水晶剣伝説 V ウェルドスラーブへの出発

      5/7ページ


女職人の島

 夜半を過ぎたころ、船はついに川を下り終えた。甲板の上からは、黒々とした海が舳先の向こうにその広がりを見せはじめた。
 ここまで来ると川幅はさらに大きくなっていたので、すでにここが海なのかまだ川なのかが、この暗がりではおぼつかなかったが、甲板から灯台のものらしい灯を右手に見つけると、騎士たちは大きな歓声を上げたのだった。サルマの船乗りによれば、それは港町スタグアイの灯台で、こうして川を下ってくる船のために、夜の間も灯を絶やさないのが常なのだという。
 知らせを受けて次々に甲板に上がってきた騎士たちは、手分けをして再び帆を張る準備に取りかかった。縄ばしごでマストに登り、帆桁に縛りつけた帆を広げ、甲板からロープでそれを引っ張る。本来、大型船であれば数十人がかりでやる仕事であったが、船にいる十五人ほどの騎士たちは、サルマの船乗りの指示のもと、掛け声に合わせてなかなか手際よくロープを引き、フォアマスト、ミズンマストと続けて帆を張っていった。
 そうして船は海上に出た。騎士たちは、自らの動かす船がついに海にたどり着いたということに、少なからず感動を覚えていた。
 当然のことながら、内陸の地である、トレミリアの騎士たちにはこのように自分たちの手でで帆を張り、サルマの船乗りに頼っているとはいえ自ら舵をとって、乗組員として船を海に出すという経験などは初めてだったので、目の前に現れた広々とした海の……夜半で暗く遠くまでは見渡せなかったにせよ……広大な広がり、潮の匂い、ざざーん、ざざーん、という波の音、そして海上特有の船が波をうけて揺れる感触などを実際に体験すると、「自分たちの船が海に出たのだ」という、なんともいえない新鮮な感動を味わった。
 そんな騎士たちを暖かく迎えるように、波は穏やかであった。夜空の月と星とは、船の向かうべきコス島の方角を親切そうに知らせてくれ、初めての海に乗り出した内陸の騎士たちを安堵させた。
 帆を張りおえた船は、ゆるやかに沖合へと進路をとった。
 舵を取るサルマの船乗りの指示により、風向きが変わるごとに少しずつ帆の角度を動かしながら、カラベル船はしだいに速度を上げてゆく。
 コス島は、大陸沿岸から真南に位置している、この付近ではもっとも大きな島である。島の唯一の都市であるメルカートリクスは、通称「職人の町」として知れ渡っている。そこで彼らは、人数分の食料の他、今後戦時の際に必要になると思われる細々とした道具類……馬具や剣の鞘や、短剣、ベルト、革袋、水筒、さらには薬や、包帯、蝋燭等も、大量に仕入れる予定であった。
 本来であれば、遠征隊の騎士全員が十数隻の船に乗り込んで揃ってコス島に到着するという計画であったのが、まさかこのようにしてたった十五名ほどの少人数での船旅になるとは、フェスーンを出発した当初は誰も想像しなかったことだろう。慌ただしくカラベル船に乗り込むことになった当の騎士たちは、甲板上でマストのロープを手に持ったまま、時にそれを引き、時に休憩をしつつ、黒々とした夜の海面をときおり心配そうに眺めるのだった。
 そうして、船が海に出てからおよそ一刻半がたったころだろうか
「見えたぞ。コス島だ!」
 戦闘楼から見張りの騎士が、大声で叫んだ。
 大陸の南岸からは目と鼻の先にあるというコス島であるが、その島影が目前に見えはじめるまでは、海に不慣れな騎士たちには「本当に島に行けるのか」という不安がどこかにあったに違いない。甲板上いた全員から歓声とともに安堵の声が上がった。そして、もう一頑張りとロープを引く手に力を込める。船の前方に、少しずつ黒々とした島影が大きくなってゆく。
「あそこが港だ。もうすぐメルカートリクスに着きます」
 舵をとるサルマの船乗りが言った。前方に町のものらしい灯が、いくつか見えはじめる。夜明けまではもう数刻という頃合いだろう。どうやら空が白み出す前には、最初の目的地にたどり着けそうであった。
「やれやれ、短い船旅だったが、陸が見えるってのは嬉しいもんだな」
 甲板に出てきたレークも、港の灯を見ながらそう実感していた。
 かすかな振動とともに船が桟橋に接岸すると、甲板の騎士たちから控えめな拍手と歓声が上がった。彼らは初めての航海の……たとえ距離としては大したことはないといえ、自力で海を渡る航海をなしえたという、達成感と安堵感に包まれていた。
 しかし、そうゆったりもしていられない。錨が下ろされ、帆がたたまれると、小隊の隊長であるクリミナは騎士たちを甲板に集めた。これからの日程についての確認をすると、サルマの船乗りと、居残りの騎士を残して、小隊はさっそく島に上陸した。
