水晶剣伝説 W スタンディノーブル防城戦

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 目を覚ますと、辺りは薄暗くなっていた。
「う……寝ちまったのか」
 ぼんやりとした頭で辺りを見回す。
 見覚えのない部屋のようだ。近くに人の気配はしない。
「ここは……」
 身を起こしたレークは、しばらくのあいだ、自分がどこにいるのか分からなかった。ふと脳裏をよぎったのは、もしや自分はジャリア軍に捕らわれてしまい、ここは牢獄の中なのかということだった。
「まさか……な」
 馬鹿げた思いつきに首を振る。それに牢獄にしては、自分が寝ているのはちゃんとした寝台の上であるし、いやな匂いもしない。
「そうだ。ええと、城に入る前にジャリア兵に追われて、それから……井戸の地下道を通って城に入ったんだ。それから……ええと、会議室でブロテたちと会って」
 しだいに頭の中がはっきりとしてくる。
「そんで、城門塔の上で傭兵連中と酒を飲んだんだったな……」
 だが、どうもそれが現実だったのかどうかが、いま一つ実感がない。
 ここにたどり着くまで、一日中馬で駆け通し、疲れも相当きていたこともあってか、ジャリア兵に追われながらも、なんとか城に入ったことまでは本当に思えるが……それから先のことは、もしかしたらすべて夢であったのではないかという気もしてくるのだ。
「でもブロテや、セルディ伯と再会したのは確かなだしな、それに、あの塔の上での傭兵どもとの大騒ぎも……」
 今でも耳に響いてくる、傭兵たちの笑い声と、勇ましい叫び。一緒になって笑い、拳を突き上げた……あれが、みな夢の中の出来事だったとは思えない。
「オレは、どのくらい寝ていたんだろう」
 体を伸ばすとぼきぼきと背中が鳴った。頭はまだぼうっとしているが、体の疲れはだいぶとれていた。
 水を飲もうと寝台から降りようとしたとき、小さく音がして扉が開く気配がした。レークはそばにあった愛剣を引き寄せたが、扉から覗いた顔を見て緊張をといた。
「なんだアルーズか」
「レークどの、お目覚めですか」
 部屋には入ってきたアルーズに、レークはにやりと笑った。
「やっぱり、夢じゃあなかったみたいだ」
「えっ、なにがです?」
「いや、なんでもねえさ。ところで今は何時なんだ?ずいぶん暗いようだが。ついさっきまでは朝だったはずだよな」
「今は、夕刻の六点鐘前ですよ」
「なに、もうそんなになるのか?すると、オレはそんなに眠っていたのか……」
「ええ。相当お疲れだったのでしょう。ブロテ殿の話では、塔の上で傭兵たちと酒を飲んでいると、いつの間にかぐったりと眠り込んでしまわれたとか」
「ああ……」
 そう言われればそうだったかと、なんとなく思い出してくる。顔見知りの傭兵連中と再会し、共に戦うことを誓いながら愉快に笑い合い、何度も杯を酌み交わしたのだ。
「情けねえ。それでぐっすり眠っちまって、ここに運ばれたってわけか」
「ええ。よくお眠りでしたので、ブロテ殿も起こさずにおこうと。幸い、今は休戦中でしたし。自分もついさっきまで仮眠をとらせていただいておりました。なにしろレイスラーブから駆け通しでしたからね」
 アルーズの方も、休んだせいかすっきりとした顔をしていた。服も着替えたのだろう、真新しいチュニックの上に革の胸当てを付けた姿で、いかにも若者らしい凛々しい様子だ。
「レーク殿もお着替えになられたらどうです。これから天守の広間で、主要な者が集まっての話し合いが始まるようですから」
「分かった。じゃあ先に行っててくれ。オレも後から行く」
「はい。ではまた」
 アルーズが部屋を出てゆくと、レークはまたしばらく、じっと頭の中を整理してみた。自分がしてきたことと、これからなすべきこと、それらをもう一度よく考えてみる。
「ううむ……なんだか、目立つことをしちまったなあ」
 目を閉じると、今もあの傭兵たちの熱い雄叫びが頭に蘇ってくるようだった。彼らは握りしめた拳を空高く突き上げ、何度もレークの名を呼んだのだ。
 それを思い出すと、照れくさいような、誇らしいような、そんな気持ちになる。
「まあ、こうなっちまったからには……やるしかねえよな」
 そうつぶやくと、レークは立ち上がった。
 水桶の水で顔を洗うと、新たな気分が沸いてきた。これから始まる戦いに向けての。

 レークが広間に入ってゆくと、城主であるマーコット伯をはじめ、フェーダー侯、セルディ伯、ブロテ、アルーズ、それに城壁守備隊隊長ボードらが、すでに席について待っていた。その他にも、何人かのトレミリア騎士に、この城の守備兵らしき騎士もいた。
「すまねえな。遅れちまって」
「おお、レーク殿、ご苦労でした。ブロテ殿から聞きましたぞ」
 立ち上がったフェーダー侯が、両手を広げて言った。
「塔の上でのドラマチックな鬨の声。血気盛んな傭兵たちを見事にまとめ上げ、同志の結束を固めるとともに、しっかりと彼らの心を掌握されたとか」
「なあに、そんな大したもんじゃないが」
「なんにしても、よくやってくれた。レークどの」
