水晶剣伝説 W スタンディノーブル防城戦

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 オールギアの町を出発したレークとアルーズは、夜の街道を馬で走り続けた。
 レイスラーブからスタンディノーヴまでの道のりにおいて、オールギアはそのちょうど中間くらいにあたり、ここからひたすら西を目指してゆけば、自動的にスタンディノーヴへと行き当たる、迷うことのない一本道だ。
 わずかな休息と食事をとっただけで、また長い騎乗を続ける強行軍である。レークはときおり、アルーズの馬がちゃんと付いてきているかを確認しながら、馬をだめにしないよう、ときおり速度をゆるめてやりながら手綱をとった。
 さすがに夜中の街道には人通りはまったくない。町から離れた人家の少ないこのあたりになると、野党や盗賊が出てもおかしくはなかったが、むしろそんなものはレークには恐ろしくもなかった。これまでにも、アレンとの旅の間、何度となく山賊などとも戦った経験はあったし、常に自らの剣でそれらを切り抜けてきたという自負もあった。そんな輩が目の前に現れれば、戦って斬り伏せるだけだ。
(なんだか……オレは気分が高まっているようだな)
 今ならむしろ、喜んで山賊どもと戦い、思う存分剣を振ってみたいような気さえする。この単独行には、自分の中にわくわくとするような、胸の高鳴りがあるようだった。それは己の血をたぎらせる、戦いや冒険への本能的な欲求であったのかもしれない。
(……ああ、なんだかあの剣技大会での試合のときの気分に似ているな)
 もちろん、競技と実戦とでは天と地ほども異なるのだが、レークにとって冒険とは、己の中の自由の解放であり、自分の力を信じて勇気をふるうこと、その緊張感と達成感を味わうことそのものに他ならなかった。
(久しぶりに……本物の戦いの匂いがする。それも、これは国と国との大がかりないくさなんだ)
 ただの剣士のはずだった自分が、いつのまにかトレミリアとジャリア、そしてウェルドスラーブという大国同志のいくさの渦中に入り込んでしまった。そのことを考えると、ひどく不思議でならなかった。放浪の剣士としてアレンとともに気ままな旅をしていたのは、まだつい数カ月前のことである。その自分が、まさか一国の騎士として遠征隊とともにウェルドスラーブを訪れ、ついにはこうして自ら志願して危険な使命に名乗りを上げ、夜の街道を馬を走らせているなど、いったい想像できただろうか。
(だが、それもなんだか……そう嫌な気分でもないな)
 本来なら、こうして責任ある行動に身をやつすことなどは、自分の最も忌避するところだったはずなのだが。だがそれを言うなら、王に仕える騎士になることになど、自分はなんの価値も魅力も感じなかったはずである。
(しかし、それはまあ……水晶剣のためだしな)
 アレンの言ったとおり騎士となったおかげで、トレミリア宮廷はもちろん、こうしてウェルドスラーブにも堂々とやって来られて、さまざまな都市や城にも出入りできる身分になった。そう考えれば、本来の目的である水晶剣の探索をする上でも、今の立場というのは決して悪いものではない。
(それに……そうだ。スタンディノーブル城は、ウェルドスラーブでも最も古い城のひとつ。城に入り込んだついでに水晶剣探しだってできそうだし)
(すると案外、オレの思いつきの行動も正鵠を射ていたわけだ)
 実際の戦いが行われている場所で、そんな悠長なことができるかどうかは定かではなかったが、自分のいいように物事をとらえるのは、浪剣士時代からの彼の特技であった。
「よーし、勇気百倍。いざスタンディノーブルへ、だ!」
 己への自信に満ちあふれるときが、彼がもっとも力を発揮する瞬間である。
 レークは手綱を握り直すと、後方からかろうじて付いてくるアルーズをまるで置き去りにするかのように、走らせる馬のスピードを上げていった。

 それから二度ほどの小休止をとっただけで、二騎は夜の街道を駆け通した。
 そして、東の空がかすかに白みはじめた頃、馬上でアルーズが叫んだ。
「見えました!スタンディノーブルの城郭です」
「ああ、あそこか」
 さすがのレークも夜通しの騎乗に、その顔に疲れの色をにじませていたが、朝もやに翳る林の向こうにかすかに浮かぶ城影を見つけると、にやりと笑いを浮かべた。
「案外近かったな」
 それは半ばは強がりでもあったろうが、実際に彼らは、通常なら、三、四日はかかるはずの道のりを、丸一日とかからずに走破したのだった。
