水晶剣伝説 W スタンディノーブル防城戦

      7/9ページ
 
                
Z

「誰だ?」
 静かに尋ねる声。
「ああ……」
 レークはそこから動けなかった。
「お前は……誰だ?」
「あ、ああ……」
 レークが……あのレークが、なにかに打ちのめされたようにその場に尻もちをついた。言葉を失ったまま、その顔を引きつらせる。
 なにか、すさまじい圧迫感のようなものが、天幕の中を覆い尽くしていた。
「お前は、我が軍の兵ではないな?」
 男が口を開いた。
 がっしりとした体躯に真っ黒な鎧を身につけ、薄暗く顔はよく見えないが、恐ろしいほどに冷たい二つの目がこちらを睨んでいる。
「この天幕に入って、ただで済むことはないと、我が部下ならば嫌というほど知っているからな」
「……」
 レークは口が聞けなかった。
 相手の存在そのものがつくり出す空気……今まで感じたことのないような、凄まじいまでの圧力が体をこわばらせる。
「口が聞けぬのか」
 男はレークの方に一歩踏み出すと、ゆっくりと腰の剣に手をやった。
「こ……」
 かすれた声が、レークの口からもれた。
「黒竜王子……ジャリアの黒竜」
「ほう。我を知りながら、生きてここから出るつもりはないな?」
 王子の目がかっと見開かれた。
 すらりと抜きはなった、その剣。
 それを目にした瞬間、レークは自分が絶対に勝てないことを悟った。
「あ……」
 恐怖のためか、それとも驚愕にか、レークは自分の体が、がくがくと震えるのを知った。
 ジャリアの王子が持つ剣は、まるで、そのものが強烈な力を放つように、暗い天幕の中で青白く輝いて見えた。
 もし……
 もしも、その場にアレンがいたならば、あるいは己の命をかけてでも、その剣を奪おうとしたに違いない。しかし今のレークが感じるのは、ただ絶対的な恐怖……己の剣では勝てないという、その本能的な絶望のみであった。
「……」
 王子がまた一歩踏み出した。
 腰を引きずるようにして、レークはあとずさった。
(なんとか……なんとか逃げねえと)
 たとえどのような相手でも恐れを知らず、己の剣への揺るぎない自信とともに戦うのがいつものレークであったが、
(勝てねえ……こいつには、どうあっても勝てねえ)
 今は相手から感じ取れる空気のみで、はっきりとそれが分かってしまう。
(だが、ここで死ぬわけにはいかねえ)
(アレンも……それに、クリミナも待ってんだからよ)
 なんとか立ち上がると、レークは自らの剣を抜いた。
「ほう。私に立ち向かう気か。よかろう」
 まるで激することがないような、ひどく冷たい声……
 その剣をレークに向け、王子が告げる。
「ならば、死ね」
 すさまじい「気」が沸き起こった。
 それが、まるで空気の濁流のようになってレークに襲いかかる。
「くっ!」
 ジャギャーン、と剣の合わさる響きが天幕に響いた。
 すさまじい衝撃を受け止めて、後ろに飛びのいたレークは、たまらず膝をついた。
「ほう……なんと」
 王子の声が変わった。
「なんと。この剣を受けるか」
「……」
 レークは王子を見た。
 浅黒い肌と黒い髪、冷気を感じるような鋭いまなざし……今はそこにかすかな驚きの色を覗かせている。
「なんとも……これは、ただのネズミではないな」
 王子の目が、正面からレークをとらえた。
「おのれ、何者だ?」
「……」
 レークはぎゅっと剣を握りしめた。
 二人は互いに正面から睨み合った。
「王子!王子殿下」
 天幕の外から、ジャリア騎士とおぼしき声が上がった。
「剣の音がしましたが、いかがなされました?」
「ノーマスか」
 剣を手にしたまま、王子は天幕の外に向かって言った。
「なんでもない。ただ、奇妙なネズミがまぎれこんだようだな」
「なんですと。それは……、中に入りますぞ、よろしいでしょうか」
「待て」
 王子の目が床に転がった兜に向けられる。
 レークはそろりとあとずさった。
「……」
 王子が兜を拾い上げようと動いたその瞬間、レークは剣を投げ捨てると、天幕を飛び出した。
「王子!」
「待て、ノーマス」
 天幕から出てきた王子の姿に、ノーマス・ハイン……四十五人隊副隊長は、ほっとしたようにひざまずいた。
「ご無事でしたか」
「うむ、ご苦労。ザージーンも一緒か」
 騎士の隣には、褐色の肌をした大男が立っている。
「今、怪しい奴が天幕から走り出て行きました。敵の間者でしたか?」
「そのようだな」
「追いますか?」
「無用だ。林の中にまぎれては、簡単には見つかるまい。それに、城壁攻めの人員を割くわけにもいかぬな」
「は。しかし、なんとも逃げ足の速い奴……いったい何者でしょう?」
「さあな」
 もうそのような興味は失せたとばかりに、王子は肩をすくめた。
「それよりも、西門の方はどうだ?」
「は、破城槌の方は準備整いました。投石機二機と、バリスタは稼働させています。今のところ城壁からの攻撃は弓矢のみです。あちらも火矢や投石の準備はしているでしょうが、どうやら、やはり攻撃よりも城の守りを中心に考えていると思われます」
