水晶剣伝説 W スタンディノーブル防城戦

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 ジャリア軍を退けたことで、城壁の兵たちの士気は大いに高まった。
 とりわけ、たった一人で、押し寄せる敵兵をなぎ倒したレークの活躍ぶりは、兵たちの間で語り種になった。
 だが、その一方では、敵の新たなこの兵器……攻城塔、そして破城槌の出現は、今後も脅威となることに違いなかった。
 そして、もう一つ。城にいる人間たちをことごとく落胆させたのは、レイスラーブからの援軍の不着であった。当初は、三、四日のうちには援軍が到着し、城は劇的に救われるだろうと、誰もがそう考えていたはずであった。しかし、五日が過ぎても援軍到着の知らせは来ず、反対にジャリア軍の攻撃は激しさを増すばかりである。
 さらに、この城の中で、実際的で重要な問題が大きくなりつつあった。
 それはつまり、食料である。
 もともと、多くの兵を養うほどには、この城に食料の蓄えは多くなかったのだが、そこへトレミリアからの二千名の兵が加わったことで、それはいっそう消費の早さを増していた。食料係からの報告によれば、すでに、蓄えの塩漬け肉は消え、城内に飼われていた牛や豚すらもすっかり食べつくし、人数分のパンの配給すらもそろそろ難しいというのだ。本来、豚の餌にする小麦の余りふすまを使ったパンで、もう何日かは持たせられるだろうということだが、それ以降の食料の見通しは絶望的であった。加えて、城内の井戸は、三千人近い人間が飲むための大量の水を連日汲み上げて、その水位は今や底をつくほどに下がっていた。ワインやビールはおろか、ただの水ですらも、あと何日かすれば自由には飲めなくなりそうなのだ。その見通しを聞かされると、マーコット伯をはじめ、その場にいたものたちは、一様に表情を曇らせた。
 しかし、ともかくも、あと一日、いやなんとか二日を持たせれば、必ず援軍が来るに違いないと、そう信じるしかなかった。それまでは、なんとか敵を退けつつ、少ない食料と水でやり繰りしようと、広間の人々は眉を寄せつつうなずきあった。
 かすかな希望……援軍は明日には来るに違いない。ただそれを合言葉に、城にいる人間はその日の眠りについたのだった。
 城側の苦悩を知ってか知らずか、翌日のジャリア軍の攻撃は、ややおとなしめだった。
 敵の攻城塔は再び接近してこようとはせず、不気味に後方に下がったままだった。ときおり弩砲からの矢が城壁に打ち込まれはしたが、他にはさほど激しい攻撃はなく、城壁の兵たちには待機の時間が長くなった。
 戦闘の緊迫感が薄らいでくると、その分、食料難という新たな問題が大きくのしかかってきた。その日配給されたのは、兵一人に黒パンひとつと、小さな塩漬けが肉一切れ。これだけで夜までもたせなくてはならない事に、兵たちの中には憤りを隠せないものもいた。また、籠城による鬱屈とした気分と疲労感もともなって、兵たちの間にはときに怒鳴り合いの喧嘩や、いざこざも頻繁に起こるようになった。
 ジャリア軍には、いっこうに攻撃を仕掛けてくる気配もなく、まるで、ただ時を浪費させるかのように静かだった。少なくとも、城壁の守備兵たちからはそのように見えた。
 そうして、その日も過ぎた。
 半ば諦め、また恐れていた通り、援軍の知らせが城内を劇的に沸かせることもなかった。兵たちは、むしろ待機の疲れからぐったりとして各自の休息についた。腹が減っていても食べるものはなく、酒もない。こうなっては、なるたけ早く寝てしまい体力を消耗しないことこそが、唯一の選択に思えた。
 だが……
 夜半を過ぎたころになって、城壁を揺るがす凄まじい音が、辺りに響き渡った。
 ドーン、ドーンという轟音と、地震のようなものすごい振動に、兵たちは飛び起きた。
「破城槌だあ!敵の破城槌だ!」
 城壁から見張り兵の絶叫が上がった。
「なんだとう?」
 ちょうど眠りにつこうとしていたレークも、寝床から飛び起き、わらわらと部屋から出てきた兵たちに混じって、急ぎ螺旋階段を上った。その間にも、まぎれもなく破城槌が門を叩く、あのドカーン、ドカーンという強烈な音が鳴り続け、静かなはずの夜を破壊した。
「くそったれ!」
 眠りを邪魔された腹立たしさに悪態をつく。
 それにしても、油壺で燃やしたはずの敵の破城槌が、こうしてまた現れるとは。するとジャリア軍は昨日のうちに、新たな破城槌を完成させたのだろうか。
(それにしたって、なにもこんな時間に……くそどもめ!)