 そう言ってセルディ伯はレークの手を握りしめた。兵たちをまとめる責任を問われる立場だけに、伯はとてもほっとしているようだった。
「それより、情勢はどうなってる?もう夕刻になるようだが、戦いはまだ始まっていないようだな」
「うむ。それなんだが……」
 向かいの席についたレークにうなずき、セルディ伯は話しだした。
「つい先程になるが、ジャリア側から正式の書状が届いたのだ」
「おお、それで?」
「文面はこうだ、猶予期限を過ぎても返答なきことから、降伏の意思はなしとみなし、明日の夜明けとともに攻撃を開始する旨をここに記す……ということだ」
「なんだ。明日の朝まで待つたあ……ジャリアの黒竜王子ってのも、案外礼儀正しい奴なんだな」
「ともかくも、これで、今夜いっぱいの時間の余裕ができたわけですな」
「だが、あちら側も準備万端整えてくるってこったな」
 フェーダー侯の言葉に、レークはすかさずそう付け加えた。
「やつらは投石機に攻城塔、それにバリスタってのか……でかい弩砲なんかも造っていたようだからな」
「ええ。あれらの攻城兵器が完成したら、かなりやっかいだと思います」
 レークの横に座るアルーズもうなずく。
「こちらとしても城壁の強化などを、今のうちにしっかりとしておくべきでしょう」
「もちろん、それはやらせています」
 守備隊隊長のボードが立ち上がって説明した。
「東と西の大門付近を中心に、城壁のさらなる補強をさせています。主要な塔の狭間には板囲いを作らせ、屋根には鉛をふいて補強します。南と北の城壁塔にはスプーン型の投石機を準備させております。それも今夜一晩あれば間に合うでしょう。兵たちには明日に備えて交代で休息をとらせようと思います」
「そうだな。明日の夜明けまでは時間がある。兵たちには十分な休息をとらせるがよかろう。ここにいる諸君も、この後は少し休まれるがよいだろう」
 そう言ったマーコット伯は、一晩の猶予ができたことにいくぶん安堵した様子だった。
「しかし、敵の狙いには、我々を明日まで油断させておこうという意図も考えられます。相手はジャリアの黒竜王子です。決して注意を怠らず、緊張感をもって明日に備えるがよいでしょう」
「確かにな。ブロテどのの言うように、あの悪名高きジャリアの黒竜王子のことだ。どんな手を使ってくるか知れたものではない」
「おさおさ油断なきよう、準備を整えることにいたしましょう」
「よろしい。ではもう一度兵の配置と、指揮の分担の確認をしておこうか。ボード」
「はっ」
 マーコット伯に指示され、守備隊の隊長ボードはテーブルに広げた地図を指さした。
「現在のところ、ジャリア軍の布陣は城の西門付近に二千ほど、北側に一千、そして南側に一千ほどが確認されています。反対の東門には見張り程度の人数しか置いていないことから、敵は我が城の西側を中心に攻めようとしていると思われます。東門の付近はマトレーセ川に近いこともあり、敵はそう多くの兵は置けません。城門も最も強固な場所ですから、あえてジャリア軍はそちらからの包囲を避けたと考えられます」
「なるほど。あるいは、敵はレイスラーブから到着する援軍のことも考慮に入れて、挟み打ちにされる危険を避けたも考えられますな」
 地図を見ながらブロテが言った。
「ではなんにしても、当面は西側一帯の城壁の守備を中心に考えればいいわけですな」
「さよう。それで兵の配備ですが、」
 うなずいたボードが、地図上の城壁を指し示した。
「これまでの通り、我ら守備隊は西門から南側一帯を中心に千名を配置します。残りの五百で東側一帯を監視させつつ、戦況によっては随時兵を投入します。トレミリアの方々には西門から北側をお任せしたい」
「心得た」
 セルディ伯が大きくうなずく。
「ここにいる騎士ブロテ以下、千五百名のトレミリア騎士隊および、四百八十名の傭兵隊は、全力をもって城壁の防備にあたらせてもらいますぞ」
「頼みますぞ。数の上ではなんといっても、トレミリアの騎士方に頼らざるを得ない」
「お任せを。我等が勇敢なる騎士たちの戦いをとくとご覧あれ。ここにいるのはトレミリアでも名だたる名騎士ブロテ伯に、あの伝説の剣技会で凄まじい剣の腕を見せつけ、見事優勝を飾ったレークどのです。この二人を筆頭にして、我々は栄えあるトレミリアの誇りと勇気をもって、雄々しく敵を迎え撃つ所存であります」
 セルディ伯は胸に手を当てて、大仰そうに騎士の礼をした。
(おいおい、伝説のって……いつからそんな大層なモンになったんだい、このオレは)
 ひそかに口元をゆがめたレークをよそに、フェーダー侯は立ち上がってぱちぱちと手を叩いた。
「頼もしい。実に頼もしいお二人だ」
 いくさを明日にひかえたこの状況でも、相変わらずドラマチックなロマンを愛する様子で、侯爵はレークとブロテを見比べた。
「それでは、ともかく兵たちには交代で休息をとらせ、明朝にそなえさせるのがよろしかろう。ここにいる方々とは、結束の意味もこめて、これから食事を共にしたいと思う」