「やはり援軍待ちか」
「かと思われます。少しでも時間を稼ぎたいのでしょう。レイスラーブからの援軍の数はおそらくはこちらと同数かそれ以上かと。放った斥候からの情報ですと、数日中には到着するだろうとのことです」
「それまで城を守れば勝てると、思っているのだろうな。ふん、よかろう。では、望みどおり……今日は小競り合い程度の攻撃にしておいてやろう」
「殿下、それはどういう……」
「ノーマス。西門の指揮はお前に任せる」
「は、はっ!」
 命令を受け、騎士はその頬をさっと紅潮させた。
「攻城塔の準備は、どうやら明日までかかりそうだな」
「急がせます」
 それにうなずいた王子は、無言で頭を垂れる巨漢のシャネイ族の男に目をやった。
「ザージーン。お前の任務はなんだ?」
「は……」
 褐色の肌をした男は、わずかな沈黙ののちに答えた。
「王子と……ともにあることです」
 全てに感情を無くしたような乾いた声。
 それに満足げに口の端を歪めると、王子はあごをしゃくった。
「行け」
 去ってゆく二騎を見送るでもなく薄暗い天幕に戻り、王子は長椅子に腰を下ろした。
 兜を脱いで床に転がし、自らの剣に手を触れる。
 まるで剣からなにかを感じ取ったかのように、その口許に笑みが浮かんだ。
「……」
 王子の鋭い両の眼差しが、天幕の外へと注がれる。
 たった今、剣を合わせた、あの相手のことを思い描くかのように。

 レークは林の中を走り続けた。
 ときおり足をもつれさせ、何度も後ろを振り返りながら。まるで、見えない敵から逃げるかのように。
(なんてえ、恐ろしい気配だったんだろう)
 今さっきの対面が、さしものレークの心をも寒からしめていた。
(あれが……ジャリアの王子)
 ごくわずかな対面の時間であったのだが、それでも、肌にまざまざと感じた圧力……あのまるで黒い竜を思わせる姿と、その体から強烈に発していた「気」にすっかり気押され、認めたくはないが、レークは確かに強い恐怖を覚えたのだ。
(フェルス・ヴァーレイ。ジャリアの黒竜王子!)
 その名を心の中で発すると、今も震えのような戦慄が走る。そして木々の間から、黒い馬にまたがった王子がぬっと現れるような気がして、思わず背後を振り返らずにはいられなかった。
(それに……あの剣!)
 今だ痺れの取れない、この右手で受けた剣の感触。
(あれは、ただの剣じゃねえ。やつがあの剣を抜いた瞬間、オレは絶対に自分が勝てねえと思った)
 そんなことは、これまでただの一度も感じたことのない感覚だった。剣の腕でなら、たとえ世界中のどんな相手にでも負けないという自負がある。
(あれは、魔剣だ……)
(あの剣には勝てねえ。あれは……あの剣は)
(ああ……もし)
(もし、あれが、水晶剣だと言われても、オレは信じるだろう)
 走りながらレークはまた後ろを振り返った。ジャリア兵が追ってくる気配はなかったが、それでも、何かに追い立てられるような心地はいつまでも消えなかった。
「おい、開けろ!ここを開けろ!」
 レークはようやく城壁の南門にたどり着くと、その鉄柵を叩いた。
 何故か、あの井戸には戻る気がしなかった。今の気分では、暗がりの狭い空間へ入りたくなかったのかもしれない。
「開けろ。早く開けろ!」
 ここは城門というよりは使用人のための通用口のような狭い門であるが、鉄柵と鉄板の扉とで補強され、敵が来ても簡単には破れそうもない。
 ややあって鉄の扉の覗き窓が開いた。レークの声を聞きつけたらしく、城の騎士たちが集まってきた。
「うわっ、敵だ!」
「なんだ、どうした?」
「ジャリア兵がそこにいます」
「どれ……あっ、本当だ。おい弓だ、弓を持ってこい!」
「南門にジャリア兵が来たぞう!」
 にわかに慌て出す騎士たちを見て、レークは叫んだ。
「馬鹿野郎!オレは味方だ」
 兜を脱ぎ捨てて顔を見せる。
「よく見ろ。この顔を。オレだ。レークだ!トレミリアの騎士レーク・ドップだぞ」
「なんだって?」
「あっ、本当だ。あなたは……レーク殿!」
 運良く顔を知っている騎士がそこにいたようだった。
「おい、待て。矢を射るな!」
「なに?味方なのか。なんであんな所に」
「レーク殿だってよ。トレミリアの」
「だって敵の鎧を着ているぜ」
 ざわめき立つ騎士たちに、レークはいらいらとして言った。
「おい、いいから。早く中に入れろ」
「ですが……」
「ですがじゃねえ。早くしないと、本当に敵が来ちまうだろう」
 そこにいる騎士たちは困った様子で顔を見合せた。
「しかし、我々だけではこの門を開けることは……」
「ちっ。じゃあ、近くにブロテかアルーズはいないのか?それとも、そうだ……隊長のボードでもいいや。ともかく、こにオレがいることを言って、この門を開けさせろ!」
「はっ、はい」
 一人の騎士が慌てて駆けだしてゆく。
 しばらくして戻ってきた騎士は、守備隊の副隊長であるコンローを連れていた。コンローは鉄柵の外にいるレークを見るや、その目を丸くした。