 目的地の城が見えたことで、安堵した二人はそれからいったん馬から降り、ごくわずかな休息をとった。水筒の水を口にしながら街道の先に目を凝らすと、明るさを増してゆく暁の空の向こうに、スタンディノーブルの城郭の屋根がはっきりと見えた。
「さて、どうするか。このまままっすぐ城の表城門へ行くのがいちばん早いのは確かなんだろうが……」
「ええ、でもそうすると、おそらくジャリア軍と遭遇することになりますね」
「そうなるだろうな。たぶん、もう少しこの街道を行きゃあ、奴らの見張りが俺たちを見つけるだろう。この方向からやって来るはずのレイスラーブからの援軍を、奴らはなにより警戒しているはずだ」
「ええ」
 東の空を振り返れば、日の出が近いらしく、みるみるうちに明るさを増してゆく。
「よし、ここからはちっと慎重に進むか。いったん街道をそれて、敵に見つからないよう迂回してゆくことにしよう。こうなると、土地に詳しいあんたの出番だぜ」
「ええ、了解です」
 レークの決断に、アルーズは顔を引き締めてうなずいた。
「そうですね。とりあえず、ここからならいったん南を目指すのがよいでしょう。南に行った少し先に、グレイベリーという小さな村があります。そこを通って、マトラーセ川を渡り、スタンディノーブル城の南側へ出るのはどうでしょう」
「そうしよう。案内はあんたに任せるよ」
 再び馬に乗った二人は、街道を外れて南へと動きだした。
 ほどなくして東の地平に暁の最初の光がきらめき、空は紫から明るい青へとその色を変えてゆく。太陽神アヴァリスが闇を追いやり、人々に光の時間を与えようと、徐々にその姿を大きくしてゆく。
「夜明けだな」
 レークは馬上から、東の地平に顔を覗かせる太陽をまぶしそうに見た。
 レイスラーブの港に到着した船の上からの日の出を見てから、またたった一日しかたっていないということが、なんとも信じられなかった。
「夜明けまでには城へ入りたかったが……まあ、なんとかなるだろう」
 できうるかぎりの迅速さで馬を駆らせてきたのである。ジャリア軍の包囲がどの程度か分からないことは不安ではあるが、それをここでいつまでも考えていても仕方がない。
「行こう」
 二人の馬は、暁の陽光に照らされながら、道なき草むらを走り出した。
 街道からそれてしばらく南へゆくと、林の先に村を囲む外柵らしきものが見えてきた。
「あそこがグレイベリーです。小さい村ですが、スタンディノーブル城にもほど近いので、そこそこ名のある貴族や騎士などが何人も住んでいますよ」
「なるほど。外壁も石造りではないんだな」
 村を囲んでいるのは、丸太の先を削って縦に並べただけの簡素な柵であった。それは一昔前の時代のようなのどかな風景を思わせる。
「すぐ近くにスタンディノーブルという大きな城がありますからね。だから、城壁は必要ではないんです。もしもの時は城に逃げればいいですから。この村に住むのは、主に城に仕える者たちや、普段は城に勤めている騎士たちが多いんですよ」
「へえ」
「この村の外れからマトラーセ川へ出れば、きっと誰にも見つけられずに城の近くまで行けるはずです」
「なるほど、そいつはいい」
 二人は村の外柵にそって馬を歩ませた。だが、少しも行かないうちに、レークが馬上で眉をひそめた。
「ちょっと……待て」
「どうしました?」
「なんだか……変だな。どうも、静かすぎる」
「それは、たぶん、村の人々が城へ行ってしまったので……」
「いや、それにしたってな、いくらかは残っている人間もいるだろう。それなら日の出には門に見張りが顔を出すだろうし、煙突からは朝炊きの煙も登るはずだ」
「それは、そうかもしれません」
「ともかく、村に行ってみよう」
「ええ」
 周囲に気を配りながら二人は馬を走らせ、村の門へ近づいた。
 木でできたつり上げ式の門はぴたりと閉ざされ、そこにには見張りはおろか、人の気配もまったくない。
「おい、誰かいるか?門を開けろ」
 思い切って声をかけてみるが返事はない。門の向こう側に誰かがいるような気配もまったくない。ひっそりと静まり返っているのが、いっそう不気味であった。
 いくら待っても門が開く様子はないので、どうしたものかと二人は顔を見合わせた。
「確か、もう少し先に、くぐり戸があったはずです。そちらに行ってみますか」
「そうしよう」
 二人はまた外柵ぞいに馬を歩ませた。しばらくゆくと、アルーズの言うように、木柵の間に小さな扉があった。それは外からは目立たぬよう両側を灌木にはさまれた、ごく狭いくぐり戸だった。
「どうだ、入れそうか?」
「扉は開いています。入れますよ」
