っ立ててゆけば俺の給料も増える」
「くそ。大公だかなんだか知らねえが、権力者の犬ってのは話が分からねえもんだ」
「その暴言だけでも、充分監獄行きだ」
 男がレークに剣を突きつける。
「くそったれ」
「ほう。ただの旅行者にしては、鋭い目をしているな。怪しいやつめ。そっちの女も、一緒に捕まえて尋問してやる」
 レークに剣を突きつけながら、男はクリミナの方に手を伸ばした。
 そのとき、
「だ、だめ……」
 少年が声を出した。
 それは、ごくか細い声であったが、初めて彼が発した声であった。
「クレイ坊や……」
 クリミナは驚いたように少年を見つめた。
「さあセリアス様、ご一緒にまいりましょう。大公閣下のもとへ」
「いや。いやだ」
 男は少年の手首を捕まえ、ぐいと引き寄せた。
「ああっ」
「やめろ!」
 レークは男に飛び掛かろうとしたが、目の前でぶんと長剣を振られると、どうしようもなかった。
「くそ……剣さえありゃあ」
 男は少年を馬車の方へ引きずってゆく。
「いやだ。いやだよ」
「クレイさま!」
 少年の悲鳴にクリミナの叫びが重なる。
 すると、突然、馬蹄の響きが上がった。
 野卑な叫び声とともに、森から現れた一騎がこちらに向かって駆け込んできた。
「おおっ、見つけたぞ。てめえら!」
 驚いた護民兵の男が振り返る。
「な、なんだ?」
「俺っちの金貨を渡せ!」
 馬上で怒鳴ったのは、あの山賊ガレムだった。
「ここまで追ってきやがったのか。なんて執念深いやろうだ」
 呆れたように言うレークの前で、馬から飛び降りた山賊が走り寄ってきた。
「なんだ、その兵士は。仲間を呼んだのか?」
「貴様は山賊だな」
「見りゃあ分かるだろ。馬鹿が。俺は山賊のガレム・ライードさまよ。文句あるか」
「山賊ガレム……そうか、お前が有名な」
 護民兵の男がつぶやくと、山賊はにやりと笑った。
「ほう。俺を知っているってことは、お前はこの国の人間だな。護民兵のパトロールかなんかか。へっ、この俺を捕まえようたって、そうはいかねえ」
 山賊は腰の剣を抜き、
「くそたれ!」
 下品な掛け声とともに相手に打ちかかった。
 剣が合わさる鋭い音が響いた。
「おっ、なかなかやるな、お前」
「この、山賊めが」
 山賊と護民兵は互いに睨み合い、激しく剣を合わせ始めた。
 それを見ていたレークは、少年のもとに走り寄った。
「大丈夫か?」
 うなずいた少年の手を引いて、クリミナのもとに走る。
「この坊やを頼む。馬ならグレスゲートの町まではさほどもかからねえはずだ。おそらく町に入っちまえば、あの護民兵も手出しができないだろう」
「でも、どうやって馬を……」
「オレがいったんやつらの気を引くから、その隙に、あの山賊の馬に飛び乗れ」
「分かったわ。でもレークは?」
「オレもあとから行く。それまで、坊やと……それから、こいつを頼む」
 懐に隠し持っていた密書の入った筒をクリミナに渡し、レークは少年を見た。
「さて、クレイ坊。ちょっと乱暴な扱いをするかもしれねえが、大丈夫だな?お前は男の子だもんな」
 少年は口をぎゅっと引き結び、健気にうなずいた。
「よーし、じゃあいくぜ」
 レークは再び少年の手をとり、今度は森の方へと逃げるふりを始めた。
「おい、だんな。坊やはこっちだぜ!」
「なにっ?」
 護民兵の男が剣を振る手を止め、こちらを見る。
「ぬうっ、きさま……セリアスさまを」
 男が血相を変えて向かってくるところへ、
「ガレムの山賊さんよ。金貨はそうら、ここだよ!」
 今度は金貨の入った革袋を、レークは馬車の御者席に放り投げた。
「おおっ、俺っちの金貨!」
 それを見た山賊が馬車に向かって殺到する。
「おい、護民兵!見ろ、山賊が馬車を奪うぞ」