 マーコット伯が鈴を鳴らすと、大勢の小姓が現れてテーブルが整えられ、次々に料理が運ばれてきた。
「明日からは、籠城戦になるであろうから、粗末な食事で我慢していただくことになるだろうが、今日は戦の前の晩餐であるから、たっぷりと食して力をつけていただきたい」
「おお、ありがてえ」
 目の前に運ばれてくる、豚の丸焼きや、巨大なパイなど、それらの料理の皿に、レークは思わず舌なめずりをした。レイスラーブを出てから丸一日以上、まともな食事をするのはオールギアの酒場以来である。食と睡眠こそが人生の基本であるという彼にとって、それが充分に満たされて、はじめて最大の力を発揮することができるのである。
 ワインの注がれた杯が全員に行き渡ると、マーコット伯は立ち上がった。
「では、先勝を祝って」
「勝利を!」
「勝利を!」
 人々はそう唱和して杯をかかげ、ワインを飲み干した。
「では、いっただき」
 トレミリアの宮廷騎士となってから持っている、自分専用の食事用ナイフを取り出すと、レークはさっそく取り分けられた肉やパイを食べはじめた。
「おう。うめえ!おう、こっちも」
 一度でもレークと食事をともにしたことのあるセルディ伯やブロテはもはや驚かなかったが、その猛烈な食べっぷりを見て、マーコット伯をはじめ城の騎士たちは目を丸くした。
 人々が肉一切れを食べる間に、レークは巨大なパイの四分の一と、丸焼きの子豚半分ほどもたいらげて、ひと息ついていた。早急に空腹を満たすと、これからは味わって食べようかと、今度は魚やキジの料理にも手を伸ばし、チーズをつかんで口に放り込み、またワインをたらふく飲んだ。
「ほっほ、いや実に見事な食べっぷり。それでこそ豪傑たる者の資質ですかな」
 感心半分、呆れ半分というようにマーコット伯が笑って言った。
「二人分食べたら二人分働く、三人分食べたら三人分戦う、というのがオレの主義でして。つまり、食べた分だけは手柄をたてる所存でありますぜ」
 ぬけぬけとそう言ったレークに、周りの人々は笑い声を上げた。
 食事が落ち着いてくると、広間には城の楽士たちが現れ、優雅な音楽を奏で始めた。赤と黄色の派手な服をまとった道化が、音楽に合わせて踊りだす。戦いを明日にひかえながら、広間はなごやかな雰囲気に包まれた。
 それぞれの芸を披露する道化たちには、これから始まるいくさへの恐怖などはないのか、彼らは皆、じつに楽しそうに笑い、歌い、踊っている。
「いい気なもんだな。明日は命があるかどうかも分からねえってのに」
 レークの言葉に、隣に座るブロテもうなずく。
「このスタンディノーブル城は、国境の古城というせいか、どうも時がゆったりと流れているというか、なにもかもが古めかしい感じがします。この豪勢な料理にしても、道化連中にしても。これで本当に城を守り抜く戦いに臨むつもりなんでしょうか」
「オレもにぎやかなのは嫌いじゃねえが……メシの時くらいは、余興なんぞはいらねえって気がするな。とくにあの道化の歌はひでえもんだ。あれならオレが歌った方がずっとマシだぜ」
 城主であるマーコット伯の方には聞こえぬように言ったレークだったが、こちらに近づいてきた道化の一人を見て驚きに目を丸くした。
「おおっ、しかしずいぶんとでかいのがいるなおい」
 道化の中でもひときわ目立つその一人は、他の連中に比べて異様に背が高く、体格もがっしりとしていた。まるで北方の人種のように肌の色は白いが、その丸太のような太い腕は人間の首くらいなら簡単にへし折りそうだ。やはり歌や踊りよりも力技が得意のようで、その男は他の道化の体を左右の腕で一人ずつ持ち上げるという芸を披露して回っていた。
「こいつは立派なもなんだ。道化というよりは戦士の体格だぜ。おい、お前」
 声をかけると、その大男はのそのそとこちらに近づいてきた。
「はい、騎士の方々。御用でしょうか」
 近くにくると男は見上げるように大きかった。横にいるブロテも騎士としては相当大きな方であったが、この道化の男はブロテよりもさらに頭ひとつくらいは大きい。
「お前、ずいぶん大きいが。本当に道化なのか?名はなんというんだ?」
「はい。わっしはガルスと申しますです」
 男は外見に似合わずひょうきんそうで、その話し方はどこか頭が足りないという風だった。一見ごつい風貌だが、案外気は強くはないのかもしれない。
「わっしは、この城の道化をさしてもらってますだ。親父もそうでしたんで」
「なるほど。代々の仕事が道化ってわけか。それにしちゃあ大きいな、力もありそうだし、いっそのこと戦士にでもなった方がいいんじゃねえのか?」
「め、めっそもない!」
 男はその大きな頭をぶるぶると振った。その様子は人間というより、まるで猪かなにかのような感じである。
「あっしは、戦うなんてめっそもございません。戦いなんて向いてまっせん。ですので、こうして道化として働かせてもらってます」
「ははあ……なんつうか。そんなにでかいくせに気は小さいってわけか」