 先に馬を降りて扉を調べていたアルーズが手を振った。
「馬は入れそうもないな。よし、ここで離してやろう。よく頑張ったな」
「帰りはどうするんです?」
「そんな心配はしてもしょうがねえよ。ともかく、城へたどり着くのが先決だ」
「そうですね」
 二人はその場に馬を残し、狭いくぐり戸へ入っていった。
「気をつけろよ。万が一、向こうに敵がいることもありうる」
「はい」
 腰の剣に手をやり、気配を伺いながら慎重に扉を抜ける。、
「誰もいません」
 ほっとしたようにアルーズが言う。
「静かですね……」
「ああ」
 村は静まり返っていた。
 さほど広くもない通りには、石造りの家々が並び立ち、ウェルドスラーブ様式の赤い切妻屋根が朝日を浴びて光っている。通りを進んでいっても、何か異変のあったような跡はさっと見渡した限りでは見られない。彼らが想像していたように、破壊されて燃え上がる家もなければ、殺された人々が道端に横たわっているような光景も現れなかった。
 というよりも、人々の姿はこの村にはまったくないようだった。普段であれば、日の出を迎えれば起き出して、今日の仕事の準備をしたり、通りに店をかまえるものは店を開け、家々の煙突からは煮炊きの煙が上り、人々の活気があふれてゆくものであるが……
「まったく誰もいないみたいだぜ、おい」
 レークの言うように、朝を迎えたはずの村には、誰一人、人間の姿は見えなかった。
 通りの家々はひっそりと静まり返り、どの家からも人が出てくる気配はなく、店店の木戸は閉められたまま、そこに物売りの声もしなければ、時刻を告げる鐘の音も聞こえない。まるで、村全体が死に絶えたかのような、そんな静寂が辺りを包んでいた。
「これは……いったい、なにがあったんでしょう。これではまるで、村の人々が突然消えてしまったようだ」
 辺りを見回しながらアルーズが言った。
「この村の連中がどうなったかも気になるんだが、それをゆっくりと調べている時間はオレたちにはない。とにかく、このまま村を突っ切ってマトラーセ川に出よう」
「わかりました。村の西門には川を渡る小さな橋もあります。そこからスタンディノーブル城まではすぐです」
「よし。行こう」
 二人は静まり返った通りを走り出した。
 村の西側の門までゆく間にも、レークはなにかの痕跡を見つけられないかと、通りの周囲に目を配ってみたが、やはり人の姿はどこにもない。まるで村人全員が魔法かなにかの力で消えてしまったというように、動くものの気配は皆無であった。
「村の連中は無事だといいがな」
「ええ……」
 村の西側の門にもやはり人の姿はなかった。入った東側の門と同様にこちらも引き上げ式の門であるが、扉は開け放たれたままになっていた。
「つまり、町の連中はここから出ていったということか」
「かもしれません……」
「あるいは、ジャリア軍が……」
 言いかけて、レークは口をつぐんだ。
「どうしました?」
「今……人の声がしたようだ」
「本当ですか」
「ああ。だと思う」
 二人は耳を澄まし、辺りの気配をうかがった。
「なにも……聞こえませんが」
「ちょっと黙ってろ」
 浪剣士時代から耳の良さでは動物並と、よくアレンからも呆れ半分に言われたものだ。
「ううむ……もう聞こえねえな。川の音ばかりだ。さっきは確かに聞こえたんだが」
「そうですか……」
「ともかく、外へ出てみよう」
 開け放たれた門をくぐって村の外へ出ると、眼前にはマトレーセ川の青々とした流れが広がっていた。
 リクライア大陸一の大河と呼ばれるこのマトレーセ川は、大陸を北から南に分断するように流れている。この川を上流にさかのぼってゆけば、ウルド山地とバルテード山脈に挟まれた渓谷を越えて、ジャリアの西の国境ぞいまでゆくことになる。この川とバルテード山脈こそが、大陸を東西に分ける境目でもあり、ウェルドスラーブ北端の都市であるバーネイはその関所のような役目を持った都市なのだ。
 そのバーネイは陥落し、ジャリア軍はこのマトラーセ川を船で下り、スタンディノーブルに進軍したという情報がもたらされたのが昨日のことである。
「なるほど、この川なら、大軍を乗せる大きな船が易々と下ってこれるだろうな」
 滔々と流れてゆく川面を見ながら、レークは言った。
「マトレーセ川は、このすぐ上流で二つの支流に分かれています。スタンディノーブル城はその二つの支流に挟まれた中州にあり、陸路からの攻撃にはめっぽう強固な城なのです」
「おお。あれが、スタンディノーブル城か」
