水晶剣伝説 W スタンディノーブル防城戦

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 城内の中郭への門をくぐると、たくさんの人々の声が聞こえてきた。
「ふわあ、すげえにぎやかだな」
 オルゴに案内されながら、レークは興味しきりで辺りを見回した。
 城の中郭は、城壁をくぐった内部……いわば城の中庭のような場所である。外敵と戦いになった際でも、ここは周囲を騎士たちの守る城壁に囲まれているので、簡単には敵が押し寄せてはこない。なので、女や子供など戦力にならない人々は、だいたいはこの区域に住んでいるのだという。
「なるほどねえ、そういうのもいかにも国境の城っぽい造りなんだな」
 多くの家や小屋が周囲の壁に沿うようにして並び、鍛冶屋や石職人、蝋燭を作るものや、麦芽酒の醸造をするものなどが、それぞれの小屋で忙しそうに作業をしている。
 レークたちが通りすぎると、そばにいた子供たちが、こちらを珍しそうな目で見ながら後を付いてきたり、洗濯をしていた女たちが振り返ったりした。辺りには鍛冶屋の金槌の音がやかましく鳴り響き、多くの人々のざわめきや怒鳴り声、それに犬の鳴き声などが混じり合って、なかなか騒がしい。彼らの前を馬屋に藁を運ぶ老人が横切り、城壁の補強用の石材を重そうに持ってゆく騎士たちが慌ただしくすれ違う。
「この城に入ったのは久しぶりですが、こんなに多くの人がいるのは初めてです」
 アルーズも、この城内のにぎやかさには少々驚いているようだった。
「そろそろいくさになるということで、皆がおおわらわで働いているんですよ。女や子供たちのほとんどは、グレイベリー村の人たちです。昨日、我々がこの城まで避難させたのですが、どうやら皆、無事でいるようだ」
 城内の人々を見回しながら、オルゴは安心したように言う。
 そこに、通り掛かった一人の女性が声を上げた。
「オルゴ!ああオルゴ、無事だったの?」
「エリス」
 女は走り寄ってくると、いきなりオルゴに抱きついた。
「ああ、てっきりもう……死んだのかと思っていたわ。朝になっても戻ってこないから。もうダメかと……」
「すまなかった。心配かけて。俺はこの通りぴんぴんしてる。ただ……他の仲間はみなやられた」
「みんな……マイスも?アルゲンも?」
「ああ……すまん」
「どうしてあなたがあやまるの。殺したのはジャリアの連中でしょ?あなたは悪くない……こうして、無事に戻ってきただけでもいいの」
 女は涙を浮かべながらオルゴを見上げた。二人はしばらく抱き合っていたが、そばにいるレークとアルーズに気づくと、オルゴは照れたように体を離した。
「ああ、失礼しました……これは幼なじみのエリスです」
「へえ、あんたの恋人かい?なかなかべっぴんじゃねえか」
「ええ……まだ、正式には取り交わしておりませんが、いずれは婚約をしたいと」
「いずれは、ですって?来月にはしようって言っていたわ、あんた」
 黒髪をひっつめに束ねたその女性は、オルゴの腕を引っ張った。気は強そうだが、なかなかの美人である。
「それなのに、こんな戦がはじまっちまって。このお城は長いこと平和にやってきて、城の皆もいい人だし、私たちの村だって一生懸命に穀物を作ったりして、それは頑張ってきたんだから。このまま、こういう風にずっと楽しく生きていけると思っていたのに、それが……こんなことになるなんて。ジャリアのこんちくしょうめ。こうなったら徹底的に戦って、北の僻地に追い返してやるんだ」
「おいエリス、そのくらいにしておけ。この方々はな、スタンディノーブルからいらした名のある騎士方なのだぞ。我らはこれから城主のマーコット伯に目通りに向かうのだ」
「まあ、そうだったの。騎士さま。これは失礼いたしました」
 女性はレークとアルーズを前に、急いで貴婦人の礼をした。着ているものは質素な胴着に長スカートであったが、身のこなしはそれなりに優雅であった。
「私どものためにいらしていただいて、感謝いたします」
「なあに、これも騎士の勤めってやつさ。俺はトレミリアから来たレーク。こっちのはトレヴィザン提督直属の騎士アルーズ」
「まあ、あのトレヴィザン提督の。何年か前、このお城にお越しくださった時にお顔を見たけど、たいそう男っぽくて逞しいお方だったわ。あの方がおれば、ジャリア軍など恐くもないわ」
 女性はそう言うと、今度はレークの方を見た。
「そして、あなた様はトレミリアのお方だったのですわね。それにしては、なんというか貴族らしくないけど……ああ失礼ですわね」
「ああ、別にかまわねえよ。オレも、騎士サマなんて言われると、照れくさくて首筋がかゆくならあ。いくら騎士だ、貴族だっつっても、結局はいくさになりゃあ、戦える男かどうかってのが一番大事なんだ。だろう?」
「ええ、そうですとも。私達の国のためにこうして駆けつけて戦ってくださる、勇敢な騎士さまに祝福を」
「エリス、我らはそろそろ行かなくては。また後でな」
「ああ、引き止めてしまってごめんなさい。あなたの姿が見えたとたん驚いて、いてもたってもいられなくなって。ああオルゴ、本当にお帰りなさい。そしてジュスティニアに感謝を」
 彼女は両手を組み合わせて祈ると、それから思い出したように言った。