「なにい」
 そちらを振り返った護民兵は、馬車に走ってゆく山賊に体当たりをした。
「なにしやがる。俺っちの金貨だ!」
「この山賊め。馬車をとられてたまるか」
 激しい揉み合いを始めた二人を見て、レークは叫んだ。
「クリミナ、今だ!」
 合図とともに駆け出したクリミナは、山賊の馬にひらりと飛び乗った。
「よし、クレイ坊や。いくぜ。怖くないからな」
 レークは少年をかつぎ、巧みに手綱をとるクリミナの馬に走り寄りった。
「そら、坊やを頼む」
 少年を馬の背に押し上げる。
「しっかりつかまって。クレイさま」
「ああっ、俺の馬が!」
「セリアスさま!」
 揉み合った二人が同時に叫ぶ。
「レーク……」
 馬上で少年がこちらを振り返った。
「ああ。また会おうぜ、坊や」
「よし、いけ!」
 馬が走り出した。
 さすがに騎士であるクリミナの手綱さばきは見事なもので、二人を乗せた馬はどんどんスピードを上げる。
 山賊も護民兵も、まさか女がこれほどの行動をするとは考えていなかったのだろう。彼らはあっけにとられたようにしていたが、
「くそ。セリアスさまを……」
 先に我に帰ったのは護民兵の方だった。馬を追おうと馬車に乗り込む。
「あっ、俺の金貨!」
「きさま、まだ邪魔するか」
 二人が再び揉み合いを始めた隙に、レークはそろそろとその場から逃げようとした。
 しかし、そううまくはいかなかった。
「いたぞ。あそこだ!」
 街道ぞいから、錆び付いた剣や鍬を手にした村人がばらばらと現れた。おそらく、さっきの村の連中であろう。
「あいつらだよ。あたしの金を持っているのは!」
 そう叫んだのは、山賊のアジトに出入りしていたあの老婆だった。
「金貨を取り返すんじゃ」
「お、おい……ちょっと待て」
 こちらを取り囲むように近づいてくる村人たちに、レークは身振り手振りをまじえて説明した。
「あの金はもともとはオレたちのもので、オレはその山賊に捕まってだな……」
「ウソだよ。そいつも山賊の仲間じゃ。その証拠に、そのパトロールの兵隊さんがそいつらを捕まえようとしているんだから」
「待て。待てよ。おい……オレはグレスゲートに行かなきゃならねえんだ。捕まえるのはその山賊だけにしてくれ」
「問答無用だ。みんな、かかれ!」
「おおっ」
 村人たちが一斉に襲いかかってきた。たとえ素手でも何人かは叩きのめせるだろうが、無用な暴力をふるっては、いっそう捕まる口実になってしまう。
「くそったれ」
 鍬や剣を振り上げる村人たちかに、レークはじりじりと後退した。しかし、やはり多勢に無勢、すぐに馬車の前まで追い詰められた。
「ちくしょう!」
 その背後で声を上げたのは山賊のガレムだった。
「ばばあ。裏切りやがったな!」
「おとなしくしろ。この賞金首め」
 山賊は、護民兵にはがい締めにされた格好で罵り声を上げた。
「このくそばばあ!金貨に目がくらんだな。ごうつくのちくしょうめ!」
「おだまんな。そろそろお前も更生するしおどきさね。みんな、奴を捕まえるんだ!」
 村人たちは護民兵に手を貸して、じたばたともがく山賊の手足を数人がかりで取り押さえた。
「ああ、ちくしょう!ああ、ちくしょう!」
 山賊の叫びに気を取られていたのが悪かった。
 突然、レークは後頭部に鋭い痛みを感じてうずくまった。
「うっ……」
 しびれるような感覚の中で、背後から鍬を振り上げた村人が目に入った。
「くそ……」
 そのまま、意識が闇の中へと沈んでいった。

 ごとごとという振動に目を開けると、そこは薄暗く狭い空間だった。
「よう。気がついたか」
 そばにいた男が声をかけてきた。それは、例の山賊ガレムであった。
「ここは……」
「見ての通り、馬車の中だ。俺たちは護送されているんだよ」