 メルカートリクスの港はなかなか立派なもので、いくつかある桟橋には他にも数隻の大型船が停泊していた。さすがに深夜であるので港には人影はなく、ただ朝を待つように辺りは静まり返っている。
 町の入り口には市門らしきものがあり、上陸者をチェックするための小屋があった。レークが驚いたことに、小屋の窓からひょいと顔を出したのはまだ若い女性であった。このような深夜に、市門の見張りにいるのが女性であるなどということは、普通に考えれば奇妙なことであったが、クリミナは慣れた様子で通行証を差し出した。見張り番の女性はクリミナの顔を見るとすぐに表情を和らげた。そればかりか、親切にも外に出てきては、先に立って宿まで案内をしてくれた。
 すでにまったくの深夜であったが、町のいたるところではまだいくつもの家々に灯が見えた。おそらく「職人の町」というだけあって、様々な職人たちが夜を徹して働いているのだろう。それらの家の前を通ると、機織り機の音や、金槌で鉄を打つ音などが聞こえてきて、トレミリアの騎士たちを大いに感心させた。
 町でも一番大きいという宿屋に着くと、一行を店のおかみが出迎えた。おかみはクリミナを見ると、まるで顔なじみ友人でも迎えるかのように、嬉しそうに近づいてきた。
「いらっしゃい。トレミリアの騎士さんがた。ゆっくりくつろいどくれ」
 快く大部屋をいくつか開けてくれたおかみのおかげで、長旅の疲労にまみれた騎士たちは、それぞれ毛布にくるまると、すぐに心地よい眠りに落ちた。横になってみて、レークも自分がとても疲れていたのだということに初めて気づいた。騎馬での長い行軍に加え、それから休む間もなく慌ただしく船に乗り込み、川を下って海に出ると、それからはまるで船乗りのようにマストに登ったり、ロープを引いたりと、なかなかにせわしない道中だったのだから、それも当然であったろう。久しぶりの暖かな寝床に、レークもいつしか深い眠りに落ちていった。
 翌朝、レークが目覚めると、もうすでに日は高く昇っていた。
「おお……よく寝た」
 起き上がって体を伸ばすと、再び体の中から力がみなぎってくるようだった。
「やっぱ、人間寝なきゃダメだな。うん。改めて分かった」
 船上では短い仮眠だけでろくろく眠れなかったので、たっぷりと眠ってすっかり疲れも取れると、また一日を頑張れそうだった。
「やあ、おはようさん」
 一階の食堂にに下りると、すでにクリミナは起きていて、宿のおかみとなにやら話をしているところだった。
「どうやらよく眠れたようだな」
「ああ……。ついぐっすりと眠っちまったが、あんたはけっこう早く起きたみたいだな」
「いや、私も起きたのは半刻ほど前だ。他の騎士たちは?」
「ああ、皆もう起きてくるだろう。なんせ、初めての船旅だったからな。マストに登ったりロープを引いたりで、疲れているのも無理はないだろう」
「そうだな」
 クリミナも、この町に無事たどり着いたことでよほど安堵しているのだろう、その口許には自然な笑みがある。
 レークが腰掛けると、テーブルには湯気の立つスープと大きなパンが置かれた。
「おお、うまそう!そういやフェスーンを出てからは、ろくなもん食えなかったからな。こりゃありがてえ」
「さあ、食べとくれ。トレミリアの騎士さんたちにはしっかり食べて、張り切ってもらわないと」
 レークはさっそくパンにかじりつき、豪快にスープをすすった。
「皆の食事が済んだら出掛けるぞ。今日の夕刻までには必要な品物を船に積み上げてしまいたい。食料に、薬に、替えの服やベルトに、それから蝋燭やいろいろ。皆で手分けして運ぶんだ」
「酒は?」
「なんだって?」
 眉を寄せたクリミナに、レークはにやりと笑って言った。
「景気づけにさ。酒は持っていかないのか?」
「酒など……持っていくか、バカ」
 側でおかみが笑い声を上げた。
「あんた。面白いねえ。騎士さん。酒か……うん、そりゃそうだ。酒は必要だよなあ。いついかなるときも、酒は憂さを晴らす一番の薬さね」
「だよな、やっぱ」
 真面目くさってうなずくレークの背を、おかみは笑いながら叩いた。
「気に入った。あんたにゃ、あとであたしの気に入りのワインを持たせてやる」
「ちょっと……ご主人」
「まあ、いいじゃないのさ」
「そうそう。……って、あんた、ここの女主人だったのかい?てっきり、この宿の奥さんかと」
「初めて来た人は皆そう言うよ。でも、この町じゃ全然珍しくもないんだよ。むしろ、あんたらの方が珍しいのさ」
「へ?俺たちが?」
「ああ。なにせ、この町は女職人の町だからね。どこもかしこもそりゃ女ばかりさ」