 川の向こうの緑に囲まれた高台の上に、スタンディノーブル城が朝もやに包まれてそびえていた。城壁にはいくつもの物見の塔があり、赤茶けてくすんだ石造りの壁は、その歴史の重みを感じさせるような、荘厳な空気を漂わせている。
「どうやら、まだ戦いは始まっていないらしい。とても静かだな」
「はい。この分なら、うまくすれば開戦前に城へたどり着けそうですね」
「よし、んじゃま、とりあえず川を渡ってみるか」
「少し上流に行けば橋があります。そこから渡りましょう」
 だが、川沿いの道を歩きだしてすぐ、ふとレークは足をとめた。
「おい……待て。やっぱりなんか声がするぞ」
「確かに。今度は自分にも聞こえました」
 二人は顔を見合せた。川の音にまぎれて聞き取りにくいが、それは確かに人の声である。
「うめき声みたいだな。そう遠くはない」
 レークは辺りを見回した。
 川べりの岩場を覗き込んだアルーズが「あっ」と叫んだ。
「レークどの。あれを!」
「う、ありゃあ……」
 岩場に降りた二人は、思わずつぶやいた。
「こりゃ……ひでえ」
「いったいなにが……」
 そこにあったのは、いくつもの人間の死体だった。
 血だらけになって岩場に転がるたくさんの死体……そのどれもが目を見開き、苦悶の表情のままでこと切れていた。
「六、七、八……九人か。どうやら見たところみんな村の男たちのようだな」
 レークは、その一人一人を覗き込むようにして確かめた。どの死体にも剣でつけられたとおぼしき傷があり、岩場は流れ出た血で赤く染まっていた。中には剣を手にしたまま、最後まで抵抗したように、血だらけの顔を引きつらせて死んでいる若者もいた。
「たぶん、ジャリア軍と戦ったんだろう」
「ええ。ではやはり、この村にも敵が……」
「そう考えた方がいいだろう。見たところ血がまだ固まりきっていない。殺されてから一日とはたっていないな」
「なんてことだ。じゃあ、村の人々はもう、皆……」
「いや、それは分からねえな。見たところ、村には破壊されたような跡はなかった。あるいは、村の人たちは城に逃げ込んだのかもしれない。ここで殺されたのは、きっと最後まで村に残っていた連中だろう」
「それならまだ、よいのですが……」
 アルーズは青ざめた顔でつぶやいた。
 これまでは、ただ情報でしか知らされていなかったジャリア軍との戦いであるが、こうして実際の生々しい死者の姿を前に、嫌でもそれを実感せざるを得ない。
「せめて穴を掘って埋めてやりたいがな、そうしている時間もねえ」
「ええ……」
 そのとき、死体の間からかすかなうめき声が上がった。
「おお、まだ生きている奴がいるらしいぞ」
 さっき聞こえたのはこの声だったに違いない。レークはその声の元を探した。
 血にまみれた無残な死体の中に、比較的傷の浅そうな若者が倒れていた。
「おい、しっかりしろ」
 レークはその若者の上体をかかえ起こした。意識はないようだが、致命傷となるような傷は負っていない。
「これなら助かるぞ。おい、水筒を」
 アルーズから水筒を受け取り、若者の口に水を流し込んでやる。
「う……ごふっ」
 咳き込むような呻きがねれた。歳は二十代前半くらいだろう。黒髪を長めに伸ばして、顎には髭をたくわえている。ただの村人にしては体格もよく、どことなく気品があった。
「おい、しっかりしろ。大丈夫か?」
 耳元で呼びかけると、若者はぴくりと体を揺らした。その目がうっすらと開かれる。
「おい、もう大丈夫だぞ」
「あ、うう……」
 焦点の定まらぬ目がやがて光をともない、レークを見た。
「……あ、あんたは」
「安心しろ。オレたちは味方だ。ジャリア兵じゃねえ。オレはウェルドスラーブと共に戦うトレミリアの騎士だ」
「ジャリア……」
 とたんに、若者の体がびくりと震えた。
「ああ、ジャリア軍……奴らが!」
「大丈夫だ。安心しろ。奴らはもうここにはいない。今ここにいるのはオレたちだけだ。俺はレーク。こっちはウェルドスラーブの正騎士、アルーズだ」
「ああ……」
 レークの言葉にやや安心したのか、若者は息をつき、今度ははっきりと目を開くと声を発した。
「俺は……俺はまだ生きているのか。他のみんなは……」
「ああ、傷は深くない。あんたはすぐ元気になるだろう。そら、もっと水を飲め」
 若者はレークに支えられて体を起こし、水筒の水を飲んだ。
「ありがとう……もう大丈夫です」
「そうか。残念だが、息があったのはあんただけだ」
「そうですか……」
 周りに倒れている仲間の姿を見つけると、若者はその顔を曇らせ、少しの間うつむいていたが、なかなか気丈なようで、またすぐに顔を上げた。
「あなた方は……もしやレイスラーブからいらしたのでしょうか?」