 この振動は馬車の車輪のものらしい。山賊と一緒に、あの護民兵に捕まったのだ。両手は後ろに縛られている。
「いてて……くそ、思いっきり殴りやがって」
 なんとか体を起こして痛む頭を何度か振ると、意識がはっきりとしてきた。見回すと、この馬車はいかにも罪人の護送用らしく、座席もなければ扉も内側からは開けられない作りのようだ。
「オレたちは、いったいどこへ連れていかれるんだ?」
「そんなことも知らないのか」
 案外に落ち着いたふうに山賊は言った。
「バステール監獄だよ」
「バステール、監獄?」
「そうさ。山賊や殺人者などの重犯罪人は、そこに送り込まれるのさ」
「……」
 格子のはまった馬車窓から外を見ると、あたりは木々に囲まれた人寂しい山道である。ここがいったいどのあたりなのか、皆目見当がつかない。だが確かなのは、どうやらグレスゲートからは離れていっているということであった。
「そのバステール監獄ってのは、どんなところなんだ?」
「そりゃあ、ひどいところさ」
 話し相手がいることが嬉しくなくもないという様子で、山賊はにやりとした。
「俺も一度ばかり捕まって、そこに入れられたことがあった。そのときはとんでもない額の保釈金を払って出られたんだがな。ともかく、あそこはこの世の終わりみてえにひでえところだ。メシはできそこないの固いパンと、どろどろの野菜スープだけ。しかも、とんでもなくまずいときてる。気が滅入るような空気と、悪人どもの物騒な気配に満ちていて、ひと月もそこにいりゃあ誰でも発狂するようなとこさ。つっても、俺が山賊だから、悪人もくそもねえんだがよ」
 山賊はげらげらと笑った。
「しかしまあ、俺は殺しはほとんどしねえし……運悪く死んじまったやつは別にしてさ。それから山賊のくせに大勢で群れるような奴らも好かん。俺はいつだって伸び伸びと、自由気ままに生きたいほうなんだ。だから、ああいうくそったれな連中が押し合いへし合いしているような場所になんざ、本当は死んでも行きたくねえ。だが、今回は保釈金の当てもねえからな。困ったもんだ」
 そう困ったようでもなさそうに、山賊はばりばりと頭を掻いた。
「そいつは、なんともありがたくない話だな」
「ところでお前さんは、ミレイからの旅行者だなんだと言っていたようだが、」
「それがどうした?」
「ウソだろう」
 山賊は片目をつぶってにやりとした。
「どうしてさ?」
「どうしてって、そんなもの分かるさ。なんてえか、お前さんは俺っちと似たような匂いがするからな。いかにも育ちのよさそうな、あの子どもと一緒にいるのは、えらく不釣り合いだったぜ。それと、あのべっぴんの女にはちょっとびっくりしたぜ。俺の馬を奪って颯爽と去っていきやがった。あの女はいったいなにもんなんだい?」
「さあてな」
 レークは首をかしげて、とぼけてみせた。
「お前さんにしても、普通の旅行者にしちゃあえらく度胸があるじゃねえか。本当ならこのガレムさまとこんな近くで話をしているってだけでも、びびっちまってガタガタと震えるところだぜ」
「そうでもねえさ。ああ怖いよ。すげえ山賊を前にして、オレは怖いよ」
 あまりにも嘘くさいその様子に、山賊はまたげらげらと笑いだした。
「面白れえ。お前は面白いやつだな。名前はなんていう?」
「ああ、ええと……レークだ」
 ここで嘘の名前を言っても仕方がないし、それに、この山賊と一緒に捕まってしまった以上は、無用な争いをするより、できるときには協力し、むしろ利用した方がいいだろうとレークは考えた。
「レーク。ううむ……どっかで聞いたことがあるような、ないような」
「そ、そうかい」
 トレミリアの剣技会で優勝したことが、この国にまで知られていたのだろうか。