「なんだって。女ばかり?本当かよ」
「ああそうさ」
 かつてはまんざら美人でなくもなかったのだろうと思わせる、今は立派に中年に達した恰幅のいい女主人は、浪剣士に向けてぱちりと片目をつぶって見せた。
「だからね、あんなみたいな若くてハンサムな騎士さんは、ここじゃもててもててしょうがないよ。きっと数日もいたら、いろいろありすぎて足腰が立たなくなるんじゃないかねえ。ほっほ」
 それを聞いたレークは、呆然として言葉を失った。
 そういえば、昨日からたしかにこの町では女性以外は目にしていない。
「女ばかり。女の町……」
 その口から嘆息にも似たつぶやきがもれる。横からクリミナがじろりと睨んだことにも気づかず、レークはしばしスープの続きをすするのさえ忘れ、視線を宙に泳がせていた。その口許がいやらしくにやけてゆく。
「ふふ……、うふ……、女の町……」
「おい……」
 クリミナが何か言いかけたとき、
「ああ、お早うございます。クリミナさま」
「すっかりよく眠ってしまって。お、朝食はできているようですな」
 ちょうど他の騎士たちが、どやどやと階段を下りてきた。
「あ、ああ……みな、おはよう」
 騎士たちは、どこか仏頂面の女騎士を見て、もしや自分たちの寝坊のせいで怒っているのだろうかと、互いにはらはらとした様子で顔を見合わせた。
 その一方で、レークの顔はもう、さっきからだらしなくゆるんでいた。

 宿の女主人が言った通り、このメルカートリクスは女性ばかりの職人の町であった。
 町に出たレークは、すぐにそれを知ることになった。昨夜、港から少し歩いただけでは分からなかったが、町の中央通りには実に様々な店が軒を連ねており、フェスーンのカルデリート通りとまではいかないまでも、馬車がすれ違うには十分な道幅の通りの両側には、食べ物屋から仕立屋、服や帽子を売る店、それに様々な小道具を扱う店などがずらりと並んでいた。
 そして、この町が特殊な町であることを裏付けるのは、その店店の軒先や店内にいる人々が全て女性であるということだった。パンや肉を売る店も、ベルトやなめし革の店も、染物や衣類、さらには刃物や蹄鉄などを加工し売る店も、軒先に立っているのは女性ばかり。今はちょうど昼どきとあって、通りにはそれなりに人の姿があったが、それもまず九割までが女性であった。それもある程度の年齢がいった女性たちが大半で、少女や子供の姿はほとんど見られなかった。ごくたまに、買い物客らしき男性の姿もあったが、様子からして町の外から買い付けに来た客であるようだった。つまりは、ここでは職人も、売り子も、それに一般の客の多くまでも、そのすべてが女性であると言ってよかった。つまり、確かにここは女だけの職人の町なのであった。
「こりゃびっくりだな。ここは本当に女の町だ。肉屋も酒屋も、仕立屋も、金銀細工師も、みんな女だよ。ほんとに」
 ちょうどすれ違った髪を結い上げた女性職人を振り返り、店先で大声で問答をしている年配の仕立屋の女を目で追いながら、レークはたいそう感心して言った。
「いったいぜんたい、どうしてこう女ばかりなんだろうな。この町は」
「職人の女性というのはね、普通の国の町ではなかなか認めてもらえないものなの」
 一緒に歩いていたクリミナも、ふと立ち止まって辺りを見回した。
「だから、ここにいるのはみんな、もともとはどこかの国々……そう、トレミリアやセルムラードや、ウェルドスラーブやミレイなんかにいた人達……、ただ本当は自分の国で女職人になりたかった人達なのよ」
「へえ……そうなのか」
「でも、普通の国では、たいていは職人ギルド、ツンフトに入るのにとても厳しい審査がいるの。とくに女性の場合は男の何倍も大変なね。そして運良く上手くいって自分の店を持ったとしても、店主が女性では取引先もなければ、原材料を卸してくれるところもない。女性というだけで。パン屋をやっても女性では小麦粉を卸してもらえず、仕立屋や織布工になってもビロード一枚もらえない。だから……皆、国を出たのよ」
「ははあ……」
 なんと言ったらよいか分からぬようなレークを前に、クリミナはなんとなく誇らしげな微笑を浮かべた。
「そうして、集まってきた女性職人たちは、この島に女性だけの、女性のための職人の町をつくった。男に頼らず、自分たちで品物を揃え、造り、加工して売る。ツンフトから疎外されても皆が助け合って、女性職人としての誇りを持ち、己の技術を高めてゆく。素晴らしいわ。そして今ではこのメルカートリクスは、どこの国にも属さない都市国家として認められ、様々な国から品物を買い付けに来る人々が後を絶たない。女性だけで働き、女性だけで勝ちえた場所、それがこの町なんだわ」