「ああ、そうだ。我々はスタンディノーブル城が包囲されていると聞かされ、レイスラーブから偵察としてやってきた」
「そうですか。やはり」
 若者はうなずくと、よろよろと立ち上がろうとした。
「大丈夫か?」
「ええ。もう平気です」
 若者はよく鍛えられた筋肉質の体格で、身長はレークよりも少し高いくらいだった。革の胸当てをつけ、腰に剣を吊るした姿はなかなかさまになっている。
 もともと体力がある方なのだろう、その顔には精気が戻っていた。
「申し遅れました。私はオルゴと申します。このグレイベリーに住んでおりますが、父親は元々スタンディノーブルの騎士でありました。ですから私も爵位はありませんが、城と町を守る守護隊に参加しております」
「ほう、お父上の名は?」
 アルーズが尋ねると、オルゴと名乗った若者は誇らしげに答えた。
「ルーデスです」
「おお、ではスタンディノーブルのマーコット伯直属の騎士、ルーデス卿であるか。お名前は存じあげている」
 オルゴは顔をほころばせた。
「これは光栄に存じます。父は昨年引退し、今は城の庭番を勤めております。代わってこの私が見習い騎士として守備隊に入り、このグレイベリーを守る任務を引き継いでおりました」
「そうだったのか。では村の人々は無事なのか?」
「はい。ジャリア軍が到着する前に、村人のほぼ全員がスタンディノーブルの城郭の中に入りました。我々は最後の見回りにと、昨夕町に戻りまして、そのときにジャリア兵の一隊に発見され、戦いに……」
 そこまで言って、オルゴは声を詰まらせた。その手をぶるぶると震わせている。
「くっ……仲間たちを、みすみす殺させてしまいました」
 おそらくそこには友人もいたのだろう、岩場に横たわる亡骸を前に、彼は顔を歪めた。
「私一人が生きているなんて……」
「おい、しっかりしろ。お前は運が良かったんだ」
 元気づけるように、レークがその肩を叩く。
「こうしてただ一人生き残ったんだからな。だから、そう……お前には、なにか成すべきことが残っているってことだ。そして、偶然に俺たちがこうして通りがかったことにも、きっと意味があるんだよ」
「そう……そうですね」
 オルゴは何度もうなずいた。
「仲間のためにも、お前はまだ生きて、そして戦うんだ。やれるか?」
「はい。大丈夫です」
「よし。その根性があればなにも恐くねえ。じゃあ、とっととここから移動した方がいいな。ジャリア兵の見張りがまた来るかもしれん。仲間をこのまま残してゆくのはつらいだろうが、弔っている時間はない。すまねえがな……許せよ」
 亡骸に向かって目を閉じるレーク。アルーズとオルゴもそれにならった。
「では、行こう。あっちに橋があるんだったな。歩けるか?オルゴ」
「ええ。ですがお待ちください。橋の向こう岸には、ジャリア兵の見張りがひそんでおります。あの橋を通ってゆくのは危険です」
「そうか。じゃあどうする?この川を渡らなくては城には行けねえんだろう」
「ここから少し下流にいくと、小さな船着場があります。我々グレイベリーの者しか知りません、向こう岸へ渡るための小舟があったはずです」
「おお。そりゃ助かる。さすが地元の人間だな」
 三人は朝もやに包まれた川べりを歩きだした。
 オルゴの言った船着場は、周りを草木に隠れていて、一見したところではそれとは分からないものだった。板を何枚かつないだだけのごく簡素なはしけに、古びた小舟がつないであった。
「こりゃあ、ほんとに小っちゃいボートだぜ。大丈夫だろうな。沈んだりしないか?」
「大丈夫ですよ。三人までなら乗れます」
 オルゴに言われて、レークはおそるおそる、ぷかぷかと揺れている小舟に足をかけた。
「こりゃ、今にも沈みそうだぞ、おい。川の流れが速くないのが幸いだがな、一刻も早く陸に上がりたくなってきた」
 アルーズとオルゴが乗り込むと、ボートの中はひどく狭苦しくなった。
「私が漕ぎますので、レークどのは舳先の方へ」
「あ、ああ。頼むぜ」
 オルゴが慣れた仕種で櫂をとる。
 漕ぎはじめると、案外スムーズにボートは川の上を動きだした。
 川を渡るひんやりとした朝の空気が頬を撫でつけ、きらきらと輝く水面はこの時間でしか見られない爽やかな美しさを描く。だが、重苦しい緊張に包まれた船上の者には、それを楽しむゆとりなどはない。彼らの見つめる川の向こう岸には、ジャリア軍五千の兵が城を包囲して陣を構えているはずなのだ。
 川向こうに見えるスタンディノーブル城の赤茶けた城壁を見つめながら、レークは口許を引き締めた。いよいよ敵のいる近くに来たのだという実感が、少しずつ心の内に重くのしかかってくるようだった。
