水晶剣伝説 V ウェルドスラーブへの出発

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  晩餐会の会談

 夏の最後のイベントともいうべき、晩餐会の季節がきた。
「ざまあみろ。勝ったぜ」
 口の端をつり上げて、自慢げにそう言ったのは、誰あろうレーク・ドップである。レークとアレンの二人は、レード公爵の晩餐会に、はたしてどちらが招待されるかという賭けをしていたのであった。
 今や、宮廷中の姫君や婦人たちの注目の的である美貌の貴公子アレイエンと、宮廷騎士となった元浪剣士にして剣技会優勝者のレーク。レード公爵の次女であるナルニア姫が、この二人の新参者に興味を抱いていることは、すでに人々の知るところでもあり、大方の予想では、他の姫君たちからの羨望を得るために、彼女は美しい金髪の貴公子、アレンを選ぶだろうと囁かれていたのだが。
「へっへっ。まあこういうこともあらあな。そういつもいつも、お前ばっかりが女にもてると思ったらな、大間違いなんだぞ」
「たしかにな」
 得意気な相棒を前に、とくに悔しくもなさそうな涼しい顔で、アレンはうなずいた。
「ナルニア姫がお前を選ぶことも、まあ……ありうるだろうとは考えていたさ」
「そりゃ、負け惜しみか?」
「いや、姫は騎士団の稽古にもよく顔を出しておられたようだし、きっと実際にお前に興味がおありなのだろう」
「まあ……かもな」
 いたって平静なアレンの様子に、いつまでも自慢げにしているのが恥ずかしくなったのか、レークはひょいと相棒の横に腰を下ろした。
「今日の稽古の後で、そのナルニアの姫さんから呼び出されてさ、晩餐に誘われたんだけど、やっぱ、嬉しくなくもないわな。綺麗な女から誘われるってのは」
「ふむ」
 アレンは先のことを考えるように、すいとあごに手を置いた。それは綿密な計画を思案するときの、いつもの冷静な顔つきだった。
「ともかく、うまくやってくれよ。まずはレード公と直接会い、できれば二人だけで話をすること。その時の質問や返答については、前から教えてある通りにするんだぞ」
「ああ、分かってるよ。さんざん色々と練習させられたからな。言葉遣いから、貴族への挨拶、それに……面倒なダンスにいたるまで。まったくうんざりするほどな!」
「お前ももう騎士なのだからな。ナルニア姫の手前、晩餐会で一度もダンスをしないでは、姫のご不興をかうだろう」
「そういうもんかね。めんどくせえなあ。晩餐会っていってもメシ食って酒飲んでただ帰るってワケにもいかねえんだなあ……」
「もちろん。これは大切な任務だということだ。しっかり頼むぞ」
「へいへい。頑張りまさ……」
「予定通り事が済んだら、あとは好きなようにしてかまわんよ。好きに食べ、飲んで、踊るといい。せっかくの晩餐会だ。お前だって……ダンスを踊りたい相手がいるのではないか?」
「踊りたい?いや、別にいねえけど」
「そうか?」
 首をひねるレークに、アレンはにやりとして言った。
「たとえば……そう、クリミナ殿とか」
「は?クリミナ……騎士長さんと俺が?ダンスだって?」
 思わずレークは目をしばたいた。
「はっ。まさか!あのクリミナさんが、俺とダンスなんざ踊るわきゃないだろう。そうでなくても、ほら……日頃から目の敵にされてんだから」
「そうか。最近でもまだそうなのか?」
「最近。うーん……最近は、そうでもないかな。……そうだな。考えてみると、ここのところは稽古でもあまり怒られてないし、それにそういや、前みたいにむやみに向こうから突っかかってくることもないみたいだ」
「ふむ。それなら、そう可能性もなくもない。それで、お前の方は?」
「へ?俺が……何が?」
 きょとんとするレークを見て、アレンはくすりと笑った。
「鈍いやつだな。お前の方は、クリミナ姫をどう思っているかということだ」
「どうって、なんだ?」
「好みかどうか、ということだ」
「いや……だって、別に俺は」
 レークは少々照れくさそうに頭を掻いた。
「そんな、でもないけどよ……。だいたい、俺はもともと、どっちかっていやあ、ほら、女らしいのがタイプだし……そう、オードレイみたいなさ。だから、別にその、クリミナ……騎士長のことは別に……」
「クリミナ姫も、レード公の晩餐には来られるのだろう?」
「さあ、どうかな。あのクリミナさんがドレス着たところなんて、想像もできないぜ」
「そうかな。あの女騎士どのも、もともと大変美しい方だし、そういう女性らしい恰好もけっこうさまになるのではないかな。まあ、俺は剣技会での一件以来、彼女と近しく話をしたことはないのだが、お前の方は毎日のように騎士団で会っているんだから、分かるのではないか?」
「さあ……さあな。騎士の鎧姿なら、そりゃいつも素晴らしく似合っているがね」
 そう言うと、レークはごろりと寝台に寝ころがってしまった。
「まあ、とにかく。ナルニア姫やレード公とはもちろん、宮廷騎士長殿ともお近づきになれれば、それはそれで決して損はないのだからな。なにしろ、お父上はあの宰相オライア公爵閣下だ。お前もそこのところを……」
「ああ、分かってるよ」
 背中を向けたまま、レークは手をひらひらさせた。
「それならいいさ。では、晩餐会での事についてはくれぐれも頼んだぞ」
 それからしばらく、夕食を告げにきた炊婦のマージェリが部屋のドアを叩くまで、二人はそれぞれに思うことを考えつづけていた。

 レード公爵邸の晩餐会は、その名に恥じぬ豪華なものだった。