「へえ……そいつは、すげえんだな」
 レークは感心してうなずいた。もちろんクリミナの話もだったが、それ以上に、この町について熱心に語る彼女の情熱的な様子には、なにやら目を見張るものがあった。
「私はね、この町が好き」
 店先できびきびと働く女性職人たちを見ながら、女騎士は朗らかに告げた。
「なんだか、ここにいると、まるで自分の仲間たちが大勢いるように感じるの。ああ、もちろん私は職人ではないのだけどね」
 なんとなくだが、それについてはレークにも理解できた。女性でありながら騎士であるという彼女は、こうして自立の道を選んだ女職人たちと、どこか似通った部分があるのだろう。そのせいか、この女職人たちの町を歩く女騎士は、とても生き生きして見えた。一介の浪剣士でしかなかったレークに、彼女の心の奥深い部分でのこの町への共感が、どれほどのものであるかまでは分からなかったろうが。
「なるほどねえ」
 だが、そういえば、なんとなくだが先程すれ違った女職人は、そのきりりとした様子がどことなくクリミナと似ているような気もする。
「たしかに、そういやなんていうか、すごくみんなきびきびとしているよな。女なのに。ここにはフェスーンみたいにひらひらとした女の子ってのは、あんまいないみたいだ」
「そうね。ここにいる女性は、皆独身か、結婚していても夫とは離れてここで暮らしているような人ばかりだからね。皆必死で働いて、自分の技術、腕を磨いて、なんとかこの仕事で食べてゆこうとしているのよ。だから一日一日が勝負なのだわ。そういうところも、なんとなくいいな」
 そう言うと、クリミナはうきうきとした様子でまた歩きだした。そのあとをレークも慌てて追いかける。
 二人は通りを歩きながら、看板職人の店の見事な透かし彫りの看板に目を止めたり、刺しゅう工の店に飾られた素晴らしい刺しゅうの施された布に感心したりした。パン職人の店先では焼き立てのパンの香りにつられ、麦芽酒醸造工の前ではレークが、ガラス職人の店先の飾り物の美しいステンドグラスの前ではクリミナが、それぞれ立ち止まってはそれらを覗き込んだ。それらをじっくり味わったり、あるいは鑑賞したりしたい気持ちを抑えつつ、二人は名残惜しげにまた歩きだすのだった。
「とにかく、無駄なお金も時間もないのだから」
 クリミナは、またしても立ち止まってワイン売りの女性からワインを勧められ、いかにも飲みたそうな顔のレークを、無理やり引っ張った。
「さあ、ゆきましょう」
「分かったって。あーあ、ちょっとくらいワイン飲んだって……」
「ここに来たのは遊びではなく、重要な任務なのだから」
 二人が向かうのは、この町でも最も大きな道具屋であった。他の騎士たちも、今頃は別々の店でそれぞれに物資を調達にかかっている頃だろう。クリミナは騎士たちをいくつかの班に分け、それぞれに別々の品を買いつけにゆかせた。そうして各々が、食料、薬品や包帯、衣服にベルト、蝋燭に革袋やロープなどの小道具、さらには短剣などの武器類という具合に、分担して別々の店で商品を買い、それらを夕刻までに船まで運ぶ。こうすれば時間的にもかなり節約できる。
「あの店だわ」
 そこは中央通りの中程にある、石造りのなかなか立派な店だった。二人が店に入ると、当然ながらここも女性職人の店なので、店主であろう大柄の女が「いらっしゃい」と声をかけてきた。
 店の中は広く、そして様々な物がずらりと巨大な棚に陳列されていた。目の前の棚には、青銅や真鍮でできた鍋や食器、銀のナイフ、詰め物に使うコルクのついた瓶などが、別の棚には革袋や水筒、背中に背負う大型のバッグが、さらに別の棚には革の手袋やベルト、鐙や手綱などの馬具などといった具合に、実に様々な小物がこの店では売られていた。
「何をお探しかな?」
 近づいてきたのは髪をひっつめた中年女で、クリミナの顔をみて「おや」という顔をした。
「あらまあ。あんたはもしや、トレミリアの宮廷騎士長さんかい?」
「私をご存じか?この店に来たのは初めてだと思ったけど」
 驚いた様子のクリミナに、女は笑いかけた。
「もちろんさね。名高いトレミリアの女騎士……クリミナ・マルシイを知らないわけがない。おや、こちらの騎士さんは……」
 女はレークにじろり鋭い目を向けた。
「ほう。あんた、騎士さんにしてはなんだか男っぽいねえ。こりゃ珍しい」
「ああ?そりゃ俺は男だからな。男っぽくて当たり前だろう」
 怪訝そうに眉を寄せたレークだったが、女は感心したようにパンと手を叩いた。
「まあ、すてき!」
「ああ?」