 レークは男を上から下までじろじろと見た。おそらく特注だろう、とんでもなく大きい赤と黄色の派手派手しい道化服がまったく似合っていない。むしろ、それがあまりにこの巨体とのギャップがありすぎて、ひどくおかしいという有り様だった。
「おいブロテ、ちょっと立って横に並んでみろよ」
「ええ」
 立ち上がったブロテが、巨漢の道化の横に並ぶと、レークはまた驚きの声を上げた。
「おう、やっぱりブロテよりも大きいぞ!こいつぁ驚いたぜ。お前、それだけの体格を生かさない手はないぜ。その高さで剣を振り上げたら、たいていの奴はびびって腰を抜かすだろうよ」
「そ、そんなめっそもない。剣だなんて……わっしは恐ろしくてとても」
 男は情けない声で言うと、今にも泣きだしそうな顔になった。
「ははは。無理ですよ。レーク殿。そやつの弱虫なことときたら、この城の中でも評判なほどですから」
 守備隊福隊長のコンローが笑って言った。
「自分も何度も、そいつに剣を教えようとしたり、守備隊に入れようと誘ったりもしましたがね。そいつの臆病さときたら、まるで森にいる小鳥かリスのようで、剣はおろか馬に乗ることも、塔の上に上がることすら恐ろしいっていう有り様で。まったくその巨体は役立たずなもんです。もっとも、そやつが乗れるような大きな馬などどこにもありはしないんですが」
「なるほどなあ。じゃあお前は毎日そうやって、道化として、ただ人を持ち上げて見せるだけなのか」
「はい。あっしは、道化として仕えさせていただいて、とても満足しております」
 血管の浮きでた太い腕に盛り上がった背中……男の見事な筋肉を見やりながら、レークはさも勿体ないというように首を振った。
「惜しいなあ。これだけでかけりゃ、ブロテとだって互角に戦えそうなのによ」
「レーク殿。私はでかいだけの騎士だと言いたいのですかな?」
 横にいるブロテがむっとしたように言った。
「いや、もちろん、あんたはでかいだけじゃない。槍の名手だし剣も強い。トレミリアで三本の指に入る名騎士さ。そうだろう」
 取り繕うレークの言葉に気を取り直したのか、ブロテはまた席に着いた。レークの方も、もう巨漢の道化への興味はなくなったように席につくと、また料理に手を伸ばしはじめた。テーブルには菓子や果物が運ばれてきて、人々は城の形をした見事な砂糖菓子や果物のジャムが乗ったパイなどを楽しんだ。
 途中、城主であるマーコット伯の妻と娘が現れて人々に挨拶をした。城主の娘はなかなかの美人で、そばに来て微笑みかけられたレークは思わず頬がゆるんだが、クリミナのことを思い出して、慌てて好き心をしまいこんだ。
 そうして、人々は大いに飲み食いし、道化の踊りに笑い、それぞれに戦をひかえた内心の緊張を抱えながらも、晩餐のひとときを楽しんだのだった。
「では、最後にもう一度、明朝からの戦いに共にのぞむことを誓って。勝利に乾杯!」
「乾杯!」
 マーコット伯が杯をかかげると、セルディ伯、フェーダー侯をはじめ、その場にいた他の騎士たちもそれに習い、彼らは互いに勝利を誓い合った。
「では方々、明日の夜明までは体を休められるがよい。城壁の見張りが最初の敵の矢を確認するまでは、まだしばしの時間があろう」
「では、私はこれから城壁の兵たちに指示を出してまいります。コンロー、グスタフ、行くぞ」
「はっ」
 隊長のボード以下、城壁守備隊の騎士たちが広間を出てゆくと、セルディ伯とともにレーク、ブロテらも立ち上がる。
「それでは、我々も仮眠をとらせていただくとしよう。夢の中では、ひと足先にジャリア兵を倒しておきますぞ」
「それは頼もしいですな、セルディ伯。トレミリアの騎士方にも期待しておりますぞ」
 フェーダー侯がにこりと笑って杯を上げて見せた。侯爵やマーコット伯らは、まだまだここに居すわり酒を飲むつもりらしい。
 広間を出たレークは、酒と食事ですっかりいい気分になっていた。
「さてと、たっぷり食ったことだし、オレもちょいとまた休ませてもらうかな」
「では、私はまた兵たちの様子を見てきますので、ここで」
 回廊の別れ道でブロテは立ち止まった。
「レークどのが来てくれたおかげで、とても心強いかぎり。明日は共に戦えることに興奮しておりますぞ」
「へえ、あんたでも興奮することがあるんだな。実戦は初めてじゃないんだろう?」
「ええまあ。しかし、いままでの実戦の経験は国境警備の小競り合い程度です。このような城に立てこもっての本格的な籠城戦は初めてです。レークどのは?」
「オレもだ」
 二人は握手を交わした。
「まあなんとかなるだろう」
 そう言ってにやりと笑うレークの顔には、これから命懸けのいくさが始まるという緊張など、どこにも見えなかった。
「オレが一番心配なのはな、明日からはもう、今日のように豪勢なメシが食えそうもないってこった」

 部屋に戻ったレークは明日に備えて眠ろうとしたが、もうすでにたっぷりと睡眠をとったこともあり、寝台に横になってみても目は冴えたままだった。
「夜明けまでは……まだだいぶありそうだな」
 やはりすぐには眠れそうにはないと、仕方なく起き上がる。アルーズのところを訪れようかとも思ったが、そろりと部屋を出た瞬間に気が変わった。