 それとも、
(ああ、そうだ。何年か前にサンバーラーンの剣大会にも出て、オレとアレンとで優勝と準優勝したこともあったな)
(しかし、まあ……もしそれで知っていたとしても、ここにいるオレがそいつだとは思うまいしな。まあいいや)
「実を言うと、オレは旅をする剣士だったこともあるのさ」
「やっぱりそうか」
 山賊は納得したようにうなずいた。
「つまり浪剣士ってやつだな。なんとなく、そんな感じがしていたぜ。なら、山賊と浪剣士じゃ、俺たちは仲間みたいなもんだな」
「ははは」
 内心では(てめえなんかと一緒にするな!)と、考えながら、レークはにこやかにうなずいた。
 馬車はさらに山道を上り続けた。
 おそらしく長い間、ごとごとと馬車に揺られている気分であったが、格子窓から見える空には、ようやく日が傾きかけようとするところだった。
(クリミナたちは、無事にグレスゲートに着いたろうか)
 あのまま馬を走らせれば、今頃は町にたどり着いている頃であろう。ただ、いくら騎士とはいえ女の身であるし、あのいわくありげな少年を連れていては、とても人目にもつくだろう。そう考えるとやはり心配になるし、いても立ってもいられないような気にもなる。
(くそ。なんとか、隙をうかがって逃げねえことには)
 しかし、しっかりと手を縄で縛られた上に、馬車の扉は外から錠で固く閉じられている。少なくとも馬車を降りてからでないと、逃げるのは到底不可能であった。
 ゆるやかな丘を上る森の中の街道をさらに進むと、馬車はようやく目的地にたどり着いた。そこは一見すると、城壁に囲まれた普通の町のようでもあった。
「へえ。こんな山の中に町があったのか」
「ここが監獄の町バステールさ」
 山賊の言葉にレークは眉を寄せた。
「監獄の町だって?」
「そうだ。町全体が監獄になっているんだ。つまり、この町に入ったらもう、ただでは出られないってこった」
 馬車はいったん城門の前に止まった。
 格子窓から外を覗くと、城門の見張りらしい男が来て、御者席にいる護民兵の男となにやら言葉を交わしている。
 やがて、門がゆるゆると吊り上げられた。馬車がまた動き始め、門を通り抜ける。
 そこはどことなく異質な感じのする町だった。
 通りの両側には石造りの四角い建物が規則的に並んでいるのだが、人の姿はあまりない。ときおり、やはり護民兵らしき武装した男が通りからこの馬車を見ているくらいで、他に住民らしき人間の姿は見えない。町はどこか殺風景で、しんと静まっているふうであった。
「ここの住民は、ほとんどが罪人を捕らえる護民兵か、あとはその家族くらいだからな。囚人の他には、料理人や建物修復の職人くらいしかいないのさ」
「なるほど。どうりで、町の通りには店も宿屋もないわけだな。うう、なんだかとんでもねえとこに来ちまったもんだ」
 窓から外を眺めながら、レークは思わずぼやいた。
 彼らを乗せた護送馬車は、静まり返った町の通りをごとごとと進んでいった。

「降りろ」
 馬車が止められると、声がして外側から扉の錠が開けられた。
 この瞬間をずっと狙っていたレークであったが、すぐに逃走するのは不可能だと悟った。
 馬車の周りには数十人の武装した護民兵が立ち並んでいた。そこには、決して罪人を逃がすまいという、張りつめた空気があった。
 両手を縛られていては、戦って切り抜けるのもまず無理であった。
(ちくしょう……)
 山賊とともに馬車を降りたレークは、護民兵に両側からつかまれるように連行された。
二人が連れてゆかれたのは、周囲を高い塀に囲まれた、四角い塔のような建物であった。おそらく山賊などの重い犯罪人の入れられるところなのだろう。頑丈そうな石造りの壁には外から見る限りほとんど窓はなく、それは見るからに陰気そうな灰色の監獄であった。