 マトレーセ川の流れは穏やかで、三人を乗せたボートはほどなくして対岸に着いた。
 三人はボートから降りた。ここからスタンディノーブル城までは目と鼻の先である。
「ここからはいつなんどき、敵と遭遇するか分からないわけだな。おい、オルゴ」
「はい」
「どうだ、一緒に来れそうか?もし、どこか痛くてこれ以上は足手まといになるってんなら、お前はここから川を渡って戻ってもいいんだぞ」
「いいえ、めっそうもない」
 自分も一介の騎士見習いであるとばかりに、オルゴは強く首を振った。
「自分もお供いたします。仲間を殺したジャリア軍への恨みもありますし、なにより、スタンディノーブル城とグレイベリーの人々を助けるのが、自分の変わらぬ務めであると思っています」
「ここからは、本物の戦に足を踏み入れることになるぜ。敵陣の真ん中をかいくぐったり、あるいは斬り合いになって、命を落とすことにもなるかもしれんぞ」
「かまいません。もとより、昨日のジャリア軍の襲撃で失った命と考えれば、何を恐れるものがありましょう。自分はまだ正騎士ではありませんが、ウェルドスラーブのために命を捨てる覚悟はとうにできております」
「そうか。ならここからは俺たち三人、一蓮托生というワケだな」
「地理により詳しい人間が増えればありがたい。頼みますぞ、オルゴどの」
「分かりました」
 オルゴとアルーズは互いに胸に手を当て、騎士の礼を交わした。
「さてと……じゃあさっそくだがオルゴ、あんたはジャリア軍の布陣した位置なんかもある程度は知っているのか?」
「ええ、だいたいの状況は把握しています」
「そりゃあ助かる」
 レークはパチンと指を鳴らした。
「じゃあ、ここから城に入るとしたら、どうやって行くのがベストだと思う?敵に囲まれているわけだから、おおっぴらに城門を開けて入れてくれるわけはねえよな」
「ええ。昨日の段階ではジャリア軍の本隊は城の北側……つまり我々が今いるのとは反対側に布陣していました。今日になってもまだ、さほど大きな動きはないようですから、おそらく敵は城への降伏勧告を行いながら、攻城戦の準備を進めているのかと思います」
「なるほど、だからまだ静かなわけだな。なら、本格的に戦いが始まる前に、なんとか城内へ入りたいな」
「しかし、敵は東と西の城門にはぬかりなく兵を配置しているのではないかと思います。まだ戦闘に入っていないということは、城を包囲してからじわじわと攻め落とす考えなのではないでしょうか」
「ふむ。黒竜王子だかなんだか知らんが、智略に富んだ奸物だとも聞くからな。じゃあともかく、城の方角に慎重に近づいてみるとするか。なにしろ向こうは大軍勢だからな。近くに気配があれば俺たちが先に気づくだろう。なにより、俺たちの存在はまだ敵にはバレていないんだから」
 三人はうなずき合うと、川沿いの土手を登りだした。
 すると、にわかに馬蹄の音が聞こえてきた。
「伏せろっ」
 慌てて土手の斜面に身を伏せると、ドドッ、ドドッという蹄の音が大きくなり、すぐ近くをジャリア兵の一隊が横切っていった。
 三人はじっと身をひそめ、騎馬隊が走り去るのを待った。
「行ったか……」
「あれは……敵の偵察隊でしょうか?」
「たぶんな」
 三人は慎重に土手を這い上がり、辺りの気配をうかがった。
「ふう、驚いた。まさかこんなに近くにいるとは。とにかく、もういつなんどき敵に遭遇してもおかしくないってこった。ここからは十分注意しながら行こうぜ」
 三人は小走りに移動をはじめた。
 木の幹に体を寄せ、辺りを窺いながら慎重に進む。幸い辺りはたっぷりと木々が生い茂った林になっていて、この少人数であれば敵の見張りをやり過ごせそうであった。
「オルゴ、この方向からだと、城に入るにはどこが一番いいんだ?」
「そうですね。スタンディノーブル城は東と西に二つの大門があります。おそらく、ジャリア軍はそのどちらにも目を光らせているでしょう」
「だろうな」
「ですから、我々が城に入るのには、方向的にも南側の門がよいでしょう。そこは目立たない小さな門で、主に我々グレイベリーの村の者が出入りするためのものです。そこなら、うまくすればジャリア軍に見つからずに入城できるはずです」
 オルゴの説明にレークはうなずいた。
「よし。では俺が先頭をゆくから、その後ろからお前が方向を指示してくれ。アルーズはしんがりを頼む」
「分かりました」
 レークは辺りの気配を窺うと、木々の間を走り出した。