「あっ、こ、これはレークどの。いったいどうやって外へ?それに……そのお姿は」
「いいから……」
 レークはうんざりしながら言った。
「ともかく……、早く開けてくれ。オレはもう、へとへとなんだ」
 ようやく門が開けられると、レークは城の中に転がり込んだ。
 安全な城の内側に戻ってきてほっとしながら、騎士たちに囲まれてへたり込んでいると、そこに駆け寄ってきたのはアルーズだった。
「レークどの!」
「よお」
 立ち上がる気力もないというように、レークは手を振ってみせた。
「なんと……まさか城の外へおいでとは。今朝になってもお姿がないので、いったいどこへ行ってしまったのかと心配しましたよ」
「ああ、すまねえな」
 アルーズは驚いた顔で、レークをまじまじと見つめた。
「しかし、その姿は……それはジャリア兵の鎧でしょう」
「ああ、大丈夫だ。敵に寝返ったわけじゃねえから」
「それは当然、分かっていますがね。しかし、その姿で城の中を歩いたら、味方から矢を射かけられても仕方がないでしょう。さあ、そんな鎧は早く脱いでしまってください」
「なるほど。確かにそりゃそうだ」
 レークはおかしそうに笑った。
「ああ、もうこんな鎧はごめんだ。重たいし鉄臭いしで、たまったもんじゃない」
 アルーズに手伝わせて鎧を脱ぐと、レークは身軽になった体で両腕を伸ばした。
「ああ、楽になった。まったく、オレにはこんな鎧は似合んな。それに弓とか槍とか、投石機なんかも、もうごめんだ!」
「はあ、なにか大変な目にあったのですか?」
「なんでもねえ。後で話すよ」
 首をかしげるアルーズに、レークはにやりと笑った。
「そうだ、それからな、オレはジャリアの王子に会ったぞ」
「なんですって?」
「今思い出しても、おっそろしい野郎だったなあ。あれが噂に聞く黒竜王子ってやつか」
「ジャリアのフェルス王子に?まさか……ご冗談を」
「ああ本当さ。ありゃあ、とんでもねえ奴だな。恐ろしく威圧的で、それに……あの剣ときたら」
「ほ、本当ですか?本当にジャリアのフェルス・ヴァーレイと直接?」
 アルーズをはじめ、コンローや他の騎士たちも目を丸くする。
 それは、にわかには信じられぬような話であった。今や大陸中に名高いジャリアの黒竜王子と直に会い、しかも、このように無事でいられるなどということがあるものか。
 周りの騎士たちはぽかんと口を開け、この飄々とした黒髪の剣士を、驚きのまなざしで見つめていた。
「さって、それよりどうなってる?」
「えっ?」
「今の状況だよ」
「ああ、はい」
 アルーズは慌ててうなずいた。
「ご覧のとおり、日の出と同時に、すでに戦いは始まっています。今のところは、弓矢での応酬という感じで、互いに探り合い程度でしょうか。投石にやられた何人かの他は、こちらにさほどの死者は出ていません」
「そうか、じゃあちょっくら、オレも城壁の上に行ってみるかな」
 立ち上がったレークは、ぼきぼきと首を回した。
「まったく、鎧ってのはこう、首がこっていけねえ。とくにジャリアの鎧はとんでもなく重いな。頑丈なのはいいが、さしあたってオレには必要ないな」
 アルーズとコンローは顔を見合せた。この豪胆かつ無茶な剣士が、ジャリア軍の中に飛び込んで、いったいどんなことをしてきたのか、二人は一刻も早く聞きたくてたまらぬという風だった。
「まあともかく、行こうぜ。さっきこの目で見てきたジャリア軍の様子を、今度は城壁の上から見下ろしてやるんだ」
 螺旋階段をぐるりと上って城壁上に出ると、頭上にはまぶしく輝きをはなつ太陽と青々とした空が広がった。
 敵の矢や投石が飛んできては危険だからと、アルーズから兜を勧められたが、レークは断固として首を振った。
「どうせ頭ほどの石が飛んでくりゃあ、鎧兜も役立たずだろう。兜をかぶるのは敵軍にまぎれこむ時だけにするさ」
「ですが、そうは言っても、流れ矢に当たらないともかぎりませんから、せめて革の胴着だけでも」
「ちぇっ、分かったよ」
 レークは渡された胸当てをしぶしぶ受け取り、それを付けながら城壁上を見渡した。
 城の守備にはさほどの混乱もないようで、ずらりと狭間に並んだ弓兵が、今は指示を待つようにして待機していた。辺りには、いくさの始まった張り詰めた空気が漂っている。
「おお、これはレークどの」
 城壁守備隊の隊長、ボードがこちらに歩み寄って来た。
「ご無事でしたか。先ほど報告で聞きましたが、城の外へおいでだったとか?」
「ああ、ちょっとした偵察にな」
 実のところは、ただの退屈しのぎで出ていったのが戻るに戻れなくなってしまい、ジャリア兵になりすましたはいいが、この城壁からの矢を避けながらなんとか逃げ出したのだが……それは心の中で報告することにした。
「それで、状況はどんな感じだい?見たところ、さほどの被害もなさそうだが」
「そうですな。敵の弓による負傷者は三名ほど、後は運悪く投石にやられた者がいくらかおりますが、今のところはそれだけです。こちらとしても、貴重な矢を無駄にすることもないと、まだむやみに射かけることはせず、間隔を置いて牽制するにとどめています」