 起き出してきた兵たちが城門塔に集まってきた。中には慌てて飛び出してきたらしく、鎧なしの胴着姿の者や、眠たそうに目をこするような者もいた。
「おお、レークどの!」
 駆け寄ってきた守備隊隊長のボードに、レークは尋ねた。
「この騒ぎはなんだ?奴らはまた、破城槌で攻めてきたのか」
「そのようで。私も見張り兵の声を聞いて、たった今駆けつけたばかりでして」
 彼自身も寝床に着いていたところをたたき起こされたらしく、その顔はえらく不機嫌そうだった。
「ジャリア兵どもめ。こちらが寝静まった頃合いを計って攻撃してきたようです」
「そうらしいな。ようし、油だ。また煮えた油を上から落としてやれ」
 指示を受けた兵たちが油壺の用意に走りだす。だが、さほどの時間もたたないうちに、続いていた振動がはたと止んだ。
「おい。なんだか、音が止んだな」
「は?……あ、そういえば」
 今さっきまで続いていた破城槌による激突音と振動は、唐突に消えていた。
 レークは松明を手に、石落としの穴から下を覗き込んだ。
「……何も、見えねえ」
 暗がりに目を凝らすようにしても、そこには破城槌はおろか、ジャリア兵の姿すらも見えなかった。城門の周辺はしんと静まり返り、なんの気配もない。
「どうなっていやがるんだ……なにもいねえ」
「レークどの……これはいったい」
 同じように下を覗いていたボードも、不思議そうに首をひねった。
「ああ、敵が消えちまった」
「そんな馬鹿な……」
 二人は顔を見合わせ黙り込んだ。
「さっきまでは確かに、破城槌の音が聞こえていましたが……」
 城門塔に集まった兵たちは、まるで全員が夢でも見ていたかのように、呆然とその場に立っていた。破城槌などはどこにもない。先ほどまでの騒ぎが嘘のように、辺りはただ夜の静寂に包まれている。
「ですが、確かに自分は見ました。あれは、確かに敵の破城槌でした。自分はこの目で確認しました。城門に接近するまではまったく気づきませんでしたが、かすかな車輪のきしむ響きを聞き、ここから下を覗き込むと、そこに敵の破城槌がありました。そして城門を激しく叩きはじめたのです」
 見張り兵の報告に、ボードは腕を組んだ。
「ううむ。だとすると、いったい……どういうことなのか」
 レークは胸壁の間から城外に目をやった。夜闇の中に、遠くジャリア軍の陣営のかがり火が見えるだけで、次の攻撃が来るような気配はまったくない。
「やつら、なにを考えていやがるんだ……」
 闇の彼方を見つめながら、レークはつぶやいた。
 それからしばらく待ってみても、やはり何も起こらなかった。ただ、静けさとともに夜が更けてゆくのみである。いつまでもこうしていても無駄だろうと、多めの見張りを塔に残すことにして、ボードは兵たちを城内に戻らせた。また寝床に戻れると、兵たちはほっとした様子で引き上げていった。夜明けまでは、もうしばらくは眠れそうである。
 城は再び静けさに包まれた。いったんは騒ぎに起き出した城内の人々も、やれやれと安堵しながらまた眠りについた。戦いの緊張に疲れている籠城の住人にとっては、唯一夢の中だけが安らかな場所であり、空腹と恐怖とを忘れさせてくれる時間なのだった。
 しかし、それを邪魔するべく企まれたように、
 地獄のような轟音は、またすぐに襲ってきた。
 再び破城槌が城門を叩き始めたのは、夜明けまではもう数刻という時分だった。
「破城槌だ!敵の破城槌だあ!」
 さきほどと同じく、城壁の見張りが叫び声を上げ、敵襲の報を告げる鐘を打ち鳴らすと、寝床から飛び起きた兵たちが、またしても妨げられた眠りに怒りの色を覗かせながら、城門へと駆けつける。
「くそっ、ジャリアどもめ!」
「わざと夜中を狙って続けての夜襲とは」
 再びボードをはじめ、レークにブロテらも西の城門塔に集まった。
「今度こそ煮えた油を投げ込んで、攻城塔ごと燃やしてやる!」
「ご、ご報告します!」
 見張り兵が、慌ただしく駆け寄ってきた。
「さきほどまで、確かに城門を攻撃していた敵の破城槌が……」
「どうした」
「破城槌は、すでに……見当たりません」
「なんだと?敵の破城槌が……さっきみたいに、また消えちまったというのか?」
「は、はっ……」
 見張りの兵は困惑ぎみにうなずいた。
「くそったれ!おい、松明をよこせ」
 レークは走って行って城門を見下ろした。やはりそこに敵の姿はまったく見えず、辺りはにわかに夜の静けさを取り戻していた。
「いったい、これはどういうことなんだ……」
「おそらくは、これは敵の作戦でしょうな」
 腕を組んだブロテが言った。
「作戦?どんなだ」
「敵は破城槌を使って夜襲を仕掛けてきた。だが、我々が反撃の態勢を整える前にあっさりと引き上げた。つまり、敵の目的は、門を破壊することではない」
「つまり?」
「おそらく敵の意図は、我々に心理的、肉体的な疲労を与えることだと思われます」
「ようするに……奴らは、オレたちが寝るのを邪魔する作戦に出たってことか?」
「おそらくは」
「けっ、くだらねえ。汚え、せこい手だな」
 レークはぺっと唾を吐いた。
「しかし、攻城戦においては有効な攻め方です。現に、我らは食料の不足に悩みはじめている。この上、夜の眠りまで奪われたら……」
 確かに、それはブロテの言うとおりであった。