「ちょっと夜の散歩でもしてみるか」
 まだ夜明けまでは時間がある。少し歩いてくれば眠れるかもしれない。
 レークは足を忍ばせて、暗い回廊を歩いていった。
 静まり返った回廊を行く当てもなく歩いてゆくと、ときおり扉の向こうから兵士たちの話し声が漏れ聞こえてくる。やはり、いくさを前にした緊張になかなか寝つけないものもいるのだろう。矢狭間の前を通ると、毛布にくるまってその場で仮眠をとっている騎士の姿もあった。この城の誰もが、そうやって明日の戦いに備えているのだ。
 回廊の突き当たりまでくると、レークは螺旋階段を上って、城壁上の歩廊に出た。
 冷たい夜風が頬に吹きつける。夜空に星は見えなかったが、雲の合間から白い月がその顔を覗かせていた。
 遠く、夜鳴き鳥の声が風に乗って聞こえてくる。いくさを明日にひかえていても、それは変わらぬ静かな夜の気配であった。
 城壁上には夜の間も松明が焚かれ、見張りの騎士たちが警戒にあたっている。歩廊を行き来する騎士がこちらに気づいたように手を振ってくる。それに軽く手を振り返し、すれ違う騎士たちに適当にうなずきながら、レークは城壁を歩いていった。
 西の城門塔近くまで来ると、レークは立ち止まって辺りを見渡した。眼下には、闇の向こうに続くマトラーセ川の流れが、月明かりに照らされて美しい。周囲に目を凝らすと、黒々とした林の間にはいくつもの灯が見えた。
「あそこに、ジャリア兵が……」
 ジャリア軍の方も夜を徹して城攻めの準備をしているのだろう、実際に攻城塔や投石機などの兵器が組み立てられる光景を目の当たりにしたレークには、暗闇の中でうごめくジャリア兵の姿が、そこに見えるかのようだった。
 明日は、いったいどんな風に戦いの火蓋が切られるのか……それを想像すると、さすがのレークでも、じわじわと重々しい緊張感が内側からもたげてくるのだった。
(いくさか……まさかオレが、そんな面倒くさいものに巻き込まれるはめになるとはな)
 自嘲気味に笑いを浮かべると、レークはまたふらりと城壁の歩廊を歩きだした。
 しばらくゆくと南側の城門塔が見えてきた。こちら側には比較的見張りの人数は少ないようだったが、それでも歩廊には松明が焚かれ、何人かの騎士が巡回しているのが見える。
「さてと……ずっとぶらぶらしいてもしょうがねえしな」
 このまま歩き回っていてもただ時間ばかりが過ぎてしまう。まだ眠れそうにないのは変わらないが、それでもそろそろ明日に備えて休まなくてはならない。
「んじゃま、ちょっくら……酒でもいただいて寝ちまうか」
 そうと決めると、レークは通り掛かった見張りの騎士に手を振りつつ、何食わぬ顔で城門塔へ入っていった。
「酒蔵があったのは確かこの塔だったもんな。ちょうどいいや」
 古井戸から通じていた地下水路を通って、最初に出たのがこの塔の地下だった。そこにたくさんのワイン樽が貯蔵されていたのを、レークはしっかりと覚えていたのである。
 螺旋階段を軽やかに下りてゆくと、見覚えのある地下室の前にきた。
「そうそう、ここだ、ここだ」
 扉を開けると室内は真っ暗だったが、そこは浪剣士の勘というべきか、レークはワイン樽のある方へと迷いなく歩いていった。
「へへへ、あったぞ」
 ずらりと並べられた樽を前に、レークは舌なめずりをした。
「誰もいねえしな。よし……この際だ。勝手にいただいちまおう」
 一番飲み頃の樽に目星を付けると、レークは蛇口の栓を抜こうと手を伸ばした。
 そのとき、近くでガタンという物音が上がった。
「わっ。だ、誰だ……」
 レークは飛び上がりそうなほど驚いた。
 身構えながら暗闇に目を凝らすと、
「あっ、レークどの?」
 聞き覚えのある声がした。
「ん?おめえは……」
「わ、私です」
 暗がりから現れたのは、オルゴだった。
「ああ、びっくりした。お前だったのか。こんなところでなにをしていた?」
「ええ、あの……、城壁の修理に使える木材がないか探しに」
「そうか。しかし、さっきまではまったく人の気配がなかったがな」
 レークは不思議そうに、じろじろとオルゴを見た。
「まったく、驚かせやがって」
「申し訳ありません。ではあの、私はこれで……」
「あ、おい」
 呼び止める前に、オルゴはまるで逃げるようにして部屋から出ていった。
「なんだ、あいつ?さっさと行っちまって。しかし……このオレが、同じ部屋に誰かがいて奴の気配に気づかないなんてことがあるかい」
 そういえば、いきなり暗がりから出てきたのも不自然であったし、それにオルゴの着ていた服がかすかに泥に汚れていたことも、レークは見逃さなかった。
「あいつ……まさか穴から外へ出たのか」
 徐々に暗闇に慣れてきた目を地下室の奥へ向ける。
 レークはそちらに歩いていった。
「ここだったな」
 かつては水汲み場であったらしいその窪みの周りには、今は木材やレンガなどが積み重なって置かれている。その壁に小さく開けられた穴……
「……」
 レークはそこに立ち、その穴を見下ろした。アルーズ、オルゴとともに、この地下水路を通って城内に入ってきたのが今朝のことである。