「ふむ。その方がいいだろうな。なんにしても援軍が来るまで持たせれば、オレたちの勝ちなんだから」
「そうですな」
「しかし、あの投石機はやっかいなようだな。とくに大型のやつはけっこうな威力があるだろう。トレビシットってのか」
「ええ、それで何人かやられましたし」
 ボードが城壁の一角を指さした。そこは投石が直撃したのだろう、壁石の一部が砕け落ちて、歩廊の上に転がっている。
「何発かは、城壁の上を越えて城内に飛んできたものもあります。小さいスプーン式のやつは、城壁に当たる分にはなんということもありませんが、天秤式の方はなかなかあなどれませ。ただ幸いなことに、発射までの間隔が長いので、その間にこちらもそれなりに準備することができますが」
「確かに、あれが何発も来たら、けっこうやばいかもしれんな。なにしろ、石が城壁にぶち当たるあのものすげえ音で、オレは飛び起きたんだから」
「飛び起きた?」
「いや、まあこっちのことだが……」
 うっかり眠ってしまって戻れなくなったなどと知られては、は恥ずかしいことこのうえない。レークはひとつ咳払いをすると、真面目な顔つきになって言った。
「だが、きっと……そうだな、もうすぐ敵の投石はやむと思うな」
「何故です?」
「そんな気がするからさ」
 ボードはそれをあまり信じた様子もなく、にやりとするレークを怪訝そうに見た。
「まったく、そう願いたいものですな」
「隊長、次の投石が来ます!」
 敵の動きを見張っていた騎士が報告した。
「全員伏せろ!」
 ボードの命令で、城壁上の騎士たちが一斉に身を低くする。レークもそれに習った。
 その直後に、ドガーンという大きな音とともに、強い衝撃が伝わってきた。さらに、もう一発、二発と続けて激突音が響きわたる。
「うわっ!」
 背後にある城門塔の壁石が崩れ落ちて、砕けた石がレークのすぐ後ろに降ってきた。
「ひゃあ……あぶねえ、あぶねえ」
「被害は?」
「はっ、城門塔の四階部分の壁が損壊、その他の二発は城壁に当たったようです。死者は今のところいないかと」
「そうか。やはりトレビシットの射程はあなどれん。あの高さまで届くとはな」
 いったん投石がやむと、ボードは立ち上がって指示を出した。
「弓兵並べ、敵に矢を放て!」
 城壁の兵たちが一斉に矢を射るが、放たれた矢はジャリア軍の大きな盾に突き刺さるだけだった。
 レークは城壁の狭間から身を乗り出し、敵陣を覗き込んだ。
「危ないですよ、レークどの」
「なあに、今なら平気さ。敵もただやみくもに攻撃してくるわけでもなさそうだからな」
 ここから見下ろすと、ジャリア軍の布陣がよく分かる。少し前まで自分もあそこにいて、今とは反対にこの城壁を見上げていたわけだ。
「さっきまでオレがいたのは、きっとあの辺だな」
 楯の後ろに隠れる弓兵の背後には投石機が並び、石を装填する作業をしているようだ。中でも大型の天秤式投石機の周りでは、何人ものジャリア兵が忙しく動き回っているのが見える。
「あの投石機にも登ったぞ。その隣のやつにも」
「あれがトレビシットですか。一番やっかいなやつですね」
 横にきたアルーズも、その殺人的な威力の投石兵器を恐ろしげに見つめた。
「ああ、だがな……あれはもうすぐ壊れるはずだ」
「なんですって?」
 アルーズが眉を寄せる。
「もしかして、レークどの……あれになにか細工を?」
「ああ、まあな。きっと使えば使うほど、留め具が緩んでいくはずなんだ」
「本当ですか?それは」
 うなずくレークに、アルーズは感嘆の声をもらした。
「なんと大胆な……さきほどジャリア兵の鎧を着ていたときは驚きましたが、敵の中に紛れ込んでそのようなことをしておられたとは。なんとも恐るべき方だ」
「なあに……」
 レークは、ジャリア軍が陣を張る広場の西側に目をやった。ここからでは遠く見えづらいが、そこに小さな点のようなものを見つけると、すっと目をそばめる。
(あそこに、ジャリア王子がいる……あの剣を持った黒竜王子が)
「えっ?なにか言いました?」
「なんでもねえよ」
 敵の攻撃がしばらくはなさそうだと分かると、レークはアルーズを連れてまた歩廊を歩きだした。
 城壁には、ところどころに投石の被害で石壁が崩れかかっている場所もあったが、守備兵たちにはさしたる混乱はなさそうであった。歩廊をぐるりと周り北西の城壁にやって来ると、このあたりはトレミリアの兵たちが任された場所とあって、兵たちの中には知った顔も多く、彼らはレークの姿を見つけると手を振ってきた。
 二人は、ここを指揮するブロテのもとへ行くと、今の状況を確認し合った。
 ブロテによると、こちらもまだ小競り合い程度で、やはり敵からは一定の間隔で投石がきたり、矢が放たれたりするくらいで、死傷者の数もまだ数人程度ということだった。レークは、自分が見てきたジャリア軍の陣容をかいつまんで話して聞かせた。南側の投石機に細工したことや、ジャリア王子フェルス・ヴァーレイに会ったことなどを話すと、ブロテは大いに驚き、そして呆れながらもレークの豪胆さに笑い声を上げた。