 彼らは入り口で身体検査をされ、武器や金目のものはそこですべて押収された。とはいっても、レークの方には持っている武器もなく、肝心の密書はクリミナに渡してあったのでそのまま通された。山賊の方は、身につけていたナイフや細々とした金物や道具などをすべて取られて、憮然とした面持ちでぶつぶつと悪態をついていた。
 二人は別々に取り調べを受けたあと、それぞれの独房に入れられた。
 階段をぐるぐると上がらされ、いったいそこが何階であるのか見当もつかなかったが、これは逃亡防止のためなのだろう。
 取り調べの際に、レークは自分が山賊の仲間などではなく、ただの旅行者であるのだということをしきりに訴えたが、この塔の責任者らしい口髭をはやした中年の護民兵はそれをまるで意に返さず、後日さらなる尋問を行うと宣言すると、逃亡を計った場合は即縛り首に処すなどとといった注意事項を淡々と述べただけだった。
 こうして、石壁に囲まれた狭い独房に放り込まれたレークは、好むと好まざるとに関わらずバステール監獄にて虜囚の身となった。カビ臭い部屋にあるのは、うす汚れた毛布がしかれた簡素な寝床くらいで、小窓にはしっかりと鉄の格子がはまっているし、扉も鉄製の上に頑丈な錠で外から閉じられていて、とても出られそうにない。
「やれやれ……」
 簡単に逃げられそうもないと見て取ると、レークは仕方なく寝台に横になった。無駄に悩んだり体力を消耗するのは得策でない。それもいわば経験からくる開き直りである。
「まったく、面倒なことになっちまったぜ」
 あのガレムという山賊に捕まったこともそうだが、そもそもは船の上でクレイ少年を引き受けたときから、どうにもなにかに巻き込まれそうな予感はあった。しかし、それをいうならば、トレミリアを出立してレイスラーブに入り、スタンディノーブ城へ単身向かうことを決めたあのときから、転がるようにして運命が変わっていったような気がする。
(ああ。あの城での戦いにしても、敵の軍勢にまぎれ込んだり、あの黒竜王子と対面したり、今思うと無茶なことをやったもんだ)
 そうしてなんとか城を脱出して、トレヴィザンやクリミナと再会したはいいが、新たな任務を与えられてこのアルディへとやってきた。
(そんでもって、今はこの通り……監獄のベッドで横んなって、うす汚い天井を眺めてるってワケだ)
 そう思うと、思わずくすりと笑ってしまいそうになる。
 それはなんとも奇妙な、そして冒険に満ちた日々であろう。最初にトレミリアを出発してから、まだほんのひと月とたっていないというのに。
(しっかし、まあ、なかなか飽きないし。アレンみたくフェスーンの宮廷で雅びやかにふるまっているよりは、よっぱどオレの性には合ってるかもな)
 そう考えるうちに、さっきまでの焦りや苛立ちはいくぶん薄らいだ。
 城から船、そして船から監獄という、このとんでもなく極端な変遷にも、自分が適応したり、抜け出したり、打ち勝ったり、そうできることを、レークは信じて疑わなかった。
(まずは。体力をつけて、それからちゃんと考えるとするか)
 そろそろ日が沈み始める時分なのだろう。独房の中はしだいに暗くなっていった。
 夜になって食事係がこの階に回ってきたとき、レークはふと左手の指輪のことを思い出した。あまり高価なものには見えなかったのだろう、身体検査のときにもこれは取り上げられずに済んだのだ。
(そうか……こいつを使って鍵を開けさせることも、)
 だがレークはそうしなかった。
 小窓からスープとパンの皿を受け取ると、そのまま寝台に腰掛けて食事をとった。