「あいつ、こんな夜にいったい何をしに……」
 おそらく敵の偵察かなにかなのだろうが、ちょうど戻ってきた所を、自分と鉢合わせしたと考えるのが自然であった。
「……」
 地下通路へ通じる穴を見つめていると、なにやら自分の中にむくむくと沸き起こってくるものがあった。いつだって自由気ままに行動するのを己の矜持とする彼である。
「まあな。どうせ、眠れないんだし……ちょびっと、ちょびっとだけ、外に偵察に行っても、かまわねえよな」
 自分に言い聞かせるようにつぶやくと、レークは穴の中を覗き込んだ。
 暗がりの向こうから、湿りけを感じる冷たい風が通り抜けてくる。
「剣は持ってきてねえけど、まあ大丈夫だろう。短剣はあるし、それにこの指輪の魔力があれば、そう危険な目には合わないだろうさ」
 左手にはめた指輪を見てうなずくと、レークは思い切って穴をくぐった。
 冷たい石の感触と漆黒の闇が、かすかに不安を起こさせたが、すぐにそれにも慣れた。狭い穴を這い進むと、最初にここを通ってきたときと同様、地下道は徐々に広くなり、やがて立ち上がれるまでになった。
 頭をぶつけないよう注意しながら、レークは暗い地下道を進んでいった。
「ああ、なんかぞくぞくするなあ。真夜中の探検って感じで」
 敵軍に囲まれた城から抜け出そうとしているとは思えない、わくわくとした気持ち……定められた時間から抜け出すときの、どこか後ろめたくも心地よいという、なんともいえない感覚が、背中をぞくりと震わせる。
「しかし、真っ暗でなんにも見えねえな。蝋燭の一本も持ってくるんだった。こんなところを襲われたら、さすがのオレでも戦いようがないぜ」
 暗闇に包まれていると、音や気配にひどく敏感になる。地下通路に自分の足音が反響し、それが前からも後ろからも聞こえてくる気がして、レークはときどき背後を振り返り、目の前をねずみが横切ったときなどは、思わず飛び上がって頭をぶつけそうになった。
 両手をかざして壁を探り探り、なんとか進んでゆくと、やがて地下通路はまた狭くなりだした。出口が近いのだ。
 頭を低くして膝でいざり、また四つん這いになって慎重に進むと、湿ったような冷たい風が吹きつけてくるのが感じられた。
 手を差し出すと壁石に触れた。穴をくぐり抜けると、そこは井戸の中だった。
「おお、戻ってきたぜ」
 冷たい夜気と苔むした匂い。石壁に囲まれた井戸の底から見上げると、頭上には夜空があった。
「さてと……」
 ここに入る時に木に縛りつけたロープがまだ垂れ下がっていた。ひとつ息を吸い込むと、レークはロープをつかみ、石壁に足をかけて登りはじめた。
 井戸のふちに手が届くと、少し顔を出してみて慎重に辺りを窺う。安全そうだと分かると、レークは井戸穴からはい出た。
 辺りには人けはなく、しんと静まり返っていた。
 雲間から顔を出した月の光が、木々に囲まれた周囲をうっすらと照らしだす。暗い地下道を通ってきた目には充分に明るく感じられる。
「こんなに簡単に城内から行き来できるなんてな」
 ついさっきまで、城の広間で晩餐を楽しんでいた自分が、今はたった一人で城壁の外でこうして月を見上げている。これはなんとも言えぬ不思議な気分であった。
「さてと、これからどうしようかな」
 とくに、外に出てなにをするかなどは決めてもいなかった。ただ、ちょっと夜風にあたるくらいのつもりしかなかったのだ。
 一人夜空を見上げていると、とても気が落ち着いてくる。この遠征の間、一人でいるということがほとんどなかったからかもしれない。張りつめていた城の気配から解放されたこともあったろう。
 レークはふと、このまま逃げ出したいような気持ちにかられた。
「なんなら、そうしちまってもいいかもな。本当は、いくさなんざあ面倒で、まっぴら御免こうむりたいくらいなもんだからな」
 今なら誰にも見とがめられることなく、暗闇にまぎれて簡単に脱出できるだろう。
「あの時も……そう思ったっけ」
 トレミリアの剣技会で優勝した夜のこと、結局は水晶剣は見つからず、このままアレンとともに宮廷を抜け出して、また自由気ままな旅に出ようかと考えた、あの時のこと……
 だが、二人はそうしなかった。
 そして、トレミリアにとどまるという決断をしてからは、レークは宮廷騎士としてそれなりに稽古に励み、アレンはカーステン姫の教師となって、それぞれにフェスーンの宮廷の中で存在を認められはじめている。今ではこうしてトレミリアの騎士として、友国ウェルドスラーブの国境の城におり、大国ジャリアを相手にした戦いを始めようとしている、そんな自分のことを考えると、奇妙な運命の変遷を感じずにはいられない。
「逃げちまいたいんだが、やっぱそうもいかない……か」
 レークはふっと笑った。
 自分の中にある、このようないわば脱出欲というようなものが、自分の良くない癖であることも分かっていた。なにもかも捨て去って、単身自由な旅に出てしまうというのは、なんとも気持ち良いものだが、一方ではそうした気楽な無責任さが、ときにはただの逃げにしかならないということも分かってはいるのである。