 食料も水もたっぷりとあるうちは、人々はいずれは援軍が来るだろうと、半ば楽観的に考えていたのだが、六日たってもその頼みの援軍は現れない。やがて食料は減り、わずかとはいえ戦死者も日ごとに出る中、兵たちの中にも少しずつ不安が大きくなっている。その上さらに、こうして睡眠を妨げられ、昼も夜も区別なく常に緊張を強いられる状態になれば……やがては誰もが疲れ果ててしまうだろう。

 翌日から事態はさらに悪くなった。睡眠不足の兵たちに配られたのは、小麦ふすまのぼろぼろのパンが一つと、ほんのわずかの水だけで、それも食事は一日に一度のみ。城の困窮のほどは誰の目にも明らかであった。
 ジャリア軍の攻撃は、昼の間は弓と弩砲による単発的なもので、さほどの激しさもなかったが、空腹の兵たちにとってはだらだらとした待機が続き、それはむしろ非常に気疲れのする戦いであった。
 援軍の知らせは依然として届かず、兵たちの間には鬱屈とした空気がはびこっていた。もしも、敵が一気に攻めて来るのであれば、命がけの緊迫感が後押しとなっただろうが、ちくちくと針でつつかれるようなジャリア軍の攻撃は、城の兵たちをひどくいらいらとさせた。
 そして夜になると、嫌がらせのような夜襲が続いた。
 ジャリア軍の破城槌は、音もたてずに城門に忍び寄り、何度か猛烈な攻撃をしては、城の兵たちが起きてくる前にはすいと離れていった。それは、まったく見事なもので、その迅速さは回数を重ねるごとにさらに巧みになっていった。城門にぶつけられる破城槌の激突音は、むしろ城内にいるものたちの安らかな睡眠に対する攻撃に他ならなかった。
 だが、そうだからいって、その攻撃を放っておいたまま安穏として眠っているわけにもゆかず、兵たちは眠れぬ夜にますますの空腹を感じながら、見張りからの叫び声と鐘の音を聞き、寝床から起き出してゆくのだった。
 これがもう何日も続けば、おそらく誰もが、精神的にまいってしまうと思われた。城の食料はほとんど底をつきかけており、空腹と不眠とにさらされる人々のいらいらと苦痛は、日に日に増してゆくばかりである。
 八日目には、ついにパンを焼くためのかまどから火が消えた。その日、城の兵たちに配られたのは、ほんの一かけらのチーズの切れ端だけであった。これで、城の食料は完全に消え失せた。城内にいた動物は馬や羊、犬や鳩までが食べ尽くされた。
 人々は飢えていた。兵たちは眠れぬ戦いに疲れ果てていた。そして、ジャリア軍の破城槌は、その凶悪で無慈悲な音を、夜のあいだ容赦なく轟かせ続けた。
 これが籠城戦という、終わらぬ地獄なのかと、誰もがそう思っていた。
「こうなったらもう、討って出るしかないだろう」
 その日の会合の席で、レークはそう提案した。
 誰もが驚いた顔をしたが、声を上げるものはいなかった。集まった人々は疲れた顔をして、眠気と空腹に耐えながら、ただそこに座っているだけだった。彼らにはもはや、明日の戦いのための気力や、騎士としての誇りなどはなく、あるのはただ、この地獄のような時間からの解放、ただそれを希望する気持ちだけだった。
「しかし……レークどの」
 ややあって、フェーダー侯が口を開いた。城主であるマーコット拍は、体調の不良を理由に、昨日からはもう会議に出てくることはなかった。飢えというものにまったく慣れていない貴族であるのだから、それも無理からぬことではあったが。
 だがフェーダー侯爵の方は、さすがにげっそりとした顔に疲れの色を覗かせてはいたが、その目はしっかりと正気を保っており、立ち上がって席上の人々を見回す様子には、なお貴族としての優雅さを残していた。
「貴殿のおっしゃることも分かるが、もし今、城門を開いてしまえば、それこそ敵の思うつぼではないかな?」
 侯爵の言葉にセルディ伯もうなずく。
「私もそう思う。ここまで援軍を頼りに籠城を続けてきた以上、ここで討って出るというのはあまり得策とは思えない」
 セルディ伯は、元々が色白の肌をいっそう青ざめさせ、ひどく体調が悪そうに見えた。目の下は黒い隈に覆われており、まともに眠れず、食べられずという苦痛が、この貴族の指揮官を相当痛めつけているようだった。それでも、仮にもトレミリア軍を率いているのは自分であるという責任感からか、日々の会議に欠席することもなく、今もやや体をふらつかせながらではあったが、立ち上がって意見を述べた。
「それじゃあ……このまま、城の中で飢え死にするんですかい?」
 意地悪く言ったレークに、伯は何か言い返そうとしたが、その気力もないのか、ただ黙ってうつむいた。
「いずれにしても、もう食い物がねえってのは、変えようの無い事実だ。今日か明日には、城の犬っころまで食べつくして、残るのは地面に生えた雑草くらいのものだ。あと何日かすりゃ、見つけた食い物を奪い合って、殺し合いが始まるかもしれないんだぜ。飢えるってのはそういうこった。人間の本能が狂ってゆくんだからな」
 レークの言葉に人々は黙り込んだ。それほどに事態が切迫しているのは、確かに事実なのである。
「その上、連日の破城槌の攻撃で、夜もまともに眠れないときた。これじゃ、城にいる全員の気が狂うのも時間の問題だ。それこそジャリアどもの思うつぼだろう」
「しかし、だからといって、無謀な討ち死にを選ぶというのは……」