「ああ、そうだわ。それからトレミリアといえば、たくさんの兵士さんが二日前に到着して、お城は大変なにぎわいになりましたよ。その翌日には、今度はジャリア軍が攻めてきたので、もうこの通りお城はおおわらわで」
「やっぱりそうか。オレもそいつらと一緒に来たんだ。途中で別れちまったからどうなったかと心配していたんだが。トレミリアの遠征隊はやはりこの城にいるんだな」
「まあ、そうでしたか。みなさん外郭の城門塔に寝泊まりしているようですよ」
「そうか、ありがとう」
 レークは礼を言い、女性と手を振って別れると、三人はまた歩きだした。
「おいオルゴ。なかなか、いい女じゃねえか」
「ははは。どうも」
 それからも、顔見知りらしい騎士や洗濯女たちなどが、通りがかったオルゴに気づいて声をかけてきた。それにうなずきかけたり、あるいは立ち止まって軽く挨拶をしたりしながら、三人は中郭の奥へ歩いていった。
 辺りには人々のざわめきと、鍛冶屋の金槌の音、それに騎士たちの命令する声などが混ざり合い、独特の喧騒に満ちていた。目の前を、くさりかたびらの材料となる鉄の輪を大量に乗せた荷車が通り過ぎ、その横では石工たちが、城壁を補強するための石材を削り、整えている。桶いっぱいの衣服を洗濯場へ運ぶ女や、井戸から水をくみ出しそれを料理場へ運ぶ子どもなど、老人以外は誰もが忙しそうに働いていた。鍛冶屋の小屋の煙突から立ちのぼる煙を見上げると、その向こうに見える城壁の上に、壁の補強や板囲いの設置などにきびきびと働く騎士たちの姿が見える。
 城内はまさに、これからいくさを迎える準備のためのせわしない空気と、張りつめた緊張感に包まれていた。
 中郭から城の中心部である内郭への門を抜けると、天守への入り口が見えてきたた。
「あれがスタンディノーブル城の天守です」
 マトラーセ川を渡る前から、森と城壁の向こうにそびえる城の一部は見えていたが、こうして間近で見ると、それは実に見事なものだった。
 角張った壁をした城の天守は、いかにも歴戦の古城然としたたたずまいで、四方にそれぞれ四つの小塔を持つ造りは、戦の砦としても実用的な形をしていた。数百年の歴史がそのまま重ねられたような石造りの壁は赤黒くくすんでいて、じつに味わい深い色をしており、それぞれの塔の頂部には、青と白で四分割(クォータリング)されたウェルドスラーブの国旗がはためいている。天守を囲む城壁上には絶えず物見の騎士たちが行き来していて、トレミリアのフェスーン城の華麗さとは趣の異なる、いかにも実戦をくぐり抜けてきたような勇壮さがあった。
「なるほど。飾り気がないというか、勇ましいというか、なかなか見事な城だな」
「ここは国境近くの城。つまり実戦のために建てられた城ですからね。天守への入り口は一階にはありません。攻められたときに簡単に内部に入られないようにするためです」
 オルゴを先頭に、三人は石段を上って天守の入り口へ向かった。
 城の大きさに比して入り口は案外狭かったが、これも敵の侵入から守りやすくするためであり、入り口前の渡り橋は非常時には吊り上げられ、城内に籠城できる造りになっているのだとオルゴが説明した。
入り口に立つ見張り騎士は、すでに命令を受けていたのか三人に道を開けた。
 城内に入ると空気はひんやりとしていて、朝であるのにとても薄暗かった。
「やはり敵が侵入しにくいように、明かり取りの窓も必要最小限しかありません」 
「ふうん。じゃあトレミリアみたいに、城の中で優雅に本を読んだりはできそうもないんだな」
「蝋燭はたくさんありますから。本を読むときは使ってください」
 真面目に言ったオルゴに、レークは思わず苦笑した。生まれてこのかた、本を開いたためしなどない彼である。
 石壁に挟まれた狭い回廊を歩いてゆく間にも、何人もの騎士がすれ違ってゆく、みな腰に剣を携え、あるいは弓を背負っており、その顔つきからはいくさへの緊張が感じられる。
「この様子だと、明日にも戦いが始まりそうだな」
「ええ。それに、あの広場で見たジャリア兵の様子からして、おそらく激しい城攻めをしてくるでしょう」
 アルーズの言葉にレークは首を振った。
「いやだねえ……オレはどっちかっていうと、守るより攻める方が好きなんだがな」
 螺旋階段を上がって三階までくると、回廊はやや広くなり、両側の壁には銀の燭台の備わった壁龕が一定間隔で続いていた。灯された蝋燭の炎が回廊を明るく照らしている。
 緋色の絨毯が敷かれた扉の前まで来ると、オルゴはそこにいた見張りの騎士に二人の到着を知らせた。
「ここが城主のおられる大広間です。私の案内はここまでです」
「ああ、ありがとよ。じゃあまたなオルゴ」
 いったんオルゴと別れると、レークとアルーズは扉の向こうに足を踏み入れた。
 そこは、狭い廊下からは想像がつかないほど広々とした部屋だった。
 城主の謁見室であると同時に、晩餐や社交の場にも使われる広間なのだろう。天井は高く、豪華なタペストリーや飾り盾などがずらりと飾られた壁の上部には、上の階の回廊から覗く窓があり、そこに騎士たちが行き交うのが見える。