「なんて男っぽいんだろう。あたしが間違っていたよ。トレミリアの騎士さんていうと、どうも皆、顔はそれなりに気品があるが、どこかぼんやりとしたおぼっちゃんというイメージだったんだけど、あんたは全然違う」
 店主の女は顔をほころばせ、そのなかなかごつい両手をぎゅっと組み合わせた。すでに女盛りもとうに過ぎたという年齢であるが、レークを見つめるその視線にはすっかり女の媚びが含まれていた。
「ねえあんた、お名前は?」
「レークだ」
「ほう、やっぱり貴族らしくはない名前だねえ。気品がない」
「ほっとけ。どうせ俺は元はただの浪剣士だよ」
「浪剣士。やっぱり」
 女はまたパンと手を叩き、ますます興味を持ったようにレークに熱いまなざしを送りはじめた。
「なるほどぅ、やっぱり……そうだねえ。どこかワイルドっていうのか、荒っぽいというのか、そこがいいわ。なよなよとした騎士さんに比べたら、あたしはずっと好きよ」
「そ、そうか。そりゃどうも……」
「うふ」
 女主人の目つきが奇妙に色っぽくなる。レークは苦笑して、ずいと近寄ってくる相手から一歩後ずさった。
「ところで、私達は買い物をしたいのだけど。よろしいかな」
 クリミナが言うと、女はまたパンと手を叩いた。どうやらそれがこの女店主の癖らしい。
「おお、そうだった。あんたたちはお客だったわね。忘れてた。いや、忘れちゃあいなかったけど、ついね。だっていい男がこの町に来るのなんて久しぶりだしぃ。ふむ……しかし、考えてみれば、そうか。トレミリアの騎士長さんが自ら買い物とは。これもすごいことだわね。あとで納品書の控えにサインしてくれる?皆に自慢しようっと」
 うきうきとして言う女店主に、クリミナは呆れたように口許をゆがませると、それから気を取り直して注文の品々を告げた。
 半刻ほどののち、注文した品々が二人の前に高く積み上げられていた。
「ええと、蝋燭五百本と、革袋の小さいのと大きいのが二百ずつ、水筒が二百、騎士用ベルトが百本、鐙が左右百組……」
 女主人が集めた品物の明細を読み上げてゆく。
「あとは、マントと革手袋はうちでは足りないので、別の店に遣いをやらせたからね。あとで港に届けるよ。これで全部かい?」
 レークは山のように積まれた木箱を前に、自分がクリミナから一緒に来いと呼ばれた訳を理解した。
「荷物持ちか……」
 げんなりとするレークにはかまわず、クリミナはその上さらに細々とした道具……馬具や騎士の鎧に必要な金具などを大量に追加注文した。
「……以上でいいわ。代金はトレミリア国王のつけで。これは前金の五千リグ」
 クリミナが国王の印章の入った証書と金貨の詰まった革袋を渡すと、女店主は証書を眺めて、「これも額に入れて飾っておこう」と嬉しそうに言った。
「ああ、ええと。すまねえが、頼みがある」
 おずおずとレークが切り出した。
「なんだい?色男の元浪剣士さん」
「ああ、その……」
 彼はちらりとクリミナの方を見てから、やや情けなさそうに「この荷物を運ぶための車輪付きの台車を追加で」と、小さな声で注文した。

 こうして、その日の午後には、町で揃えた荷物が騎士たちの手によって次々と港に運ばれ、船に積まれていった。
 日持ちのする固パンやビスケットの詰まった木箱、干しぶどうやライムなどの果物、塩漬け肉の箱など、糧食となる大切な品々が一番上等の船倉に積み込まれ、次に何千人分かの替えの胴着やマント、帽子などの箱、そして薬や薬草、包帯、革袋、水筒、蝋燭といった必要物資が詰められた箱が大量に船内に運ばれた。
 なにしろ、人員は船に残したサルマの船乗りに手伝わせても二十名もいなかったので、これらの荷物全てを船に運び込むのにはけっこうな時間かかった。騎士たちは汗だくになりながら、港と船を何度となく往復し、木箱や樽を運び続けた。
 そして、ようやく全ての荷物を船に積み上げ終えたのは、海の彼方に黄金色の夕日が沈みかける頃だった。
 その時分になると、波音がやや大きく感じられ、海風も強くなりはじめた。クリミナは、すぐにでも船を出したいと騎士たちに告げた。一刻も早くこの物資を持ってウェルドスラーブへ入りたい。そのためには夜を徹して船を進める覚悟だった。
 だが宿屋に戻ってみると、宿の女主人は顔を曇らせて首を振った。
「今夜はやめときな。どうやら、しけがきそうだよ。夜になるとけっこう荒れそうだと、さっき船で戻った連中が言っていたよ」
「でも、できたらすぐにでも物資を持ってゆきたいのですけど」
「それじゃあなおさらだよ。大切な荷物を積んでいるんだろう。だったら万一にでも船が沈んだら大変だ。ただでさえ荷物で船が重くなっているんだから。安全を考えたら、明日の朝まで待つことだね。そうおし」