 それはひとつには、たとえこの独房を抜けられたとしても、階下には大勢の見張りがいるだろう。それにもうひとつは、レークは怖かったのだ。何度も魔力を使って気を失うように眠ってしまった、あのときのことを思うと。
(もう、あんなのはゴメンだ)
 気づけばジャリア軍の只中にいて、味方のいる城壁からの矢を避けながら必死に逃げた。あの経験から、もう無用に指輪の力を使うことはやめようと、彼は固く思ったのだった。
(まるで体中の力が抜けてゆき、このまま死んじまうんじゃないかと思ったっけ……)
 その感覚を思い出して、レークはぶるっと体を震わせた。
 その日はもう、あとはただ眠るだけだった。心の中の不安は考えずに、明日になればまた、するべきことが分かってくる。どんなときでも、自分はそうして過ごしてきたのだと。

 翌朝になると、さっそくレークの尋問が行われた。独房を出る際には両手に枷をはめられ、下の階にある尋問部屋へ連れられてゆくと、そこには数人の護民兵が待ち受けていた。その部屋の奥に目をやると、内側にびっしりと針のついた棺桶や、人間を天井から吊り下げる拷問用の道具などがあり、思わずレークは閉口した。
「正直かつ謙虚に質問に答えるならば、あのような道具はただの飾りにしかすぎぬ」
 レークの向かいに座った中年の護民兵は、そう言ってにたりと妖しく笑った。その後ろには街道でレークを捕らえた、あの護民兵が立っていた。
「まず、名前と出身、それにこの国に来た目的から聞こう」
 この横柄な護民兵の態度がひどく気に入らなかったが、ここで拷問にかけられるのも馬鹿らしいとレークは口を開いた。
「名は……レーク。ミレイから来た。目的はただの旅行だ」
「嘘をつくな!」
 例の護民兵が怒鳴った。
「まあ待て、ワーレム。では、船から女と子どもを連れて逃げたというのは、どういうことかな?あれは、お前に間違いはないのだろう」
「それは……」
 レークは、あらかじめ考えていた言い訳を口にした。
「グレスゲートの親戚を訪ねて行く途中だったんだが、サンバーラーンがあんな状態で、あんなに検問が厳しくなっていたとは知らなかったんだ。オレと女房の分は正規の通行証を持っていたが、子どもの分はなかった。それで、捕まりたくなくて、逃げたのさ」
「ほう。それで、その妻と子どもの名前は?」
「つ、妻は……ク、クミーナ。子どもは、クレイだ」
 どもりながら答えるレークを、護民兵がじろりと睨む。
「部下の報告によると、その子どもというのは、金髪の髪をした高貴な顔だちの少年であるというが、お前の黒髪とは似ても似つかぬようだな」
「そりゃあ、まあ……じつはあの子は妻の連れ子でさ。元の夫はそりゃあ美男の金髪碧眼だったそうだ。たしか、アレンとかいう名だったか」
 内心で舌を出しつつ、レークは適当なことを言った。だが例の護民兵が異を唱えた。
「あの御方は、たしかにセリアス様だ。貴様の子でなど断じてない!」
「ふむ。部下のワーレンはそう言っておるが」
「あんたの部下は虚言癖でもあるんじゃないのか?それに、どうも頭に血が上りやすいようだな」
「きっさまあ……」
 ワーレンという護民兵は顔を真っ赤にして、レークにつかみ掛かろうとした。
「まあ待て。時間はまだたっぷりある。股裂き木馬や、天井吊るし、鉄の乙女を見せながら、またじっくりと訊いていけば、そのうちすべてを話す気になるだろうさ。くふふ」
「……」
 不気味に笑う中年の護民兵からレークは目をそらした。この男の顔も、話し方も、それにこの部屋のカビ臭い空気も、なにもかもが気に入らなかった。もちろん、あの物騒な拷問道具などは目の端にも入れたくはない。
「じつは、さきほどお前と一緒に捕らえた山賊にも尋問を行ったのだが、どうもお前たちは仲間というわけではないようだな」