 フェスーン城を南東の方角に見上げる公爵邸は、五階建ての母屋の両側に塔を持つ、重厚な造りの建物で、さすがにトレミリアの大将軍の住まいであると見るものに思わせる。屋敷をぐるりと囲む庭園には、昼過ぎからすでにもう、今宵の晩餐の用意に侍女や女官たちが忙しそうに行き交っていた。広い芝生の上には、大層な数のテーブルと椅子がずらりと並べられ、侍女たちが運んでくる料理の皿が次々に置かれてゆく。その周囲を囲むようにして、夕刻の点灯を前にたくさんの松明が、念入りに配置されてゆく。庭園の片隅からは、今夜一晩は休む暇もなく活躍し続けるはずの楽隊の面々が、ダンスのための舞踏曲をさかんに練習する音が漏れ聞こえてくる。
 向かえの馬車から降りたレークは、晩餐の準備にいそしむそれらの人々を、感心しながら見回していた。巨大なワインの樽を一生懸命転がしている小姓らしき少年が、目の前を通りすぎてゆく。
「さあ、こっちよ」
 つややかな黒髪を結い上げたナルニア姫に手を引かれ、レークは侍女や下男たちが行き交う庭園を通り抜け、屋敷の扉をくぐった。
 ナルニアは、今年で十九歳になるレード公爵の次女である。どちらかといえば、宮廷の姫君としてはたいへん活発で好奇心旺盛な彼女は、一部の人々が「ならず者」と噂する、元浪剣士のレークに対しても、なんら臆することなく接してくる。レークははじめは少々面食らいつつも、美しい貴族の姫君に引っ張り回されることが、まんざら楽しくなくもない。広い屋敷の中をいろいろ連れ回され、衣装部屋では古めかしい服を着せられたり、ナルニアに遊ばれることにも我慢しながら、ようやく目的であったレード公爵に会えたのは、日が沈みかけ、晩餐会の客がぞくぞくと屋敷に到着し始める頃になってだった。
 案内されたその部屋に入ると、立ち上がった大柄な人物がレークを出迎えた。
「私がレード公爵、ダルフォンス。この我が儘娘……ナルニアの父でもある。どうぞよしなに」
 今年で四十一歳になるというレード公は、どっしりとした体躯のいかにも武人らしい人物だった。二十五才の若さでトレミリアの大将軍の地位を授かり、国内すべての軍事を司るという大任を守り続けながら、自らも剣を振るう勇士であり、若手騎士の筆頭であるヒルギス、ブロテなどを師事していたという。その外見はやはり豪快そうな雰囲気で、黒々とした髭と太い眉、鋭い眼光の果断そうな顔つきであるが、同時にまた、目の奥の光には知的な深みがあった。
「貴殿が先の剣技会で優勝したという、噂の剣士殿か」
「は。オレ……いや自分がレーク・ドップであります」
 やや緊張の面持ちで答えたレークを、値踏みするように公爵はじっと見た。
「ふむ。おぬしには一度会ってみたいと思っていた。参加者千人を数えたあの剣技会で、圧倒的な強さで優勝したというその戦いぶりは、知人たちからいやというほど聞かされていてな。私は試合をじかには見れなんだから」
「お父様は、ちょうどそのころウェルドスラーブへ行っていらしたのよね」
 横からナルニアが口を出した。派手やかなドレスに身を包んだ娘の姿に、やや表情をやわらげて公爵はうなずいた。
「さよう。本来であれば、この私こそがあの剣技会の総責任者であるはずだったのだが。ちと急ぎの用があったものでな」
「それは……ジャリアの進軍のことですかね」
 レークが低い声で言うと、公爵はその眉間に皺を寄せた。
「それは本当ですの?お父様。まさか戦になるなんてことは……」
「いや心配するな。まだそれほど切迫した状況ではないよ」
 安心させるように公爵は笑ってみせた。
 しかし、レークがアレンから聞いた情報では、すでにジャリア軍はヴォルス内海の北に陣を張り、ウェルドスーブに対して一触即発といった状態であるという。ただ、この情勢を正確に知るものは、トレミリアの宮廷でもごく限られた者たちだけであるはずだった。
「……なるほど。オライア公の言うとおり、貴殿はじつに面白い人物であるようだな」
 公爵の鋭い視線がじっとレークに注がれる。
「ナルニア、ちとレーク殿と話がしたい。しばらく彼を借りるぞ」
 アレンと念入りに相談した、その計画の肝心な最初……まずはレード公爵の気を引くという、そのもくろみは果たされた。
 公爵のあとについて屋敷の奥まった回廊を渡りながら、レークはこれからの駆け引きについてしきりと考えていた。アレンと計画した流れに、ここまでは上手くはまっている。
(緊張せず、自然体で)
 何度も相棒から言われたその言葉を思い返し、レークは何度も舌を舐めた。
「さあ、ここなら邪魔されずに話ができる」
 公爵に続いて部屋に入ると、レークはふと眉を寄せた。てっきり、レード公と二人だけで話をするものだと思っていたのだが、さほど広くはない離れの部屋には、すでに先客が待っていた。
「お待たせしましたな」
「おお、レード公、先に軽く一杯やっておりましたぞ。おや、そちらの若者は……」
 ワインの杯を手に、二人の貴族が座っていた。
 一人は長い髭を生やした初老の人物で、どこか学者めいた風貌で飄々とした雰囲気がある。もう一人は三十歳くらいだろうか。品の良さそうな貴族で、服といい髪形といい、なかなかお洒落な紳士といった感じである。
「ちと事情がありましてな。こちらは、レーク殿。例の剣技会で優勝した剣士……今は宮廷騎士でありますな。その彼とちょっと話をすることになったしだい。お二方にもこのままぜひ同席いただきたいが、よろしいか」
「ふむ。かまわんよ」
「了解いたしました」
「では、レークどの。こちらはモスレイ侍従長どの、そしてこちらはスタルナー公爵。どちらも私の古くからの友人だ」
 公爵が紹介すると、二人の貴族は立ち上がり手を差し出した。
「よしなに。侍従長をしておるおいぼれじゃ」
「あ、ども……」
 握手をしながら、モスレイ侍従長は目をそばめてじっとレークを見た。