「仕方ねえな」
 ひとつため息をつくと、レークは歩きだした。
「散歩がてらに軽く敵の偵察ってやつをしてみっか」 
 木々に覆われた林が続き、辺りの見通しはあまりよくない。夜闇に包まれた林の奥に目をこらし、敵の気配がないことを確かめつつ慎重に歩いてゆく。城壁からの松明の灯と、雲間から顔を出す月明かりが頼りである。
「ジャリア軍が集まってる広場は、確かこっちだったな」
 城壁に沿うようにして西へ向かう。城の見張り兵から無用に怪しまれないよう、ときおり木々の陰に隠れながら。
 しばらく歩いてゆくと前から敵の気配がした。レークが手近な木の幹にさっと身を隠すと、暗がりからぬっと、長槍を手にした二人のジャリア兵が現れた。
(見回りの兵か。あの井戸を見つけなきゃあいいが……)
 息をひそめてジャリア兵が通りすぎるのをじっと待つ。
(二人くらいなら、仕留められるかな)
(……まあ、やめておくか。あまりここで大立ち回りをやっちまっては、かえって敵の警戒を強くしてしまうからな)
 それに、武装したジャリア兵を相手に短剣のみでは、いくらレークとはいえけっこう手こずるだろう。その間に、別の敵兵が来たら万事休すだ。
 あの井戸を見つけられては、城への抜け道を敵に知られることにもなるのだが、
「まあ、大丈夫だろう。それに……そんときゃ、そんときだ」
 そう心に決めると、レークはまた西に向かって歩きだした。
 木々の間を縫うように、ときおり幹の後ろに隠れながらまたしばらく歩いてゆくと、いくつもの灯が見えてきた。いっそう慎重に音を立てぬようにして、そちらへ歩いてゆくと、少し先で林がとぎれ、その向こうが広場のようだった。
 大勢の兵士たちの気配と、がやがやとしたざわめきが少しずつ耳に届いてきた。木の間から覗くと、夜闇の中にうごめくたくさんのジャリア兵がいた。
「こっからじゃよく見えねえが……、奴らはきっと、夜通し城攻めの用意を整えているんだろうな」
 ジャリア兵たちは、松明の灯のもとで粛々と作業をしているようだった。おそらくは、今朝ここで垣間見たように、攻城塔や投石機などが組み立られているのだろう。木を切ったり、何かを運んだりするような音と、たくさんの兵たちのざわめき声が混じり、夜の静けさの中にも異様な気配が感じられる。
「くそ。弓でもありゃあ、ここから狙ってやるのによ」
 自らの弓の腕前を考慮しなければ、それはあるいは有効な手段だったかもしれない。自分でもそれは分かっているので、自嘲ぎみににやりとすると、レークは闇の中に不気味にうごめくジャリア兵をしばらくただ見つめていた。
「まあ、これ以上近づくのはまずいだろうしな。そろそろ城に戻った方がいいか……」
 しかし、そう思ってみても、なぜか自分の足が動こうとはしない。
 月明かりのもとにうごめく、黒光りするジャリア兵たちの鎧と、赤々と燃える松明の灯、そして、その向こうにそびえるスタンディノーブルの城壁……
 こんな際ではあったが、それはひどく幻想的な、まるで物語の中の一場面のようにすら思える、そんな光景だった。
 明朝には、実際の戦いが始まるだろう。にもかかわらず、ここはまだ、どこか現実離れした別の世界のように思えるのだ。
 今、こうしてここに立っている自分が、なんだかとても不思議に感じられた。
(ああ……)
 ぼんやりと、目の前の光景を見つめていたレークだったが、ふと、背後に気配を感じた。
 見ると、少し離れた木々の間からジャリア兵らしき姿が覗いた。
 とたんに顔を引き締め、その場に身をかがめると、レークは息をひそめてそちらを窺った。
 見回りの兵らしい。これから隊に戻るところなのか、それとも別の任務があるのか。
(一人……か)
(なら、このままやりすごすか)
 このまま敵に見つからぬようにして城へと戻るのが安全だ。
「……」
 だが、そのときレークをとらえたのは、沸き起こるようなある感覚だった。それは、いたずらな冒険心だったのか、勇敢なる使命への思いだったのか……
 彼はなにを思ったか、体を起こして歩きだした。ジャリア兵の方へと。
「おい、そこの」
 茂みをかき分けて無造作に歩み寄ると、レークはいきなりジャリア兵の背後から声をかけた。
「はっ?」
 驚いたようにジャリア兵が振り返る。
「ご苦労だな」
「なっ……なに?」
「ご苦労、ご苦労」
 そう言いながら、レークは大胆に歩み寄ってゆく。
「な、何者だ!」
「よう、待てよ。オレだ!」
 ジャリア兵が突き出した槍をひょいとかわすと、相手の顔の前に左手をかざす。
「これを見てみろ」 
「なっ……」
 レークがなにかをぶつぶつと唱えると、相手の体がびくりと震えた。
「いいか、声を出すなよ」
「う……ああ」
 ぶるぶると震えながらジャリア兵は呻いた。
 やがて、その体から力が抜けたように両手がだらりと垂れ下がる。手にしていた槍が地面に落ちた。
「よーし。いいぞ。そのまま静かにしてろ」
「う、う……」