 走りながら全身の神経をとぎすませる。こんな緊張を味わうのは久しぶりであった。あの剣技会での馬上槍試合のときも、戦いの前には緊張感があったが、それとも違う。これは命がけの、いわば切羽詰まった緊迫感であり、それが血の流れのように体の隅々まで行き渡るような、そんな感覚であった。
(なんつうか……あんまり心地いいもんじゃあねえな)
 己一人の単独行動であればまだしも、これにはトレミリアという国や騎士という責任と、今はまたアルーズとオルゴの二人の命運も預かっているのだ。
(気楽な浪剣士時代には、こんなような気分は味わったことはなかったなあ)
 振り返ると、すぐ後ろを付いてくるオルゴがこちらを見てうなずいた。
(しゃーねえな……まあ、なるようになるでいってみっか)
 内心でため息をつきながら、レークは己が逃れようのない運命へ向かうかのような気分で、木々の間に見えてきたスタンディノーブルの城壁を見上げた。
「南門はもうすぐ、その先です」
 背後からオルゴの声が告げた。
 ここまでは木々に隠れながら、なんとか敵に気づかれることなくやりすごせた。城壁までは、もうほんの一走りの距離である。
「よし、もうちょいだ」
 最後のひと走りとばかりに飛び出そうとすると、馬蹄の音が聞こえた。
 レークは慌ててその場に伏せた。オルゴとアルーズは後方の木の幹に身を隠す。
 近づいてくる気配に耳を澄ませ、レークは体を伏せたまま前方を見た。すると、木々の間に、偵察隊と思われる数騎のジャリア兵が横切ってゆくのが見えた。
「……」
 ジャリア兵の馬が通りすぎるのを、レークは息を殺してじっと待った。彼らはこちらに気づくことなく、そのまま城壁ぞいに西の方向へ去っていった。
「ふう……行っちまったかな」
 身を起こしながら辺りの気配をうかがう。振り返ると、幹に隠れていたアルーズとオルゴが顔を覗かせた。手を振ると二人は走り寄ってきた。
「あれは、ジャリアの騎士隊ですね」
「ああ、驚かせやがって。やつらは偵察隊をかなり出しているみたいだな」
「急ぎましょう。たぶん城壁を周回するように、次の隊が来るに違いありません」
 オルゴの言葉にうなずくと、レークは慎重に辺りを見回しながらまた走りだした。
 木々の間を抜けると、彼らの目の前にそびえ立つ城壁が現れた。
「おお。こいつあ、なかなか立派なもんだなあ」
 見上げると、石を積み重ねられた城壁は、高さにして三階建ての家の屋根ほどはあるだろう。これをよじ登ることは不可能だし、おそらくジャリア軍は進入できる場所がないかと、偵察隊をやらせているのだろう。
 城壁沿いに少し歩くと、オルゴが壁の方を指さした。
「ここです。この窪みの向こうに入り口があります。門というよりは通用口というくらいのものですが」
「なるほど。これは確かに目立たない入り口だな」
 それは城壁にできた窪みのような、ごく小さな入り口であった。
「中に入れそうか?」
「だめです」
 窪みを覗き込んだオルゴは、落胆したように首を振った。
「鉄格子が下りています。それに、その先にある扉は鉄板で塞がれているようです」
「なんだって」
 レークもその窪みを覗き込んでみた。狭い入り口の先には入る者を拒むようにして鉄の格子が下ろされ、たとえそれを越えたとしても頑丈に補強された鉄板が扉を塞いでいた。
「こりゃあ、ここから入るのは無理だな」
「昨日はこの入り口から町の者たちを城に避難させたんですが、おそらくその後で扉を塞いだのでしょう」
「他に城に入れそうな所はないのかよ?」
「いえ。さっきも言いましたが、城壁の西と東にはそれぞれ大門がありますが、そこはすでにジャリア軍が陣を張っているでしょうから、あとはもう、城への入り口はこの南門しかありません」
「くそっ、じゃあどうすりゃいいんだ」
 レークはいましげに言った。
 見上げると、そびえ立つ城壁の上に、城の見張りの騎士たちの姿が見える。
「ここにオレたちがいることを、あいつらに大声で告げてやりたいがな」
「そんなことをしたら、ジャリア兵に見つかってしまいますよ」
「分かってるさ。ただ、城を目の前にして中に入れないってのは、くやしいじゃねえか」
 三人はしばらく諦めきれずに、格子のはまった門を見つめ、そこに立ち尽くしていた。
 だが、やがて聞こえてきた馬蹄の音にレークははっとなった。
「いけねえ、ジャリア兵どもだ。隠れろ!」
 慌てて三人は手近な茂みの中に飛び込み、そこに身をひそめた。
 近づいてくる馬蹄の音は、さきほどの一隊よりずっと数が多いようだった。ドドドッ、ドドドドッという土を踏みしめる響きが、しだいにはっきりと聞こえてくる。
「……」