 きっぱりとそう言われてしまっては、もはや返す言葉もない。仕方なく、クリミナは騎士たちを港から呼び戻し、明日の朝一番での出港を言い渡した。戻ってきた騎士たちも、今宵一晩は安心して陸の上でぐっすり眠れると知り、皆どことなく嬉しそうだった。
「だろう。大事の前の休息てやつだ。今夜くらいはゆっくりとしておいき。さて、では夕食と、部屋の支度をしなくてはね」
 そう言って女主人は、人数分の料理の支度を言いつけに、のしのしと厨房へ向かった。
「そうそう、今夜は広場の方でちょっとしたお祭りがあるんだよ。よかったら行ってきたらどうだい?どうせ今日はもうやることはないんだろう」
 食事を済ませ、くつろぐ騎士たちを前に、女主人が言った。
「お祭りかあ」
 騎士たちは顔を見合わせた。確かに、彼らにはもう部屋にいる以外は何もすることもなかった。船には見張り役を置いてあるし、荷物はすべて積みおえた。あとは明日の朝に、穏やかな海になるように願うばかりである。
「なあ、行ってみようぜ」
 祭りと聞いては、にぎやかなことが好きな浪剣士が黙っているはずはない。
「せっかくだしさ。このまま宿に居てもあとは寝るだけなんだし。それに、船でウェルドスラーブへ出発したら、当分はもうゆっくりできる時間はないぜ。お前らだって行ってみたいだろ?」
 選ばれた騎士といえども、ここにいるのはたいていがまだ若い連中である。女職人の町……メルカートリクスの祭りというのに興味がないわけはない。
「なあ、騎士長どの。ほんの一晩の息抜きさ。行ってみようぜ、なあ」
「……しかし」
 クリミナは考えるように腕を組んだ。そこへ、宿の女主人がついとやってきて、彼女の耳に何事かを囁きかけた。
「はっ?」
 思いもしないことを告げられたのか、クリミナは顔をひきつらせた。
「いや……そんな。私は」
「いいから、ちょっと。ほら、こっちに」
「いや、それは。ちょっと……待って」
「ほら、来なさいってば」
 女主人はけっこうな腕力を発揮して、抵抗する女騎士をぐいぐいと奥の部屋に引っ張って行った。残されたレークや騎士たちがしばらく待っていると、
「さあ、できたよ」
 ほどなくして女主人と、その手を引かれて現れたのは、
「あっ」
「おお!」
 騎士たちから一斉に、驚きとも歓声ともつかぬ声が上がる。
「ク、クリミナ様……」
「これは……騎士長どの」
「なんと……」
 息を飲んだように、誰もがその姿に釘付けになった。
「あたしの若いころのだから、ちょっとこの子には大きいかもしれないがね」
 自慢げに言う女主人の横で、恥ずかしそうに下を向くクリミナ……彼女が着ていたのは、いかにも町の女の子らしい服だった。四角く胸の開いた明るい色のベージュの胴着に白いサテンのスカート、そして真珠の入ったリボンで可愛らしく髪をまとめている。
 それは、まったく普段の騎士姿とは似ても似つかぬ、まことに女性らしい恰好だったので、騎士たちはしばらく唖然としたように黙り込んで、ただただ彼女を見つめていた。
「お似合いです、クリミナ様」
 騎士の誰かか言った。すると、他の若い騎士からも、次々に賛辞の声が上がる。
「よくお似合いです!騎士長どの」
「素晴らしく綺麗です」
「……」
 クリミナはやや恥ずかしそうに……ただ褒められてまんざらでもない様子で微笑んだ。それは、騎士たちが今まで見た中で、一番女性らしい彼女の笑顔だったかもしれない。
「お綺麗ですぜ。騎士長どの」
 慣れないスカートに歩きにくそうに近づいてきたクリミナに、レークが声をかける。
「そう?まあ、たまには……こういうのもいいかもね」
「ということは?」
「外出を許可します。ただし、皆、あまり夜更かしはしないよう」
 それを聞いた騎士たちから、一斉に歓声と拍手が上がった。

 町の中央広場は、夕方になるにつれ多くの人々で賑わいはじめていた。
 宿の女主人によれば、ひと月に一度開かれる自由祭と呼ばれる祭りが、この町の風習であるらしい。広場にはすでにたくさんの屋台が立ち、松明の灯が辺りを明るく照らしている。騎士たちが広場にやってくると、すでにトレミリアから来た賓客の噂は広まっていたのだろう、集まっていた人々から歓迎の拍手が上がった。
 当然ながら、広場にいたのはほとんどが女性であった。トレミリアの騎士たちは、彼らの知っている猥雑な感じの祭りとはやや異なる、女性だけのどこか優雅な趣すらある空気に、どこか新鮮なものを感じていた。