 城壁守備隊の副隊長、コンローが言った。連夜の疲労で相当参っているらしく、その声は弱々しかった。
「それに、もう何日かすれば、きっと……援軍が到着するはずです」
「もう何日かだって?」
 レークはせせら笑った。
「明日にはきっと援軍が来る、いや明日には、ってな……そうしていったい何日待ったと思っているんだい。もう何日か待って、やっぱり援軍が来なかったら、そのときはおとなしく飢え死にしましょうっていうのかい?はっ、オレはゴメンだね!」
「レークどの」
 横からなだめようとするブロテを無視し、レークは声を大きくした。
「もうたくさんだ!これ以上ただ待ちつづけて、骨と皮の屍になるまで少しずつ弱っていくなんざ。こりゃあ拷問ってもんだぜ。なあ。なによりあんたらだって、この城には家族がいるんだろう?飢えて弱ってゆく家族の顔を、そばで見ていてつらくはないのかい?」
 ボードやコンロー、そして、この場にいた城の騎士たちがはっとして顔を上げる。
「オレだったら……オレだったらな、愛するやつらのためなら、喜んで戦いに出てゆくぜ。たとえ見込みの薄い逆境の中でもな。飢え死にしたいなんて奴は戦士じゃねえ。死ぬまで戦う。戦い抜くのが男ってもんだろう。それが、騎士の道ってもんじゃないのかい?」
 人々は黙り込み、誰も何も言わなかった。
 だが、居並んだ者たちの顔は、少しずつ、己の内に秘めた怒りや戦いへの高ぶりに、血の色を取り戻すようだった。
「……私は、レークどのと戦うぞ」
 立ち上がったのは、守備隊隊長のボードだった。やつれながらもその顔を引き締め、目には強い決意の光が宿っている。
「このままジャリアどもの思うように、城の中で弱り果ててゆくのは耐えられん。そしてなにより、家族と、城にいる女子供たちをこのまま死なすわけにはいかん」
「わ、私も。もちろん……戦います」
 隣にいたコンローもうなずいて立ち上がる。
「よし。ブロテ、あんたはどうだい?」
「言うまでもない」
 レークの横にいた巨漢の騎士は、ずいと立ち上がり、にこりと笑った。
「もとより、自分もいつまでもこうしていては勝利はないと思っていた。レークどのの言うように、今がそのときだと思う」
 ブロテの言葉に他の騎士たちも賛同する。
「おお、私も……」
「私も」
 一人、また一人と立ち上がった騎士たちは、互いに目を見交わし、力強くうなずき合った。戦いへの決意を秘めた空気が、しだいに広間に満ちてゆく。
 これが最後の局面だと、そこにいる誰もが知っていた。

 翌朝の夜明け前、ジャリア軍の攻撃が始まるより早く、城の内側では慌ただしい動きが始まっていた。
「いいか、夜明けと同時に、ここから一斉に鬨の声を上げるのだ。そして、ありったけの矢を敵に打ち込む」
 城壁の上には、弓やクロスボウを手にした兵たちがずらりと居並び、黙ってブロテの命令を聞いている。誰もが飢え、心身ともに疲れていたが、今日が勝負の一日となるのだとばかりに、ぐっと口許を引き締め、そこに整列していた。
「もはや明日というものは、我等にはないものと思え。援軍のことは考えるな。今はただ己と、この守るべき城のことだけを考えて、戦え」
 ブロテの言葉に、兵たちは無言で胸に手をやった。声を上げる者はいない。
「それでいい。まだ無駄な体力は使うなよ。夜明けだ。夜明けと同時に、声を限りに叫びを上げ、そして矢を射よ」
 集められたありったけの矢が兵たちに分配される。それを全て射尽くすまでは決して倒れるなと、最後にブロテはそう付け加えた。
 兵たちは音も立てず粛々と城壁にそって移動してゆく。各々の配置につくと、彼らはもう身じろぎもせず、まっすぐに敵陣の方を見つめるのだった。やがて来る朝の光の訪れが、自分たちの運命を下す使者であると知るかのように。
 城の地下でもまた、夜明けを待たずにひそかに動きだした者たちがいた。
 狭い地下通路を一列になって歩いてゆくのは、レークをはじめとした騎士の一隊だった。鎧に身を包み、腰には剣を、背にはクロスボウをかついで、その顔を緊張にみなぎらせ歩いてゆくのは、この作戦のためにレークが選んだ十人ほどの精鋭たちである。
「足元に気をつけろよ」
 先頭をゆくレークが振り返ると、後に続く騎士たちは、暗がりの通路を慣れぬ足どりでなんとかついてきていた。
「おい、オルゴ。松明を前に手渡してやれ」
「はい」
 しんがりをゆくオルゴが、火の灯った松明を前の者に手渡す。
 今回の作戦の一員に選ばれたことに、オルゴ本人は驚いたようだったが、共にこの地下通路を通って城へ入った経験もあり、また彼の戦士としての胆力も、レークの十分に認めるところであった。
「さて、そろそろ狭くなるからな。頭をぶつけないように気をつけろ」
 レークは後に続く騎士たちに告げた。何度かこの通路を行き来しているので、出口が近いことはもう分かる。
 膝をつき、這うようにして、彼らは狭くなった通路を進んでいった。ぽっかりとあいた穴から這い出ると、ひんやりとした空気が感じられた。
 井戸の中から見上げると、夜明け前の暗い空にうっすらと雲が流れてゆくのが見える。
「よし、ロープはまだあるな。みんなしっかり付いてこいよ」
 全員が井戸を上って出てくるのを待って、いま一度作戦を確認する。
「夜が明ける前には敵陣の背後に回り込むぞ。オルゴはオレのすぐ後ろにつけ」