 広間の正面には大きな暖炉があり、その右手奥には一段高くなった所に、領主のための立派な椅子が置かれている。今はそこに誰も座っていなかったが、大きなテーブルを囲んで、何人かの貴族たちが座っていた。彼らは何事かを議論をしていた様子だったが、入ってきたレークたちに気づくとこちらを振り返った。
「おお、レーク殿。よくぞここへ」
 真っ先に立ち上がったのは、よく見知った人物だった。
「セルディ伯、あんたか」
 それは、今回のトレミリアの遠征隊を率いてきたセルディ伯爵であった。ヨーラ湖に面したサルマの町で、コス島への物資調達の任務を受けたクリミナ、レークらが本隊と別れたのが、四日ほど前のことである。
「無事でなによりだったな。心配していたぜ」
「おお、貴殿も」
 久しぶりの再会に二人は握手を交わした。
「ときにクリミナ殿は無事でおられるか?」
「ああ、オレたちは無事に物資をレイスラーブに運び終えた。そこで、このスタンディノーブル城がジャリア軍に包囲されたと聞き、こうして駆けつけたんだ。騎士長どのはレイスラーブにいるよ」
「おお、そうであったか。して、こちらの騎士どのは?」
「はっ、私はトレヴィザン提督の直属の騎士、アルーズと申します。レークどのに随行するよう提督から命を授かり、その任務についております」
「それはご苦労でありますな。さ、では二人ともこちらのテーブルへ」
 二人が席に着こうとすると、立ち上がった貴族が手を差し出した。
「レーク殿、しばらくぶりですな」
「ああ、これは……ええと」
 握手をしながら、レークはなんとか相手の名前を思い出した。
「そう、フェーダー侯爵だ。ええと……ご無事でなにより」
「ええ。幸いなことにこのとおり、無事にワインをたしなんでおります。城の外はジャリア兵どもでいっぱいですがね」
 侯爵は、その品のいい顔に皮肉めいた笑いを浮かべた。
「しかし、こうして単身でジャリア兵の包囲をかいくぐってこの城にたどり着くとは。なんとも勇敢ですな。さすが、剣技会優勝の名剣士」
「いやあ……まだまともに戦ってもいませんがね」
「なんと、ではここまで無血でやってこられたのですか。それはますます素晴らしい。勇敢な上に大変な智略家というべきか。いったいどんな方法でジャリア兵の包囲を突破してきたのか、お教えいただけますか?」
「ああ、いや……」
 ようやく城にたどり着き、心身共に疲れ切っているところで、いちいちそれを説明をする気にもなれない。
「それはともかく、オレはこれを持ってきただけだ」
 レークは手にしていた羊皮紙を、そこにいる人々に見せた。
「これはウェルドスラーブ国王からの書状だ。オレの任務は、城を囲むジャリア軍の規模の確認と状況の報告なんだが、もし可能なようなら城に入り、この書状を領主であるマーコット伯爵に渡すことを言われている」
「なんと。それは国王陛下直々の書状か」
 軍議の最中だったのだろう、テーブルには城の周囲の地形が記された地図が広げられ、そこにジャリア軍を模した黒い人形が置かれている。セルディ伯の隣の席で、さっきから地図を睨み付けていた貴族が立ち上がった。
「あんたがマーコット伯か」
「いかにも。私がこのスタンディノーブル城を預かる、マーコット伯爵だ」
 鷹揚にうなずいたのは、五十を過ぎたくらいの恰幅のいい貴族で、じろりとレークを見る目つきには油断ならない鋭さがあった。
 羊皮紙を受け取ると、伯爵はその文面に目を落とした。
「おお、ありがたい」
 伯爵はその顔を紅潮させて何度かうなずくと、それをフェーダー侯爵に渡した。
「フェーダー候。我らは救われたぞ」
「ふむ、なるほど。短い文面ですが、国王陛下のお言葉は、窮地にあってもウェルドスラーブの誇りを胸に勇敢に立ち向かうべし。ジャリア軍との交戦にできるだけ持ちこたえれば、必ず援軍が到着するだろう……ということですな」
 フェーダー侯爵はそう読み上げると、国王の鑞印の入ったその書面を人々に見せた。
「おお、援軍!やはり、我々は見捨てられたわけではありませんでしたな。これで、兵たちの士気も上がりましょう」
 勢いよく立ち上がったのは、精悍な顔のベテラン騎士だった。
「おお、申し遅れました。私はこの城の守備隊の隊長をしております、ボードと申します。レーク殿のご勇名はかねてより存じ上げておりました。この度は我が国の為に、トレミリアの方々からのご協力、大変頼もしく感じております。城の周囲をジャリア軍に囲まれた状況で、今後は消耗戦となるでしょうが、なんの、この城には我等守備隊二百名に加え、今はセルディ伯爵以下、トレミリアの兵士方も大勢おられます。そして、いずれはスタンディノーブルより援軍が来るとなれば、ジャリア軍など恐るるに足らず。共に戦いましょうぞ、レーク殿!」
「あ、ああ……」
 興奮気味の剣幕にやや気押されつつ、レークはとりあえず騎士と握手を交わすと、アルーズとともに席についた。
「で、今の状況はどうなんだい?どうやら、戦いはまだ始まっていないようだが」
「見てのとおり。現在は休戦中なのだ。つまりは、ジャリア側からの降伏勧告があってな。ボード、そちから説明してさしあげろ」
「はっ」
 マーコット伯に指名され、守備隊隊長のボードが立ち上がった。