 中央に噴水のあるこの石畳の広場をぐるりと見渡すと、花々で飾りつけられた看板とともに、食べ物や飲み物を売る屋台がいくつも並び、色とりどりのドレスやスカートで着飾った女性たちが、あちこちで談笑している。ヴァイオリンやギターによる音楽が始まると、若い娘から宿の女主人のような中年の女性まで、多くの者は女性同志で手を取って踊りだし、生き生きとその顔を輝かせていた。
 松明や蝋燭の灯が照らす中を、女性だけの町の住人たちが優雅に踊る。メルカートリクスの祭りはどこか幻想的で、まるで女神たちの神殿に迷い込んだかのような錯覚を見るものに思わせた。
 騎士たちは、この不思議な光景を、自分たちがそれを邪魔する闖入者になりはせぬかというように、しばらく遠慮がちに見守っていた。
「なんか、ほんとに女ばっかなんだな。祭りっていうと、わいわいがやがやと、こう、ひどくやかましいものだと思っていたが……」
「私は、この町の祭りを見るのはこれで二度目」
 レークの横に来たクリミナがそっと言った。
「でもやっぱり好きだわ。なんだか……日頃は職人として男顔負けに頑張っている人達が、今はこうして女性らしく綺麗に着飾って、輝いているのを見るのは」
 心なしか、クリミナの顔も普段よりもずっとなごんで見える。それは、こうして女性らしい服を着ているせいだったかもしれないが。
「じゃあ……あんたも同じなんだな」
 レークは、そんな彼女の横顔をちらりと見た。
「あの女職人たちも、あんたも。普段は男顔負けに頑張っているけどさ……たまには、こういう時くらいは……いいんじゃないのか?女の子みたいにひらひらと踊ってもさ」
「……」
 いつもであれば、彼女は差し出された手を素直にとったろうか。あるいは、この不思議な町の一夜の祭りの誘惑と、身にまとったやわらかな服の感触が、今ばかりは彼女をただの一人の女性にしていたのか……
「そうね」
 ややためらいがちに、クリミナはその手をとった。
 二人が広場の中央に進み出ると、周りにいた女性たちがそれを歓迎するように手を叩く。踊りはじめた二人の姿に、他の騎士たちもおずおずと、町の女性たちに声をかけだした。やがてトレミリアの騎士たちと、メルカートリクスの女性との組み合わせがいくつも出来てゆき、踊りの輪はしだいに広がっていった。
 こちらもすべて女性の楽隊が奏でるのは、どこか懐かしいしっとりとした曲で、このメルカートリクスという町に伝わる伝統曲のようだった。それは繊細ではかなげだが、芯はしっかりとした強さがある。日が暮れた広場を、そんなメロディと歌声がやわらかく包み込む。それは、ずっと続いてゆく人々の営みや、滔々とした時の流れのような大きなものを含んだ、どこか神聖な空気を感じさせた。
(いずれ……戦いが始まってゆく)
 女性たちだけの町とはいえ、おそらくは誰もがそれを心の中で感じているはずであった。トレミリアやウェルドスラーブを第一の顧客とするこの町は、それだけに大陸の情報には敏感である。島に暮らす彼女たちは、常に世界の情勢を見つめながら、変わらぬ日々の仕事を続けている。
 その一人一人が、誇りある女職人として。糸を紡ぎ、布を織り、皮を縫い、加工し、鉄を打ち、鎧や剣をつくる。やがてそれらが大陸の国々に売られてゆき、人々の生活の道具となり、そして時には戦の道具にもなってゆく。それらを知り、なおそれらに誇りを持って、彼女たちは日々の仕事を続けてゆく。あるいは、どこかでは心を傷めながらも……生きるために、そして職人であるために、彼女たちは物を生み出し続ける。
 それがこの町に生きるということ。それが職人の町メルカートリクスであるということなのだ。
(私達は、それでも作りつづけよう……)
(戦いは起こっても。たとえ、いずれはそれに利用される物だとしても、それが人を殺す武器になることがあったとしても)
(それでも、作りつづけよう……)
 まるでそこに……
 声にならぬ声が、聞こえるようだった。
(作りつづけよう……)
(そうすれば、それは時に、人を助ける道具になるかもしれない。そして、平和な国で人々の喜びとなることもあるかもしれない)
 音楽とともに、広場の歌声が、少しずつ高まり、そして広がってゆく。
(作りつづけよう……)
(それが、職人の町メルカートリクスのあり方なのだから)
(我が町に誇りを持て……)
(誇りをもって)
(私達は……女性、職人の女性……普通の町には住めぬ、はぐれもの)
(はぐれものの町……女職人の町)
(ここはメルカートリクス)
 それは決して大きな歌声ではなかったが、静かに、そしてミサのように神聖に、じわじわと広場全体を包むようにして広がり、響いていった。