「はい」
 この辺りの地形は、嫌というほど走り回って覚えてしまっている。レークは騎士たちを引き連れて動きだした。
「音を立てるなよ。万一、敵の見張りにでも見つかったらおしまいだからな」
 日の出前の暗がりに包まれた林の中は静かで、近くにジャリア軍の気配はない。だが騎士たちは、誰もが緊張した様子で口元を引き結んだ。
 この作戦次第で城の命運が決まるのだ。そして、あるいは、これから自分は敵と戦い、そこで命果てるかもしれないのだ。彼らの中には、そのような思いがあったことだろう。
 かすかに白み始める東の空に急かされるように、一行は敵陣に近づいていった。
 林の中を迂回しながら、ジャリア軍が布陣する広場へ向かって接近してゆくと、やがて木々の向こうに、ジャリア軍の陣があることを示す松明の灯が見えはじめた。彼らはそこでいったん立ち止まり、念入りに気配を窺った。
「ここからはもう声は出すな。敵に気づかれないようにぎりぎりまで接近して、あとはじっと合図を待つんだ」
 後ろの騎士たちに囁くと、レークはそちらに向かって慎重に歩き出した。ただし、あまりゆっくりしていては夜明けに間に合わない。この作戦は、夜明けと同時に城壁からの合図で始まるのだ。
 さらに近づくと、木々の向こうには野営の灯がはっきりと見え、そこに大勢の人間がいるざわついた空気がここまで確かに感じられる。敵軍もちょうど、夜明けの攻撃の準備に追われている頃なのだろう。
「……」
 林が途切れる直前で歩を止めると、レークは後ろの騎士たちに合図を送った。オルゴと他の騎士たちは横に広がって、それぞれが木の後ろに身を寄せる。
 レークは木の幹から顔を覗かせ、息を殺して敵陣を見つめた。
(ここは、ちょうど南側の天幕のあたりだな)
 目の前には、つい数日前に実際に入った敵の天幕が立ち並んでいて、その向こうでは、多くのジャリア兵たちの黒い鎧姿が集まっているのが見える。
(……そういえば)
 作戦前の静かな緊張の中で、ふと脳裏によぎったのは、自分が会った一人のジャリア兵士の顔だった。
(あいつ……なんていったか)
 城を抜け出したあの夜、ジャリア兵になりすましていて偶然出会った、若いジャリア兵。
(なんだか、素朴で田舎っぽいやつだったっけ)
 そのときのレークは、ツォーマスという名のジャリア兵になりきって、なんとかその場をやりすごしたのだったが、相手は一方的にこちらに友情を感じたようであった。
(あいつも、あの中にいるのかな)
 物々しい気配の戦闘準備に集うジャリア兵を見つめながら、嬉しそうに話しかけてきた、あの田舎めいた兵の顔が思い出される。
(これから、もしかしたら、オレはあいつと直接戦って……)
(あるいは……このオレの手で、あいつの命を奪うかもしれないんだな)
 少しずつ白み始める空のもと、夜明けの合図を待つひとときの中で、レークはふとそんなことを思った。
(すまねえな。騙したことは悪かったが)
(そう。お互いに、運命の中を生きているんだ……)
 内心でつぶやきふっと息をつくと、もうよけいな感傷を追いやった。
 そして、東の空に、一陣の光が輝いた。
 太陽神アヴァリスの訪れ……
 戦いの日が明けたのだ。
 目の前のジャリア兵たちは、すでに城壁に向かって一斉に移動を始めていた。
 その不気味な足音をじっと聞きながら、レークは待った。
 遠く城壁の上から、空中高く一本の火矢が飛んだ。
「来た」
 それに続いて兵士たちの叫びが上がり始める。
「おおおおお」
「うおおおおお」
 雄叫びのような鬨の声が、すべての城壁から上がり、明けはじめた暁の空にこだました。
「おおおおお」
「おおおおお」
 相手を威圧するかのような凄まじい叫びの合唱に、今まさに攻撃を開始しようとしていたジャリア兵たちはその場に居すくんだ。
「恐れるな。ただの威嚇にすぎぬ。進め!城壁に近づき矢を放て!」
 指揮官に命じられると、ジャリア兵たちは再び前進を始めた。攻城塔がゆるゆると動きだし、すべての弩砲が城壁に向けてその狙いを定める。
 動きはじめたジャリア兵を木の陰から見やりながら、レークは飛び出すタイミングを計っていた。
「よし……オルゴ、いくぞ」
「はい」
「他のものは、オレたちが出ると同時にクロスボウで援護しろ」
 騎士たちに言い置くと、レークは林の中から飛び出した。すぐ後にオルゴも続く。
 腰の剣を抜きはなち、松明の灯を目指してまっすぐに走る。
「あっ、きさま……」
 見張りに立っていたジャリア兵を剣の一撃で倒すと、すかさず火のついた松明を抜き取り、それを手にまた走り出す。
「いくぞ、オルゴ!」
「はい!」
 二人は近くにある弩砲に突進した。
 いきなり現れた二人に、弩砲の射手が一瞬ひるむ。そこへクロスボウの矢が飛んできて、ジャリア兵の射手の胸に突き刺さった。
「よーし。やれっ、オルゴ」
 オルゴが手にした革袋を投げつけると、中に入っていた油が飛び散った。すかさずレークがそこに松明で火をつけると、弩砲は瞬く間に燃え上がった。
「いっちょう上がり。次だ!」
 燃え上がる炎を背にして、続いて二人は別の弩砲へと突進した。
「敵だ。敵が侵入したぞ!」
 こちらの存在に気づいたジャリア兵が声を上げ、剣を抜いて立ち向かってきた。だが、味方からのクロスボウの矢が敵兵を蹴散らしてくれた。