「現在のところ、ジャリア軍は約三千の兵をもって、城の北側と西側に布陣しております。敵はマトレーセ川を船で下ってきたと思われ、報告によると一昨日に五隻の大型船が川を通過してゆくのが目撃されています。そして、ジャリア軍からの降伏勧告が届けられたのが昨日の夕刻であります。その直前までは、城壁をめぐって丸一日ほどの攻防がありました。といっても、東西の城門に取りつこうとするジャリア軍に対し、我々が矢を射かけ、それに対して敵も長弓で応戦するという小競り合い程度のものでしたが。今のところこちら側の死者は五名。対してジャリア軍には数十名の打撃を負わせたと思われます。もちろん、これにはトレミリアからの優秀な兵士方の協力もあってこそです。傭兵も含めて全ての兵が弓を扱えるのは強みです。おそらくジャリア軍は、これでは埒が明かぬと降伏勧告に出たのでしょう。その返答猶予は今日の夕刻まで。その間は休戦ということで双方は合意しましたが、これはまったくこちら側に有利となりました。何故なら先の書状にあるように、我々は待てば待つほど援軍が近づいてくるということですからな。そうなれば、ジャリア軍を挟み打ちにできる。これで我々には勝利への大いなる公算ができたわけです」
 まるでひと演説を終えたように、騎士は満足げに息をついた。。
「なるほど。まだ休戦中だったおかげで、オレたちこうして敵をかいくぐって城にもぐり込めたってわけだな」
 レークは腕を組んでうなずいた。
「しかし、確かに援軍待ちはいいとしてもだ、ジャリア軍の方にもそれなりの狙いがあるはずだぜ」
「と、いうと?」
「つまり、敵さんも、この猶予期間に着々と攻城戦の準備をしてるってこった。城壁の南側では、やつらが攻城塔や投石機の組み立てをしているのを見たぜ。なあ、アルーズ」
「ええ。広場には数百人のジャリア兵が集まり、攻城戦の準備を着々と整えつつあるようでした」
「うむ。その報告も受けている。しかし、攻城塔や投石機の数までは分からなかった。やつらめ、おそらく夜のうちに準備をしていたな」
 マーコット伯はテーブルに広げた地図を睨み付けた。
「ボード、南側の城壁の兵たちに、敵の装備の具合を重点的に見張るように伝えるのだ」
「はっ」
「そうだ。それから、兵たちの士気を高めるため、国王陛下よりの書状も持ってゆき読み上げるがいい。じきに援軍が来ることを兵たちにも告げ知らせるのだ」
「分かりました」
 書状を受け取ったボードが出てゆくと、マーコット伯はあらためて人々を見回した。
「さて、ともかくもこれで方針は決まったわけだな。当然ながら、降伏勧告については明確な返答はせず、ぎりぎりまで戦いを遅らせる。それで意義はなかろうか、皆様方」
「意義はありませんな。状況を考えれば、こちらからうって出る必要はありますまい」
 セルディ伯らが一様にうなずく。
「それで、肝心の援軍の到着はどれくらいになりそうかな?」
「部隊の編成を終えて、明朝にはレイスラーブを出立したはずです。少なくともジャリア軍と同じ五千の兵が、今頃はこちらに向かって動きだしているかと。ですので、スタンディノーブルへの到着はおそらく三日後、早ければ二日と半日後に着くはずです」
 アルーズが答えると、人々は顔を見合わせてうなずき合った。
「つまり、今夜から二日間がヤマになるわけだな」
「反対に言えば、ともかく二日を持ちこたえればいいわけです」
「ふむ。それならば」
 援軍の存在を知ったことで、にわかに心にゆとりが出てきたらしく、マーコット伯をはじめ、この場の人々は、緊張していた表情をいくぶんやわらげていた。
「それでは、セルディ伯爵にはトレミリア兵たちの指揮をお任せするので、よしなに」
「承った。友国ウェルドスラーブのために馳せ参じた我等ですから、このスタンディノーブル城を守るために死力を尽くす覚悟ができております」
「おお、頼もしきお言葉」
「なんの。恥ずかしながら、実戦に関する指揮は、優秀な部下に任せておりますからな」
「それはいい。たしかに実戦は現場の騎士たちの方が向いておられるでしょう」
 そう言ってマーコット伯が笑い声を上げると、人々の間にも笑顔が広がり、広間はなごやかな空気に包まれた。
 そこへ、ばたんと音を立てて扉が開いた。
「おお、やはり!」
 声がするなり、大柄な騎士が広間に駆け込んで来た。
 人々が振り返る中を、騎士はどすどすと歩み寄ってきて、レークの前に立った。
「まさか、ここで会えるとは」
「おお、あんたか」
 立ち上がったレークは手をさしのばした。
 そこにいたのは、トレミリアの騎士ブロテだった。
「ご無事でなにより」
「あんたもな、ブロテ」
 ブロテは嬉しそうにレークの手を握りしめた。セルディ伯と同じく、サルマで別れて以来の久しぶりの再会である。
「しかし、あのジャリア兵どもの包囲をかいくぐって入城するとは、なんとも豪胆な。さすがはレーク殿だ」
「なあに、わけねえさ」
 にやりと笑ったレークに、ブロテも顔をほころばせる。
「その命をかえりみない行動力と勇敢さは、あの、馬上槍試合の戦いを思い出しますぞ」
 あのトレミリアの大剣技会で、馬上槍試合を戦って以来、この巨漢の騎士はレークに対して、戦士としての敬意のようなものを抱いているようだった。レークにしても、あの大会で数々の名だたる騎士たちを破り、優勝したことで得たのが今の騎士の地位である。そう考えると、かつては身分なき一介の浪剣士だった自分が、今ではこうして貴族たちの中にいて、ブロテらと会話を交わしていることが、ひどく不思議な気がするのであった。