 ここにいた人々……町の住人であり職人である女性たちは、誰もが己の仕事への誇りと矜持を秘め、大陸から離れたこの島にいながらも、決して世界と無関係であるとは思わずに、それぞれに希望と喜びをもって生きている。
 ゆるやかな音楽と、歌声に込められたそうした想い……願い、喜びが、レークやクリミナ、それにこの場にいた騎士たちには、まるで実際に聞こえるかのように感じられていた。
「俺も……好きだな」
 クリミナの手を取り踊りながら、ふとレークは言った。
「メルカートリクスか。こんな町があってもいいな」
「そうね……」
 穏やかな微笑みを浮かべる彼女は、あるいは、もし騎士でなかったら、きっとこの町に住みたいと言うのではないか。ひらひらとした長いスカートをなびかせて楽しげに踊る彼女を、レークはまぶしそうに見つめていた。
 ささやかな、祭りのひととき、その夜がゆっくりと更けてゆく。
「もう、こんな日は当分ないでしょうね」
 何曲か踊り終えて、二人は噴水の縁に腰掛けていた。
 久しぶりに踊ったせいか、クリミナの頬はバラ色に紅潮し、慣れぬスカートの裾を気にしながら足を揃える様子もいくぶんぎこちない。
「今日が終わったら……明日はもう船の上。そうして、ウェルドスラーブに着いてしまえば、そこからは大変……」
「ああ……そうだな」
 まだ楽しそうに踊りつづけている仲間の騎士たちを見つめながら、レークもうなずいた。
「向こうに着いたら、たぶんすぐに戦が始まるだろうな」
「……ええ」
 クリミナにもそれはとっくに分かっていただろう。ここに来た目的……食料や道具など、多くの補給物資を運んでゆくというこの自分たちの役目が、これから始まる戦いにおいて大変重要なのだということも。
「でも……今日は思いがけない休日になったみたいね。他の皆もすごく楽しそう」
「ああ……」
「……」
 二人はしばらく、噴水の音と、人々の愉快な歌声にじっと耳を傾けていた。
 少しずつ更けてゆく祭りの晩……明日になれば、自分たちは騎士として船に乗り込み、戦地となるだろうウェルドスーブを目指してゆく。そしてこの町の女性たちには、物を作り続ける職人としての日常がまた始まってゆく。
 誰もが心の中で、この祭りの晩を少しでも長く味わいたいと、同じように願っていたことだろう。
「……どうしたの?さっきからずっと黙っちゃって」
「ああ……別に」
 レークのその照れたような真面目な顔がおかしかったのか、
「変なの」
 クリミナはくすりと笑った。
 この普段は男勝りの女騎士が、今日はいつにもまして可愛いらしく思える。それは彼女の服のせいなのか、あるいは、このメルカートリクスという特別な町の空気がそうさせるのか……レークには分からなかったが、
 彼女は穏やかに、奏でられる曲に鼻唄を合わせて、傍に腰かけている。
「……」
 その横顔を見つめていると、なにやら気持ちが高ぶってくる。
「あの、な……」
 思い切って、なにかを言おうとしたとき
「踊ってきたら?」
 何気なく彼女が言った。
「私はここで見ているから。他にもたくさん女性はいるでしょう。これはなかなかめったにないことよ」
「……ああ、そうだな」
 いったん腰を上げかけて、しかしレークはまたそこに腰を下ろした。
「いや、やっぱいいや」
「そうなの?」
「ああ。なんだかな……もうちょっと休もう」
「そう……」
 こうして二人並んで座っているのがひどく居心地がよいような、ここから動きたくないような、そんな気がするのだ。
「あの、な」
「なに?」
 クリミナが微笑む。おそらく、今日この時しか見られないだろう微笑みで。
「ああ……」
 そのとき、ちょうど曲が終わり、広場はいったん静かになった。
 背後の噴水の音だけが、二人の耳に優しく響く。
「もう少ししたら……」
 二人の視線が合った。
「もう一回、あんたと踊れれば……」
「え……」
 クリミナの顔が、戸惑いの驚きとともに、ぱっと輝いたようにレークには見えた。
 再び曲が始まった。
 また楽しそうな歌声と笑い声、石畳を踏みしめるステップ広場に響き始める。
「いいかな」
「ええ……」
 うなずいた彼女は、かすかに頬を染めた。
 レークは、その細い手に、おそるおそる自分の手を重ねた。
「……」
 彼女はなにも言わなかった。
 今日だけは、許されるはずだと、
 踊っている騎士たちも、そして町の人々も知っていたのだろうか。
 ささやかな祭りの夜……日常が戻ってくる前のひとときを、今すこしだけ味わいたいというかのように、
 夜闇の中で、松明の明かりに照らされた小さなこの広場で、人々はしばし時間を忘れたようにまた踊り、歌い、そして笑い合うのだった。

 
次ページへ