「よーし、オルゴ。また油を!」
「はい」
 オルゴはまた弩砲に油入りの革袋を投げつけ、レークがそこに火をつけた。
 そうして、二人は次々にジャリア軍の弩砲を燃やして回った。城壁の守備経兵たちを悩ませた強力な兵器は、彼らの手で次々に焼かれていった。
「今ので八台目です」
「よし。おおかたは燃やしたな」
 ようやくその頃になって、前線にいるジャリア兵たちも、背後に燃え上がる炎に気がづいた。しかし彼らは、いったい何が起きたのかとばかりに、ただ呆然とこちらを振り返るだけだった。
「な……何が起きたのだ。いったい何が……」
「て、敵だ。敵が我々の背後から現れて」
「敵だと?そんな馬鹿な!」
 しだいに、ジャリア軍全体にざわめきが広がった。城壁に向けて弓を引こうとしていたジャリア兵たちも一斉にその手を止め、こちらを振り返っていた。
「見ろ。敵が動揺しているぞ。ざまあみろだ!」
「レークどの、あそこにもうひとつ弩砲が」
「よし。いくぞオルゴ」
 二人が残っていた弩砲に駆け寄ると、そこにいたジャリア兵の射手が慌てて逃げ出していった。
「待て、オルゴ。こいつは使おう」
 革袋を投げようとしたオルゴを止め、レークはにやりとした。
「おおい、お前らもこっちに来い!」
 林の中にいる騎士たちを呼び寄せると、彼らに手伝わせて弩砲に矢をつがえる。
「オルゴ、お前はこいつを撃ったことがあるか?」
「い、いえ……」
「そうか。ならオレがやる。いっぺんやってみたかったんだ。お前はこいつの角度を調節してくれ。地面と水平に矢が飛ぶように。間違っても城壁に飛ばないようにな」
 オルゴに指示をすると、レークは弩砲の引き金に手を置いた。
「できたか。よし。じゃあ……撃つぜ」
 ぺろりと舌をなめると、レークは敵兵の集まるあたりに狙いをつけ、
「せーの……そらっ!」
 引き金を引いた。
 強い手応えとともに、引き絞られた鉄の矢が一気に解放され、ビシュンと、空気を切り裂くような音を残して、物凄い速さで飛んでいった。
「どうだ?」
 レークは前方に目を凝らした。
 ジャリア兵の集団の中に、いくつもの黒い鎧姿が倒れるのが見えた。強力な弩砲の鉄矢は、一度に数人の兵をくし刺しにもできるのだ。
「敵だ!敵が撃ってきた」
「我々の弩砲が乗っ取られたぞ!」
 悲鳴と声とが交差し、大変な混乱と動揺が、ジャリア軍の中に広がった。
「よーし、いけるぞ。お前らも持っている矢を全部撃ちつくせ!」
 弩砲の引き金を手にレークは叫んだ。その横に並ぶ騎士たちも、今日までの籠城戦のうっぷんを晴らすかのように、敵に向けて次々にクロスボウの矢を撃ち込んでゆく。
「レークどの、敵兵がこちらに向かってきます!」
「どうやら、やつらもオレたちを見つけたらしいな」
 黒い鎧姿のジャリア兵たちが武器を手に、大挙してこちらに押し寄せてくるのが見えた。その、まるで黒い波が押し寄せてくるかのような光景に、思わずレークは息をのんだ。
「こいつは、いけねえや」
「レ、レークどの……」
 数の上では到底こちらに勝ち目はない。後ずさりする騎士たちとともに、ここが死に場所かと、覚悟しかけたとき。
 まさにそのタイミングであった。
「うわああっ!」
 ジャリア軍の中に絶叫が響いた。
 城壁から放たれた大量の矢が、彼らの頭上から雨のように降り注いだのだ。
「ぎゃああっ」
 またたくまにジャリア兵たちは混乱に陥った。
 背中に矢が突き刺さり、倒れ込んだ兵の体につまずいて、その上に倒れた兵が、また空から落ちてくる矢の餌食になる。
「隊列を乱すな!城壁に背を向けるな。反撃の矢を射よ!」
 ジャリア騎士の命令も、兵たちの怒号と悲鳴とにかき消される。
「ありがてえ。さすがブロテ、見事な援護だぜ!」
 レークはぱちんと指を鳴らした。
「よーし、この弩砲を燃やしたら逃げるぞ。お前らも矢のなくなったクロスボウは捨てちまえ。オルゴ、残っている油をまけ」
「はいっ」
 残っていた油をすべてまき、そこに松明を放り投げると、辺りが激しく燃え上がった。
「戻るぞ。作戦完了だ!」
 威勢よく叫ぶと、レークは騎士たちとともに走り出した。

「敵は追ってくるか?」
「はい。相当な人数です」
 背後を振り返ったオルゴが告げた。林に入ってしまえば敵をまけるかとも思ったが、今回はこちらも人数が多いこともあって、そうもいかないようだ。
「なら、このまま井戸に戻るのはまずいな」
「ええ。敵に通路を知らせてしまいます」
「くそ……よし、仕方ねえ。城壁の南門へ回れ。そこで戦おう。どうせ籠城で飢え死にするくらいなら、剣で敵と戦って死ぬ方がマシだろう」
 騎士たちにも異存はなかった。もとより、この作戦の前から命を賭けるだけの覚悟はできている。城を守って戦い、そして死ねるのならば、騎士として本望に違いない。
 背後から敵の気配がしだいに近づいてきていた。振り返れば、黒い鎧姿のジャリア兵たちが、木々の間からその姿を覗かせる。
 林を走り抜けると、前方に城壁が見えた。
「よし。南門だ」
 レークは騎士たちにうなずきかけると、その場ですらりと剣を抜いた。騎士たちも各々の剣を抜き、横に並んで敵を出迎えた。
 林の中からジャリア兵の黒い姿が現れた。その数はしだいに増えてゆき、黒い鎧の集団は、こちらを見つけると剣を手にしてじりじりと迫ってきた。