「なるほど。おぬしがレーク殿か。あの剣技会で優勝という噂の。ふむ……アレイエンから話はきいておった」
「ああ……そうか。じゃあ、アレンの奴が行ってる式部……なんたらのおえらいさんか。うん、あんたの名前は俺も……いや、私も、聞いたことがあるぜ……いや、あるです……いや、ます……か」
 慣れない敬語にどもりつつなんとか挨拶をこなすレークの様子に、横でレード公が笑いを堪える。
「私はスタルナー公爵、ラモンです。なにぶんつい昨年に公爵位を授かった若輩の身ですが、レード公爵はじめ、宮廷の皆様には良くして頂いています。よろしくレークどの」
 スタルナー公は、ふさふさとした黒い髪を洒落た様子で後ろにまとめた、なかなかハンサムな男性だった。品のよいくすんだ臙脂色の胴着にサテンの短ズボンという、まさに宮廷貴族という形容がぴったりの恰好の、朗らかな印象の紳士だった。
「さて、挨拶はそのくらいで、とりあえず座っていただこう。レークどのもこちらに」
 公爵にうながされ、四人は腰を下ろし、あらためて向かい合った。ちょうどその時、遠くから楽隊の奏でる音楽がゆるやかに流れてきた。
「ちょうど晩餐が始まったようですな。ああ、今年もアリサに挨拶のいっさいを任せてしまった。あとでまた文句を言われそうだ」
「いやいや、まこと公は良い奥方を持ったものだ。公爵夫人の、いかなるときでも凛然としたあの気品と美しさ、それに聡明さは、宮廷内では評判じゃからな」
「ははは。これは大層なお褒めのお言葉。そういえば、かつてアリサとお引き合わせいただいたのは、モスレイ侍従長あってのことでしたな。それを思い返すたびにまったく有り難くて、こうぎゅっと身が縮まる思いですな。なにせ、はじめからそれは強情で気の強い嫁でした。今では娘のナルニアなどもあれに似てしまって、母娘二人して私を叱る始末。まったく、父の威厳など地に落ちましたよ」
「ふむ。日頃からそのように夫人と娘から尻を叩かれておれば、たとえ一国の将軍といえども、かように人間が丸くなるわけだの。善哉善哉」
 大いにうなずく侍従長の隣で、スタルナー公がぷっと吹き出す。
 レークは驚いて口をぽかんと開けていた。まさか王国の権勢を担うべき大貴族たちが、このようにくだけた会話をするなどとは思いもしなかったのだ。
「ところで、ここにはオーファンド伯がおらぬようだが?」
「ええ。伯には晩餐会の方に行ってもらっています。私がレークをここに引っ張ってきてしまったもので、せめて、オーファンド伯に娘の相手をしていてもらわなくては、へそを曲げそうですから」
「なるほど。つまり、ナルニア姫の今日のお相手は、こちらにいる騎士どのというわけじゃな」
 そう言って侍従長はレークの顔をしげしげと見た。
「ふむ。なるほどのう。よくよく見れば、いい男といえなくもないか。まあ、ぬしの相棒のアレイエンに比べると……そこは少々、ほれ、がさつな顔つきだがな」
「……」
 普段なら「うるせえ、くそじじい」と、悪態を飛ばすところだが、相手が権威ある宮廷の侍従長とあってはそうもできない。レークはぐっとこらえた。。
「ほっほ、性格は素直なようだの。全部顔に出とるぞ」
 乾いた笑い声を上げる侍従長を見て、レークは口をへの字にした。
「さあ、冗談はそのくらいにいたそうか。侍従長殿も。あまり時間がとれるわけではないのですからな。そろそろ本題に入ることにしましょう。それに、ナルニアにも釘をさされているので。早くレーク殿を返さないと、後でこっぴどく叱られてしまう」
「それはいかん。公の権威を失墜させぬためにも、早いところこの騎士どのを姫のもとに向かわせなくてはの」
「おそれいります……さて、レーク殿。よいかな」
「あ、ああ」
 向き直った公爵に、レークは顔つきをあらためてうなずいた。
「この際だ、単刀直入に伺おう。おぬしは何者で、なんの目的があるのか。それを我等の前でさっそくお聞かせ願おうとしよう」
 いきなり核心を突かれ、レークは表情を固くした。
「おぬしら……といった方がいいかな。モスレイ侍従長より聞いているが、先に式部宮の教師となったアレイエン・ディナースは、おぬしの相棒であると聞く。そして、おぬしらがただ者ではないこと。ましてや名もなき一介の浪剣士などではないことは、剣技会でのいきさつを人づてに聞いただけでも分かろうというもの。その見事な剣の腕に加え、智略にとんだやり方で間者の陰謀を阻止したという。そうして、おぬしら二人はこうして宮廷人となった。これらのことを、ただの浪剣士風情が……失礼、おいそれと成しえるものではない。相応の智略と、行動力なくしてはかなわぬ。私は剣技会にまつわる報告書を読みながら、何度仰天したことだろう。この二人の剣士……こやつらは何者なのだ、と。かねてから、そう、私はそれを己自身の目と耳とで確かめたいと思っていた。そして今日、はからずもこうしておぬしと直に会うことがかなった」
「……」
「さあ、本当のところを聞かせてもらおうか。おぬしらは一体何者であるのかを。そして、その目的とするのはなんなのかを」
 まっすぐこちらを見据える眼光には、さすがにトレミリアをたばねる大将軍だけが持ちえるような特別な威圧感があり、その声は穏やかですらあったが、決してその場しのぎの言い逃れを許さない強い響きがあった。
 室内に沈黙が落ちた。
 侍従長もスタルナー公も、レークとレード公のどちらかが口を開くのを待つように、ただじっとして言葉を発しない。
 重苦しい静寂の中で、レークは一つ大きく息を吐き、
「……分かった」
 レード公の顔を見ながら、ゆっくりとうなずいた。