 トレミリアの傭兵たちは、レークの姿を見てさらに意気が向上したようだった。ブロテの指揮のもと、みな勇ましく声を上げ、敵に向けて矢を射かけていった。戦いは始まったばかりであったが、兵たちには誰一人として、初めて体験するはずの防城の戦いを恐れているものはいなかった。また実際に、ときおり飛んでくるトレビシットによる投石の他には、さして敵の攻撃に脅威はないように思えた。
 その日はそうして、そのまま夕刻を迎え、ジャリア軍の攻撃も、沈みゆく夕日と同じくして、はたとやんだ。しかしもちろん、城壁上では警戒を怠らないよう、多くの見張り兵が交代で夜の番に就いた。
 城の天守の広間では、レークやブロテ、守備隊隊長のボードら、主要な面々が集まり、この戦いの見通しについての話し合いがなされた。
 集まった人々の見解で一致していたのは、やはり援軍が来るまでは無謀な攻撃には出ずに、敵の侵攻を食いとどめることを重点に置くということであった。ただ、一方ではレークの報告によってもたらされた、ジャリア軍がまだおとなしいのは、攻城塔などの大型の兵器の完成を待っているのためであるという情報も、おおいに考慮に入れられた。
 レークの報告の中で人々を最も驚かせたのは、城門塔の地下室から城外へ通じる通路のことだった。これには長年城を治めてきたマーコット伯も大いに驚嘆し、自らただちに地下室へとおもむくと、配下の騎士をその地下水道に入らせた。
 やがて戻ってきた騎士から報告を受けると、その場にいた人々はざわめきたった。通路は確かに城外まで通じている。これを敵に発見されてはとても危険なので、早々に埋めるべきだという意見が人々の口から上がると、レークはそれに反対した。
「いや、井戸は見つかりにくい場所にあるから大丈夫だ。むしろ、これをうまく使えば、ジャリアどもにひと泡ふかせられるぜ」
 人々は互いに顔を見合わせたが、レークの言うように、あるいは何かの役に立つかもしれないという意見も上がり、ブロテやアルーズ、それにフェーダー侯がそれに賛同した。結局、マーコット伯もそれに押される恰好で、この地下室には常時の見張りを置き、万が一の敵の進入に気を配るということで決着した。地下室にはさっそく見張り兵が置かれ、敵が入り込んできた場合を想定しての武器や、穴をふさぐための石などが常備された。
 再び広間に戻った人々は、直接見てきたというレークから、ジャリア軍の陣容や装備などについての話を聞かされた。一同は、無謀とも思えるレークの行動に呆れつつも、彼がもたらした情報には真剣に聞き入り、おおいにうなずいた。最後にはフェーダー侯の称賛の拍手に、人々も同調した。
 会議の中で、人々の最大の関心事は、やはりレイスラーブからの援軍がいつ到着するのかということであった。なにしろ、それによってこの城の運命が大きく左右されるのだ。できうるなら援軍到着の正確な日時を知りたいと、誰もが思っていたに違いない。
「援軍が着くタイミングは、作戦面にも大いに影響がありますからな。ここはひとつ、オールギア方面へ斥候をたてるべきでしょう。やってくる援軍に、こちらの交戦状況を知らせるという意味でも」
 提案したのは副隊長のコンローであった。
 彼は自らがその任務に就くことを続けて希望したが、城壁守備において兵たちを統率する任務があるだろうと、隊長のボードがそれをとどめた。代わりにその役を買って出たのは、アルーズだった。周辺の地理にも詳しく、なによりトレヴィザン提督の直接の部下であるから顔もきく。また、もともとはレークとともに、入城できなかった場合にはジャリア軍の様子を偵察し、その情報を持ちかえることが彼の任務であったのだから、誰もこれに異存はなかった。
 そうして重要な事項が決定すると、人々は城壁の守備についての持ち場の確認をして、最後に明日の戦いへの誓いを行った。
 夜になっても、ジャリアの夜襲を知らせる声は上がらなかった。レークは食事を済ませると、部屋に戻って仮眠をとり、明日の夜明けに備えた。昨夜は鎧を着たままの思いがけない野宿だったこともあり、心身ともになかなか疲れていた。
(なんつうか……疲れる一日だったぜ)
 寝台に横になりながら、レークは今日の冒険のことをあらためて思い描いていた。
 ちょっとした思いつきから、ジャリア兵になりすましたはいいが、帰るに帰れなくなり、投石機に登らされたり、城壁から降り注ぐ味方の矢から逃げ回ったり、そして、さいにはあの恐ろしい王子との邂逅である。
(フェルス・ヴァーレイ……ジャリアの黒竜王子か)
 その時のことを思い出しただけで、今でも背筋に震えが来るようだった。この相手には勝てないと、心の底から恐怖したなどというのは、なにせ初めてのことである。
(それに、あの剣……)
 王子がその剣を抜いた瞬間……間違いなく自分は負けると思ったのだ。そう確信させるだけの力が、あの剣にはあった。
(あれは間違いなく、魔力を秘めた剣だ)