「ああ、そうだな……あれはもう、だいぶ前のことのように思えるな」
「まったくですな」
 二人の騎士は、今は同じ立場で友国ウェルドスラーブの城にいることを、感慨深げに思うように、しばらく向かい合っていた。
「ところでブロテ卿、急がれていたようだが、なにかあったのですかな」
「おお、そうであった」
 フェーダー侯の声で、ブロテは我に帰ったようにその表情を変えた。
「じつは、トレミリアから連れてきた傭兵たちが……」
「いったいどうしたというのだ?」
 セルディ伯が聞き返すと、ブロテはやや困惑ぎみに話しだした。
「それが、どうも傭兵たちは昨日のこぜりあいで血気盛んになっているようで、この休戦の間もずっとざわついていたのですが、さきほど、ボード殿がやってきて国王からの書簡を読み上げ、援軍が来るという触れを城壁を回って聞かせると、この城の兵たちは興奮して、国王万歳、ウェルドスラーブ万歳と唱えはじめたのです」
「おお、それは兵たちの士気が高まったのだろう。良かったではないか」
「ええ。ですが、我々トレミリア側の兵たち、とりわけ傭兵たちにとっては、それはさしてありがたいニュースとも受け取られなかったようです。彼らは、ともかく早く戦わせろ、せっかく自分たちがやって来たのだから、援軍などが来る前に我々でジャリアを倒そうなどと口々に叫び始めて……」
「なんたることだ。傭兵どもめ、勝手なことを!」
 セルディ伯は吐き捨てるように言った。
「まったくやつらときたら、ほとんどごろつきのような連中だ。これだから傭兵というのは扱いに困るというのだ。ともかく、命令に従わないようなら捕らえて牢にでも放り込むしかないな」
「いや、ですが、ひとりふたりならともかく、五百名もいる傭兵たちがこぞって即時交戦を叫びだし、それぞれに剣や槍をかかげて、それはひどく興奮しているもので、どうにも手のつけようがないのです。彼らは今にも城壁の外のジャリア軍に向けて、矢を射かけんばかりの有り様なのですから」
「そんなことをすれば、せっかくの休戦がふいになってしまうぞ!」
 セルディ伯は叫んだ。今回の遠征隊の隊長である立場から、トレミリア側の兵に関する責任は全て自分にあるとばかりに、その端正な顔を引きつらせる。
「まったく、なんということだ。なんという……」
 たった一本の矢でもジャリア側に飛んでゆけば、こちらが休戦協定を破ったとみなされ、ただちに激しい戦闘が始まるだろう。そうなっては、せっかくの援軍の知らせも、作戦的には無意味になってしまう。ここは、できうるかぎり交戦を遅らせることこそが得策と、確認し合ったばかりであるというのに。
「ともかく、なんとか傭兵どものを抑えるのだ。この際だ、一杯くらいなら酒でもふるまってよし。決して無謀にもジャリア側に矢を放つなどということはさせぬように」
「分かりました。しかし、あの連中が素直に言うことを聞くかどうか……」
「なら、オレが行ってやるよ」
 さも気楽そうな様子で、レークはブロテの肩を叩いた。
「レークどの……」
「傭兵ってのはな、ただやみくもに命じるだけじゃダメなんだ。やつらはとても勇敢で、それに案外使命感ってやつが強いのさ。一度火がついて、やってやるって気分になってるときは、ゲオルグのように猛々しくなるからな。下手に捕まえたり罰したりすれば、それこそ逆効果だ。暴動でも起こるぜ」
「暴動……そんなことは困る。まったく困るぞ。それはやめてくれ。頼むから」
 すがるようにセルディ伯が言った。
「レークどの。貴殿ならば、あの荒くれた傭兵たちをおとなしく出来るのか?」
「さあな。オレごときの言葉で、あいつらが静かになるかどうか。しかしまあ、あの中には知り合いがいないわけでもねえ。ちょっくら挨拶がてらに行ってみるさ」
「た、頼む……ともかく今日の夜までは、おとなしく過ごすようにさせてくれ」
「ああ、わかったよ。じゃあ行こうぜブロテ。おいアルーズ、お前も行くか?」
「いえ。私は、もう少し現在の状況と、ジャリア軍の布陣などについて、方々から伺いたいのでここにおります。それも私の任務のひとつですから」
「わかった。じゃああとでな」
 心配そうにこちらを見送るセルディ伯にうなずきかけ、レークは広間を出た。
「本当は着いて早々で、こちとら疲れてへとへとなんだがな、まあ仕方ねえ」
 ブロテと並んで足早に回廊を歩きながら、レークは唇を尖らせた。
「かたじけない」
「なあに。あとでちょっくら寝かせてもらえばいいさ。どうやら、すぐに戦いは始まらないようだしな。寝れる時間ができるだけでも、休戦してくれていて助かるぜ」
「早く戦いたいと傭兵たちがうずうずとするのも、あながち分からぬわけではない。城の中に閉じこもっているのは、存外気が滅入るものですからな」
「へえ、そういうもんか。じゃああんたも……ブロテ、うじうじと休戦しているよりは、剣を振るって戦う方がいいと思っているのかい」
「じつのところ、セルディ伯の前では言えないが、その通りですな」
「なるほどね。やはりあんたも戦士なんだな。あのおぼっちゃん伯爵よりは、よっぽどあんたの方が兵の指揮をとるのに向いてそうだ」