「実のところ、こっちも何もかもをあんた……あんたたちに話したいと思っていたんだ。いっそのこと、そうしてしまった方が、なんやかやと勘繰られたり、よけいな疑いをかけられないで済むんじゃねえかってアレンとも話していたんだ」
 レークはにやりと笑った。
「俺の言葉遣いなんかが気に障ったら許して欲しい。なにしろ、つい三月前までは身分無き浪剣士だったものでね」
 それから一刻ほどののち、
 話し終えたレークは大きく息をつき、喉を潤すためぐっとワインを飲み干した。
「ふむ……なるほど。大体のところは分かった」
 レード公は、たった今聞かされた話をもう一度咀嚼するかのように何度もうなずき、それから、他の二人の貴族に向かって言った。
「いかがですかな?今のレーク殿の話を聞いて。私としては……そう、ほぼ納得のゆく説明であったと、そう思うところですが。何かご質問などはありますかな」
「……それでは、私からひとつ」
 やわらかな仕種で手をあげたのはスタルナー公だった。
「私は今のレーク殿のお話から、おおむね得心がゆきました。お二人があの大国アスカの出身であられるという点、そしてとくにアレイエン殿については、地方貴族とはいえ、元はアスカの身分ある貴公子であられたということもまた、非常に納得がいきます。私はじかにアレイエン殿とお話をしたことはありませぬが、何度か舞踏会などで顔を合わせたことはあります。外見でなく、あの物腰、雰囲気を見ていれば、彼が貴族であるということについて、何ら疑問は持ちませんな。むしろそうだと聞いて、やはりと内心で思ったほどで。彼はそれだけの品格をそなえておられる」
 横で聞いていたモスレイ侍従長も大きくうなずく。スタルナー公は続けた。
「そして、そのお二人がアスカを出奔して旅に出た経緯、お父君の形見の剣を探しているという目的についても、旅の費用をかせぐために傭兵になったり、あるいは今回のように剣技会に出場することにしても筋が通っております。そうして、お二人は我がトレミリアの大剣技会においてみごとに優勝なされたというわけですな。これはそう……いうなれば、素晴らしき成功談の物語として吟遊詩人に語らせたいほどのものですぞ」
 それを聞いて、レークはほっとしたようにうなずいた。
「そのように納得いただいて、俺……いや私も嬉しく思うところ」
「では、一つだけお聞かせくだされ」
 スタルナー公はレークの顔をじっと見据えた。
「今や、レーク殿は宮廷騎士となり、そしてアレイエン殿は式部宮の講師としての地位を得られた。形見の剣を探して旅をしていたお二人が、期せずしてこのような形でトレミリア宮廷に住まわれることになったわけですが。私がお聞きしたいのは、それでは、今現在のお二人の目指すものは何かということです」
「目指すもの……とは?」
 レークは慎重に聞き返した。
「さよう。先程のお話では、お二人は剣を探すために旅をしておられたという。そして旅の資金を得るために剣技会に参加し、そして見事に優勝し、こうしてお望みの金も地位も得られた。それでは、今はどうなのか?今でもその形見の剣を探しておられるのか。だとすれば、いずれはまたトレミリアを出奔し、その剣を探す旅に出るおつもりなのか。その際は、宮廷人としての権利と責務とはどうなされるおつもりなのか。つまり、そのあたりをお聞かせ願いたい」
「あ、ああ……」
 その論理的な質問にレークは口ごもった。実のところ、アレンと打ち合わせをしておいた事項以外については、まったく何も考えていなかったレークである。
「……」
 ちらりと見ると、正面に座るレード公はさっきから腕を組んだまま目を閉じいる。その横のモスレイ侍従長は、あごひげを撫でながら面白そうにこちらを見ている。
「いかがかな?」
 答えを催促するようにスタルナー公が言う。その声は、まるで友人にワインを勧めるかのような穏やかな口調だったが、それだけにレークには、真綿で首を締められるような息苦しさがあった。
「……それは」
 額の汗が頬に伝い落ちる。何をどう言えばいいのか、レークには分からなかった。ここにアレンさえいれば、きっとうまく言葉巧みに逃れたに違いない。だが頼りになる聡明な相棒は今はここにはいない。この場は自分だけで、なんとか切り抜けるしかないのだ。
「……ええと、実はこれまでも、宰相のオライア公爵とは同じように会談をしたんだが」
 こうなったらなるようになれだとばかりに、レークは思いついたことを口にした。
「ほう、それで?」
 そのようなことはとうに知っていたとばかりに、レード公は鷹揚にうなずいた。オライア公とレード公とは、宰相と将軍という地位を別にして、昔からの親友であるということは、宮廷内でも周知の事実である。レード公がある程度のことをオライア公から聞かされていたとしても、それは何ら不思議ではなかった。
「ああ……だから、もうオライア公には、だいたい全部のことは話してある。俺もアレンも、オライア公爵には何も隠せない……というか隠す必要もないと考えた。だから、オライア公と同じくらいにこの国では地位のあるレード公……あんたからも、やはり同じような信用が欲しい。だから……」
 レークはごくりと唾を飲み込んだ。
 自分が何を言おうとしているのか、自分自身にもまったく分かっていなかった。かといって、口からでまかせを言っても、決して通じる相手ではないことも確かである。
「だから……」
 レークは必死に考えを巡らせた。このように、考えて、考えて……ということは全く苦手な事だった。
 がんがんと頭の中になにかが響くような心地がした。
 ここで何かを間違えれば、それは自分たちにとって致命的な失敗となる。それはレークにすらはっきりと分かっていた。
(どうする……どうする?)