(もしかして、本当にあれが……)
 自分とアレンの捜し求める剣なのだとしたら。
(水晶剣……)
 レークは口のなかでそうつぶやいた。
 うとうととしかけた夢とうつつのはざまで、目の前に黒々としたもやが立ち込めた。それは、やがて鎧を着た黒竜王子の姿となった。
 王子は氷のような冷たい目でレークを見下ろした。輝くようなあの剣をこちらに突き出して。レークにはなすすべがなかった。
 相棒であるアレンの名を必死に呼ぶ。しかし、声はかすれてアレンには決して届かない。
 眠りに落ちる直前、もがくような苦しさに、レークはいっそ、あの剣で楽にして欲しいと思った。 

 翌日は、夜明け前から城壁を挟んでの激しい攻防が始まった。
 ジャリア軍は、明らかに昨日よりも前線の弓兵の数を増やしてきた。その中にはクロスボウ兵の姿も多くあり、より強力なクロスボウの矢が、城壁の兵たちに向けて飛んできた。
 城の守備隊側も、昨日よりも激しいジャリア軍の攻撃に、いそいで城壁の兵を増員し、反撃の矢で応戦した。城門塔に設置された投石機もようやく機能しはじめ、敵側と城壁側の双方の頭上に、大きな石が飛び交い始めた。
 戦いはにわかに激しさを増し、夜明けを迎える頃には、両軍にすでに昨日以上の死者の数をもたらしていた。
 レークも夜明けとともに城壁に立ち、弓を引いていた。が、いくらもたたないうちに、自らの弓兵としての無力さを、嫌というほど痛感していた。
 射てども射てども、放つ矢は敵には当たらず、敵陣に届く前に失速して土に刺さるか、良くても並べられた盾の周りに当たるのがせいぜいだった。
「くそっ、全然敵に当たりゃあしねえ。これなら短剣か刀子でも投げた方が、きっとまだましだぞ。ちきしょう」
 自分の横にいる仲間たちは、十本の矢を射る間に、少なくとも一人か二人の敵に当てているのに、これまでレークの放った何十本の矢はまったくその役目を果たさず、そのまま敵に拾われて、反対にこちらへの攻撃に使われてしまっている始末である。
「やっぱり、オレには弓矢の才能はねえ……」
 がっくりと肩を落とすと、レークは後ろに下がり、控えていた若い射手に場所を譲った。
「剣の戦いなら、誰にも負けねえんだが」
「気にすることはありませんよ」
 レークの代わりに立った若い兵が、矢をつがえながら言った。
「レークどのは、あのトレミリア大剣技会の優勝者。その素晴らしい剣の腕前は誰しもが知っております。いずれ、敵との接近戦になった時には……やっ!」
 威勢のいい声とともに若い兵が弓を放つと、それは見事な弧を描き、盾の向こうのジャリア兵に突き立った。
「そのお力を、存分に発揮していただきたいものです」
「お前、名はなんてんだ?」
「はっ、ルスランです。十八です」
 兜の中でにこりと笑ったその兵は、まだ少年めいた目をしていた。
 聞くと、彼はトレミリアの見習い騎士で、自ら志願してこの遠征に加わったのだという。トレミリアの剣技会では、レークの戦いを客席から見ていたという。そのレークと、こうして直に話せることがとても嬉しいらしい。次の矢をつがえながら、兜から覗かせる頬はいくぶん紅潮していた。
「若いんだな。ルスラン、まだこんなところで死なないようにな」
「はいっ、頑張ります!」
 若い兵は次の矢を放つと、元気よく声を上げた。
 自らが弓の戦いでは役に立たないことを存分に確認すると、レークはその辺の騎士に弓を放って渡し、そのまま早足で歩廊を歩きだした。ときおり、ジャリア兵の放った矢が近くをかすめたが、「どうせ当たるときは当たる」とばかりにそれを避けもしなかった。ただし、投石機トレビシットからの攻撃については別であった。見張り兵からの合図があると、城壁にいるものは例外なく全員がその場に伏せた。それでも運の悪いものは、飛んできた石の直撃に巻き込まれたり、砕かれた壁石の破片の下敷きになったりした。城壁の守備兵たちは、天秤式投石機の動きを、常に気にしなくてはならなかったのである。
「くそっ、まだ壊れないのか。あのデカ投げ機は」
 自らが確かに留め具を緩めたはずの投石機は、いずれは必ず壊れるはずだとレークは思っていた。だが、今のところ、いっこうにそうなる様子がない。もしや、それに気づいたジャリア兵が留め具を点検し直したのではないかとも考えたが、希望的な観測をまだ捨てたくはなかった。
 投石がやんだのを見計らってまた城壁上を歩きだすと、兵たちに指示を出していたブロテがこちらに気づいて近寄ってきた。
「レークどの、どちらへ?」
「ああ、ちょっくら城門塔に行って、投石機の方でも手伝ってこようかと思ってな。どうも、オレは弓はダメだ。にしても……なんだかよ、昨日に比べてえらく激しいな。ジャリアどもの攻撃が」
「まったくです。やつら、なにか考えているのか、それともただ、本腰を入れて城を攻めにきているのか……」
「ああ。なんだか昨日とはまるで、別のやつらみたいだ。この分だと、どうも今日の昼どきくらいが案外ヤマになりそうだな」
 それにブロテも同意した。