 がくがくと膝を揺らしながら、うめき声を上げていたジャリア兵が、ぴたりと動かなくなった。
「かかったな。よし、じゃあ次はゆっくりと兜を脱ぐんだ」
 レークが命じると、ぎくしゃくとジャリア兵が動きだした。まるで操り人形のようなぎこちない動作で、のろのろと自分の頭に手をもってゆく。
「そうだ、ゆっくりと兜をとれ」
「う……」
 ジャリア特有の頭頂部の尖ったバニシットと呼ばれる兜が外れると、その顔があらわになった。まだ若い……下手をするとレークよりも年下かもしれぬジャリア兵の顔は、己に何が起こっているのか分からぬように、目もうつろな様子だった。
「よし。次は着ている鎧も脱ぐんだ」
「……」
「鎧を脱げ。早くしろ」
 レークの言葉が聞こえているのかどうかも、まるで定かではなかったが、指輪の魔力は直接相手の頭の中へと指令を送ることができるのだというアレンの説明通りに、ジャリア兵はぼんやりと濁った目をしてうなずくと、のろのろと鎧を脱ぎだした。
「よーし、いい子だ。その腰の剣も外して、そこに置け」
 言われた通りに、ジャリア兵は身につけていた剣を鞘ごと地面に置き、鎧を脱いでゆく。
「鎖かたびらは面倒そうだな……それはいいや」
「よし。もう眠っていいぞ。そらっ」
 レークは相手の耳元で命じると、その首筋に思い切り手刀を打ち込んだ。ジャリア兵は声もなくその場に崩れた。
「さてと……これでよし」
 ジャリア兵の両手両足を縛って手近な茂みに隠すと、レークは地面に転がった兜を拾い上げた。
「しかし、いかつい兜だねえ。オレの趣味じゃねえが……まあ、せっかくだし」
「どれ……おっ、サイズはぴったりだ」
 そうしてしばらくの後、そこには黒々とした鎧姿のジャリア兵が立っていた。拾い上げた剣を腰に吊るすと、鎧をがちゃがちゃといわせて体を動かしてみる。
「ふむ、思ったよりは動き安いな。さて、この槍はどうするか」
 手に取った槍は、フォーサールと呼ばれる独特の両刃の鎌槍であった。先端の鉤状の刃で馬上の相手を引っかけて落としたり、斧のように振り下ろして、離れた相手に突き刺したりもできる強力な武器である。
「恐ろしいねえ……ジャリアでは長槍を使う兵が多いって聞くけど、こういう凶悪なモンはどうも好かんな。やっぱ、オレには剣の方が合ってる」
 重たい槍を放り捨てようとしたが、レークは少し考えてから思いとどまった。
「まあ、いいか。もしかしたら、これを持っていないと怪しまれるかもしれんしな」
 鎌槍を手にした黒い鎧兜姿は、どこから見てもジャリア兵そのものである。少なくとも、夜の間なら簡単には気づかれないだろう。
「よし。ではちょっと、行ってみっか」
 スリルある冒険に乗り出すような気持ちで、ジャリア兵姿のレークは歩きだした。
 木々の間を抜けて、ジャリア軍が集まる広場に足を踏み出すときは、さすがに緊張が抑えられなかった。これから単身で、敵の只中に入ってゆこうというのだ。
(もし、見つかっちまったら、ただじゃあ済まねえな……)
 捕らえられ尋問を受ける自分の姿を想像すると、かすかなためらいがレークの足を止めた。引き返すなら今だと。
 しかし、
(なるように、なるさ)
 レークは歩きだした。一度やると決めたからには、自らの勇気を信じる他はない。
(いつだって、人生はそういうもんよ)
 心の中でそうつぶやくと、兜にかくれた顔にじっとりと汗をにじませながら、重い鎧をがちゃがちゃといわせて、彼はジャリア軍の陣地へと近づいていった。
 松明の灯が近づくにつれ、ジャリア兵たちのざわめきが聞こえてきた。
(こいつは、けっこうな人数だな)
 集まっている鎧姿の兵士たちは、ゆうに五百名以上はいるだろうか。
 広場の中央あたりには、ほとんど出来上がりつつあるスプーン式の投石機が四機ほど並び、その横には、こちらはまだ建造途中らしい大型の天秤式投石機があった。それらを囲むようにして、たくさんのジャリア兵たちが、隊長らしい騎士の指示を受けながら作業にあたっている。城壁からの矢を防ぐための大きな盾がずらりと並ぶ後ろには、完成間近らしい巨大な攻城塔があり、その高い屋根に上って火矢よけの革を張りつけている兵の姿が見えた。
(こいつあ、たいそうな準備だな)
 レークは不審に思われぬよう、なるべく背筋を伸ばして堂々と歩きながら、それらの様子をやや呆然と眺めていた。
(当たり前だが、こいつら本格的に城を攻め落とす気でいやがる)
 辺りにはせわしなく、木を切る音や部品をつなぐ音、金槌の音、それに騎士たちの命令する声と兵たちの掛け声などが混じり合っている。その、いくさの前の緊張と異様な熱気とに満ちた空気に、レークは思わず背筋を震わせた。
「おい、お前!そこでなにをしているんだ」
 いきなり横から声をかけられた。
 見ると、一人のジャリア兵がこちらに歩み寄ってくる。
「おい……聞こえているんだろう」
 レークはその場に立ちすくんだ。
 背中に冷たい汗がつたい落ちるのを感じた。


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