 まったくの嘘ではなく、しかも自分たちの目的に不利益にならない答え。そんな返答を……ここでは口にしなくてはならない。
「オ、オレを……」
 低く、震えるような声で、彼は言った
「オレを、ウェルドスラーブへ行かせてくれ」
「……なに?」
 遠くでワルツの音色が聞こえていた。
 楽しげな音楽と、人々のさんざめきが、壁の向こうから伝わってくる。華麗な晩餐が行われているその一方で、この奥まった狭い一室では、国の重鎮たちと一人の浪剣士の駆け引きが行われている。それはなんとも不思議な、皮肉めいた光景であろうと、アレンでもあれば思ったかもしれない。
 レード公は、驚いたようにその目を見開いていた。
「それは……」
 モスレイ侍従長も、そして質問をした当のスタルナー公も、浪剣士の意外な言葉を聞き、その顔を見合せた。
「ウェルドスラーブだと?それは……どういうことなのだ?」
「それは……その」
 眉をひそめたレード公を前に、レークは唇をなめた。いったん口にしてしまった以上は、その勢いに乗ってしまうというのが、彼のやり方……というかいつもの癖だった。
「ほら……さっきも、少し言いましたがね」
 自分の言った言葉で心が決まったとでもいうように、レークは開き直ったような顔つきになった。
「ジャリアのことですよ」
「……」
 レード公はじろりと、強い目つきでレークを睨んだ。
 公爵と浪剣士の視線が合わさる。
「おぬし……どこまで知っている?」
「そう。それそれ」
 得たりと、レークは口の端をつり上げた。その表情は、一国の公爵を前にしてはあまりに不敵な様子であった。
「へへ、同じことをね、つい先日も、オライア公にも言われましたぜ。そんな風におっかない顔してね」
「くだらぬ戯れ言はいい。先を続けるがいい」
 急かすように言う公爵であったが、この場をリードしているのは、今はむしろレークの方であった。自らを落ち着かせるようにゆっくりと息を吸うと、浪剣士は話しだした。
「俺が知っているのは、そう、今から数カ月前……ちょうど例の剣技会が開かれる少し前ですかね。ジャリア軍が二万の兵をともない自由国境地帯に侵入したこと。そんでもって、奴らはウェルドスラーブ北端の都市バーネィを見据えるように、ヴォルス内海の北側に陣を張った」
 話の方向を決めてしまえばもう怖いものはない。レークは重要機密であるはずのその情報を、まるでただの茶飲み話であるような口調で切り出した。
「あ、そうだ、ジャリアとアルディは、その前から大陸間相互会議ってやつを脱退しているけど、これはもう周知の事実なわけだよな。で、たぶん、剣技会の期間中になんらかの動きがあったのか、レード公爵はローリングを連れて実際にウェルドスラーブへ行ってみた。すると、そこで事態はけっこう一刻を争うってことを知り、ウェルドスラーブ側からの援軍要請も正式に受けて、大急ぎで剣技会の日程を一日短縮することを決めたわけだ。剣技会が終わるやいなや、集めた傭兵を急いで編成し、またウェルドスラーブを行ったりきたりしつつ、出兵のタイミングを測っていると。……それで、」
「待て。……しばし待て」
 公爵は、焦ったようにレークの話を遮った。
「侍従長、スタルナー公、すまぬが、ここはちと席を……」
「心得た」
 公爵の意を察したモスレイ侍従長が立ち上がった。スタルナー公も慌てて席を立つ。
「すみませぬな。こちらからお呼びしておきながら」
「なに。おぬしはこの国の大将軍、そしてオライア公とともに王国の両輪を担う立場よ。わしらが余分な事柄を知ってしまっては、なにかと気を配ることにもなろう。それでは我らはにぎやかな晩餐を楽しむとしようか」
 侍従長がスタルナー公とともに出てゆくと、レード公はレークに向き直った。
「……さて、」
 赤々と燃える燭台の蝋燭が、薄暗くなった室内の二人を照らしだす。
「すまぬな。続けるがいい」
「ええ……どこまで言ったのか、分からなくなっちまったけど。そうそう、ようするに……トレミリアとしては、今はじっと出兵のタイミングを測っているわけだ。そんでジャリア軍の方は、当初の予想よりはどうも動きが鈍くなったらしいな。そのおかげで公爵も、こうしてウェルドスラーブからいったん戻ってきて、呑気に晩餐なんぞを開いていられるってわけだ」
「そう呑気にしてもいられないのだがな」
 公爵は苦笑した。
「……まあいい、それで?」
「それでって?」
 なに食わぬ顔で聞き返すレークに、公爵はにやりと笑った。
「おぬしも、見かけほど馬鹿ではないようだな?とぼけるのがうまい」
「そりゃ、ひでえや。それじゃ、見かけはただの馬鹿ってことですかい」
「さっき言っていた、おぬしをウェルドスラーブへ行かせる……ということだが?」
「ああ、それね……」
 レークはぼりぼりと頭を掻いた。今更、あれはただの口から出たでまかせでした、などとは到底言えそうもない。