 螺旋階段を降りて、二人はまたぐるりと城郭を回るように回廊を歩いてゆく。
「おお、なんだか目が回りそうだ。こうぐるぐる歩いていると、自分がどっちに向かっているのか分からなくなってきたぞ」
 くらくらするような気分で周りを見回すと、回廊の石壁はさっきからずっと同じように続いていて、まるで迷路にいるような気分になってくる。
「敵が進入した場合もそう思わせるように、城内の回廊は複雑な造りになっているということでしょう。この城はウェルドスラーブでもとくに古い城ですから、何百年も前の人間が一生懸命に頭を使って設計したのでしょうからな」
 笑いながら言うブロテは、もうこの城の構造にも慣れたらしく、右へ左へと迷うことなく歩いてゆく。
 しばらくゆくと、回廊にはトレミリアの騎士らしき姿が増えてきた。このあたりが、トレミリア兵たちが防衛を任されたエリアなのだろう。すれ違う騎士たちは、ブロテとレークの姿を見るとさっと道を開け、うやうやしく騎士の礼をした。ブロテは指揮官らしく、彼らにうなずきかけ、ときに軽く報告を受けながら、大股で回廊を進んでゆく。
「さあ、その階段を上ればもう塔の上に出ます」
 突き当たりの螺旋階段を上ってゆくと、しだいにざわざわとした気配が届いてきた。
「傭兵たちはこの塔の上にいるのか」
「ええ。この塔と付近の城壁の上に集まっています。城の守備隊や自分がいくらなだめようとしても、彼らはひどく興奮していて、大声で叫んだり、剣を抜いて突き上げてみせたりと、なかなかおさまる様子がないのです」
 階段を上がるにつれ、傭兵たちの声がはっきりと聞こえてきた。それは鬨の声を思わせるような、勇ましい昂りに満ちているのが分かる。
 塔の上に出るとまぶしい光が飛び込んできた。薄暗い城中から出たとたん、いきなり青い空が頭上いっぱいに広がった感じである。涼しい朝の風が心地よい。
「そうか、まだ朝だったんだな」
 レークは塔の上に立っていた。
 そこは城を囲む城壁にある九つの塔のひとつだった。目蔭をさして見渡すと、ぎざぎざの形状をした胸間城壁に囲まれた塔の屋上には、ぎっしりと兵士たちがひしめいている。塔から続く城壁の上にも、そしてさらにその向こうの塔の上にも、ずらりと武装した兵士たちが立ち並び、ざわめきはまるで城を全体を包むように響いていた。
 銀色の鎧姿で槍を手にして立っているのはトレミリアの正騎士たちだろう。それよりもずっと数の多い、不揃いの鎧や戦闘服を着ているのが傭兵たちで、トレミリア騎士たちは、殺気だった叫びや怒声を上げている彼らを囲むようにしながら、それ以上は刺激しないように努めている様子であった。
「こりゃまた……一触即発ってえカンジだな」
 レークは塔の外側を囲む石壁に近づいた。壁の狭間部分には攻撃を防ぐための開閉式の板が付けられていたが、それを持ち上げて外を覗いてみる。
「ひゅう……こりゃいい眺めだな」
 眼下に見えるのはごつごつとした岩場と森林、左手にはマトラーセ川の青い流れが、朝日に照らされて輝いている。真下に目をこらすと、木々に囲まれた傾斜地帯にジャリア兵らしき姿が小さく見える。
「ブロテの旦那。ここは城のどのあたりなんだい?風向きからして北側のようだが」
 声を上げたレークの方に、周りの騎士が顔を向ける。彼らにとっては、ブロテ騎士伯を気安く呼び捨てにするなど、考えもつかないことであったろう。
「その通り。ここは城の北側。正確には東の城門塔から数えて二つ目の守備塔です」
 レークの近くに来たブロテが教えてくれた。
「その左に突き出て見えるのが城の監視塔で、我々トレミリアの部隊は東門の城門塔のひとつを含め三つの塔を任されています。もちろん、戦闘が始まってからは臨機応変に兵を差し向けたり、あるいは援護してもらったりせねばならないでしょうが」
「なるほど。すると、今のところ東門付近が重要な警戒場所ってわけだな」
 状況が分かったとレークはうなずいた。
「さてと……どうしたもんか」
 壁に寄りかかって兵士たちを見渡していると、何人かの傭兵がこちらに近づいてきた。
「あんた。レーク、やっぱりレークか!」
「よう」
 男たちの顔を見て、レークは顔をほころばせた。
 それは顔見知りの傭兵たちだった。トレミリアの剣技会で集まった剣士たちの中で、腕の確かなものは傭兵として雇われ、フェスーン宮廷内に宿舎を与えられていた。剣技会で優勝し宮廷騎士の地位が与えられたレークであったが、雅びな宮廷貴族たちと付き合うよりも、傭兵たちと酒を飲み、騒いでいる方がよほど性に合ったので、アレンの目を盗んではよく彼らの宿舎へ出掛けていったものだった。
「驚いたぜ。レイスラーブから騎士がやってきたって聞いたんだが、それがまさかレークだったとは」
「まったくだ。しかし、そういう無茶をやりそうなのは、あんたしかいないからな」
「ちげえねえ」
 レークは傭兵たちと笑い合い、荒っぽく肩を叩き合った。
「痛えな、おい。そんなに叩くな。その力はジャリアどもと戦うのにとっとけよ」
「しかし、よく来たな。あんたとサルマで別れたときは寂しかったぜ。なあ、ジェイク」
「おう。ここで会えてこんなに嬉しいことはないぜ」