「こちらも、できるかぎりの増員をして、被害の出始めた城壁には随時援護の兵を送れる態勢にするべきですな」
「ああ。兵たちの指揮はあんたに任せておけば安心だ。ところでアルーズの方は、もう無事に街道に抜けられたかな」
「おそらく大丈夫でしょう。アルーズどのは、剣の腕もたてば機転もきく。今頃はオールギアへ向かって馬を走らせているかと」
「ああ、そうだな。でもって、明日、明後日には、援軍を連れてやってくるってわけだ。オレたちはそれまでの間、城をもたせればいい」
「ですな……よし、次、矢を放て!」
 弓兵たちに指示を送るブロテに手を振り、レークはまた足早に歩廊を歩いていった。
 螺旋階段を上って南の城門塔の上にくると、そこには敵に対抗すべくスプーン式の投石機が設置されていた。これは天秤式の投石機ほどの場所は取らない単純な構造なので、狭い塔の上でも使用できる。城壁から見ていると味方からの投石があまりにノロマなので、レークはどうせ弓では役に立たないのなら、そちらを手伝おうと思ったのだった。
「よう、どうだい?調子は」
 戦闘中とは思えぬ気楽な様子で、レークはひょっこり塔の上に顔を出した。そこにいた兵たちは一瞬ぎょっとしたようだったが、レークの顔を見知ったものもいた。
「あっ、こ、これはレークどのですか」
「おう。邪魔するぜ」
「レークどの、光栄であります。昨日の城壁での演説に、自分は感動しました」
 石を乗せて運ぶ巻き上げ機のハンドルを握っていた兵が、直立して胸に手を当てた。
「ああ、オレを知ってるのか。まあ……演説なんて大層なモンじゃねえがな、とにかく、死なない程度に頑張ってやろうや」
「はっ、はいっ」
 他の兵たちも、同じくレークに向かって騎士の礼をした。ここにいるのは全部で五人の兵たちで、兜から覗く顔はみなとても若く、中には少年ほどの歳のものもいた。
「ところでよ、さっきから見ていたが、この投石機の石はちっとも敵に当たらないじゃねえか。どうなってんだ?」
「も、申し訳ありません。なにしろその……なかなか難しくて」
 この中では、どうやら唯一の正規の騎士らしい一人が進み出た。
「お前は、この城の騎士だな。投石機を扱うのは初めてなのか?」
「いえ。練習では何度か。実戦は初めてですが……」
「そうか。なら仕方ねえな。ともかく、また石を打ち出してみろ」
「はい」
 レークの見る前で、兵たちは各々の持ち場についた。
 投石機から石を発射するには、まず大きなスプーンのついた腕木を後ろに引き絞らなくてはならない。鉄製のハンドルを使って、両側から二人がかりで巻き上げ棒を回してゆくのだが、これは大変な力作業だ。弾丸となる石が、クレーンのような巻き上げ機で塔の上に運ばれてくると、人の胴体ほどもある大きな石を二人がかりで持ち上げ、引き絞ったスプーンの上に乗せる。そして、発射の合図とともに、腕木を固定していた留め具を引っぱると、反動でスプーンが前方に勢い良く倒れ、石が発射されるのだ。
「発射!」
 騎士の掛け声とともに、レークの目の前で投石機から石が打ち出された。
 だが、勢い良く飛び出した弾丸は、すぐに失速し、ジャリア軍の布陣する場所まではまったく届かずに落ちていった。
「これじゃ、話にならんな」
「はい……さっきから何度もやっているのですが、なかなか上手くいかなくて」
 騎士たちもがっかりした様子で、互いに顔を見合わせるばかりだ。
「ともかく、もう一度だ」
「はい」
 また同じように、兵たちが二人がかりでハンドルを回し、投石機の腕機を引き絞る。巻き上げ機で石が運ばれてくる。それをスプーンに乗せるところを見て、
「おい、ちょっと待て」
 レークは思いついたように言った。
「この石はちょっとデカすぎるな」
「そうでしょうか?」
「ああ、次はもうちょっと小さいのにしたらどうだ?」
「はあ……しかし」
 そばにいた騎士が首をひねった。
「小さすぎるとかえって飛びすぎてしまいますし、威力もなくなります」
「だからよ。ほんの一回り小さいくらいのやつだ。なんにしたって、敵に当たらなきゃ意味がねえわけだろう」
「そう……ですね」
「よし」
 レークは塔から身を乗り出すと、下にいる兵に向けて叫んだ。
「おおい、石の大きさをもう少し小さめのやつにしてくれ!もう少し、ほんのちょっとだけ小さいのだ」
 分かったというように、石を運ぶ兵がこちらに向けて手を振った。
「ようし」
 しばらくして、巻き上げ機で上がってきた石は、さきほどよりもいくらか小さめの石だった。しかし、それでも人の頭二個分くらいはある。そのずしりとした重みに、レークは満足そうにうなずいた。
「よし、この石をスプーンに乗せろ」
 レークの指示で慎重に石が投石機に乗せられる。
「方向もいいな。よし、発射しろ!」
「発射!」
 勢い良くスプーンが石を打ち出すのを、騎士たちは緊張の面持ちで見つめた。
「おお、いい感じだぞ」
 レークは打ち出された石の行方を、塔の狭間から乗り出すようにして見守る。
 石は緩やかに回転しながら、ジャリア軍の布陣する方へ飛んでゆき、ちょうど敵兵の集まっているあたりに落ちた。