「ええと……、アレンのやつが教えてくれた情報では、ジャリア軍が一時停滞しているのには訳があるとかで……」
「ほう、どんな?」
 興味深そうに公爵が尋ねた。
「たとえば、兵の指揮官……てことは親玉であるジャリアの黒竜王子が、やむなく陣を離れざるをえない事態が起きたとか」
「何故そこまで知っている?」
「いや、アレンの奴が、そういう可能性もあるかもしれんとか言っていたんでさ……」
「……なるほどな」
 公爵は考えるようにあご髭に手をやった。
「おぬしらは、やはりどう考えてもただの浪剣士などではないな。もしかしたら、そのアスカの貴族云々という話も、まんざら嘘ではないようだ」
「だから、嘘じゃないんだって。俺はともかく、アレンの奴はじっさいにそうなんだよ。だから、俺たちは二人とも、古代アスカ語の読み書きも出来るし、そのおかげでアレンはさっきの侍従長に見込まれて教師なんかにもなれたんだしさ」
 アレンから散々釘を刺されていたにもかかわらず、レークは公爵に対して敬語で話すことも忘れていた。そればかりか、長い間座っているのに疲れたいうように、椅子から乱暴に足を投げ出していた。だがレード公は怒るでもなく、むしろその様子を面白そうに眺めていた。
「なるほど。オライアの言っていたとおり、なかなか面白い男だな、おぬしは。この次はそのアレイエン……アレンか、その者とも一緒に話したいものだな」
「ああ、それがいいや」
 レークはぽんと手を叩いた。
「俺はどうも、こういうお固い会談とか密談てやつが苦手でね。とくに公爵閣下の前なんかじゃ、まったく気疲れしちまっていけない」
「嘘をつけ」
 公爵は声を上げて笑い出した。
「さっきから目一杯くつろいでワインを飲み、足をテーブルに乗せてふんぞり返っておる奴の言うことか」
「あ、こりゃ失礼」
 慌ててレークは足をひっこめ、ついでにぺろりと舌を出した。
「おぬしの剣の実力はいろいろな者から聞いている。あの数々の猛者たちが集った剣技大会で、圧倒的な強さで優勝したという、その妙技を直に見たかったものだな」
「はあ、それはどうも」
 レークは横柄に頭を下げた。公爵はにやりと笑った。
「ウェルドスラーブはな……戦場になるかも知れんぞ」
 静かな声だった。
「おぬしらの目的がなんであろうが、この際はもはや問題ではない。今必要なのは、実戦で使える強力な剣士たちだ。剣技会で集めた傭兵たちはむろん、彼らを束ねるような強いものが必要になるだろう。そう、おぬしのような」
 公爵はレークの目をじっと見据えた。
 かすかに届いてくる、ゆるやかなワルツの響きを聞きながら、
「いいですよ」
 レークは答えた。
「そう言ってくれるんなら有り難い。俺たちもこの国にいる以上は、この国のために働くことにためらいはない。それに……」
 栄えあるトレミリアの大将軍を前に、浪剣士は不敵な微笑みを浮かべた。
「戦いは嫌いじゃない」
 黒い髪と黒い目の無礼な浪剣士を、公爵はしばし、息を呑むように凝視した。
 それまで聞こえていた楽隊の音が、ふと一瞬消えた。
 二人の目と目が重なった。互いのその心の奥にどんな思惑を抱いてか、それはまるで双眸による静かな攻防だった。
 やがて、遠くからの晩餐のざわめきに我に帰ったように、公爵はひとつ息を吸い込むと、低くつぶやいた。
「よかろう」
 それが、全てのはじまりだった。
 もしもこの場を見下ろす神がいたならば この一人の浪剣士の戦乱と奔走の物語が、たったいま幕を開けたのだと、厳かに告げたことだろう。
「ならば話は早い。おぬしは、もはや身分上は浪剣士ではない。ましてや傭兵でもないわけだからな。誇りある一人の騎士に対して、金を報酬にその命を雇うことはできないわけだが……」
「ま、金をくれるってんなら断る理由もないですがね」
 冗談めかして言ったレークに、公爵も真顔の中に笑みを浮かべた。
「おそらく、出兵は近いだろう。ウェルドスラーブへ……行ってくれるか」
「ああ、いいよ」
 まるで近所の使いに行くかのような気軽さで、レークは答えた。
「さっき、オライア公とも話をしたって言いましたがね。そのときも、同じように答えたもんさ。騎士になった以上は、俺はこの国のために剣を振るう、とね。ただし、その代わり、俺たち……俺とアレンの目的については……」
「分かっておる」
 これが一国を預かる将軍と、地位ある騎士との正規の取引であることを、二人は暗黙のうちに了解していた。
「おぬしらの、その形見の剣を見つけるという目的に関しては、我らはなんら関知はせぬ。我が国の騎士としての行動を逸脱しない限りにおいてはな。むろんウェルドスラーブにおいてもその自由はあると思ってよい」
「ありがてえ」
 レークはぴしゃりと膝を叩いた。
「では、聞かせてもらえますかね。今後のためにも。ジャリアの進軍に関する現在の最新の情報ってやつを」
「うむ、よかろう」
 聴こえてくる音色は、優雅なワルツから景気のいいポルカのリズムへと変わっていた。