「当たり前だ。あんな汚らしいガレム野郎と一緒にするな。オレは山賊なんかじゃなくて、ろうけ……、ああ、いやなんでもねえ」
 慌てて口を閉じたレークであったが、護民兵の方はもっと気になっていることがあるようだった。
「それで、あの山賊が証言したところによると、お前はけっこうな額の金貨を隠し持っていたそうだな。ただの旅人にしては不自然なほどの」
「さあ、知らねえな」
 レークはしらを切った。
「それは、あの山賊が盗んだものじゃあないのか?なあ、あの場にいたそっちの護民兵さんも聞いただろう。あの村の婆さんが、あれは自分の金貨だと言っていたのをさ」
「それは、たしかに……」
「ありゃあ、オレたちが山賊に捕まって逃げ出すときに、腹いせにやつんとこから持ち出したんだよ。そしたらやつが怒って追いかけてきたと、そういうワケさ」
「ふむ……まあいいだろう。金貨などよりも、重要なのはセリアス様のことだ。お前の妻と一緒に逃げた子どもというのが、確かにセリアス様なのかどうか、我々はそれを知りたいのだ」
「さっきからあんたらが言ってる、そのセリアス様ってのは何者なんだい?」
「本当になにも知らないのか?」
「なにもって……なにをだい?」
「セリアス様は、このアルディではもっとも由緒ある公族、フレイン家の跡継ぎであられるお方だ」
「へえ、公族……ってことは、そのセリアス様ってのは、公子さまってことか」
「いずれは、アルディの大公になられる。そういう御方である」
「ははあ……」
 内心では驚きながらも、レークはそれを顔には出さないようにとぼけてみせた。
(まさか、あの坊やが、そんなたいそうな身分のガキだったとはな!)
「でもさ、そんならよっぽど人違いじゃないか?いったいどうして、オレみたいなものが、そんな高貴な公子さんと一緒に旅をすることがあるかい」
「それはもっともだが……知っての通り、アルディは今、非常事態にあるといっていい。それはジャリアとともに西側諸国との戦争に突入したこともあるが、それ以上に、この国が東と西に分裂しかけていることが、現在の大きな問題であるのだ」
「ふうん。そりゃたいへんだよなあ」
 レークは人ごとのように気楽に言った。それを、中年の護民兵がじろりと睨む。
「もし、セリアス様が東側の手に渡ったら……大変なことになる」
「そうなんですかあ」
(ふうん。て、ことは、そう言うこいつらは西側の護民兵なわけだな。まあ当たり前か。サンバーラーンから逃げてきたオレたちを追っていたとすると)
(しかし、待てよ……)
(そういやあ、あの侍女と坊やは、はじめからオレたちと一緒の船に乗っていたな。それを、あのトレヴィザンのやつが知らなかったなんてことがあるか?)
(トールコンの港に停泊していた船は、すべてトレヴィザンの息がかかっていたようだし。つうことは……)
(あの……野郎。最初からオレたちにこの任務を押しつけるつもりだったのか)
 それに思い至ると、レークは拳をぐっと握りしめた。
(密書を渡すだけだ、なんて簡単なことをぬかしやがって)
「くそったれ!」
 いきなり大声を上げたレークに、護民兵たちは顔を見合わせた。
「なっ、なんたる……不遜な」
 中年の護民兵は額に青い血管を浮かべて、怒りに声を震わせた。
「もう今日はこれまでだ。連れて行け!」
「へ?ああ、そう。どうもお疲れさんでした」
 へらへらと言ったレークをいまいましそうに睨むと、護民兵は告げた。
「明日の尋問は、久しぶりに道具を使うことになるかもしれん。できればそうしたくはなかったが、やむをえんな!」
 

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