「当たり前よ。お前らを見捨てて、のうのうとしていられるわけはないだろう」
 レークはそう言ってにやりと笑った。
「おお。じゃあ、俺たちとともに戦ってくれるんだな」
「ああ、あたぼうよ」
「よっしゃ!レークがいりゃあ百人力だぜ」
「おうとも。ジャリアどもなんざ恐れることはねえ」
 傭兵たちは拳を突き上げて叫んだ。
「みんな、聞いてくれ!レークだ。レークが来てくれたぞ!」
 それを聞いて、塔の上にいる他の傭兵たちが一斉にこちらを見た。
「ここにいるのはトレミリアの剣技会で優勝した、あのレーク・ドップだぞ。元浪剣士のレークが俺たちのために来てくれたぞ!」
「おい、レークだって。あのレークか?」
「本当にレークが来たのか」
 傭兵たちの間にざわめきが起こった。
「レークだとよ」
「なに?レークって、あのレーク・ドップか?」
 トレミリアの剣技会で優勝し、浪剣士の身分から宮廷騎士となったレークの名前は、今や多くの剣士たちに知られていたし、ここにいる傭兵たちの中にはフェスーン宮廷の宿舎でレークと実際に会っているものも多かった。一介の浪剣士であったレークが、トレミリアの貴族騎士たちを次々に打ち破って、ついには馬上槍試合で勝利し、巻き込まれた陰謀劇の末にその身の潔白を証明し、晴れてトレミリアの宮廷騎士となったことを、彼らはまるで物語のように語り合っていた。また、その剣の腕のみならず、レーク自身の気取らない素朴な陽気さに、親しみを感じているものも少なくなかった。
「見ろ。あそこだ。レークだぜ」
「おお本当だ。レークだ!」
 ざわめきが広がってゆく。
 それは風が渡るように、塔の上から城壁へと伝わってゆき、
「レークが来てくれた」
「俺たちとともに戦ってくれるんだと」
「そうか。あのレークがいりゃあ」
「そうとも!」
 口々に伝わる、驚きと喜びの混じった傭兵たちの声…… 
「レーク!」
「レーク!」
 その名を呼ぶ声が上がり、それは辺り一帯の傭兵たちに広がっていった。
 叫びながら拳を突き上げるもの、腰から抜いた剣を高々とかざすもの、レークの名を呼ぶ声はしだいに、しだいに大きくなってゆく。
 周りを囲む騎士たちは、それを抑えるべきかどうかと迷うように、隊長であるブロテの方に目をやった。だが、ブロテはただじっと腕を組んだまま動かない。
「こいつはまた、たいそうな人気者になっちまって……照れるね、どうも」
 盛んに自分の名を呼ぶ傭兵たちを前に、レークは頭を掻いた。
「ようブロテのだんな。ここはオレが勝手に仕切っちまっていいのかい?」
「こうなったらもう、お願いするしかないでしょう」
「んじゃまあ」
 レークはひらりと塔の石壁に飛び乗った。
「おっとと……」
 よろめきつつもなんとかバランスをとると、傭兵たちからやんやと歓声が上がった。
「危ない。それでは外から丸見えです。矢でも射られたら」
「なあに。そうしたらこいつらが反撃してくれらあ。なあお前ら」
 レークが笑って手を振ると、傭兵たちから口々に、「おおっ」という声が上がる。
「よーし、じゃあお前ら。いいか、ちょっと聞け」
 胸壁の上から傭兵たちを見渡すと、レークは声を大きくした。
「いいか。これから、じきにいくさがはじまる。それは間違えねえ。お前らははるばるトレミリアから来て、この城に足止めをくらってうずうずしているんだろう。城壁の外にも出られず、じっとしているのが我慢ならねえんだろう」
「そうだ。俺たちはトレミリアから友国を救いに来たんだ。こんな城に閉じ込められるためじゃない!」
 傭兵の一人が声を上げると、口々に「そうだそうだ」という声が続く。
「ああ、わかってるとも。お前たちは立派な戦士たちだ。自らの危険をかえりみず、傭兵となって自分の国を離れてまで、こうしてやって来たんだからな。みな勇敢で、男気のある戦士たちよ」
 レークの言葉に、傭兵たちから拍手が起こる。
「いいか。さっきも言ったように、いくさは近い。それはもう、今日、明日には盛大におっぱじまるだろうよ。そうなりゃ、うずうずしているお前らの働きどきだ。思い切り剣を振るい、矢を放って敵を叩きのめしてやろう」
「おおっ。叩きのめすぜ、ジャリア兵どもを!」
「おおっ、やってやらあ!」
 勇ましい声を上げる傭兵たちに、レークは大きくうなずいた。
「そうだ。そのときはオレも共に戦う。このレークと一緒に、肩を並べてジャリアどもをぶっ倒そうや!」
 その言葉に呼応するように、「おおおっ」という地鳴りのような声が上がった。
 今や、この塔の上にいるものだけでなく、塔から続く城壁の上にいる傭兵たちも、皆がレークの言葉に耳を傾け、その顔を紅潮させて、高らかに拳を突き上げていた。
「よーし。それでいい。お前ら、戦いはすぐそこだ。ただし、」
 レークはいくぶん声の調子を落とした。
「いいか。まだだ。それはまだ今じゃねえ。今はまだじっと耐えるときだ。分かるか」
 すると、叫び続けていた傭兵たちもふっと静かになる。
「そうだ。もうちょいだ。もうちょいだけ、じっと体力を蓄えておけ。休めるときには休むんだ。いずれすぐに、そうだ、今日の夜か明日には、お前らの力が必要になるんだからな。そのときまでは、その勇敢な心を大事にしまっておけ」
 傭兵たちの反応を確かめるように、レークは周りを見渡した。