 広間の人々は、今頃は酔いもたけなわと陽気に踊り、杯を片手に笑い合い、あるいは意中の相手との恋の駆け引きに、それぞれに晩餐会を楽しんでいることだろう。一見して平和な夜が更けてゆくその一方で、トレミリアの大将軍と元浪剣士とのこの不思議な密談は、広間の客たちの喧騒から離れたところで、なお密かに続けられた。

「はあ。なんだか疲れたぜ」
 会見を終え、部屋を出たレークは大きく息をついた。首を動かすとぼきぼきと音がした。
「だいたい、こういう役回りはオレには向いてないんだよなあ。ナルニアちゃんに誘われたときは、アレンの奴にに勝ったって感じでいい気分だったけど、じっさいはただ疲れるだけで面白くもなんともねえな、ああいう偉いさんとの話ってのは。おお、腹減った」
 回廊を歩いてゆくと、しだいに楽隊の音楽の音が大きく聞こえてくる。窓から見下ろす庭園には松明の明かりがいくつも見え、その周りでは貴族や貴婦人たちがワルツやポルカのリズムに合わせて、ひらひらと踊っている。
「さてと、この部屋だな」
 大広間のドアの前に立つと、扉の向こうから人々のにぎわう気配が伝わってくる。
 晩餐のごちそうを想像して腹がぐぐうと鳴った。
 レークは勢いよく扉を開けた。
 そのとたん、
「あっ」と、声が上がった。
 ちょうど外へ出ようとした誰かが、レークにぶつかってきた。
「いてっ」
「も、申し訳ありませ……」
 ふわりと水色のドレスが揺れた。どうやら若い女のようだ。
 転びかけた女性は、レークにしがみつくような格好になった。
「あっ」
「ん?」
 一瞬、レークにはそれが誰なのか分からなかった。だが、口に手を当ててこちらを凝視しているその相手は、彼のよく知る人間だった。
「レーク……、レーク・ドップ!」
「おお、これは……騎士長どの」
 二人は同時に互いを指さしていた。
 香水だろうか花のような香りに、レークは思わずどきっとした。
「どうも……照れるな。あんたにそうやって抱きつかれていると」
「あ……」
 ドレス姿のクリミナは、真っ赤になってレークから離れた。
「あ、あの……」
「ふーん。あんたもそういうの着ていると、やっぱりお姫様に見えるんだな……」
 感心したようにレークは言った。それも無理はない。彼女の姿は普段とはまったく違って、美しい光沢のあるサテンのドレスに身を包み、肩にかかる栗色の髪は美しく梳られてつやつやと輝いている。いつも騎士団の稽古場で見る、土に汚れた騎士姿からは、とても想像もつかないような姿であった。
「きょ、今日は、ナルニアと?」
「ああ、まあね。あのお嬢さんが無理に誘うもんだから」
 レークはやや言い訳がましく言った。ナルニア姫がクリミナとは幼なじみであることは、すでにレークも聞かされていた。
「そう。それじゃ、私はこれで……」
「あ、ちょっと。もう帰るんですかい?」
 目をそらしたまま行こうとするクリミナに、レークは慌てて声をかけた。
「いいえ。少し外の風に当たりたくて」
「ふうん」
 いつもならじろりと自分を睨み付け、憎まれ口を叩くあの騎士長が、ドレスのせいか今日はずっと可愛らしく見える。レークにはそれがとても新鮮な心地だった。
「オレも……お綺麗な室内よりは、外のほうが気が楽だな」
 そう言うと、こちらを見たクリミナがかすかに微笑んだように思えた。
「それじゃ」
「あ、ちょっと」
 再び引きとめると、クリミナは立ち止まって振り向いた。
「あ……」
 自分が何を言うつもりだったのか分からなかった。
 クリミナがこちらをを見つめている。
「ええと、その……」
 ひどく照れながら、レークは言った。
「……ドレス。よく、似合っていますぜ。騎士長どの」
 何を言われたのか分からない様子で、きょとんとしたクリミナは、やがてその顔を赤くした。
「ば、馬鹿」
 小さく言い残して、彼女はくるりと向こうをむいた。そのまま去ってゆくクリミナの背中を、レークは回廊の向こうに見えなくなるまで、ぼんやりと見つめていた。
「なんか……おどろいたね。どうも」
 顔を赤らめたクリミナのドレス姿が、しばらく頭から離れなかった。
 しばらくそこに立ち尽くしていたレークは、広間からのざわめきにようやく我に帰ると、人々でにぎわう室内へ入っていった。
 そこは大勢の貴族たちが集う、とても広い空間だった。何百本もの燭台がついたシャンデリアが煌々と輝く高い天上の下で、きらびやかに着飾った貴族や貴婦人たちが思い思いに談笑したり、楽隊が奏でる音色に合わせて踊ったりしている。
 テーブルには色とりどりの豪華な料理の皿が並べられ、給仕の少年たちがひっきりなしに皿を取り替えに奔走している。華やかなドレスに身を包んだ婦人たちが、ワインの入った杯や、鳥の羽で作られた扇を手にしながら談笑し合う様は、まさしく宮廷のサロンというような雰囲気であった。