「みんな……離れるなよ。固まって戦うんだ」
 剣を構えながら、レークは仲間たちに囁いた。
 一瞬の静けさが辺りを支配した。空に昇った太陽神アヴァリスが、騎士たちの剣をきらめかせる。
 ジャリア兵が一斉に動いた。
 その瞬間、レークも剣をかざして踏み込んでいた。
 敵は百人近い。無謀な戦いであったが、恐れの気持ちはなかった。
(ただ剣を振り、己のままに戦う……)
(それだけだ)
 迷いなく目の前の敵に向かってゆく。
 レークは一瞬で戦いの鬼神と化した。
「おおおお」
「わああっ」
 敵兵の叫び声が上がる。
 鋼と鋼がぶつかり合う響きと悲鳴が交錯し、
 血しぶきとともに、最初の断末魔の絶叫が上がる。
 レークの横で、騎士たちも己の命を賭けて敵と戦い始めていた。
「このっ、おおっ」
「うがっ……あああっ」
「ぎゃあっ」
 がつんがつんと鎧がぶつかり、剣と剣が絡み合い、火花を散らす。
「やれっ」
「わあああっ!」
 敵に囲まれた仲間の騎士が、ジャリア兵の剣に左右から体を貫かれた。
「くそっ!」
 倒れる仲間を横目にしながら、レークは目の前の敵に剣を振りかざす。
 右手に長剣を、左手には短剣を握り、前方の攻撃を受け止めながら、横から飛び込んできた敵兵の首元に短剣を突きたてる。
 レークはすでに五人倒した。だが、敵は次々に押し寄せてくる。
 息をつく暇もなく、剣を振り、攻撃をかわし、また剣を振る。
「うわああっ」
 また一人、味方の騎士がやられた。
「前に出るな!」
 レークは叫んだ。
 相手は訓練されたジャリア兵だ。一撃で倒すのはレークであっても簡単ではない。そして一人を倒しても、すぐにその後ろから新たな兵が突進してくる。
 この休むも間もない剣の打ち合いに、レークも額に汗をにじませていた。
「くそったれ!」
 歯を食いしばり、さらに二人を倒す。
 次に剣を打ち込んだとき、また味方の騎士がやられていた。
 残っているのはレークを入れて六人。どう考えても、全滅するのは時間の問題に思えた。
「オルゴ、オルゴ!」
 もはや呼んでも返事はない。さっきまで横にいたはずのオルゴの姿は消えていた。
「くそっ、やられたのか……」
 すると残るはもう五人だけである。
 殺到するジャリア兵の数はさらに増え、黒い鎧が周りを完全に囲んでいた。残っている他の騎士たちも、押し寄せる敵の多さになすすべもなく、じりじりと後退していた。
「くそ。ダメか……」
 レークははじめて弱音をはいた。
「なら、最後の道連れを、もう十人くらいは連れていくぜ……」
 べっとりと血がついた剣を握りしめる。そして、ここが最後と、敵のただ中へ飛び込もうと踏み出した。
 そのときであった。
「おおおおっ」
 ジャリア兵のものとは違う、大勢の掛け声が上がった。
 開いた南門から兵たちが飛び出してきた。
「レークどのをお助けしろ!」
「おおおっ」
 それは城内にいた傭兵たちだった。彼らは声を上げながら、なだれ込むようにしてジャリア兵に突進し、猛然と戦い始めた。
「お、お前ら」
 傭兵たちはレークの周りに集って、周りの敵に果敢に剣を振り下ろしてゆく。
「レークどの、ご無事でしたか!」
「お前ら……」
 じわりと沸き起こるものに、レークは体を震わせた。
「我等も戦います。ここで一緒に」
「ようし、ありがてえ!」
 再び剣を握ると、仲間たちとともに敵に向かってゆく。
「新たに敵兵が現れたぞ」
「恐れるな。まだ数の上ではこちらが上だ!」
 いったんひるんだジャリア兵であったが、意気を盛り返すと再び襲いかかってきた。
「うおおおっ」
 さきほどの倍するような叫び声とともに、双方の兵たちが激突した。
 そこは凄まじい混戦の場となった。互いの兵士がひしめき合いながら剣を振り、剣と剣、鎧と鎧がぶつかり、悲鳴と絶叫がこだまする。
 いったい何人を倒したのか、何人の味方が倒されたのか、もはや分からない。ただ、目の前にいる敵に向かって、力のかぎりに剣を振り続けるのみだ。
「わあああっ」
「やれっ、やれっ!」
「うおおっ」
 剣が合わさる響きと叫び声が合わさり、しぶいた血がぱたぱたと地面に飛び散ってゆく。
 戦いは、果てしなく続いてゆくかに思われた。少なくとも、双方のどちらかがすべて死に絶えるまでは。

 城壁の上でも激しい戦いが続いていた。
 迫り来る敵の攻城塔に対して、守備兵たちは必死に火矢を放ち、クロスボウを撃ち続けた。弩砲の驚異がなくなったことで、鉄の矢に貫かれるという恐怖が消えたことも、城側の兵たちには大きかったろう。彼らは勇敢に城壁から身を乗り出し、敵に向かって矢を放ち続けた。
 そうして戦いは続いていった。
 高く昇った太陽神が、戦場をゆっくりと見渡しながら、少しずつ西へ動きだした頃。
 事態の急転を告げる出来事が起きようとしていた。
 まだ敵からの攻撃にさらされていない城の東の城門塔……そこには、見張りを任された二人の騎士がいた。
 見張り任務の重要性は分かっていても、彼らにとって、剣や弓を手に戦う仲間たちの姿をのうのうと見守っていることは、とてもつらいものだった。二人は、いずれは自分たちも城壁の仲間のもとへ駆けつけて共に戦うべきだろうと、そう心を決めた様子でうなずき合っていた。