 息をひそめて茂みに隠れる彼らの前に、木々の間からジャリア騎士たちの姿が現れた。その数は二、三十人はいるだろう。一個中隊ともいえるほどの人数だ。
 ジャリア兵の一隊は、さきほどレークたちがいた城壁の南門のあたりにくると、巧みに馬を操り整然と並びはじめた。それは実に見事なもので、あっと言う間に騎馬の隊列が組まれていった。
 頭頂部に赤い房飾りのついた黒い兜をかぶり、黒い鎧を身につけた騎士たちは、それぞれ腰に大剣を差していた。おそらく実戦部隊として訓練を受けているものたちなのだろう、鍛えられた職業軍人にしかできぬような動きは、ある種の非人間的な冷たさを感じさせた。
 そして、その居並んだ騎士たちの間を縫うように、ひときわ目につく一騎が到着した。
 見事な黒馬にまたがったその騎士は、全身黒づくめの鎧を着込み、白と赤の房飾りのついた立派な兜をかぶっている。一目で他の騎士とは異なるのは、その姿がまるで、黒い竜のように禍々しく見えるせいだろう。
 赤い裏打ちのマントをなびかせて、その黒い騎士が馬上で軽く手を挙げると、整列していた他の騎士たちが一斉に馬から降りた。
(……あいつは)
 その様子を、レークは茂みの間からじっと見つめていた。
(なんだか……おそろしく嫌な気配がしやがる)
 あの黒い騎士がただ者ではないことはすぐに分かったし、離れていても、その騎士の体からは殺気のような、びりびりとしたオーラのようなものが伝わってくる気がした。
(あいつは……何者なんだ?)
 首の後ろにぞくりと震えを覚えながら、レークはごくりとつばを飲み込んだ。
(なんつうか……とても嫌な感じ、そう、不気味な感じがする)
 茂みの影から見つめるレークたちの前で、隊列から進み出た兵の一人が、黒い騎士の馬の前でうやうやしくひざまずいた。それからその兵は城壁を指さして、黒い騎士に何事かを説明するようだった。
(なるほど。やつらもあの小さな門を見つけたというわけか)
(しかし、不気味なやつらだ。どうも好かねえ……)
(あいつらは、たぶん戦となりゃあ、女子供も容赦なく殺し、命じられるままに何もかもを平気で破壊しつくせるような……そういうやつらだ)
 レークには知るよしもなかった……その黒い騎士たちが「四十五人隊」の名で呼ばれる、ジャリアの誇る冷徹なる精鋭部隊であることを。
 そして、彼らを従えるあの黒い騎士の正体は……
「あれは……ジャリアの黒竜王子です」
 横にいたオルゴが囁いた。
「あれが、ジャリアのフェルス・ヴァーレイ……」
 レークは戦慄にも似た震えを覚えていた。
 その名を聞くだけで誰もが震え上がる、ジャリアの黒竜王子……
 それが今、目の前にいる。
「フェルス……ヴァーレイ」
 口の中でもう一度その名をつぶやいたとき、
 不意に、馬上にいる黒い騎士がこちらを向いた。
「……!」
 レークは声を上げそうになるのを懸命にこらえた。
 黒い兜の中で、氷のように冷たい目が、一瞬自分の方に向けられたように思えたのだ。
「つ……」
 突然、左手の指が締めつけられた。
 そこには遠征前にアレンからもらった指輪がはめられていた。水晶の魔力が封じ込められた、特別な指輪だ。
 オールギアの町で占い師の老婆が現れたときにも同じようなことがあったが、その時よりもずっと強く、まるで指を食いちぎるかのように締めつけてくる。
(なにか、悪いことでも起きるのか……それとも)
 指輪がなにかの魔力に反応しているのか。レークには分からない。
 背中にじっとりと汗をかきながら、茂みの中で必死に息をひそめる。
 馬上からこちらに顔を向けていた王子は、騎士の報告を受けると馬を降り、城壁の方へと歩いていった。すると、唐突に指輪の締めつけが消えた。
 レークはほっとしながら、再び王子の姿に目をやった。
(いまのは、なんだったんだ……)
 水晶の魔力が込められたこの指輪が何かに反応したとしたら……それは、
(まさか……な)
 思いもかけず、ジャリアの黒竜王子とこれほど近くで邂逅したことに、もし……この場にいたのがアレンであったなら、そこにある大きな意味を即座に悟ったかもしれない。
(うう、ひやひやしたぜ……ここはもう、とっとと逃げた方が得策だな)
 レークは二人に合図を送ると、そろそろと、茂みの奥へと後ずさりをはじめた。
 三人は音を立てぬよう四つんばいのままで茂みの中を這い進み、安全なくらいまで離れると、立ち上がって一目散に走り出した。


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