 広間に入ったレークは、もの珍しげに室内を見回した。壁に飾られた誰かの肖像らしき巨大な絵画や飾られた色とりどりの花々、ふかふかの絨毯の感触、婦人たちの派手やかなドレスにきつい香水の匂いなど、そのどれもが、これまで見たこともないくらいに豪華なものだった。人々は誰もが最高のお洒落を競うようにして着飾り、貴族的な品の良い立ち居振る舞いで話し、そして踊っている。アレンのように、こうした貴族たちの晩餐や舞踏会に慣れているわけでもないレークは、なんとか人にぶつからぬようそろそろと歩きながら、料理のあるテーブルへと近づいた。
「おお、美味そう!」
 目の前に、運ばれてきたばかりのブタの丸焼きが湯気を立てている。レークは置いてあったナイフを取ると、それを盛大に肉に突き刺した。
「いっただっき……」
 かぶりつくようにして、彼は一心不乱に食べた。
 突き刺した肉の固まりを乱暴にかじり、皿がわりの固パンもなにも気にせず、それをスープにひたして食べた。またたくまに、美しいレースのテーブルクロスは、肉の脂やこぼれたスープの染みだらけになった。
 周りの貴族たちが、こちらを見てひそひそと何かを言い合っている。おそるおそる給仕に来た少年をつかまえ、ワインを注がせながら、彼は大いに食べ、かつ飲んだ。
「あら、レーク。戻っていたのね」
 テーブルにあった料理のかなりの分を平らげた頃、こちらを見つけたナルニアが近寄ってきた。
「もう。遅いんだから。早くあなたを皆に披露したかったのに。もうワルツは終わってしまったわ」
 汚れた口許を乱雑に拭ったレークに、ナルニアは不満げに言った。
「あとでお父様に文句を言ってやるわ。せっかく、今日は新しいドレスを着たっていうのに、ぜんぜん踊れなくては意味がなくなっちゃうもの」
 カルヴァの花をあしらった華やかな真っ赤なドレス姿で、ナルニアはその自慢の黒髪に手をやると、誘うようにレークを見た。
「さあ、レーク。踊りましょ。こうなったらポルカでも構わないわ。さ、早く」
「あ、ああ」
 ナルニアに引っ張られるようにして、レークは広間の中央に進み出た。
 人々の注目を集める中、曲が始まってまさに二人が踊りだしたそのとき、近づいてきた執事が二人に何事か告げた。
 レークはほっと胸をなでおろした。ダンスを踊らずに済むことは、彼にとっては騎士団の稽古が休みになることよりも有り難かったのだ。頬を膨らませたナルニアに詫びの言葉をみつくろうと、レークはいそいそとその場を後にした。
 再び離れの小部屋へ戻ったレークは、レード公らとの会談の席に着いた。
 公爵は娘の機嫌をそこねたことを知らされ、ため息まじりの苦笑とともに話をはじめた。
 今度の会見は、さきほどよりよほど打ち解けたものだった。オライア公爵の時もそうだったが、やはりレーク・ドップという人間は、相手を懐に引き込むような飾り気の無さと、少々粗暴であっても決して悪意のない、心からの陽気さというべきものを備えていた。
 さきほど知り合ったモスレイ侍従長にスタルナー公、そして新しく紹介されたオーファンド伯爵を含めて、気取らないレークの物言いは、むしろ貴族たちには新鮮であったらしく、ワインを酌み交わしながらの愉快な語らいが弾んだ。
 モスレイ侍従長は、レークとアレンのその正反対とも言える気質の違いを、学問的に難しく説明して一人で吹き出したり、スタルナー公爵は、自らの話をすることは少なかったが、レークに対しては色々な質問……浪剣士時代の話や剣技会での話などをさかんにしては、時に感心したように腕を組んでうなずいていた。
 もう一人のオーファンド伯爵というのは、レード公爵よりも幾つか年上の紳士で、物腰や話し方には深みと気品があった。伯爵でありながら、レード公やスタルナー公からも敬意を抱かれ、人間として一目置かれていることがレークにも察せられた。
 交わされる雑談の中には、真面目な時事の話題の他に、宮廷内での噂や人物評、さらにレード公の娘のナルニアのことや、クリミナ騎士長のことなども登り、歯に衣着せぬレークの物言いは貴族たちの笑いを大いに呼んだ。
 トレミリアの大貴族たちと元浪剣士との奇妙な会談は、思いの外盛り上がり、しだいに晩餐の夜は更けていった。
 広間で語らう貴族たちのなかには、夜を徹して踊りあかす者や、意中の相手を見つけてさっさと愛の巣へ旅立つものなど、様々だった。テーブルには膨大な空の皿が積み上げられ、飲み干されたワイン樽がいくつも転がった。庭園の松明は夜を明かして燃え続け、人々は少々疲れ気味の楽隊の演奏に合わせて、おぼつかないステップで踊り続けた。しこたま酔ったものも、食べすぎで腹を膨らませたものも、美しい婦人が前を横切ればなおダンスを申し込み、踊っては、また疲れると談笑しながら酒を飲んだ。
 そうして、豪勢なる晩餐の夜は、果てし無く続くかのようだった。


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