「やった!」
 ジャリア兵の悲鳴が、遠くから聞こえる気がした。空中高くから落ちてきた石は相当の威力があるのだろう、何人ものジャリア兵がそこに倒れているのが見える。
「やった、やったぞ!」
 レークは小躍りして兵たちにとびついた。
「レークどの……やりましたか!」
「ああ、やったぞ。ジャリア兵を何人も倒したぞ」
「やった、やりました!」
 腕を突き上げる若い兵たち。彼らとハイタッチを交わし、レークは威勢よく叫んだ。
「よーし、次だ。じゃんじゃんいこうぜ!」
「はい!」
 兵たちは表情を引き締めると、運ばれてくる石を手際よく投石機に乗せ、それをまた発射した。今度の石も、ジャリア兵の密集する場所に届いて、何人かの敵を倒した。
「よーし、次!」
 しだいに投石の間隔も短くなった。手順とタイミングを覚えた若い兵たちの手で、次々に石が打ち出されてゆく。
 ジャリア軍にしてみれば、いきなりあらぬ方向からの投石の脅威が加わったことで、その隊列を乱し始めたようだった。勢いづいたレークたちは、投石の攻撃で次々に敵に損害を与えて行った。
「よーし、いいぞう。どんどんいけ!」
 打ち出した石は、ジャリア軍の弓避けの盾を破壊した。盾の後ろにいたジャリア兵たちが慌てふためくのが見える。そこを、城壁の弓兵が狙い撃ちすると、あっと言う間に何人もの敵を仕留めることができた。
「こりゃあいいぞ!」
 レークは、敵陣に並んだ盾を狙うように指示した。
 兵たちはスプーンの角度を変え、何度か投石するうちに、しだいに要領を得ていった。敵の盾を狙って石を発射すると、うまくそれに命中した。弓避けの木製の盾は、石の威力で簡単に破壊された。そこをまた弓兵が矢で狙う。
 しだいに、城壁にいる弓兵との間に無言のコンビネーションができてきた。他の塔の投石機でも、こちらのやり方に合わせるように、敵の盾を狙いはじめた。そうやって、盾に隠れていたジャリア兵を、弓兵たちが射止めてゆく。この効率のよい攻撃は敵に相当の打撃を与えた。
「いいぞ、いいぞ!敵は焦っているぜ」
 それはまったくその通りだった。敵からの矢の反撃は目に見えて減り、盾を壊されたジャリア兵は、後退せざるを得なくなった。
「よーし、どんどん行け。こうなったら全部の盾を壊しちまえ!」
 調子づいたレークは、指示するだけでなく、ついには自分自身の手で石を運びはじめた。投石機を操る兵たちも、手応えをつかんだように、その顔を興奮に火照らせている。
 こうして、城側の投石機の攻撃により敵側の盾は半分以上が破壊された。そこにいたジャリア兵たちは、後退するか、あるいはとどまってこちらの矢に射られるかという選択を強いられた。弓兵が後退すれば、あとはジャリア側の攻撃は、投石機に頼るところが大きくなっていたが、それすらもすでに次の異変が始まっていた。
「あっ!見てください。敵のトレビシットが……」
 兵の一人が敵陣を指さして叫んだ。レークはそちらを見るや、「おお」と声を上げた。
 それまで脅威の兵器であった大型投石機トレビシットの、その長い腕木が、石を打ち出そうとする瞬間に奇妙に回転した。そして、可動部から腕木が外れ、それとともに、巨大な投石機を支えていた支柱が崩れはじめた。太い柱や部品などがバラバラになって、その場にいたジャリア兵たちを下敷きにしてゆく。
「敵のトレビシットが壊れたぞ!」
「本当か?」
「おお。見ろ、あれを!」
 城壁の騎士たちから、次々に驚きの声が上がる。
「やったぜ!」
 塔の上から、レークはしてやったりと拳を突き上げた。
「ついに壊れやがった。あれは、あれはな……」
 騎士たちに向かって誇らしげに叫ぶ。
「オレがやったんだ。このオレが、いずれ壊れるようにと、敵の投石機に細工してやったんだ!」
「なんですって。それは本当ですか?」
 驚いた兵たちがレークのそばに来る。
「いいか、見てろ。他の投石機もすぐに同じように壊れるぞ」
 まさに、レークの言った通りになった。
 最初に崩れた一機に続いて、その横の投石機が石を乗せて腕木を回そうとしたとたん、いきなりその腕木が吹っ飛んだ。放り出された石とともに宙を舞った太い木柱が、逃げまどうジャリア兵たちの上に落ちてゆく。
「見ろ。やったぞ!あっちのもだ」
「おお」
「すごい。レークどのの言った通りだ」
 歓声を上げる若い兵たち。
「見ろ、また向こうの投石機も壊れたぞ!」
 レークは大きくうなずいた。
「よーし、これで敵からの攻撃は恐れるに足らずだ。どんどんこっちの石をおみまいしてやろうぜ!」
「おおっ!」
 彼らは意気軒昂と声を上げ、再び力を合わせて投石機を動かしはじめた。
 トレビシットの援護がなくなったジャリア兵は、今はただ壊れかけた盾の後ろから、弱々しく矢を射かけてくるだけだった。それらは力なく城壁に阻まれ、こちらになんの被害を与えることもなかった。
 形勢は、明らかに城側の勝利を予感させるものだった。
 少なくとも、まだこのときまでは。



次ページへ