「よく聞け。いいか、これはジャリア軍の手なんだぞ。俺たちが今ここで疲れちまっては、城を攻める側の奴らの思うつぼだ。戦うときは戦い。休むときはじっと休む。そうして、いつなんどきやつらが攻めてきても、すぐに飛び出せるようにしておくんだ。それが戦いに勝つための方法なんだ」
 塔の上は、さきほどまでのざわめきが嘘のように静まり、彼らはレークの言葉をじっと聞いていた。側で腕を組むブロテは、驚きと感嘆の混じった顔で傭兵たちを見つめていた。いくら命じても聞かなかった彼らが、たった一人の男の言葉で、こうまで静かになるものだろうか、と。
「なあ、頼むぜ、お前ら。この戦いを勝つにはお前らの力こそが必要なんだ。トレミリアの正騎士でも、この城の守備隊でもねえ。戦いの鍵を握るのは間違いなくお前らなんだ。だから、まだ剣を振り上げるのは早い。もう少しだけしまっておけ。そして、その時になったら、勇猛に剣を抜け。そして敵を圧倒する叫びを上げてやれ。いいか……」
 レークはいったん言葉を置き、塔と城壁の上に集まる兵たちを、ゆっくりと見渡した。
「オレたちは戦士だ」
「騎士だろうが、傭兵だろうが関係ねえ。この城を守り、女子供を守り、国を守る、戦士なんだ」
 静まっていた傭兵たちから、「おお……」という、どよめきが上がる。それは、静かに燃えはじめた心の昂り、その震える声なき声であった。
「ともに戦おう。その時がきたら。俺たちは、オレたちは戦士だ!」
 胸壁の上にまっすぐに立ちながら、レークは己の拳を高く突き上げた。
 静かだった塔の上が、再びざわめきに満ちてゆく。
 それはさきほどまでの無秩序な喧騒ではなく、戦いへの昂りを秘めた息づかいであった。
「おおっ、戦うぞ!」
 誰かの叫びが上がった。
「俺たちは戦士だ!」
 つづいて、高らかに誰かがそう宣言すると、傭兵たちは次々に拳をかかげ、声を上げ始めた。
「俺たちは戦士だ!」
「俺たちは戦士だ!」
「戦うぞ。レークとともに」
「レークとともに!」
 声が調和し合い、男たちの勇ましい言葉がひとつとなって、城壁にこだましてゆく。
「俺たちは戦士だ!」
「戦おうぜ!」
「おう、やろう!」
 傭兵たちは、そばにいる仲間とうなずき合い、また結束の声を上げる。
 ばらばらだったそれぞれの存在が、一体となって高揚感を増してゆくと、その声はさらに大きく重なって、塔の上から、はるかな城の天守の塔にまで届くほどに響きわたった。
「ブロテ。酒を頼む」
 レークに言われて、ブロテは運ばせてきたワインの樽を開けさせた。
「おい皆。全員にワイン一杯ずつのお許しが出たぜ。これは結束の記念だ。皆で一杯飲み交わそうじゃねえか!」
「おおーっ!」
 傭兵たちから大きな歓声が上がる。
 いくつもの樽が塔の上に運ばれ、小姓たちの手で杯が配られてゆく。なにせ兵の数が多いので、杯は木製だったりマグであったりとまちまちで、それでも足りそうもない者には革袋入りのワインが配られた。
「よーし、みんな。愉快に飲もうや。戦勝の前祝いだ。俺たちの勝利に!」
 レークが陽気に叫ぶと、杯を手にした兵たちもそれに調和した。
「おおっ、俺たちの勝利に!」
「勝利に!」
 口々に言うと、彼らは杯を上げ、それをうまそうに飲み干した。
「なあ、もう一杯くらい、おかわりはあるかな?ブロテのだんなよ」
「伯からは一杯までと言われていましたが……」
「固いこと言うな。それ、あんたも飲めよ」
 久々のワインの味に、レークはすっかり気分をよくしていた。ブロテの肩をどんと叩き、自分が飲み干した杯を持たせてワインを注いでやる。
「よう、そっちの騎士たちも飲もうぜ。一杯のワインで酔っぱらうようなふぬけはここにはいないだろう。傭兵も騎士も、俺たちはここで戦う同じ仲間だ。杯を上げよう!」
「おおっ、仲間だ!」
「俺たちは仲間だ」
「杯を上げよう!」
 今度は騎士たちからも声が上がる。
 再びなみなみとワインが満たされた杯が回され、傭兵たちも騎士たちも、同じようにそれを高らかにかかげ飲み干した。
「戦おうぜ!」
「やろうな!」
 勇ましい叫びと、楽しげな声がひっきりなしに上がり、塔の上はまるで祭りのような騒ぎになった。
「ジャリアども、ひねつりぶしてやろう」
「おうとも。皆で戦えばやつらなど恐くねえ」
「そうだそうだ!」
 レークは、いつのまにか傭兵たちの間に入って、一人一人の仲間たちと肩を叩き合い、笑い合っていた。
「なんとも……豪気で愉快なお人だ」
 その様子を見守りながら、ブロテはつぶやいた。
「敵に取り囲まれた城の塔の上で、こんなにも大騒ぎできるとは。それに……さっきまで無秩序に騒いでいた傭兵たちが、あっと言う間にひとつになってしまった」
 傭兵たちと荒っぽく騒ぎ、笑い合っているレークの姿は、騎士ではなくただの一人の陽気な剣士であった。それに呆れたような、そして感動するようなまなざしを向け、ブロテもワインを飲み干した。
 空から見下ろす太陽神、アヴァリスを除いては、これから始まるだろう、長く、激しい防城戦のことを予見するものは、まだ誰もいなかった。


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