「俺はもう我慢できん。ここは一人で十分だろう」
「待てよ。カール、俺だって行きたいのはやまやまだが……」
「止めるなよ。俺は仲間のところへ行くぞ!」
 そう言って立ち上がった騎士は、いきなり顔つきを変えた。
「なっ、」
 空中に目をやったまま、ぽかんと口を開けてその場に凍りつく。
「おい、どうした?」
「あ、ああ……」
 仲間が指さす方に目をやると、とたんにもう一人の方も言葉を失った。
「なっ……」
「あ、あれ……は」
 二人は互いに顔を見合せると、
「の、狼煙だあ!」
 悲鳴のような声を上げた。
「狼煙だ、狼煙が上がったぞ!」
 二人は叫びながら、手元にあった鐘を打ち鳴らし、転がるようにして塔の端までゆくと、そこから仲間のいる城壁に向かって大声で叫んだ。
「狼煙だあ!」
「援軍だ。援軍が着いたぞお!」
 城門塔から見える彼方の東の空には、それと分かる煙が、もくもくと立ちのぼっていた。
「援軍だ。援軍が間に合ったぞ!」
 その声を聞いた城壁の騎士が、ただちに全軍に知らせに走る。
「援軍だ!援軍が来たぞ。味方の狼煙が上がったぞ!」
 そう叫びながら城壁の上を走ってくる騎士を、周りの兵たちが振り返る。
「おい、援軍だってよ!」
 誰もが、はじめは信じられぬというような顔をして、仲間と顔を見合わせた。
「マジかよ!」
「やっと、やっと援軍が……」
 城壁の兵たちは、思わず矢を射る手を止めた。
「援軍が来たぞう!レイスラーブからの援軍が到着したぞう!」
 その知らせは城壁中に広がってゆき、剣や弓を手にして戦う騎士たち、傭兵たちを沸き立たせた。これまでずっと、耐えがたい飢えと疲労の中、待ちつづけた援軍がついに到着したのだ。彼らの喜びは大変なものだった。
「ああ、これで……これで俺たちは助かるぞ」
「勝てる。勝てるぞ!」
 兵たちは拳を突き上げると口々に叫んだ。そして仲間とともにうなずき合う。
「俺たちは勝てる。ようし」
「もうひとふんばりだ!」
 彼らは疲れ切った顔を輝かせ、また弓を手に敵に向かってゆく。その腕には、新たに希望という名の力が加わったかのように、その矢は力強く飛んでいった。
「おい、聞いたか?」
 南門の前で戦い続けていたレークの耳にも、援軍到着の知らせが届いていた。
 仲間の騎士たちは、はじめは信じられないように呆然としていたが、それが本当だと分かると、剣を握る手をぶるぶると震わせた。
「援軍が来た。やっと、やっと……」
「本当に、援軍が……」
 血みどろになった剣を握りしめて、レークは叫んだ。
「みんな、援軍だ。援軍が来たぞ!味方が来てくれたんだ」
「おおっ」
「オレたちは……オレたちは勝つぞ!」
 ジャリア兵と激しく切り結んでいた傭兵たちも、それを聞いて一斉に歓喜の叫びを上げる。
「おおおっ」
「勝つぞ。俺たちは!」
 血と汗にまみれた顔をくしゃくしゃにして拳を突き上げると、彼らは新たな力を得たかのように、次々に敵兵をなぎ倒してゆく。
「よし。いっくぜ!」
 レークもまた、最後の力を振りしぼるように、ぎゅっとその剣を握りしめると、敵に向かって踏み出していった。

「殿下、ご報告です」
 天幕の外で部下の声が聞こえた。
「入れ」
「はっ、失礼いたします」
 王子の天幕に入ってきたのは、四十五人隊副隊長、ノーマス・ハインだった。
 兜を脇にかかえて、やや焦慮の様子でひざまずいた部下を、フェルス王子は静かに見下ろした。
「どうした」
「はっ、ただ今、報告がありまして、敵の援軍が到着したようにございます」
「そうか」
 報告を受けても、王子は顔色ひとつ変えなかった。
「数は?」
「は、それはまだ確認できておりません。ただ、おそらくはこちらと同数に近い、つまり五千前後はいるかと思われます」
「ふむ。三日ほど遅かったな。予定より」
 王子はしばし考えるようなそぶりを見せると、それから命じた。
「よかろう。では、敵の援軍が近づく前に、いったん兵を退かせろ。そのあとは、私の指示を待て」
「了解しました」
 部下が天幕から出てゆくと、王子はザージーンを呼んだ。
 控えていた巨漢のシャネイ族の男は、天幕の入るとのっそりとひざまずいた。
「ザージーン、聞いたな」
「は」
「援軍だ。敵のな。ふふふ」
 無造作に兜を脱ぎ捨てると、ひどく楽しそうな様子で、王子は口許に笑みを作った。
「やっと来た。やっとな」
 いつもは決して人前で感情を出さない王子が、今はその顔をあらわに笑みを浮かべている。ザージーンは無言で頭を垂れた。
「五千か……これで、ふふ」
「これで、我らの勝利は決まったぞ」
 まるで、自らの運命の神を味方につけたかというように不敵につぶやくと、王子は静かに笑い出した。
「ふふふふ、ははは」
 城壁の方からかすかに届いてくる、敵兵たちの歓喜の叫び。
 それすらも王子には、たまらぬ快感となって耳に響いていたのだろうか。
「はははは、ハハハ、ハ」
 乾いた笑い声……残酷なまでに冷たい王子の笑い声は、城壁の中の人々の希望を飲み込み、それをすべて食らいつくするかのように、天幕に響き続けていた。



      水晶剣伝説 W スタンディノーブル防城戦 




あとがき

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